『レモンとサクランボ』をさらに読み込むと、主人公の礼子が<我々>内部の差異にも敏感だったことが丁寧に描かれていることが解る。礼子はデキのいい眼鏡の姉、金持ちの友人、土建屋の息子、諸事情により留年したクラスメイト、手に障害を持ち心を閉ざすクラスメイトなどに囲まれている。そして、自分と彼らの違いを激しく意識している[図6][図7]。彼らとの違いは、80年代的な等質性を前提とした差異ではなく、唯物的に規定された差異である。礼子は金持ちになることはできない。レモンはレモンでしかなく、サクランボになることはできない。この60年代の唯物的な差異は、80年代の記号的な差異より大きく、自明の前提だった。社会の流動性はそれほど高くなく、地域や階層によって自己イメージが異なることは当然の前提だった。この時期、「<我々>すべてが目指すべき規範的形象としての<自己>」は自明ではない。階級が異なれば「目指すべき規範的形象」は異なる。貧乏人は貧乏人なりに、金持ちは金持ちなりに、土建屋は土建屋に。西谷のマンガは、それぞれのキャラが将来別々の道を歩むであろう予感に満ちている。手に障害を持つクラスメイトは牧師を目指して外国に渡り、<我々>共同体から離脱する。金持ちの友人が、一般庶民の自分と違う道を行くことは自明の前提である。礼子は、その差異の中で自己イメージを形成していく。<我々>共同体がいつか解散する運命にある一時的なものにすぎず、各々がそれぞれに違った将来を歩むことは、各々の登場人物が予感していることである。ここに「個人」の契機を見ないわけにはいかない。『レモンとサクランボ』を単に共同体的な作品とだけ読むのは無理がある。そもそも主人公たちを「レモン」や「サクランボ」と象徴するところに個性化の契機を見ないわけにいかないだろう。
一方、宮台が個人主義的に解釈した『アイドルを探せ』も、共同体的に読むことができる。それは、眼鏡の扱いを見れば一目瞭然である。個人主義的なマンガなら、眼鏡っ娘は眼鏡を外すかどうかで悩んでいいはずなのだ。実際、吉田まゆみの『のこり先生とラブティーチャー』[図8]や『ハッピーデイズ』[図9]は主人公が一人のタイプのマンガだが、主人公はきちっと眼鏡を外すべきかどうかで悩んでいる[図10][図11]。
『レモンとサクランボ』と『アイドルを探せ』は、共に有機体的でもあり、個人的でもある。ただし、60年代と80年代の社会の差異が作品にも明確に反映しており、そこに印象の差が生じる。共同体的な観点から見れば、先に述べたとおり、60年代には明確な境界線が各所に存在し、共同体の輪郭が明確だった。一方80年代はボーダーレス化が進行し、共同体の境界が見えなくなり、社会が等質化したことが前提とされた。個人主義的な観点から見れば、60年代には階級的な差異や物質的な差異が所与のものとして存在し、その差異を前提として自己イメージが形成されていった。一方80年代には社会の等質性を前提とし、その上での差異化戦略が発達した。
つまり、宮台が西谷に見た<我々>とは厳然たる境界線に画定された「共同体」であり、それは境界喪失(ボーダーレス)した吉田には見いだせないものだった。この西谷の描いた<我々>共同体とは、要するに学校に囲い込まれた<子ども>の集団のことである。そして、<子ども>たちが離脱する先は社会であり、<おとな>である。『レモンとサクランボ』は、主人公たちが<おとな>へと脱皮することを予感させる場面で終了する[図12]。吉田『アイドルを探せ』の場合、主人公たちは大学生であり、<子ども>とも<おとな>ともつかない存在だった。
60年代から80年代にかけて、さまざまな分野で境界喪失(ボーダーレス)化が進行した。情報化社会の進展と資本主義の発達による多国籍企業の全世界的展開によって「国境」という境界がなくなりはじめる。フェミニズムの影響で、「女/男」の境界も破壊されはじめる。脳死という概念によって「死」の境界が不明確になりはじめたことも、第1回で指摘したとおりである。「バリアフリー」とは、障害者と健常者の間の境界を取り除くことを目指した概念である。日教組の解体などは、政治的な「右/左」の境界線がもはや有効に機能しないことを示唆している。スポーツの世界でも、オリンピックの商業化によって「プロ/アマ」の境界がなくなりはじめている。コミックマーケットの肥大化は、マンガの世界で「プロ/アマ」の境界を破壊している。この境界喪失の過程の中で、<子ども>と<おとな>の境界も破壊された。ここで言う「おとな/子ども」関係とは、単なる世代論的な話ではない。近代という歴史を根底から規定した価値観のことを意味する。眼鏡論的には、この「子ども/おとな」の境界の喪失が最も重要な論点となる。確認しておこう。>>次頁