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藤本由香里「少女マンガのセクシュアリティ 〜レイプからメイドへ〜」(前半)

■レイプ表現は90年に衰退する

藤: なぜ80年代までで終わるかと言うと、逆に80年代の後半になったら「恋のABC」みたいなことが言われ始めるんです。つまり「その先」はもう当然認識されてる。つきあい始めてキス止まりというのがそれまでの少女マンガだったりすると、要するにCっていうのが普通の女の子の物語の中に入ってくるわけ。

 でもその時代まではC=SEXというのはまだ、どこかで乗り越えられるべきもので、処女と非処女の境はすごく大きかったわけよ。だからまあ、じらすじらす(笑)。高校生の間はしようとすると邪魔が入って結局卒業の後ようやくできましたとか、大学生になってやっとできたとか、そういう話になるわけ。ところが、これが90年にがらっと変わる。

 90年になって高校生のセックスがやっと当たり前のことになるんですよ。高校生がセックスを当然のこととしてしはじめるっていうのが90年からある。だから、そこを境に、性に対する恐れやためらいをよびさますためのレイプシーンはがくっと減りましたね。

は: 90年以降もレイプ表現は絶滅せずに残っていきますが。

【図6】
『瞳☆元気』より
(c)藤崎真緒

藤: 意味づけがちょっと変わってくるよね。レイプでいうと、藤崎真緒さんのマンガで、『瞳☆元気』というのがあって、あれが印象的だったな。男の子と女の子が同棲しているんだけど、その女の子には同居していたいとこにずっとレイプされ続けていたという過去がある【図6】。彼女はそこから逃げ出してきたんだけど、恋人との関係の中で昔の記憶がときどき蘇るのよ。それを乗り越えようとするというマンガ。

 こうなると、レイプがもっと現実問題になってきているといったほうがいいのかな。以前にも、昔強姦されたことがトラウマになってセックスができなくなった女の子がいて、好きな男の子ができて、やっとその子を受け入れられるようになってめでたしめでたし、というのがあったけど、『瞳☆元気』の場合は、恋人と定期的にセックスするようになっても、昔のことが何度も何度も蘇ってくる。そのくせ、作品全体としては明るい。そういう部分では現実的な描き方ではありますね。そういう意味では、レイプが非常に憎むべき犯罪として描かれた『生徒諸君!』の例もありますけど【図7】。

【図7】
『生徒諸君!』より
(c)庄司陽子

 あと、レディースコミックにはすごいレイプシーンが多いんですよね。ある種、マゾヒズムでなくてはレディースコミックは成立しないのではないか、という感じで、全盛期のレディースコミックの官能巨編は全てそういう感じだった。『快楽電流』で女性のマゾヒズムのことを書いていた時には、マゾヒズムはどこか女性の本質にかかわる部分があるんじゃないかという考え方をまだ捨て切れていなかったのね。

 だけど、最近はそれは変わったの。なんでマゾヒズムが一時期レディースコミックに不可欠だったかというと、やっぱりその時代の主な読者層だった世代の人間が、「性というのはどこか恐れを踏み越えなければならないもの」というのを徹底的に身体化してしまっている世代だったからなんじゃないかと思うのね。つまりタブーを破ることなんだという。

は: 女性のマゾヒズムは本質的なことじゃなくて時代的なことになるわけですね。

藤: そう。まさに時代的なものだったんだなあ、って。それまでもそういう予感はあったんだけれど、今はくっきりとそれが自覚されるようになってきたというか、要するにセクシュアルファンタジーが変わったということですよね。

【図8】
『結婚伝説』14話より
(c)庄司陽子

 だからある時代よりも前、私よりも少し若い世代までは、そういうふうにセクシュアルファンタジーがマゾヒズムと結びついている要素が高かった。思い切って性的な世界に踏み出すのには、どこかでためらいがある。そのための「言いわけ」としてのマゾヒズム。「だって私のせいじゃないもん。向こうが求めたんだもん」って。要するに主体性の問題になるんだけど。性がタブーでなければ自分から求めてもかまわないわけだから。

 で、90年代以降、少女マンガですら性がタブーでなくなって、処女喪失がどうこうみたいな話は一切ないわけ。人によっては多少ためらいがあるとしても、それが物語のお約束ではもはやなくなっている。

 ある時期から以降のレディースコミックには女の側が誘惑するというパターンが増えてきて、自分がいたぶられるんじゃなくて男の子を好きなようにいたぶる、という話のパーセンテージが増えてきているのよね。それもそういう流れの一環じゃないかな。

サ: 5〜6年くらい前ですか?

藤: そうです。95年くらいから、だんだん変わってきてるんです。だから、昔は性といえばレイプ表現が出てきていたというのはつくづく世代的なものだったんだなあと。女がマゾなんじゃなくて、性的になるためには「私が求めたんじゃないわ」という“言いわけ”を必要とする世代のセクシュアルファンタジーが求めたのが、レイプ表現であり、マゾヒズム表現だったんですよね。

藤崎真緒
『瞳・元気KINGDOM』。『花とゆめ』系列1993年〜1997年4号。花とゆめコミックス全10巻+番外編。 主人公の今井響は一緒に暮らしていた従兄に暴行され、それ以来男性恐怖症になったが、義王くんと共に克服していく。しかし響を強姦した従兄が物語の最終盤までイヤらしく登場し、なかなかたいへんなことに。 →[公式サイト]
(c)藤崎真緒
『生徒諸君!』
庄司陽子著。『週刊少女フレンド』1977年18号〜1985年9号。講談社コミックス全24巻。 おてんばのナッキーが大活躍の学園マンガ。クラスメイトの初音ちゃんが暴行されるのは12巻。卑劣な犯罪に遭ったにもかかわらず、世間体や立場の弱さから加害者を告発できず、被害者がさらに精神的に追い込まれていく過程が痛々しい。「あたしは他人がこわい。あの男より、もっともっと」という初音ちゃんの恐怖が、女性の立場の弱さを表していてもの哀しい。それを克服していくためには、周囲の理解が必要条件となる。
(c)庄司陽子
庄司陽子は『結婚伝説』第14話(講談社コミックス第4巻)でもレイプ問題を扱っている【図8】。この作品では被害者自身は強い意志を持って事に当たっており、問題はむしろ恋人がレイプされたという事実を婚約者の男性がどう受け止めるかにかかってくる。
【図8】『結婚伝説』14話を参章
『快楽電流』
藤本由香里・白藤花夜子著。河出書房新社、1999年。 女性は欲望の主体となるのか、風俗やレディス・コミック、売春などを題材に、セクシュアリティの問題にアプローチする。
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