TINAMIX REVIEW
TINAMIX
めがねのままのきみがすき〜恋愛少女マンガの思想と構造(3)

・MTTの差異

図1
[図1]『ステキなことばかり』(c)陸奥A子
『りぼんオリジナル』1984年初夏の号

陸奥A子は眼鏡っ娘マンガを大量に描いている(メガネくんマンガはもっと多いが)。しかし興味深いことに、陸奥が眼鏡を負の刻印として描いたことはまったくなかった。むしろ、幸運のアイテムとして描いている例があるくらいだ[図1]。そもそも、陸奥のマンガには劣等感を持った主人公がほとんど登場しないのである。眼鏡が劣等感のシンボルという描写がないのだから、逆転も何もない。眼鏡を負の刻印として扱わないから、前回示した図1のマトリクス(権力構造)も成立しない。それは、「相手の行動を予期」して「自分の行動を調整」するという権力的な作用が存在しないことを意味している。陸奥のマンガに出てくる女の子は、相手の反応などおかまいなし。相手の反応を考慮することがないから、眼鏡を外すかかけるかで思い悩むことはない。要するに、陸奥のマンガは「そんなキミが好きなんだ」というタイプのマンガではない。ギャンブルの比喩でいうなら、勝つことに価値を見出すというより、とにかくギャンブルをすること自体が目的のジャンキーである。田渕由美子は眼鏡に洗練された「意味」を布置し、その「意味」は逆転眼鏡っ娘マンガの隆盛に見られるように、少女マンガ全体に共有された。その中にあって、陸奥A子は眼鏡の「意味」をまるっきり無視し続け、「あなたが好き!」という「強度」だけの物語を量産した。この態度は、実に驚嘆すべきことである。こんなマンガ家は、他には、めるへんめーかーくらいしか思いつかない。

図2
[図2]『pm.3:15ラブポエム』(c)太刀掛秀子

一方、太刀掛秀子は1975年に『pm.3:15ラブポエム』[図2]という逆転眼鏡っ娘マンガを描いている。みごとなまでの「そんなキミが好きなんだ」パターンである。しかしそれ以後、「そんなキミが好き」というマンガはほとんど描かなくなる。太刀掛のマンガの主人公は、負の刻印を背負って登場する。しかし、それは記憶に刻まれた初恋の人に対する罪悪感、両親を裏切った罪悪感……そういった類の負の刻印であり、それは「そんなキミが好きなんだ」というマンガとは程遠い。眼鏡っ娘マンガの代表作『まりのきみの声が』[図3]も、主人公が眼鏡に劣等感を持つという描写は皆無である一方、複雑な人間関係に繊細な神経を痛めつけられる。
図3
[図3]『まりのきみの声が』
(c)太刀掛秀子
田渕や陸奥が日常的な恋愛ストーリーを好んで描いたのに対し、太刀掛は大きな世界観の下でのドラマチックなストーリーを好んで描いた。この傾向の違いは、太刀掛が長期連載マンガをよく描いたのに対して田渕や陸奥が短編しか描かなかったことにも顕れていよう。

要するに、MTTは絵柄もキャラ立ての方法もストーリーもまったく異なる、それぞれ個性的なマンガ家である。それを「乙女チック」と呼んで一括りにしてしまうことが慣習となっているが、実際に読んでみると共通して抽象化できる要素はほとんどない。それはそれぞれの眼鏡の扱い方を見れば一目瞭然である。MTTは、ただ同時期に同じ雑誌で大活躍していたというだけのことに過ぎない。大塚英志はMTTを「かわいい」という共通語で括って理解した。「かわいい」が様々な差異を捨象してコミュニケーションを可能にする「対人関係ツール」であることは宮台真司が指摘しているところである。要するに、MTTを一括して「乙女チック」としたのはMTTを享受する読者の側の「対人関係ツール」の「かわいい」という抽象的なカテゴリーであり、MTT自体には共通した物語様式を見出すことは困難である。

恋愛の形に注目した場合、恋愛を主題としていたのは田渕と陸奥であり、太刀掛は恋愛をドラマの一要素として相対化する傾向にあった(つまり、ストーリーの作り方の傾向はむしろ一条ゆかりに近い)。そして恋愛を主題としていた田渕と陸奥の間にも大きな違いがあった。田渕は「ほんとうのわたし」という概念を軸に乙女チック眼鏡っ娘マンガを量産し続けた。陸奥は、「あなたが好き!」という強度で突っ走った。田渕と陸奥の恋愛に対する姿勢は多くのマンガに影響を与えているように見える。が、この状況も80年代に入って大きく転回する。>>次頁

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幸運のアイテムとして描いている例があるくらいだ
陸奥A子『ステキなことばかり』『りぼんオリジナル』1984年初夏の号。主人公が「ねっメガネも似合うと思わない?」と言うと、友達が「あんたメガネなしだと目つき悪くなるからかけてた方がカワイイよ」と返事をしている。注目。

『P.M.3:15ラブ・ポエム』
(c)太刀掛秀子
『りぼん』1975年10月号。

『まりのきみの声が』
(c)太刀掛秀子
『りぼん』1980年4〜12月号。ビジュアル的には、おそらく20世紀最高の眼鏡っ娘と言っても過言ではないだろう。

MTTは、ただ同時期に同じ雑誌で大活躍していたというだけのことに過ぎない
同様の括り方は「24年組」という言い方にも見いだせる。萩尾望都、大島弓子、竹宮恵子、山岸凉子は、それぞれ個性的な作家だが、同時期に活躍し、「文学的」という抽象的な語で括れるために「24年組」と一括される。

宮台真司が指摘している
宮台前掲『サブカルチャー神話解体』p.47。

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