・統計が語る真実
この古典的眼鏡っ娘マンガが少女マンガの典型的パターンだと勘違いしている人が多いようなので、まずはそれを正しておこう。真実は、統計データに明らかである。次の表を見ていただきたい。
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1類型 |
2類型 |
3類型 |
4類型 |
5類型 |
計 |
A |
9(3) |
15(13) |
26(21) |
39(7) |
41(2) |
130(46) |
B |
57(7) |
26(9) |
64(16) |
17(1) |
124(7) |
288(40) |
C |
51(5) |
5(1) |
11(6) |
32(4) |
111(3) |
210(19) |
D |
79(10) |
9(2) |
17(3) |
3(1) |
229(2) |
337(18) |
E |
22(1) |
1(1) |
2(0) |
1(1) |
43(1) |
69(4) |
計 |
218(26) |
56(26) |
120(46) |
92(14) |
548(15) |
1034(127) |
これは、現在調査が終わっている眼鏡っ娘をタイプ別に分類したもの(注1)である。この表では眼鏡っ娘を2つの観点から分類している。一つの観点は「物語類型」である。最終的に眼鏡を外して愛を獲得するタイプをA類型。最終的に眼鏡をかけたまま愛を獲得するタイプをB類型。恋愛に関係ないものをC類型。脇役(ただし名前がついている重要な役回り)をD類型。有機体モデル(これについては次回に詳述)をE類型とする。これは表の縦軸で表している。
もう一つの観点は「人物類型」である。勉強ができたり委員長だったりするまじめタイプを1類型。ガリベンでブスなのを2類型。勉強ができないけどブスなのを3類型。眼鏡の脱着が人格を変えるチャンネルになっているものを4類型。なにも特徴がないのを5類型とする。これは表の横軸で表している。物語類型と人物類型をかけあわせると5×5のマトリクスができ、合計25類型となる。具体的には、たとえば脇役で委員長の眼鏡っ娘はD-1、眼鏡をかけたまま幸せになるが特にキャラクターに特徴がない場合はB-5となる。表中の括弧内の数字は、そのタイプのうちで眼鏡を外して美人になってしまう者の数である。
さて、この表で言えば、眼鏡を外して愛を獲得する真面目タイプの「ガリベン眼鏡っ娘」はA-1、ブスで自信がなかったけど眼鏡を外して愛を獲得する「醜いアヒルの眼鏡っ娘」はA-3にあたる。双方を合わせたものがA-2類型である。A-1、A-2、A-3の人数を足すと、50人となる。これは眼鏡っ娘全体から見れば4.8%に過ぎない。要するに、そんなに多くないわけだ。一方、ガリベンだったりブスだったりしても最終的に眼鏡をかけたまま愛を獲得するタイプは、B-1、B-2、B-3類型である。このタイプの総勢は147人である。つまり、眼鏡をかけたまま幸せになる眼鏡っ娘が、古典的眼鏡っ娘の3倍も存在しているのだ。
・「コンプレックス」と「個性」
眼鏡をかけたまま幸せになる少女が古典的眼鏡っ娘の3倍も存在する理由は、少女が好きな男性が果たして本当に眼鏡を外したほうがいいと思っているかどうかを考えてみるといいだろう。少女は全ての男性に好かれる必要はない。好きになった男性から愛されれば、他の男がどう思っていようと関係ない。こう考えると、古典的眼鏡っ娘の認識枠組は「男性一般の好み」に依拠していることが問題となる。確かに、男性一般の傾向として、「眼鏡をとった方が好ましい」ということが言われる。しかし、たとえば私のように、眼鏡をかけている方がよりよい(というか、圧倒的によい)と感じる男性も実際に存在するわけで、少女の意中の男性が「眼鏡を外したほうがいい」と思っている保証などない。だから、図1では男性の好みを確率として不等号でしか表せないわけだ。
1972年頃から、男性一般の好みと少女が好きになった特定男性の好みの違いを物語の戦術として採用するマンガが目立ち始める。その種の物語では、主人公の少女は図1のような認識枠組(眼鏡をかけていたら告白に失敗するだろうという意識)に依拠しているが、彼女の意中の男性は実は眼鏡の女の子の方を好ましく思っている。要するに、良かれと思って眼鏡を外したら、逆に嫌われてしまうわけだ。少女は何とか眼鏡をはずそうとするが、男性の方は眼鏡をかけてほしいと思っている。そのギャップが物語をおもしろくする手段となる。まあ、すったもんだがあった末、最終的に少女は眼鏡をかけたまま愛を獲得することになる。「障害」のシンボルだと思っていた眼鏡が、実は幸運のアイテムだったわけだ。このタイプの物語の流れは、図1に従えば「z→y」という式で記述できる。
この種の物語では、少女は眼鏡に対してコンプレックス(劣等感)を持っている。しかし、少女の意中の男性は、彼女が眼鏡だからこそかわいいと思っている。少女の劣等意識は根拠のない勘違いなわけだ。「思い込み」や「勘違い」による劣等感。先に眼鏡が「内在的」な障害だと書いたが、それはその障害が「思い込み」にすぎないという意味で内在的ということである。
この場合、眼鏡は劣等感のシンボルではなく、実は少女の優越した「個性」だということになる。男性は眼鏡の故に、少女の「個性」の故に、その少女を選択するのだ。少女マンガは、コンプレックスをそのまま「個性」に逆転させる。弱点をセールスポイントにそのままひっくり返してしまったわけだ。この種の物語は、読者に対する心地よい裏切りがカタルシスとなる。障害を単に除去するのではなく、障害を武器にかえてしまう大逆転。このような様式を「逆転眼鏡っ娘」と呼ぶ。>>次頁
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注1: この表の合計と前回公表した数字が若干食い違っているのは、連載が終わっていないなどの事情で正確なデータが取れない7人の眼鏡っ娘を表に加えなかったためである。
眼鏡の脱着が人格を変えるチャンネルになっているもの 普段はぼやっとしているのに眼鏡をかけたとたんにシャキッとする『お砂糖缶づめ』(あいざわ遙)など。ちなみにA-4類型には、ダテ眼鏡マンガや変装眼鏡マンガ(「ほんとうのじぶん」を隠すために眼鏡をかけているというタイプのマンガ)を分類してある。
古典的眼鏡っ娘の3倍も存在している また注目されるのは、B-5類型が124人と大勢を占めていることである。B-5類型とは、特に特徴のない眼鏡っ娘が眼鏡をかけたまま幸せになるというタイプである。要するに、単なる近眼で眼鏡をかけているだけで、あとはふつうに恋愛しているというわけだ。このB-5類型が古典的眼鏡っ娘の2.5倍も存在するのに、あくまでも古典的枠組みで眼鏡っ娘を語る連中が後を絶たない。彼らの独断と偏見は、この統計データで簡単に粉砕することができる。
「眼鏡を外したほうがいい」と思っている保証などない 男性一般の傾向として、眼鏡を外したほうがいいかかけた方がいいか、どちらでも関係ないのか、統計的に調査したものなど、もちろん存在しない。それにも関わらず、「男性一般は、眼鏡を外した方を好ましいと思う」という言説が成立し、社会的事実となっていることは、それ自体が知識社会学的なテーマとして興味深い。
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