3.オタク的な二重化の外へ
編集部:砂さんはどのようなアプローチを考えていらっしゃるのでしょうか?
砂:自分は大学に入った91年頃にまずコミケで美少女マンガ家として活動を始めた。その頃ちょうど例の有害コミック問題というのがありまして、その有害コミック問題が起きた時に、コミケ側もマンガ界もとくに積極的主張も反論もしないし、マンガ界のなかではエロマンガなどなくてもよいのではないかというような意見すらあって、それに対しかたやエロを描いている方には理論武装すらない、という状況があった。これはすごくおかしいんじゃないかと思ったんですよ。自分は美少女マンガを中学生くらいから読んでいて、おもしろいものもあると思っていて、自分も描きたいと思っている時にちょうどそのようなことが起きた。しかもことはかなり困難な状況になっていて、91年の春に都内のマンガ専門書店が摘発を受けたことをきっかけとして、コミックスがほとんど出なくなるとか、その年のコミケで性器描写が自主規制で不可能になる。コミケでは一時美少女エロマンガが激減するんですよ。中にはこれ幸いといった感じでそんなものはもともと描きたくなかったんだと言わんばかりに描かなくなった作家もいる。なんだ表現じゃなかったのか、これは逃げではないか、と思いましたよ。そうした態度に対する反発から創作を始めたということがひとつある。
一方でしかし、単なる反発ではしかたないのであって、かりに警察から文句を言われたとしても、これこれこうだという理論武装というか主張を、少なくとも自分は持ってないとダメだろう。そうでないとまたこういうことが起こったときに、また潰されるだけで何も進歩がないと思った。だから美少女マンガを描く一方で、柄谷行人のような当時優れていた思想家などを入口にして、哲学とか思想を読んで理論武装をしていくみたいなことを、創作と並行して二正面的にやっていたんですね。その途中で東さんの仕事も知るわけだけれども。
しかしそうすると、趣味で創作をやる自分と、知的自己を賭けたものとして評論をやる自分とが二重化していくんですね。自分の作品を棚上げした状態、言うこととやっていることが違う状態です。しかしオタクっていうのはそういう二重化を肯定しがちで、それに自分もハマっていった。実際そういう態度がカッコ良いっていう考えがあったりするわけじゃないですか。自分もそれで良いのかな、という風にある種閉じた方向へむかっていました。95年『エヴァンゲリオン』があったときに、手短に言うと作品のメッセージレベルではそんなに感動しなかったし、むしろ反発を抱いたりしたのだけど、演出や編集といった表現のレベルで見た時に、またガイナックスの全体的な状況を見た時に、彼らが「そうした二重化した態度をやめよう」「まじめに、価値のあるものを単につくろう」ということを意図したのだということがわかって、感動したんですね。そこでとにかく、自分もそうしたオタク的二重化をやめようと考えた。批評する自分と創作する自分を分けない。自分の創作を自分の批評の俎上にのせよう、批評で示す理想を創作で実現しよう、少なくともそう努力しよう、と考えて、絵柄もいまの絵柄に変わりつつ、その後商業誌にデビューして現在の活動に入っていく。
しかし、そうして過去のすべてを総合してデビューしたわけですが、今度は自分のつくったものはごく単純に受け皿のないものだったんですよ。一応エロマンガだから、エロマンガ雑誌に出すわけですが、現在エロマンガの主流と呼ばれるものは全部美少女絵というか、目が大きな女の子とかが完全に主流であって、内容も理屈をこねると嫌われてしまう。とにかく場所がないな、という感じがすごくした。自分は最初『漫画ホットミルク』という雑誌でデビューし、現在は主に太田出版の『マンガエロティクス』という本で活動していますが、これはいわゆるオタクとサブカルの分割で言えば、サブカルの側から出てきたエロマンガ雑誌で、そちらがむしろ受け皿になってくれた。しかしいまだにこの自分の居辛さとは何なのかという疑問があります。そしてふとマンガやアニメ、ゲームといった他のジャンルの制作者たちの環境を見渡してみると、似たような居辛さに満ちているようなんですよ。その時に、この居辛さを変えていくのはもはや単純にあたらしいマンガ誌をつくるといったことだけですまないのじゃないか、読者まで含めて、もっと大きなシステムから変えていかないとだめなんじゃないかと思った。で、TINAMIX創刊と。
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