さて、長かったこの原稿も、もうすぐ終わりに近づこうとしている。寺山修司という死者からの手紙を大量に抱えて、万有引力は、J・A・シーザーはどこへ行こうとしているのか。その行方を尋ねて、このインタビューのひとまずの終わりにしよう。
――今後のご予定を教えてください。
今回は東京の公演を、若松孝次のところで撮るんですよ。『怪人フーマンチュー』を撮ったのと同じスタッフが、8人ぐらいでね。それから2001年3月に、『魔法のランプ』っていうペテン師の話、錬金術の世界を演劇化してみようかなって考えてます。それも言葉もほとんどなくて、視覚的なものと、要所要所に必要な言葉が聞こえてきては消えていくという、そういうものを試みてみようかなという気がしてます。
――『フーマンチュー』のような、音楽劇的なスタイルをお考えなんですか?
うーん、どうでしょう。台詞を逆にBGMにしちゃって、音楽を役者が演奏するか、あるいは肉体を演奏するか。今までBGMの役だった人が逆になるようなね。台詞も録音してエフェクトをかけることで言葉を氾濫させたり、単音だけ「あ、あ、あ」って言ってるのをBGMにしちゃったり、そのへんをやってみようかな、と。……でも、あんまりカラクリ言うと面白くないからこのへんで。
――確かに(笑)。ペテン師っていうのは言葉の錬金術師っていうイメージですか?
逆に錬金術師っていうのはペテン師ですからね。また、役者なんてほとんど一種のペテン師で、どっから来たかわかんないし変装してるしで、結局人を騙していくっていう意味では結婚詐欺師なんかと変わらないわけですよ。だから「役者」っていうんじゃなくて、もっと強く「ペテン」っていうものに拘ってもいいかな、と。ジュネの『泥棒日記』に、「奇跡の庭」っていうのが出てくるんですけど、そこから思いついた話です。都会の中の細い路地を入っていくと庭があって、サーカスの曲芸師とか泥棒とか、そういういろんな人たちが、ひっそり集まって暮らしてるっていう話なんですけど、そのへんをやってみようかな、と。
――実際にサーカスにいらっしゃる方を呼び込んで?
実際どこ行ったか判んないでしょ? そういう人たち。「奇跡の庭」にいる人たちは、東京でいうと新宿駅近辺にいる人たちと変わらないような人たちなのかもしれない。でも、そこでそれなりの文化を保ちながら生きているというね。そのへんを全部やってみたい。

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リハーサル風景:大浦みずき嬢
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ジュネの『泥棒日記』では、乞食や男娼、偽障害者などが蝟集する「奇蹟の庭」を、物見遊山で観光してまわるブルジョワたちの姿が描かれている。ジュネはこうしたブルジョワたちのように、社会的アウトローを外から、観光的に見て文学化したのではない。逆にジュネは自分自身アウトローとしての出自を持っており、ブルジョワたちから「眺められる存在」、「辱められる存在」として生きてきたのである。ジュネは自身アウトローとして、内側からこれらの人々を描き出したのであり、そこにこそ彼の革新性があったのだと言える。
ジュネの姿勢に倣うならば、シーザー氏と万有引力は、これら「奇蹟の庭」を見世物的に描き出すのでなく、内側からの視点で描き出さなければならない。だが、既にインタビュー中の「役者=詐欺師」という発言に見て取れるように、シーザー氏は自身アウトローとして、内側から「奇蹟の庭」を描く決意のようである。「奇蹟の庭」には、都市の記憶の隘路に落ち込んだ、生きたデッド・レター(宛先不明の郵便)たちがあふれている。その言葉を聴き取り、演劇化する試み。かつて我が国にもあったさまざまな「奇蹟の庭」が消え去る一方、最悪の失業率によって新たな「奇蹟の庭」が生み出されつつある現在、この試みは大いに注目されて良いだろう。
都市が自らの記憶から消し去ってしまった、泥棒、男娼、傷痍軍人、サーカス団といった人々を、万有引力はその舞台の上にもう一度蘇らせることができるだろうか? いままた路上にあふれかえりつつある失業者、不法滞在者、家出少年・少女、ギャング、タトゥイーたちの声を、万有引力は舞台という虚構の上で、もう一度輝かせることができるだろうか? シーザー氏と万有引力の次回公演を、刮目して待ちたい。◆
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若松孝二
1936年、宮城県生まれ。高校中退後、上京。職を転々とした後映画界へ。1963年『甘い罠』で監督デビュー、65年若松プロ設立。『聖母観音大菩薩』、『エロティックな関係』など監督作品多数。プロデュース作品では『愛のコリーダ』(大島渚監督)、『赤い帽子の女』(神代辰巳監督)などがある。
『怪人フーマンチュー』
『身毒丸』、『草迷宮』と並ぶ、「見世物オペラ三部作」のうちの一つ。寺山の存命中には日本で公演が行われることがなく、1999年になってから万有引力の手によって、はじめて日本で上演された。ビデオ版『怪人フーマンチュー』はこの時の模様を収めたもの。若松プロにてビデオが販売中。税込み¥5000円。

『魔法のランプ』
→参照サイト
ジュネ
J・ジュネ(1910~1986)。フランスの詩人・作家だが、その生育史は汚辱と恥辱にまみれ、それ故に輝かしいものだった。父なし子として生まれ、母親からも捨てられて、以降物乞い、かっぱらい、男娼として数々の悪事に手を染める。獄中で詩作に耽り、42年に詩集『死刑囚』を上梓。以来「悪」の世界の栄光と悲惨を描きつくし、その衝撃は全集の序文を担当したサルトルに、600ページにも及ぶジュネ論を書かしめたほどであった。『泥棒日記』は彼の代表作で、自身の伝記的な集大成となっている。
「奇蹟の庭」
かつてパリでは、公園や安居酒屋など、乞食や泥棒のねぐらとなった場所をこのように呼んだ。表通りを歩いているときは障害者を装っていた乞食が、ねぐらの公園に戻ると急に歩き出したりするところから、このような呼び名がついたと言われている。ジュネもかつてはこうした「奇蹟の庭」で生活していた一人だった。
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