フランスの歴史家アリエスによれば、<子ども>は近代以前には存在しなかった。近代以前、<子ども>と<おとな>の境界は曖昧で不明確だった。<子ども>がいないということは、<おとな>もいないということである。中世社会では、それで何も問題はなかった。しかし近代社会は、この「おとな/子ども」の境界をきっちりと画定しなければならなかった。というのは、<おとな>と<子ども>を区別する決定的な要因が「近代国民国家」の構成員となれるかどうかだからである。
議論を簡単にするため、近代民主主義国家のケースで考えてみる。民主主義では、有権者が選挙で政治家を選ぶ。だから、有権者がバカだったら社会が崩壊してしまう。よって、有権者をきちんと教育し、一人前の「市民」にしなければならない。この「一人前の市民」が、要するに<おとな>ということになる。そして<子ども>とは、一人前の市民になるために訓練を受けている最中の「未熟な存在」である。だから、<子ども>は一人前の市民になるために学校に行かなければならない。もしも民主主義社会でなかったら、全ての<子ども>が学校に行く必要など一切ない。独裁者が治めている社会の場合、どちらかというと人民はバカなほうが都合がいい。だから中世では、全ての<子ども>が学校に行くべきと考える人間はいなかった。
では、<おとな>つまり近代市民であることの条件とは何か。近代市民は正しく政治家を選ぶために、きちんと情報を摂取しなければならない。そして20世紀初頭までは、情報を得るためのもっとも重要なメディアは「文字」であった。要するに、「文字」を読めることが近代市民としての最低限の条件であり、<おとな>と<子ども>を区別する指標であり、「近代社会」と「未開社会」を区別する指標であった。だから「識字率」が文明の程度を表す指標として重要視されることになる。ニューヨーク大学教授のポストマンはこう言っている。「本に出ているあらゆる宗教的、非宗教的情報、多数の形式の著作物、記録された人間の体験の秘密すべてを閲覧できたのは、読み書き能力がある大人たちだった。大部分の子どもたちは、それができなかった。これが、かれらが子どもたちだった理由だし、学校へかよわなければならなかった理由である」。よってポストマンは、<おとな>と<子ども>を分離した最も重要な画期を「印刷術の発明」と見ている。印刷術の発明以前、本は手で書き写され、大量生産など不可能だった。字を読めるのはほんの一握りの特権階級だけだった。この状況では、全ての人間を民主主義社会にふさわしい成員にすることなど不可能である。しかし、印刷術は本の大量生産を可能にし、文字を読む人間を圧倒的に増大させた。民主主義社会を成立させる条件がここに成立し、時代は「近代」となる。
ここで、眼鏡の位置に気がつくだろう。近眼というものは、文字をたくさん読む人間がなるものだった。文字を読まない人間は、なかなか近眼にならなかった。つまり、眼鏡をかけているのは大量の文字を読んでいる証拠であり、一人前の近代市民であることを象徴していた。だから、眼鏡は<おとな>の象徴であり、尊敬の対称だった。明治時代の文学者は、近眼でもないのに貫禄をつけるために眼鏡をかけたものだった。
さてしかし、1982年、ポストマンは「子どもはもういない」と言った。彼はその最大の理由を「テレビの普及」としている。なぜなら、テレビは文字の重要性を著しく低下させたからである。文字を読めるようになるには長期間の訓練を要し、近代社会はその訓練期間を<子ども>期と名付けていた。<子ども>たちは情報摂取能力を獲得するために、学校に通って苦労して文字の学習をした。しかし、苦労して文字を学ばなくても、テレビの登場によって様々な情報が楽に手に入るようになった。ポストマンは言う。「子どもは、大人が知っている一定のことを知らない人びとの集団である。中世には、大人さえ独占的な情報を知る手段がなかったわけで、そのために、子どももいなかった。このような手段が発達したのは、グーテンベルクの時代である。テレビの時代には、そうした手段は力を失った」(p.126)。グーテンベルクの印刷術の発明によって文字が普及し、これによって文字を知っている<おとな>と文字を知らない<子ども>の間に明瞭な境界線が発生した。そして文字を知っている<おとな>は情報と権威を独占した。しかしテレビの普及によって「おとな/子ども」の境界線は破壊され、<おとな>の権威は失墜した。文字を知らない<子ども>も、テレビを見れば情報を摂取できる。>>次頁