「見事よ、我が愛しき眷属」
磨き上げたその剣技、積み重ね練り上げた闇の魔力、込められた必殺の気力、勝利への意思と執念、何れも我が心臓を貫くに申し分なし。
その生の結実たる叛逆の一撃、確かに我が身を以て味わった。
至上の甘美。
「……く」
真祖様の胸を貫いたこの剣に、あと一息の気力を込め、その不滅の血を宿す心臓を破壊する。
それで私は勝利する。
その……筈なのに。
「だけどね」
鍔本深くまであの方の心臓を貫いた、その剣を握る私の手が、あのお方の左手に押さえられていた。
後一撃の気力を込めようとする、それがあの方の左手に込められた力に遮られる。
「私も、負けるわけにはいかないの」
何なの……この力は。
もう真祖様には、あの庭の主の命を得たとしても、これだけの力がある筈は。
「どうして……」
「今、私を動かしているのは、あの人の命と意思」
私の右手が、凄まじいまでの力に押し返される。
「多くの人と式姫の魂と願いの欠片を、全てその心の中に大事に預かって歩み続けた人の」
鍔本まで埋まっていた刃が徐々に抜けていき、吹きだす血が純白のブラウスの胸を鮮赤に染めていく。
「……最後の命の炎」
あの方の深緑の瞳が、私の目を見据える。
「それがこの魂を灼き、そして揺り動かした」
その気力に威圧されそうになる、だが私だって負けるわけにはいかない。
私にも、貰ってしまった物が……返さねばならぬ物がある。
押し戻されそうな手に力を籠め押し返す。
「私も……譲れません!」
これでいい。
感覚が薄れ、意識が闇に落ちていく。
重い体が、引かれるように地に伏す。
俺は、最後まで戦い続けられたか?
みんな。
ただ、あの約束だけは……黄龍の封を作り上げるという約束は守れなかったか……。
許してくれなんて言えないけど、すまんな。
たけ……
(……応えろ、ボクを式姫として、この世界に呼び出した不遜な大馬鹿野郎!)
頬を音高く張り飛ばすような鋭く勁い声に、混濁に沈もうとする意識が、一瞬だけ覚醒する。
……建御雷?
どうして、彼女の声が聞こえる。
願いの故の幻聴か。
我ながら、何を都合の良い……。
(応えろ、ここで君の帰りを願って奮闘している式姫達に)
……違う、これは!
幻聴じゃない。
建御雷の声だけでは無い、微かだが確かに感じる……皆の気配、庭の気配を。
帰りたい、あの場所。
だが、意識が昏くなっていく。
体が重い。
その中で、ただ、何かを感じたその場所に手を這わす。
左腕の袂の中。
それが何だったか、もう考えるだけの力も無い。
男はそれに、暖かい記憶と声が呼ぶ方に、手を伸ばし、それを握りしめた。
ひんやりとした感触。
あの、真祖が拾っておけと言っていた円盤の手触り……それが。
二つ。
建御雷は歪んだ空を睨みながら、意識を凝らしていた。
まだ微かに、あの円盤の気配は辿れる。
あれは、あの時なき世界の中にすら、時を刻み付ける神器。
とはいえ、それはあの円盤の周囲だけに通じる話。
あれが片割れに向けて飛び去った際に、その虚無の中に刻んでいった微かな轍だけが命綱。
だが、それも程なく周囲の圧倒的な虚無に呑まれていくだろう。
「早く応えろ……」
足下に迫る龍王の気配、式姫達が肩代わりしてくれている封印の限界、彼女が手繰る円盤の気配……いずれも終局が近い事を示している。
早く応えてくれ。
お前の気配さえ感じられれば……どこからだってここに引っ張ってやる。
円盤の気配が、徐々に細く微かになっていく。
「応えろ……お前は……お前はボクの主だろ!」
だが、その叫びも空しく、円盤に繋いでいた、建御雷の感覚の道が、ふつりと。
まるで、蝋燭の火が絶える時のように、絶えた。
彼の命の炎も……。
「ふざけるな!」
お前は、日の本一の軍神を式姫にしておいて……こんな所で終わるのか?
ボクは……認めないぞ。
「こうめ君、体を楽にしろ」
「なんじゃ……っと?」
足下の揺れが更に増す、立っているのも困難な揺れを感じ、鞍馬は彼女の足にしがみ付いて揺れに耐えていた、こうめの小さな体をひょいと抱え上げると、軽く羽根を揺らして、僅かにその身を空に浮かべた。
「……そろそろ限界じゃな、軍師殿」
この大地の唸りは、庭の封がほぼ解け掛かっている証。
地の深くから、ぐつぐつと湧き上がるような悪意と憎悪と怨念を感じる。
これだけの物を……この庭は、そしてあの式姫、建御雷は封じて居ったのか。
こちらも同様に、僅かに体を空に浮かべた吸血姫が、目を建御雷に向けたまま、呻くように呟く。
「そうだな」
こちらも低く返した鞍馬が、こちらは思いに沈むように目を閉ざす。
「軍師殿、何か策は?」
あのメダルが、建御雷の手から離れてしまった以上、もうこちらから出来る事は無い筈。
いかな神であれ、式姫として顕現している状態では、自ずと限界もある、建御雷にも、もう打てる手はあるまい。
だが、妾が見逃した何かを、軍師殿なら……。
しかし、吸血姫のその淡い願いも、鞍馬の短い返答に打ち消される。
「無い」
お恥ずかしい話だがね。
即答の後、小さな声でそう付け足した鞍馬が、僅かに眉間にしわを寄せる。
「我らで出来る事は尽くした……後は祈る位しかあるまいよ」
「……そうか」
祈る神持たぬ我らではあるが……それでも何か、幸運を祈る程度は許してほしい。
「祈る……」
二人のやり取りを悔しそうに聞いていたこうめが、鞍馬の言葉を反芻するように呟き、建御雷に目を向ける。
揺らめく空を睨みながら、真っ直ぐに立つ姿。
「祈るといえば、建御雷殿が言うておった」
「……何と?」
鞍馬が、その手に抱いたこうめの顔に視線を落とす。
「社一杯の甘味を捧げれば、彼を呼び戻す力持つ神を呼べるかもしれぬと」
お主なら……何か、それを調達するような算段は立たぬか?
縋るようなこうめの視線を、鞍馬は辛そうに外した。
「甘味とは難儀な好みの神様だな……糧秣なら兎も角、残念ながらそれはちょっと調達できない」
甘味は平和の味……。
この戦続きで、物流や貿易が細くなってしまった世界では希少な、金銀にも比する宝物。
「……そうじゃな」
判っている……自分が口にした事が、どれほどの無理難題か。
「こうめ君」
口惜しさに涙を浮かべたこうめが、腰に下げた巾着袋を手にして、その中身を小さな掌に空けた。
可愛らしい巾着袋から、ころりとまろび出たのは、蝋紙で包んだ丸い物二つ。
狗賓が作ってくれる、米と麹から作った飴を蝋紙で包んだ、彼女のおやつ。
わしに用意できる甘味はたったこれだけ。
こんな程度で、神を動かすなど出来ようはずも無いとは承知しているが。
時を司るという、神よ。
「これは……これは手付じゃ」
足りない分は、わしが大人になったら幾らでも用意する。
社一杯にだって、用意してみせる。
だからお願いじゃ。
過酷な戦いを続けてきたあの人を。
今ここで死力を振り絞っている式姫達を。
祈るしか出来ぬ、無力なわしに変わり助けてくれ。
お願い……じゃ。
「間に合わなかった……」
時の道が虚無に呑まれた様を、彼女は痛ましげに見つめていた。
あれが絶えては、もう……手は無い。
だが、私は自分から彼女たちに手を貸す訳にはいかない。
神ゆえの制約、私は、こうして見ているしか……。
「……何かしら」
何かが聞こえたような気がして、彼女はそちらに意識を向けた。
あの庭で、一人の少女が小さな飴玉二つを握りしめ、必死に祈り自分を呼ぶ姿が見える。
「甘味を捧げて私を呼ぶなんて、最近では陰陽師ですら中々弁えていないのに、中々物を知っているのね、感心だわ……それにしても、出世払いで社一杯の甘味ってどういう事かしら」
そんな相場出した記憶無いんだけど。
しばし首をひねっていた彼女が、何かに思い当たったように苦笑する。
「ははぁ、みっちゃんの入れ知恵ね」
大方、今回の事態の打開策でも聞かれた時に、甘い物を社一杯に用意出来れば、私の力を借りられるかもしれない、とでも言ったんでしょうね。
失礼しちゃうわ、全く、人を何だと思ってるのかしら。
人よりお菓子に目が無いというだけなのに、すぐ誇張した話をするんだから。
ちょっとしたお願い聞いてあげる位なら、卓に山盛りで良いのに……ほんとに失礼しちゃうわね。
この辺、あとでちょっとお話合いをして、認識を改めて貰わないと。
彼女は、極上の練り切りのような、艶やかでふっくらした薄紅の唇を、僅かに綻ばせた。
「満ちて欠け、夜空にて大いなる時の移ろいを映す神に祈りをささげし小さき陰陽師よ、貴女の想いの籠もった捧げ物を嘉納しましょう」
そして、神様が人からの捧げものを受け取っちゃった以上、少しは助けて上げないと……ね。
貴女の幸せの記憶と願いの詰まった、その可愛らしい飴玉二つと。
「返礼に、私の力、ちょっとだけ貸してあげる」
貴女の、その綺麗な涙に免じて、本当にちょっとだけ。
あの円盤に直接手を出して操るとか、あの場所を庭に戻してあげるような大掛かりな事は立場上難しいけど、その痕跡に、ちょっとだけ干渉する程度なら。
すっと、あの円盤の通過した跡に、彼女が純白の砂糖菓子を思わせる指を添わせる。
「刻まれし時の轍よ」
彼の地から、この地へ。
この地から、彼の地へ。
この虚無の中を貫き。
「時の封土を繋ぐ道となれ」
その言葉と共に、二つの門の間で消えていた一筋の道が、確かに繋がる。
「これで良いわ……私に声を届けた可愛い陰陽師よ、貴女の約定した出世払い、楽しみにしていますね」
忘れたら……祟りますからね。
それなりの道は作ってあげた……そこに何を通せるかは、貴女達と彼次第。
これ以上は何もしてやれない、彼女は一つため息を吐くと、虚空に背を向け、本来彼女のいます場所に続く門を開いた。
「ちゃんとした捧げ物を貰うのも久しぶりよね」
そう呟きながら開いた掌には、蝋紙に包まれた素朴な飴玉が二つ、ころりと転がっていた。
それをつるりと開き、優しく少し黄色掛かった飴を口に含む。
舌の先で転がしていると、口中の熱でそれがとろりととろけだす。
良いお米と麹を丹念に管理して、良い甘みを引き出している、腕もさることながら、これを作った職人とは気が合いそうだ。
「ふふ、おーいしい」
ああ、やっぱり甘味は最高だ。
口から全身に、じんわりと拡がるこの至福。
「それにしても、みっちゃんも判って無いわね」
私は確かに甘味で動くけど……。
「恋する乙女の涙はね、金平糖より甘いのよ」
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式姫の庭の二次創作小説になります。
「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。