TINAMIX REVIEW
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相沢恵の 他人事じゃない!

■『月姫』雑感

・『月姫』(TYPE-MOON/2000)

月姫
『月姫』(TYPE-MOON/2000)

ようやく本題に入れる。本作はノベルゲームであり、「戦闘」を描いている。叙述はほとんど一人称。物語は伝奇。五人いるヒロインの内、アルクェイドとシエルを表、妹の秋葉と琥珀・翡翠の双子のメイドを裏に配し、前者は「真祖」と呼ばれるオリジナルヴァンパイアの闘いを描き、後者では血族の因縁と主人公・遠野志貴の過去が明かされるという二面的な構成となっている。思いついたままを述べよう。

まず本作は、遠野志貴が「ものが壊れる線が視える」というアイディアが突出しており、この能力が様々な不幸を招きよせもし(物語の推進)、同時に不幸を解決するのだが(伏線の回収)、さしあたって僕が関心を持ったのは、本作が『痕』(他者意識との接続)や『雫』(妹の略奪)に表現でなく要素のレヴェルで似ている、その類似である。

だがその類似自体を否定的に捉えることに僕ははあまり関心がない。なぜなら、たとえば『痕』が採用した(と思われている)意識の接続というアイディア自体は、遡れば岩明均の短編『夢が殺す』に似ている。重要なのはそこでの差異であり、連鎖ではない。であるならば『月姫』は具体的にどうだったのか。

それについて肯定的な点からいうと、『月姫』は叙述ミステリのなかで主人公と双子という二つの分身関係を描いており(裏ルート)、これはなかなか読み応えがある。また妹である秋葉の戦闘シーンは全般的によい。とりわけそのビジュアルはすばらしく、やはり戦闘美少女の魅力といったところだが、そればかりではない。他のキャラクターたちが過去のしがらみのなかで闘うのに対し、秋葉は今まさに生起する嫉妬を根拠に闘う。これが関心を生む。琥珀を殺戮しようとする「血に燃え狂った」秋葉は、何よりも輝いていた。

月姫
図5:『月姫』(TYPE-MOON/2000)

他方で否定的な点はサスペンス性の消滅である。本作はひとえに弛緩しまくっているのだ。そこでは視覚的に「見せるもの」と「見せないもの」が統御されず、「戦闘」を支える身体の有り様を考えぬき、ノベルゲームの貧しさを反転させる戦略が決定的に欠けている。それゆえエルクゥの凶暴な身体の代わりに差しだされるのは、着流し男とパンクロッカーの貧弱なビジュアルというわけだ。語りがいかにテンションを高めようとも、そこでは「戦闘」が起こらない。(図5)

同じことは叙述についてもいえる。原稿用紙五千枚といわれる文章を僕は「長い」と感じてしまったのだが、テキストが長いことが問題ではない。おそらく日数が長いことが問題なのである。それゆえ物語の密度が必要とした緊張感を欠き、また全体の構成をも損ねている。バロウズ的(?)なセンテンス配置、形式に対するフェティシズム(例えばこだわりの章立てを見よ)が充溢する一方で、構成がおろそかになっている理由は、端的に小説として楽しみたいプレイヤー=読者への配慮が欠けているからだろう。また本作の設定は非常に膨大で、かつ魅力的ではあるのだが、それをヒロインが滔々と説明してしまうのはまるで頂けない。適度に隠すなり、視点を変えるなり、そこでは語りの工夫が必要だったはずだ。

最後にキャラ萌えとの関係。たとえば僕は、ほとんど出番のない青子先生萌えなのだが、彼女が仮にいずれかのシナリオで闘ったとしたらどうか?――上に並べているような問題は消え去り、劇的な緊張感と共に、跡には「戦闘」が起こるのかもしれない。しかも即物的な現実として。それはひとつの反転だが、同時にあまりに個人的な話だ。一体このような個人性を僕たちはどのようにして乗り越えたらよいのだろうか。◆

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