No.987094

夜摩天料理始末 52

野良さん

式姫の庭の二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/986786

数少ない式姫眼鏡のもう一人思兼様、ついに登場。

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2019-03-13 22:00:36 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:769   閲覧ユーザー数:760

 コタエヨ。

 

 この問いに対して、俺は、他人に対して説得力を持ちうる答えを持っていない。

 俺は……愚かだ。

 鞍馬のように、世の物事を安易に判断せず、全てを緻密に分析し、理路整然とその精髄を極めて行く頭脳も無い、仙狸のように人生経験を幾重にも己の知恵の中に畳み込み、その厚みのある知性と理性を基に、静かに達観する事も出来ない。

 右往左往し、思い惑うだけの、愚かな凡夫。

 悔しさに、ぎゅっと手を握る。

 

 ……手?

 

 自分に手がある事に、今気が付いたかのように、彼は改めて、自分の手を握った。

 手か。

 自分の掌に目を落とす。

 

「討伐お疲れさん、駆け付け三杯じゃねぇが、先ずは一杯やってくれ」

 差し出した杯を綺麗に日焼けした紅葉御前の手が受け取り、ぐいと大きく傾ける。

 喉がぐびりぐびりと旨そうに鳴る音に、男は嬉しそうに眼を細めた。

「ぷっはー、この一杯の為に生きてるってもんだよ、それにここで呑む酒の旨い事ったらないよ、なぁ童子切」

「全くですね、そろえたお酒が良いのもありますが」

 こちらは、大杯に受けた酒の面(おもて)を揺らす事も無く、口にするすると含んだ童子切が淡く微笑む。

「気心の知れた人と呑む以上に楽しいお酒はありませんからねー」

 

 この手で、気の合う友と酒を酌んだ。

 

「こりゃ、かなり凝ってるな。悪いな仙狸、面倒事を頼んじまって」

 戦に必要な物資を調達する為の帳面を纏め終わり、手伝ってくれた仙狸の肩を揉む。

「口より手を動かしてくれんかの……ちと右……おお、そこじゃそこ、強めにたのむ」

「この位か?」

「そうじゃな、その調子で……しかし何じゃな、主に肩を揉んでもらうなど、式姫になって初めての経験じゃ」

 ふにゃぁと力の抜けた声を仙狸が上げる。

「悪いな、この程度しか出来なくて」

「ふふ、なぁに、わっちの報酬はこれで十分じゃよ」

 仙狸は眠る様に目を閉ざして、極楽極楽と呟いた。

 

 この手で、感謝や親愛、そんな思いを伝えた。

 

 振り下ろした刀が肉を裂く感触。

 吹き上がる血と絶鳴。

 倒れて動かなくなった妖を見ながら、俺はただ、荒くなった息を鎮める事だけしか出来なかった。

「震えておいでですか、主殿?」

 荒い息を吐く俺に向かい、手の中の刀、蜥蜴丸が呟く。

 臆病さを嘲るでも無く、挑発し鼓舞するでも無く。

 ただ、俺の手から伝わる事実だけを伝えて来た。

「……ああ」

「恐怖、それとも武者震い?」

「……怖いな」

 己が死ぬ事も、相手を殺す事も。

「妖の命ですよ」

 妖、ヒトの敵、殺す事を世間から称賛される存在。

 確かに目の前のこいつも、幾人もの人を食い殺した奴で……そいつを殺した事自体に悔いは無い。

 無いけど。

「……何であっても、命を奪った事に変わりはねぇよ」

 人は、いや、あらゆる命の営みは、全て取り返しのつかない事の繰り返しで出来ている事を、相手を斬殺したこの手の感触が、否応なくその事を俺に突き付ける。

「そう、そうですね」

 刀の姿のままだったが。

「どうかしたか?」

「いえ、主殿らしいと思いましたので」

 その時、蜥蜴丸が少し柔らかく微笑んだような気がした。

 

 この手に刀を執り、皆と肩を並べ、生死を賭して戦った。

 この手で、皆と畑を耕し、庭を丹精し、飯を作り、掃除をし、碁を打ち。

 ……そうして生きて来た。

 

 ぎゅっと手を握る。

 俺の手の中には……皆から預かった沢山のものが。

 

 コタエヨ。

 

 その声に、彼は顔を上げた。

「ああ、答えよう」

 都市王の剣が、唸りを上げて床に倒れたままの夜摩天の上に振り下ろされる。

 その絶望の中、動けぬ閻魔が、それでも何とか立とうと身をもがく。

 領主は、何も見たくないと言うかのように、頭を抱えてうずくまる。

 そして陰陽師は……ただ、祈っていた。

 全ての力を絞り尽した人が、それでも及ばなかった時。

 その足りない力を貸してくれと。

 ただ祈り、そして願った。

 

 ギンと、硬い石に刃が食い込む音が、静まり返った法廷内に響く。

 夜摩天を両断し、法廷の床まで刃が食い込んだか。

 顔を上げ、悲痛な目をそちらに向けた閻魔は、だが、そこに未だ床に倒れたままの夜摩天と、彼女の隣に振り下ろされ、石の床に食い込んだ都市王の刃を。

 そしてその後ろ、あの三人の人間を守るかのように佇む、杖のようにも見える弓を構えたほっそりした人影を見た。

「流石に強いですね、私の一撃で剣を手放さないとは」

 彼女は、ずっと隠していた、その理知的な美貌を、今は堂々と晒して、そこに立っていた。

「……なんで?」

 この場所ではあり得ない存在を認めた閻魔が、茫然と呟く。

 なんで貴女が。

 夜摩天もまた、信じがたい物を見るような表情で彼女を……そして彼女が放った矢を見ていた。

 緑の光を帯びた矢が都市王の剣を握る腕と、踏み込もうとした右脚を深くえぐり、更にもう一筋の矢は、夜摩天に振り下ろされた剣に突き立ち、その軌道をずらしていた。

 一瞬の自失、だがそこから直ぐに立ち直り、夜摩天は叫ぶように声を上げた。

「駄目です……貴女がここに居ては!」

 お忍びでの多少の情報交換程度なら兎も角、顔を晒し、紛争に介入するとは、それは天と冥府の間で取り決められた不可侵の協定に背く行為。

 それに反しては、例え彼女ほどの神といえど、厳罰を下されるのは……。

その声を受けて、彼女は僅かに柔らかく微笑んだ。

「お久しぶりです、夜摩天さん」

 涼やかなその顔と声を間違えようも無い。

 

 キ……サマ。

 

 その時、都市王の喉が、軋るような声を発した。

 その喉の、本来の持ち主では無い存在が、無理やり吐きだす音。

「何です、都市王殿……いえ、彼の体を乗っ取った」

 彼女の眼鏡の奥の瞳が、珍しく険しく鋭い色を帯びる。

「玉藻の前」

 

 ナゼ、キサマが……。

 

 呪詛に満ちた声が冥府の法廷に陰々と響く。

 

 メイフデノイクサニ、キサマガ!アマツカミガ、カカワッテ、ヨイトオモウカァ?!

 

「貴女に文句を言われる筋合いは寸毫もありませんが……」

 ふ、とため息とも憫笑ともつかない吐息の後に、彼女は微苦笑を浮かべた。

「仰る通り、天津神が冥界の事に関与する事は、本来禁じられているのは間違いないですね」

 地上の世界に多少の介入をする程度は、口実一つでどうとでもなろうが、ここは冥王達の治める、世界の命と魂の循環活動たる、輪廻を司る厳正なる別世界。

 いかに正しき理由からであろうが、他界の神からの干渉は、衝突と破局をもたらしかねない。

 故に、かつて生じた軋轢の後に、互いに干渉しあわない事を約定した。

 それを破る存在に対しては、厳しい罰が下される。

 だけど。

 くすっと、本当に珍しく、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「それは神霊たる私の話でしょう?」

 

 ナンジャト?

 

 そう……神霊の私には、何も出来ないが。

「ここに居る私は、天津神の一柱ではありません」

 その眼鏡越しの鋭い目を若干優しくしながら、倒れ伏し、動けない陰陽師に向ける。

「今、ここに立つ私は、この方の術が結んだ仮初の姿」

「……わ、たし……が?」

 上げた焦点を結ばぬ目に、ぼんやりと優しげな顔が映る。

 君を私が呼んだと?

「ええ、そうです」

 その繊手が、陰陽師の右手を指し示す。

「我が力の一部を象徴する種子に、貴方は力を与え、そして、冥府と現世への道を開き、助けを強く願った」

 九字の最後の種子、知恵を司る菩薩、文殊。

 式姫の庭の主、彼の体に書き付けた、その種子の上に置いたまま、もう動かす事も出来なかった、私の右手。

 これを依代に……では、まさか、貴女は。

 この仏を化身に持つ。

「その願いに私は応え、その種子を依代としてここに顕現しました」

 そして、彼女は主と認めた存在に、自らの尊き名を告げた。

 

「我が名は、式姫、思兼(おもいかね)」

 

 それを聞いた陰陽師の頬を涙が濡らす。

 貴女は、私を認めてくれたのか。

「冥府と現世を貫いて届いた、強き願いの籠もった召喚に応じ、分霊をここに顕しました」

 私はやっと、この生を通じて渇仰し続けていた……。

「ご命令を、我が主よ」

 式姫と共にある陰陽師に、なれたというのか。

 滂沱と溢れる涙をそのままに、陰陽師は思兼を見上げ、口を開いた。

「私は、この人達を助けたい」

 私の魂を救ってくれた、そして今、式姫と共に在れた……その僥倖をくれた恩人たちを助けるために。

 

「だから頼む、私と共に、戦ってくれ」

 

 命令をするのではない、縋るのでも無い。

 共に歩む相手として、君に願う。

 この動かぬ身で、こんな願いは滑稽に聞こえるかもしれないが。

 だけど頼む、せめてこの魂だけは、君たち式姫と共に戦わせてくれ。

 あの男のように。

 その目を、全てを見通すと言われた神の瞳が受け止めた。

 陰陽師としての栄達に挫折し、権謀と野心の濁流の中に身を投じ、裏切りと殺戮に満ちた生を終え、その果てに、式姫の庭の主と冥王の魂に触れ、貴方が最後に辿り付いた境地。

 その覚悟、その魂、確かに見せて頂きました。

「承知しました」

 思兼の放った矢を抜き放ち、その傷が癒えた都市王が、咆哮と共に、降って湧いたように現れた強敵に殺気を向けた。

 右手には愛用の剣を、そして、背中から生えた別の手に、夜摩天の斧を拾い上げた彼が、凄まじい勢いで思兼に迫る。

 それをちらりと見てから、思兼は静かに頷き、得物を構えた。

「共に戦いましょう」


 
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