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【 久秀の罠 の件 】
〖 日ノ本 畿内
飯盛山城 城下町 にて 〗
「それでは、颯馬………」
「はい、それでは………行って参ります!」
ーー
色々と一悶着あったが、長慶殿が開始の合図を示した為、俺が動く。
目的地は、少し歩いた先にある……久秀殿御用達の有名な茶道具店。 一存が俺を連れて来た際、俺達を見て嘲笑った………あの店主が切り盛りする店だ。
それが何の因果か判らないが、『その店にある特大の壺を盗む、長慶殿達の前に披露する』………これが久秀殿が示した勝利条件の大まかな説明であり、俺が解かなければならない、久秀殿からの謎解きの問題である。
俺は数歩進んでから、久秀殿の謎解きの回答を得ようと思案を始めた。
ーー
「さて、どうやって大きな壺を………『盗む』か………だな。 俺の体力が一存みたいにあれば、壺を容易く盗めるんだけど………」
ーー
まず、この謎解きで一番厄介なのは……『壺を盗難する』である。
今回、長慶殿、久秀殿は勿論、この謎解きの為に店を提供?した店主も、俺が盗みを働くのは存じている。
当然と言えば当然なんだが……これは久秀殿から持ち掛けられた勝負だから、俺が御尋ね者になるわけは無い筈だった。
だが、店の番頭、そして番頭以下の小者達には、謎解きどころか俺が泥棒行為をする話など、全くっていいほど知らされていないのだ。
『店の者に話を聞かせれば、どちらかに損得あるよう動き兼ねない。 つまり、颯馬と平等な条件にならないわ。 だから、敢えて秘密にしたの』
久秀殿が謎解きの前に、薄笑いしながら俺へ伝えた言葉。
確かに俺との勝負においては平等な対応だと思う。 久秀殿の協力者である店主が、俺を不利にするよう番頭達に働き掛ければ、勝負は完全に負け。
言わば、飛んで火に入る夏の虫……という事になる。
だが、しかし─────
ーー
「………これで捕まって身元がバレれたら………俺、足利家に居れなくなるじゃないか。 本当に久秀殿らしい……搦め手の罠だよ………」
ーー
一見、平等な勝負を演出しながら、その裏では策を張り巡らす。 今更ながら、久秀殿が仕掛ける陥穽に頭を悩ます俺。
そんな俺の背中へ急に嫌な寒気を感じ、俺は慌てて振り返った。
ーー
「………………」
「……………?」
「………クスッ」
ーー
そこには………俺を一瞥し、華が咲いたような魅力的な笑顔で嗤う久秀殿が、傍に控える店主に話かける。
────嫌な予感がした。
ーー
「────それでは、久秀達は茶屋で待機いたしましょう。 店主、茶屋にある茶室の手配、それと長慶様を接待する準備は?」
「万事…………抜かり御座いません」
「そう。 …………では、長慶様。 この場所では不都合がございますので、あちらの茶屋で久秀とお待ち下さい。 その間、久秀の未熟な茶の湯で申し訳ありませんが、刻が来るまで暇潰しとなさって下さいませ」
「「─────なっ!?」」
ーー
驚愕する長慶殿の言葉に被せるかの如く、思わず口から漏れた俺の声が重なる。 これは間違いなく、俺に更なる負担を強いらせる策だ。
それは────長慶殿を移動させる事。
何故なら、盗んだ壺を長慶殿が居る場所まで持って行くのが、勝利条件の一つ。 本来なら、勝負の開始直後に相手の勝利条件を変更するなど、公平とは呼べないし、俺も納得などしない。
しかも、その場所と言うのは、最初のより三町(約330㍍)も離れた茶屋の一角にある建物。 どうやら、貴人用の茶室として準備されているらしい。
これは長慶殿も寝耳に水の話だったらしく、久秀殿の話に血相を変えた。
ーー
「何を急に言いだすんだ! 此処を動くという事は、颯馬の到着する場所が動くのだぞ! これでは勝負として成立しないではないかっ!?」
「仰有る意味は判りますわ」
「では─────」
ーー
普段、物静かな長慶殿が、懐刀とも言える久秀殿へ怒りをぶつけている。
清廉潔白を掲げる長慶殿だから、幾ら勝負が御家に有利になろうとも勝ち方に拘るのだろう。 それは『自分の心情に合わない』という意味があるし、一存と親交がある俺への申し訳なさがあったのでないかと思う。
しかし、久秀殿は長慶殿の抗議を柳に風とサラリと流し、逆に問い掛けた。
ーー
「されど………御言葉では御座いますが、長慶様は御忍びで城下へ参った身の上。 あまりに目立つ行動は、刺客を呼び寄せ御身を危うくする事になるかと。 久秀としましては、長慶様の身を案じ慎んで頂きたいのです」
「馬鹿な! 自分の身を案じ勝負を蔑ろにするなど、これでは示しがつかないではないか! 公平な勝負こそ遺恨無しで終わるものだ! これで颯馬が不利になり三好家へ勝利が傾いても、私は素直に喜びなど感じないぞ!」
「しかしながら……この度の変更、遺憾では御座いますが……長慶様が端を発する事になるのですが……」
「──────どういう事だ?」
ーー
長慶殿の目が細くなり、久秀殿へ強烈な視線で睨み付ける。
身に覚えが無いのに関わらず、原因と言われるのだ。 そんな事を言われれば幾ら温厚な人物といえど、気分を害するだろう。
久秀殿は、そんな長慶殿に宥めるように語り掛ける。 いや、異論を封じ込め、俺を確実に罠へ嵌めるよう長慶殿を説得した。
ーー
「御子弟である一存様を叱咤し、血の繋がった御家の者も容赦しない態度、領民の目には立派な為政者と映りましょう。 されど、その為に長慶様が市中で悪目立ちし、御覧のように大路が混雑し始めました」
「──────!!」
「そもそも、領民の目が長慶様に映らなければ、如何様にも誤魔化しができました。 それが、万民行き交う大路で騒ぎを起こせば、長慶様を侮る者が出て参り、先程の叱咤が御身に返って来られるましょう」
「……………………」
「それに、御心配には及びません。 日ノ本統一に奇策妙計で成し遂げた颯馬殿こと、このくらいの負担など難なく乗り越えて、長慶様の尊顔を仰ぐ事になりましょう。 寧ろ、そうで無いと……久秀が困りますもの」
「…………………………そうか……」
ーー
長慶殿は苦渋に満ちた表情をして思案した後、俺に謝罪をして久秀殿達を伴い、茶屋へと向かっていた。 そんな長慶殿の後ろで、寄り添うに歩く久秀殿が背後を振り向く。
俺へ伏し目がちにしながら、軽く頭を下げた。
だが、一瞬だけ見せた口許の笑み一つで、何も言わない久秀殿の心中を……………俺は簡単に見通すことができたのである。
◆◇◆
【 甲越同盟 の件 】
〖 飯盛山城 城下町 茶道具店前 にて 〗
颯馬が動き出す少し前、店から一人の女性が出て、少し離れた場所で待つ二人の連れの下に戻ってきた。 その女性は苦渋に満ちた表情を浮かべ、声を掛けてくる連れの少女達に重苦しい声で返答を行う。
ーー
「……………どうでした、謙信?」
「うむ、信長と話をしたが、警護している壺は……高さ六尺(1.8㍍)、五十三貫(約200㎏)の大陸伝来となる貴重な壺だそうだ。 正直、軍師殿には持ち上げるだけで、腰がふらつく荷物になるだろう……」
「そうですか。 そうなると………」
「信長達を動かすのも駄目だ。 もし、あの二人が颯馬に協力した場合、壺の代金、護衛の違約金、その他もろもろの諸費用、全て店主へ支払う約定を交わしている。 さすがに……他国の領主が争うのは不味いぞ?」
ーー
女性───上杉謙信は重々しく溜息を吐いた。 実際に自分も試したが、確かに持ち上げて動く事は出来たが、とてもじゃないが逃走など不可能。 持って動いただけで、店の者に捕らわれるのが目に見えている。
それなのに、持って行く場所が此処より遥かに遠いとなると、どうやって大壺を無傷で持って行くなど、謙信には見当がつかない。
ーー
「─────この勝負、軍師殿に勝ち目があると見えるか?」
「正直、単独での正面突破は不可能。 陽動で相手の目を誤魔化す、もしくは店内で協力者を作り手伝わせる………それが一番実現性が高い策と言えましょう。 されど、今更どちらを選んでも無理なのですが………」
「………うむ………」
「ならば、姉上! 私達が手を貸し、颯馬の手助けをすれば───」
「それも、既に松永から禁止されている項目に入っている筈。 下手に手を出し、その為に颯馬を奪われたとなれば、他の国から要らぬ恨みを買う事になるでしょう。 そうなれば、武田、上杉の家名は地に堕ちる事に……」
ーー
自分よりも才知がある連れの少女達────武田信玄、信廉姉妹にも相談してみるが、結果は同じことらしい。
大勢の通行人が行き交う中、三人は店に向かう颯馬の背を心配そうに眺めるしかなかった。
その途中、信廉が言葉を発する。
ーー
「姉上、こんな事になるのでしたら、誰か護衛を頼めば良かったですね」
「義輝公が築いた太平の世を信じないのですか……と説き伏せ、春日や信春を連れて来なかったのが、裏面に出ましたか。 久方振りに姉妹だけの旅路をしたいなど、私が我が儘を通してしまったばかりに───」
「そ、そんな! 私も今回の旅を楽しみにしていたんですから! ならば、私も同罪です!」
「いいえ、最終的に命じた私の責任ですよ。 それにしても、このような有様では、下々の言う『甲斐の虎』が……『張り子の虎』などと物笑いの種となりましょうね………」
「………それなら、私もそうだな」
「景虎………」
ーー
ちなみに、この三人は有力大名の当主、または親族なのだが、周囲に護衛の影が全く無い。
戦乱の世を潜り抜けた歴戦の将ゆえに、護衛など要らないと言われれば納得もするが、それでも家名相応の立場ゆえ、本来は数十人の従者が周囲に居て当然のこと。
しかし、将軍家に拝謁するという名目で上洛した三人なのだが、何故か自分達だけで行くと言い出し、心配する臣下達との押し問答の末に納得させて、こうして上洛ができた訳である。
姉妹の話に割り込むように謙信が話に入り込む。 その顔は姉妹達と同じ申し訳なさそうに歪んでいる。
ーー
「…………あの時、兼続から護衛を執拗に迫られたが、護衛の者など要らぬと私が突っぱねたのだ。 まさか、事を構えた武田家と旅路を共にするなどと、言えも出来なかったからな」
「……………すいません。 私が、こんなお願いを申し出たばかりに………」
「全くですよ。 まさか、途中で景虎と合流したとかは、何事かと胆を冷やしましたが……まさかの信廉から申し出とは驚きました。 私にも一言、相談して欲しかったのですが………」
「あ、姉上に申し出れば………頭ごなしに断られるのが判っていましたので……」
ーー
可愛く頬を膨らます信玄に、頭を下げて深謝する信廉。
そもそも、武田の宿敵と言っても過言ではない上杉が、武田に連なる姉妹と共に居るなど、幾ら世が泰平になったとはいえ、あり得ない事であった。
これは、両家の関係を修正する為に信廉が企て行動だったのだが、信玄に直接言えば謙信嫌いの信玄ゆえ、直ぐに却下されるのは理解していた。
だから、先に上杉側に問合せ承諾を得て、信玄には姉妹での二人旅を提案したのだ。 そして、甲斐から出発して越後から船で向かうと説明、直江津で謙信と合流して、上洛を果たした次第である。
こんな危うい旅路であったのに、無事に何事もなく済んだのは、当時の旅路が大変な苦労がある事、双方の都合通りに来れるのは滅多に無い事。
そして、真の目的である天城颯馬に逢えなくなる事を恐れた為であった。
ーー
「うむ、実の姉より私の方が理解があると見た信廉殿は、実に素晴らしいと思うぞ。 私のところの兼続も、相変わらず武田を危険視してくるので、具体的な交流案が浮かばないくてな。 信廉殿の提案は渡りに船だったんだ」
「………………どうせ、私は妹にも見放された頭の固い……当主ですよ……」
「あ、あぁぁぁ、姉上っ!? そ、そそ、そんなつもりは────」
「まあ、そんな事より今の現状だ。 まさか、このような不測な事態に遭遇するとは私も思わなかったんだ。 何事も備えは肝心ということだな…………」
「「 ………………… 」」
「だが、このまま落ち込んでいても始まらないぞ。 これも毘沙門天から与えられた、私達を鍛える為の試練と考え、颯馬に対してできる事を考えねばなるまい」
「そうですね。 まだ何か……………」
「うむ…………………」
ーー
と、言っては見たものの……………こんな短時間で思い付く事は少ない。 しかも、思い付いた事は、全て松永久秀の禁止事項として申し渡してあるので、それに抵触するものばかり。
謙信と信玄は二人で考える。 信廉は颯馬の動きを観察し、何かあれば連絡する役目を担う事になっている。
ーー
「「 ………………………………………… 」」
「あ、あの………お二人とも……」
「「 はあ~~っ 」」
「………謙信殿っ!? あ、姉上も!?」
「駄目だ、どう考えても………無理だ!」
「あの護衛の二人を抜けて、逃走できる想像さえ出来ない颯馬に、どうやって重い荷物を持ち上げて逃げ果せるものですかっ!? どう考えても、結果が浮かびません! いったい、何処をどう手助けすれば……………」
ーー
越後の龍と甲斐の虎は、互いに顔を見合すと溜め息と愚痴を吐いた。
こんな歴史的珍場面を目撃した信廉は、両手をバタバタさせながら慌てながらも、落ち込む二人へと駆け寄り、励まそうと試みるつもりだったのだ。
だが、事態は動く────
ーー
「そ、そんな事してる場合じゃ…………あ、あぁーっ! 御二人とも、颯馬が動きました!!」
「「 ──────!? 」」
ーー
信廉の上擦った声が聞こえた二人は、下に向けていた顔を急いで颯馬へ向けると、颯馬は店の手前で高価な茶器を手に取り、品定めをしている。
その顔は何時もの日常的な表情と違い、三人が幾度も戦場で見入った軍師としての険しい顔付き。 それは、今から壺を盗む為に何らかの行動へ移ろうとしているのは明白だった。
ーー
「…………尋常ではない表情、どうやら勝負に出る様子ですね?」
「ああ……あの顔の軍師殿が動けば、どんな難敵も奇策で壊滅させられた。 また、その有様が見れると思うと身体が震えてしまう」
「ですが……颯馬は判ったのでしょうか?」
「うむ……軍師殿は突破口を見付けられたのか?」
「………………姉上! 謙信殿!」
ーー
二人が颯馬に注目している最中、その視界の外れから声が掛かる。
それは知らぬ人物ではなく、一緒に颯馬の様子を窺って居た者。
ーー
「─────私、ちょっと行ってきます!」
「ま、待ちなさいっ! 何処に行こうというのですかっ!?」
「の、信廉殿っ!?」
ーー
信玄と謙信は互いに、声を掛かけてきた彼女『武田信廉』へ視線を移し、その行動に疑問を抱き、其々が声を上げた。
しかし、普段の物静かな信廉とは違い、今の信廉は愛くるしい笑顔を浮かばせ、紅潮した顔を二人に見せながら、声を潜めて理由を説明する。
ーー
「颯馬の狙いが判りました! それは────」
「…………な、成る程。 確かに………理屈には叶いますね……」
「……………流石、軍師殿だ………」
ーー
信廉は理由を説明すると、信玄は驚愕な表情で颯馬の成果を褒め、謙信は何度も頭を縦に振り、颯馬の知謀に垂直な賞賛を述べる。
信廉は、まるで自分の事のように喜び、大輪の花のような笑顔を浮かべた。
ーー
「はい! ですから……私が行けば颯馬の手助けが出来ます。 だから───」
「待ちなさい!」
「………………えっ?」
「………私も行きますよ。 私が来店すれば店の者が集り、颯馬への目が逸れる(それる)事になるでしょう。 妹の信廉を動かせ、姉である私が傍観するだけなど、為政者として姉として……情けない話ですから……」
「無論、私もだ。 信玄に劣らぬ私の名を出せば、更に目眩ましになるだろう。 丁度、兼続に土産を購入しようと思案していたところだ。 ここで、高価な茶器を渡せば、きっと喜んで機嫌を直してくれるに違いない」
「………………はい! では、よろしくお願いします!!」
ーー
二人が援護してくれると聞いて、喜ぶ信廉が小走りに店へ向かう。
だが、一緒に向かうと思われた信玄と謙信だが、二人だけになると少しだけ立ち止まり会話をする。
何故ならば、協力するとは言え………互いに宿敵と覚える間柄だ。
ーー
『(《彼を知り己を知れば百戦殆からず》……一人で来ている謙信より信廉と私が同時に手伝えば、上杉より武田の心証が颯馬に強く残る事でしょう)』
『(ふふ……《将を射んと欲すれば先ず馬を射よ》だ。 信廉殿や信玄と協力する様子を見せれば、昔の頑なな私と違うと……颯馬なら気付くだろうな)』
『(あの戦では互いに五分勝ちとなり、互いに矛を収める事になりましたが……今度は勝たせて頂きますよ?)』
『(残念だが、私とて一人の女子(おなご)……この争奪戦こそは、上杉が勝ちを目指させて貰うぞ!!)』
ーー
相変わらず意地を張り合う将達は、短く対話すると同時に一笑した後、急ぎ走り出した。
もし、後世の者が今の二人を見たら、皆が皆、こう答えるだろう。
『宿敵というより、恋敵じゃねえか!!』………と。
◆◇◆
【 竜虎合一 の件 】
〖 飯盛山城 城下町 茶道具店内 にて 〗
大壺の前に二人の護衛の士が居た。
一方は、禍禍しい雰囲気を纏い、来店する客達を品定めするかの如く居丈高(いたけだか)に睥睨する美貌の将。
もう一方は、華が咲いたような笑顔を浮かべ、客に明るく挨拶を交わす風情可憐なる将。
先の人物は『織田信長』、後の人物が『筒井順慶』
この彼女達は、大壺の護衛と雇われた者であった。
ーー
「………なかなかの見物だな。 茶器一つ、茶道具一式の値で客が泣き笑いしておる。 たかが道具、それほどの価値があるとは思えぬのだが……」
「当然ですわ。 商人に取って茶器は刀、茶道具は鎧。 そして部屋で茶を振る舞い主客が対峙するのは、将が一騎討ちを行うようなもの。 それだけ道具に対する目利きが重要になるのですから」
ーー
信長からの店を批判する発言を聞き、それを順慶が若干強めな口調で嗜める。 信長と二人だけで居るのが多い為、遠慮も無しで喋れるらしい。
そんな信長は、順慶を一瞥した後『呂宋壺』と書かれた茶器を胡散臭げに見て、再度、『呂宋壺』を指差しながら順慶へ問う。
ーー
「ふん、ならば……この壺をどう見るのだ? 呂宋から来た壺と大層な値札が出ているが、現地では二束三文の雑貨に過ぎんと南蛮人より聞いておる。 それが、こうも値打ちが変わるなど、目利きと聞いて呆れるほかないぞ?」
「いえ、そうでもありませんわ」
「……………ほう?」
「昔は『尾張のうつけ』と呼ばれし者が、今では『第六天魔王』と恐れられる存在になる例もあります。 本質が変わらなくても、周囲の状況に変化があれば、価値も上下するのは古今東西どこも同じと、お答しますわ」
「……クク……ククククッ! 面白い事をほざくな、筒井順慶よ!」
ーー
信長は嗤いながら鋭い視線を向けるが、順慶の顔には怯えの表情は窺えない。 まるで、つまらぬ者でも見るような顔をして、信長を見返す。
普通の者や信長の臣下なら泣いて許しを乞う程の恐怖だが、順慶は堂々と信長に対していた。
ーー
「別に、どうでもいいことですわ。 それよりも、颯馬様が此方に向かって下さる御様子。 わたくし達も店の者に怪しまれないよう、颯馬様を警戒すべきだと提案しますけど……?」
「…………チッ、興が削がれたか。 まあ、よい。 あの松永が目の敵にするだけの将と判っただけでも収穫よ。 さて、本来の仕事としようではないか」
ーー
二人は壺を守備するように左右に別れると、店先に現れたのは、かの天城颯馬である。
彼は、店の中に飛び込むと辺りを急いで見渡し、壺を護る信長達を一瞬見た後、即座に────
ーー
「────すまんが、この茶器を見せて貰うぞ?」
「おお、お目が高い! この茶器は大陸伝来の────」
ーー
────軒下に展示している茶器ばかり手に取り、値札と見比べている。 信長達が護衛する壺には、全く目もくれずに……だ。
颯馬の行動に些か気が抜けた信長だが、これも何かの策かと感じて、隣の順慶に顔を向け語り掛けた。 信長自身には颯馬より話も何も無いので、順慶に話が通してあるかと思ったのだ。
ーー
「………順慶、主は颯馬より何か聞いておるか?」
「ふふふ………真摯に見つめる端正な顔、あの探求心溢れる視線、茶器を丁寧に撫で回す指先。 ああ~、何処をどう見ても欠点が見えない颯馬様は、本当に素晴らしいですわ~」
ーー
順慶は………惚けた顔で颯馬の一挙一動を見つつ萌えていた。
勿論、付近に居る客はドン引きであるが、そんな客など順慶にとっては路傍の石。 全く気にせず、徐々に壺から離れながら颯馬の様子を窺う。
そんな順慶の様子を興味深げに眺める信長は、素直に感嘆の声を漏らす。
ーー
「……………ふむ。 世に颯馬を好む者は多いが、これはまた珍しい性癖の者が居た者だ。 いやはや、日ノ本狭しと思えど、なかなかどうして………」
「何ですの? わたくしが颯馬様の麗しき動作を鑑賞しているのに、声を掛けてくるなんて、無粋な女子ですわね。 何か……用でも?」
「ふん、用がなければ話し掛けなどせぬわ。 順慶、颯馬から別に指示は受けてないのか?」
「愚問ですわ。 わたくしが颯馬様から御指示を受けていれば、とっくに行動を起こしていますもの。 颯馬様あってのわたくし、わたくしあっての颯馬様。 そんな二人の間に阻む者など……松永久秀以外ありませんわ!」
「………そうか。 何も無しか……」
「きっと、颯馬様は……わたくしの身を案じて連絡をなさらなかったと思うのですわ。 そんな気遣いができる颯馬様、ああ……もうっ! 素敵過ぎますぅ!」
「………それとも………ん!?」
ーー
予想外の状況に警戒心を強くするが、その後すぐに一人の少女が颯馬に走り寄る。 そして、驚く颯馬に小声で二、三の話を交じわすと、一緒に茶器を手に取り、干渉し出すではないか。
その様子を見た順慶は、思わず目を見開く。 身体がぶるりと震え、目を険しくさせ颯馬達へと注視する。
ーー
「あ、あの女子は、武田家の!」
「……………………!」
「………ふふ……ふふふ……わたくしの颯馬様に近寄るとは、なんて図々しい娘なんでしょう。 世間では虎と仄めかし(ほのめかし)ますが、わたくしから見れば只の泥棒猫。 実に穢らわしい(けがらわしい)行為ですわ」
「……………成る程、やるではないか。 青二才めが………」
「それに、不快ですが……この問題を出した松永からの禁止事項に、颯馬様を手伝う事も主旨として入っている筈。 これは明らかに違反行為と見なし、わたくしが颯馬様から排除して差し上げますっ!」
ーー
順慶は腰の刀に手を置き、颯馬の下へ駆け寄ろうとする。
その距離は僅か三間(約5.5㍍)しかなく、順慶ならば客を掻き分け、瞬時に颯馬と信廉の前に現れる事ができる。
そして、狂喜に満ちた嗤いを湛え、信廉に無慈悲な刃を向けていただろう。
しかし────
ーー
「…………………」
「あはっ! わたくしの邪魔をするなら、斬られな─────」
ーー
走り出そうとする順慶の前に一人の将が飛び出し、そのを突撃を阻止するかのように前に立つ。
順慶も気付くが、構わず排除しようと刀を抜きに掛かかり、前方の人物を一刀のもとに斬り捨てるつもりだった。
ーー
「全く……困った御仁!」
「………えっ? あっ! く、くぅ─────」
ーー
だが、前方の人物は刀の柄頭を左手で押さえ込み、右手を開掌にして顎から頭上へと伸び上がるように突き入れる。
こうなれば、順慶は握っていた刀の柄を離し、更に上半身も後方へと反らす。 こうすれば、取りあえず打撃は外れ、次の攻撃を仕掛けられると予想していた。
すると、順慶の顔から反れていた謙信の右手が急に動きを変化して、真下にある順慶の胸を軽く叩く。
ーー
「────だなっ!」
「…………なっ、きゃぁーっ!!!」
ーー
すると、体勢を崩した矢先に上からの攻撃に打たれた順慶は、そのまま重心を後ろへ強制的に移され、盛大にバランスを崩して尻餅をついてしまう。
順慶を阻止した者は、周りを確認して被害が無い事に安堵し、順慶に声を掛ける。 その後ろから、もう一人が姿を見せ、安心した表情を浮かべながら、最初の現れた者の横へと並んだ。
ーー
「─────な、何をなさるのですっ!?」
「やれやれ…………ここは茶道具を売買すると聞いていたが、何故、客に刀など無粋な物を売ろうとするのだ? それに、店内には他の客が多数来店している。 そんな中で刀を振るえば、どうなるか理解できるだろう?」
「まあ、貴女如きが虎に牙を剥いても、所詮は小者。 尾を踏まれ怒り狂った猛虎の一撃で、簡単に地へ伏せる事になったでしょうに。 そんな無様な姿を晒さずに済んだ事、此処に居る『御節介焼き』へ感謝するのですね」
ーー
順慶の前に現れたのは、
凛とした態度が印象的な『上杉謙信』
小柄な身体に似合わない強力な覇気を纏う『武田信玄』
かの名将達が、順慶の凶行を押し止めるかのように、前方を遮っていた。
◆◇◆
【 開始 の件 】
〖 飯盛山城 城下町 茶道具店内 にて 〗
俺が店の中に入り、品物を吟味していた。 何度も何度も手に取り、高級な茶器や茶道具を見て廻り、値段を確認していく。 店内の品物は、久秀殿が懇意にするだけあり、値打ち物が多く目の保養になる。
だが、今回は久秀殿の謎解きの為に此処へ来ているだけであり、別に買うつもりもない。 それに、店内に入り込んだ理由は別にある。
一つは、壺の状況と店内の様子を確認する事。
店の中での配置、護衛の状況など、見ていない箇所が沢山あるので、その確認作業だ。 見た所、腕が立つのは信長と順慶殿が飛び抜け、他の護衛も一存ほどではないが、なかなかできる者が八人程。
そして、もう一つは………
ーー
「─────颯馬、私も手伝います!」
「の、信廉殿!? どうして────」
「颯馬の狙いは判っています! 今、姉上と謙信殿が、皆の注意を引いています。 今の内に選んで早く────」
「────────!?」
ーー
俺は驚き、ついつい信廉殿の顔を見入ってしまった。
久秀殿の示した謎解きを解決するには、これしか考えられなかったのだ。
信廉殿は、俺が見入っているのに気付かず、高級な茶道具を漁りまくる。
ーー
「颯馬、これなんかどうでしょう!? これなら高く───」
「それは…………はっ!?」
ーー
店内の奥から、強烈な殺気が叩きつけられた。 俺は思わず視線を向ければ、そこには……………口を三日月のようにして嗤う順慶殿の顔が!
この距離なら僅の間に俺達の側に到着し、信廉殿に危害を加える。
ならば─────
ーー
「信廉殿!!」
「……………えっ? えぇ………ええぇぇぇっ!?」
ーー
順慶殿の性癖を知る俺は、急ぎ信廉殿の手を引き、俺が盾となり庇うつもりで抱きしめた。
この勝負は俺と久秀殿の戦い。
信廉殿は巻き込まれただけだ。
だから、俺が代わりに順慶殿の凶刃を受けようとしたんだ。
………………………
…………………
……………だが、その凶刃は……いつまで待っても襲って来ない。
代わりに聞こえるのは─────
ーー
「わたくしは松永の禁止事項を順守するために動いたのに、それを貴女達は有耶無耶にしようとなされるおつもりですか!?」
「雑多の中で刀を抜く者に義など有らず! 義に反する行いを私の前で看過させる訳にはいかんからな! この上杉謙信、全力で邪魔させて貰うぞ!」
「そもそも、わたくしの颯馬様に近付く、あの女が悪いのですわ! だから、わたくしが身の程を思い知らせようと─────」
「…………武田家に文句があるのなら、この私……武田信玄に申し出なさい。 苦労を掛けた信廉の代わりに、この私が相手をして差し上げます!!」
「……………龍と虎が動くか。 面白い、ならば………この第六天魔王が直々に相手をしてやるわ! そこの小童達よ! 私が奴等からの攻撃を防ぐ故、うぬらが壺を盗まれないよう死守するがいい! 判ったか!?」
「……………はっ、はいっ!!」
「クククク…………是非も無し!!」
ーー
俺達を背に、順慶殿と対峙して立ちはだかる、謙信殿と信玄殿。
そして、近くに居た震える丁稚達を集め、壺の守備を命じて順慶の横に笑いながら立つ信長。
一見すると……店内で起きた乱暴狼藉に見えるが、その割りに千日手のように双方が動かない。 あの四人が動けば、店が破壊されても可笑しくない。
まるで、注目を集めるのが目的みたいに思え…………あれ?
まさか────
俺の策が判っちゃったのか? だから────
ーー
「そ、颯馬………あ、あの………そろそろ………」
「あっ、あ、すいません! 信廉殿!!」
ーー
そんな折り、俺の腕の中で信廉殿が声を掛ける。
そういや未だに抱きしめたままだった俺は、急いで信廉殿を解き放った。
俺が強く抱きしめた為か、何だかウットリとした顔付きをしている信廉殿だが、頭を何度も振るい元の状態に戻った様子。
ーー
「い、いいんです。 物凄く…………良かった……ですので……」
「…………へっ?」
「あ、私!? な、なな、何言ってんだろう!? あははは……」
「………?」
ーー
しかし、まだ少し錯乱されているらしく、おかしな言葉を発している。
俺は自分の不甲斐なさと申し訳なさのあまり、何度も頭を下げて謝罪を行う。 危険と感じて守ったつもりが、実は俺が助けられていたとは。
こんな俺を助けに来てくれた信廉殿を、俺は心配して更に声を掛けた。
ーー
「だ、大丈夫ですかっ!?」
「…………はい。 お見苦しい真似を…………」
「本当に……申し訳ない。 幾ら信廉殿が危ないと感じたとしても、好きでもない殿方に抱きしめられるなんて、さぞかし怖かった事でしょう………」
「い、いえ! そんな事は…………」
ーー
信廉殿は俺の言葉を聞いて言い淀む。 どうやら、怒りは収まっていないが、勝負の最中ゆえ不問にしてくれるという、配慮だろう。
念の為、軽い冗談でも言っておくか。
ーー
「それで、信廉殿────どうかお願いします! この事は二人だけの秘密にして下さい! どうか、他言無用で!」
「ふえっ? 二人だけの秘密っ!?」
「はい、こんな話を光秀に聞かれたら、俺の好感度が思いっきり下がって、嫌われてしまいますので。 だから……他言無用でお願いします」
「ぅ……うう………そ、それよりも早く! 今なら姉上達に注目が集まっているんですから、早く行動しなさいっ!!」
「はっ、はいっ!!」
ーー
信廉殿は、姉譲りの覇気を出しながら俺に怒鳴った。
これは、『まだ怒りは収まらないが勝負の途中ゆえ、此方を優先するように!』と言う意味だろう。
いやはや、信廉殿のような真面目な方に冗談を言うものじゃないな。 たが、謝罪は渋々ながらも受け入れられたようだと安心した。
俺は、信廉殿の思いやりに感謝しながら、茶器を数個……手に取る。
信廉殿が勧めてくれた茶器だ。 さぞかし……高値だろうと思う。
そして、俺は────
信廉殿や皆に感謝しながら、当初、考えていた行動を起こしたのである。
──────あの大壺を盗む為に─────
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別伝の続編です。