今市子の代表作といえばやはり『百鬼夜行抄』だ。しかし、そこへたどり着くまでには長い道のりがあった。投稿時代には架空の砂漠の町を舞台にした、王家の末裔が主人公のドラマ(*2)を、また同人誌時代にはいわゆる“ボーイズラブ”(同性愛)モノを多く描いている。それ以外にも、濡れ場こそないがレディース・コミックにでも掲載されていそうな、男女の三角関係を描いた作品(*3,*4)もある。他に、架空の王族を描いたファンタジーだが、萩尾望都『マージナル』あたりのSFの影響もかいまみえる作品(*5,*6)から、ペットの文鳥を描いたほのぼのエッセイ漫画まで。その作風は実に幅広い。
しかしいずれも「よくできてはいるけど小器用にまとまっている」といった印象があり、節操のない“器用貧乏”な作家に見えなくもなかった。現在は『百鬼夜行抄』に代表されるようなユーモラスで叙情的な怪談や、『大人の問題』(芳文社)『ファミリー・ブルー』(*1)などのホームコメディも得意としている。特に後者が実に活き活きと描かれているのを見ると、ようやく才能を生かせる作風を見つけだしたように見える。実に喜ばしいことである。
さて“器用貧乏”である以上に彼女の特徴なのが、“貧乏性”であるということだ。作品が貧乏くさいという意味ではない、エピソードを詰め込み過ぎるのだ。他の少女漫画作家は1ページに1〜2コマしかなかったり、ヘタすりゃ見開き2ページを一コマで使ったりと、いくら視覚的効果のためとはいえこの手の情報量の少ないページを量産することが多い。例えば“感動の再会”なんてエピソードがあれば、「太郎さんっ……」「花子!!」「会いたかった……!」「あぁ……」なんてやりとりに花と点描を降らしまくって何ページ何十ページも費やしたりするのだ。
しかし今市子は違う。おそらく他の漫画家が60ページから100ページかけて描くようなストーリーを、彼女は平然と40ページ程度にまとめてみせる。全2巻なのに単行本を3〜4冊は読んだ気になるほど入り組んだエピソードを凝縮させた、人間ドラマと謎解きミステリーとコメディの要素が渾然一体となった『あしながおじさん達の行方』(芳文社刊)といい、極貧娘の玉の輿をめぐるスラップスティック・コメディ『ファミリー・ブルー』といい、膨大な情報量を惜しみなく詰め込んでいる作品だ。しかしあまりに惜しみ無さ過ぎるので「もっと薄く引き延ばして長く描けば原稿料や印税が儲かるだろうに」と無責任に思わずにはいられなかったりもする。
なぜそこまでエピソードを詰め込んでしまうのか。今市子はこんなコメントを残している。萩尾望都の『ポーの一族』について、「このシリーズの一編に『グレンスミスの日記』という名作がありまして、私はこれは70ページくらいの作品だとずーっと思っていましたが、ある時、かぞえてみたら実は24ページしかなかった。(中略)以来、私は24ページという数が怖くなってしまった。私にはあれだけの内容を24ページで描く事はとてもできないから。周りの人達から“グレンスミスの呪い”と呼ばれてました」(*7)と。そう、今市子の“貧乏性”は、萩尾望都の呪いが原因だったのである。
いずれにせよ、単行本を買って読む分にはかなりコストパフォーマンスが良い作家であると言えよう。逆に言うと、立ち読みや漫画喫茶での大量読破には向かない作家であったりもするのだが……。(小雪)