「二人とも走っちゃダメだよ。」
「「は〜い。」」
二人揃って元気よく返事をしてくれたが、車を降りると同時に外に駆け出していた。
「もう、返事だけはよいんだから。」
「しかたないわよ。夜も寝付きが悪かったんだから。目を閉じて開いてはまだ夜?聞いてきたし。小さいときのアンタと一緒ね。」
「そうだったかな。おぼえてないや。」
そう呟いた私にお母さんがそう言った。小さいときはお出かけの前の日は落ち着かなかったような気がする。確かにあの子達は昨日の夜からソワソワしていたし、移動中の車の中も元気いっぱいだった。
「まだ、小さいからね。嬉しいや楽しいが先にくるんだよ。」
「もう、お父さん。お父さんも注意してあげてよね。」
車から荷物を取り出していたお父さんが、優しく言うお父さんに私は笑いながら告げる。
「だめよ。亜由美。この人は二人にすごく甘いから。アナタにはもっと甘いけど。」
「そんなことないよ。」
私はそう言って隣にいるお父さんを見る。私と目があると頭を掻きつつ言訳を始める。
「ほら、普段あまり家にいないかさ。帰ってきて怒ってばかりだと嫌われるだろう。」
仕事の都合でほとんど家にいないから、いる時に怒ったりするとあの子達には怒られたことしか残らないかな。そんな風に納得しかけているとお母さんが笑いながら話す。
「だからと言って、私や亜由美にばっかり怒る役を回すのはずるいですよ。たまには悪役も悪くないですよ。」
「善処します。」
二人は言って見つめあい笑い出す。お母さんがすごく楽しそうだ。あの子達以上にこうやってお父さんと出かけることができて嬉しいのかな。それにつられて私も一緒に笑う。
「おかあさん、はやく、このおばさんにおかねはらって」
「はやく、はやく」
弟妹が大きな声で私達を呼ぶ。入り口のところで手を振りながら私達を読んでいる。
「亜由美、先にいって。私はお父さんと荷物を持って後から行くから。あとこれね。」
「うん、わかったよ。」
お母さんから財布と折り畳んであるシートを預かり、二人が待っている入り口まで小走りをしていく。
私達は家族でぶどう狩りに来ている。お父さんが遅い夏休みでこっちに戻ってきているのでお母さんのお休みにあわせて出かけることにした。お母さんの仕事は土日が休みではないので今日は平日だ。
当然私は学校があったんだけど、今年は一度もお父さんと出かけてないこともあり親公認でズル休みをした。
家庭の事情と言う理由で休むことをお父さんが学校に連絡してくれた。ちょっとばかり後ろめたい気もするけどこれはこれでなんだか楽しい。
「大人1人と子ども2人です。」
「二人は小学生かい?何年何組かな?」
おじさんが弟妹に声をかける。二人は大きな声で答えた。
「ねんしょうさくらぐみ」
「ねんちゅうゆりぐみ」
小学校に上がるのはもう少し先の話。二人が私を見上げてくる。その表情はどう、ちゃんと言えたよ、偉いでしょうと感じがしたので、二人の頭を撫でてあげる。
そんなことをしているとおばさんは大人料金一人分の値段を告げた。私が不思議そうにしていると説明してくれた。
「えっとこの子達は就学前だから無料だから大人一人だね。それにしても若いお母さんだね。」
「えっと違います。弟と妹です。」
「あれ、でもさっきこの子達がお母さんって。」
「あっちで荷物を出してるのが父と母です。」
「そっか、最近の子は大人っぽいね。それに仕草が母親みたいだったかね。」
そんなことを言いながらおばさんは、入場証をくれた。こんな風に言われたのは、初めてじゃない。時たま、この子達と遊びにいく公園とかでも間違われたりした。私って年相応にみられないのかな。
そんなことを思いつつ、ハサミとカゴを農園の人から受け取りぶどう畑にはいる。葡萄園の中に入ると葡萄のつるが自分の頭のすぐ近くにこれでもかというぐらい、ひしめき合っていた。
中に入ると農園のおじさんが葡萄の取り方を教えてくれる。
「袋を少しだけ破って中身を見て、いいなと思ったら、なるべく茎の近くをきるんだよ。」
「中身を見る時、気をつけることありますか。」
私がそう農園のおじさんに尋ねる。せっかくだから美味しいのを取って食べないと。
「そうだね。色が濃い方が美味しいかな。基本的には食べごろの区画を解放してるからそんなに差はないよ。どれでも美味しいから。」
説明を受けた後、私は平らな場所を探してシートをひく。二人にはそれぞれ止めピンを渡してあるので四隅に指すようにお願いする。
「よう君、りょうちゃん。ピンをギュッと差していいよ。」
「おねえちゃん、できたよ。」
「こっちもちゃんとできたよ。」
「じゃ、お父さんとお母さんが来るまでしばらく休憩だよ。」
三人でシートに腰をおろして葡萄園を眺める。外から見ていたのとは違う景色だ。上を見ると葡萄のつるが格子いっぱいに広がりグリーンカーテンになっている。残暑の日差しを程よく遮ってくれている。
「おねえちゃん、おそらがみえないね。」
「そうだね。葡萄のつるがあるからね。でも隙間からお日様が見えるよ。」
「ほんとだ。たまにまぶしい。」
「じっと見ちゃダメだよ。目が悪くなるから。」
お父さんとお母さんが私達を見つけ、こちらに向かってくる。お母さんはバスケットをお父さんはクーラボックスとバケツを二つもってこちらに来た。
「いい所があったね。」
バスケットをシートに置いてお母さんもシートに腰を据える。妹がすかさずお母さんの膝に座りにいく。
お父さんはバケツを借りて家から持ってきたペットボトルの水を中に入れ、途中のコンビニでかった氷を片方にいれる。何をしているんだろうと不思議そうにみてい弟に気がついたお父さんが弟に説明してくれた。
「これは、葡萄を洗うバケツと、冷やしておくバケツだよ。冷えた葡萄はおいしいからね。わかったかな。」
「わかった。あらうのと、ひやすのね。」
弟はウンウンと頷いている。本当にわかったのかな。妹はお母さんから離れて、バケツに入っている氷の塊で遊んでいる。
「おねえちゃん。おおきいこおりだね。かきごおりがたくさんたべれるよ。」
「そうだね。でも今日は葡萄を食べないとね。」
「うん、ぶどう。はやくとりいいこう。」
私の腕にしがみついてくる。いつも以上に元気がいい。楽しみにしていたのがよくわかる。
「私達はここで、待っているから。三人で取ってきて。」
お母さんがハサミとカゴを渡してくれる。枝の部分が大きなハサミと朝市等で野菜がおいてあるようなカゴだ。
「ぼく、はさみもちたい。」
「ちょっと待ってね。」
私はハンカチを取り出しハサミの先に巻き付ける。この子達が普段使うハサミと違い先が尖っている。なのでこの部分をしっかり巻いて握らせてやれば大丈夫だろう。
「いい、ハンカチの部分をしっかり持つんだよ。」
そう言ってハサミを差し出すと恐る恐る両手で受け取る。
「わたしももつ。」
「はい、りょうちゃん。」
お母さんが私がしたようにハンカチを巻いたハサミを渡す。
「いいかい二人とも、ハンカチをとるのはお姉ちゃんにしてもらうんだよ。わかった。」
「「は〜い」」
お父さんがそう声をかけると二人は元気よく返事をした。
「じゃ、二人をお願いね。美味しそうなのを取ってきてね。」
私達は葡萄の房がたくさんある区画に三人、手を繋ぎながら移動した。
実が沢山なっている場所に移動してどれにしようかと迷っていると、弟が私の服を引っ張ってきた。
「おねえちゃん、あれがきになる。だっこして。」
弟は白い紙に包まれた葡萄を指差していた。二人には葡萄は届かない高さに実っている。抱き上げてあげると、弟は教えられた通りに袋の先を小さく破く。あいた穴を一生懸命に覗いていた。
「よう君、どう?美味しそう?」
「うん、おいしそう。ぼくこれにする。」
弟を一度おろしてから、ハサミのハンカチをほどく。本当は私が切った方がいいんだろうけど。たぶん切るのまでやってみたいんだろうな。
「いい、しっかりハサミを持ってね。工作で紙を切るみたいにゆっくりとだよ。」
抱きかかえた弟は真剣なまなざしで頷き、慎重に葡萄の付け根にハサミを当てる。
「左の手で葡萄を支えるんだよ。そうしないと下に落ちちゃうからね。」
私は何とか片手で弟を抱きながら、弟の左手に自分の手をそえてあげる。パチンという音がして手に重みが伝わる。思っていたより大きい葡萄みたいだ。
「はい、よう君。しっかり持っていてね。」
そして妹が選んで待っている所に行き、同じように抱き上げ葡萄を切り取らせる。その後私は自分と両親の分を切り取り二人が待つシートに戻った。
切り取ってきた葡萄5房を水につけて、軽く洗い流す。一粒一粒が大きな実がついている。洗い終わったものをもう一つの氷が入っているバケツに入れて冷やす。そこから実をもぎ取り、指で軽く摘んでやると実が口の中に溢れる。
「おかあさん、おくにちはいってこないよ。」
「そう言うときはこうして小さい穴から向いていくんだよ。」
お母さんが実演してみせる。弟は器用にマネをして食べにくいものは向き、食べやすいものは指でおして次から次に口に放り込んでいく。慌てなくてもまだ一杯ある。そんなことを思っていると
「うまくできない。」
妹の手には皮が千切れて、半分半透明の緑が見えている葡萄があった。強く引っ張りすぎて皮がきれちゃったのかな。
「りょうちゃん、これあげる。」
私は向いていた葡萄を妹の口の中に放り込んであげる。
「どう、美味しい?」
「うん、おいしい。もう、いっこちょうだい。」
私が冷やしてある葡萄に手を伸ばすのと同時に、紙皿に並べられた皮をむいた葡萄が妹に差し出される。振り返るとお父さんが皿を持っていた。
「稜子、こっちにおいで。お父さんと一緒に食べよう。」
「うん、いっしょにたべる。」
「稜子の分は、僕が頑張るから、亜由美ちゃんも食べた食べた。」
「うん。」
私は手にとった葡萄の皮をむき、口の中に葡萄を放り込む。口の中に淡い甘さがゆっくりと広がっていく。小さな粒の葡萄もおいしいけど大きな粒の葡萄も美味しい。
本来なら授業があるこの時間にこうやって外で葡萄を頬張るのも悪くない。でも明日、事情をしっている親友に何を言われることやら。同じく知っている彼はたぶん何も言わないだろうな。
しばらくのうち5人は黙々と葡萄を頬張っていた。弟は皮を剥かずに口に放り込み、皮だけ器用に取り出していた。何かコツがあるのかな、すごく簡単そうだ。
そう思って真似してみるがどうも上手くいかない。口の中に皮の渋みが広がっていく。私は諦めて半分だけ皮をむいて、指で押し出し身を口の中に入れる。
「ねぇ、つぎのぶどうとってきていい?」
弟は何もついていない葡萄の枝を摘みながら、バケツの水で遊んでいる。
「もう食べちゃったの。早いわね。じゃ一緒にお母さんの分もお願いね。」
「いってくるね。」
靴を履き、ハサミを持って駆けていく。慌てていかなくても葡萄は逃げないんだけどな。私は口の中にある葡萄を飲み込み弟についていく準備をする。
「あれ、亜由美も次の?」
「違うよ、よう君一人じゃ。届かないから付いていくの。」
「わたしもいく。」
妹も立ち上がりついてこようとする。妹の分はまだまだたくさん残っていた。
「稜子はまだあるだろう?お皿のを全部食べてからにしなさい。」
珍しくお父さんが注意した。さっきのを気にしているのかな。そう言われた妹は剥いてある葡萄を口に入るだけいれて空にした。口をパンパンに膨らませながらお父さんを見ている。たぶん食べたから言ってもいいよねと言っているんだろうな。
「じゃ、お父さんと行こうか。」
妹の手を引いて弟が駆けていった方向へ歩いていく。弟がいる場所につくとお父さんが弟を抱き上げ葡萄を取らせている。私と違い背が高いのでなんだか苦しそうだ。やっぱり私がいけば良かったかな。
「さて、しばらく帰ってこないわね。」
指を指す方向を見ると二人は何やら駆け回っている。大丈夫かな下はボコボコと木の根が浮かび上がっている。つまずいて転けたりしないといいけど。そんな事を思いつつ二人を眺めながら葡萄を口に入れる。
お父さんも側にいるから大丈夫だろう。けど何で二人は走り回っているんだろうか。何かを追いかけているようにも見えるけど。そんな風に思っているとお父さんが葡萄を手に抱えて戻ってきた。二人はまだ向こうで遊んでいる。
「心配しなくていいよ。トンボと追いかけっこを始めたよ。お腹が減ったらもどってくるだろう。」
私が二人を見ていたのに気がついてお父さんがそう言った。なるほどトンボか、ちょっと前までは蝉や蝶だったけ。そんな事を思い返しているとお父さんはとってきた葡萄を水につけて軽く洗って、氷水にいれる。
「それにしても二人とも重かった。成長したんだな。」
「小さいうちの成長は早いですしね。」
「そうだね。年に三、四回しかあえないから特にそうだろうね。」
「日本で落ち着くことはないの」
私がお父さんにそう聞くと、お父さんはお母さんを見ていた。お母さんは首を横に降っていた。
「こっちでは無理だな。近いうちにどこかで落ち着ける予定はあるけど。」
「そっか。」
それから、お父さんが外国での生活や、仕事について話をしてくれた。初めて習慣や人々の考え方。世界には色々な文化があるんだなと改めて感じた。いつか私も自分の目で見てみたい。
「おかあさん、おなかへった。」
「ん、ああ、もうお昼なんだね。ご飯にしようか。サンドイッチだよ。」
お父さんが言ったように二人はお腹がすいたと言って帰ってきた。膝とかに泥がついている所を見るとどこかで転けたのかな。私はタオルをバケツに入れて汚れた膝を拭いてあげる。その間にお母さんがバスケット蓋を開けてサンドイッチの包みを一つずつ二人に渡す。
「ねぇ、なにがはさまってるの?」
「よう君がもっているのはハムとチーズだよ。」
「わたしのは?」
「りょうちゃんのは卵とハムだよ。」
「ちょこれーとはないの。」
妹はチョコレートクリームが大好きだ。だけど今回は作らなかった。
「今日はないよ。また今度ね。」
お母さんがそういうと妹は残念そうな顔をしていたが、サランラップをはがしサンドイッチにかぶりついていた。口の周りには卵がついていた。私が口まわりを拭こうとしてティッシュを鞄から出しているとお母さんが弟を注意していた。
「ほら、レタスも一緒に食べないとダメ。」
弟を見るとサンドイッチの中からレタスを器用に一枚のこっていた。どうやったらレタス一枚だけ綺麗に残るように食べれるのかな。
「よう君。レタス食べないと次のサンドイッチはなしだよ。」
お母さんがそう言ってバスケットの蓋を閉める。弟は自分のサンドイッチとバスケットと見つめる。その後、視線を私に向ける。助けを求めている目をしている。でもごめんね、私も味方になってあげれない。
「よく君、頑張ろう。それ食べたら大好きなツナと枝豆のサンドイッチ取ってあげるよ。」
私がそう言うと今度は隣にいるお父さんを見る。お父さんは嬉しいような、困ったような何ともいえない顔をしていた。そして弟の頭に手を置いて大きく頷いた。
「食べないなら、お父さんが全部食べちゃうぞ。母さんツナと枝豆のヤツとってくれないかな。」
「はいどうぞ。」
お父さんが渡されたサンドイッチを美味しそうに頬張っていく。それを見ていた弟は目を瞑り残りのサンドイッチとレタスを一緒にして口に中にいれる。頬を目一杯膨らませてモゴモゴと口を動かす。
何だかヒマワリの種を口いっぱいに含んだリスみたいだと思いながら見ていると長い咀嚼が終わり見事に飲み込んでいた。そして紙コップのジュースを飲み干し一息つく。
「たべたよ。ツナのやつちょうだい。」
そう言って手を伸ばす。なんとも誇らしげな表情をしている。ただ、目を少しだけ潤んでいる。お母さんを見るとすごく優しい顔をしていた。そして希望のツナのサンドイッチをとってあげる。
「偉いね。ちゃんと食べれたね。はい、ツナサンド。よく噛んでたべてね。」
弟はサンドイッチを受け取り、大きな口をあけてモゴモゴと何時もより多く口を動かしながら食べていく。そんな姿を見ながら私達はたわいもない話に花を咲かせながら楽しく過ごしていた。
ちょと作りすぎたかなと思ったサンドイッチはあっという間になくなってしまった。少し食べ過ぎたかな。葡萄を食べた分を差し引いても多かったかな。
「あれ、静かだと思ったら。二人とも寝てる。」
お母さんが後ろをみて二人は寄り添うようにして寝ている。起きて何かしているときも可愛いけど、穏やかな寝息をたてながら寝ているのもすごく可愛い。
「昨日夜、遅かったからね。ここだと少し寒いから車につれていくね。私も少し眠いし。」
お母さんは弟をおんぶして、器用に妹を抱き上げる。そしてお父さんに何か耳打ちして車に戻っていた。耳打ちされたお父さんはどこか困ったような顔をしていた。
「亜由美ちゃん。学校とかはどうかな。」
「楽しいよ。ねぇ、お父さん。もう、『亜由美ちゃん』って呼ぶのやめない。」
私はこの間からずっと考えていて、伝えようと思っていたことを思い切って伝えてみた。初めて会ったときからずっとそう呼ばれていた。
「小さいときから呼ばれてるからあれだけど。私も二人みたいに呼んで欲しい。なんか私だけ違うみたいで寂しいよ。」
「ごめん。」
お父さんは一言そういって、しばらく黙っていた。何とも言えない空気が二人の間に流れる。どうしようお母さんが戻ってくるまでずっとこのままかな。しまったな最初に言わなければ良かった。そんな風に考えていたらお父さんから話をしてくれた。
「そう言えば、彼とはどうかな。」
少しばかり緊張した面持ちで聞かれる。それが伝染したのか私も何故か緊張してきた。
「どうって、普通だよ。家で一緒に遊んだり、勉強したり、あのこ達と遊んだり。」
私はボソボソと話しはじめる。何だろう、お母さんに話すときはスラスラと喋れるのにお父さん相手だと言葉がつづかない。
「彼はよく家に遊びにくるのかい?」
「うん、よく来てくれる。あの子達も彼が来るのが楽しみみたい。」
今までに会った出来事をかいつまんで話してあげた、抱きしめてもらったりキスしてもらったりしたのは全部隠した。すごく恥ずかしい、お母さんにはうまく誘導されて話してしまうけど。お父さんはそんなことはしなかった。隣にお母さんがいなくて良かった。
「そっかデートはもっぱら家なんだ。仲良くしてるんだ。それにしても出かけたりはしないの。」
「たまにするよ。でも、あの子達も一緒のことが多いかな。」
「そっか。」
お父さんは何やら考えている。それから私は彼のお祖父さんの家に行ったことも話した。
「この間ね。彼のお祖父さんとお祖母さんに会ったよ。」
「こっちに来てたのかな?」
「ううん、私達が向こうにいったの。」
あの日のことをかいつまんで話をした。お父さんは終始頷きっぱなしだった。そして話が大方終わるとボソッと呟いた。
「僕も卵焼き食べたいな。」
「お父さんがいるときはお母さんが楽しそうだから。私は手伝うだけだし。」
「そこを是非、お願いしたい。」
「わかったよ。明日の朝作ってみるね。」
「それは楽しみだ。」
お父さんが嬉しそうに笑う。私もつられて笑顔が溢れる。明日は久しぶりにお弁当も作ってみようかな。ついでだから彼の分も用意しよう。あとでメールしないと。
そんな事を考えているとお父さんが笑うのをやめ、いつもより落ち着いた口調で話しはじめた。
「ご飯前に、仕事の場所が落ち着ける話したの覚えてる?」
「うん、覚えてるよ。」
「実はね、さっきのほぼ決まりなんだ。再来年の9月から何だけどね。お母さんは仕事の引き継ぎに一年はかかるからちょうどいいからって。場所はアメリカ。」
「えっとそれって。」
「単身赴任は寂しいから、皆で一緒に来ないかなって、お母さんを誘ったんだ。」
みんなで一緒にいられるのは嬉しいでも、でも急にそんな事を告げられてもどうしていいのかよくわからない。そんなことを思いつつお父さんの話の続きを聞いていく。
「受験があるのはわかってる。ただ、何も大学はこっちだけじゃないし。留学って形になるけど、でも大丈夫だよ。もしかして行きたい学校があるのかな。」
行きたい学校はある。でも必ずそこでないといけない理由はない。むしろ留学できるならそっちに行ってみたい気持ちもある。
「行ってみたい大学はある。でもそれは絶対ってわけじゃない。あと……。」
彼と離れたくない。そう続けることができなかった。お父さんもお母さんも、家族が全員一緒に生活できるようにと考えてのことだし。私達のことを考えてくれる。それなのにそんな我侭を言っていいわけがない。
「もしあるなら、一人暮らししてみるのもいいよ。お母さんは心配だから嫌だって言ってたけ…「待って」。」
お父さんの話を遮り、私はつい大きな声を出してしまった。周りにいた人達は少なかったが、そこにいた人達全てがこちらを振り向いていた。
「ごめん。急すぎたね。ゆっくり考えればいいよ。大学の事とか、あと彼のことも。」
彼のことは一言もいってないのに、お父さんは最後にそう言った。私、顔に出ていたのかな。
「彼とは電話なりメールなりで連絡も取れる。WEBなら顔を合わせることもできるし。世界の距離は昔と違いすごく短い。」
お父さんがそう言った。彼と離れるのも嫌だけど。私がどうしていいのかわからず混乱しているとお父さんが肩を叩いた。
「これはね、僕の独断なんだけどね。こういう手もある。」
お父さんは耳元で呟いた提案はすごくビックリするものだった。聞かされた後、マジマジとお父さんを見つめる。本気なのか冗談なのかを確かめたかった。
「お父さん、それ本気?いいの?」
「本気だよ。亜由美が本気でするなら。全力で支援する。どうかな。」
そう私を『亜由美』と呼んだお父さんは少し恥ずかしそうだった。そう言われた私も別の意味で少しだけ恥ずかしかった。お父さんの提案は、私の中ではまだまだ先の話だと思っていた事だった。このまま順調にいけば必ずどこかで来る未来。
「でも、よく考えて決めなさい。」
「うん。ありがとう。」
この話を聞いたら彼はどんな顔をするのかな。間違いなく驚くだろう。でも彼は責任感が強いから、ダメっていうかな。逆かなあっさりと同意してくれるかな。
「それと向こうの家の人は二人のあの事は知ってるのかな。」
「大丈夫だよ。知ってる。」
「なら話は早い。二人の気持ちが決まればそれでいい。」
「うん。」
私がそう答えるとお父さんは嬉しそうだった。でもいいのかな、お母さんの説得は骨が折れそうだけど。まぁそれは、お父さんに頑張ってもらうことにしよう。
何となく自分の答えが出たで私は相談したかった事があったのを思い出し話しかける。
「ねぇ、お父さん話は変わるけど。変なこと聞くけどいい。」
「いいよ。どんなことだい?」
優しい顔に見つめられる。
「私はずっと榊亜由美でいいんだよね。」
「そうだね。お嫁にいくまではそうだと思うよ。まぁ二人が榊の姓を選べば別だけど。」
「えっ、選べるの?」
「そうだよ。どちらか一方の姓をを選択するんだ。亜由美の場合は、矢野姓と榊姓」
「そうなんだ。知らなかった。」
「入籍って言葉だけが一人歩きしてるけど、そんなのないんだよ。二人で新しい戸籍をつくるからね。それはいいとしてどうしてそんな事を言うんだい。」
お父さんが不思議そうにこちらを見ている。お父さんが戻ってきた時に相談しようと思っていたことを私は話しはじめる。
「宮内のおじいちゃん達のことなんだけど。」
「あぁ、何かあったのかな。お母さんは何もいってなかったけど。」
私はこの間、電話があったことを話した。
「この間、電話があったんだ。それで、お母さんがすごい怒ってた。」
「何の話かは聞いた?」
電話が終わった後のお母さんは何だか怖くて聞けなかった。弟妹も何かを感じるのか、私の側をその日は離れようとしなかったぐらいだ。
「聞けなかった。でも養子がどうとかいってたのは聞こえた。」
「そっか。やっぱりそうなったか。」
お父さんは難しい顔をして目を瞑った。どんな事を考えているんだろう。私の血のつながったお父さんの実家とお母さんは中が悪い。でも初めからじゃない。お父さんが死んだ後も、時々お祖父ちゃんとお祖母ちゃんが、よく遊びにきていたし、私も遊びにいったりしていた。
ただ、私の記憶が間違ってなければ、お母さんが再婚した後からそう言うのがなくなっていったのは覚えている。
「亜由美は僕の大切な娘だ。気持ちだけじゃなくて法律的にも。」
「そうなんだ。」
「だから何も心配しなくていいよ。僕がお母さんと亜由美を守る。」
「ありがとう。それでね、宮内の家に行きたいんだけどついてきてくれるかな。」
「もちろん。」
そう言ったお父さんの顔はすごく格好良かった。私はお父さんの腕を掴み、そのままもたれかかるように体を預ける。お父さんは驚いたみたいだったけど、私はおかまいなくそのままでいた。
「わぁ」
大きな声が後ろでして、背中に重みが加わる。ビックリしてお父さんの腕から手を離して、振り向くと妹がしがみついていた。
「ビックリした。おはよう。」
「おはよう。なにしてたの?」
妹は私とお父さんを交互に見ながらニコニコしている。その後ろでは弟がお母さんと手を繋いで立っていた。
「お話をしてたんだよ。」
「ずるい、ぼくもおはなしする。」
「わたしも。」
起きてきた弟妹が私に引っ付いてくる。こうやって囲まれていると何だか安心する。たぶん小さい時に一人だったことの反動なんだろうな。私の大切な家族、できる限りいつまでも一緒に居たい。
「お父さん、いつがリミットかな?」
「今年の三月ぐらいかな。」
そういってお父さんが私の頭を撫でる。私が二人にしてあげるように優しく撫でてくれる。何だか恥ずかしい、でもちょっぴり嬉しい。そんな複雑な気持ちでいるとお母さんが変なことを言ってきた。
「なんだか恋人みたい。ほら。」
そういってお母さんはデジタルカメラの液晶を見せてくれた。そこにはお父さんの腕をとり寄りかかっている私とお父さんの後ろ姿が写っていた。いつの間に撮られていたのかな。
「何でこんなの撮るの。」
「真一君に見せたら面白いかなっとおもって。」
「お母さん。」
「冗談よ。それに何となく親子って感じがしたから。見せても問題ないわよ。」
「ぼくたちもとって」
弟と妹がなんだか変なポーズをとっている。お父さんはお母さんからデジタルカメラをもらい、シャッターを次から次へと切っていく。私とお母さんもその中に混じり写真にうつっていく。そして最後に農園の人に頼んで家族写真を一枚撮ってもらった。
—色々の話が一気に進んだ一日。のんびりとした家族団らんの一日のはずが、人生の重大イベントのスイッチがいくつも押された日になった。—
fin
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火照った体をやんわりと冷やしてくれる風が吹きはじめる9月。皆様はどのようにおすごしでしょうか。高い青空のもと出かけたり、家でゆっくりと読書をしたりと、色々な楽しみ方があります。さて彼女はどんな風に過ごしているのでしょうか。