一刀にとってこの一週間はとても慌ただしかった。
それは一刀だけに限らず戦に備えた華琳の軍隊すべてにいえることだったが・・・・・・。
この期間、春蘭との訓練はとりあえず休止にして華琳の課題をこなすことを第一に考えた。
規模や備品の総数を頭に叩き込み、兵士の状況などは訓練所などに足を運び現場の生の声を聞き参考にした。
少しでも時間を割いて勉強を見てくれる秋蘭にも色々意見を聞くことも出来たし、別の文官達の所にもわざわざ意見を聞きに行った。
意見を聞かれた文官は驚き、そして一刀の人となりを大きく評価した。
文官は訓練所の兵士達と違い一刀と直接触れ合った訳ではない。華琳が、主である曹孟徳が真名を許したといっても天の御使いなど胡散臭いことこの上ない。
しかし、立場は圧倒的上である事には変わりはない。納得はできなくとも理解は出来る。
その天の御使いが頭を下げて意見を求めてきたのだ。慌てない方がどうかしている。
恐縮する文官達が必死に頭を上げてくれと懇願してやっと一刀は頭を上げた。一刀に打算はなく、自然体に頭を下げて教えを請うた。目上の者が目下の者に教えを請う、意見を聞く。しかしその態度は高圧的で命令口調である事が常だ。
しかし、一刀は頭を下げた。これがどれほどの衝撃を与えたのか・・・・・・。
一刀は己の知らぬ所で着々と自分の存在を揺るぎないものとしていっている。
立場を気にせず気さくに、気さくすぎるくらいに接するその態度、そして話してみてわかるその人柄。武官だけではなく文官にも一刀の人気は広まりつつあった。
「・・・・・・こんなところかな」
期限一日前の夜、考えに考え抜いた兵糧の帳簿の草案が完成した。
机の上には色々文字が書き殴ってある紙が数枚散らばっている。筆を使うのがまどろっこしく、制服に入っていたボールペンで書き出した日本語で書いている文書。
兵の状況や備品の数、相手勢力の規模、その他諸々を考察し考えた兵糧の数。
自分の力だけで完成したものではない。文官や武官、城内の人間の意見を聞きその上で考え出した。正直、自信は無いのだが。
「ふう・・・・・・学校のレポートもこんなに真面目に書いたこと無いよ・・・・・・」
一人愚痴る。こうやって全力で頭を使ったのはいついらいだろう。
「あとはこれを中国語で清書だな」
こんどは筆を取り、まだどこかぎこちない手つきで清書を始める。
当然だが、ボールペンで書くより大分時間がかかった。
「・・・・・・これはどういう意図でこういう数になったのかしら?」
翌日、朝一番で華琳の元を訪れた一刀は昨夜完成した帳簿をさっそく見て貰った。
しかし、一刀が提示した帳簿を見る華琳の目つきは険しい。
「そうだな、まずは兵の状況。ここの最近の訓練状況や討伐の結果、相手の兵数を考慮した上でこうなった。十分だと思う」
「でもね・・・・・・」
「それにさ、言い方はすこぶる悪いけど、華琳はよその縄張りにちょっかいだしにいくわけだろ? それなら時間がかかるより短期決戦で勝負を仕掛けた方が絶対にいいと思うんだよ」
しばらく悩み顔だった華琳は短く息を吐くととりあえずは保留ねと苦笑した。
一刀会心の帳簿はいまいちピンとこなかったらしい。
「何かまずかったか?」
「そんな不安そうな顔しないの。そうね、まだ判断しかねるわね。正直予想と違ったもの。本当に退屈させない男ね、あなたは」
「褒め言葉ととっていいのかな」
「結構よ」
笑い合う二人。
主従の関係ではなく、親族でも無い。
二人の関係は何というのだろうか? ・・・・・・部下でもなく、親兄弟でもなく、庇護するべき民草でもない・・・・・・。
あえて言葉で表すなら、友、だろうか。
この陳留において唯一無二の友。
二人の心情は分からずとも、二人のあり方はそう見えた。
「一刀、あなたの帳簿は確かに預かりました。後は本当の帳簿が届くのを待ちましょう」
「へ? 帳簿は俺のを使うんじゃ?」
すっとんきょうな声を上げる一刀を見て笑う華琳。気づかなかったの? という顔をしている。
「あのね、出発するのは今日なの。そして、一刀は約束通り今朝帳簿を持ってきたわ。ほら、今からその帳簿通りに食料を調達してたんじゃとてもじゃないけど時間が無いわよね」
「た、確かに・・・・・・」
言われて初めて気がついた。確かにそれじゃあ間に合わない。
何故そんな事に気づかなかったのか・・・・・・てんぱっていたのだろう、きっと。
「ということは・・・・・・別の帳簿が既にあって、食料はその帳簿通りに既に調達してあると」
「その通りよ」
とたんに一刀は大きなため息を吐き肩を落とす。
対する華琳はどこか楽しそうだ。
「俺に一任するとか言ってなかったっけ?」
「あら? その方がやる気がでるでしょ?」
苦笑する一刀と微笑む華琳。
どうやら一刀は華琳に踊らされていたようだった。
「勘違いしないでね。試験というのは本当よ」
「なら結果はどうなんだよ?」
不安げな顔に戻る一刀。ここで見切られ捨てられれば後は野垂れ死ぬだけだ。
しかし、華琳から最悪の言葉は紡がれない。
「あなたがこの一週間努力してきたことは知っているわ。保留と言ったのは実際にやってみないと分からないからよ。言ったでしょう? 予想外だって。
安心しなさいな。今更一刀を捨てたりしないわよ。報酬もまだだしね。あなたにはいずれ興る魏国の客将になってもらわないといけないのだから」
「はは・・・・・・そりゃよかったよ」
「ふふ・・・・・・本当に退屈させない男ね。ほら、そう言っているうちに帳簿が届いたみたいよ」
謁見の間に秋蘭が入ってくる。手には紙束。どうやら帳簿やその他の書類を持っているようだ。最終確認は華琳がするのだろう。
「あぁ、北郷もここにいたのか」
「そうだよ、必死に考えた帳簿をもってね」
秋蘭が不敵な笑みを浮かべた。どうやら秋蘭も気づいていたらしい。
「酷いな、知っていて黙っていただろ?」
「普通に考えれば分かるだろう? 試験と聞く前だったから驚いただけだよ。まぁ姉者は純粋に驚いていたようだが」
紙束を華琳に渡し一歩下がる秋蘭。
「実際お前はよくやっていたと思うぞ。知識はあっても素人なのだからな。文官も褒めていたよ、御使いさまは並々ならぬ努力をするお方だと」
「そんな・・・・・・分からないことがあれば他人に聞くのはとうぜんだろ?」
確かにな、と笑う秋蘭。
二人が談笑をしていると紙の束を見つめていた華琳が声を上げた。
「――ふふ。本当に退屈しない」
華琳が愉快そうに顔を歪める。
新しいオモチャを買い与えられた子供のような表情を浮かべて。
抱く感情は何だろうか? 愉悦、好奇心、期待感、喜び・・・・・・。
何にせよとても楽しそうな、愉快で愉快でたまらないという顔だ。
「秋蘭、春蘭はどこにいるのかしら?」
「姉者でしたら兵の最終確認を行っているはずですが」
「そう。では、私と秋蘭は春蘭の所へ行きましょう。一刀、あなたはこの帳簿を作った監督官を呼んできてちょうだい。曹孟徳が呼んでいるからすぐにこいってね」
華琳の表情は変わらない。やけに機嫌が良い。
「ん・・・・・・。よく分からないけど監督官を呼んでくれば良いんだな?」
「北郷、その監督官は今馬具の確認をしているはずだからそちらに行ってみるといい」
「わかった、ちょっと行ってくる」
二人に背を向け小走りで玉座の間を後にする一刀。後には上機嫌な華琳と眉をひそめる秋蘭だけが残された。
「私達も行きましょう。最終的な点検は私がやらないとね」
「御意。しかし、何か不備があったのでしょうか?」
歩きながら話す二人。
しかし、華琳の上機嫌さを見るとどうも不備があったとも思えない。
「ふふふ・・・・・・春蘭にも意見を聞きたいのだけどね、先に見てもらいましょうか」
華琳は見比べてみてと二つ紙を秋蘭に渡した。
秋蘭は受け取り見比べると更に眉をひそめる。
「これは・・・・・・ふむ」
「ね? 面白いでしょう。一刀が必死に作った帳簿と秋蘭が持ってきたこの帳簿・・・・・・。
さて、どうしたものかしらね」
「さて、監督殿はどこだろうな」
きょろきょろと周りを見渡す一刀。
出発前で忙しそうだったが、一刀の姿を見つけると兵はしっかりと挨拶をしてきた。
それに答えながら監督官を探すもここにきて重大なことに気づいた。
「そういや俺監督官がどんな人なのか知らないんだよなぁ」
秋蘭に聞きいてくれば良かったと思いながら、近くにいた人に尋ねることにした。
「ちょっと君、いいかな?」
「何よ・・・・・・見ての通り私は忙しいのだけど」
声をかけた小柄な少女が一刀を睨み付ける。
夏候姉妹と比べると、美人というより可愛いという分類に分けられるであろう女の子。特徴的な頭巾をかぶっているその姿は兵士の大群の中では浮いて見えた。
「ああ、華琳に頼まれて監督役を捜してるんだけど・・・・・・」
「ちょっと! 口を慎みなさい! あんたみたいな奴が曹操様の真名を口にしたら殺されるわよ!?」
すごい形相で怒鳴られた。
こんな態度を取られたのは一刀がこの城にやってきて以来無い。しかし、これが当然の反応だと一刀は思った。
「あぁ、その事なら心配ないよ。俺は北郷一刀、一応華琳・・・・・・曹操と夏候姉妹からは真名を許されているし」
「なっ・・・・・・! そうか、あんたが曹操様が拾ったっていう天の御使いとかいう胡散臭い奴なのね」
思いっきり顔をしかめる少女。
手厳しい評価だが、少女の言っている事に間違いはない。拾われたのも胡散臭いのも全部本当だ。
「うん、俺がその胡散臭い天の御使いで間違いないよ」
基本的に一刀の行動範囲は限られている。
あてがわれた自分の部屋、訓練場、玉座の間、大浴場、大体こんな所だ。城内を探検などしていないし、城下に繰り出したりもしていない。色々な所をうろついてはまずいだろうと自重していたためだ。
結果、有名人である一刀を実際に見たと言う者は実は限られている。訓練所の兵士、侍女、そして今回帳簿作りの為に顔を出した文官くらいだ。
その他城内の末端兵や街の人々は主に噂話などで一刀の存在を知っているにすぎない。この少女が一刀を分からずともしかたがないのだ。
「あら? 自分が胡散臭いって認めるのかしら?」
「認めるも何も実際に胡散臭いだろう。君みたいな態度が普通さ、他のみんなは俺を過大評価する傾向にあるからな」
「ふーん、身の程をわきまえてるのね」
「わきまえてるも何も、言ってみれば俺は華琳の気まぐれで飼われている不審者だからな」
その言葉に満足したのか睨むことを止めた少女。
一刀はとりあえず睨まれなくなってほっとした。
(天の人間とは謙遜するのが普通なのかしら? 曹操様が気まぐれでも無能を側に置き、あまつさえ真名を許すなどあり得ないのに。それにあの男が拾われてから二週間、嫌なほどに悪い話は聞かない。それに加え位置づけは側近である夏候惇や夏候淵と同等・・・・・・今の時点では私よりずっと位が高いのに何故こうも腰が低いの・・・・・・?)
思考の海にダイブする少女。
睨むのを止めたのは天の御使い北郷一刀の分析を始めたからみたいだ。
「おーい、聞いてる? 監督官を捜しているんだけど」
「・・・・・・うるさいわね。その監督官に何のようなのよ?」
「いや、華琳が呼んでるから・・・・・・」
「なっ曹操様が!? どうしてそれを早く言わないのよ!!」
また怒鳴られる一刀だった。
「まず初めに言っておくわ。一刀、春蘭、秋蘭、あなたたち三人はこれからのことに口を挟むことを禁じます。いいわね?」
頷く三人を見た後、華琳は己の前に跪く一人の少女を見据えた。
「まず、この食料の数だけど、どういう意図を持ってこの量にしたのかしら」
「はい、必要最低限のものを準備したつもりですが・・・・・・何か問題はありましたでしょうか」
華琳の声に応えたのは先ほどの小柄な少女だった。
こうして最高責任者に呼び出しを食らっているわけだが、少女の眼には恐れや緊張の色が見えない。堂々としたその態度は、さすがにこの年で監督官を任せられるだけの事があると評価される所だろう。
「そう。何か理由はあるのかしら?」
「はい。理由は三つあります。まず一つ目は曹操様は慎重なお方、最終確認は自らが行うかと思います。そこで不備があればこうして責任者を呼ぶはずです」
少女の返答に秋蘭は顔を青くし、春蘭は、貴様ぁという怒声とともに抜刀する。
「いいの。春蘭」
「華琳様・・・・・・しかし」
「下がれと言っているのよ。それで? 他の理由は?」
剣の切っ先を向けられたというのに、怯えた表情を微塵も見せず少女は続ける。
「この糧食の量なら身軽になり行進速度も上がります。討伐にかかる時間は大幅に短縮されるはずです。最後に私が提示する作戦をとれば戦闘時間も大きく短縮できるでしょう。それを踏まえての糧食の量です」
ここで少女は一呼吸置き、華琳の眼を見つめ、さっきより少し大きな声で己の目的であった言葉を紡いだ。
「最後の理由ですが・・・・・・。曹操様! どうか、どうかこの旬彧めを、曹操様を勝利に導く軍師として麾下にお加えくださいませ! 私が軍師として指揮をとればこの糧食の量でも確実に野盗退治を遂行できます!」
この少女・・・・・・旬彧の言葉に三人は驚いた。とりわけ一刀の受けた衝撃は大きい。
(荀彧って・・・・・・あの魏の・・・・・・曹操の配下の荀彧か!?
こんな女の子が・・・・・・いや、そういえば魏王もその側近も女の子だったな)
一刀は頭を抱えた。
「旬彧・・・・・・あなた、私を試したわね?」
「はい・・・・・・」
華琳は、にやりと顔を歪めた。それはさきほどと同じ愉快でたまらないといった表情。
「荀彧、あなたの真名は?」
「桂花にございます」
「ふふ・・・・・・いいでしょう桂花、あなたに乗ってあげるわ。見事私を勝利に導いて見せよ」
「はっ! 必ずや勝利を曹操様のお手に!」
ぱぁっと顔が輝く桂花。
よほど嬉しいのだろう。顔は朱色に染まり瞳はどこか潤んでいるようだった。
「ふふ・・・・・・この曹孟徳を試したのはあなたで二人目よ。本当に退屈しないわ」
小さく呟いた華琳の言葉は誰の耳にもはいらなかった。
後書き的なものを・・・・・・。
いや、季衣まで出せませんでした、本当に申し訳ないです。
次は野盗退治終了くらいまでの予定です。
早く凪達を出したいのですけど、書くスピードが・・・・・・。
Tweet |
|
|
111
|
4
|
追加するフォルダを選択
五話目になります。
野盗退治出発前、桂花登場までとなっています。
よければおつきあいください。