No.951110

真・恋姫†無双 ~夏氏春秋伝~ 第百五十七話 前編

ムカミさん

第百五十七話の投稿です。


皆さま、大変、大変、大っ変っ、長らくお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。

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2018-05-04 10:14:38 投稿 / 全19ページ    総閲覧数:2520   閲覧ユーザー数:2238

 

赤壁から夏口へと向かう途上の大平原。

 

そこに今、前代未聞の大人数が犇めいていた。

 

言わずもがな、魏軍と連合軍。両軍合わせて五十万にも至ろうかという異様な人数だ。

 

両軍とも早朝より動き始め、お天道様が最も高くなる前には今の睨み合いが完成していた。

 

どちらも迂闊に動くわけにはいかない。下手な行動は予定に無い痛手を被ると分かっていたからだ。

 

連合は魏の持つ大砲を最大に警戒していた。

 

そのため、部隊は通常よりも幅を広く取って布陣している。

 

その最前列に速度を誇る部隊と攻撃射程を誇る部隊を固め、大砲の無力化に腐心する心積もりを見せている。

 

魏の方は、連合の破れかぶれの突撃を警戒する。

 

兵数で勝り、兵器で勝っている魏軍だが、だからと言って傷を気にせずに突き進めるほどの差までは無い。

 

下手な刺激は宜しくない。最悪の場合、死兵を生み出してしまい、それはそれは愉快なことになるだろう。

 

何より、魏は一刀の提案した内容を中心に策を組んだ。

 

華琳が承認した以上、その意を最大限に組んで結果に反映させなければならない。

 

軍師達はその実現に苦悩した。

 

魏に属する軍師格全員が毎日のように集まり、策を作り上げていった。

 

結果、上がった策は異様な出来であった。

 

人によっては、これは策などでは無い、と言い切るだろう。

 

何せ、敢えて言葉に直すならば、究極の投げっぱなし、なのだから。

 

ともあれ、両軍の布陣が完了して睨み合いが暫く続いた後は、流れとしてもう決まっているようなもの。

 

魏陣から華琳が出て来る。付き従うは春蘭と秋蘭、それに一刀。

 

今回一刀は舌戦に参加しない。単純に華琳の護衛として出て来ていた。

 

対する連合側は、蜀から劉備と関羽、張飛、呉からは孫堅と程普、それに周瑜が出て来た。

 

互いに十分な距離を保って止まる。

 

まず口火を切ったのは華琳だった。

 

「無駄でしょうけど、一応言っておくわ。

 

 素直に降参するつもりは無いかしら?

 

 今ならまだ貴女達全員、手厚く迎えてあげるわよ?」

 

「はっ!そんなのごめんさね!

 

 私ゃ、仕える主くらいは自分の意思で決める。

 

 誰も仕えるに値しないんであれば私自身が一番上になってやる。

 

 ただそれだけの単純なことさね!」

 

孫堅が即答する。

 

かつて面と向かって言い放った言葉、それを言葉を変えて繰り返しているだけだ。

 

他方、劉備は少し異なる回答を返して来た。

 

「曹操さん……かつて、貴女が私に言った言葉の意味。以前に私は、それを分かった上でやっぱり否定しました。

 

 けど、実は本当の意味では分かって無かったんだなって、つい最近思い知りました。

 

 だから、今なら本当に分かる気がします……けれど!だからこそ、やっぱり!私はその考えは拒絶します!

 

 最初から武力での制圧ありきでしか考えていなかったら、他の可能性も全部無くなってしまうんです!

 

 …………曹操さん。私は貴女の考えに異論を突き付けるために、全力で抵抗してみせます!」

 

杏から聞いてはいた。

 

劉備はこの一連の戦の少し前、群発戦を演じていた位の頃から本格的に変わった、と。

 

犠牲を極端なまでに厭う姿勢から、必要な犠牲を受け入れられるように。

 

今、一刀が目にしているのは、つまりようやく”覚醒”した劉備なのかも知れない。

 

ともあれ、孫堅も劉備も、華琳の提案には却下と答えた。

 

ならば、最早互いに掛ける言葉は無い。

 

「そう。それは残念だわ。

 

 ならば、貴女達はここで蹂躙してあげましょう。

 

 ただ一点、貴女達とその将に私からお願いよ。この戦でなるべく死なないで頂戴ね?」

 

「ほぉ?なんだ、曹孟徳ともあろうもんが、随分とお優しいこっ――――」

 

「運良く生き残れた者はちゃんと私たちの監督の下、役立ててあげるわよ。

 

 この大陸を支配する、私の新しい国で。

 

 王家の者も、まあそれなりに使い道はあるでしょうし」

 

華琳の言葉は優しさから来たものでは無い。純度の高い皮肉であった。

 

その効果は――――覿面だった。

 

連合軍の最前線から急速に怒気が膨張する。

 

その気を肌で感じ、華琳は口端を吊り上げた。

 

「あらあら、怖いわね。

 

 貴女達の飼い犬に手を噛まれない内にさっさと退散させてもらうわ。それじゃ」

 

そう言葉を残し、しかし言葉とは裏腹に威風堂々と一刀たちを連れて華琳は魏陣へと戻っていく。

 

「ちっ!厄介なことしてくれやがって」

 

華琳の背に、同じく背を向けて孫堅もまた自陣へと戻っていく。

 

劉備もそれに続いた。

 

「あ、あの。一体曹操さんは何を……?」

 

「はん!奴はさっきの言葉を敢えてこっちの奴らに聞かせたのさ。

 

 おかげでこっちの初動がちと危うい。

 

 もっかい策を叩き込んでやらんとね」

 

「わわっ!こっちもすぐに朱里ちゃんに!」

 

劉備は慌てて蜀の陣へと駆けていく。

 

孫堅の言通り、華琳はまず言葉で先制攻撃を仕掛けた。

 

本来なら味方の士気を上げるために使う舌戦を、敢えて相手に向け、暴発を誘ったのだ。

 

零と風から提案され、面白そうだと華琳も乗ったそれ。

 

それもこれも、”最後の策”を確実に成功させるために。

 

かくて、連合は戦端を開く前にせねばならないことを増やされた。

 

そして、僅かに出来たその綻びは、内部からこじ開けられていく――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クッソがぁ!舐めやがって!

 

 いくぞ、てめぇら!あいつらに目に物見せてやっぞ!」

 

「お、おい!待て、周倉!!」

 

蜀の最前線からは見事に周倉が釣り出され。

 

「あの物言い、我慢なりません!

 

 孫家の御為、我らが力を示します!」

 

「ちょぉっ?!ま、待ってください、明命~っ!!」

 

呉の最前線からは周泰が釣り出された。

 

言わずもがな、これはただのサクラ。

 

しかし、人というものは一たび流れが出来れば乗って行ってしまうもので。

 

「にゃにゃ!鈴々も負けてられないのだ!とっつげきー!」

 

「ふっ……蓮華様含め孫家の方々を愚弄するとは……

 

 奴ら、命はいらぬと見える。甘寧隊、構え!調子に乗った阿呆どもを叩き潰すぞ!!」

 

飛び出さんとするサクラに当てられ、両軍から血気に逸る幾人かの将が出て行こうとし始めた。

 

このままでは策もクソも無くなってしまう。そんな時であった。

 

「鎮まれぇぇええぇぇっっいっ!!!」

 

連合軍を怒声が襲う。

 

同時に闘氣も当てられ、今まさに飛び出さんとしていた将たちはそのまま固まってしまった。

 

連合軍の視線は一ヶ所に集まる。声の発生源、孫堅へと。

 

「ったく!いい加減にしときな、あんたら。

 

 やり合う前からむこうの策に簡単に掛かっちまってんじゃ無いよ!」

 

誰も声を上げられない。

 

まるで本当にそこにあるかの如く濃い闘氣を立ち昇らせている孫堅に恐怖を覚えたからだ。

 

それは呉の者であっても同様であった。

 

が、同時にある程度これを知っていたからこそ、呉の方が立ち直りが早い。

 

「むっ?!全軍、構え!

 

 敵が動くぞ!赤壁の新兵器に注意しろ!」

 

周瑜の声が響く。途端、呉の者も蜀の者もハッと我に返って慌ただしく動き出した。

 

 

 

「ふぅ……危ういところでしたが、なんとかなりましたね……」

 

「うん。杏ちゃんが折角良い策を立ててくれたんだから、しっかりと活かさないと!」

 

蜀の本陣で徐庶と諸葛亮がそんな会話を交わしていた。

 

杏の策。それはとある情報を基にして立てられたものだった。

 

『魏軍は開戦と同時に新兵器を撃ち込んでくる』。蜀の間諜も呉の間諜も、そんな情報を持ち帰って来たのだ。

 

これを受け、連合の軍師陣は頭を悩ませた。

 

開戦初っ端の布陣をどうするべきか、それが主要因である。

 

開戦直後は当然ながら彼我の距離が大きく離れている。詰まる所、魏の新兵器の良い的になってしまうのだ。

 

初っ端の彼我の距離を覆したいなら奇襲しか無い。

 

が、戦場は見渡す限りの平野。奇襲などとても出来る地形では無かった。

 

ならば、と杏が策を一つ提案。

 

その内容が、開戦時の最前線は部隊毎に距離を置くこと。そして、速力を誇る部隊と防御力を誇る部隊を交互に配置すること。

 

要するに、敵の初撃が分かっているのなら、被害を最小限に抑えつつしっかり防いでちゃっかり反撃して無力化しよう、ということだ。

 

ただし、これは緊密な連携と迅速な部隊指揮が必要不可欠な策となっていた。

 

そのため、当初諸葛亮や周瑜は難色を示す。

 

連合軍とは言え、結局は二つの国の寄り合い軍隊なのだから、二人の反対は当然と言えば当然だった。

 

しかし、そこは発想の転換だ、とでも言うかのように杏が解決策を提示。

 

曰く、中央には部隊を配置せず、敵軍両翼に向けて蜀と呉がそれぞれ先ほどの陣形を取る。

 

各々の国が各翼相手にのみ集中するという、小さな局地戦を形作れば両国間の連携不足など論じるに値しないのだ、と。

 

中央はがら空きになるが、意図の読めない大きな隙は逆に罠にしか感じられない。故に、魏軍は戦の初っ端、中央には攻めて来ない。

 

仮に攻めて来るとして、機は連合の狙い、つまり新兵器無力化を悟った後となる。その時にはそれぞれの速力自慢の部隊が颯爽と中央に舞い戻って応戦すれば良い。

 

それは蜀や呉の軍師に少ないタイプ、つまり奇策を中心に置いた作戦だった。

 

普段取り扱わないだけに、その有用性と危険性の評価は難しい。何せ、奇策は敵心理の把握が重要かつ大きな割合を占めるからだ。

 

杏の提案の有用性には一目置きつつも、やはりここは慎重に慎重を期すべき。

 

そんな時だった。軍議場に周泰が駆け込んでくる。

 

額に玉の汗を光らせる周泰曰く、魏の軍師達が話している内容を耳にした、とのこと。

 

そして報告されるのは、元より間諜が掴んでいた情報の補強となるもの。

 

最前列にはダミーで兵を並べて新兵器を隠し、開戦と同時に最前列部隊は大楯を構える。発射準備が整い次第、筒口前の兵が退いて新兵器を釣瓶撃ちする、ということだった。

 

魏はこの戦、圧倒的な兵器で瞬時にカタを付けるつもり。そんな情報まで持ち帰ったのだ。

 

この情報は周囲に杏の策を強烈に支持させるに至る。

 

開戦直後が勝負所。連合が集めた情報は、その全てがはっきりとそう言っていたのだった。

 

だが、しかし。

 

杏によって提案され、周泰によって採用に持ち込まれたこの策は――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良し。予定通り、敵の最前線はかたくなっているわね」

 

「二通りの意味で、ね。

 

 けど、さすがに最速で戦を終わらせることは出来なかったわね。残念だわ」

 

魏の本陣で前方を見やりながら桂花と零が言葉を交わす。

 

予定通りに事が進んでいる、と申した通り、零にしても些かも残念そうな雰囲気は感じられなかった。

 

「それはそうでしょう。内部から扇動させたとは言え、あの程度で戦列を乱しに乱して一気に付け込める程度であれば、今日まで苦労していないわよ。

 

 ともかく、各陣の頭に合図を出すわ。ここから、連合には一切主導権は握らせないわよ」

 

桂花の視線は一瞬たりとも戦場から離れない。

 

ここから先の展開を全て読み切り、その掌中で策を為さんと、眼を爛々と光らせていた。

 

「そうね。それじゃ、そろそろ私も行くわ」

 

「もう行くの?あんたが出るのは最後だったはずでしょ?」

 

後は任せた、とばかりに零が本陣から出んとする。そこに桂花から疑問が飛んだ。

 

彼女の見立てでは、最終局面に至る、つまり零の出番が来るのはもっと先のことだと考えていたからだ。

 

しかし、零は口端を吊り上げ、悪どい笑みでこう答えた。

 

「元から連合にとって厭らしい策だった一刀の案を取り入れて、この私と風が肉を与えて作り上げた策よ?

 

 それも、風が最前で指揮を執るのだから、連合の心理はすぐにズタボロにされて穴が空くわよ」

 

連合内部に無理矢理弱点を作り出した一刀と人心の隙に付け込む策を得意とする零と風。この三人の知識の粋を集めて作り上げた策が生半可であろうはずが無い。

 

零は明に暗に、そう言い切ったのだ。

 

「ま、それもそうね。

 

 誰か!鏑矢三本!急ぎなさい!」

 

納得し、零は行かせるに任す。そして、桂花が合図の指示を飛ばす。

 

 

 

「っ!全体、撃ち方用意っ!」

 

鏑矢の合図を耳にした秋蘭は右翼の兵に指示を出す。

 

魏の最前線、並べた兵の一列後ろに隠すように配置された大砲の後ろ。そこに秋蘭の部隊は配置されていた。

 

薄い人壁は連合の目にチラチラと大砲の姿を認めさせているだろう。

 

それこそが、連合に盛った毒の効き目をより良くする。

 

一刀たちが杏を通じて仕込んだ策に、最早疑いを持たなくなるはずだ。

 

「我が方の部隊が敵の間隙に噛み付くまで敵を釘付けにせよ!てーーっ!!」

 

矢の残数を気に掛けない全力の斉射。

 

それは悪夢のような矢の豪雨となって連合に襲い掛かる。

 

そして。それと全く同じ光景が左翼でも展開されていた。

 

 

 

「残数は気にしないでいいわ!とにかく撃って撃って撃ちまくりなさい!」

 

魏の左翼に詠の声が響く。

 

右翼の秋蘭に合わせ、左翼からは火輪隊の十文字が連合に対して火を噴いていた。

 

秋蘭の部隊ほど弓の練度は高く無くとも、十文字の速射性能がそれ補って余りある。

 

文字通りの間断無き矢の雨の前に、連合は動くこともままならなくなる。

 

更に、火輪隊には秋蘭部隊とは違ってもう一つ、作戦上の重要な役目が課されていた。

 

「そろそろね……

 

 第一隊から第三隊まではそのまま斉射続行!

 

 第四隊と第五隊は次の斉射の後、楯を装備!

 

 菖蒲が出るわ!その前を駆け、掛かる火の粉を防ぎなさい!」

 

詠は予め火輪隊を五つの小隊に割り直していた。

 

元々の策の上では二つに割ればそれで事足りる。

 

しかし、それでは後の展開次第では機敏さを失いかねない。

 

そこで五つに分けたのだ。

 

ただ、内訳としては初めの策を強く反映している。

 

即ち、十文字の扱い上手を第一から第三、防御上手を第四と第五に割り振っていた。その上で。

 

「梅!第四と第五、頼んだわよ!

 

 予定通り、敵右翼には吶喊支援で黄忠がいるわ!菖蒲の吶喊、速度を落とさせないように!

 

 それと、出た後は風の護衛に付き、部隊は指示に従わせなさい!」

 

「はっ!」

 

梅を吶喊役に回していた。

 

では月の護衛はどうするのだ、となるのだが、これは月自身がいらないと言い切っていた。

 

曰く、大事な局面で梅を最も効果の高い配置に付けることの方が大切だ、と。

 

もちろん、詠は渋ったのだが、月はこうも言った。

 

自分は長物を振り回せはしないが、両手の十文字があればそう易々とやられはしない。

 

事実、今の月に挟撃はほとんど意味を為さない。

 

何故なら、左右から迫る敵に、月は同時に照準を合わせて射抜いてしまうのだから。

 

真桜の開発したチート弓・十文字は、月に弓の両手持ちという前代未聞を為さしめ、その状態での幾多の戦闘経験が月に異様なまでの視界の広さを与えていたのだった。

 

説得力を持たせるために実演までされてしまっては、詠もそれ以上の反論は出来なかった。

 

斯くして、連合には予想外とさせられた事態――魏の開幕吶喊が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全隊、突撃を開始します!

 

 敵右翼に向け、疾く駆けてください!!」

 

菖蒲の号令一下、左翼から魏の精兵が吶喊を開始する。

 

そして、吶喊開始の直後、菖蒲の部隊の前にスルリと滑り込む火輪隊の一部。

 

「皆さ~ん。梅ちゃん達が敵の矢を防いでくれますので、後ろから出ないようにしましょう~」

 

風ののんびりとした、しかし何故か戦場でもよく通る声が新たな指示を出す。

 

それとほぼ同時、風の下に梅が現れた。

 

「風様!火輪隊が一部、菖蒲様の隊の楯として馳せ参じました!

 

 以後、風様のご指示を!」

 

「はいは~い、分かったのですよ~。

 

 聞いていた通りに黄忠さんの部隊が正面です~。

 

 こちらの吶喊を受けて黄忠隊が前に出て来るはずですので、まずはその矢を防いでください~。

 

 その後、関羽隊と黄忠隊の隙間に隊を捻じ込みます~。

 

 梅ちゃん達は黄忠隊に向けて楯を構えて下さい~」

 

「はっ!

 

 各部隊長に今の旨、伝令を!」

 

「はっ!」

 

梅は連れて来ていた兵をそのまま伝令に走らせる。

 

そして、そのまま風に並走して駆け始めた。

 

 

 

今回の策、魏の将に名を連ねる梅も一通りは聞き及んでいる。

 

策を考えるような頭は持っていないと自覚している梅ですら、今回の策が特殊なものであることは理解出来た。

 

十回やれば九回以上は成功するような安定した策、などでは決して無い。

 

今、この時、この瞬間のこの戦に限ってのみ、成功率が高まっているという、普段の戦では決して使えないような策だ。

 

この策の骨子は、敵を短時間の内に翻弄し、困惑させ、混乱したところで心の臓に楔を打ち込む、そんなハイリスクなものだ。

 

だからこそ、梅は少々不安そうな表情を隠せない。何せ、何かが狂えば自分のみならず、主たる月まで身の危険があるのだから。

 

風はそんな梅の表情を目敏く見つけ、声を掛けてきた。

 

「梅ちゃん、心配することは無いですよ~。

 

 策の最終段階まではすぐに移行出来ますから~。

 

 それに、もし失敗してもこちらが多少被害を受けての仕切り直しというだけですので~」

 

その”被害”とやらの対象が怖いのだが、と梅は内心で思う。

 

しかし、既に戦は始動しているのだ。今更考えても栓無い事だと意識を改める。

 

いざとなれば決死の覚悟で舞い戻り、月の護衛の任を全うする。それまでは策の通り、風を護衛して黄忠隊の攻撃を防ぐ。

 

一刀に才を見出されて鍛え上げられたこの防御の武の力を、今こそ十全に発揮すべき時だ、と。

 

「申し訳ありません。

 

 風様の御身は私が守り通して見せます!」

 

「おぉ~、これは頼もしい。

 

 ではでは~、敵の翼を捥ぎに掛かっちゃいましょ~」

 

「はっ!」

 

 

 

 

 

「よし!夏候惇隊!突撃準備!

 

 我等も行くぞ!!」

 

「楽進隊!夏候惇将軍に後れを取るな!

 

 我らがお役目、今ここで全うせん!!」

 

秋蘭の援護を背景に、魏軍右翼から春蘭と凪が飛び出していく。

 

その二部隊には稟が部隊付きの軍師として付き添っていた。

 

「凪!春蘭様には基本的にご自由に暴れてもらいます!

 

 凪は春蘭様の最大の補佐となるよう、都度私から指示を出します!聞き逃さないよう注意してください!」

 

「承知しました!宜しくお願い致します、稟様!」

 

右翼正面には目ぼしい弓部隊がいない。故に春蘭はスピードに乗って突っ込んでいく。

 

その様を見て感嘆とも恐れとも取れる溜め息を吐く者が一人。

 

「はぁ……もう何度か目にしましたが、やはりあれは敵に回したくないものですね……」

 

それは稟の護衛として部隊に同行する斗詩だ。

 

斗詩も梅と同様、防御を主体とする武の型を持っており、今回の策を担う頭を保護する鎧となる。

 

ただ、今はまだその役目を果たす時では無い。

 

故に、斗詩の呟きに応じた稟と、会話などを楽しむ余裕も見られる。

 

「個人的には春蘭様より一刀殿の方が敵に回したくないですね。

 

 どんな手を打ってくるのか予想が出来ず、奇策を呼び水により酷い奇策を本命としてくるような人ですから」

 

「ひ、酷い言われようですね……」

 

「その奇策をまともに喰らって壊滅した当人でしょう?

 

 尤も、内側から見る分には色々と穴も見つかったりする策ではありますが……外側からでは中々見つけられないでしょうね。

 

 今回のような短期決戦を目指す場合は、特に」

 

「天の国と大陸との、人々の思考の違い故、ですか?」

 

「ええ、恐らくは。

 

 政の面を見ればそれがよく分かるかと。

 

 一刀殿が献策した草案はどれも大陸には無く、それでいてこちらの街に合わせれば治安や民の生活をより良く出来るものがほとんどでした」

 

「なるほど、確かに。

 

 それでは、今回の策も?」

 

斗詩のこの問い、稟はすぐには答えられなかった。

 

若干の間、稟は悩む。そして、結局こう答えた。

 

「どうなのでしょう……

 

 正直に言いますが、今回――――赤壁からこの戦に掛けては、一刀殿は今までとは全く違う動きをしているように思えるのです。

 

 一刀殿御自身が仰っていたように、知っていた策を潰すため、と言うのは分かるのですが……どこかが違う気が……

 

 いえ、すみません。詮無い事でした」

 

稟の中でも漠然としているだけに、明確な言葉としては出て来ない。

 

だからなのか、稟は結局その言葉を引っ込めた。

 

丁度その辺りで、一塊の弾丸の如く吶喊していた春蘭・凪部隊への敵の抵抗が強くなる。

 

会話はそこで打ち切りとなった。

 

「斗詩、護衛お願いしますよ」

 

「はい!お任せください!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっ……!まずいわね……

 

 伝令!関羽隊に通達!一度兵を退いて固め、馬超隊と合流して態勢を立て直します!」

 

「はっ!」

 

連合右翼、蜀の軍が展開するそこで、黄忠が脂汗を滲ませていた。

 

刻一刻と目まぐるしく変化させられている戦況。

 

開戦当初、否、開戦前から魏軍に翻弄されている。

 

どうにかして態勢を立て直したい。が、初期配置が完全に連合にとって裏目に出ていた。

 

精度が高いと連合の両国の頭脳から判を押された情報が誤りだった。その衝撃もまた、余りにも大きい。

 

今、蜀が態勢を立て直すには、やるべき事は大きく二つ。

 

一つ、将が直ちに衝撃から立ち直ること。

 

二つ、散らしている蜀の部隊を結集し、傷口に入り込まんとする敵を排除すること。

 

そのためにも、すぐに行動に移さねばならないのだが……

 

(これは、一体……っ!?余りにも矢の弾幕が厚すぎます!

 

 旗を見るに、敵は夏侯淵では無く、董卓……かの北郷直下の部隊。

 

 弓も好く扱うとは聞いていましたが、このような後先を考えないような撃ち方をしてくるなんて……っ!)

 

弓部隊に精通しているだけに、黄忠には理解出来る。

 

火輪隊から放たれる矢の弾幕は際限が無く、蜀軍は確かに動けない。

 

しかし、こんな無茶苦茶な弓の運用をすればすぐに矢が尽き、後の援護が出来なくなる。

 

(まさか、吶喊部隊の撤退を考えていない?!

 

 我等に死兵を当て、短期決戦的に削りに来たとでも言うの?!)

 

今までの魏軍の一切の策と掠る事も無いような策の想像。

 

それが黄忠の脳裏を過ぎり、黄忠は混乱してしまった。

 

「くぅっ……!このままじゃ……!

 

 伝令!後方の張飛隊に前線の穴埋めの依頼を!」

 

「は、はっ!」

 

前線は動けない。黄忠は遂にそう判断を下した。

 

そこで採った策は、中衛に待機させている戦力を前線の部隊間に送り込んでくるというもの。

 

これは危急の問題を片付けられそうな代わりに後々のための予備兵力が乏しくなる諸刃の剣。

 

しかし、今は躊躇している暇で取返しの付かないことになり兼ねない、と歴戦の勘に突き動かされて黄忠は決断したのだった。

 

 

 

「くっ……動けん……っ!」

 

関羽もまた、火輪隊からの矢の暴風雨を受けて動けずにいる一人だった。

 

当初の策が崩れた時点で関羽隊も黄忠隊と固まろうとしていた。

 

しかし、指示を出して隊が一歩を踏み出した地点から動けなくなってしまったのだ。

 

ただ、武人としての勘がガンガンと警告を鳴らしている。

 

このまま為すがままではやられてしまう、と。

 

そこで、関羽は強攻突破を試みる。

 

「皆、気張れ!我等の勝機を失わないためにも、何としても黄忠隊と合流を果たすぞ!

 

 楯部隊!この場に留まり、矢を防いで道を作れ!!」

 

少数を残して血路を開く。

 

蜀としては少しでも兵を失いたくないところを、敢えて兵を切り捨てる選択を取る。

 

大のために小を切る。それがこの状況下での数少ない正解だった。

 

以前までの蜀軍ならば出来なかっただろう。

 

だが、格段の成長を果たした今の蜀軍には可能だった。

 

「はっ!関羽将軍!ご武運をっ!!」

 

楯部隊の長の目には迷いは無い。

 

劉備の旗揚げより付き従って来た古参の兵は、実は彼も含めて戦で死ぬ覚悟はとうに出来ているのだ。

 

彼は今こそ己の死に時だと理解した。

 

彼と共に残る楯部隊員の面々も似たようなもの。

 

死兵は強い。死への恐慌を克服しているが故に生半可な攻撃では崩せない。

 

今、彼らは納得尽くで死を賭した任務に就いた。

 

その瞬間より、関羽隊はジリジリと行動可能となっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉ~。壁の兵を切り捨てましたか~。

 

 妥当ではありますが、劉備さんの軍にしては思い切った策ですね~」

 

「風様!如何いたしましょう?!」

 

関羽隊の動きを見て、風は感心の声を上げ、梅は風に支持を仰ぐ。

 

梅は作戦行動の修正が必要かと考えての発言だったのだが、風はなんでも無いようにこう答えた。

 

「心配いりませんよ~、梅ちゃん。

 

 意外ではありますが、これも想定の内ですので~。

 

 皆さん~。ちょっと間は狭くなっちゃいますが、十分に割り込めますよ~。

 

 このまま吶喊しちゃいましょ~う」

 

指示内容に変更無し。それが風の答えだった。

 

但し、菖蒲に対してはもう一つ指示を追加する。

 

「誰か菖蒲ちゃんのところに伝令を~。

 

 関羽さんの部隊に当たる直前に鏑矢の三連射をするように、と~」

 

「はっ!」

 

鏑矢三本、では無く、鏑矢三連射。この命令の時は三人で間髪入れずに出せ、との指示が既に下っている。その間隔の違いによって魏からの指示だと明確に知らせるためだ。

 

「さてさて、関羽さんや黄忠さんはどこまで粘ってくれるのでしょうか~」

 

風は当事者でありながら第三者のような感覚で呟く。

 

何時如何なる時でも客観的に局面を見た上で敵の心理を突いていく。そんな風の強みは戦場の最前線に合っても変わらないようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっとちょっと!?矢の量多すぎでしょ?!」

 

「あうぅぅ~……こ、これじゃあ思春さんとの合流もままなりません……」

 

呉軍が展開する連合左翼でもまた、太史慈と呂蒙の部隊が秋蘭によって釘付けにされていた。

 

今、連合左翼は中央よりから周泰、甘寧、太史慈の順に隊列を並べて展開している。

 

蜀同様、魏の開幕大砲を警戒して部隊間は開いており、想定外の初撃を受けて立て直しを図ろうとしているのも同じ。

 

太史慈の隊には呂蒙が付いており、彼女が即座に甘寧隊、そして周泰隊との合流を指示した。

 

だが、中々動けない。

 

最も厭らしいのは、楯を並べて防ごうとも、その隙間を縫って的確に攻撃してくる射手がいることだ。

 

言わずもがな、秋蘭なのだが、ただ楯の隙間を縫われるだけならまだ良い。

 

多少の犠牲を覚悟で突っ切れば良いだけの話なのだ。

 

だが、どういうことか、秋蘭が放つ矢は楯の裏に隠れる兵を狙撃してくる。

 

一体どんな出鱈目な射線を取って攻撃して来ているのか。太史慈にも呂蒙にもそれが分からず、下手に動けない状態になってしまっていた。

 

「こんな時、祭様がいてくださったら……」

 

「いつまでもそんなこと言ってられないでしょ、亞莎!

 

 とにかく、どうにかしてこれを抜けないと……ほら!夏候惇が来ちゃうよ!」

 

「わわっ?!で、ですが、横にも後ろにも動くのは危険で――――」

 

「だったら前に出ればいいじゃない?」

 

突如、太史慈でも呂蒙でも無い声が割り込む。

 

その声は二人の良く知る声で、しかし、それだけに飛び上がるほどに驚かされる。

 

「ちょっ、雪蓮!あんたは下がってな、って言ったじゃん!」

 

「そ、そうですよ、雪蓮様!まだお怪我が治っておられないのですから、今はまだ安静に――――」

 

「だから、もう大丈夫だって。皆心配性なんだから。

 

 絶対出れない、っていうなら母さんが止めてるでしょ?それが無かったってことはそういうことよ。それに……」

 

呆れたようなブスッと拗ねたような表情で言った後、孫策は魏軍を睨みつけて瞬時に般若の如き形相を浮かべる。

 

「赤壁であれだけやりたい放題やられたままで大人しくなんてしてられないわよ……!」

 

孫策の瞳の奥には激しく燃え盛る業火が見える。

 

自身が斬られたこと、そして黄蓋が討たれたこと。それらが起こった赤壁は孫策にとって人生で最大の屈辱となっていた。

 

孫策の傷事態は決して浅くは無い。しかし、今は怒りと興奮によって痛みを感じない状態となっているようであった。

 

「この屈辱は万倍にして返してやるわ。

 

 まず手始めに、こっちに突っ込んでくる夏候惇からね。

 

 木春、暇なら付き合わない?」

 

「はぁ。雪蓮は一度言い出すと止まらないからなぁ……分かった、付き合うよ。

 

 ってことで、ごめんね、亞莎。あれは私たちで止めとくから、その内に思春や明命と合流して立て直しといて」

 

「……わ、分かりました!すぐに立て直して鏑矢を放たせますので、それを合図に退いて来て下さい!

 

 お二人とも、御武運を!!」

 

一瞬、呂蒙は止めるべきだと考えた。しかし、もう短く無い付き合いなのだから分かることがある。太史慈の言う通り、こうなっては孫策は止まらない、と。

 

ならば、今呂蒙が二人の身を守るために出来る最善手は、一刻も早く二人が安全に退ける場所を確保することだった。

 

「ありがと、亞莎。

 

 さ~て――――あら?敵、一人増えるわね。だったら、片方はあなたにあげるわ」

 

「あぁ、はいはい。それじゃあ私は雪蓮の余りでいいわよ~」

 

全く気負った様子を見せずに二人は言い合う。

 

そんな様子のまま、矢の雨の僅かな途切れ目で颯爽と飛び出して行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫策が合流し、二人が飛び出すことを見ていた人物が一人。

 

「春蘭様!前方、孫策と太史慈が兵を引き連れて吶喊してきます!

 

 秋蘭様の部隊の矢の継ぎ目を狙われ、次の斉射にはギリギリ間に合わないかと!

 

 敵部隊に到達されます!」

 

「ならば迎え撃つ他あるまい!!

 

 稟!孫策と太史慈は私と凪が相手をするぞ!いいな?!」

 

春蘭は稟に確認を取る。基本的に春蘭は自由に暴れることになってはいても、それは敵陣に突っ込んでからの話だった。

 

今、ここで春蘭が敵将の邪魔を止めるために離脱しても問題が無いか、それを稟に問うた。

 

稟は凪の報告を耳にしながら既にこの事態を想定して部隊運用を考え直していた。結果。

 

「はい、お願いします、春蘭様!

 

 部隊はこちらで預かります!」

 

春蘭の言った対応を良しとした。

 

何を考えて突っ込んできているのかは分からないが、孫策と太史慈は文字通り一騎当千の猛将。

 

これを抑え込んでおくことが策の成功には必要不可欠なのであった。

 

「全隊!進路を膨らませ、敵の吶喊部隊を避けなさい!」

 

「向かってくる敵は呉の軍において名高い孫策と太史慈だ!

 

 腕に覚えがあって武功を狙う恐れ知らずは私に付いて来い!!」

 

稟と春蘭が同時に指示を出す。

 

次の瞬間、まるで初めからそう決まっていたかのように部隊が綺麗に二つに分かれた。

 

稟、斗詩を中心とした大多数の吶喊隊と春蘭、凪を先頭に据えた二十人ほどの迎撃部隊に。

 

春蘭たちはそのまま真っ直ぐに、そして稟たちは若干左向きに進路を変えて離れていく。そして――――

 

「夏候惇、覚悟ぉぉっ!!」

 

「はははははっ!!相手にとって不足無し!!

 

 来いっ!!孫策っ!!!!」

 

「あんたが楽進?悪いけど、さっさと抜かせてもらうわよ!」

 

「させませんっ!!」

 

春蘭と凪という、今や魏のトップクラスの将二人に狙いを定められて進路を変えられなくなった孫策たちが、稟たちの部隊を狙えずに春蘭たちとぶち当たった。

 

春蘭と孫策が、そしてすぐ傍で凪と太史慈が、それぞれ対峙する。

 

この戦、最初の一騎討ちはこうして始まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風さん!関羽隊と黄忠隊を割ります!

 

 私はこのまま関羽を抑えに掛かります!部隊をお預けします!」

 

「はいは~い。予定通りですね~。

 

 さてさて、それではそろそろ馬上手の方たちに動いてもらいましょ~。

 

 誰か~、花火を二発お願いします~」

 

菖蒲の部隊は一足早く連合右翼に到達し、食い掛っていた。

 

死兵を置いて行動を図っていた関羽隊は、残念ながら一歩遅かった結果なのだった。

 

ただ、さすがと言うべきか、黄忠からの反撃で部隊には少なからず被害が出ている。

 

しかし、である。

 

今回の策、部隊が短時間で壊滅しない限りは何も問題が無い。

 

その性質上、元より危険な吶喊役がより危険になっているが、だからこそ古参の恐れ知らずを揃えた菖蒲と春蘭の部隊が中核となって組まれていたのだ。

 

今、兵達は仲間の屍を踏み越えて己が役目を果たさんがため、敵に襲い掛かっている。

 

「聞け、魏の覇道を妨げる蜀の将兵共よ!

 

 我は魏武の大剣に対を為す魏武の大斧・徐公明なり!

 

 蜀一の将と名高い美髪公・関雲長!その歩み、この場にて止めさせていただく!!」

 

関羽を一騎討ちに持ち込み、足止めする。それが菖蒲の担った最大の任務だった。

 

それを為さんがため、零と共に口上を考えた。

 

戦場における将の大言壮語は味方の士気を上げ、敵を委縮させる。

 

こうして一騎討ちを申し込まれた関羽は、これで逃げられなくされたことになる。

 

勿論、蜀軍の立て直しを最優先にするならば、菖蒲の口上など無視すれば良い。

 

しかし、こう言われてしまった以上、関羽が退けば、菖蒲が更に一言二言追加するだけで蜀軍の士気を一気に落とすことが出来てしまうのだ。

 

関羽の失態は菖蒲の視界に捉えられたこと。否、関羽の失態とは言えない。何故なら、これは戦が始まるもっと前から仕組まれた展開だったのだから。

 

「ちぃっ!!

 

 我こそは劉玄徳が一の家臣、関雲長なり!

 

 ここまでの戦、随分と好き勝手にやってくれたものだな!

 

 だが、貴様たち魏が如何に強大であろうが、我に勝負を挑んだことが運の尽き!

 

 徐公明!貴様の頸を皮切りに我が軍の盛大な反撃を開始させてもらうっ!!」

 

関羽は受けて立つ。受けて立たざるを得ない。

 

こうして二つ目の一騎討ちが始まる。

 

 

 

「菖蒲ちゃんは上手く関羽さんを引き寄せられたみたいですね~。

 

 ではでは~、梅ちゃん。今度は黄忠さんの足止めをしましょ~。

 

 兵の皆さんは周りの雑兵の手足を狙ってくださいね~」

 

戦場に突入したとて、相も変らぬ風ののんびりとした声によって早速指示が飛ばされた。

 

ただ、その指示内容に反論する声が梅から上がる。

 

「それでは風様の護衛が……!!」

 

「風なら大丈夫ですよ~。これだけ混乱させたのですから梅ちゃんの部隊から何人か割いてくれるだけで問題ないので~。

 

 それより、ほらほら~。早く行かないと黄忠さんに近づくこともままならなくなりますよ~」

 

「わ、分かりました……いくらか兵を残します。お気を付けて……

 

 お前たちはここに残って風様を護衛しなさい!他の者は私に付いて来なさい!黄忠隊の動きを止めます!」

 

『はっ!』

 

この場においては素早い判断、それも即断即決レベルのものが必須であることは梅も分かっている。

 

だからこそ、風の言葉を信用し、少数を残しておくだけで納得することにした。

 

指示を出してから黄忠隊へと向き直る。

 

「梅ちゃんもお気を付けて~。

 

 あ、それと黄忠さんには勝とうとしなくても良いですよ~。梅ちゃんらしくいきましょう~」

 

風の激励――らしき言葉に首肯を返し、吶喊を開始した。

 

弓部隊に対して近接部隊が肉薄する。通常であればそれだけで勝敗は決しようものだが、歴戦の弓部隊を相手にした場合、中々そうはいかない。

 

そして、当然ながら黄忠の部隊はその部類に入っていた。

 

春蘭や菖蒲のような近接特化の部隊兵ほどでは無いにせよ、近接戦闘能力も馬鹿にならない。

 

何より恐ろしいのは黄忠を頂点とした複数の最精鋭と思われる兵が、かような近距離でも射かけて来ることだ。

 

梅たちの背後にいる味方――関羽隊を巧みに射線から外しつつ魏軍のみを狙い撃つ。それだけの技術を持つに至るほど、長き年月を鍛錬に費やしたことが窺える。

 

吶喊部隊が関羽隊と黄忠隊の間隙に滑り込んだタイミングで火輪隊からの援護射撃は止んでいる。それからの一瞬だけで、黄忠隊には小さな範囲で見事な前衛後衛を築かれ、梅の部隊も突破は困難を極める。

 

それでも、既に距離が近すぎたことが梅たちにとって幸いだった。

 

「黄漢升将軍とお見受けする!

 

 貴女にはここで留まっていてもらいます!!」

 

「北郷直属の将……高順、かしら?これはまた、厄介ね。

 

 この者の相手は私が務めます!皆は他の吶喊してきた兵の対処を!」

 

小競り合いの中で梅と得物を交えた将もいる。黄忠はその者たちの報告から梅のことをある程度知っていた。

 

圧倒的な武は持たずとも、容易には崩せぬ将。梅の言を信じる場合、時間稼ぎには最適の人物を当てられたことになる。

 

故に、”厄介”だった。

 

梅は自ら不用意に仕掛けたりしない。一刀から教わり磨き上げたのは交叉法なのだから。

 

三つ目の一騎討ちは静かな始まりとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ!してやられたねぇ。

 

 こりゃあ、決まったかねぇ。残念だったね、月蓮」

 

「心にも無いことをよく言う……あんたもどうせ承知の上だったんじゃないのかい?

 

 ま、どっちにしてもこの戦で私がやっときたいことは一つだけさね」

 

「一つだけ、ねぇ。あんたの真意を知った日にゃあ、臣下は皆泣いちまうんじゃないかい?」

 

「ふん。そりゃ、あんたの方だろう?

 

 尤も、あんたの場合臣下どころか暫定のあんたの上まで泣かせそうなとこがタチ悪いねぇ」

 

開戦後に合流した連合本陣では、混乱する戦線を見やりながら異様なまでの落ち着きを保って孫堅と馬騰が会話していた。

 

決戦となるこの戦において、何故連合の最大戦力たる二人が後方である本陣にいるのか。

 

そこには杏から出された策があったからだ。

 

孫堅は言わずもがな、国主なので後方で。

 

一方、馬騰は現在劉備の一臣下。最前線に配置されていても何も問題は無い。

 

しかし、前述の通り、周泰が拾って来た魏の大砲の情報とその推測射程、被弾時の被害と回避方法を考慮した結果、蜀の本陣付きとして馬騰が劉備警護の任となったのである。

 

ただ、攻防速のバランスなどと言った理屈付けを色々と用意していたとは言え、やけにあっさり馬騰が本陣付きを了承したことは事実。

 

娘である馬超や馬鉄ですら首を傾げてしまったほどだ。

 

それにも一応、理由はある。

 

馬騰と孫堅、二人の英傑は共にある予感を得ていたのだ。この日の戦、本陣に詰めることで何かがある気がする、と。

 

その”何か”、未だに二人にも分からない。

 

ただ一つ、二人は開戦と同時に確信していた。この戦、連合の負けが決まった、と。否、それどころか、”決まっていた”のだ、とすら。

 

「桃香、すまないね。あたいの力じゃあ、もうどうしようも無いみたいだ」

 

「碧さんっ?!決してそんな事はっ……事は…………くっ……!」

 

諸葛亮は敗北を言い切った馬騰に反論しようとする。しかし、その言葉は途中で途切れてしまった。

 

魏に思惑を外されてからずっと、諸葛亮もどうにか状況を打破して反撃、逆転、勝利に至る道筋を探し出そうとしていたのだ。

 

しかし、万全の状態ですらあまりにか細かった勝機故に、このような状況にまで追い込まれてしまっては最早彼女の智謀を以てしても何も手を打てなかった。

 

徐庶も同じ結論に至っているようで、今までどんな時でも前を向いて上げていた顔を俯けている。

 

「……勝利を」

 

前方で響く二発の爆発音が耳に痛いほど響くような沈黙の降り掛けた本陣で、静かに周瑜が声を上げた。

 

「勝利という結果だけを望むのであれば、まだ可能性はあるでしょう……」

 

言いながら、周瑜の顔は酷く顰められている。

 

あまりその先は言いたくない。そんな心中を物語っていた。

 

周瑜の表情を見て孫堅と馬騰は目を瞑る。何を言いたいか、すぐに分かった、と語るように。

 

諸葛亮、徐庶も無意識下で除外していた選択肢が頭を過ぎった。

 

「犠牲の数を顧みない、敵本陣へ向けて全戦力による一点突破。策としては愚の骨頂のものですが……」

 

「それはダメだよ!」

 

周瑜の示した策に即座に反応したのは劉備だった。

 

劉備でなくとも、誰でも異を唱えるだろう。それだけ受け入れがたい内容だった。

 

「ですが、劉備様。では、このまま座して死を待つのですか?」

 

ただ、だからと言って他の道があるわけでも無い。

 

周瑜の無慈悲とも言える問い掛けに、しかし劉備は何も答えることが出来なかった。

 

「…………桃香。納得出来ないのかい?」

 

「……本音では、はい、その通りです。

 

 ただ……戦況を考えるなら、兵の皆さんの犠牲を減らすためにも、ここで降伏するのが一番なんだと分かってもいるんです……」

 

「ま、他の奴らが決して納得出来ないだろうねぇ」

 

「……はい」

 

劉備の信念は華琳とは相容れない。それはここまで完璧にやり込まれても迎合できないレベルだ。

 

しかし、今現在の劉備はその信念に張る意地で仲間を死なせてしまうより、信念に背いてでも降伏して仲間を救いたいと感じていた。

 

最早勝機は無い。それが孫堅と馬騰の会話、そして諸葛亮と周瑜の反応から理解出来たから。

 

ただ、今すぐにそれが出来ない。

 

それは馬騰も言った通り、他の皆が納得出来ないから。

 

何せ、まだここ夏口での戦は始まったばかりなのだ。

 

知恵者はやがて理解はしてくれるだろう。しかし、武辺者は……

 

どうすれば良いのかと頭を抱える劉備に対し、一切視線を外していなかった馬騰がこんな事を言い出した。

 

「なあ、桃香。どうしても本心では曹操に負けを認められないってんなら、一つだけこの状況を打破出来る可能性を持つ策を授けてやろうかい?」

 

「っ!?そ、それは本当ですか、碧さんっ!!」

 

劉備は即座に食いつく。敗北を悟った矢先、そこから抜け出せる可能性を示唆されたのだから、この反応は当然だろう。

 

「ああ、本当さ。ただし、命を下すなら、あんたが覚悟を持って、しっかりと下しな?」

 

「は、はい!」

 

強い視線に瞳を貫かれ、劉備は一瞬言葉に詰まる。

 

馬騰はここで、劉備を見極めようとしていた。劉備もそれを感じ取ったのか、緊張が高まる。

 

「策自体は簡単さね。

 

 あたいと月蓮、それからその直下の精兵。これらを死兵として連合の本陣めがけてぶつけさせるのさ。

 

 当たり前だが、仕留めるまではいかないだろう。だが、あたいらが命を賭すならば、必ず奴らを崩して見せよう。

 

 どうだい、桃香?」

 

”簡単”では無い。その場の誰もがそう思ったに違い無い。

 

いくら策とは言え、両国の最大戦力を使い潰すような戦略をそう淡々とは立てられ無い。

 

しかも、どちらも国持ちとも言える立場な上、この命によって出撃する全員が命を落とす確率は限りなく百に近い。

 

格段に成長したと言えども、桃香には余りにも厳しく、酷な選択肢だった。

 

「そ、そんな……それは…………」

 

劉備がオロオロとしてしまうのも仕方が無いだろう。

 

その視線が孫堅を捉えるも、当の本人からは無情な返答しか無かった。

 

「私は何も言わないよ。だがこれだけは約しておこう。劉備、あんたの下した決断には従おう」

 

連合の運命を、蜀と呉という二国の未来が劉備の采配に委ねられている。

 

劉備はまるで唇に鉛が埋め込まれたかのような気持ちになっていた。言葉を発しようにも、口が上手く動かないのだ。

 

頭の中も整理出来ない。ミキサーでぐちゃぐちゃにかき混ぜられたが如く、様々な思考が押し寄せて来ていた。

 

それでも、何かを話さなければならない。

 

震える唇をこじ開け――――

 

「わ、私は…………」

 

しかし、そこまでだった。

 

「報告しますっ!!敵両翼の外側より騎馬部隊!どちらも馬の旗!加えて敵に噛み付かれた前線は未だ立ち直るには至らず!」

 

「早いね。いや、早過ぎる、ね。

 

 こりゃあ、こっちの動きまで全部知ってたか?

 

 うちの奴ら、どうやら最後の最後で完璧にやられちまったみたいだねぇ。

 

 何にしても、動かないといけないよ、劉備。

 

 さっきの碧の問い、考えといて落ち着いたらすぐに答えな」

 

「あ……は、はい」

 

孫堅が諦念の濃い声で告げる。

 

結局、桃香は答えを出せないままであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魏の両翼に隠れるようにして魏の馬家二人、鶸と蒲公英は開戦前から待機していた。

 

右翼・呉側に鶸、左翼・蜀側に蒲公英。

 

彼女らの役割もまた単純明快。合図があったら両翼から放たれる一個の弾丸となり、敵の翼を捥ぎに掛かること。

 

そして今、敵右翼に吶喊した風達から合図――二発の花火が戦場に轟いた。

 

「合図です!皆さん、出ます!」

 

「来た来た~♪よ~っし、それじゃ皆っ、行っくよ~!」

 

鶸、蒲公英が待機していた部隊に指示を出す。

 

盛大な鬨の声と共に両部隊が飛び出して行った。

 

 

 

 

 

「しっ!はっ!せいっ!」

 

「甘いわねっ!」

 

拳、蹴り、蹴り。氣を纏った凪の三連撃が太史慈を襲う。しかし、太史慈はこれを難なくいなした。

 

この二人の死合は攻守を入れ替えてずっとこの様相を呈している。

 

どちらも一撃の重さではなく、連撃を当てて相手を崩し、勝利を掴むタイプであり、似ているからこそ重要な一手目を奪い合っていた。

 

初めこそ単発の攻撃のやり取りで連撃の始点を奪い合っていたのだが、やがて連撃の視点を奪うために連撃を用いる、といった事態に突入していた。

 

連撃は放っている最中はともかく、一連が終わった後は隙が大きくなりがちである。

 

どちらもその隙をみすみす逃すはずも無く、苛烈な一撃のカウンターを見舞う、という展開が続いていた。

 

ところが、この時だけは違った。太史慈の反撃が無かったのである。

 

その視線は凪の後方に向けられていた。

 

その眼に映ったものによって太史慈は自然と舌打ちしていた。そして、近くで春蘭と一騎討ちを演じている孫策に伝える。

 

「ちっ!雪蓮!馬家に動かれてるわよ!」

 

「こっちも見えてるわよ!けど、こいつらをどうにかしないとどうにも出来ない、でしょっ!!」

 

凪の方とは違って、孫策と春蘭の方はどちらも一撃を狙っていくタイプだ。

 

従ってその戦いぶりは凪達ほど目まぐるしくは無いのだが、しかし迫力という一点においては抜群だった。

 

そして何より、この二人の武はそれぞれ本能と勘に集約している。するとどうなるか。

 

『理?何それ、美味しいの?』状態である。

 

まるで出鱈目な軌道から剣が飛び出す。それを避けるも受けるも片やトリッキーな、片や野生じみた行動。

 

一刀が見たら間違い無く戦いたく無い、と断言するだろうほどだった。

 

「ふはははっ!いかせん!いかせんぞ、孫策っ!!

 

 何、安心しろ!あの一刀の策なのだ、一刻とせず貴様たちの肩の荷も下りることになるぞ!」

 

周囲の会話、そして自身の背後から聞こえる多数の馬蹄の音。それらから春蘭は事前に聞かされていた策が概ね順調に進んでいることを理解していた。

 

それによって気分が乗り、より春蘭の一撃は鋭く重くなっていく。

 

最早孫策は春蘭を抜く抜かないどころでは無く、仕留められないように攻撃を捌くことで手一杯となっていた。

 

「好き勝手言ってんじゃ無いわ、よっ!!」

 

孫策は一際強く打ち込むも、春蘭は難なく受け止めていた。

 

舌打ちが出る。焦りも滲む。しかし、気は緩めない。逸らさない。春蘭を放っておくことはただの最悪手だと己の勘が告げるから。

 

(亞莎、思春、明命……頼んだわよ!)

 

自分も太史慈も、この場を動けないことがほぼ確定的だった。だからこそ、孫策は連合左翼の最前線に張る将に想いを託す。

 

 

 

 

 

そんな左翼の様子を見ていて動き出す者が連合最前線にいた。

 

蜀側の馬家、馬超である。

 

「やばいっ!鶸に蒲公英だっ!

 

 蒼!お前はこっち側で蒲公英に当たれ!あたしは向こうに行って鶸を止める!」

 

「やっぱり蒲公英様は出て来たね~。

 

 分かった、蒲公英様の相手は任せて!」

 

魏からの矢の嵐が降りやんだ直後に飛び出して来た部隊を見て、蜀最前線の馬家が動く。

 

開戦直後でまだスペースが大きいとは言え、展開している翼を横断するのにはそれなりの時間が掛かる。

 

だからこそ、蜀で一番の足を持つ馬超の部隊が突っ切っていく判断となった。

 

「馬超隊!呉軍を横から狙う鶸の部隊を蹴散らすぞ!あたしに続けぇーーーっ!!」

 

連合右翼、蜀の陣から横向けに一塊の弾丸が射出される。

 

それは一直線に鶸の部隊へと迫って行った。

 

さすがに距離と出撃タイミングの違いから、左翼に対する鶸の初撃には間に合わない。

 

しかし、鶸の返す刀には間に合った。

 

「呂蒙!助太刀するぜ!

 

 敵の騎馬部隊はこっちで引き受ける!」

 

「か、感謝しますっ!」

 

吶喊した部隊と稟の指揮によっててんやわんやとなっていた左翼の最前線。

 

そこの指揮官に馬超はすれ違い様に一声掛けた。

 

既に手一杯だったようなところに更なる混乱を持ち込まれ、オーバーヒート寸前だった呂蒙は一も二も無く馬超に縋る。

 

馬超は一つ頷くと鶸へ向かっていく。

 

「鶸ーーーーっっ!!」

 

「翠姉さんっ?!想定外ですけど、むしろ好都合です!

 

 翠姉さんには悪いですが、ここで足止めさせてもらいます!」

 

「言うようになったじゃないか、鶸っ!!だったら、このあたしを止めてみなっ!!」

 

「皆は事前の命令の通りに!私は翠姉さんを止めます!!」

 

「お前らっ!鶸の兵を止めろっ!これ以上魏の好き勝手にさせるんじゃねぇぞ!」

 

鶸と馬超はそれぞれの部隊兵に指示を出す。

 

そしてそのまま将同士は馬上戦での一騎討ちに移って行った。

 

 

 

ほぼ同時に、連合右翼・蜀側でも馬家同士の衝突が起こっていた。

 

勿論、蒲公英と馬鉄のぶつかりである。

 

既に両者とも自分以外の兵は散らしていた。

 

その上で、戦場にあって場違いなほど穏やかな声で馬鉄が蒲公英に声を掛けた。

 

「や~、蒲公英様、やっぱり出て来たんだね~」

 

「ふふん、そりゃあねぇ。だってこれだけの大戦、遊び甲斐があるってものじゃん?」

 

蒲公英の物言いに馬鉄は軽く驚きを見せていた。

 

他の誰にも分からないだろうが、唯一、馬家の者たちにはその驚きが理解出来る。何故ならば――――

 

「へぇ~。蒲公英様、なんだか吹っ切れちゃった?

 

 前までは、少なくとも戦場ではそんなこと言わなかったよね?」

 

「あ~、翠姉様にさんざん怒られてたからね~」

 

悪戯好きな蒲公英は戦闘においてもその姿勢を変えなかった。

 

魏では最初の仕合の後、一刀から『それを特徴とするならばもっと伸ばせ』という旨の助言を貰っている。

 

しかし、西涼の地にいた頃はとにかく馬超に怒られ続けていたのだった。

 

「お兄さんが蒲公英のこれを型と認めてくれたからね~。

 

 やっぱり蒲公英は真正面からぶつかるより、そういった戦い方の方が性に合ってるんだよ」

 

「ふ~ん、そっか~。まあ、蒲公英様が活き活きしてるんだから、それが良かったんだろうね」

 

馬鉄はどうやら本心からそう言っている様子だった。

 

実は彼女、馬家の中で最も蒲公英と親しかった。それだけに、道を違えた後でも彼女は蒲公英の事を心配していたし、今蒲公英が己の武に一切の疑問を持たず、どころか自信を持っている様子を見て安堵していることも、紛れも無い事実なのであった。

 

ただ、内心ではそうであっても、馬鉄もここがどういう場所かは分かっている。

 

「ところで、蒲公英様?私に大人しく捕まってくれたりはしないかな~?」

 

小首を傾げて可愛らし気にそう尋ねる。それはお願いを装った開戦の合図であった。

 

「それはちょ~っと無理かな~。蒲公英は今、お兄さんと華琳様の考え方に全面的に賛同してるからね」

 

蒲公英の方も、口調こそ軽いものの既に油断なく構えている。

 

「う~ん、やっぱりか~。だったら……」

 

「だね。馬家の女だったら……こいつで決めないと、ね」

 

蒲公英は槍を構え直す。既にその顔からは笑みが消えていた。

 

そして、それは馬鉄も同様。

 

「いくら相手が蒲公英様で手負いだからって、私は手を抜かないよ?」

 

「うん。まだそんなこと言ってるようじゃ、大変なことになるよ。本気で来なよ、蒼ちゃん」

 

最後通告に対し、ある種挑発とも取れる返し。

 

はっきりと分かる。交渉は完全に決裂したのだ、と。

 

一拍の沈黙の後、どちらからともなく騎馬の腹を蹴る。

 

こうして両翼において立て続けに馬家同士の闘いが勃発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上手くいったようだな。

 

 よし、我等は予定通り中央を経て左翼へ寄る!そこで火輪隊の残存部隊と合流するぞ!

 

 あと一仕事残っていることを忘れるな!」

 

馬家が連合両翼を攪乱する様子を魏軍右翼から見ていた秋蘭は、自らの部隊に次の命令を出す。

 

策が順調に進んでいることでその指示内容には一切の迷いが無い。尤も、戦況が想定外の事態になったとしても秋蘭の指揮能力であれば兵を動揺させるようなヘマもしないであろうが。

 

ともあれ、秋蘭が口にした通り、秋蘭の部隊にはまだ仕事が残っている。

 

矢の残量を一切気にしない弾雨を浴びせたことで、さすがに手持ちの矢数は心許ない。

 

出来れば少しだけでも補給がしたい、とそんなことを考えていると。

 

「お疲れ様、秋蘭。素晴らしい働きだったわよ。

 

 でも、矢の方はちょっと危ないんじゃない?」

 

そんな台詞と共に零が右翼に現れた。

 

これには秋蘭も驚きを隠せない。

 

「零?何故ここに?

 

 お前はこの後、中央で指揮を執るはずでは無かったか?」

 

「ええ、そうよ。けれど、その策では、秋蘭、貴女が重要なの。

 

 だったら、その部隊の装備に多少でも不安があれば、これの解消に勤しむことは当然でしょう?」

 

「なるほど。ということは?」

 

「ええ。輜重隊から持って来させてるわよ。

 

 夏侯淵隊、矢を補充なさい!すぐに戦況は大きく動くわよ!その時に夏侯淵隊と火輪隊には盛大に働いてもらうわ!」

 

夏侯淵隊の兵から歓声が上がる。

 

更なる武功の機会を得られること、矢の補充が出来ること、そして否応なく感じる最後の大詰め感に、兵達は高揚していた。

 

我先にと矢を補充する。

 

皆の矢筒は瞬く間に一杯になった。

 

零が持って来た矢が兵達に配分されて無くなった頃、零が号令を掛ける。

 

「さあ、夏侯淵隊は左翼へ行くわよ!全軍、駆け足!」

 

高揚に浸っていてもそれはそれ、秋蘭の部隊兵は練度の高さを覗かせる整然とした行軍を開始する。

 

その様子を横目に見ながら、零は秋蘭に問い掛けていた。

 

「すでにねねは待機しているから、状況から考えて左翼に寄せたらすぐに出ることになりそうよ。

 

 秋蘭、分かってはいるのでしょうけど、次の相手、本当に大丈夫なのね?」

 

零は本気で心配している。だからこそ、わざわざこの右翼まで出向いたのだった。

 

しかし、当の秋蘭には余裕すら伺えた。

 

「うむ、問題無い。

 

 一刀から天の国の弓の技について話を聞いた上で、恋を相手に弓での死合を模した鍛錬を積んで来たからな。

 

 今度こそ、奴は私が倒して見せよう」

 

自然体でそう言い切る。変に気負っていたり、自身を奮い立たせるために強い言葉を使っている様子でも無い。

 

それを察し、零は秋蘭を全面的に信ずることを決めた。

 

「そう。なら全面的に任せるわよ。前に出るのはこちらに合わせてもらえれば大丈夫のはずよ。

 

 さあ、それじゃあさっさと行きましょう。

 

 次は霞なのだから、あまり遅いと機を逸してしまうわ」

 

「うむ」

 

時間が無いため、余計な話は省いて行動を開始する。

 

秋蘭の部隊と零が連れて来た輜重隊の一部は、そのままきびきびと中央へと足を向けて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん!正面の敵に集中を!

 

 左から来る騎馬隊は馬超さんの部隊が対応してくれます!

 

 対騎馬の槍衾は解き、楯隊を前に!今度こそ態勢を立て直して雪蓮様たちをお迎えに上がります!!」

 

連合左翼の最前線ではようやく混乱が収まり掛けて来ていた。

 

それは呂蒙の功績によるところが大きいだろう。そして、その呂蒙が最大限に働けるように動いたのは、孫策と太史慈、そして蜀側から飛び込んで来た馬超だった。

 

呂蒙はぞのいずれをも無事のまま回収する策を練り始めている。

 

その最中、攻め立てて来ている魏の部隊の指揮官を視界に捉えた。

 

言葉の届く距離。それを頭が理解した次の瞬間には呂蒙の口は動いていた。

 

「残念ですが、あなた方の進撃はここまでです!

 

 開戦早々、散々振り回されてしまいましたが、さすがに馬超さんが来られることまでは予測出来なかったようですね!」

 

それは、呂蒙の言葉の中にもあるように、開戦からこれまでの間、ずっと手玉に取られている感に襲われていたことへの意趣返しの意が強かった。

 

あまり舐めるな、と。呂蒙はただそう言いたかっただけだった。ところが。

 

「そちらの行動に少し思惑から外れたものがあったことは事実です。認めましょう。

 

 しかし、概ね想定内ですね。

 

 多少余裕が出てきたようですが、すぐにそれはまやかしだったと知れるでしょう」

 

返された稟の声は平静そのもの。強がりなど一分たりとも感じられないものだった。

 

それが故に、呂蒙は激しく不安に襲われる。

 

自身が何か盛大な見落としを仕出かしているのか、と。

 

それはある面で誤りで、ある面で正しかった。

 

誤りは、呂蒙は左翼での戦において差配にミスをしていないということに対して。

 

正しいのは、魏の前線中央付近から漂う、次なる動きの予兆を見つけられていなかったことに対して。

 

そして。呂蒙が何等かの結論に達する前に、魏の手によって更に状況が掻き回される事態となっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「霞殿!今ですぞ!」

 

「よっしゃ、任せとき!

 

 おら、お前ら!気合入れぇ!!最速で中央突破して敵軍を割んで!!

 

 ウチらの大将の花道切り拓く役目や!ヘマしたら承知せんからな!!」

 

『おおおぉぉぉおおぉぉぉっっ!!!』

 

魏軍の最前線中央でねねが指示を出す。

 

間髪入れず霞が部隊に発破を掛けて鬨の声が上がった。

 

今までの戦でほとんど出番が無かったねねが、なぜここにいるのか。それはねねの適性に理由があった。

 

ねねの適性は少々特殊で、突出した武力を持つ一部隊が最も効果を上げる吶喊タイミングを図ることが非常に上手かった。

 

ちなみに、他の軍師としての能力――指揮や策を練ること――に関しては、並の勢力ならばいざ知らず、魏にあっては平均以下となってしまう。

 

逆に言えばそれだけ魏の軍師勢は粒揃いだという事なのだが、ともあれそういう理由でねねは今まであまり最前で軍師としての腕を振るって来なかった。

 

それもそうだろう。有象無象や明らかに格下相手であればいざ知らず、実力がある程度均衡してくる相手に対しては、一部隊の吶喊は最悪使い潰しにもなり兼ねない諸刃の剣となる。

 

ところが、である。今回の策において、ねねの適性にドンピシャの役割があった。

 

それが、まさに今この時。霞という突出した騎馬兵力を用いて敵軍を真っ二つに割り切ることだ。

 

「中央深く食い込んだら先に敵左翼の呉を押し込んでやるのが良いですぞ!

 

 あと、こちらの音にも注意を!これ以降、何かあったら花火で指示を出すのですぞ!!」

 

「わぁっとる!ウチを誰やと思とんねん!

 

 ちゃちゃっと中央に道作ってきたるわ!ねねもすぐに退がっときぃや!」

 

霞の出陣前のねねの最後のアドバイスも、霞は承知済みだった。

 

逆にねねの身を案じる言葉を残し、部下たちと飛び出していった。

 

真っ直ぐに敵陣中央へと突き刺さりにいくその部隊速度は、まさに”神速”の異名に相応しいもの。

 

連合が迫りくる霞の姿を視認した時には、既に対応が間に合わないレベルまで差し迫っていた。

 

 

 

こうして、二面での混戦の中に高速の横槍が突き入れられる。

 

それがより戦場の混戦具合を加速させていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ、黄忠将軍!敵中央より騎馬部隊が吶喊!紺碧の張旗を確認しました!!

 

 一直線に中央を――我らが連合の本陣を目指しております!!」

 

蜀方の前線にて火輪隊と混戦を演じている黄忠の下へ報告が入る。

 

黄忠は梅と対峙しながらもその報告に対して頭をフル回転させた。

 

「馬家の二人に続いてここで張遼までもですって?!

 

 くっ……!やってくれたわね……!余裕のある者は――――っ!?」

 

「させませんっ!あなたにはここで釘付けになっていただきます!」

 

「……そう。すっかり騙されたわ……」

 

しかし、黄忠が指示を出し切るより早く、梅が攻勢に出る。

 

それが黄忠にとっては意外な行動だった。その証拠に、梅の攻撃に対応しながらも、黄忠の表情には驚きが見て取れた。

 

では、黄忠の言った、騙された、とはどういうことか。

 

これは魏の策に関してでは無い。梅の戦闘方法について、であった。

 

梅はここまで基本的には防御に専念していた。

 

近接武器の間合いと言える距離まで詰めているのに、それでもなお黄忠には近づき難く、少しでも判断を誤ればすぐに針鼠になってしまうからだ。

 

魏にも弓使い――秋蘭がいるとは言え、それでも梅としては飛道具相手の一騎討ちは経験不足だと理解している。

 

ただ、飛道具を相手に身を守る鍛錬は数を積んでいる。

 

そこで、梅は自ら攻め込まず、防御に専念していたのだ。そしてこれは風の指示通りでもあった。戦闘を開始してからその事に梅は気付いていた。

 

勿論、カウンターは常時狙っている。黄忠が隙を見せれば喉元に喰らい付く気概で、事実幾度も黄忠に斬りかかっている。

 

黄忠はここまでの戦闘を経て、梅は自ら動くタイプでは無いと考えていた。

 

故に、黄忠は視線を切らないままながら、一騎討ち中でも指示を出してしまおうと考えたわけである。

 

繰り返すが、梅は”手を出さない”のではなく”手が出せなかった”わけで、隙さえ見つければ自分から仕掛けることも行う。

 

つまり、黄忠の”一騎討ち中の指示”は明確に隙であったというだけの話なのだ。

 

騙された、というより誤解していただけなのだが、それを敢えて指摘するようなことはしない。

 

梅は再び防御を固めつつ黄忠の隙を伺っている。

 

黄忠は自身の状況と周囲の状況とを確認しつつ、歯噛みした。

 

黄忠自身は梅を相手に、そして黄忠配下の兵達は未だ火輪隊を相手にしていて、手すきの者はまずいないという状況。

 

つまり、霞の吶喊を止め得ない。

 

(愛紗ちゃん……中央を抜かれないように踏ん張って!)

 

今、黄忠に出来ることは蜀で一番中央寄りに配置された関羽隊の活躍を祈ることだった。

 

 

 

 

 

「関羽将軍!張遼が来ます!!狙いは中央突破の模様!!」

 

こちらでもまた、同様の報告が上がっていた。

 

「何っ?!だがこちらも今は手が離せんっ!鈴々に後ろから対応をさせろ!」

 

関羽の相手は菖蒲だ。一切気を抜くことは出来ない。

 

周囲の状況も大よそ把握している。敵兵は追い返せず、さりとて敗走を喫しているわけでも無い。混戦、その只中だった。

 

瞬時に自身の隊では対応不可と定め、後方部隊に対応を投げる。その判断の速さに菖蒲は敵ながら感服した。

 

「さすがですね。いえ、それだけ張飛さんを信頼しているということでしょうか?」

 

「……だったらどうした?」

 

関羽が冷たい声で返す。いつまでも一騎討ちに興じている時間など無いのだから、無駄な問答などしたくも無い、と声音が物語っていた。

 

菖蒲も別に会話で時間稼ぎをしようなどとは思っていない。

 

ただ、素直に口から感想が漏れてしまっただけだった。

 

「いえ、特に何も。

 

 さて、では仕切り直し、ですね」

 

「悪いが、これ以上時間など掛けていられない。さっさとお前を仕留めて反撃の狼煙を上げてやる!」

 

言い終わるや、関羽が菖蒲に向けてこの日一番の気合の入った攻撃を放つ。

 

菖蒲の大斧がこれを迎え撃ち、激しい金属音が断続する第二ラウンドが始まった。

 

 

 

 

 

霞襲来の報は蜀ばかりに走っているわけでは無い。もちろん、呉の方にも来ていた。

 

その報告は呂蒙の顔を瞬時に青ざめさせた。

 

「ま、まさか本当に……っ!

 

 で、伝令!後方、粋怜殿に張遼の対応を!

 

 こちらは未だ手が離せません!」

 

「はっ!」

 

呂蒙の対応も関羽と同じものであった。

 

前線部隊は魏の部隊によって抑えられ、まともに動くことが出来ない。

 

本来前線が行うべき仕事を後方に振るしかない事態に陥らせている辺り、魏の策が見事に嵌まっている証拠だった。

 

「斗詩、どうですか?」

 

「すみません、呉の部隊間連絡線には明確な弱点は見つかりません。

 

 赤壁では蜀と呉が混ざる形になっていたために付け入る隙があったのかと」

 

一方で稟はここまでの流れをさも当然のようにしている。その口から紡がれる言葉は次への動きのための確認事項だ。

 

斗詩は稟の護衛として付きながら赤壁の時同様、敵陣営の連絡線や連携に穴が無いかを確認する役目も負っていた。

 

ただ、今回はさすがに穴を見つけられなかったようであった。

 

「穴は無し、ですか。仕方がありませんね。では予定通りとしましょう」

 

「はい」

 

稟は揺るがない。策を立てて実行するに当たってあらゆる事態は想定されているべきであり、その全てに対して行動を決めておくべき。それが稟の考え方だ。

 

今回も事前の想定から大きく外れる事態は発生していない。その証拠に、稟は予定通りと口にした。

 

詳細な指示は出さずとも、斗詩も兵達も動く。

 

その動きの本質を、既に呂蒙は見抜いている。否、見抜けてはいるが止められない。

 

稟が行っているのは呂蒙隊の半包囲。そして反対側で同様に甘寧隊の半包囲。

 

呉の前線二部隊を相手に見事に足止めを喰らわせていた。

 

こうして呂蒙らがまともに動けぬ間に、遂に霞が連合の陣へと至ることになる。

 

 

 

 

 

前線からの要請を受け、蜀からは張飛が、そして呉からは程普が、それぞれの中衛から前線中央へと向けて飛び出して来た。

 

迎え撃とうとするは霞の騎馬部隊。奥行き方向の兵の配置を分厚くして、騎馬の突破力を殺そうとする陣形を取っている。

 

互いを視認すると、それぞれの将が軽く声を掛けあった。

 

「蜀からは張飛か。そちらも中衛から出てきたようね。

 

 相手は互いに張遼。中央突破を狙ってる奴らを抜かせない。その認識で合っているかしら?」

 

「合っているのだ!程普は宿将で強いって聞いてるから心強いのだ!

 

 けど先鋒は鈴々が頂くのだ!」

 

「若いねぇ。なら任せるよ。

 

 ではこちらは主に討ち漏らしの対処と最終防衛戦を受け持つわ」

 

「お願いするのだ!」

 

定めるのは非常に大雑把な役割分担のみ。だが、それで十分だった。

 

大した連携訓練も積めていない部隊同士で小細工を弄するよりも、それぞれの部隊が出来ることを全力でやる。その方が高い効果が見込めるのだ。

 

それに、いざとなれば程普は数多の実戦経験と文官仕事の経験から、局所的であれば戦線のコントロールも出来る自信があった。

 

そう言う意味でも、張飛が前に出る宣言をしたのは都合が良かったのであった。

 

両部隊は淀み無く移動し、張飛隊を前、程普隊を後ろに、霞を迎え撃つ態勢を整える。

 

態勢が整ったのは霞が連合の最前線ラインに到達するまさに寸前であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

己が育て上げ、今まで幾多の戦場を共に疾駆してきた霞の部隊。

 

霞は”神速”の異名を得ているが、これは霞のみならずその部隊に丸ごと当てられている。

 

今もその異名に恥じぬ速度で、瞬く間に連合軍の前線中央へと迫っていた。

 

もうすぐで当たる。そんな時、霞たちの視界前方で二つの部隊が壁を形成する。

 

遠目に見てもぶち破るのは困難な壁だと見えた。

 

しかし、霞はその様子を見て逆に口の端を吊り上げる。

 

してやったり。そんな表情だった。

 

「お前ら!連合はもう目の前や!

 

 策はちゃんと頭に入れとるやろうな?!もっかい言っといたるが、しくったら容赦せぇへんぞ!!」

 

『応っ!!』

 

部隊全体が高速を維持するには事前にある程度のパターンに応じた動きを兵達にも覚えさせておく必要がある。

 

霞の兵はその点でも優秀で、事前に指示された策に関して、霞の部隊が為すべき動きをしっかりと理解していた。

 

部隊の頭がおらずとも淀み無く動くことの出来る部隊。それは非常に育成が難しく、それだけに完成すれば比類なき部隊。

 

そんな理想の部隊の完成形の一つがそこにあった。

 

霞が檄を飛ばしている間にも、部隊は連合の布陣ラインを踏み越える。

 

左に関羽の部隊が、右に周泰の部隊が、それぞれ広がって魏の最初の吶喊部隊とぶつかっている。

 

そして正面に張飛と程普の部隊。その先頭では張飛が霞の到来を今か今かと待ち構えているのを視界に捉えていた。

 

ここだ、と霞は断じる。その判断に従い、即座に霞の口から部隊に命令が下された。

 

「今や!割れ!!」

 

霞の号令が入った瞬間、部隊が二つに割れる。

 

綺麗に左右に二分された部隊は、そのまま関羽、周泰の部隊にそれぞれ突っ込んでいく。

 

霞もまた、右側――呉の方へと流れて行った。

 

 

 

 

 

連合陣営は驚愕に染まっていた。

 

判断に要せる時間が短ったためか、想定が不足していたが故だ。

 

つまり、霞の中央突破に見せかけた横撃は見事に刺さっていた。

 

関羽隊、周泰隊の兵がそれぞれ混乱に陥り掛ける。

 

そんな中、それぞれの部隊で逸早く動き出した者がいた。

 

関羽隊では周倉、そして周泰隊では周泰その人である。

 

「お前ら、気合入れろ!敵の騎馬がちょっと突っ込んで来ただけだろうが!

 

 行くぞ!あいつらを潰せば楽になんぞ!」

 

関羽隊で周倉が声を張り上げる。そして周泰隊でも――――

 

「皆さん、狼狽えてはいけません!

 

 敵は張遼!手強い相手ではありますが、ここで仕留めれば趨勢はこちらに傾きます!!」

 

周泰自ら先頭に立ち、檄を飛ばしている。

 

これらの声に真っ先に反応したのは、霞の迎撃に出て来ていた部隊、張飛と程普だった。

 

「にゃにゃっ!?逃げられたのだ!!すぐに追って倒すのだ!!」

 

張飛はすぐに駆け出そうとする。一方で程普は思考を巡らせていた。

 

(魏はここで保有する騎馬部隊を全て投入してきた……こちらの前線を崩すため、かしら?

 

 いえ、細かいことは冥琳が考えてくれるわね。ならば、今考えるべきは……

 

 現状、魏に警戒すべき騎馬部隊は無い。そして要注意部隊の張遼隊がすぐそこにいる。ならば、危険を冒してでも、ここは私らも出るべき!)

 

程普は中衛を担う二部隊が完全に前線に合流してしまうことのリスクについて考えていた。

 

結論は、魏側に速度を持つ隊が無い現状、警戒対象の部隊の排除を優先すべき、というものだった。

 

「張飛!それぞれの国の前線の援護に!

 

 張遼の部隊を仕留められれば勝機が見えて来るわよ!」

 

「分かったのだ!」

 

張飛は威勢よく返答し、自身の隊を率いて蜀側の前線へと駆けて行く。

 

そして程普もまた、霞を追って呉側の前線へと駆けて行った。

 

 

 

 

 

「ちぃっ!魏の連中が邪魔で進めやしねぇ!」

 

周倉が大きく毒づく。その背に張飛の声が掛けられた。

 

「張遼の部隊が自由になってしまってるのだ!

 

 周倉!鈴々の部隊で張遼の相手をするのだ!」

 

「すまねぇ、張飛将軍!」

 

周倉とその部下たち、気炎を揚げて霞隊を追いに掛かった連中は、皆が皆盛大に足止めを喰らっていた。

 

風が指揮した部隊とがっぷりと組み合い、身動きが取れない。

 

その背をすり抜け、張飛の部隊が霞隊を追って翼の外側へと染み出していく。

 

関羽は菖蒲に、黄忠は梅によってその場に拘束され、張飛は外へと歩を向けている。今、連合の右翼、蜀側の陣ではそのような事態となっていた。

 

 

 

 

 

「明命!張遼は?!」

 

呉側でも、やはり周倉たちと同じく周泰の部隊が盛大な足止めを喰らっている。

 

程普が霞の行方を問うと、これにはスムーズに回答が返る。

 

「つい先ほどすり抜けられました!進行方向には亞莎の隊があります!」

 

「亞莎には少しばかり荷が重いだろうねぇ。よし、すぐに行くわ」

 

「すみません、お願いします!」

 

こちらでも周泰の背を抜けて程普が霞を追っていく。

 

稟が預かり指揮している春蘭・凪の部隊は周泰の部隊もきっちりと足止めを果たしていた。

 

部隊を動かせない周泰に代わって程普が呉軍の前線に浸透してきた霞の軍へと迫っていく。

 

霞の軍は混戦の中にあっても素早く、瞬く間に周泰隊の密集帯を抜けて呂蒙隊へと至る。

 

そのまま進路上の敵兵を蹴散らしながら一度外へと抜け――――反転したところで程普に追いつかれる形となった。

 

「張文遠!これ以上我が軍を蹂躙などさせないわよ!」

 

「おっとっと。あんた、程普やな?

 

 ええでええで、呉の宿将のあんたやったら、相手として不足無しや!

 

 お前ら、分かっとるな?!」

 

『応っ!』

 

「後のことはお任せください、張遼様!良き死合を!!」

 

部隊長格の兵が迷わず士気を預かる。

 

そのまま霞の隊の兵達は大きく膨らみ、止まる事無く再び呂蒙隊の方へと馬首を向けて行った。

 

「全隊反転!敵軍を追い、呂蒙隊、周泰隊に加勢せよ!これ以上の被害を許すな!」

 

程普の指示もまた素早かった。

 

それは経験則から対応を予め考えていたということ。

 

集められた情報を解析すれば、霞の隊はこれ位の事はしてのけるだろうと程普には推測出来ていたということだった。

 

周囲から互いの兵が全て掃けるまで待ってから、霞は感心を含んだ声音で語り掛ける。

 

「ほぉ~。ちっとは戸惑ってくれるかと思てたんやけどな」

 

「あなたも言っていたけれど、仮にも宿将と呼ばれているのよ?

 

 敵部隊の能力をそう大きく見誤ったりはしないわね」

 

「なるほどなぁ。ま、どっちにしても……これでええんやけどな。

 

 さて、あんたはここで足止めや」

 

「足止め……?」

 

程普が眉根を寄せる。彼女は霞の口調に引っ掛かりを覚えた。しかし、それを深く考察する暇は与えられなかった。

 

「ほんじゃそろそろ、巷で”神速”と謳われるまでになったウチの武、呉の宿将様にどこまで通じるか、試させてもらおうやないか!」

 

「ちっ!返り討ちにしてあげるわ!」

 

これで何組目となるか、霞と程普までが一騎討ちを始めることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吶喊してきた騎馬部隊が左右に割け、これを追って中衛部隊も流れて行く。

 

その様子を本陣から見ていた者たちから唸り声が上がった。

 

「なあ、碧。全て”動かされた”のだとして、この後の展開をどう考える?」

 

「そうさね……奴らの狙いとして考えつくのは三つ。

 

 だが、うち一つは余りにこちらに都合が良い考えなんで排除していいだろう。

 

 すぐにでも最大戦力を突っ込ませて来るか、最悪の場合は本陣は為す術無く壊滅するね」

 

「ここまで新兵器を使う様子は無いが……やはり、現実的には北郷と呂布が来る、か」

 

孫堅と馬騰が険しい表情でそんなやり取りを交わす。

 

劉備はその会話を聞いて顔を青ざめさせていた。

 

二人の想定は、あくまで全てが魏の策が完全に嵌まっている場合のもの。

 

だが、本陣から戦場全体を見渡していた者たちは直感していた。その仮定は大きく外れていないだろう、と。

 

馬家二名の吶喊の段から、どうにか立て直そうと互いの軍に引っ切り無しに支持を出し続けていた諸葛亮と周瑜も、いよいよ”打てる手自体”が無くなってきたことを悟っていた。

 

「…………諸葛亮よ。最早手段は選んでいられないのでは無いか?」

 

周瑜が指示を出す手を止め、一度目を閉じてから諸葛亮にそう問うた。

 

その瞳には悲壮な覚悟が籠められている。

 

諸葛亮は数秒、周瑜の瞳を見つめてからゆっくりと頷いた。

 

「……仕方がありません、ね。

 

 桃香様。先に謝罪しておきます。この戦が終わった暁には、如何なる処罰も受け入れますので……

 

 誰かある!鏑矢を九本射よ!」

 

突然の申し出に劉備は目を白黒させる。一体何をするつもりなのか、と問おうとするも、その言葉は喉から出て来なかった。

 

諸葛亮の姿を見て理解したのだ。彼女はさきほど、あらゆる”覚悟”を決めたのだ、と。

 

ならば、自分のすべきことは何か。

 

今から起こることを全て受け止める。

 

決して諸葛亮一人の所為にはしない。そうさせてしまった自らにも責任はあるのだから。

 

諸葛亮の思惑とは裏腹に、彼女の宣言が劉備に”覚悟”を決めさせてしまったのだった。

 

 

 

「冥琳。まだ策があるのかい?」

 

「念のために用意していた策ですが、正直に申しますと使いたくありませんでした。

 

 孫文台、劉玄徳の名を汚すことになるかも知れません」

 

「……なるほどね。道理であの子がいないわけだ。

 

 分かった。好きにやりな。責任は私が取ってやる」

 

「……はっ。申し訳ありません」

 

一瞬、周瑜は反論しかける。が、そこに意味は無いのだと理解し、ただ謝意を述べるだけに留まった。

 

 

 

その直後、連合軍本陣から異例の九本の鏑矢が上がる――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお~。なんか盛大にヒュンヒュンやってるじゃん!」

 

「これは……何かあるわね。杏からの報告にはこんなものは無かったから、恐らく諸葛亮か周瑜の独断で仕込んだ策よ。

 

 ここが襲われるかも知れないから、備えておきなさい」

 

魏軍の後方で連合の鏑矢を聞き、桂花は周囲の将に警戒を促す。

 

これに応えたのは猪々子と真桜だった。

 

「つまり、あたいも全力で戦えるってことだよな?!よっし!」

 

「ちょい待ってぇな!ここまで下がれば何もないっちゅうから下がってきたのにぃ~」

 

武闘派の猪々子は役目が回って来そうなことに早くも斬山刀を抜いてテンションが上がるが、一方であまり戦いたく無い真桜はテンションが下がっている。

 

それでもやるべきことはやらねばならない、と真桜も猪々子に倣って螺旋槍を構えた。

 

「ここに来て、となると奇襲でしょうね。

 

 奇襲の予定は聞いていないけれど、来るなら来るでいいわ。

 

 来た連中を逃がしちゃダメよ!誘い込んだら囲い込んで網が切れないように!」

 

桂花の指示が飛び、兵達が身構える。

 

連合にとっては余りに残念なことに、全てが筒抜けだったからこそ桂花に奇襲を読まれてしまった形であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっちゃ~。こっちの合図が出ちゃったか~。

 

 それじゃ、冥琳から合図も来たし、行くよ、皆!」

 

戦場になっている大平原。そこに僅かながら点在している茂みの一つ。

 

そこに小規模な部隊が伏せていた。孫尚香率いる呉の一隊である。

 

彼女は作戦立案段階から正面兵力の中には入れられていなかった。但し、それは周瑜の中では、であった。

 

孫尚香は周瑜よりいくつかのパターンの密命を与えられ、ここに伏せている。

 

飛び出し、作戦行動を行うに当たって、合図は鏑矢で行うと決められていた。

 

その中で最悪の場合と決められていたのが九本。作戦内容は形振り構わぬ奇襲。

 

とにかく敵首魁――曹孟徳の頸を取る事だけを想定した策だった。

 

そして、この密命を帯びているのは孫尚香だけでは無かった。

 

「おい!速度がいるだろ?運んでやるから分乗させるんだ!」

 

駆け出し始めた孫尚香達の前に白馬で構成された一隊が走り込んでくる。

 

蜀から公孫瓚も、諸葛亮からの密命で伏せていたのだった。

 

「ありがと!でもすごいね!ホントに騎馬部隊なのに見つからなかったよ!」

 

孫尚香は称賛したつもりだった。のだが。

 

「ふ、ふふ。そうだろう?私はこうやって堂々と奇襲を掛けられるくらい影が薄いんだ……

 

 白馬なのに……目立つはずなのに……」

 

公孫瓚は負のオーラを纏ってしまうのだった。

 

「え、えぇ……あの、なんかごめんなさい」

 

「いや、いいんだ……

 

 ええい!とにかく、行くぞ!」

 

半分自棄になっているような声音で公孫瓚が命を下す。

 

それに従って彼女の部隊、白馬義従は孫尚香の部隊を乗せて走り出した。

 

目指すは魏の後方中心に配置された一塊。

 

そこが本陣だと目星を付け、華琳の頸を取るために――――

 

 

 

 

 

「っ!来た来た来たぁっ!左方、騎馬部隊!」

 

「あんな近くまで気付かれなかったの?!

 

 馬の足を狙いなさい!馬を止めることが先決よ!」

 

猪々子が奇襲部隊に気付く。

 

桂花は驚きつつもすぐに対応すべく部隊指揮を始めた。

 

その間にも奇襲部隊は接近してきて――――すぐに接触、そのまま浸透してきた。

 

桂花の出した指示は”誘い込む”こと。故に、部隊はこの段階では必死の抵抗までは行わない。

 

結果、奇襲部隊はスルスルと食い込んできて、すぐに桂花たちの目の前に孫尚香と公孫瓚が現れた。

 

「劉玄徳が友、公孫伯珪参上!曹孟徳、覚――――って、麗羽ぁ?!」

 

「おーーほっほっほ!まんまと騙されましたわね、白蓮さん?

 

 華琳さんはここにはいませんわよ!」

 

現れた公孫瓚は名乗りの途中で目を剝いて驚く。

 

何せ、本陣に乗り込んで大将たる華琳に刃を向けようとしたのに、そこには全く異なる人物がいたのだから。

 

「ちょっとちょっと!どういう事なのよ!」

 

孫尚香も事態が呑み込めずに戸惑った声を上げている。

 

頭二人が困惑したことで、奇襲部隊の兵にまで動揺が広がっていた。結果、行動が鈍くなる。

 

一方で、全てが桂花の指示通りに進められていた魏軍は速やかに穴を閉じて奇襲部隊の包囲網を形成していた。

 

その囲いから猪々子と真桜が進み出て来る。

 

「いや~、悪いなぁ。ウチらの大将は今、大事な大事な作戦行動中なんよ。

 

 そんなもんやから……悪いけど、あんさんらはここで足止め喰ろうてもらうで?」

 

真桜の台詞で公孫瓚と孫尚香は焦りを覚える。

 

まだ事態を完全に飲み込めたわけでは無い。しかし、これだけは分かる。曹操は何かを始めるつもりだ、と。

 

「くっ……!あいつの予感が正しかったってことか……!

 

 全軍、一点突破!誰か一人でもいい!桃香たちにこの事を!」

 

「だから、させんって言うてるやろっ!!」

 

公孫瓚が包囲を抜けようとするも、真桜がこれを阻止する。

 

「あたいも暴れるぜーっ!おらおら、お前らも気合入れていけよーっ!!」

 

その陰でこっそり包囲からの脱出を図ろうとしていた孫尚香にも、猪々子が斬りかかって止める。

 

「くぅっ……!こんなことで足止めなんてされてる場合じゃ無いのに……っ!

 

 っていうか、なんでこんなに兵が多いのよっ!?」

 

孫尚香は悲鳴のような声を上げる。

 

気付けば公孫瓚・孫尚香の部隊への包囲は二重三重どころかもっと分厚くなっていたのだ。

 

事前に仕入れていた兵数情報と、この日の魏の前線への配置状態を見れば、その兵数は確かに異常だった。

 

――――ただし、それは連合の目から見れば、の話である。

 

この最後方部隊、実はここまでの戦の負傷者で大半が構成されていた。

 

そんな彼らがどうして元気に動いているのか。

 

当然、華佗の仕業である。

 

この配置を決めたのは零。見事に心理戦で敵を嵌めた形となっていた。

 

 

 

躍起になって脱出を図る公孫瓚と孫尚香。

 

対して思わぬ出番ながらも他の戦場へ敵将を放流させまいとする真桜と猪々子。

 

互いの思惑が交錯した乱戦が開始された。

 

 

 

――――――→百五十七話 後編 へ続く。。。


 
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