TINAMIX−キャラクター素解析

キャラクター素解析(1) ― ねこみみ試論

■ねこみみが好きなんじゃあ!

ねこみみ少女が「にゃん」と鳴けば、「はにゃーん♪」と転がり回るのが私たちだ。物寂しげな頭部にねこみみをちょんと付けたして、あれよと印象を変えたかわいいグラフィックに表情を明るくするのが私たちだ。猫じゃらし相手にふにふに戯れるねこみみ娘の、左右にゆれる素敵なしっぽに心惑わされるのが私たちだ。「ねこみみを愛してます」――叫ぶように断言したい。ぜひとも漢字でなくひらがなで。被りものじゃだめなのだ。偽りなき耳のあたたかな温もりを。その和毛を。感じ、触れ、愛することが私たちの唯一の願いである。

■ねこみみの四つの分類

とにかくねこみみはかわいい。そしてねこみみという萌え要素を備えたキャラと、その扱われ方は、大きく四つの系統に分類することにしよう。ここではいずれの系統も、アイテムの違いのみならず、各々リアリズムとの距離によって特徴づけられていることに私たちは注意しなければならない。

  1. 擬人化
  2. SF的設定
  3. ファンタジー的設定
  4. コスプレ

A.擬人化

作中人物には猫=動物だと了解されている。だが読者には、彼はねこみみを付けた人間に見える。こうしたトリックを持ちこみ、非現実的な「ねこみみ」キャラを現実的に描いてみせる手法が擬人化である。この系統で特権的な作品は『綿の国星』(大島弓子・白泉社/1978)――「人間になりたい」と願うチビ猫の成長を描いた同作は一方で、エプロンドレスの幼猫という愛らしい設定から、いわゆる「ねこみみメイド」の端緒だと考えられている。

またこうした擬人化において注意すべき点は、「ねこみみ」キャラが、動物性を排除した、人間の容姿でもって描かれていることだ。人間の容姿の獲得。これがディズニー作品など先行する動物キャラクターとの決定的な差異である。「人間らしく見えるのは読者だけ」という描写トリックは、非現実的な要素を導入しつつ、最低限のリアリズムも保証する見事な発明だといってよい。とはいえこうした手法の起源そのものは、別にマンガ史のなかで検証されるべき事柄だろう。

B.SF的設定

この系統は、ねこみみという異物を導入する際に生じる世界の変容、それを支えうるだけの口実をSF的設定に求めたケースである。22世紀のネコ型ロボットが大活躍する『ドラえもん』(藤子不二雄・小学館/1974)をはじめとして、異星人とのあいだで繰りひろげる地球防衛戦争を描いた『アウトランダーズ』(真鍋譲治・白泉社/1985)、白石やよいが物体転移装置で猫と一体化してしまう『猫でごめん!』(永野あかね・講談社/1989)は、それぞれ「アンドロイド」「宇宙人」「超科学装置」が「ねこみみ」キャラを可能にした典型例だ。

同様の作品には、女豹タイプのアンドロイドが活躍する士郎正宗の『ドミニオン』(白泉社/1986)から、コールドスリープ中のねこみみ宇宙少女が登場する『裏山の宇宙船』(笹山祐一・ 朝日ソノラマ文庫/1994)などがある。

C.ファンタジー的設定

直観的にいって、この系統はゲームが支えていると思われる。コンシューマ系では『ヴァンパイア』(カプコン/1994)や『スターオーシャン』(エニックス/1996)、『悠久幻想曲』(メディアワークス/1997)などが「ねこみみ」キャラが登場するゲームとして知られている。

とりわけアダルトゲームでは、主にロール・プレイング・ゲームを採用し、ファンタジー的世界観を持つ作品が数多く制作されている。アリスソフトの『闘神都市』シリーズ(1990)『鬼畜王ランス』(1996)、エルフの『ドラゴンナイト』シリーズ(1990)はその代表格といえるだろう。ゲーム以外でいうなら、妖狐も猫又も人狼も同じ世界に共存しつつ、人類終末後のドタバタを描いた『はいぱーぽりす』(MEE・角川書店/1994)はアニメ化もされた人気作品だ。

以上にあげた作品は、西洋ファンタジーと日本の伝奇物語の引用、あるいは両者の混淆からなる。それゆえ「ねこみみ」キャラは、エルフやヴェーアヴォルフ、妖狐や鬼、そして幽霊とともに「亜人」「妖怪」としてリアリズムから自由な、幻想的時空間に存在することとなるわけだ。あえて起源を探るのなら、人狼的な異族を魅力的なメタモルフォーズで描いた手塚治虫の『バンパイヤ』(秋田書店/1968)になるのかもしれないが、検証の余地は残す。

そしてこの系統の特徴は、空想が完全に実体化している点にある。たとえば「A.擬人化」に分類した『綿の国星』は、一般的にファンタジー作品だとされているが、人間/動物に絶対的なコミュニケーションの断絶を引いている為に、実は厳密にリアリズムをとどめている。

D.コスプレ

ねこみみの付いた帽子やしっぽ、肉球グローブなどを身に着けることで、人間が擬似的に「ねこみみ」キャラに扮すること。それがコスプレだ。しばしば「被り物」「偽みみ」とも呼ばれる。

起源はここでは辿れない。少し古い作品でいうなら、『Dr.スランプ アラレちゃん』(鳥山明・集英社)でアラレがねこみみ、ガッちゃんがねずみみみをかぶり、ぴーすけが年中ねこ帽子を装着していたのが懐かしい。また『くるくるくりん』(とり・みき・秋田書店/1983)には「なめねこ」に扮するじゅんさんなるキャラが登場し、時代を感じさせる。

ねこみみの純粋性は横に置き、第一にこの系統では「ねこみみ」キャラを登場させてもリアリズムは決して壊れない。第二に『綿の国星』が描いたチビ猫の「人間になりたい」が、ここではおそらく作者/読者の「猫にしたい」に置き換えられている。

要するに「ねこみみ」が一方で現実的なアイテムであり(リアリズムの堅持)、他方では作者/読者の欲望しだいで「ねこみみ、付けてみました」といわんばかりに容易く描きうること(非リアリズム空間への近接)、双方はまったく異なる契機をはらんでいるのではないか。

たとえば『綿の国星』が厳密にも設定していた「人間/動物の絶対的なコミュニケーションの断絶」は、後者の欲望にあっては簡単に解消されてしまう。そもそも「ねこみみ」キャラとのコミュニケーション自体を扱った育成シミュレーションゲーム『ひざの上の同居人』(KANEKO・1998)や、成人マンガ『夢で逢えたら』(えびふらい・富士美出版/1992)においては、もはやいかなる理屈の支えもなく、「ねこみみ」キャラが主人公=人間と等質な存在を獲得している。

こうなるともはや「ファンタジー」ですらなく、オカルトである。そこにはリアリズムから解き放たれた空間が広がっている、というわけだ。ウェブで発表されているねこみみグラフィックの多くも、「あのキャラにねこみみを付けたらかわいいに違いない!」という欲望に従って、この延長線上で描かれている。

■ハイブリッド

以上四つの系統を組み合わせた、文字通りハイブリッド的な作品がある。(というより紹介した作品のいくつかは既にハイブリッド的なのだが。)

その最も代表的な作品が『デ・ジ・キャラット』(ブロッコリー/1999)と『カードキャプターさくら』(CLAMP・講談社/1996)である。前者は、デ・ジ・キャラット星から来た「ねこみみメイドコスプレ」のでじこが、秋葉原のゲームショップで大暴れするというお話(SF+コスプレ)。後者は、魔法少女の木之本さくらが、毎回モデルチェンジするコスチュームのひとつとしてねこみみ姿に扮する(ファンタジー+コスプレ)。ともあれ両者に特徴的なのは、「SF」「ファンタジー」がもはやいささかも「ねこみみ」の口実として機能していない点である。

上での考えと呼応させ仮説的に述べるなら、口実から欲望へ、リアリズムよりも非リアリズム=マンガ、アニメ的リアリズム(大塚英志)の圧倒的な優位の下で、あまりにも当然のことながら、ねこみみの扱われ方に変化がみられるのでないか。たとえばおそらく、よけいな拘束はいらない、そこにねこみみがいてくれればそれだけでいいと、私たちは考えているのではないか。

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