自分が口にしている愚かな繰り言が、彼の決意を鈍らせ、困惑させるだけの言葉だと。
この差し迫った状況下で、口にするべき言葉では無いと。
私は良く知っているはずなのに。
「……やっぱり、だめ」
私のこの小さな心は、衝動的に掴んでしまった、彼の着物の裾を、どうしても離せなかった。
「気持ちは嬉しいんだけど……な」
彼が小さい子にするように、私に視線を合わせようと、しゃがんで私の顔をじっと見る。
「俺が正しいと思えたのは、この選択だけだったんだ」
受け入れちゃ、貰えないか?
男には何となく判った、目の前の真祖も、この白まんじゅうも、偽らざる彼女の心なのだ。
彼の魂と決意を見て、その式姫となる事を選んだ心と、彼の呑み友達の心。
「そうだね、わたしもね、正しいとは思う」
闇の王たる真祖の心と、そして彼は、この状況下で選びうる正しい判断を下している。
でもね、それが……その正しさが、私は。
「……だから、いやなの」
その残酷な正しさを知った上で、白まんじゅうの想いは、この人を、世界や戦いの正しさの前に、従わせたくなかった。
どの道死ぬなら、より正しい方を……そんな選択をさせたくなかった。
「そうか」
白まんじゅうの言葉も……その小さな心から発せられた言葉もまた、正しい。
俺がしたのはただ、戦の刹那の中で最善と信じた道を選択しただけ。
「どうしたら、良いと思う?」
猶予は無い。
だけど、この恐らく最後になるだろう、彼女との対話を経ねば、彼女は多分俺の命の全ては受け止められず……敗北するだろう。
これは必要な事。
だが、俺は……そして君は、どうすれば良い、どう決断すれば納得できる。
「……ごめんね、貴方は正しい選択をしたのにね」
それを揺るがすような事をして、本当にごめんね。
でも、だからこそ。
白まんじゅうは、握っていた男の裾を離して顔を上げた。
「貴方の心の中にいる、大事な人たちと、もう一度だけ話してほしいの」
「俺の中の?」
「そう……式姫達や、貴方が大事に思う人から貰った心の欠片たちと」
共に戦い。
互いを一個の存在として認め合い。
式姫と主としての絆を結んだ。
そして、あの庭で一緒の時間を過ごし、互いの生の軌跡を交わした、あの存在たちと。
「……それは、したつもりだ」
死にも通じるこの決断が皆を裏切る事にならないか……それを問いながら皆を思い出し、その上で俺は決断を。
その俺の顔を見ながら、白まんじゅうはふるふると小さな頭を振った。
「今、私としているように、話をした?」
ともに戦う、戦士としての彼女達では無い……日々を過ごし、穏やかな時を共有した、大事な友人としての彼女達と。
今なら判る。
私の小さな心は、その為に、貴方をひき止めたのだと。
「それは……」
皆の顔を思えば、過ごした時間を振り返ってしまった時……俺の決意はどうなるんだ。
それでも揺るがぬ程に……強いのか?
悩む俺を暫して見ていた白まんじゅうが、その短い足でぽてぽてと歩き出し、先に立つ真祖と並び、彼女と同じように俺に向けて手を伸ばした。
「その結果を、私は受け入れる」
俺は……どちらの手を取る?
どちらの正しさを良しとするのだ。
「みっちゃんには御しきれなかったか」
こういう神器の扱いは不慣れだし仕方ないかな。
とはいえ、困ったわねぇ。
時無き虚空に、時の道を細く刻み付けながら飛ぶ円盤を見ながら、彼女は憂わし気に小さく呟いた。
あれの片割れは、今、吸血姫の女王の力によって時の門を開きかけた所で、何かが起きてそれを中断させられてしまっている。
それは、力の場としては、かなり不安定な状態。
その状態を安定させる為にか、それは常よりも強い力で対になる円盤を引いた、それが建御雷の予想を超えた力になって、彼女の一瞬の隙があったにせよ、その制御を振り切ってしまった。
「私があの円盤に下手な干渉すると、完全に異界の神様を敵にまわしちゃうしねぇ」
それは流石に避けたい……。
「困ったわねぇ」
最前と同じことを呟きながら、彼女は額に落ちかかる銀髪を軽く払った。
あの時の神器たる円盤が刻んでいく、細い時の道が、時なき虚無に呑まれるように、徐々に細くなる。
「みっちゃんと、あのお兄さんは、気が付いてくれるかしら……」
今ならまだ、望みはあると。
もし気が付けねば……本当にお終い。
戦士としてではない、式姫達と……か。
普通過ぎて困るんです、と本当に困った顔で相談に来た古刀の式姫。
美味しい果物が出来たッス、そう言って西瓜丸ごと一個を豪快にその場で割って、顔中種だらけにしながら、俺と一緒に心底楽しそうに食べた元気な式姫。
その彼女の顔を拭きながら小言を言ってた、優しく大いなる山神の式姫。
俺のへぼ碁に付き合いながら、さりげなく歴史や世界の事を語ってくれた、師匠とも言える式姫。
酒杯と、とりとめのない話をゆるゆると交わしながら、何という事の無い時間を共有しあった呑み友達の式姫達。
綺麗な声で、都のはやり歌を聞かせてくれた、ちょっと気位が高い式姫。
出された大量の課題を手伝ってくれと、俺の部屋に書物を抱えて転がり込んできた少女。
一緒に庭の整備をし、あれこれと置く物を考えたり、手入れの知恵を出し合った。
畑を耕し、大変な思いをしながら、丹精した末の収穫を皆で楽しんだ。
折々の景色を愛でつつ、時期の物を野山から収穫し、簡単な祭りと共に、日ごろの労苦を労いあった。
そして、その全てを始める機会をくれた。
俺を信じてくれた、軍神建御雷よ。
最後まで諦めずに歩き続けると、君と約束した。
……そうだな、俺が取るべき道は。
男が歩み出す。
彼は、白まんじゅうに歩み寄り、地に膝を付いて、彼女と視線を合わせ、その手を伸ばした。
それを、彼女はどこか悲し気な目で見つめていた。
「ありがとうな」
彼が伸ばした手は、彼女の手を取らなかった。
代わりに、彼女をその掌に優しく乗せ、大事そうに抱えた。
「俺は、やっぱり君に生きててほしいよ」
心が静かに定まっているのを感じる。
式姫は、大いなる神霊の顕現。
伝承に語られる名刀、山神、神獣、鬼神、神使、天狗、大妖怪達。
だが、同時に、小さく弱き人に寄り添う事を選んでくれた存在。
それを、思い出した。
この真祖も同じ、大いなる存在だが、同時に俺に力を貸してくれると決めてくれた。
「そっか……」
「ああ」
男は、どこか晴れやかな顔で、彼女の顔を見ていた。
「俺は、今、この生に心から満足してる、失いたくない」
それが、はっきり判った。
ゆっくり身を起こし、俺を信じてくれた夜闇の王に顔を向ける。
「だから、俺は最後まで戦う」
傷ついたその手を、真祖の蒼白な手に伸ばす。
「君に俺の命を預ける」
大いなる存在に対して、この命を捧げるのではない。
「俺も君たちと一緒に戦わせてくれ」
「……ええ、そうね」
その命を貰うのではない……魂と共に私が預かり。
「共に戦いましょう」
貴方の命と魂を預かり、代わりに私の小さな心を、貴方に預ける。
二度と返せないかもしれないけど……ずっと預かるわ。
「……ありがとう」
そして、すまない。
男は、彼女の優しく小さな心を抱えながら、差し出されたその手を取った。
真祖様の左足が再生した。
彼女の背後に立つ、式姫の庭の主がした事か。
両の足で大地を踏み、真祖様がこちらを見た。
その目から、つ、と光が溢れる。
見間違い?
原初の闇よりこの世界に君臨してきた、最強の王のお一人たるあのお方が。
涙。
気が遠くなるほどの年月、あのお方に仕えて来た私も……そして恐らく吸血姫すらも見た事が無い。
その頬をゆっくりと伝い、この虚ろな世界に切り取られた月光を弾き。
「……さよなら」
私の愛した人たち。
囁くような、小さな声。
その、微かに動いた頤から、雫が落ちた。
あの方の右手が上がる。
あくまで、私の心臓を狙い、それが真っ直ぐに突き出される。
あの方の本当に最後の一撃。
本来なら、貴女様が望まれるなら、我が心臓の如きは、自ら捧げねばならぬ身ではありますが。
お許しを。
あの方の右手が、私の肩甲骨の辺りを刺し通す。
そして私の突き出した細剣は。
「見事」
あの方の不滅の心臓を、確かに貫いた。
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式姫の庭の二次創作小説になります。
「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。
我ながらクドいなと思う部分ですが、有る意味ここが一番書きたかったのです。