No.90233

夕陽のむこうにみえるモノ14 間奏『沸き立つもの』

バグさん

グレーとアッシュ、短いですが、過去のお話です。

2009-08-17 21:14:50 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:470   閲覧ユーザー数:454

『ああ、哀れな者たち、学べ、そして事物の理をも知っておけ。我々は何なのか、何を生きるべく生まれるのか…………(中略)…………そして、本当のところ、君は人間世界のどの部分に置かれているのか』

 

        (ペルシウス『風刺詩』より)

 

夕陽が海面をオレンジ色に染め上げる。水平線に向かって、幾本もの光の束が一直線。遠近法に従って、遠くに行くに従って、それは小さくなっていく。

 左側からの緩やかな潮風に、海の匂いは感じられない。それはしかし、己の感情が希薄である事の証明では無いと、彼女は知っていた。そして、鼻がおかしくなったわけでも、風が潮の香りを運んでこなかったわけでも無い。風に乗ってくる臭いが、鉄の錆びた匂いに酷似していた。それだけの事だ。

「そこで何をしている?」

 迫る気配には気付いていた。良く知った気配。良く知った落ち着きのある声。それは、自分が最も長く、そして深く付き合った親友であり、戦友であり、あるいは恋人であり、そして本人だった。

「考えていたんだよ、アッシュ」

 振り向かずに、グレーは答えた。

前方は断崖。その壁面には複雑に隆起した岩が、到るところに突起を形作っている。ここから身を投げれば、その岩に激突して、数十メートルしたの海面に到達するまでに死ねるだろう。もちろんその仮定には、普通の人間であるならば、という冠が付くが。

「何についてだ?」

 問われて、グレーは考えていた内容について、どう説明すればいいのかしばし考えた。

説明する、という行為に対しても、明確な答えが見つからないのだ。頭で論理立てるにはなんとも難しく、実際言葉にするとなれば、さらに難しい。

 言葉を探しあぐねて、グレーは振り返った。

振り返った先には、黒の戦闘服に身を包んだアッシュが居た。その戦闘服の黒さで分からないが、己のもので無い血液の飛沫が大量に付着しているはずだった。黒の戦闘服を着用しているのは自分も同じだが、アッシュとは違い、血液等は付着していないはずだ。

「任務完了だ。帰ろう。ここの研究施設はもう使い物にならないだろう」

 グレーが振り向いてなお言葉を発しないのを見て、アッシュがそう言った。彼はそれを伝えに来たのだろう。

「どれくらい死んだ?」

「50は下らないはずだ」

「それはまた、素晴らしいブラッド・パーティーだっただろうな」

 グレーの問いかけにアッシュは淡々と返し、その返答に気が滅入る。

「何を言っている。少ない方だろう。お前の能力のお陰で、被害は最小に抑えられた」

 この場合の被害とは、アッシュやグレーが属する組織の者達に対する言葉では無い。敵対勢力に対するものだ。

 不老不死を、現代科学と魔術的要素の観点から研究を進めていた一つの組織があった。その組織は研究の過程で様々に効果的な副産物を得て、その勢力と影響力を強めていった。

だから、グレーの属する組織が潰した。発覚したその組織の目的と研究成果、さらには世界に対する傲慢とも言える思想が危険視されたためだ。

 アッシュやグレーが属する組織は、世界に対する被異能力者の調和を訴えかけ、他の組織や国家との協調を理念としている。それ故に見逃せない勢力だったのだ。事実、ヨーロッパ諸国では眼に見える程の被害が、すでに出ていた。

 研究施設を破壊するために、グレーやアッシュ、他の様々な異能力者がこの任務に付いていた。もちろん、研究施設はグレー達が向かったここ一箇所だけでは無く、他にも多数存在する。他の研究施設には、他の仲間が行っている。

 標的の研究施設には警備と称して、陸軍中隊を超える数の一般兵が配備されていた。

 一般兵など異能力者の前では何の効果も及ぼさないが、人海戦術で効果的な盾とされる場合も有り得るのだ。だから、通常は静かに全て殺していく。真の敵は己と同じ異能力者であり、彼等と連携を図られるのは甚だ厄介な結果しか産まないからだ。

 だが、グレーが居ると、これは話が違う。グレーの能力は精神に訴えかけて敵を無力化する事が可能であるからだ。異能力に対して耐性を付ける事が出来る普通の人間など、限られてくる。

 彼女の所属する組織は、被害を好まない。故に、今作戦でのグレーの役割は、一般兵を殺さずに無力化する事にあった。元々、こうした役割を与えられる事は非常に多い。異能力者と戦う場合、決して戦闘向きと言えるものでは無い彼女の能力ならば、それは当然の事だった。

 そして、グレーは見事その役割を果たしていた。彼女の能力により、敵の八割以上が無力化、現在は拘束している。

「その50という数に、一般兵はどれくらい含まれている?」

「正確には分からん。ただ、能力者が3名、研究の副産物として生み出された生命体が十数匹だ」

 生み出された生命体、とは何とも曖昧な表現だった。それらは例えるなら、人間が想像する化物の類に似ていた。蝙蝠の羽を極端に大きくしたそれを背中に生やした二足歩行の化物。大きな獣耳に、数メートルほどの爪を持った二足歩行の化物。上半身だけが異様に盛り上がり、眼球の数が数十はある二足歩行の化物。…………共通しているのは、何処かから拉致してきた人間がベースである、という事だ。

「研究に従事していた研究者にも、被害を被ったものが居るだろう」

「そうか…………研究者も」

「…………どうしたグレー。やけに拘るな」

 アッシュが先ほどと変わらない調子で、淡々と聞いてくる。

 長く付き合わないと分からないが、そこにはやや気遣わしげな響きが混じっていた。

 グレーはアッシュに向けていた体を戻して、口を開いた。重々しく、というわけでは無いが、どちらかというと、その声の調子は沈んでいた。

「我々の様な、もうどうしよう無い程に沈みきってしまった者が持つ未来への可能性は…………選択肢としてほとんど無きに等しい」

「だが、一般人は違う。そう言いたいのか?」

「その通りだよアッシュ。今日、私は任務中に彼等の精神を覗いた。その心の中央、果てしの無い深奥部分に隠されている、その者の根幹とも言うべき可能性…………普通の人間の選択肢は、ほとんど無限に等しい。普通の人間は銃を持っていても、それを撃つ事無く捨てる事が出来る。人を殺しても、それが戦争であるならば社会復帰も可能だ」

 流れる潮風は、変わらずに血の臭いを運んでくる。その血の分だけ、人が死んだ。

それを考えると、どうしてもナーバスにならざるを得ない。

「我々は、我々には持たざるものを、いとも簡単に奪い去ってしまったというわけだよ」

 グレーは人の死を悼んでいるわけでは無い。その様な精神を持ち合わせていては、人を殺し続ける彼らは、確実にその精神が破綻する。だから、この様な世界に生きている人間は、標的である人間を、完全な数字の領域で見る技術を修得している。技術だ。能力では無い。

 彼女が悼んでいるものは、失われた可能性についてだった。

「グレー。お前の見ている可能性とやらは、私には見当も付かない。だが、これだけは言える。…………考えるな」

「全くその通りさ。だがね、考えてしまうものは仕様が無い。アッシュ。君も、他の異能力者も、もちろん私も。誰もが可能性を破綻させ、縛られている」

「我々の中にも、普通の職業に従事しているものはいるだろう」

「それは仮初めの姿に過ぎない。サンタクロースの衣装を着て、聡い子供の前で夢を壊さないように一生懸命それを演じる道化と同じさ。分かる者には分かる。それが、彼の本当の姿では無い事を」

「それが仮の姿であろうと、見る者によってはそれが真の姿だ。それでは駄目なのか?」

 アッシュの問いかけにグレーは答えず、足元の尖った石を軽く蹴った。

 石は緩やかな放物線を描き、遠い崖下の海へ吸い込まれるように落ちていく。石が海面に沈む、聞こえるはずの無い音が聞こえた様な気がした。

「もちろんそれでも構わないさ。でもね、私は違う。違うんだよ。私には…………視えてしまう」

 グレーの断言に、しばし訪れる沈黙。

 潮風が運んでくる血の臭いだけが、辺りを支配していた。

 遠く後ろにある研究所からは黒煙が昇り、しかしその臭いは届かない。それが、血を嗅ぎ慣れてしまった結果である事を、グレーは知っていた。

「我々は何故、存在している?」

「存在に意味を求める必要があるのか? まるで、中学生が精神的な熱病に犯された様な事を言うな。普通は大人になるにつれて、収まっていくものだ」

「普通の人間はそれで良い。思春期にあっては個を主張し、年を重ねるごとにそれが幼稚であると思い始め、大人になれば日々の出来事に忙殺される。そんなものに構ってはいられなくなる。存在の意味を求めずに生きていける」

 グレーは一呼吸おいて、再びアッシュに振り向いた。

「だが、我々は違う」

「……………………」

「我々は、日々その存在を賭けて生きている。その存在を護るために戦っている。人を殺し、あるいは人に殺される世界に生きている。賭けるべき己の存在に対する代償は、果たして報酬に見合うだけのものか? そんな事は決して考えられない世界で生きている。己の墓標に刻まれる本当の名や、墓前に供えられる多くの花を置き去りにして生きている」

 何処からか、ヘリを推進させるローターの回転音が聴こえてきた。きっと、この島に降り立ったチームを回収するためのものに違いない。

しかし、グレーの言葉は終わらない。

「…………そんな我々が、己の存在に意味を求めないでどうする?」

「……………………」

「そんな我々が、己の存在に価値を見出さないでどうする?」

「グレー…………」

「私は様々な異能力者の破綻した可能性を見てきた。なら、私はどうだ? 私の未来への可能性はどうなっている? 私の存在する意味は? 私は…………」

「存在の意味を語るなら」

 言葉に熱を帯びかけたグレーの言葉を、アッシュの強い言葉が遮る。

その言葉は大気の揺らめきすら停滞させ、流れる潮風を一瞬感じなくなった。

「…………お前が死んでからにしろ。それこそ、墓前でいくらでも語り合ってやろう」

 グレーはその言葉に、しばし呆然とし、やがて微笑を作った。

 その微笑に込められた正確な思いは、グレー自身、把握出来ていない。

 だが、そこには少なくとも、何かに対する諦観の念が入り混じっていた。あるいは、ほとんど絶望と言っても良いのかもしれない。

 漏れでた微笑は、アッシュの言葉が素直に嬉しかったという理由が大半であった。

 しかし、ここで決定的になったものが一つあったのだ。

それは………………。

「私に墓は要らないよ。それに、死して語る言葉は持ち合わせていない。それが、人間の限界だからだ」

 言って、アッシュに歩み寄る。

アッシュのその肩に、己の額をそっと押し付けた。そして、額をゆっくりと優しくこすり付ける。

「どうした?」

「いや…………なんでも無い。………………行こう」

 潮風が運んでくる血の臭いは薄まる事を知らず、黒煙はますます広がりを見せていた。

拘束した敵方の一般兵達を載せた大型の巡洋艦が、海岸に停泊している様子が見える。

後ろを歩いてくるアッシュとの距離は、彼の方が歩幅が大きい分、少しずつ縮まっている。

これから、組織の本部に戻り、そこには多くの仲間が居る。

 だが、グレーは己が足を踏み出すたびに、彼等との距離が開いていくのを感じていた。

己の中に芽生えて、しかしずっと堆積していた一つの思いが、今、少しずつ光を求めて動き出していた。

 自分は自分としか分かり合えない。少なくとも、己の見ているものを理解できる者が現れるまでは。

 燃える夕陽は海面に沈みかけ、天に帳が降ろされる。

 


 
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