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真・恋姫†無双異聞 皇龍剣風譚 第四十七話 Can't Take My Eyes Off You

YTAさん

ご無沙汰しています。YTAです。
今回はリハビリを兼ねて、キャラクターを多めに出して動かしてみたりしているので、過去最大級のボリュームの割りには少し単調かも知れませんが、ご容赦ください。

また、Re-imaginationに関しての投稿は、小説投稿サイト『ハーメルン』様に限定する事に致しました。
詳細は例によってあとがきにて。

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2021-09-12 22:16:18 投稿 / 全28ページ    総閲覧数:1576   閲覧ユーザー数:1332

 

真・恋姫†無双異聞 皇龍剣風譚

 

第四十七話 Can't Take My Eyes Off You

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、すげぇ人口密度ですなぁ」

 北郷一刀は、素直な感想を口にして、細やかな我が城たる執務室を眺めた。

 都の宮殿内にある一刀の執務室は、董卓こと月や賈詡こと詠、孫乾こと美花の不断の努力により普段から清潔かつ整然と片づけられているものの、特別豪奢と言う訳でもなければ広大と言う訳でもない。

 間取りで言えば、各国の諸将に割り当てられている私室と殆ど同じだ。

 

 そこに、二十人近い人々がペンギンの群れ宜しく密集している様は、正に満員電車さながらである。

 しかも、一刀を除く全てが三国の名だたる美女たちともなれば、最早ある種のグロテスクさすら感じさせる程だ。

「それにしても、稟が遅れるとは珍しいな」

 一刀が誰にともなくそう言うと、郭嘉こと稟の主である曹操こと華琳がそれに答える。

 

「今週は、桂花への引継ぎ事項が多いと言っていたから、内容を確認中に議論が紛糾しているのかも知れないわね。あの子の事だから、私に付いてこれない事のやっかみ半分に、些細な事で稟に噛みついているのかも知れないし」

「あ~、桂花ならやりかねないよな、それ……」

 

 一刀は苦笑すると、密かに(時には正面切って)性悪猫耳軍師と綽名される荀彧こと桂花の悔しそうな顔を思い浮かべる。

 今日は、陸遜こと穏が言う所の『一刀さんの秘密基地』である 龍の洞窟(ドラゴンズ・ケイヴ)に、三国の王と主だった文官・武官のトップたちを招待しての見学ツアーの開催日だった。

 三国会議を龍の洞窟の中で開催すると言う荒業を敢行する事で、この度、新設される事となった一刀直属の軍勢を率いる事になる将軍たち共々、辛うじてスケジュール調整に成功したのだが、どうしても都合の付かなかった内の一人が桂花なのだった。

 

 多忙な軍師陣の中でも、特に各国の筆頭軍師たちは、日々、火急の案件の対応に迫られる事も多い事から、定例の三国会議への参加は能動的で構わないと言う事にしているのだが、よりにもよって、最愛の主である華琳が桂花の怨敵である北郷一刀の招きに応じる形となった今回の会議への不参加は、彼女にとってはこの世の終わりにも等しい痛恨事であるらしく、スケジュールが決定してからの日々に於ける桂花のご機嫌は、すこぶる宜しくなかった様で、同じ軍師として華琳へ随行が決まっていた稟や風に対して、やたらと突っかかっていたらしい。

「だからって、稟や風に当たらなくたってなぁ……どうする、華琳。先に行ってようか?」

 一刀がそう尋ねると、華琳は緩々と首を振った。

 

「皆には申し訳ないけれど、もう少し待って上げて頂戴。今の話は私の単なる憶測なのだし、まだ遅刻と言う程でもないでしょう?」

「その心は?」

「我が生涯に一片の悔いもないわ!」

 

「うん、まぁ、そうだろうなぁ」

 一刀は、改めて華琳が置かれている状況を確認して、生暖かい笑顔を浮かべた。

『主を揉みくちゃにする訳にはいかない』との家臣団からの意見具申により、大渋滞の先頭に当たる一刀の執務机の前には、桃香、華琳、蓮華の順に三国の王たちが居並んでいる。

 無論、ピタリと密着して、だ。

 

 更に華琳の背後には、孫呉の先王と言う事で王たちに準ずる立場の孫策こと雪蓮が、これまたピタリと華琳に密着している。敢えて記すが、華琳の身長は、その三者に対して一回り小さい。

 つまるところ華琳は今、神が作りたもうた至高の果実に、三方から頭部を挟み込まれている状態なのだ。

 麗しの才子佳人をこよなく愛する魏の覇王にとっては、ある意味、三国統一を成し得たと同義と言っても過言ではない心境であろう。

 

 と言うか、一刀自身、ここまで緩み切った顔をした華琳を見た記憶は一度もない、と断言できる程、華琳は桃源郷を満喫している様子である。

 桃香と蓮華は、自分たちの豊かな乳房に邪魔をされて華琳の表情を覗い知る事が出来ない為、仕切に侘びや気遣いの言葉を掛けているが、背後に居る雪蓮は、執務机を挟んで向かい合っている一刀の表情から何かを察してか、いたずら小僧の様な笑顔を浮かべて、自ら華琳の後頭部に身体を押し付けて見せていた。

 

「私、滅多に人を羨んだりはしないのだけれど……一刀、貴方ちょっとズルいわよ!」

「うん、本当にね、御尤もです華琳さん」

「え?え?急にどうしたの、ご主人様、華琳さん。喧嘩なんかしちゃダメだよ。そりゃ、こんな感じだから、苛々しちゃうのは分かるけど……」

 

 

 胸の下から聞えてくる華琳の声に驚いた桃香が、理由も分からず慌てて仲裁に入ると、蓮華も心配そうな表情を浮かべる。

「そうよ。あの、華琳。もしも不快なら、やはり一刀の机に登らせて貰っても……」

「結構よ!私は!こ・こ・が・い・い・の!それに、貴女たちに非なんてないわよ。私が腹立たしいのは、何で一刀ばっかりが、コレを一度に独り占め出来るのか、と言う事に対してだもの」

「コレ?コレとはどれの事だ?済まない、私からは見えなくて……」

 

 生真面目な蓮華は、珍しく子供の様に拗ねる華琳をどう扱って良いのか分からない様子で尋ねるのだが、華琳からの答えは当然ない。

 結局、蓮華を可哀想に思った一刀が華琳の相手をする事にして、口を開く。

「いやまぁ、流石にこの組み合わせで四人で一度にって事は無かった様な……あと、俺も華琳と同じで、お互い同意の上なら別に口出しはしないので、御随意にと申しますか、細に入り密に入りの自慢話なんかを聞かせて貰えるとむしろ嬉しいと申しますか……」

 

 古今東西、武官や高貴な生まれの者が同性同士で睦みあう事は別段珍しい事ではないし、その関係が国やお家の行く末に天祐を呼び込んだ例も枚挙に暇がない。

 まぁ、取った取られたの世継ぎが出来ぬのと騒ぎになった例もあるにはあるが、こと三国の王たちに関して言えば揃って鷹揚な人柄であるし、御相伴に預かりつつ世継ぎ問題も解決できる一刀の立場からすれば、懸念となる様な事はまったくない。

 それどころか、いっそ奨励したいくらいである。

 

「言ったわね、一刀。言質は取ったわよ。この場に居る皆が証人ですからね」

「外交問題にだけはならんようにな」

 一刀が肩を竦めてそう言うと、部屋の奥の方の人混みから勢い良く手が上がった。

 手甲の形を見るに、どうやら張遼こと霞のようだ。

 

「一刀先生!愛紗は員数に入りますか!」

「おぉ、同意の上ならな。どんな愛紗が可愛かったかの報告義務は怠らないよーに」

「やった!!」

「ご主人様!霞!!」

 

 これまたどこからか、皆の冷やかしの言葉と笑い声に交じって、関羽こと愛紗の気恥ずかし気な怒鳴り声が聞こえて来る。

 すると、格好の暇つぶしを見つけたと思ったのか、雪蓮がニヤニヤと笑いながら、華琳に話し掛けた。

「あら、華琳てば、私が遊びに行っても口説く素振りも見せなかったくせに、蓮華の事は狙ってたわけ?傷付くわぁ」

 

 

「酒をせびりに来るのは、私の国では遊びに来るとは言わないのよ。第一、貴女の酔い方、情緒も何もあったものじゃ無いのだもの。口説く気も失せるわ」

「おっ、じゃあ実は、まんざらでもないのね~♪何なら、私もお邪魔しちゃおうかしら~」

「姉さま!またそういう下世話な冗談を!」

「え~!いいじゃないよ。面白そうだし。お望みなら小蓮も付けるわよ。あ、母様もこっちに顔出すって言うし、いっそ親子四人で―――」

「姉さま!!」

 

「うふふ、確かにそれは面白そうね」

 華琳は、流石に察して顔を赤くする蓮華を雪蓮と一緒に揶揄う事にしたのか、するりと桃香と蓮華の腰に手を回す。

「音に聞こえし天下の種馬でも、三国の王家を一度に平らげた事は無いのではなくて?」

 

「うん、まぁ、それやったら確実に死ぬしね。つーか、実際、炎蓮さんだけでも死にかけたしね」

「ちょ!?一刀あなた、母様とも!!?」

 蓮華が驚いて目を見開くと、雪蓮が意外そうな顔で蓮華を見る。

「あれ?蓮華は知らなかったっけ?私には自慢してたけど。『朝まで俺に付き合えたのはお前らの親父以来だぜ~!ありゃあ中々のモンだぞ、ガッハッハ!』って」

 

「うぅ……確かに、母様からのお役目には当然、母様ご自身も含まれると解釈もできるけれど、でも――」

「異議あり!!」

 蓮華の呟きを遮る様に、またも部屋の入口近くから夏侯惇こと春蘭の大声が上がる。

「お、王家と言うなら、華琳様とは縁戚の我ら夏侯家にも参戦の資格があるのでは!!」

 

「姉者、そんな事を言い出したら、桃香様の義姉妹や曹家の御一門まで巻き込まねばならなくなるではないか……」

 春蘭と夏侯淵こと秋蘭のそんな遣り取りを聞いて、一刀は苦笑いを浮かべた。

「千客万来だな、華琳」

「ふふ。望むべくもない魅惑の夜ではあるけれど、流石に愛紗や華崙たちまでとなると、手が足りないわね。ここはやはり、一騎当千の種馬殿に援軍を要請するべきかしら?」

 

「だから、俺が行ったら死ぬからね。嫌すぎるだろ、世界の危機を前にして腹上死とか……」

「あら、腹下死かも知れないわよ。どちらにせよ、種馬の本懐ではないの。それにほら、粋怜が作っている蛇酒、効果抜群だと聞いたわよ。私も一瓶わけてもらおうかと、前々から思っていたのよね」

「いや、あれは効きすぎるからやめとけってば。えらい目にあう―――」

 

 

「遅参、ご容赦!」

 いよいよ本格的に下世話になってきた会話に割って入るように、換気の為に開け放たれていた扉の方から、稟の声が聞こえて来たので、一刀はほっとして、人混みの向こうの姿の見えない稟に声を掛けた。

「おう、稟。おはよう!」

「一刀殿、おはようございます。遅れました!皆々様も、申し訳ありません!」

「おはよう、稟。大手柄よ」

「は?あ、いえ、おはようございます華琳様。あの、それはどういう――」

 

「貴女のおかげで、三国の王家と縁戚全員で閨を共にする算段が付いたのよ」

「はぁ!?」

「褒美に、貴女にも参加させてあげるわ。誰に相手をして欲しい?」

「はひ!?私が、華琳様や王家の方々と入り乱れて―――!!?」

 

「あ、莫迦、華琳お前!!」

「ふふふ、勿論、一刀でも良いわよ。ふむ、それより、雪蓮や炎蓮殿に激しくしてもらう方が、貴女の好みかしらね……」

「か……華琳様の臣下たる私が、華琳様や一刀殿が見ている所で、江東の英雄たる親子お二人に前から後ろから否応なく責め立てられて―――!!?」

 

「おう、稟。大殿の攻めは厳しいぞ!儂も若い頃は気を失うほど散々に攻め立てられたもんじゃ。覚悟しておけよ、くっくっくっ」

 どこからか聞こえて来た黄蓋こと祭の煽りに、いよいよ稟のボルテージの臨界突破を予感した一刀は、慌てて声を上げた。

 

「秋蘭、近くに居るか!!」

「応、任せろ北郷!」

「ああ、ダメです華琳様、一刀殿、そんな蔑んだ目で乱れた私を見ないで―—―――ぷはぁ!!?」

 次の瞬間、稟の断末魔の吐息と共に、部屋入口付近の天井に鮮血がべちゃりと張り付いた。

 状況から察するに、秋蘭が間一髪、稟の顎を持ち上げて、顔を上に向けさせたらしい。

 

「助かったよ、秋蘭—――華琳、お前なぁ」

「稟は朝から元気ねぇ。ま、これだけの英雄豪傑を待たせた罰としては、妥当な所でしょうよ」

「それにしたってお前……あぁ、俺の部屋の天井がぁ……詠に怒られるぅ……天井から血が滴り落ちてくるとか、ホラー映画でしか見た事ねぇよ……」

 

 

「そ、それは兎も角、もう全員揃っただろう、一刀!」

「そうだよ、ご主人様!早く行こうよ!!」

 この場の百合々々しい空気に耐えられなくなったのか、蓮華と桃香が揃って声を上げると、一刀も間髪入れずに頷く。

「お、おう、そうだな!じゃあ行こうか!ポチッとな!」

 

一刀がそう言って机上に置いてある龍の彫刻の文鎮の頭を捻ると、背にしていた本棚がせり出し、

次に横にスライドして、先が暗がりに包まれた階段が姿を現す。

「ええと、中は三人で横に並べる位は広いから、列になって入ってくれ」

 一刀は、ツアーコンダクター宜しく手を振り上げながらそう言って、先に立って階段に足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

「うわぁ!ひとりでに明かりが点いたよ!しかもたくさん!すごいねぇ、蓮華ちゃん!」

「あぁ。しかし、こんなに白い明かりは見た事がないな……」

 桃香と蓮華の二人は、動体感知で点灯した蛍光灯に興味津々の様子で、年相応の女友達同志のように腕を組み合いながら階段を下りている。華琳は何も言葉を発しなかったが、周囲を興味深げに見渡していた。

 

 後ろに続く諸将も口々に感想を言い合ったり、通路の壁や手すりの手触りを確認したりしている様だ。

 一刀は、その気配を背後に感じながら、『なんだか遊園地のアトラクション待ちの列みたいだな』と、ふと思いつき、微笑みを浮かべた。

 彼女たちと遊園地に行ったら、きっと朝から晩まで大騒ぎで、一時たりと退屈する暇など無い事だろう。

 

「はい、一旦、止まってくれ!これから入り方を説明するから、前に詰めて詰めて!」

 一刀は、そう言ってから振り向いて、突き当たった場所にあるドアの前に立つ。

 ドアの前は広めのスペースが確保されているので、どうにか全員が一刀の姿を確認できる位には横に広がる事が出来た。

「この扉は、三つの仕掛けで個人を認証して、鍵が開く仕様になってるんだ。人間には、他人とは違う、その人にしかない部分がいくつかあるんだけど、皆も、誓紙に血判を押したりするから、指紋については知ってると思う。ただ、指紋は怪我とかで仕掛けの方がそれを認識できなくなる事があるから、今回は使わない」

 

一刀はそう言って、全員が自分を注視しているかを確認する様に周囲の顔を見渡しながら、ゆっくりとした口調を心掛けて話を続ける。

「使うのは、瞳、手の中を通る脈、声の三つだ。詳しく説明すると一日どころじゃ済まないから詳しい事は省くけど、この扉の横に付いている装置で、それを順番に確認する事で扉が開く様になってる。じゃ、今からやってみせるから、よく見ててくれ」

 

 一刀は、虹彩スキャナーの前に移動して、身を屈めて固定具に顎を乗せた。

 数瞬の後、『ピン!』と言う機会音が鳴るのと同時に、扉に内蔵された縦に三本並んだランプの内、一番上のランプが赤から緑に変わる。

「次が脈だ。この黒曜石の板みたいな部分に手を置くだけだよ」

 

 一刀が虹彩スキャナーの下にある静脈スキャナーに右手を置くと、スキャナーの表面を緑の光線が上下に走って、先程と同じ様に機械音とランプの点灯が起こる。

「最後が声だ。自分の名前をはっきりとした声で言ってくれ。“一刀”」

 一刀がそう言うと、再び機会音とランプの点灯があり、プシュッという僅かな音がして、すぐさま扉が横にスライドし、奥の通路が露わになり、数秒で巻き戻した様に閉まる。

 

 周囲からの感嘆の声を受けて、どこか得意げが気分になりながら、一刀は更に説明を続けた。

「みんなの場合は、真名を鍵に設定してあるから、真名を使ってくれ。因みに、三つの確認の途中で長い間を開けてしまうと、もう一度、最初からやり直しになるから気を付けて。今回は、俺が横で観てるから、自分で鍵を開けて入ってみて欲しい。入った人は、扉の先で待っていてくれな。じゃあ、えぇと、華琳からにするか?」

 

 一刀が、一番近くに居た華琳にそう言うと、華琳は頷いて前に進み出る。

「私には、少し高いわね」

「その下の突起を押すと、台座がせり出すから」

「あぁ、そう。成程、至れり尽くせりね」

 

 華琳は素直に感心した様子で台座に乗ると、一刀を真似て虹彩と静脈の認証を済ませ、「華琳よ」と扉の前で自分の真名を声に出す。

 華琳は、同時にスライドして開いたドアに向かって迷う事無く歩みを進めて、姿を消した。

「はい、じゃあ次は桃香かな?」

 

「う、うん。ドキドキするよぉ」

「大丈夫だよ。食べられたりしないから」

 一刀が優しくそう言って促すと、桃香も認証に成功して、華琳が待つ扉の先へと消えた。

「さ、次は蓮華か。じゃんじゃん入ってくれよ」

 

 一刀は正に遊園地のアトラクションの誘導スタッフでもなった様な気持ちで、三者三様のリアクションを楽しみながら、参加者たちを奥へと誘い続けた。

 

 

 

 

 

 

「いやはや、この大人数だと、入るだけでも一苦労だったな」

 最後に扉をくぐった一刀がそう言うと、腕組みをした春蘭が、面白くなさそうに呟いた。

「まだるっこしい。入る度に一々これをやらばならんのか?」

「およしなさい、春蘭。あの扉の仕掛けそのものを見ただけでも、この先にある諸々を一刀が門外不出にしたい気持ちがよく分かると言うものよ。何なら、あの装置を陳留の城にも欲しい位だわ」

 

「はっ、華琳さま」

「あとな、春蘭。面倒だからって、扉を蹴ったりするなよ。歪んで開かなくなったら、大回りして別の出口から出ないと行けなくなるんだから」

「わ、分かっておるわ!大体、いくら私だって、鉄の扉を蹴り開けようなどとは思わん!――な、何だ、みんなしてその目は!!?」

 

 春蘭は、周囲からの『ホントかよ……』と言わんばかりの視線を一身に受けて、顔を赤くして大声を上げた。

「まぁ、いいや。出る時も同じだから、みんなも気に留めておいてくれな。じゃ、こっちだ」

 一刀はそう言って、エントランスエリアを通り過ぎ、二基並んでいるエレベーターへと一行を導く。

 

 そこでも、現代人には必要ないであろう基本操作やら緊急呼び出しボタンやらの説明をしつつ、代表の人間に実際に操作してもらいながら、自分の最後のグループに混じって地下深くへと降りて行く。

 一刀がエレベーターを降りると、既に到着していた面々は、三々五々に集まって、エレベーターの感想を言い合っていた所だった。

 

「はい。これで全員だな」

 一刀が一応の確認を取ると、祭が何とも言えない顔をして話し掛けて来た。

「北郷。あの、臓物が浮き上がるような感覚はどうにかならんのか?何ともムズムズするわい」

「あぁ……確かに、俺の世界でも苦手って人はいるなぁ。まぁ、慣れれば大丈夫だと思うけど。じゃあ、他の区画を案内する時は非常階段を使おうか」

 

「やれやれ、それはありがたいわい」

「はは。ただ、毎回、階段でとなると、結構、大変だと思うけど……」

 一刀が気遣わしげにそう言うと、祭の話し相手をしていた穏が、悪戯っぽく笑った。

「まぁ、祭様がそうしたいとおっしゃるなら、それで良いのではないですかぁ?私は、次の機会にも“えれべーた”に乗せてもらいますけどぉ。立っているだけで望みの場所まで運んで貰えるなんて、夢のようです~」

 

「まぁ、強制ではないし……あれ?おかしいな。及川に迎えに来る様に言ってあった筈なんだけど」

 一刀はそう言って、壁に備え付けられた端末を弄る。

「えぇと、指令室への入室ログが最後か。昨夜の四時ね。うん、こりゃ悪い癖が出たな」

「おやおや~。及川さんにも、女と見れば閨に引き込む悪い癖が~?類友ですね~。その装置は、類友発見器かなにかで~?」

 

 風が常と変わらぬ茫洋とした口調でそう言うと、周囲の幾人かから厳しい視線が投げかけられるが、もはや慣れっこの一刀は、特に気に留めずに肩を竦めて見せる。

 と言うか、ここでムキになると藪蛇の鉄板パターンだと、そろそろ学習しているのだ。

「なにそのニッチな装置……。いや、使い方については後で説明するけどね、うん。多分、軍師が一番、上手く使えると思うし。あいつの癖ってのはまぁ、大したことでもないんだけどさ……みんな、もうちょっとここで待っててくれ」

 

 一刀はそう言って廊下の奥に消えると、手に金属の筒の様な物を持って、直ぐに帰って来た。

 筒からは、何やら鈴の音にも似たコロコロと言う音が聞こえている。

「あら、鉄の茶器に氷だなんて、随分と風雅なのね」

 華琳は、音色を気に入ったのか、繁々と一刀の手元を眺めている。

 

「あぁ、後でみんなにも御馳走するよ。じゃ、行こうか。ここの扉は脈の認証だけだし、人が近くに居れば閉まらないから、ゆっくり入って大丈夫だよ」

 一刀は、エレベーターホールの正面に鎮座する両開きのドアの横の認証パネルに手を翳してロックを解除し、客人を招く亭主の様な仕草で入室を促した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようこそ、この施設の頭脳へ。ここが中央指令室だ」

 一刀の声に重なる様に、各国の重鎮たちから感嘆の声が漏れた。

 部屋は、全員が間隔を開けて立っても十分な広さがあり、正面にある巨大なスクリーンには、淡い光を纏った大陸の緻密な地図が映し出され、それに向き合うようにして、いくつもの黒曜石の様な板を設えたかの様な長机が配置され、色とりどりノ光を湛えて明滅していた。

それぞれの板の正面には、彼女らが見た事も無いような材質の椅子が据えられている。

 入口の直ぐ横は床が一段高くなっていて、そこには一際立派な大机と座り心地のよさそうな椅子が備わっており、机の上には、椅子を囲むようにして細い金属を組み合わせた様な棒に支えられた、黒光りする板が配置されていた。

 彼女達にとって、少なくとも見た目だけなりともまともに見えるのは、大机のある上段と長机の並ぶ間のスペースに設けられた、八角形の円卓だけだ。

 

 それにしたところで、鉄で出来た、装飾一つもない巨大な円卓などにお目にかかったのは初めての事だが。

「朱里ちゃん朱里ちゃん、この地図、凄く精巧だよ!この線は国境だから、きっとこっちの細くて細切れの線は勾配だよね!?」

 龐統こと雛里が、パッと目を輝かせて正面のスクリーンに駆け寄ると、後を追った諸葛亮こと朱里も、息を呑みながら後を追う。

 

「うん。そうみたいだね、雛里ちゃん。と言う事は、この湖や河の色が違うのは水深かな?うわぁ、凄すぎるよ!こんなのを作ろうと思ったら、益州だけでも何十年掛かるか……」

 その横に、光に誘われる虫の様にふらふらと進み出た周瑜こと冥琳も、夢うつつの表情で独り言の様に口を開いた。

 

「驚いた……つい十日前に終えた会稽郡の灌漑工事の跡まで反映されているではないか……」

「それだけではありませんよ」

 稟が眼鏡のブリッジを押し上げながら、地図に目を走らせる。

「現在整備中の街道も宿場も、放棄した関や小さな砦に至るまで、悉く網羅されています」

雪蓮は、もはや呆れたとでもいうような様な顔でこめかみを掻いた。

「あはは。こんな地図が手に入るなら、南海覇王を質草にしても惜しくないわね。ねぇ、蓮華?」

「はい……と言うか、如何な孫家重代の家宝とは言え、剣一振りでこれの対価に足るとは、到底思えませんが……」

 

「ほんとにビックリだよぉ。この山とか、険し過ぎてウチでもまだ調査し終わってない筈なのに」

 桃香も、益州の辺りを眺めながら、口をひし形にして呟いた。

 一刀は、そんな皆の様子を眺めながら、何とも形容しがたい表情を浮かべて苦笑いを浮かべる。

「いやまぁ、そうなるよね、うん。えぇと、あ、居た」

 

 一刀がそう言って、つかつかと長机に設えられた椅子の一つに近づいて行くと、一行もスクリーンから漸く目を離して、その後を視線で追う。

 するとそこには、机に突っ伏して寝息を立てる男の背中があった。

 さしの一騎当千の武人たちも、目にした物に圧倒されて、気を配る事が出来ずにいたのだ。

 

「おいこら起きろ。仕事場で寝るなって何度、言われれば分かるんだよ、お前は」

「んが……うぅ……あれ、一刀お前、張り込みどうしたぁ?」

「何の夢を見てるのか知らんが、俺はここ最近、浮気調査なんか受けてないぞ」

「うえぇ……そうだっけ?あー、えーと……」

 

 及川祐は、一度カクンと船を漕いで、「おぉ!?」と声を上げると、慌てて一刀の顔を見上げて眼鏡を掛け直し、周囲を見渡して、自分をジッと見つめる美女軍団を確認するや、唸り声を漏らした。

「うわぁ……やっちまったぁ……申し訳ない……」

「まったく、俺だけとの約束だったから良かった様なものの、彼女たちとの約束だったらそれなりに問題になってるぞ、お前」

 

 一刀が溜め息交じりにそう言うと、風が面白くなさそうに口を挟む。

「風としましては、持ちネタを横から掻っ攫われた事に関して、厳重に抗議したいところなのですが~」

「はぇ?」

 及川が、ようやく焦点の合って来た目で不思議そうに風を見ると、一刀は「気にするな」と笑って、手に持ったタンブラーを及川の突っ伏していた机に置いた。

 

「眠気覚ましだ。ちょっとコンソール弄って貰うから、さっさとシャキっとしてくれ」

「うぁい。いや、ありがてぇ」

「ふん。その代わり、寝起きの一服はお預けだぞ」

「へぇへぇ。そりゃもう」

 

 

 及川は、一気にタンブラーの中を飲み干すと、最後に涼しげな音を立てていた氷まで口の中に吸い込んで、ボリボリと噛み砕いた。

「苦ぇ……マンデリンか?」

「多分な。卑弥呼は俺の好みを知ってるし」

 

「モカの酸味が恋しいの……」

「俺は酸っぱいのは好かん」

 二人の遣り取りを聞いていた桃香は、クスクスと笑い声を漏らして、及川に話し掛けた。

「あはは、お疲れ様。凄いお顔してるよ、及川さん」

 

「あぁ、桃香ちゃん。おはようさんです。他の皆さんも、だらしない所を見せちまって」

「ふん、コイツの友人に規則正しい生活など期待はしておらん」

 一行からの挨拶の声が終わった瞬間、甘寧こと思春が、間髪入れずに一刀を顎で指して無表情にそう言うと、及川は面目なさそうに頭を掻いた。

「いや全く、反論の余地もない事で。医療区画の隔離プログラムのサブルーチン組んでたら、夢中になっちゃってさぁ」

 

「おいおい、隔離プログラムって、異常が発生した時のだろ?いくらサブルーチンたって、保全システム周りまでこっちでやるようなのか?」

 一刀が呆れた様な声を出すと、及川は、気持ちばかりでも一服したいのか、LARKを咥えて頭を掻いた。

「ま、その辺りはほんと、プリセット程度だわな。俺一人でやってたら、ジジイになっちまうよ」

 

「まったく、卑弥呼のやつ、これだけの施設に対して大雑把な……。まぁ、そういうのが得意そうな連中を連れて来たわけだし、今後は勉強して手伝ってもらおう」

「お、吹っ切れたねぇ」

「やると決めたら半端はしない、が座右の銘でね。さぁ、目が覚めたら、そのお手々で魔法を見せてくれ」

 

「あいよ相棒。お望みは?」

「皆に少し、デモンストレーションしたいと思ってる」

「じゃあ、どっかの地形を使って、簡単なシュミレーションでも組んでみるか?」

「妥当だな。じゃあ取り合えず―――うん。荊州の北部辺りで、総勢二万くらいの軍勢が遣り合える場所をピップアップしてマッピングしてくれ」

 

「OKだ、ボス」

 及川がおどけた返事をしてカタカタとコンソールを弄り始めると、その姿を見ていた秋蘭が、微苦笑を浮かべながら一刀に話し掛けた。

「北郷。私には、お前たちの喋っている言葉が皆目わからんが、二人ともふざけて居る訳ではなくて、普通に通じ合っているのだろう?」

 

「うん?そりゃあな。どうして?」

「いや、お前が度々、何かを口にしようとして考えあぐねていた様子を思い出してな。成程、これでは私達に理解できる言葉に直すのに苦心もしよう、と思ったのさ」

「分かってもらえて嬉しいよ」

 

 一刀がそう言って秋蘭に微笑みを返していると、及川が準備完了を知らせて来た。

 一刀は、再びツアーコンダクターに戻る事にして、大きな声で話始める。

「はい!皆、もう一度、地図に注目してくれ!—――及川」

「あいよ」

 

 及川が気の無い返事でキーボードを叩くと、大陸図は、荊州へ、そして更に江陵周辺へと、一瞬でズームアップしていく。

 これには、かぶりつきで見ていた軍師陣だけでなく、武官たちからも驚嘆の声があがった。

「じゃあ、分かりやすい様に、野戦にしようか」

 

 一刀がそう言うと、及川が間髪を入れずにキーボードを叩きながら返事を返す。

「季節は?」

「特に指定しなくていいぞ」

「あいよ。昼で良いのか?」

 

「あぁ」

 スクリーンには、キーボードから打ち込まれる情報にあわせて、日時、天気、湿度、風向きなどが次々よ表示されていく。

「で、参加者はどうすんだ?」

 

「まぁ、ここに居る人間から適当に。軍勢規模は一万ずつ、将の割り振りはランダムで」

「ほいほい、と」

 及川が参加者の名前を入力すると、スクリーンに映し出された原野に、丸と円錐で描かれた人型が現れ、赤と青に色分けされて配置される。

 

 

 人型の円錐部分には、“曹操”だとか“劉備”と言った具合にツアー参加者の名前が書かれていて、それぞれの人型が並んだ後ろには、騎馬の形の人型と、軍議でもお馴染みの軍勢を現す凸の字が等間隔で映し出された。

「おぉ~!まるで、頭の中をそのまま絵にして貰っているような感覚ですねぇ~♪」

 穏が知的好奇心に目を輝かせながらクネクネとしなを作って悶える横で、華琳は愉快そうに唇を吊り上げた。

「ふふ、愛紗。ようやく私のモノになったわね?」

「な!!?い、いや!及川殿!何故に私が桃香様の敵に回って華琳の陣に!!」

 

「私も納得いかんぞ!この夏侯元譲、例え絵の中であっても華琳様に刃を向けるなど断じてあり得ん事だ!訂正しろ!!」

「え!?い、いや、一刀、助けろ下さいこの人めっちゃ刀抜こうとしてるんですけど!!」

 春蘭の剥き出しの殺気にドン引きしている及川に代わり、一刀は春蘭を宥めついでに説明を再開した。

 

「落ち着けって春蘭。これは及川がやったんじゃなくて、装置が無作為に振り分けただけだから!」

「やかましい!かような侮辱に耐えられるか!訂正せぬなら―――」

「おやめなさい、春蘭」

「華琳さま!しかしですね……」

 

「これ位の事で一々騒がないの。大体、貴女は鍛錬の時には私に刃を向けているではないの」

「それは……鍛錬だからで……」

「これもそうだと思えば良いでしょう」

「うぅ、華琳さまの仰せとあらば……」

 

 春蘭がしょんぼりと眉尻を下げて刀の柄から手を放す様子を見ていた雪蓮は、困った様に笑った。

「もう。春蘭たら、祐はまだ慣れてないんだから、一刀にするみたいに喧嘩吹っ掛けたらダメじゃない。ほらぁ、椅子から落ちちゃうとこよ?」

「ふん!軟弱者の朋など、所詮は軟弱者と言う事だ!この程度で大げさな!」

 

「はいはい、激しいわねぇ。それにしても、この布陣だと、さしずめ華琳対桃香と孫家って感じよね。まさか、裏切られるとは思わなかったわよぉ、冥琳」

「ふん。この絵の中の私は、とうとう主殿の我儘に耐えられなくなって出奔したのだろう。同情を禁じえんな」 

 雪蓮が面白そうに冥琳にわざとらしい流し目をくれると、冥琳も不敵な微笑で言い返す。

 確かに、スクリーン上の組み分けで言えば、将たちはバラバラに配置されていたが、三国の王家は魏と呉蜀に綺麗に分かられている。

 

 

 流石に敢えて誰も赤壁の因縁には触れない様にしているが、当の華琳は、将たちの反応を楽しむかのように、腕を組んで悠然と微笑みを浮かべるばかりだ。

「おぉ~、伏龍鳳雛の正面対決とは、なかなか見ごたえのある戦なのです~。冥琳さんと穏ちゃんの師弟対決も見逃せませんね~」

 風がそう言って珍しく喉を鳴らすと、隣に居た稟が、少し拗ねたような口調で風にかみついた。

「おや、風。この私は無視ですか?朱里に雛里、冥琳殿に穏殿が当たるなら、貴女の相手は私のようですが?」

 

「ふふふ~。風のトントンを欠いた稟ちゃんなんて、細作を忍ばせて天幕の枕元に艶本でも置いておけば勝手に戦闘不能になってくれますから、風は高みの見物をしていれば良いのです~」

「失礼な!いくら私でも、陣地でまで艶本など読みませんよ、一刀殿でもあるまいし!!」

「いや、俺も持って行かないし見ないからね。過去に持って行った事も見た事もないから」

 

「どうして貴方はそう気が利かないのですか!ここは私の名誉の為に泥を被る所でしょう!!」

「軍師がそれ言っちゃ、いよいよお仕舞いだろ稟さん……。えぇと、じゃあ及川、次はプロジェクターに投影してくれるか」

 場が盛り上がって来た事を嘆くべきか喜ぶべきか悩みながら一刀が指示を出すと、及川はまたも気の無い返事を返してキーボードを弄る。

 

 すると、中央の八角形の台座の天板が光に包まれ、手を掛けていた祭は、思わず「おぉ!?」と声を上げて仰け反った(それに対して風がじっとりとした抗議の視線を投げかけたのは言わずもがな)。

 次の瞬間、台座の上に縮小された立体の戦場が出現すると、少し雰囲気に慣れてきていた一行から、またもどよめきが上がる。

 

「うっわ、マジか!山とか川とか江陵の辺りまんまやし、おまけに透けてるやん!」

 一刀は、頬を赤くして興味津々とホログラフのジオラマの山や川に不思議そうに指を突っ込んでいる霞の肩を叩くと、「これだけじゃないぞ」といって、朱里を手招きして近くに呼び出す。

「朱里、今回は本当に触りだけだから、細かい事は考えなくていい。この面子を、朱里ならどんな陣容で配置するか考えてくれるか?」

 

「は、はぁ……では、まず、華琳様は当然、本陣かと思われます」

 一刀は、今回は華琳の軍勢に自分の駒が配置されている朱里が、大将の華琳の配置を口にすると、「まぁ、そうだな」と頷き、ホログラフの軍勢の中で右翼に配されていた曹操と書かれた人型の駒をひょいと右手で摘まみ上げて、左手を使って横並びになっていた他の駒を前に押し出し、駒の中央に置き換える。

 

 

「はわ!?え、だって今、霞さんが触った時には!?」

「ちょっとしたコツがあるんだよ。あと、動かせる設定にしてないものは動かせないし。さ、今度は自分でやってみてくれよ」

「はわわ……えぇと、では……」

 朱里は、おっかなびっくりホログラフに手を伸ばすと、覚束ない手つきで関羽と書かれた駒を持ち上げる仕草をして見て、質量のない駒が自分の指に吸い付く様に持ち上がったのを見て、「へぇぇ」と、感心した様な声を漏らすと、これまた恐る恐ると言った具合に、それを右翼に置き、またも「はぁぁ」と感嘆の息を吐く。

 

 最初のほうこそ、ホログラフを掴み損ねて四苦八苦していた朱里だったが、直ぐにコツを掴んだらしく、騎馬や歩兵の駒も使って素早く横陣に構築していき、最後に張遼の駒を左翼に配置する頃には、本当に思考しながら動かしているのか怪しい程の速度になっていた。

「この様な感じでしょうか……状況が不透明な為、面白味には欠けるかと思いますが」

 

 朱里の言葉を受け、陣容を眺めていた冥琳が小さく頷いた。

「妥当だろう。愛紗を右翼、霞を左翼、中央前衛は私を軸にして、後の将の配置はまぁ、担当軍師の好みだろう。将兵の連携の質や、どこから補給線を伸ばしているのか、それどころか戦争目的すら不明では、決められる事など殆どない。しかしこれは、地図に碁石を並べるのとは段違いの精度と理解のしやすさだな」

 

「そうだろ?後は例えば、右翼をどう進めるか、とか―――」

 一刀がそう言って、ちょうど関羽と書かれた駒の前の地面の辺りに人差し指を置き、対陣する赤い孫策と書かれた駒の前まで滑らせると、その軌跡が青い線となって地図の上に現れる。

 一刀が最後の仕上げに、その軌跡の先に二本の斜線を付け足し矢印にすると、関羽の駒に率いられた騎馬と凸の駒が、ゆっくりと矢印に沿って動き出した。

 

 それを見た穏が、うっとりとした目で「おぉぉぉ~!」と声を上げる。

「一刀さん一刀さん!もしかしてコレ、攻城戦なんかでも同じ様に出来ちゃったりするんですかぁ!?」

「出来た筈だぞ。なぁ、及川」

「おうよ。攻城戦でも水上戦でも、何ならいっぺんにでもドンと来いさ。因みに、こんなんも出来るよ」

 

 及川がそう言ってカタカタとキーボードを弄った次の瞬間、女性たちの色めき立った歓声と、一刀の悲鳴が重なった。

 何故なら、巨大なスクリーンに、若き日の一刀が道着の上半身を脱いでタオルで汗を拭いている画像が、でかでかと表示されたからである。

 

 

「うわ、見ろよ桔梗!昔のご主人様だぜ!すげー、こうして見ると、やっぱ若いな!」

「うむ。はは、あの様に幼いお顔立ちであったかのぉ。今となっては懐かしいものだわい。しかし、なかなか凛々しいお姿ではないか?」

 馬超こと翠や厳顔こと桔梗がそんな事を言い合っている他、他の将たちがワイワイキャッキャと画像を指さして笑い合っている声が後ろから聞えてくるものの、今の一刀はそれどころではない。

 

「お、及川、お前ぇぇぇ!!?」

「あっはっは!いやぁ、お前が居なくなった後、久々に実家に帰って荷物の整理してたら、偶然、昔の携帯のメモリーカードが出て来たもんだからさ。1TBのマイクロSD買ったばっかだったし、懐かしの写真とか動画とかスマホに移しといたんだよねぇ。あの動画もあるぞ、ほら、お前が新人勧誘のイベントの時に仮面舞踏会を踊らされたやつ―――」

 

「俺の黒歴史じゃねぇか!消せ!今すぐ消してぇぇ!!」

 及川は、一刀に襟を掴まれて詰め寄られてもどこ吹く風の様子で、ニヤリと笑う。

「おおっと、俺にそんな事して良いのかい?俺がこのキーをポチっと押せば―――」

 及川はそう言って、人差し指をキーボードの上に置いて見せる。

 

「その動画が、ここに大迫力で映し出されるぜぇ……」

「ぐぬぬぬ!何が目的だ、貴様!」

「え?なんかお前ばっかりモテて悔しいから、憂さ晴らしですけど?」

「カストリ記者から愉快犯のテロリストに鞍替えとか、最底辺の人生歩んでんな、お前!」

 

「よせやい照れるぜ」

「褒めてねぇよ!消せってば!」

「へいへい、余裕のねぇこって」

 及川が不敵に笑いながら画像を消すと、一刀はヘナヘナとコンソールに肘を付く。

 

「おのれ……よりにもよって……」

「ふっ、策を施すには最高のタイミングだったな。あ、ちな、オリジナルのデータは俺がカードに保存してるからな~。管理者権限でこっちを消しても無駄だぜ」

「過去が俺を逃がしてくれない……」

 

「あ~あ。消えちゃった。ねぇ、及川さん。あの絵、もう一度見れないの?」

ブルータスの裏切りに嘆く本人を他所に、一刀の特大プロマイドがスクリーンから消えて残念そうな表情をした桃香が、両の指を組んで及川に尋ねると、及川は勝利の愉悦を湛えた微笑みを一刀に向けながら、実に朗らかな声で答えた。

 

「勿論、いつでも見れるさ。そこまで種類がある訳じゃないけど、他の写真もあるよ。売れ筋商品だったからね」

 その言葉を聞いた雪蓮が、人差し指を唇に当てて、及川に負けぬ程の怪しい微笑を湛えた。

「あら、そんなコト聞いたら、ここに来るのが楽しみになっちゃうわね~♪最近の一刀ったら、可愛げないんだもの。この前も冥琳と二人掛かりで攻めたのに返り討ちにされちゃってさ。次の日の朝、二人して肩支え合いながら這う這うの体で逃げ帰ったんだから。この頃の一刀は可愛かったわ~。ちょっとイジめて上げたら、キュンキュンしちゃう様な声で喘いでくれて」

 

「雪蓮……頼むから、男友達の前でそう言う激しい冗談はやめてくれってマジで……」

 抗う気力すらすっかり奪われた一刀が、どうにかそれだけ言うと、顔を赤くした蓮華がどうにか威厳を取り繕った声で姉を叱ろうと声を上げた。

「そうです、姉さま。いくら何でも、こんな場で孫呉の先王がその様な下世話な冗談など!」

 

「蓮華さまの仰る通りだぞ、雪蓮。北郷にも、蟻くらいの面子は残っているのだ」

「冥琳……何気にそれ、俺の事めっちゃ貶してません?」

「何を莫迦な。懸命に庇ってやっているではないか」

「へぇへぇ。さいでござんすか。じゃあまぁ、本当はこのまま他の区画を案内しようと思ったんだけど、先にカフェテリアで休憩して会議を終わらせちまおう。もう、どっと疲れたし。及川、真桜はラボか?」

 

「ん~、そうみたいだな」

 及川がコンソールの画面で李典こと真桜の現在地を確認すると、一刀は深い溜め息を吐いた。

「繋いでくれ」

「あいよ」

 

 及川がキーボードを叩くと、コンソールの画面に“呼出中”の文字が浮かび、暫くして、“李典 通話中”の文字が浮かぶと共に、スピーカーから真桜の機嫌の良さそうな声が聞こえて来た。

「はいな。こちら“兵装らぼ”やで~」

「真桜。お疲れ」

 

「おぉ、隊長。乙や~。もうこっち来るん?」

「いや、諸事情あって、先にカフェテリアで休憩がてら、会議を終わらせちまおうと思ってな。華琳も来てる事だし、一応、お前も顔出してくれ」

「了解や。現地集合でええんやろ?」

 

「あぁ、よろしく」

「うい。ほな、キリのええトコで作業終わらせてまうさかい、一旦切るで」

 一刀が通信を切って顔を上げると、愛紗が緩々と首を振った。

「やれやれ、最早、何に驚くべきかどうか分からなくなって来ましたよ、ご主人様」

 

「うん。まぁ、こういうのも追々な……えぇと、じゃ、及川、ご苦労さんだ。シャワー浴びて、ちゃんとベッドで寝ろよ」

「おう。そうするわ。会議、頑張れや」

「ああ―――じゃ、皆はこっちだ。ついて来てくれ」

 

 一刀は、一部の一刀をイジりたくて仕方なさそうな女性たちから(無駄だとは理解しつつも)距離を取り、再び添乗員の役に戻って先頭を歩き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

「えー、はい。此処が休憩室ですよ、と」

 指令室と同じフロア、指令室を正面に見た時に右手に曲がった通路の先、一刀が指令室に入る前に姿を消していた扉の先が、目的のカフェテリアだった。

 調理室が併設されたその空間には、丸テーブルと長方形のテーブルがいくつも置かれていて、全員が好きに座っても十分な余裕がある。

 

「飲み物は自分で好みのを取ってくれ。この装置で――」

 一刀は、ドリンクサーバーの横に重ねてあった紙コップを手に取ると、サーバーにセットして『珈琲』と書いてある赤いボタンを押す。

 すると、僅かな駆動音と共に、黒い液体が抽出されてコップを満たした。

 

「こんな感じだ。赤が熱い飲み物。青が冷たい飲み物。今のところ、珈琲と水とお湯が出るから。乳や砂糖が欲しければ横にある。茶はな、この袋を湯に入れると中の茶葉が蒸れる様になってる。まぁ、味の方は大したもんじゃないが、仕事しながら喉を潤すには丁度いいだろ」

「ご主人様が当然の様になさっていたので全く気が付きませんでしたが、これは紙なのでは……」

 愛紗が、どこか不安げに、紙コップを繁々と眺めながらつぶやく様に言うと、一刀は面白そうに笑顔を見せた。

 

 

「良い反応してくれるなぁ、愛紗。そういうのが見たかった。いずれは、皆に専用の入れ物を用意する心算だけど、今は手が回ってないからさ。それで勘弁してくれ」

「贅沢なんて言わないわよ。物珍しくはあるものね。これをここに置けば良いのかしら?」

 華琳は、さっさと紙コップをセットすると、湯と書かれた赤いボタンを押し、一刀が用意したティーバッグを受け取って、言われた通りに糸をコップの外に垂らしながら湯に浸した。

「成程、便利なものね」

 

「だろ?まぁ、茶の味にうるさい華琳や蓮華には物足りないだろうけど、そこは勘弁してくれ」

「えぇ。次からは自分の茶葉と茶器を持ち込んでおくわ。で、席順は、例の“天の国方式”で良いのかしら?」

「ご明察。皆も、飲み物を取ったら好きな席についてくれ。一応、進行と議事録係の為に、見渡しの良い席は開けておいて貰いたいけど」

 

 一刀はそう言って、将たちが王たちに続いて三々五々と飲み物を取り、席を探して腰掛けていくのを眺めてから、壁のスイッチを押す。

 すると、白い壁が突然、蒼天の下でそよ風に吹かれる草原へと姿を変えた。

 それを見た思春が、茶を入れた紙コップを手に持ちながら壁に近づき、興味深げに顔を近づけながら一刀に尋ねる。

 

「ほう、これも先程の絵を壁に写したのと同じ仕掛けか?」

「そ。窓もない場所で会議なんかしてたら、息が詰まるだろ。ここは元々、ずっと地下にいて気が滅入らない様に息抜きをする為の場所だしな」

「確かに解放感はあるが、草原の只中で会議と言うのも、何やら妙な気分だな」

 

 冥琳はそう言って苦笑して肩を竦めて見せ、一刀が引いた椅子に腰かけて礼を言った。

 今日の進行役は冥琳なので、一刀の隣に座る事になっているのだ。

「ふふ、でも新鮮ですね。戦の陣中でも、会議は基本的に天幕の中ですし」

 書記の雛里がそう言って、一刀の席を挟んだ冥琳の反対側に、同じ様に椅子を引いた一刀に礼を言いながら腰を下ろし、白紙の帳面を開いて持参していた筆箱を開け、手早く墨を摺り始めた。

 

 普段、特別の議題のない定例の三国会議では、選別された上級文官に任せるのだが、今回は場所が場所なだけに、軍師陣の中から抽選で雛里が担当する事になったのである。

一刀は、自分になどはとても出来はしないと思うのだが、この時代、この大陸に於けるトップクラスの能吏である彼女たちにとっては、意見を戦わせながら同時に議事録を書く事など、『ちょっと面倒だけどそこまで苦労でもない』くらいの、簡素なくじ引きで決めても差し障りのない事柄であるらしい。

 

 

 何となく座る場所も決まり、場が少し落ち着いた雰囲気になった頃、両開きの自動ドアが開き、手にタンブラーを持った真桜が入って来て、居並ぶ王たちと諸将にペコリと頭を下げる。

「皆さん、お疲れさんです。間に合うて良かったわ」

「お疲れさん、真桜。飲み物持って、適当な所に座ってくれて良いぞ」

 

「了解や」

 一刀が、一行からの挨拶を受けていた真桜にそう言うと、真桜はドリンクサーバーに歩み寄り、慣れた手つきで自分のタンブラーをセットして、ホットコーヒーのボタンを押し、まだ抽出中のコーヒーの中に備え付けの砂糖とミルクをたっぷりと入れると、木のマドラーを手にして、鼻歌混じりに出来上がりを待ち受ける。

 

 兵装ラボに詰める様になって以来、彼女はすっかり珈琲党に鞍替えしていた。

「じゃ、みんな用意は良いみたいだし、始めちまうか」

 一刀がそう言うと、冥琳が頷いて咳払いを一つし、雛里と目配せをしてから、良く通る美しい声で三国会議の開始を宣言した。

 

「ではまず、慣例に則り、参加者の確認から始めさせて頂く。名を呼ばれた方は、挙手にてご返答を願いたい。三国同盟の盟主、北郷一刀殿、魏からは、曹操様、郭嘉殿、程昱殿、夏侯惇殿、夏侯淵殿、張遼殿、李典殿」

 冥琳は、該当の人物たちが全て挙手をしているのを確認してから、再び口を開く。

「蜀からは、劉備様、諸葛亮殿、龐統殿、関羽殿、厳顔殿、馬超殿—――」

 

「呉からは、孫権様、孫策様、周瑜、陸遜、黄蓋、甘寧。以上、参加予定者全員の御臨席を確認させて頂いた。尚、関羽殿、厳顔殿、馬超殿、夏侯惇殿、張遼殿、孫策様、黄蓋、甘寧にあっては、向後、北郷殿の近衛として出向が決定しておりますれば、この会議にあっても、本国のみならず、北郷殿の将としての視点も持って臨まれますよう、軍師一同を代表し、不肖、この周公瑾よりお願い仕る」

 冥琳が、ちらと雛里に視線を送り、雛里がつつがなく議事録をつけているのを認めて、用意していた資料を開こうとすると、それを止めるように稟が手を上げた。

 冥琳は訝しそうにしながらも、右手を優雅に稟の方に向ける。

 

「稟、予定にない挙手だが、魏から急ぎの案件でも?」

「はい。火急の対応が必要なものではないかとは思いますが、司隷絡みのこと故、早めに皆さまのお耳にお入れして、議論しておいた方が良いと判断しましたので」

「成程。貴女が珍しく遅れた理由は、それだったのね、稟?」

 

 

 

 華琳がそう言うと、稟は軽く首を垂れる。

「はっ、朝一番で洛陽よりの文が届きまして。念の為、佳花と共に確認しておりました」

「まったく……近づけば簒奪狙いの奸臣だと罵られ、距離を取れば面倒事ばかり引き起こす―――厄介な事この上ないわね」

 

 華琳は呆れた様子でそう言い捨てると、溜め息を吐いてこめかみを揉み、緩々と首を振った。

 司隷は、高祖劉邦が首都とした長安や、皇帝が座する現漢王朝の正式な首都である洛陽を擁し、華琳が魏王を名乗る前までは、朝廷からの要請を受け、司隷校尉として行政監督に当たっていた地域である。

 司隷校尉は、かつては検事総長と警視総監を合わせた様な役職として創設され、皇帝の親族から庶民に至るまでの全ての民に対して、独断で刑事を執り行う事が出来ると言う、絶大な力を有していた(因みに、初代は諸葛家の御先祖様だと言われている人物である)。

 

 そのあまりに強大な影響力ゆえに権限を縮小されてからも、皇族や官吏の犯罪を取り締まる事の出来る司隷校尉は極めて重要なポストであり、華琳はこの司隷校尉を拝命している時期に、董卓こと月や賈詡こと詠が大粛清を行った後の朝廷を掌握、綱紀粛正を徹底した上で少帝を擁立し、漢王朝の屋台骨を立て直して、魏の建国を認めさせるだけの根回しを行っていたのである。

 

 しかし、魏を興した後は逆に司隷とは距離を置き、自分の後継の司隷校尉を立てた後は、偶に天子の御機嫌伺の名目で視察に赴く程度で、極力干渉を避けていて、蜀に霊帝こと空丹、献帝こと白湯の

姉妹が匿われている事を直に確認してからは、特にその傾向を強めていたのだった。

「稟。その文は、間違いなく元常さんから直接の物だったのか?」

 

 一刀は、華琳が自分の後継の司隷校尉として指名した鍾繇(しょうよう)の字を口にする。

 本来は三国同盟締結に際して真名を許されていたが、真名を許されていない他国の関係者の居る場であった為に憚っての事だ。

「はい。筆跡も印章も佳花と共に綿密に確認しましたし、文を持って来た者の出自も確認済みですので、間違いなく」

 

「で、貴女はそれを、この場で話すべき事と判じたのね?」

 華琳のその問いに、稟は厳かに頷いた。

「はっ。内容に関わる直接的な仕置きだけであれば我らの裁量の範疇でしたが、事の全容を鑑み、次第によっては、一刀殿と一刀殿の近衛に出向あそばされる諸将、引いては蜀と呉、両国にも累が及ぶ可能性もこれありと(おもんみ)ました」

「結構。であれば、(つまび)らかになさい」

 

 

 

「御意。鍾繇殿からの文の内容自体は、特に変哲もない……と言うと語弊がありますが―――」

 稟は、改めて起立しながら口を開いた。

「蘭台令史・李法の屋敷に、地方からの(まいない)が……それも、隊商を装った複数の荷馬車に満載された、かなりの量の賂が運び込まれたとの報せでした。李法に関しては、かねてより素行不良の兆しこれあり、懸念を抱いていた鍾繇殿が放っていた密偵からの報告との事で、情報の精度に関しては確実との由。また、他にも、朝廷内で幾人か、贈収賄を始めとする不行状を奨励するかの様な発言を行った者を確認しており、そちらの内偵も進めているとの事」

 

「おやおや、月ちゃんや詠ちゃんにあれだけ袋叩きにされた上、華琳様と元常さんにキリキリ締め付けられて、まだそんな事を考えられる能天気な人たちが居ること自体、驚きなのです~」

 風は、ミルクと砂糖をたっぷり入れた茶を美味そうに啜りながらそう言って、やれやれと首を振った。

 華琳は、風の言葉にもう一度盛大な溜め息を吐いて、彼女にしては珍しく砕けた様子で頬杖を突き、アンニュイな表情を浮かべながら、白い指でティーバッグの糸を弄んだ。

 

面皰(にきび)と同じよ。一度クセが付くと、潰しても潰してもキリがないったら」

「あはは……華琳さんでもそんな感じになっちゃうんだね……確かに、黄さんみたいな人が山ほど居るのかと思うと、かなり怖いかも……」

 桃香は、常にない華琳のげんなりした様子に、困ったような笑顔を浮かべて同情を示した。

 

 桃香自身、空丹のお付きとして共に暮らしている宦官で、元は十常侍筆頭の張譲こと黄の様な人々がうようよ居る宮廷の管理など頼まれたら、盛大に二の足を踏む自信があった。

まぁ、結局は引き受けてしまうのだろうな、と自分でも思いはするのだが、華琳ほど巧みに出来るかと言われれば、さしの桃香も脇に冷たい汗が滲む心地になる。

「あれほどのバケモノは、流石にゴロゴロいやしないわよ。と言うか、月と詠の荒療治のおかげで、 今はまだ新しいバケモノが育っていない、と言った方が正しいのでしょうけれどね。不遜な物言いだけれど、黄の場合に限り、空丹様が手綱を握って下さっている内は大人しくしているでしょうし」

 

「空丹様を御者呼ばわりなんて、雷火の前では絶対にしないでくれ。想像するだけで頭が痛くなる」

 蓮華は眉間を揉みながら、華琳の言に青筋を立てて怒り狂う張昭こと雷火の顔を思い浮かべて、落ち着かない気分になった。

 彼女の漢王朝への忠義は未だに篤く、空丹や白湯の拝謁を賜ってからは、その傾向が余計に強まった節さえある。

 

 蓮華にすれば、歯に衣着せぬ孫呉の宿老が今の華琳の言を聞いたらと思うと、それだけで胃薬が欲しくなる案件だ。

「ふふ、弁えているわよ。蓮華。それで稟、貴女の話から察するに、一刀に累が及ぶ可能性と言えば、李法に賂を送った側の事であろうと思うのだけれど、合っているかしら?」

 

 

「ご明察にごさいます、華琳様。あるいは既にご推察の事かとは存じますが、件の賂を送った者は、下邳郡太守、文欽。また、小沛城主、毌丘倹の名も連なっていたとの由。鍾繇殿の密偵が、李法と使者の会話だけでなく、密書の内容も確認したとの事でした」

「はわわ……そこまで来るともう、迂闊なのか度を超えた豪胆さなのか分からないですね」

 

 朱里が、羽扇で顔を隠しながら眉を顰めてそう言うと、物憂げに虚空を見つめていた華琳が、再び稟に視線を投げた。

「で、目的はなんなの?今更、実権のない朝廷の官吏と誼を通じたいと言うだけで、多額の賂なんて送りはしないでしょう。蘭台令史と言えば、上奏文を管理する役職よね?」

 

「はっ。その……密偵が確認いたしましたる密書には、『自分達は、臣下として曹操の暴政に忠義を以って耐え忍んで来たが、憶えの無い罪状での領地召し上げのみならず、曹操の寵愛を傘に天下の正道を私する天の御遣いなる胡乱な輩に領地を差し出せとの此度の仕儀には、激しい義憤を覚えざるを得ず、同志である毌丘倹と共に立つ事を決めた。ついては、決起の折、奸臣曹操と天の御遣いを糾弾する上奏文を認めるので、李法殿に於かれましては何卒よしなに』と言うような文が認められていたとの事」

 

「おのれ無礼な!!華琳様、この春蘭に兵をお与え下さい!己の不行状を棚に上げ、言うに事欠いて、華琳様の政を愚弄するなど、断じて許しておけませぬ!華琳様の御下知あらば、文欽と毌なんちゃらとやらの垢じみた頸、十日と掛からずに午前に並べて御覧に入れます!!」

 爪が白くなるほどに拳を握り閉めた春蘭が、憤怒の炎を宿した瞳を主に向ける。

 

 春蘭が怒りに任せて目の前のテーブルを叩き壊さずに済んでいるのは一重に、同じ卓に華琳が座っていたからだろう。

「おっかない顔してないで、落ち着けってば、春蘭」

 一刀が苦笑いを浮かべて諫めると、春蘭は怒りの矛先を一刀に向ける事にしたのか、唸る様な声で食って掛かった。

 

「誰が鬼瓦が服を着て歩いている様な顔だ!これが落ち着いていられるか!それに、貴様とて愚弄されておるのだぞ、悔しいとは思わんのか!?」

「いや、そこまでは言ってない……てか、華琳の寵愛を得てるって言われるのは、悔しがるところなのか?」

「あら。言うじゃないの、一刀。私の愛を感じてくれていて嬉しいわ」

 

 一刀は、華琳の揶揄う様な微笑みを受けて、わざとらしく肩を竦めてみせる。

 今やお家芸の様になっているが、一刀と華琳が癇癪を起した春蘭を前にこういう会話をする時には、春蘭の毒気を抜く為に一芝居打つ心算だとお互いに分かっていた。

「ちが!?そうではない!胡乱だの節操無しの女誑しだの脳みそまで精液で出来ているだのと言われて悔しくはないとかと言っておるのだ!!」

 

「いやいや、文欽だってそこまで言ってねぇよ。つーか、お前とか佳花だろ、俺にそういうこと言うの」

「私が言うのは良いのだ!!だが、小汚い田舎太守風情に好き放題に言われるのは我慢ならん!!」

「あら。私への侮辱が気に喰わないと言うのは方便で、そちらが本心なのかしら、春蘭?」

「なっ!!?い、いえ華琳様、滅相もない!こんなヤツは次いでです!次いで!私が真に腹を立てているのは、華琳様への侮辱であって……!!」

 

「おぉ、よしよし。姉者は、華琳様と北郷が虚仮にされたのが許せなかったのだな。華琳様も分かって下さっているとも。さぁ、少し座って水でも飲め、な?」

「うぅ、秋蘭……」

 春蘭は、絶妙なタイミングで割って入った秋蘭の声ですっかり萎んだ様になると、すとんと腰を下ろし、秋蘭から差し出されたコップの水を、喉を鳴らして飲み干した。

 

「いや~、いつ見ても絶妙な連携よね。妬けちゃうわぁ」

 雪蓮がにまにまとして茶々を入れると、一刀は溜め息を吐いた。

「何度も言うが、生き残る為に身に着けた技術だからな……。で、華琳」

「なにかしら?」

 

「実際の所はどうなんだ?文欽と毌丘倹には、領地召し上げだの、その後の話なんかしたのか?」

「まさか。前回の会議でも言った様に、私はあくまで召喚命令を出しただけよ。小悪党と言うのは、世間の噂話には敏感なものでしょう?」

 眉一つ動かさずにそう答える華琳をから視線を外した一刀は、「ふぅん」と頷いて、すっかり冷めてしまった珈琲を不味そうに啜った。

 

 華琳や魏の軍師陣の事であるから、敢えて情報を流して巣を突いてみたと言う可能性は多分にあるだろうが、そうだったとしても、別に咎められる様な事でもない。

 どこの国でも、謀反気が疑われる地方領主など見つかれば、それくらいの事はするものだ。

「ご主人様。ともあれ、向こうが謀反の腹積もりとあらば、こちらも戦の覚悟を決めねばなりますまい。凪と沙和の尽力で兵の練度は着々と上がっており、祭殿や桔梗の計らいで、将兵たちの親睦も深まっております。臣、関雲長、ここはやつらを刺激する事を覚悟してでも、改めて軍師たちに付いてもらい、全体演習を繰り返して軍勢の総仕上げを急ぐべき、と意見具申いたします」

 

 

「あ、あの、愛紗ちゃん。ちょっと待って?まだ美花さんや雷々ちゃんや電々ちゃんも徐州を回ってるし、文欽さんたちを刺激するのはちょっと……」

 桃香が、一刀からの密命を受けて徐州でのかつての伝手を頼りに調略に回っている孫乾こと美花、麋竺こと雷々、糜芳こと電々の身を案じる言葉を口にすると、愛紗もそれに思い至ったのか、小さく唸った。

 

「そうでしたね。少なくとも、あの三人が帰るまでは、彼女らの面子もありましょうし……しかし、ご主人様。既に謀反の兆しは明白。調略の切り上げ時は見極めるべきである事に変わりはないかと存じますが、如何にございますか?」

「うん。実は、四日ほど前に最新の情報が届いたんだが、少なくとも下邳城から比較的距離のある土地を治める豪族の多くは、俺に対して好意的に見てくれてはいるみたいだ」

 

「なんや、歯切れ悪いなぁ一刀。あからさまに“でも”て続きそうやん」

 霞が、紙コップの縁をガジガジと噛みながら訝し気な目つきでそう言うと、一刀は溜め息を吐いて、皆に許可を取り、席を立ちながら、パックから煙草を振り出して口に咥えた。

 カフェテリアの片隅の空調の下に立つと、人体を感知したセンサーが空調を起動させる。

 

 一刀は、低い空調の音を聞きながら煙草に火を点け、なにやら不味そうな顔で紫煙を吐き出した。

「一応、戦になった時に不干渉でいるって約束してくれるやつは多いんだけど、その条件が、文鴦の助命なんだよねぇ。それも、皆が皆、口を揃えてさ」

「へ!?文鴦て、文欽の娘やんな?なんでまた、エグい真似しとる領主の跡取りの身柄なんぞ心配すんねや?」

 

 霞の困惑気味な声に、一刀は肩を竦めた。

「美花たちの話では、むしろ文鴦が親父を抑えてるから、あの程度で済んでるって感じだな。代替わりまで我慢すれば、きっと良い政をしてくれると期待してる豪族や豪商が多いらしい。容姿端麗にして文武に優れ、人当たりも良く道理を弁え、槍の冴えは趙雲子龍の再来、とか地元じゃ絶賛されてるんだと」

 霞の「は~」と言う感心した様な溜め息に被せる様にして、愛紗が不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「ふん!あんな扱い辛い捻くれ者が、世に二人も三人も居て堪るものですか。ご主人様も皆も、この事はあやつには言わずにおいて頂きたい。またぞろ調子に乗って、真っ昼間から酒盛りをする言い訳にしかねませんので」

 愛紗の言を聞いた翠が、苦笑いを浮かべる。

「そうかぁ?星の事だから、『本人がこうしてピンピンしているのに、再来などとは心外な!』とか言って、拗ねそうだけどな」

 

 

 

「どの道、酒を呑む理由をくれてやるだけであろう」

「確かに、機嫌が良くなろうと悪くなろうと、酒は呑むよな、星は」

 翠がくっくっと喉を鳴らしてそう言うと、二人の遣り取りを見ていた一刀は、咥え煙草で頭を掻く。

「まぁ、星の酒の肴に鴛鴦(おしどり)(鴨)を出すかはさておき、下邳に近くなるにつれて、豪族庶人問わず、文鴦への心服具合が強くなってるらしくて、美花たちもどの辺りで調略を止めるか悩んでるんだと。で、ここで気になるのは、だ。華琳?」

 

「あら、なぁに、私の可愛い寵郎さん?」

 華琳は、悪だくみをしている時の猫の様な愉悦の微笑みを湛えて、一刀のじっとりとした視線を受け止めた。

「こうなる事、知ってたな?」

 

「さぁ?文欽を召し出す時、娘も連れて来いと文に書き添える位はしたけれどね」

「そらみろ。欲しいと思う程度には調べてたんじゃないか」

「謀反気を起こしそうな臣下の嫡子よ?調べるに決まっているじゃない。まぁ、私たちの軍勢に正面から当たれそうな将なんて文鴦くらいしか居なさそうだから、恐らく最前線に出てくるでしょう」

 

「…………」

「んふふ、嬉しいでしょ?」

「最前線に出てくる猛将を生け捕りにしないと後々、豪族連中と禍根が残るとかさぁ……」

「そうね。それに、状況を考えれば、向こうは総力戦の構えではないかしらね」

 

「あわわ。確かに、この時勢に反乱を起こすとなれば、ご主人様か華琳様を亡き者にして同盟の瓦解を狙い、自領に引き籠りつつ、各地に少なからず居るであろう反抗勢力と呼応し、なし崩し的に乱世に時代を引き戻す位しか、生き残る目は無いでしょう。しかも、今回の経緯を考えれば、ご主人様がご出馬あそばされる可能性はかなり高いと読むのは、さほど難しくありませんし」

 

 雛里が帳面から顔を上げ、物憂げにそう言うと、穏も同意して溜め息を吐く。

「そうですねぇ。我が孫呉には交州の異民族が、蜀にも、今は大人しくしているとは言え、罵苦に併呑された訳でもないらしい五胡の脅威と、旧劉璋派の豪族さん達が居ますから、一刀さんが討ち取られたなんて話になったら蠢動を始める可能性は高いですし、何より―――」

 

「隊長がおらんようになったら、世界なんて罵苦に喰われて終わりやっちゅーのに、呑気な奴らやで、ほんま。あいつらやって、罵苦の話は通達されとるやろに!」

 真桜は腹立たし気にそう言い捨てて、糖分過多気味の珈琲を飲み干した。

 その姿を横目に見た稟が、眼鏡を押し上げて頷く。

 

 

「天下の動きに目の行かぬ連中と言うのは、そんなものですよ、真桜。それに、中級種以上の罵苦の襲撃を受けた事があるなら兎も角、下手に下級種の討伐に成功でもしていれば、罵苦の存在そのものを甘く見ている可能性もありますし」

「その事なのですが~」

 風はそう言って、二本目の煙草に火を点けている一刀に向かって視線を投げた。

「お兄さん的には、今回の一件の裏に罵苦が絡んでいる確率を、どの程度と見ていますか~?」

「ほぅ―――」

 冥琳が、さほど意外でもなさそうな声を出して風を見遣る。

 

「程仲徳にあっては、罵苦の暗躍の可能性ありと見るか。その心は?」

「別に、そこまで穿った意見などありませんよ~。ただ、以前の張繍の時もそうでしたが、罵苦は時と場合により、人間を抱き込んで混乱を引き起こす様な事もするみたいですから~。それに、こぉんな設備の基地を持ってるお兄さんなら、調べようと思えば調べられるのではないかな~と」

 

「まぁ、それもそうだな。で、実際どうなのだ、北郷。お前の方では罵苦の関与に関して、どう考えている?」

 一刀は、冥琳の言葉を契機に、この場の視線が全て自分に集まった事に若干の心地の悪さを感じながら、紫煙を吐いた。

「この基地の設備でって話で言えば、中級種であれ上級種であれ、戦闘行為でもしてくれれば、ほぼ確実に探知は出来るよ。ただ、罵苦の方も本気になれば、かなり大規模な作戦行動でも隠匿しながら進められるって言うのは巴郡の戦いの時点で判明してるし、特に上級種は、その気になれば卑弥呼や貂蝉の探知すらすり抜ける術を持ってるらしいからな。張繍の時みたいに、何らかの方法で抱き込む為に暗躍してるって言うなら、正直なところ、ギリギリになってみないと分からないと思う」

 

 一刀は、立脚の付いた灰皿に吸い差しを投げ入れて席に戻ると、頭の後ろで手を組んで、考えながら言葉を続ける。

「俺自身の考えで言えば、“接触する心算ではあるけどまだ接触はしてない”と言う選択肢も踏まえて、罵苦が関わっている確率は五割ない位かな、とは考えてるが」

 

「その根拠は?」

「それはまぁ……企業秘密?」

「成程、天の知識か」

 冥琳が苦笑を浮かべて肩を竦めると、祭が懐かしそうに口を開いた。

「そう言えば、北郷の予言も久しく聞いておらんの。ま、この設備が予言そのものだと言えるのかも知れんが」

 

 

「正直ここまで来ると、俺のこの時代に関する知識なんて、もう大して役に立たないよ。何度も言ってると思うけど、俺の国に伝わってる情報とは完全に違ってるからね。ただ―――」

 一刀はしばし黙考すると、緩々と首を振った。

「やっぱり、止めとこう」

 

「んん~!なんやねんなそれ!そこまで言っといてスカすとか、あんまりやで一刀!」

「せやせや。気になって寝れのうなるやないの、隊長!」

「いや、俺からこの手の情報を聞かされて逆に面倒な事態になった経験、お前らはあるだろ?」

 一刀がそう言って微笑むと、関西弁(?)コンビは、口を尖らせて渋々と合意する。

 

「ま、そんな訳で、可能性は捨てないって所に留めておくよ。後は愛紗の言う通り、そろそろ美花達には切り上げて帰って来てもらおう。戦の難易度が跳ね上がった以上、一刻も早く軍備を整えないと」

「そう悲観的にばかり考える事はないでしょう。上手く立ち回れば、堯将を得られるかも知れないと思いなさいな」

 

「そんな、どこぞの覇王様じゃあるまいし」

「天下の飛将軍すら誑し込んだ男に言われたくないわよ」 

 一刀は、華琳の言葉に苦笑を浮かべると、姿勢を正して表情を引き締める。

「えぇと……では、孫乾、麋竺、麋芳の三名が文欽と毌丘倹の勢力圏を抜けた事を確認次第、近衛を総動員しての大演習を行う。近衛の各将は、その腹積もりで引き続き調練に励み、しかと兵馬を養うべし。なお、大演習に於ける軍師には、呉からは公瑾、蜀からは孔明、魏からは奉孝を召し出し、大演習の決行日が決まり次第、軍師と将にはくじ引きで担当を割り振る。また、軍師三人の内一人には、俺の横で軍勢全体の練度の確認に当たって貰う事になる故、その旨、留めおけ」

 

 担当の将たちが背筋を伸ばして返事をするのを聞き届けた一刀が、ちらとを華琳やると、華琳は僅かに眉間に皺を寄せて、溜め息交じりに「大分、色を付けて、ギリギリ及第点ね」と呟く様に言った。

「えぇ……結構、上手く出来たと思ったのに……」

「最初の『えぇと……』が余計よ。逡巡を一々、口に出さないの。それから、『俺』と言うのもお止めなさい。砕けすぎよ。『余』なり『我』なりあるでしょう」

 

「やってみると難しいもんだなぁ……」

 華琳からのダメ出しに無念そうに頭を掻く一刀に、雪蓮が苦笑を向けた。

「でも、なかなか恰好良かったわよ♪頑張って慣れてちょうだい、一刀。今までみたいに古参や身内だけなら兎も角、これからは戦場でも軍議でも、三国から集まった若い士卒たちの目もあるんだからね。軍律を保つ為にも、上意下達がしっかりしている所を見せないとならないんだから」

 

 

「やれやれ、『ガラじゃない』なんて突っ張れてた若い頃が懐かしいよ……で、朝廷の方だけど」

 一刀が、そう言って改めて稟を見ると、稟はテーブルに量の前腕の乗せて指を組み、口を開く。

「忌憚なく申せば、鍾繇殿は極めて優秀な方ではありますが、現体制のままでは、その辣腕を存分に振るって頂く事は難しいでしょう。いかな司隷校尉の地位にあらせられるとは申しましても、鍾繇殿は実質的に華琳様の臣下であり、不良官吏や皇族方への思い切った取り締まりを断行すれば、その……」

 

「有体に言えば、魏―――と言うか、華琳様が過度に朝廷に介入して、天子様を私していると言う風評が立ってしまいますからね~。と言うか、今ほどの距離を置いていても、そう言う話は既に出ていますし~」

 風が稟の言葉を継いでそう言うと、蓮華が眉を寄せて頷く。

「実際、魏と敵対していた時には、我ら呉も蜀も、それを魏との戦の大義名分にしていたしな。今に至っては、華琳には余計な気を遣わせてしまっていると思っているが……」

 

「そうだね。私たちに遠慮して貰っちゃってるところ、あるもんね」

 桃香も、申し訳なさそうな笑顔を向けて、蓮華に同調する。

「同情してもらう謂われなどないわよ。利益があると判断したから受けた話だもの。無論、損益を被るのも承知の上でね」

 

「でも、私たちが華琳さんを信用してお任せするって言っても―――」

「そうね。豪族や地方領主たちは、今まさに風が言っていた様な風評への信を厚くするだろう。そして、私たちがそれを黙認していれば、反抗的な連中がこれ幸いと、やれ曹操に媚びているの、腑抜けの王のと言い出して、反乱の大義名分にしかねん。まったく、痛し痒しとはこの事だな」

 

「あのさ―――」

 三人の王たちが、難しい顔をして黙り込み、流石に口を差し挟む事を憚った家臣団たちも沈黙を守る中、一刀が多少、気まずそうに手を挙げた。

「ふと思ったんだけど、実質、魏に任せている状態が問題なら、蜀と呉からも人を立てたらどうだろう?」

 

「お~!これは久しぶりに、一刀さんの奇策炸裂ですかね~?」

 穏が場の空気を盛り上げる様に明るい口調で合いの手を入れると、一刀は「いやいや」と手を振ってみせる。

「そんな大層なもんじゃないんだけど、ほら、この都や俺の近衛と同じ要領でさ」

 

「今、洛陽に詰めている文官たちとは別に、呉と蜀からも、司隷校尉の役職に準ずる人間を洛陽に送り込み、共同で皇族や官吏の不正を取り締まると言う事か?ふむ……」

「そう。そうすれば、思い切った取り締まりをしても、華琳の専横だなんて言われなくなるだろ?少なくとも、表向きは対等な立場で出向してもらいつつ、実際は元常さんを頂点とした三国の合同捜査組織として活動してもらう様にすれば、華琳や元常さんの面子を立てつつ、芳しくない風評を抑えて仕事が出来ると思うんだよ。ただ、これは実質、華琳や元常さんに大度を示す事を要求してる様なもんだから――」

 

 

「面白いかも知れませんね」

 稟は、頤に握り拳を当てて目を細める。

「三国の王が揃って司隷校尉を送り朝廷を取り締まる、と言う体制を天下に示せば、始皇帝以来、権威と権力を天子様御一人に集約させて来た朝廷の在り方は終わったのだと言う事を、内外に示せるでしょう。また、宮中の法度を改正して三国の王の連名で上奏し奉り、その中で『如何なる場合でも三国の王は天子様のお立場を守護し奉る』と言う事を―――即ち、三国の王たちはあくまでも、天子様を奉戴する漢王朝の臣であると言う立場を明確にすれば―――」

 

「逆説的に、どれほどの立場にある者が奸臣となったとしても、簒奪者の汚名を被る事を恐れずに処罰できる、か」

 稟の言葉を受けた冥琳が、瞠目しながら呟く様に言った。

「でもさ、それだと、またぞろ傀儡政権だのなんだのって言われる事には変わりないんじゃないのか?」

 翠が腕を組んで唸る様な口調でそう尋ねると、朱里が緩々と首を振った。

「いいえ、翠さん。それはあり得ません」

 

「へ?なんで?」

「今、稟さんや冥琳さんが仰っていた事を突き詰めれば、天子様を本当の意味で政から隔離する事を意味するからです。そうすれば、漢室は政権たり得なくなる。つまり、“傀儡する為の政権”が存在しなくなるのですから、傀儡政権などと言う話は、そもそも通用しなくなるんです」

 

「名実ともに、朝廷と政権が同義ではなくなる、という事か……劇薬だな」

 愛紗が、肩に掛かった濡れ羽の髪をしごきながら厳めしい声で言うと、風が薄っすらと目を閉じながら口を開く。

「でも、やってみる価値はあると思いますよ~。皇帝以外の大陸を掌握している為政者たちがここまで足並みを揃えているなど、奇跡の様な状況ですから~。更に言えば、死に体も良いところだった朝廷の存続を確実にすると言う意味では、起死回生の鬼手と言っても良いかも知れません~。何と言っても……ここだけの話ですが~、これから先の世の天子様の素養やお人柄の如何に関わらず、求められる役割が『只々、御健やかであらせられる事』だけあれば、そもそも、その治世の天子様の資質が一天万乗の重責に及ばなかったとしても、朝廷が揺らぐと言う状況がなくなりますからね~。極端な話、乳飲み子の内にご即位あそばされたとしても、皇后や外戚が握る権力が存在しなければ、朝廷が安泰である事に変わりませんし~」

 

「しかし、“ただそこに居るだけが役割”、などと言う事になれば、流石に朝廷が人心を失ってしまうのではないか?」

 桔梗が、もどかし気に腰に下げた酒瓶を弄びながら、絞り出すように言葉を吐き出す。

 その様子を見た愛紗は、彼女にしては珍しく『一杯やりたくもなるのものだ』と内心で桔梗に同情した。

 

 この様な会話は、一昔前であれば、頭の中で考える事すら畏れ多い不敬である。

 侠客上がりの自分ですらそう感じているのだから、由緒ある武門の出自である桔梗からすれば、素面でなど、とてもやってはいられまい。

 そんな愛紗の心中など意に介さず、雛里が桔梗の言葉に答えた。

 

「それを避けるにはまず、天子様に手放して頂く権力を補うだけの“権威の上乗せ”を図るのが宜しいかと。例えば、皇帝祭祀を拡充し、同時に今まで代理を立てて行ってきた有司摂時も原則廃止として、天子様にしか執り行えないと言う事にする、ですとか」

「それはいい考えですね~」

 雛里の出した案に、穏が両手をポンと叩いて同意する。

 

「国家安泰、臣と民の平穏無事、それらを時節の折々に天子様が御自ら御祈願くださるとあれば、天子様の仁愛の大御心を以って、その御威光もいや増すと言うものです~。幸い、神様なんてたくさん居るんですから、お祈りのお相手には事欠きませんし~♪」

「穏……貴女、不敬なのか奉戴してるのか、よく分かんない様な話し方をするわねぇ」

 

 雪蓮は笑いながらそう言って、無言で皆の議論に聞き入っている様子の一刀に声を掛けた。

「ねぇ、一刀。雛里の案も良いけどさ、貴方にも何かもう一押し、腹案は無いの?」

「……は?俺?」

「そうよ。元々、貴方の一言から始まったんだし」

 

「いや、その、なんて言うかなぁ……いきなり話が急転直下で進んじゃったもんだから、唖然としちゃっててさ」

「そうね。でも、驚いては居ないわよね?」

「え?」

 

「つまり~、貴方にとって、私たちが今、喋ってる事なんて、驚く程に斬新な話って訳じゃ無いんじゃないかな~って思うのだけれど?」

「まぁ、なんだ……。その、王の皆はさ、当然、自分達の子供にそれぞれの国の王位を継がせるんだよな?」

「なによ、その他人行儀な言い方」

 

 

 一刀の言葉を聞いた蓮華が、公の場では珍しく、拗ねた様に頬を膨らませる。

 桃香も、肩を怒らせて勢いよく声を上げた。

「そうだよ、ご主人様!私たちの国を継ぐのは、『私たちとご主人様の子供』だよ!ね、華琳さん!」

 桃香に水を向けられた華琳は、どこか蠱惑的な微笑を浮かべて頷いた。

 

「えぇ。今のところ、私と同じ褥に入る事を許している男は貴方だけだもの。必然、私の気が変わって他に男妾でも囲う心算にでもならない限り、次の魏王は私と貴方の子供と言う事になるわね」

「あぁ、ごめんな皆!言葉の綾って言うか、他人事とかそんな事は決してないんだ。えぇと、その次の王への承認権をさ、天子様だけの特権として差し出せば良いんではないかな、と」

 

 不意に訪れた沈黙の中で、一刀は痛切に『とうとう言ってしまった』と思っていた。

 世界で唯一、千年を超える歴史を持つ王朝と同じシステム。

 自分は今まさに、その根幹となる部分を、この国の支配者たちに提示している。

 しかも、そのシステムが回り出す最も面倒な時期の舵取りを担う事になるのは、自分の子供たちなのだ。

 

 同じ様に成功するかどうかなど分かりはしない。

 そもそも、異国と地続きの、遥かに広大な大地を有する三つの大国が三竦みで行うとなれば、前提条件からしてまったく違う。

 千五百年持った、と口で言うのは優しいが、薄氷の上を歩く様な場面は数えきれない程あった筈だ。

 だがそれでも、有史以来、唯一の成功例ではあるのだ。

 

 いつかは話をするべき、と思っていたが、まさかここまで何の準備もしていない中で口にするとは思っていなかった。

「一刀」

 華琳が、感情の読み取れない声で名を呼んだ。

 

 腹の中に怒りを溜め込んでいる時の冷たい声でない事だけが、救いの様な気がする。

「あぁ」

「詳しく話してちょうだい」

「分かった」

 

 一刀は、頭の中を整理しながら、慎重に言葉を選んで話し始める。

「華琳が、すぐに簒奪がどうのって騒がれる理由ってのはさ、やっぱり、朝廷を動かして王に封じられる様にしたからだろ?」

「らしくもない。はっきり言って構わないわ。“天子様を動かして”、とね。えぇ、そうよ。領土は広がるばかりなのに、複数の州牧の兼任は許さないと言うのですもの。それどころか、逐一、天子様の御聖断を仰がなければ、背いた者の処罰も、人事一つすらままならないなんて、面倒どころの話ではないでしょう。なら、それらを全て司れる立場になるしかないじゃないの」

 

 

「こうして本人から改めて聞くと、最適解すぎてついていけないわ~」

 雪蓮は呆れた様にそう言って、やれやれと大仰に首を振ってみせる。

 本来、王に封ぜられる資格を持つのは劉性の者、即ち皇室に連なる血縁者に限られていた。

 逆説的に、王になると言う事は皇帝になる資格を有していると言う事になり、だから曹操は帝位を欲しているのだとする理論は、確かに成り立ちはするのだ。

 

 実のところ、そうして大陸全土を駆け巡った曹操の帝位簒奪計画の全貌とは、華琳が語った通り以上でも以下でも無かったのだが。

「失礼ね、雪蓮。百歩譲って、元々が劉性の桃香は兎も角、貴女なんて勝手に自称したじゃないの。私は、わざわざ面倒な思いをしてまで筋を通した上で王を名乗ったのよ?それに常々、『文王に倣う』と公言して洛陽からも距離を置いていたのに、痛くもない腹を探られて迷惑千万だったわ」

 

「あはは~、藪蛇だったかしら~」

 現在に於いては、桃香は漢中王、蓮華は呉王として正式に朝廷より王に封じられ、遡って、華琳に対抗する形で呉王を名乗った雪蓮も、先代の呉王と言う事になった。

 だが、今まさに華琳が言った通り、劉性に連なる桃香は兎も角、孫家が大した混乱も無く呉王として封じられたのは、華琳が前例を作っていたからだと言うのは厳然たる事実であり、同盟締結の後、対等の同盟を結ぶ為として、華琳が根回しをし、桃香との連名で天子へ上奏すると言う形での後押しがなければ、容易く実現する事などなかったであろう。

 

 だが、その事を一切口に出さず、恩を着せる様な言葉一つ発しない華琳の性情を、雪蓮は心密かに尊敬していた。

 だからこそ、こんな軽口も言い合えるのである。

「まったく、すぐに茶々を入れるのだから」

 

 華琳は、雪蓮に苦笑を送って、「それで?」と一刀に続きを促した。

「つまりさ、王っていう地位に、もう劉性に限るっていう条件は無くなった訳だけど、“天子様の詔を賜って初めて王になれる”って言う形式だけは、皆が現役である今は、まだ有効なんだよな?」

「はわっ!?そうか……そういう事なんですね、ご主人様!!」

 

 一刀の言わんとした事を察した朱里が、羽扇の奥から知性の光を湛えた瞳を見開いた。

「む、何なのだ、お前たちばかりすっかり理解した体になりおって!我らにも説明しろ!」

 眉を顰めた思春が、そう言うと、朱里は『説明を代わってもいいか』とでも言いたげな視線を一刀に投げる。

 

 一刀としては、是非もない事なので、小さく頷いて返事とした。

「つまりですね、思春さん。ご主人様は、三国がそれぞれ勝手に次の王を立てるのではなく、“敢えて天子様に即位をお認め頂く”と言う手順を踏む事で、未だ歴史の浅い各国の王位への後ろ盾として、漢室四百年の権威を御貸し頂こう、と仰られているんです!」

「なる……ほど?」

 

 珍しく鼻息を荒げる朱里に気圧され、曖昧に頷く事しか出来ない思春が思わず視線を彷徨わせると、部屋に居並ぶ王たちと家臣団の反応は、綺麗に三つに分かれていた。

 即ち、朱里と同じ理解に至った者たち、もう少しで何か掴めそうだと言う顔をして唸っている者たち、そして考える事を放棄した者たち、である。

 

 当然ながら、最初のグループに属しているのであろう冥琳は、人差し指を横笛の様に下唇に宛てながら、猛烈な勢いで暗算でもしているかの様に中空に視線を泳がせ、殆ど独り言の様な声で喋り出した。

「そうか、朝廷に三国の世襲政権を担保してもらう事で、我らは漢室の威光を正当に借り受け続ける事ができ、逆に朝廷は“政権を委任する権威”を保持し続けて三国からの恭順を得られる。つかず離れず利用し合う相互互助関係……権力なき帝位は簒奪に怯えずに存続が叶い、権威なき政権は漢室の威光と言う無形の力を手に、自国の臣と民を統治出来ると言う訳か……ふむ、ふむ……」

 

「あのぅ、冥琳さん……」

「ぬぉ!?おぉ、朱里、済まん。其方の台詞を取ってしまったか」

「はわわ……もう良いんです……はい」

「い、いや、私とした事が、つい興が乗ってしまってな」

 

 冥琳は、珍しく気恥ずかしそうに朱里に侘びを言うと、咳払いを一つして表情を引き締めてから、一刀の方に顔を向けた。

「北郷」

「ん?」

 

「お前がこう言う質問を嫌うのも、答えたがらないのも承知の上で、敢えて尋ねたい」

「あぁ」

「何年持った?」

「現在進行形で千五百年持ってる」

 

「千五ひゃ―――!!?」

「正確には、最古に確認できる諸々の記録がその辺りらしい。神話の時代まで含めれば、二千八百年なんて主張する連中も居るな。流石にそこまで行くと怪しくなっては来るが」

 千八百年も先の世まで語り継がれる神算鬼謀の知将たちが、揃いも揃って絶句する姿と言うのも中々のものだと思うがな、と一刀は内心で独り言ちると、公平を期す為に慎重に口を開いた。

 

「因みに、千五百年続いてるのは朝廷の方で、政権は違うからな」

「あわわ……まぁ、そうですよね。流石に、千五百年も権勢を維持するなんて嘘っぽいと思いました」

 書記役と言う事への責任感からか、いち早く集団絶句状態から脱した雛里が、如何にも思ったままと言った様子でそう言うのを聞いて、一刀は思わず声を出して笑ってしまった。

 

「確か、最長は三百六十年くらいだったかな?」

「それでも、漢王朝に比肩する程ではないですか。漢室が平帝の代で一旦、滅びている事を考えれば、むしろそこまで途絶えなかっただけでも大いに賞賛に値しますよ」

 稟が眼鏡を押し上げながらそう言うと、風がこくこくと頷く。

 

「正直、百年の大計ならまだしも、千五百年の大計なんて、大陸中の智者を一堂に集めたところで、とても練れるものではありませんが~、というか、狙って出来るとはとても思えませんが~、三百年の大計と言うのであれば、三国同盟公認インチキ盟主のお兄さんの力を足せば、何とかなるかも知れませんしね~」

「うん、まぁ、期待して貰えて嬉しいし全力で取り組むけど、俺の話した国とこっちでは、全然、環境が違うから、必ず上手く行くなんて約束はできないぞ?」

 

「そんなの、ちょっとした経済政策にだって、必ず上手く行く保障などないのです。大切なのは、始めた人間が揺るぎなく先を見、それを後進に伝える事なのですよ。最初の五十年くらいを上手く乗り切れれば大分、希望が持てますから~。そもそも、人間はそんなに長くは生きれませんからね~。死んだ後の事にまでは責任は持てないのですよ。と、どうでしょう、華琳様。司隷校尉の在り方を変え、お兄さんの案を含めて取り決めを作っておくと言うのは」

 

 風の意見具申を受けた華琳は、考え込むように閉じていた目を静かに開いた。

「一刀の案に関しては、今すぐと言う訳にもいかないでしょう。今日明日中に私たち三人の内の誰かが身籠ったとしても、跡目たる嫡子が親政を執れるまで後見してから家督を譲るにしろ、二十年やそこらは掛かるのだし。ただ、三国の王の間で内々に、と言うのであれば、最終的に誓紙を交わす事も含めて話し合いを始めておくべきだと思うわね。どうかしら、桃香、蓮華?」

 

「それはまぁ、確かにな。確実に嫡子が独り立ち出来る時まで、我ら三人が揃って生きていられる保証とてない。今の内にと言うのには賛成だ」

 華琳に水を向けられた蓮華が生真面目な顔でそう言って頷くと、桃香も同意を返した。

「だよね。そもそも、お産だって命懸けな訳だし、万が一の事があった時、私たちの間で話が纏まってた方が良いと思う」

 

「では、その方向で。司隷校尉の件に関しては、魏としては筆頭軍師が居ない此処で詰める訳には行かないから、改めて場所を設けたいわ。とは言え、乾坤一擲のところで施さないと反発が大きい策だから、あまり時間も掛けられないわね」

 華琳が手に頤を乗せてそう言うと、朱里が瞠目したまま頷きを返す。

「はい。朝廷や反抗的な方々に有無を言わせずに首を縦に振らせられる時期があるとすれば、それはご主人様が文欽と毌丘倹の反乱を鎮圧した直後—――鍾繇さんに息を合わせて頂いて、李法を摘発した時が狙い目となるでしょうから」

 

「なるほどのぅ。天子様への上奏文を管理する蘭台令史が謀反人と通じ、扇動に加担していたとなれば、如何な狐狸どもとて、とばっちりを恐れて、尖った大改革案を出されても文句は言えんか。えげつない事じゃ」

 祭が愉快そうに笑ってそう言うと、華琳が再び口を開く。

「さて。ともなれば、差し当たって一刀の近衛付きの軍師は、先の大演習の件の時に名の挙がった三名で当面は固定として、他の軍師は私たち三人と共に草案の作成に当たって貰った方が良いと考えるのだけれど、どうかしら?手が足りぬとあれば、国元から若手を召し出して、暫くの間は手伝ってもらうのも良いでしょうし」

 

「それが良いかも知れないな。三国の意見を擦り合わせ、尚且つ練り上げるとなると、吶喊になる事は予想が付く。それこそ、殿に泊りながら、此処を借り受けて話を詰めても良い位だろう」

「それは存外、名案かも知れないわね。此処なら余計な目や耳を気にせずに穿った議論もできる上に私室までも近いし、罵苦に動きがあったとしても直ぐに察知できるのであれば、最適と言えるでしょう」

 

「うん。昼間でお仕事を切り上げて、夜の間に会議とかも出来るもんね!あ……ご主人様、良いかな?」

 桃香に笑顔を向けられた一刀は、大きく頷いた。

「勿論だ。俺も出来る限りは力になるしな」

「うむ、心強い事だ。では―――」

 冥琳は眼鏡を押し上げると、議長然として部屋の中を見渡した。

「各国の御主君たちに於かれましても、直ぐに手回しが必要な事も多かろうかと存じますので、緊急性の無い諸々の案件の報告等は次に回し、此度の三国会議は一旦、閉会としては如何でしょうか?」

 冥琳の問いかけに、三人の王と軍師たちは、三者三様に頷きを返した。

 

 

 

「そうね。司隷や本国への根回しもあるし、そうしてもらえるとありがたいわ」

「あぁ。私も、急ぎ雷火を召し出さないと……こんな話を勝手に進めたなんて後で知れたら、どれほど臍を曲げられるか分かったものではないからな」

 蓮華が溜め息を吐いてそう言うと、雪蓮も渇いた声で笑って頷く。

 

「まぁ、曲がったお臍が一周回って、元の位置に戻っちゃっても驚かないわね~」

 桃香は、そんな姉妹の様子を見て同情を含んだ笑顔を浮かべてから、挙手をして口を開く。

「私も賛成するよ。洛陽に居た事のある風鈴先生や楼杏さんに来て貰いたいし、今の内に、洛陽に行ってもらう人の人選も相談しなきゃだもんね」

 

「なれば、御主君方からは同意頂いたと言う事で。北郷殿、お宜しいか?」

 冥琳が、格式張って一刀にそう尋ねる。

「あぁ。他の区画の案内は追々で良いだろうし、いつ罵苦の横槍が入って予定がズレ込むか分からない。皆、出来るだけ速やかに事を進めて欲しい」

 

「御意に。では雛里、議事録は其方が保管して欲しい。この謀、見事、成るまでは、誰にも知られる訳にはいかぬ」

 冥琳の言葉に、雛里が厳粛な顔で頷きを返す。

「それなら、この場所に暫く置かせて頂ければ安全かと……暇を見て清書し、問題のありそうな部分は削除しておきますので」

 

「うむ、頼んだ。御臨席の諸将に於かれましても、この場での談合の内容は、くれぐれも御他言無用に願います―――では、此度の三国会議の閉会を宣言いたす」

 冥琳の宣言と共に、王や文官たちが急ぎ足で部屋を出て行き、武官たちがそれを追う。

 皆を送り出そうと足を踏み出した一刀は、呆けた様な表情で幕僚たちの背中を見送る真桜に目を留めて話し掛けた。

 

「おう、真桜。お疲れさん、肩が凝ったろ?」

「へ?あぁ、隊長。お疲れさんや……」

「なんだ、元気が無いな?」

「いや……うちの目の前で、この大陸の行く末を決める様な壮大な話がポンポン決まって行くの見てたら、なんや空恐ろしゅうなってもうて……隊長も、ようあんな空気ん中で意見とか言えるなぁ」

 

「まぁ、普段はあそこまでの穿った議題なんて早々ないけどな。基本的には色んな計画の進捗状況を報告したり、共同事業の提案だったり、人事や軍務の予定調整とか、そんな感じだぞ。まぁ、煮詰まる時には煮詰まるけどな」

「はへ~」

 

 一刀は、違う世界を覗き見て浮足立ってしまっている様子の真桜の頭をわしゃわしゃと撫でてやると、歯をみせて笑った。

「連中からすりゃ、今、お前がやってる事も同じ様なもんだと思うぞ。俺の命を預けてるんだから、気張ってくれよな?」

 

「お、おう、任せたってや!」

 元気よく返事をして頬を赤らめる真桜を愛おしく思いながら、一刀は彼女に湯を浴びて少し寝る様に言うと、扉を開けてエレベーターホールへと歩き出すのだった。

 

 

                     あとがき

 

 改めまして、大変ご無沙汰しておりました、YTAです。

 まだ恋姫二次を追い続けていらっしゃる方がおられたら、嬉しい限りです……と、前にも言いましたね、これw

 私自身もここまで再開に時間が掛かるとは思ってもみなかったのですが、自分でも想像以上に革命の蜀編への納得の行かない思いが強かった事と、コロナ禍で収入が不安定になり、創作活動どころではなかった事が重なって、どうしても筆を進める気になれませんでした。

 

これまた前回も書きましたが、ストーリーと主人公とメインヒロインと言う、作品の根幹を成す要素とことん無茶苦茶にされてしまって、自分の作品にフィードバックしようと思ってプレイする度に、あんなに好きだった筈の蜀編に対しての嫌な気持ちばかりが湧いて来る様で、三度ほど書き出したプロットも全部ボツ。

 

折角、書いた十ページ分くらいの原稿をゴミ箱に捨てる度に、自分でもどうしたらいいのか分からなくなってしまっていました。

 しかし、恋姫シリーズは続くようですし、もはや願っていた形でのリブートは無くなったのだと現実を受け入れて腹を括りました。

 

 そんな事もあり、今回かなり内容が長くなってしまったのは、リハビリがてら出来るだけ多くのキャラを動かしてみようと言う試みの他に、常々思っていた『一刀たち三国同盟と漢王朝の距離感、及び扱いの曖昧さ』を明確にしようと言う、以前から尻込みしていた試みを実行したからです。

 特に、月や詠の他、空丹や白湯も加わった事で、二次創作をする側としても、そこら辺をキチンと書かないと今後、彼女たちの話を広げようがないと言う部分もありましたので。

 

ガチ考察系の方には少しライトな感じかなとは思いますが、あまり難しくしても本題からズレ過ぎるとの考えもあり、あの辺りを落としどころとしてみました。

また、まえがきで書いた通り、腹を括りついでに、徐々にではありますが活動の場を『ハーメルン』さんに移す事にしようと思っています。

 

というのも、ご存じ無い方の為に一応、説明させて頂きますが、ハーメルンさんは旧『にじふぁん』閉鎖を受けて創設された小説専門のサイトなので、小説を投稿する側としては、TINAMIさんよりもかなり融通が利く設計になっている為です。

今回は最新話と言う事でTINAMIさんに投稿しましたが、Re-imaginationに関しては、TNAMIさんでの作品投稿欄がグチャグチャになってしまうのが嫌と言う事もあり、以降ハーメルンさんのみの投稿とさせて頂きます(現在は、TINAMI未公開の第弐話まで公開中)。

あちらでも感想や評価など頂けますと、もの凄くモチベーションとなりますので、どしどしお寄せ下さると嬉しいです!

また、これからは世界観の統合などを出来るだけ速やかに図る為、Re-imaginationの投稿を優先させようかと思っています。

 

必ずしも最新話を投稿しない訳ではないですが、それだと何時までも移行が追い付かないので……(汗

ハーメルンさんでは下記のURLからメインページに飛んで頂き、検索ボックスに『皇龍剣風譚』と入力して検索して貰えれば、私の作品ページが表示されますので、是非是非、お越しください!

 

 さて、今回のサブタイ元ネタは、

 

 Can't Take My Eyes Off You/ローリン・ヒル

 

 でした。

 日本では『君の瞳に恋してる』の邦題で有名ですが、何故にオリジナルであるボーイズ・タウン・ギャング版ではなくカバー曲なのかと言えば、このヴァージョンが“陰謀のセオリー”と言う映画の主題歌で、今回は色々と企んじゃうぜ回だった、と言う。それだけの理由だったりしますw

 

 では、次回またお会いしましょう!

 

 ハーメルンさんTOPページURL

 

https://syosetu.org/

 

 

 

 
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