「本当の話、だと?」
言いながら、アッシュの脳はこれが非常に不味い状況であるという事実を受け止めた。受け止めすぎて、頭痛がしそうだ。
「そう。つまり、本題だ。これまでの全ては余興に過ぎない」
グレーはこれから吐き出す言葉のために、この状況を作り出した、という事らしい。随分な茶番だ。
だが、アッシュにはどうしても腑に落ちない点が一つあった。
「戦闘中、お前は基本的に嘘しか言わん。…………お前が操り人形にした生徒達は、本当に爆弾を所持しているのか? 本当に、学校の至る所に爆弾が仕掛けられているのか?」
「それは全く意味の無い問いかけだよ、アッシュ。…………根拠は?」
「お前は自らの手で命を奪う事を嫌う。お前が命を奪うのは、お前の実験とも言える目的達成の手段でしか無かったはずだ」
「だから、脅しに人命をかけるのは本来の私のやり方にそぐわない。そう言うのかい?」
「…………その通りだ」
グレーの言う通り、これは全く意味の無い問いかけだった。何故なら、敵対者に真実を語る理由があるとすれば、詰まる所、それによる利益の獲得に他ならない。
だが、アッシュにはどうしても引っかかる部分だったのだ。グレーと最も付き合いが長いという自負があるだけに、彼女の信念の根幹に関わる部分に発生した差異が見逃せないのだった。
「爆弾の話が仮に嘘であるなら…………」
「私を即座に殺す事が出来る? お前の能力だけでなく、長距離からの狙撃でもそれは可能だろうな?」
言葉を先取りされ、アッシュは顔を顰める。言葉を先取りされた事事態に不快さを感じたわけでは無い。グレーの余裕が気になるのだ。グレーは微笑を湛えたまま揺ぎ無い。
「真白、動くな」
アッシュは小声で、ここに居ない者の名を呼び、その行動を静止した。グレーの言う通り、あるいはそれが当てずっぽうの発言だったとしても、狙撃手は居た。その狙撃手は恐ろしく腕の良い能力者で、どんな場所からでも正確に狙撃を可能にする。しかし、リスクが高い。軽率に動く事は事態の悪化を招きかねない。
「でも…………仮に、だ。仮の話である以上、君は動く事が出来ない。そうだろう? 君はそういう奴だ」
グレーは過去を思い返すように、視線を左上にやった。戦いの最中に、敵から眼を離す事は致命的な結果を招きかねないが、指は油断無くリモコンへのびている。アッシュが一瞬の間にグレーに灰の銃弾を叩き込んでも、そのリモコンのスイッチだけは押すだろう。指だけを吹き飛ばす事ももちろん可能だが、あのリモコンが本物である確証も無い。
「君は、決して一つの命に対してこだわらない。天秤に賭けられた命の価値と数、その重い方を常に選択する男さ。仮に、爆弾を持たせているのが形梨光恵だけならば、君は私を殺していただろうね」
1度、ハッ、と馬鹿にした様に笑って、
「如月葉月と形梨光恵の価値と命ならば、私を殺す代償としてはお釣りがくる。だが、爆弾を持たせられている人間の数が分からないから君は動けない。天秤がどちらに傾いているのかが、ハッキリしないからさ」
グレーの言うとおりだった。アッシュが動けないのは、正にそういった理由であり、それ以外の何ものでもなかった。
50000の人間と49999の人間。どちらかを助ける事が出来るというのなら、迷い無く前者を選ぶ様な、そんな思考。少しでも多くの人間を救いたいという己の正義から来た、限りなく機械的で、冷酷と受け止められても仕様が無い、全体の利に特化した思考。爆弾の爆発により、何人が死ぬか予想が付かない。葉月が犠牲になる事だって当然有りうる。被害の総和が予測できないならば、動けるはずも無い。
1人死ぬことによる被害者は、当然1人では無い。1人死ねば、その分の家族が被害者となる。2人死ねば、1人の時の倍、被害者が増える。3人死ねばもっとだ。そうして、死者の増加に伴い、無尽蔵に被害者が増えるのだ。何百人と殺してきたアッシュには、それが判る。
だからこそ、この状況はとても危ない。こうした考えを持つアッシュを熟知している敵であるからこそ、この状況はとても危ないのだ。
アッシュは、グレーが次に言うであろう言葉を、ある程度予測できた。
「私と1つ、ゲームをしようじゃないか」
やはり、と、アッシュは歯噛みした。
この状況で最も危険な事。
それは、敵の土俵に上がらざるを得ない要求を突きつけられる事だ。
仮に、葉月の身柄やアッシュの命を要求してきたとすれば、迷わずにアッシュはグレーを殺しただろう。
葉月をただで渡すには割りに合わないし、己の命など言語道断だ。全てが悪い方向に一直線な、グレーにとって甘い話は受け入れる事が出来るはずが無い。それはグレーも重々承知なのだ。アッシュがそういう人間である事を理解している。
「君は当然、拒否できない事を理解しているだろうな」
「もちろん」
グレーの問いかけに対し、アッシュは冷静に即答した。
その様子に、グレーは満足げに、ゆっくりと頷いた。
「話が早い。そうだな…………場所は学校内。時間は二時間後。暗くなってからの方が良いだろう? 人払いはしておいた方が懸命だと思うね」
「言われるまでも無い」
グレーは考えるそぶりを見せていたが、初めから言う事など決まっていたに違いない。
「ああ、そうそう。如月葉月はここで待機させておいてくれ。この場所で、だ。ゲームの賞品としてね。あと、ゲームに参加していいのは、君だけだ。この二つは絶対のルールだ。もし、破る事があるならば…………」
言いながら、リモコンをこれ見よがしにちらつかせた。
「子悪党ぶりが板についているな。今時、ハリウッドのB級映画でもお眼にかかれない」
「映画など視ないくせに、何を言っている。それに、私たちは所詮、何処まで言っても子悪党だ」
皮肉に対して、グレーはむしろそれに同意した。その同意に対して、アッシュはむしろ共感さえ覚える。だが、それだけだ。己が子悪党だと認める事と、それにより発生する共感という感情は、それ以外の一切に対して妥協を許すわけでは無い。
「任務と称して人を殺し、奪い、それが世界の平和のためであると錯覚し、そして自己欺瞞で完結させる子悪党。それ以上でもそれ以下でも無く、決してそれ以外には成り得ない。だから私は…………」
「存在の意味を語るなら」
過熱しつつあったグレーの言葉を、アッシュは強い言葉で遮った。
「お前が死んでからにしろ。それこそ、墓前でいくらでも語りあってやろう」
グレーはしばし呆然とし、そして微笑。
嫌な笑みでは無く、裏表の無い微笑。二人の間に、僅か、今のものとは異なる空気が流れる。
今とは全く異なる状況、全く異なる時間。その空気はそういうものだった。
「私に墓は要らないよ。それに、死して語る言葉は持ち合わせていない。それが、人間の限界だからだ」
微笑を絶やさず、グレーは僅かに下がって行った。
そして、後ろに跳躍。数メートル後方の屋上に設けられている、2メートルはあろうかという柵の上に着地した。
跳躍力からして、人間の限界を超えている。アッシュの敵には到底なりえないが、それだけの力は持っているようだ。
「その5人は置いていくよ。好きにすればいいさ。精神支配は解いておこう。正直、駒が増えすぎて疲れていたところだ」
言うが早いか、グレーは柵の向こうに消えていった。
アッシュは舌打ちした。
追ってくればこの5人は殺す、という事だろう。
捨て置かれた5人の人質は、糸が切れたマリオネットの様に崩れ落ちた。
月 羽矢音が眼を覚ますと、容易には理解し難い状況がそこに広がっていた。
立ち入り禁止であるはずの、学校の屋上。羽矢音はそこで気絶していたらしい。
上体を起こし、周囲を確認した事実と、先ほどまで己が居た場所との相違に、羽矢音は酷く困惑した。
「何で…………こんな所に?」
口に出して呟くが、答えが得られるわけでも無い。
答えは得られなかったが、背後から声をかけられた。
「眼を覚ましたのか…………? 早いな」
驚いた様な男の声。しかし、驚いたのは羽矢音とて同じだ。いや、むしろ己の方がより確実に驚愕したと言っても過言では無いほど羽矢音は驚いた。
悲鳴を上げる様な、情けない行為には辛うじて及ぶ事は無かったが、心臓は緊張のビートを何時もの何割増しかで奏でている。
己が臆病である事は自覚している。とは言っても、それは一年前のあの時からではあるが。
一年前。あの路地裏での、錯乱した人間とその人物の死を目の当たりにするという事件があって以来、羽矢音は少し、いやかなり臆病になっていた。幸い、PTSDを発症する事は無かったが、今でもトラウマな事には間違い無い。
ゆっくりと、心を落ち着けて振り返ると、そこには黒い人間が立っていた。肌が黒いわけでは無い。ちゃんと日本人だ。着ている物が黒いのだった。
「おや、君は…………」
男は意外そうな言葉で、羽矢音を見た。面識があっただろうか? いや、無い。それは断言できる。こんな恐ろしい男に知り合いは居ない。
(あれ? なんで怖い人だと思ったんだろ)
羽矢音の表情を見て、男は首を僅かに振り、再び口を開いた。
「いや、すまない。知った人間と似ていたものでね」
「あの…………貴方は?」
「ああ、私は警察のものだ」
詳しい事情は話して貰えなかったが、どうやら何かの事件を捜査しているらしい。
だが、余計に分からなくなった。
さっきまで図書館に居たはずなのに、自分がここで眼を覚ました事と、この刑事がここに居る事と。全く繋がらない。いっそ、この男が自分を気絶させて拉致した、と説明された方がずっと分かりやすい。見る限り、気絶しているのは自分だけでは無いようだし。
「何で私、こんな所に居るんでしょうか」
思い切って尋ねてみる。少なくとも、この男は気絶していなくて、それならばどうして自分がここに居る事の理由を知っていると思ったからだ。
だが、期待した答えは返ってこなかった。
「いや、私も良く分からないな。立ち入り禁止の屋上が開いていたから、様子を見に来たら、君達が倒れていたんだよ」
「はあ…………そうなんですか」
眼を覚ましたばかりという事もあり、羽矢音の頭はまだ少しハッキリしていない様だ。そのために、刑事を自称する男の言葉の矛盾に気がつかなかった。
「まあ少し休んでいてくれ。急に動くのは辛いだろう」
男の言葉通りに、動く事が辛いというわけでは無かったが、何故か従っておいた方が良いような気がした。
しばらくして、警察や救急らしき人間が屋上になだれ込んできた。
結局眼を覚まさなかった羽矢音を除く4人を担架で素早く回収していく。
何故か4人に対して念入りなボディチェックをしており、報告を受けた先ほどの刑事が渋面を作っていた。
ボディチェックは羽矢音にも行われた。そうされる意味が全く分からなかったが、それ自体はすぐに終わったし、特に問題は無かったようだ。
そして、すぐに帰るように言われた。なんでも特別な捜査をするとかで、すぐに学校が封鎖されるらしい。急な話だった。少なくとも、ホームルームでは聞かされていない話だ。
それに、封鎖してまで学校を捜査するほど、この学校には何か問題があるのだろうか?
最近、再び学校で自殺未遂をする人間が増えているという話を思い出して、背筋が寒くなる。関係は無いと信じたいが、まさかあの、誰も気付いていないであろう一年前の事件に関連する事なのだろうか?
内心で大きく否定する。考えたくも無い。考える必要なんで無い。自分は関係無いのだから。
一年前のあの場面を再び想像してしまい、そして気付いてしまった。
あの時路地裏に居た女と。
今、目の前に居る男。
その雰囲気が、とても似ている事に。
先ほど、男を恐ろしいと感じたのは、そのためなのだろうか? きっとそうなのだろう。
それを自覚して、羽矢音は逃げるように屋上を去った。
だが、どうしてだろうか?
羽矢音は……………………。
「後手に回ってしまったのね」
「全く、情けない限りだよ。時間をかけて準備したのだろうが。この分だと、すでに逃走経路も確保しているだろうな」
アッシュから報告を受けて、葉月は嘆息した。何とも大きい手土産を持ち帰ってきたものだ。
「それで、この学校にはほとんど人が残っていないのね」
アッシュは包み隠さず葉月に伝えた。
もちろん、葉月の命を天秤にかけた事も葉月は即座に理解できた。だが、その事に関してアッシュを責めるのは筋違いだ。全ては自分が招いた事態だ。
「それにしても、つくづく縁が有るのね、月 羽矢音さんは」
「…………グレーの最期を看取った子だったな。私は彼女こそグレーでは無いのかと疑っていたよ」
実際は、平岡 健太郎という男子生徒だったわけだ。
最有力候補の二人が自動的に一人減り、正体を現してくれたわけだから、ある意味喜ぶべき事なのだろうが。
葉月には、一つの考えがあった。
それをアッシュに言うべきかどうかは判断の付きかねる所だ。アッシュは決して器用な男では無い。戦闘前に迷いを与える愚は避けるべきだと考えた。
それに、どちらにしても、葉月には負ける気がしなかった、というのが大きな理由でもあったのだった。
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なんだか知らないですが、すでに完成した文章を直すだけなのに時間がかかりました。