TINAMIX REVIEW
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青少年のための少女マンガ入門(8)いがらしゆみこ

いがらしゆみこ〜鈴賀レニ、なかよし系ハレンチの系譜

図1:『あの子は新婚1年生』より
(c)いがらしゆみこ

かつて、ハレンチの嵐が少女マンガ界を席巻した。1968年に永井豪『ハレンチ学園』によってブレイクしたハレンチは、翌1969年の後半には少女マンガに上陸した。『りぼん』でハレンチを担ったのは弓月光だったが(『めがねのままのきみがすき』第1回参照)、ライバル誌の『なかよし』でハレンチの看板を張っていたのが、ご存じ、いがらしゆみこである。

たとえば1971年1月号の『あの子は新婚1年生』(原作:神保史郎)の1場面[図1]。女の子3人組が覗きを企て、それを察知した男の子が肉体美を見せびらかすハレンチな場面である。すね毛や胸毛に当時のハレンチ・センスを感じさせるが、同時期には大島弓子なども胸毛をもじゃもじゃと描いている。胸毛をセックス・アピールとして強調する描写は1970年代半ば頃までしばしば見ることができる。故フレディ・マーキュリーのファンが頑張っていたようだ。

図2:『ミスナルシスは花柄もよう』
(c)鈴賀レニ

ともかく、いがらしゆみこのハレンチ路線は読者から圧倒的な支持を受ける。ハレンチ路線を継続していた71年の8月には『なかよし』の表紙として抜擢され、それ以降は『なかよし』のエースとしての地位を確立する。その地位が1975年の『キャンディ・キャンディ』(原作:水木杏子)に至って不動のものとなったのは、周知の事実だろう。

ハレンチの波は1970年代半ばになってもおさまらず、『りぼん』では山本優子がハレンチの旗手として人気を集めていた。いがらしゆみこは『なかよし』のエースの座を獲得した後にハレンチから身を引いていったが、「なかよし系ハレンチ」は別府ちづ子などが引き継いでいくことになる。そして、いがらしゆみこ的ハレンチの流れをもっとも濃く受け継いだのが、鈴賀レニ『ミスナルシスは花柄もよう』(1977年『なかよし』1月号)[図2]である。

図3(上)4(下):『ミスナルシスは花柄もよう』より (c)鈴賀レニ

破綻したストーリーなのでまとめにくいが、とりあえず内容を紹介。主人公の矢波乙女は、アメリカ帰りの眼鏡っ娘。お姉さんに無修正ポルノ雑誌をおみやげとして持ち帰るなど、冒頭からハレンチ。そして乙女はヌード写真を校内で販売し、そのモデル(つけられた名前がミス・ナルシス)を見つけた人に賞金をプレゼントという商売を始める。このヌード写真にはきちんと乳首が描きこまれており、花柄パンティである[図3]。タイトルのとおり花柄が重要な伏線となるわけだが、ますますハレンチ。その後なんだかんだあって乙女たち一行はスキーに行くのだが、乙女はスキー場でケンカを始める。ケンカしているうちに乙女の服が破れ、崖から落下。下着姿で落ちていく乙女のパンツが花柄。それを崖下で見ていたヒーローの男の子が爽やかなアップで叫ぶセリフが、「わっ…花柄! みつけた ミス・ナルシス!」[図4]。落ちてくる乙女をヒーローの男の子が受け止めて、大団円。……………って、決め手はパンツの柄かい!? ヒロインが眼鏡っ娘なのでかろうじてマンガとして成立しているが、ストーリーはツッコミどころ満載である。

そして、いがらしゆみこはハレンチをステップに大成したが、鈴賀レニはハレンチで終わった。ちなみに、いがらしゆみこにハレンチ原作を提供した神保史郎は、『サインはV』など大量のマンガ原作をてがける一方、大和和紀にも『青春タッチダウン』(『なかよし』1970年5〜10月号)[図5]のようなハレンチ原作を書いている。若くして亡くなったのが残念である。(文:はいぼく)

図5:『青春タッチダウン』
(c)大和和紀

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