No.1004250

真・恋姫†無双異聞 皇龍剣風譚Re-imagination  幕間 星の一秒 後編

YTAさん

どうも皆さま、YTAです。
思ったよりも長くなってしまいましたが、書き終わったので投稿します。
今回は、私の作品に於ける敵についてと、一刀が独り正史に戻る事になった経緯がメインとなります。
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では、どうぞ!

2019-09-11 04:57:19 投稿 / 全23ページ    総閲覧数:1897   閲覧ユーザー数:1732

                      真・恋姫†無双異聞 皇龍剣風譚Re-imagination

 

 

                           幕間 星の一秒 後編

 

 

 

 

(かつて)、今は遠い昔、神代(かみしろ)の世――」

 貂蝉と卑弥呼を引き連れて一刀たちを先導する姬大人(き・たいじん)と名乗る老人は、薄暗い階段を降りながら話始めた。

「剪定者たちの中でも過激な思想を持つ一部の者たちは、肯定者たちとの鍔迫り合いを省き、より効率的に、より徹底して外史を剪定する為に、ある存在を……怪物たちを生み出したのじゃ。その怪物たちは、外史に生を受けた者であれば、近づくだけで対象の存在そのものを自身の中に吸収・同化してしまうという、恐るべき特性を持っておった」

 

 暗がりの中、一行の足音と姬大人の声だけが、虚ろに響いている。

「剪定者たちの思惑は図に当たった。怪物たちは数え切れぬ程の外史を瞬く間に食らい尽くした。肯定者たちも、初期の何度かは撃退に成功したが、怪物たちが多くの幻想を吸収し強大になっていくにつれて撃退は困難を極める様になり、次第に、ただ犠牲者を出して終わるだけになった。だが、その頃には、創造主である剪定者たちにも、想定外の事態が持ち上がり始めたのじゃ」

 

 階段を降り切った姬大人がステッキの頭で壁を叩くと、10m四方ほどの広さの石畳の床が淡いガス灯の様な意匠の照明で照らし出される。

 そこは先程の広間とは違い、ヴィクトリア風の鉄の柵で漆黒と隔たれているだけだった。

「怪物たちは多くの幻想を吸収する内に自我を持ち、創造主たちの命令を拒んで、外史を喰らうという行為を“愉しみ始めた”のじゃ。しかも、怪物たちの中で最初に作られた最も強力な個体は、恐るべき早さで進化を続け、他の怪物たちを自分を頂点とする軍勢へと育て上げただけでなく、自ら眷属を独自に生み出す(すべ)までをも編み出して、とうとう完全に制御不能になってしまい、正史の世界にまで散発的な干渉を始めたのじゃ。剪定者たちは多いに恐慌をきたして過激派を追い落とすと、肯定者たちに共闘を持ち掛けた」

 

 

 

 

「まったくじゃな。で、共闘する事になった管理者の二つの勢力は策を練った。どれ程の超人的な英雄に助けを求めようとも、それが外史の存在である限り、怪物たちの相手とはならぬ。であれば、正史の英雄に助けを求めるしかない。しかし、幻想の力持たぬ正史の英雄だけでは、怪物たちを打ち倒すのは難しい。故に――」

 

「正史の英雄に、外史の幻想の力を貸し与えよう。さすれば、怪物どもにも対抗できるであろう、とな」

卑弥呼は老人の言葉を継いでそう言うと、部屋の奥に歩いて行って、積み上げてあった荷物の中を、ゴソゴソと弄り始めた。

 その様子を見ていた姬大人が、再び語り部の役を引き受ける。

 

「そうして英雄は、外史・正史・管理者の仲間たちと共に、怪物たちに戦いを挑んだ。戦争は熾烈を極め、多くの仲間たちを失いながらも、英雄は何とか怪物たちの多くを打ち倒し、無二の盟友の献身的な犠牲を|祐《たすけ》として、最も強大な原初の怪物とその腹心たちを、刻が流れる事もなく、あらゆる場所と時代から隔離された虚無の彼方へと封じ込めたのじゃ」

 

 姬大人は、そこまで話すと疲れた様に大きく息を吐いて、呼吸を整える。

「――その原初の怪物の名は、蚩尤(しゆう)。腹心たる四体の強大な怪物たちは、四凶(しきょう)と言った」

 姬大人の言葉を聞いた四人の王たちは、一様に目を見開いて息を呑んだ。さもあろう。蚩尤とは、中華文明の中にあって最強最悪の伝承を誇る魔神であり、四凶とは、中原の四方に封じられたという邪の具現とされる悪神たちだ。

 

 信じるかどうかは兎も角、知らぬ者などそうは居ない。

「では、実在したと言うのか……しかし……」

 蓮華は、呟く様にそう言うと、姬大人を顔を上げて見遣った。

「我々の識る伝承とは、時代も内容も随分と違っている所があるようだが?」

 

「左様。管理者たちが、“そのように仕向けた”での。当時はまだ、正史と外史の境界は今ほど強固ではなかったから、その様な(わざ)も可能であったのさ。まさか、正史と外史に実際の繋がりがあり――あまつさえ、特定の者たちは、その双方に干渉が――事によれば、侵略すら可能であるなどと、世に知らしめる訳にはいかぬからな。皮肉なものよ。外史の出来事と正史の出来事を交じわらせた上に、正史の認識を改ざんするなどと言う事は、剪定者たちが最も忌み嫌う行為の一つであろうに。自分たちの行動が原因で、正史に対する空前絶後の介入劇を演じる事になったのじゃから」

 

 

「じゃあ、もしかして、貂蝉さん達やお爺さんが言ってる『私たちの世界の危機』って……」

 桃香が、色を失った顔で恐る恐る姬大人にそう尋ねると、姬大人は静かに頷いた。

「そうじゃ。“奴等”が目覚めた」

「そんな……」

 桃香の唸るような呟きを最後に降りた沈黙を破る様に、卑弥呼が部屋の奥から見つけたらしいズタ袋を担いで部屋の中央まで進み出ると、手荒に床に投げ捨てた。

「儂と貂蝉は、最近、散発的に行われて来た五胡と三国との小競り合いの折り、今迄に感じた事のない(おぞま)しい気配を感じ取って、現場の近くを調べてみたのだ。その時にな、“コレ”を見つけたのよ――ああ、少し離れておれ皆の衆。少々、“臭う”からな」

 

 卑弥呼がそう言いながら、ズタ袋の口を縛っていた太い紐を解いて勢いよく袋を剥ぎ取った瞬間、周辺を強烈な腐臭が包み込んだ。一刀も桃香も華琳も雪蓮も蓮華も、今まで経験したどんなに激しい戦場でも嗅いだ事がない凄まじい臭気に、それぞれに口と鼻を覆い眉を顰めているが、それでも尚、匂いの原因となった物体から目を逸らす事が出来ずにいた。あまりにも異質過ぎたが故に。

 

 身の丈は180cmから2mの間ほどだろうか。身体は剛毛に覆われていて、猪と猿の合いの児の様な顔にはその醜悪な顔を上下に割るほど大きな口と、鋭く巨大な牙が生えている。白濁した獰猛そうな目。一見、骨格は人間と同じに見えるが、腕は膝まで伸びており、背骨は前傾しているし、膝の関節は四つ足の獣の様に後ろに曲がっている。足の大きさは、優に四十cmは超えるだろう。

 そして、その手足の先には、まるで猛禽類の様な巨大な爪が付いていた。

「ようく見ておけ、皆の衆。これが“罵苦”よ」

 

「バク?」

「うむ。罵倒の罵に苦痛の苦で、罵苦と書く。蚩尤とその眷属どもの総称だ。まぁ、夢を喰うという意味では、言い得て妙であろう。“これ”は、奴らの眷属なかの最下位に属する下級種の内、マシラと呼称される個体だ。まぁ、人間で言う所の兵卒だな」

「冗談でしょ……こんな小型の熊みたいなのが兵卒?ワラワラ居るって意味なワケ!?」

 

「見ただけでも、強靭な膂力(りょりょく)と俊敏性を有していると推察できますね。姉さま程の武人なら兎も角、兵士たちではどこまで対応できるか……」

「そもそも、この罵苦とかいう怪物どもは、私たち外史とやらで生まれた人間には近づく事も出来ない、と言っていたのではなくて?それなら、身体的に()する事が出来るかどうかなんて話以前の問題じゃないの」

 

 

「いや、良い知らせと言える程ではないかも知れぬが、この下級種に関してだけは、他の上位種――即ち、今や蚩尤のみとなった超級種、四凶と、それに比肩し得るごく少数の個体群を指す上級種、四凶の軍勢の部将格と言える中級種のように、外史の存在を吸収する事は出来ん。こやつらは、蚩尤が尖兵とする為に生み出す存在だからな。“生産性”と数をこそ強みとするが故に、中級種以上の罵苦が持つ個体としての性能には及ばぬ。尤も、それでも罵苦と言う種である事には変わらぬから、物理的な殺害と言う行為を以って人間を喰らいはするが」

 

「ふむ。と言う事は、この下級種と言う存在を相手取るだけであれば、少なくとも、我々にも罵苦の戦力を削る手段はあると」

「そうねん。あとは――」

 貂蝉が、おさげに結った揉み上げを弄びながら、気が進まなそうな様子で口を開いた。

 

「三国の中でも名の通った武人であれば、それだけ注がれている幻想が多いって事でもある。だから、中級種までなら、相手にしたとしても近づくだけで消えるなんて事は無いと思う。ただ、敵の個体差という不確定要素もあるし、“名の通った武人”の確実な線引きが出来る訳でもない。かなりの危険を伴うから、オススメは出来ないわん」

 

「そうか……」

 貂蝉の言葉に、蓮華が得心した様に頷いた。

「お前たちの話を総括すると、その“吸収”というのは、命脈を絶つと言う過程を省いているだけで、詰まるところは動物の捕食行為と同じと言う事なのだな?だから当然、個体別の摂取量も違うし、“獲物”が大物であれば、食べ切る事が出来ない場合もある、と」

 

 妹の導き出した見解に、雪蓮もポンと手と叩く。

「なるほどね~!直接、食い千切られたりする訳じゃないなら、ちょっとくらい“食べられちゃっても”何とかなる可能性もあるってコトかぁ」

「繰り返しになるけど、決してオススメしてる訳じゃないのよん、雪蓮ちゃん。相手の個体差にもよるから大丈夫だと確約も出来ないし、感覚的なものだから伝え辛いけど、吸収を受けると相当に体力を消耗するから、普段通りに戦えるとは思わない方が良いわ。怪我や病気じゃ無いから回復に掛かる時間も推測できないし、それになにより、上級の罵苦ともなれば、恐らく雪蓮ちゃんほどの英雄でもペロっと食べられちゃう筈よ」

 

「マジで?」

「大マジよん。だから、直接、中級種に挑むのは最後の手段だと思っておいてね。それに罵苦は、“吸収できる範囲”にも個体差があるの。範囲内の対象全てを吸収できるかは兎も角、小さな村や街なら全域を吸収の射程内に捉える出来る個体だって居るんだから、槍や弓どころか、目視すら難しい距離から攻撃される可能性だってあるってコトも忘れないで。絶対よ」

 

 

「分かったわよぅ。ちぇ、もしかしたら怪物を退治したって武勇伝が追加できるかと思ったのにな~」

「姉さま。お願いですから、軽率な行動は厳に、げ・ん・に!ご自重下さいますよう!!」

「分かっているってば、蓮華。冗談よぉ、じょ~だん!あははは」

 雪蓮が、蓮華のカマボコの様な目からの凝視に耐えられずに後ずさる様子に僅かに頬を緩めた華琳は、一連の話の本質が見え始めた事もあって、直ぐに表情を引き締めた。それと同時に、桃香が卑弥呼に質問を投げかける。

 

「あの、でも卑弥呼さん。どうしてこの怪物たちは、五胡の人達との国境にいたんですか?私たちをその……食べちゃうのが目的なら、もっと人が多い都市部とか、その周辺に来ればいいのに」

「うむ。中々に良い質問だぞ、劉玄徳よ。それは、五胡がお前たちの……いや、中華文明にとっての長年の敵対者であるからだろう。奴らは、この外史の狭間と似た、“あらゆる世界の外側にある場所”から、お主たちの世界へと侵入している。奴等の居る場所とお主らの世界を隔てている距離は、分厚いようでいて布絹一枚より薄いとも言えるのだ」

 

「つまり、アンタたちが私たちを城から此処に一瞬で連れて来たみたいに、ってコトよね?」

 雪蓮がそう言うと、卑弥呼は「その通り」と言って頷いた。

「だが、儂らと奴等には大きな違いがある。この外史の狭間もそうだが、我ら管理者は、言わば外史と呼ばれる多くの世界への扉を開ける鍵を持っているのだ。無論、無暗に外史と正史を繋げたりは出来ぬ。例外もあるにはあるが、乱用すれば外史どころか正史にまで影響を及ぼす事である故、極めて慎重に事を運ばねばいかんからな。しかし、外史と外史の間ならば、粗方は望む場所に出入りが可能だ」

 

「でも罵苦たちは、本来はアイツらを閉じ込めている筈の檻の隙間からコッチにやって来てるのよん」

 貂蝉が、大袈裟に困った様な顔を作って卑弥呼に代わる。

「その檻を作った側――まぁ、アタシたち管理者はって事だけど、二度と()ける心算なんか無かったから、外からも内からも絶対に(ひら)かない様に設計したワケね。だから、何で開いてしまったのかも分からないし、開け方も知らないのよ。作る時に、“開くと言う概念”すら組み込んでいなかった筈なんですもの。だから、その隙間の場所すら探せないのん。ここからはあくまでも推測なのだけれど――」

 貂蝉は、先程、卑弥呼が漁っていた荷物の山の前まで行くと、手ごろな高さに積み上がっている木箱に、無駄に色っぽい仕草で腰を下ろした。

 

「アイツらにとって、親和性が高い文化を有するこの外史は、比較的、繋げ易い場所ではあるけれど、それでも繋がったのは天文学的な確率の上での事の筈だわ。で、その精度をより高めて安定させる為には、更に自分たちに有利な概念で上書きするしかなかったんだと思うのん。つまり、この外史の人間であれ、正史の人間であれ、その多くがこの時代の中華文明に於ける『外からの侵略者』として認識し、実際にそう位置付けられている存在で、ね」

 

 

 

「うぅん。自分で訊いておいてなんだけど、イマイチよく分かんないよぉ。皆は分かる?」

「そーねぇ、感覚的には何となく掴めた感じではあるけど、噛み砕いて説明しろって言われるとぉ……」

 雪蓮が視線を彷徨わせて頭を掻きながらそう言うと、蓮華はその横で溜息を吐いた。

「上手い言い回しで逃げましたね、姉さま」

 

「ゔっ。そ、そう言う蓮華はどうなのよう!」

「さぁ。罵苦にとっては、五胡の存在なり土地なりに近い場所の方が入り込みやすい、と言う事くらいしか」

「ぶーぶー!結構、分かってるんじゃないよぅ!」

「その理由までは、貂蝉の説明を聞いても分かりませんでした。これでは、理解しているとは言えませんよ」

 

「どぅふふ。それだけ分かって貰えれば十分よん。まぁ、五胡と自分達の立ち位置を被せる様にしたって事なの。劉備ちゃんも、それだけ分かってくれてれば良いからね?で、入り込んだアイツらが今、何をしてるかと言うと――」

「敵地への侵攻経路が限定されるのならば、当然、適切な土地を偵知して、運搬量の限られるであろう兵員と物資を集積する為の策源地の確保でしょう。そうして敵地に斥候を放って警戒しつつ、更に偵知の手を広げ、最適な場所に防衛陣地か、出来得るならば堅牢な軍事拠点を建設。それを以って安定した補給線の構築を確実にする。定石だと、こんなところでしょうね」

 

 華琳の些かの淀みもない回答に、貂蝉は微笑みながら頷いた。

「そうねん。多分、アタリだと思うわん。問題は、その基地がワタシ達でも探し出せるかどうか分からないって事よ」

「そういう技術が、罵苦にはあるのか?」

 

 今度の蓮華の問いに応えたのは、姬大人だった。

「ある。尤も、出来るのはそれだけでもないがの。超級罵苦である蚩尤と一部の上級種は、剪定者に直接生み出された存在じゃによって、剪定者が外史に影響を及ぼす時に使役する術を成す力を与えられておるのじゃ。剪定者と同等の器用さで使えるかは兎も角としてな」

 

「やれやれね。つくづく、よくもそんな面倒なものを作ってくれたものよ」

「全面的に同意させてもらうよ、お嬢さん」

「で、罵苦が五胡の――そうね。北方高原の何処かに拠点を作ったとしましょう。で、その周囲を“領土”にしている確率は、どの程度なのかしら?」

 

 

「ま、物理的にか魔術的にかはさておき、自分たちが縄張りと定めた地域に不用意に近づかせない位の手は打っておろうが――領地と言われれば、まず可能性はあるまいよ」

「断言できるだけの理由は?」

「食い物がが欲しければ、そこいらをうろついている獲物を喰えばよい。家畜が欲しいなら、同じくそこいらをうろついているのに縄かけて連れ帰り、そのまま使い潰せばよい。奴らにすれば、わざわざ貴重な資材と人員を割いてまで領地などと言うものを整備する意味など、さしてないのじゃよ。そもそも、最終的には全て滅ぼす心算なのだから、経済活動なんぞ頭の隅を掠めもしまいて」

 

 質問を投げた華琳だけでなく、その場に居た管理者以外の五人は、姬大人の言葉に慄然として、ただ彼の深い皺の刻まれた顔を見詰める事しか出来なかった。

 それから暫くの沈黙の後、やはり最初に脳細胞が活動を再開したらしい華琳が、小さく咳払いをする。

「見苦しい所をお見せしたわね。失礼」

 

「いや、気にしてはおらぬよ。寧ろ、戦争の本質を十二分に熟知しておる其方らに、平然と今の言葉を受け取られる方が困るわい」

「えぇ。でも、そう。そこまで本質的に違うのね」

「うむ」

 

 華琳は尚も内心で怖気を振るって、思わず唾を飲んだ。彼女は――曹操孟徳は、根っからの政治家だ。肩書が刺史であろうと牧であろうと王であろうと――結局、華琳にとって侵略という行為は、常に手段以上のものでは有り得なかった。

 確かに武人でもあるから、特定の敵、特定の戦場に、感慨や執着を持つ事は無論ある。しかし、兵を損なわずに領地やその地の経済市場や資源を丸々と掌中に出来るなら、迷わずそちらを優先するだろう。

 

 桃香ほど臆面もなく口に出来る程の鉄面皮ではないが、有体に言ってしまえば、華琳が侵略と言う行為の先に目指していたのもまた、『戦争のない豊かで平和な国』なのだから。

 『そこ生きている命を(すべか)らく刈り取る事以外の目的など一つとして存在しない』などという形の“侵略”など、聞いた事も考えた事もない。いや、それは最早、華琳の知るどんな戦争行為にも当てはまらない悍ましさを秘めていた。

 

「さて。いよいよ、核心に近づいて来たわね。神仙じみた連中が接触してきて、天の世界――正史と、私たちの世界である外史の関係を明かし、古に存在していた怪物の存在と、それを封印した正史の英雄の話をして、その伝説の怪物が蘇ったと警告を与えられる。そして、怪物の特性上、外史の人間である私たちでは、例え各国の主力をぶつけたとしても敵の部将級を討ち取れるかどうかすら博打の範疇であり、あまつさえそいつらは、こうして居る今も、私たちの世界に深く静かに爪をくい込ませつつある。と説明を受けた――もう後に残されているのは、抜本的な解決策の提示くらいだと思うのだけれど?」

 

 

「うむ。流石は曹孟徳よ」

 卑弥呼が厳めしい表情でそう言うと、華琳は別段、嬉しくもなさそうな笑みを浮かべてみせる。

「それはどうも」

「では、暫し待て。“これ”を片付けてしまうとしよう――むゥん!!」

 

 卑弥呼は、おもむろに罵苦の死骸の足首を掴むと、そのままノーモーションで盛大に柵の外、即ち漆黒の空間に向かって放り投げた。皆が同時に空気が清涼になった事を感じて、密かに深く呼吸をする。

「大丈夫なのかよ、卑弥呼。あれ、不法投棄になんないのか?」

 一刀が訝しそうに尋ねると、卑弥呼は無駄にダンディに肩を竦める。

 

「なに、罵苦は本来、生命活動を停止すれば泥となって消滅するのだが、今回は皆に実物を見てもらいたくてな。我が術を以って、無理やり原型を留めておったのだ。だが、そのせいで、随分と臭ってしまったわ。場合によっては有効とは言え、やはり、(かばね)をどうこうする術は好かん」

 卑弥呼はそう言ってパンパンと手を叩くと、一刀たちに向き直る。

 

「さて。解決策の話なのだがな。恐らく、口にした曹孟徳には見当がついていようが、鍵となるのはご主人様、其方だ」

「―――はぁ?」

 一刀は、まったく予想していなかった答えに思わず間の抜けた顔をして、卑弥呼の顔をまじまじと見つめた。

 

「俺が?本当に?」

「うむ」

「いやいやいやいや!“このレベル”の人達でどうにもならないバケモンなんて、俺にどうにか出来る訳ないだろ!?」

 

「ちょっと、一刀。指差さないでよ指!しっつれいしちゃうわね!」

「あ、ごめん雪蓮。だってさぁ……」

 一刀が、グイと力強く親指で指さされてお冠の雪蓮に詫びを入れると、華琳が溜息交じりに首を横に振った。

「今までの話を聞いていれば、予想ぐらいは付きそうなものでしょう。私たちの世界と深い関わりのある天の国の人間なんて、差し当たって貴方しか見つかっていないのだから」

 

「いやだってさぁ……華琳だって、俺が一対一で化け物の相手なんて出来ると思ってないだろ?」

「それをどうにか出来る様にする方法を、これから卑弥呼が話してくれると言ってるのではなくて?」

「ぐぬぬ」

「なにがぐぬぬよ。まったく、これで本当に黄帝の再来になんてなれるのかしらね」

 

 

 眉を八の字にした華琳が溜息を吐きながらそう言うと、一刀は訝しそうに華琳の顔を見返した。

「コウテイだって?」

「ええ。三皇五帝を知っているなら当然、蚩尤の名も黄帝の事も知っているでしょう?」

「ああ。確か、三皇の最後――神農の一族から統治を受け継いだ、五帝の内の最初の人だよね。蚩尤を退治したのも、確か黄帝だって」

 

「その通り。姬大人の話を聞く限り、黄帝こそが『正史に生まれながら外史の力を使役した英雄』、と言う事になるわ。つまり――」

「ご主人様にも、同じ事が出来るってこと!?」

 華琳の言葉尻を奪うように驚きの声尾を上げた桃香に、華琳は肩を竦めてみせた。

 

「さぁ?私は今まで聞いた話から推論を述べているだけですもの。訊くならこの三人にお訊きなさいな」

 華琳の言葉に、その場に居た全員の視線が三人の管理者たちに注がれた。

「そうさな――」

 その視線を受けた卑弥呼が、目を閉じながら答える。

 

「結論から言ってしまうと、現段階では無理だ」

「えええ!?ちょっと何よそれぇ!メチャメチャ期待させといて!」

 雪蓮が、気の抜けた声を上げると、卑弥呼は気まずそうに咳払いをして、右の掌を雪蓮の前に突き出した。

「まぁ、待て。孫伯符よ。“現段階では”と言っておろうが」

 

「では、方法はあるのだな?」

 蓮華は僅かに安堵の息を吐いて尋ねると、卑弥呼は大きく頷いた。

「うむ。だが、今のご主人様では、膨大な幻想の力が|齎《もたら》す身体と精神への負荷に耐えきれず、圧し潰されてしまうだろう――神話の怪物との闘い得る強靭な肉体、どれほど強大で邪悪な敵意にも臆さぬ鋼の意志、与えられた力を十全に使いこなす為の智謀と(わざ)。どれが欠けても、幻想の力をその身に纏う事は出来まいよ」

 

「なぁんだぁ!」

 卑弥呼の言葉を聞いた雪蓮が、ほっとしたように陽気な声を上げる。

「なら、解決したも同然じゃない!此処から帰ったら、私たち全員で一刀を徹底的に鍛えて上げれば――」

「それじゃダメなのよ、雪蓮ちゃん」

 

 

 貂蝉が、悲しそうに首を振る。

「へ、なんで?」

「今この外史に居るご主人様は、必要とされる意味での英雄じゃないからよ」

「そんな事ないよ、貂蝉さん!ご主人様が居なければ、私たちはこうして、みんなで仲良く平和な時代を手に入れる事なんて出来なかった!そうだよね、蓮華ちゃん、華琳さん?」

 

「あぁ、勿論だ!」

「…………」

「華琳さん?」

 桃香は、一人目を閉じ、|頤《おとがい》を拳に乗せて黙考する華琳を不安げに見遣った。

 

「恐らく――」

 華琳はそう言って目を開き、桃香を見返す。

「そういう事ではないのよ、桃香」

「え?」

 

「先程、姬大人が仰っていたでしょう?一刀は私たちに取っての呂尚であり、蕭何と曹参であると」

「うん、それが?」

「では彼らは、『自分こそが乱れた世を救うのだ』と天下に名乗りを上げ、旗頭として勢力を起こした?」

「それは違うけど……でも、みんな凄い功績を残した英雄じゃない!」

 

「貴女に言われずとも、そんな事は知っているわよ。一応、曹参は私のご先祖なのよ?」

「あ、う……そうだよね。ごめんなさい……」

「別に怒っている訳ではないわ。いいかしら、桃香。これは一刀の才とか人格の話ではないし、その功績の話でもないのよ」

 

 華琳は、俯いてしまった桃香にそう言って、少しバツの悪そうな視線を投げて溜息を吐く。

と、桃香は顔を上げ、困惑した眼差しで華琳を見る。雪蓮と蓮華も、華琳の話の続きを無言の内に促した。

「いいこと?呂尚も、蕭何と曹参も、“救国の志を掲げた英雄に付き従った結果として英雄になったの”。そして、“私たちの所に落ちて来た一刀の役割”は、正にそれよ」

 

「うん。分かるよ、華琳の言ってる事」

 今まで、どこか静かな思考の波の中で皆の話を聴いていた一刀は、そう言って小さく頷いた。

「だってさ。俺、桃香に会った時には、桃香の『苦しんでる人たちの事を助けたい』って言う気持ちに応えたかっただけで、世の乱れなんてものを嘆ける程この世界で過ごした訳じゃ無かったし、華琳の時には、兎に角ごはんを食べさせて貰うんだから役に立って捨てられないようにしないとって、最初はその一心だった……勿論、直ぐに華琳の夢を支えたいって思ったけどね。で、呉に拾って貰った時はその――」

 

 

「あはは……まぁ、母様に半ば否応なしでって感じだったもんね~」

 一刀は、そう言って気まずそうに頭を掻く雪蓮に、微笑みを返した。

「正直、当主が雪蓮でも大して変わってなかったとは思うけどなぁ」

「ちょ!どういう意味よぅ、一刀!?」

 

「言葉通りの意味では?姉さま」

「むむむ……で、でも、蓮華の代だったら、きっと『こんな怪しいヤツ切り捨てろー!!』ってなってたじゃない!」

「うっ!?そ、それはその……まぁ確かに、初対面の時は一刀に良い印象を持ってはいませんでしたが……!!」

 

「まぁまぁ、二人とも。もういいだろ、な?」

「んもう、元はと言えば一刀が――はぁ、良いわよ~だ」

「すまない、一刀。つい何時もの調子で……」

「うん、それでね?考えたんだけど、結局のところ俺は、自分の意志でこの国の腐敗とか、苦しんでる人をどうにかしたいとか感じて戦い始めた訳じゃないんだよ。殆ど選択肢の無い状態で皆と出逢って、皆に着いて行ってさ?その結果として皆に共感したから、自分なりに頑張ってみただけで。そんな半端なヤツに、たった一人で世界を滅ぼす力を持ってる怪物と戦うなんて、出来る訳がない」

 

「ご主人様はちゃんと凄いよ!」

 一刀の言葉を自嘲と思ったのだろう。桃香は目に涙を溜めて、一刀を睨む様に見つめた。

「そんなこと言ったら、私はどうなるの?愛紗ちゃんと鈴々ちゃんが居てくれなければ、小さな村を荒らす位しか出来ないような盗賊すら退治できなかった。折角、良い私塾に入れて貰ったのに、『今の世は間違ってる』って分かっていながら、ただ故郷で筵を織る事しか出来てなかった私は……」

 

「それこそ、“そんなこと言ったら”だよ。桃香」

「え?」

「愛紗がね、前に教えてくれたよ。初めて桃香と出逢った時の事」

「愛紗ちゃん達と初めて逢った時……」

「桃香はたった独りで、後ろに戦えない人たちを背負って、百人もの盗賊に剣を抜いて立ち向かっていたって。凄く、眩しく見えたって」

「そんな事……あの時だって、愛紗ちゃんと鈴々ちゃんが居なければきっと――」

「愛紗はこうも言ってた。『自分たちには、目の前の百人の盗賊を倒す力はあったけど、それで満足していただけだった。でも桃香は、自分に力が無い事をちゃんと分かってて、世を正す為に立ち向かわなければならない敵がどんなに強大かも分かってて、それでも戦おうとしてた』って。だから惚れたんだ、ってね」

 

 

「うぅ、愛紗ちゃん、美化しすぎだよ……」

「腕力や智謀があるかどうかじゃない。桃香は、自分自身の志の為に世界を相手に戦おう思えたからこそ、英雄になったんだ。俺なんかとは、モノが違うんだって」

「だって……じゃあ、如何したら良いの?私どころか、三国の誰にもどうにも出来なくて、ご主人様でもどうにも出来ないなら……どうしたら皆を守れるの?」

 

「うん、桃香。だからね――」

 一刀は、大きく息を吐くと、唇を噛み締める桃香の両肩に、自分の手を置いた。

「俺は、自分の世界に戻ろうと思う」

「…………え?」

 

 茫然と一刀を見詰める事しか出来ないでいる桃香に代わって、蓮華が桃香から引き剥がす様に一刀の腕を掴んで自分と向き合わせると、両手で襟を掴み上げる。

「一刀、まさか、臆して逃げ帰るなんて言うつもり!?貴方は――お前は何時からそんな腰抜けになった!華琳、姉さま、一刀に何とか言ってやって下さい!」

 

「不思議なものね」

 一刀の言葉を吟味する様に瞠目していた華琳はゆっくりと目を開き、微苦笑を浮かべて雪蓮を見遣る。

「貴女たち一族の中で、追い詰められると最も激しやすくなるのが、普段は一番冷静な蓮華だと言うのは」

「真面目過ぎるからね~。普段ちょこちょこ発散しないから余計なのよ」

 

 雪蓮は、華琳の言葉に同じ様に微苦笑で返して肩を竦めてみせた。

「な――二人とも何を!?」

「良いから落ち着きなさいって、蓮華。一刀は一言も『帰る』なんて言ってないでしょう」

「そんなもの、言葉の綾ではありませんか!」

 

「あぁ、いや。ごめんな、蓮華。言い方が悪かったみたいだ。桃香も、驚かせちゃったみたいでごめん」

 一刀は、自分の襟を掴んでいる蓮華の両手を自分の両手で包み込むと、この強張りを揉み解す様に、親指を使って優しく撫でた。

「逃げたりなんかするもんか。皆を置いて、逃げたりなんか……」

 

 一刀は、一度だけ強く蓮華の手を握り返し、意志の力を総動員してその温もりを手放した。

「でもきっと――今、皆を救う為に出来る選択は、これだけみたいなんだよ、蓮華、桃香」

 一刀は、まだ一刀の言葉の意味を理解できていない様子の桃香と蓮華の肩に、左右の手を一つずつ乗せた。

「…………そうなんだろ?姬大人、卑弥呼、貂蝉」

 

 

 一刀は、それぞれに自分を見詰める愛しい少女たちへの未練を振り切る様に目を閉じてそう言うと、一呼吸を置いてから静かに瞼を開いて、三人の管理者たちに向き合った。

「その通りだ」

 卑弥呼が、感情を殺した声でそう答えると、貂蝉が寂しそうな顔で言葉を継ぐ。

 

「今のご主人様は、“乱世を鎮める為に使わされた者”。救国を志す英雄たちの天祐となり、導き支えるのがその命題。このまま、この外史でどれ程の努力を重ねても、ご主人様がこの外史に招かれた存在根拠(レゾンデートル)であるその一点だけは、変える事が出来ないのん」

「もし、その天命を覆す事が出来るとすれば、手段はただ一つ――」

 

 姬大人は、そう言って、一刀の目前にまで歩み寄り、静かに少年の目を見詰めた。

「“乱世を鎮めたる天の遣い”として、使命を終えてこの外史を去り――“この外史を邪悪より救済せんとする天の遣い”として、外史に己の意志を示して縁を繋ぎ、再臨するより他にあるまいよ」

「はい。そうなんだろうって、思ってました」

 

「甘言を(ろう)するような真似はせん。如何な黄龍の器を宿す身と言えど、一度、閉じた外史の扉を己の力で抉じ開けるなどと言う事は――正史に生受けたる者が、己から外史に対し、我こそは救世の英雄たらんと認めさせるなどと言う事は、並大抵の努力では叶わぬぞ。必ず戻れるとも、戻れるとしてそれが何時になるかとも、確約はしてやれぬ。それでも尚、全てを投げ打つ覚悟で以って、正史に戻ると言うのだな?」

 

「俺は、皆に助けてもらわなければ、この世界で一人で生きてく事も出来ない半端者です。最初も今も、それは変わってないと思う。だけど――」

 一刀は、言葉を選びながらそこまで口にして、一度だけ自分の背中を見守っていた四人の少女たちの顔を見る為に振り返ると、再び姬大人に向き直った。

「だけど、だからこそ。彼女たちが俺を信じてくれるなら、どんな事でも成し遂げてみせます」

 姬大人は、決然としてそう言い放った一刀の瞳を見返して、微笑を浮かべた。

「宜しい。で、あれば、我らは其方に出来得る限りの助力を惜しまぬ。良いな、貂蝉、卑弥呼よ」

「うむ。それでこそ日本男児よ。流石はご主人様ぞ」

 

「ええ。アタシのオトコを見る目に狂いはなかったわん、ご主人様」

「ありがとう。宜しくお願いします」

 一刀は管理者たちに深く頭を下げると、気合を入れる様に短く息を吐いてから踵を返した。

「そう言う事になったよ。みんな」

 

 

「何が『そういう事になったよ』よ。まったくもう、国の――いいえ、世界の大事を独りで決めちゃって!」

 雪蓮が頬を膨らませてつかつかと一刀に歩み寄る。

「でも――」

 雪蓮は、どこか静かな光を湛えた一刀の目を覗き込んでから、ポンと一刀の二の腕を叩いた。

 

「それでこそ、私の一刀よ。ほら、蓮華?」

「一刀……」

 姉に促された蓮華は、唇が無くなってしまうのではないかと言うほど強く口を引き締めて、ゆっくりと進み出た。

 

「帰って……来るのよね?」

「勿論。俺の家は、皆の居る場所だからね」

「…………うん。分かったわ」

 蓮華は一刀の言葉を聞いて漸く僅かに微笑むと、半身をずらして、魏の覇王と蜀の大徳が並び立つ場所へ、一刀に道を譲った。

 

「華琳」

 一刀は、腕を組んで静かに一刀を見詰める覇王に声を掛ける。

「なにかしら?」

「留守の間、皆を頼む」

 

「良いわ……ふん。詫びなど言ったら、引っ叩いていた所よ」

「ははっ。そうだと思ってたよ――ありがとう」

「知っているでしょう。私が望むのは、口だけの謝意などより結果よ」

「あぁ。力を尽くすよ」

一刀は、鼻を鳴らして視線を逸らし、会話の終わりを宣言した華琳に苦笑を向けてから、桃香に向き直る。

「桃香。暫く里帰りして来るよ。土産は何が良い?」

「そうだな、ええとね――カッコ良くなったご主人様!!」

「おいおい、今でも十分カッコいいだろ?俺は」

 

 一刀が拗ねた様な顔を作ってそう言うと、桃香も何時もの様に笑って見せてくれる。

「あはは!うん、そうだね。じゃあ、元気で帰って来て?私はそれで――ううん。それが良いな」

「あぁ、任せろ。桃香ほどじゃないが、俺も図太さには自信があるからな」

「もう、ヒドいよご主人様!折角、私が良いこと言って上げたのに!」

 

 

 一刀は桃香と顔を合わせて一頻(ひとしき)り笑い合うと、また管理者たちに向き合った。

「あー、このまま行かなきゃ駄目なのかな?」

「この卑弥呼、そこまでの無粋は言わぬわ。別れの時間くらい、ちゃんと用意する」

「そうねん。ご主人様は、お別れを言わなきゃいけない()が多いものね♪」

 

 卑弥呼と貂蝉が、漸く何時もの調子に戻ってそう言うと、姬大人も微笑みながら頷いた。

(まつりごと)の引継ぎもあろう。一月ほどは待とうぞ。しっかりと別れを済ませて来るがよい」

「感謝します」

「んじゃ、また私が送って送って上げるわん♪行きましょ、みんな!」

 

 貂蝉は、姬大人に向かって頭を下げていた一刀の背中を叩くと、スキップを踏んで王たちの間を抜け、広間への階段を登って行く。

「まったく、締まらないと言ったら無いわね」

「まぁまぁ、華琳。貂蝉もアレで気を遣ってくれてるんだって」

 

 呆れ顔の華琳とケラケラと笑う雪蓮がそれに続く。

「じゃあ、私たちも行きましょうか」

 蓮華がそう言うと、桃香が頷いて一刀の手と取る。

「そうだね!ほら、ご主人様も早く早く!ご主人様のお里帰りまでに、やらなきゃいけない事が山積みなんだから!」

 

「あぁ。そうだな。本当に、天の遣いともなると、里帰りだけでも一苦労だよ」

 一刀は、二人に精一杯の笑顔を向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと、五人は“外史の狭間”に連れて行かれたのと同じ場所に並んで立っていた。

「やれやれ、お茶の時間に関しての約束は守った様ね。律儀だこと。生憎と、今日の予定は変更しなければならない様だけれど」

 華琳が空を見上げ、太陽の位置が殆ど変わっていない事に、僅かに苛立った様に唇の端を歪める。

 

 

「え――でも、結構な時間、“あっち”に居たよね、蓮華ちゃん?」

「あぁ……そう言えば、あの場所は時間が流れていないとか言っていた様な気がするが、まさか……」

「まさかも(まさかり)もないでしょ。あの場所で聞いた事と見せられたものの事を鑑みればね。大体、太陽は、疲れたからって一休みなんかする訳ないんだもの」

 

 雪蓮の言葉を吟味していた桃香は、突然ハッと顔を上げた。

「それじゃあ、あの場所に居れば、お婆ちゃんにならなくて良いって事かな!?」

「!?――確かに!!」

 蓮華も、桃香の言葉の意味に気が付いて大声を上げ、ごくりと喉を鳴らした。

 

「例えそうだとしても、私なら、あの連中と四六時中、顔を合わせ続けなきゃいけないなんて、不老長生と引き換えにしてでも御免被るわね。と言うか、永遠に顔を合わせ続けるのが不老長生の条件、と言う事になるのでしょうけれど」

 華琳がそう言うと、桃香と蓮華は揃って息を詰まらせて乾いた苦笑を浮かべ、言外に華琳への同意を示した。

 

「第一さぁ、好きな時に行ける訳じゃないんだし、そんな考えたって無駄よ無駄。それより今は、これから一月の段取りを考えるのが先だってば!ね、華琳」

 雪蓮が、桃香と雪蓮に微苦笑を向けてから、表情を引き締めて華琳に水を向ける。

「そうね。差し当たりはこうしましょう。私が今から城の執務室に一刻(約二時間)から一刻半ほど籠り、この件に関して、参軍(幕僚)格の将たち全員に対し発布する為の草案を纏めるわ。私からの使いが各々に知らせに行ったら、一刀の執務室に集まってそれを推敲する。皆はその時までに、各国の軍師から代表を二・三名選抜し、事情を説明して同行してもらう手筈を整えておいて。今は、一刀の天への帰還に関して、どれだけ混乱を抑えながら周知させるかと言う事を、最優先かつ最速で考える必要があるから、この際、罵苦への対応を主に担当してもらう事になる武官への説明は、後回しにさせてもらいましょう」

 

 蓮華は華琳の言葉に頷きながら、腕組みをして思案顔をする。

「いずれにせよ、罵苦に関する情報の開示は、せめて奴等の目撃談が衆目の口に昇る位になるまでは、参軍級のみに制限して箝口令(かんこうれい)を敷くべきだろうが、特に五胡と国境を隣する魏と蜀には、いずれ守将と細作(さいさく)の量を増やして警戒してもらう事になるだろう。その時に手が足りない所があったら、遠慮なく言ってくれ。適材の将と麾下の兵を出向させよう。各国の軍師たちには、今の内にその点を了解して貰っておいた方が良いだろう?」

 

「うん。ありがとう、蓮華ちゃん!」

「気遣い、感謝するわ、蓮華。では、取り敢えずは解散としましょうか。一刀、蜀の軍師への根回しは桃香に任せて、貴方は執務室で三国の将たちの日程を集めて目を通しておいて。これからの一月は、過密な日程で動かないとならないでしょうから、しくじれば取り返しがつかないわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから約一月後の夜。

 城の庭園では、紐を通して列になった色とりどりの提灯が灯され、その下に設えられた多くの卓には、三国中から集められた珍味や料理自慢たち渾身の御馳走が山と置かれていた。

 大いに歓談する諸将たちの間を、董卓こと月、賈詡こと詠、孫乾こと美花の三人の指揮の元、大量の杯の乗った盆を持った大勢の侍女たちが、忙しなく行きつ戻りつしている。

 

 そんな中、一通り皆との挨拶と杯を酌み交わしての歓談を終えた一刀は、庭園の端に植えられた木の幹に背を預け、愛おしそうに宴の光景を眺めていた。

 目に、焼き付けておきたかった。

 どれ程の間、そうしていたのか。

 

 一刀は、静かに木の幹の裏手に回り込んでから、足音を消して、ゆっくりと目的の場所――つい昨日の事の様に感じる一月前、貂蝉が自分達を異界へと誘った林へと歩き出した。

 そして、宴の音が遠のき始めた頃、一刀は少しの間だけ足を止めて、耳を澄ます。

「(あぁ、皆が、笑ってる……)」

 

 その音色の、何と愛おしく美しい事だろう。

 一刀は、喉が痛み出した事で自分が泣き出しそうになっていると自覚し、顔を挟み込む様にして、思い切り両手で自分の頬を張った。

「しっかりしろ、北郷一刀!!今まで、散々、守って貰って来たじゃないか!今度は、お前が皆を守る番だろ!」

 食いしばる様に自身に向かってそう言い聞かせると、一刀は再び前を向いて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良いの?行かなくて」

 妹の蓮華と朋友の周瑜こと冥琳を引き連れた雪蓮が、如何にも世間話でもする様な口調で、一刀が消えて行った木の陰を眺めていた華琳に、そう問い掛けた。

「もう別れは済ませてあるもの。それに――」

 華琳はそう言い掛けて、ふいと視線と移す。呉の面々が倣うと、そこには、今まで華琳が見ていた場所を眺める、桃香、関羽こと愛紗、張飛こと鈴々の姿があった。

 

 桃香と愛紗は、木陰を一身に見詰めながらも、二人の間に立っている鈴々の両肩にそれぞれの手を置き、遠目にもそうと分るほど、強く力を込めている。鈴々の強靭な脚が、今にも義兄を追って駆け出そうと大地を踏みしめているからだった。

 だが、鈴々自身も頭では、それはしてはいけない事だと理解しているのだろう。目に決壊寸前まで涙を溜めて、黙したまま、義姉たちと同じ場所を見詰めている。

 

「『死ぬ時は共に』と誓ったあの三人が耐えているのに、私が抜け駆けなんて出来る訳がないでしょう」

 華琳が僅かに目を細めてそう言うと、雪蓮は皮肉が同情か判然としない眼差しで華琳を見て言った。

「へぇ。魏の覇王様ともあろうものが、そんな遠慮をするなんてね」

「前に、人相見に言われた事があるの。私はね、雪蓮。『治世の治世の能臣、乱世の奸雄』なのだそうよ」

 雪蓮は一瞬、ポカンと口を開けて華琳をまじまじと見つめてから、優しく微笑んだ。

「そっか、もう乱世は終わっちゃったもんね――だ、そうだから、蓮華、冥琳、私たちも我慢しなきゃいけないみたいよ?」

「ふん、最初から思ってもいない事を良くも言う」

 

 冥琳が呆れた様に肩を竦めると、蓮華も頷いた。

「ええ。本当に、姉さまは直ぐにそうして、偽悪家を気取るのですから。それに――」

 蓮華は言葉を切って、周囲に目を遣る。すると、今まで下世話な四方山話(よもやまばなし)で盛り上がっていた酒豪たちは喋るのを止め、各々の盃に満たされた液体に視線を落として、口の運ぶでもなく手の中で弄んでいるし、手合わせの順番を決めようと怪気炎を上げていた腕自慢たちは、得物をぶらぶらとさせながら、歯を食いしばって夜空を眺めていた。

 

 

 芝生に円座になって軍略談義に興じていた軍師たちは、思い思いの方向を眺めて呆けているようでいて、膝の上に乗せられた両手は、強く拳に握り締められている。

山と積み上げられた酒樽の影では、とうとう堪え切れなくなって嗚咽を漏らし始めた月を、同じく目に涙を溜めた詠が、強く抱き締めながら必死に慰めていて、美花はその横でピンと背筋を伸ばし、肘をしっかりと張って両手を下腹の辺りで組む一流のメイド然とした姿勢を維持して、一刀の消えた先に向かって、深々と頭を垂れていた。

 

 彼らだけではない。会場に居る誰もが、その中心で笑っているのが当たり前だった筈の存在が満たしていた何がが、突如ぽっかりと無くなってしまった事に気付いていて、各々がその状態に自分を適応させようと、必死になっているのだ。

「皆、想いは同じだからな」

 

 蓮華の言葉に、彼女の視線を追って会場を眺めていた三人は、静かに頷いた。

 

 

 

 

 

 

「よし、此処だよな」

 一刀はそう独り言ちてポケットをゴソゴソと漁ると、何かを取り出した。

 開いたその手には、複雑な文様が刻まれた小さな石板が乗せられている。

「(此処でこれを握って、目を閉じてゆっくり三十数える……)」

 一刀は、貂蝉に教わった通りに数を数えて、とうとう三十を刻み、ゆっくりと目を開けた。

 するとそこには、一月前に見たままの、空間を満たす漆黒と行燈と橋と階段と言う組み合わせの光景が広がっていた。一刀は一人、頭上の漆黒を見上げ、込み上げて来た心細さを振り払う様に、武者震いを一つすると、視線を前方に戻す。と、そこには以前と同様に、忽然と貂蝉が姿を現している。

 

「はぁい、ご主人様。もう、お別れは済んだの?」

「あぁ。ありがとう、貂蝉。ちょっと遅くなったのに、待っていてくれて」

「どぅふふ、良いのよ。ご主人様は、一度、口に出した約束は守るヒトだって、ちゃんと分かってるものん♪さ、行きましょ」

 

 

 

 

 一刀は、前回と同様に階段を上がっていく貂蝉の背中を追いながら、気になっていた事を尋ねてみようと思い、声を掛ける。

「なぁ、貂蝉。俺、思うんだけど、今から死に物狂いで鍛えたとしてさ、一年や二年、鍛えてどうにかなるもんじゃない筈だよな?」

 

「えぇ。そうね、多分」

「じゃあ、もっと長い時間が掛かったとして、罵苦たちの侵攻が本格化するまでに間に合わなかったら……」

「大丈夫よ、ご主人様。ちゃんと牽制策は講じているし、ヤツ等にとっても失敗できない初手ですもの。均衡は、そう簡単には崩れないわ。でも、そうね。時間の事で言えば、前にも言ったと思うけど、この“外史の狭間”は、時間の流れの外にある場所、外史と正史を繋ぐ中洲なのん。あの娘たちが居る時はこんがらがると思って言わなかったけど、ご主人様になら“特異点”と言った方が簡単かしらね?だから此処を経由すれば、正史での時間の流れの誤差を無視して、目的の外史の好きな時間と場所を指定して飛ぶ事が出来るのよ――本来はね」

 

「じゃあ……」

 一刀が思わず立ち止まると、貂蝉もその気配を察して足を止めて振り返った。

「えぇ。ご主人様を待ってる間に、他の外史に飛んでみて確かめたから間違いないと思うんだけど、罵苦、或いは罵苦の本拠地という、()わば違法な特異点から不法介入を受けているせいで、時間軸の操作が完全には出来ない状態なのよ。(いかり)を落とされてるようなものね。とは言え、全く出来ない訳ではないから、そこまで心配はいらないわよ。ただ――」

 

 貂蝉は、暫く逡巡してから、階段に腰を下ろして脚を組み、溜息を吐いてから口を開いた。

「私たちに操作する事が出来るのは、“外史の時間だけ”なの。この意味は分かるかしら?」

「うん――」

一刀としても、薄々は察していた事ではあったが、それでもはっきりと明言されるのは気が重かった。

「なら、ちゃんと言うわね。私たちには、“正史でご主人様が過ごした時間の経過”までは、どうにもならないわ。それはつまり、精神的にも肉体的にも、って事よ。ご主人様が無事に此処に帰って来れたとしても、今と同じ状態には戻して上げられない――ごめんなさいね。こんな土壇場で言う事になっちゃって」

 貂蝉が恥じ入る様にそう言うと、一刀は微笑みと共に答える。

 

「気にするなよ、貂蝉。察しはついてたし、それでも行くって決めたんだから。でもさ、俺も頑張るから、出来るだけ早く迎えに来てくれよな?」

 貂蝉は、その言葉を聞いて、穏やかな目で頷いた。

「モチロンよ。ご主人様。あなたが、この外史を救うに足る力を得る事が出来たなら、その時は、アタシが必ず迎えに行くわん」

 

 

「あ!ただ、さ。皆には、今、話した事を伝えておいて貰えないか?帰って来れた時にさ、びっくりさせちゃうのは嫌だし……」

「ふふ、そうねん。分かったわ。あちらに戻る機会にちゃんと話しておくから、安心してちょーだい」

 そんな会話を終え、再び貂蝉と共に階段を登り切った一刀が広間に辿り着くと、卑弥呼と姬大人が一刀を持っていた。

 

「よくぞ来た、ご主人様」

「準備は良いのじゃな?」

 一刀が頷くと、姬大人は背広の内ポケットから鍵を取り出し、この前とは反対の面にある扉の前に立って鍵穴に鍵を差し込むと、ガチャリと音を立ててそれを回して、一刀の為に場所を開けた。

 

「良いか、ご主人様」

 卑弥呼は、一刀の肩に手を置くと、力強くポンと叩いた

「どんな時にも、恐れず前に進むがよい。救世の器となりうる資格があったればこそ、お主は外史に引き寄せられたのだから。天より与えられたその器を磨かくのだ。お主の宿星たる黄龍とは、その命運を以って因果を断つ星ぞ」

 

「うん、やれるだけやってみるよ。ありがとう、卑弥呼」

 一刀は卑弥呼にそう返事をすると、姬大人が開けてくれた場所――扉の正面に立ち、姬大人の方を見て小さく頷く。そして、姬大人が姬大人が頷きを返してくれたのを合図にドアノブに手をかけ、それを回して扉を押し開いた。

 光が、広がってゆく。

 

 一刀は、静かに目を閉じた―――。

 

 

 

 

 

 

「帰って……来れるであろうか……」

 卑弥呼が祈る様にそう言うと、貂蝉は力強く頷く。

「当然よ。だって彼は黄龍の器――幻想の世界に選ばれた運命の人間なのだから。ね?大人さま」

 

 

 

 姬大人は、貂蝉の言葉を受けて穏やかに微笑む。

「そうである、と信じたくなる目をした男ではあったな」

 卑弥呼は、気を取り直す様に一つ息を吐く。

「そうですな。我らが黄龍の器を信じずして、なんの肯定者でありましょうや。では――儂は往きまする。後は、お頼み申します、大人さま」

 

「うむ。“先方”には既に詳しく伝えてある。宜しく言っておいておくれ」

「ハッ!」

「罵苦どもも、このワシが敢えて気配を晒しておれば、おいそれとは動けまいし、この際、貂蝉に多少、暴れて貰うても、過干渉には当たるまいしの」

 

「そうですな……貂蝉、暫し留守を任せるぞ」

「分かってるってヴぁ!いいから、さっさとお往きなさいって」

貂蝉がヒラヒラと手を振ってそう言うと、卑弥呼は頷いて、頭上の漆黒を見上げる。

「では、いざ往かん。ご主人様の力となる、幻想の力を求めて!!」

 

 次の瞬間、跳躍した卑弥呼は、瞬きの間に、漆黒の彼方へと姿を消す。

 後に残された姬大人と貂蝉は、視線を交わして頷き合うと、卑弥呼の消え去った方を静かに見詰め続けた―――。

 

 

                            あとがき

 

 さて、今回のお話は如何でしたでしょうか?

 今回も小難しい話になってしまいましたが、ご容赦下さい。

 次回も多分、加筆修正ではなく、ほぼ書き下ろしになってしまいそうなので、頑張らねばと思っておりますです、はい……。

 

 では、また次回、お会いしましょう。

 

 


 
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