TINAMIX REVIEW
TINAMIX

多重人格探偵サイコ オウム真理教的、宮崎的

■付記・米時多発テロ事件のあとで

……とかなんとか書き綴ってきたら、とんでもない事件が起こってしまった。言うまでもない、米同時多発テロ事件である。いかな『サイコ』といえども、ここまでの悪意は描き得なかったし、俺もまたここまでの悪意の存在を予想し得なかった。この事件を「凡庸」と両断してみせる度胸は、今のところ俺にはない。だが、事件の衝撃性に目を奪われ、あまりにも多くの論者がこの事件の「新しさ」を強調しすぎてはいないか。左右両翼、洋の東西を問わぬ「新しい事態」の大合唱は、かつて満州事変を前にした小林秀雄の言に似てはいないか。言うまでもなく、小林の論評のあとにやって来たのは一億層ファッショ化の波であった。見かけ上の「新しさ」に幻惑されて、それまでの理性や法体系を放り出してしまえば、後に残るのは単なる暴力ばかりだ。小林と同じ轍を踏むことは許されない。それは想像力の敗北である。

確かにこの事件は一見「新しい」。国家対テロリストという構図、ほとんど歴史上初めてとなるアメリカ本土への攻撃、メディアによるリアルタイムの被害報道、死者・行方不明者の規模、一般市民を犯行の「道具」にしてしまった冷酷無比さ、その他その他。この犯罪を構成するのは「新しい」要素のオンパレードであって、本文中に言う「個性的」な犯罪の見本のような事件であると言える。だが、本当にこれまでの法体系の枠内で裁ききれないほど、この事件は「新しい」のだろうか。

米政府は「テロリストの犯罪」と言ってみたり「戦争」と言ってみたりのダブル・スタンダードぶりを全開にしている。だが、果たしてこのどちらにも該当しないほど、この事件は「新しい」のだろうか。そして我が国でもその尻馬に乗って泥縄式に法改正が進められようとしているが、それほどまでにこれは「新しい」事態なのだろうか。テロなら刑事手続きに従って、戦争なら国際法に従って、事態の収拾なり戦争の遂行なりを行うべきではないか。現在進行しているのはこのなし崩しの軍事行動、無法な行いに迎合する立法行為である。もしこれが通るのなら、原理的にはどんな違法行為でも合法化できてしまう。しかもテロリストは戦車やミサイルでビルを砲撃したのではない。NYと世界の金融システムに大損害を与えた凶器はナイフ一本に過ぎないのである。これに対する大量の軍隊の動員は「鶏を割くに牛刀を用いる」の例えそのままの行為に他ならない。ナイフ一本の犯罪に軍隊を出動させ、それに泥縄式に法的根拠を与えること。それはテロリストの想像力に、俺たちの想像力が敗北することとほぼイコールではないか。

一方に剥き出しの暴力があり、他方に想像力が生んだ虚構の暴力がある。現在進行しているのは、想像力の暴力が剥き出しの暴力に敗北しつつあるという事態である。暴力を描き、考えようとする者は、等しくこの事態に抗して全力で闘わなければならない。少なくとも俺はそう考えている。『多重人格探偵サイコ』の作者はどう考えるのか。今後の展開が待たれる。◆


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