「あっちに逃げたぞー!」
「追え!今日こそ逃がすな!」
「蜀軍の威信にかけても奴を捕らえよ!」
ある日の成都の夜。200名を超える警備兵と大将軍関羽こと愛紗、さらにその娘の関平の怒声が鳴り響く。彼女が率いる警備兵が追いかけまわしているのは―――
「あははっ!ノロマな警備兵サンと将軍サマ!この『大元帥韓信所有の宝剣』は私、怪盗白猫(はくびょう)が頂いていきまーす!」
最近、成都に出現し始めたその人物は、猫耳を付け、白い着物を着た義賊の少女『怪盗白猫』である。建物の屋根を走る彼女は、数発の煙球を警備兵と愛紗に向けて放り投げ、炸裂させた。
「ごほっ、ごほっ・・・」
愛紗たちは煙に巻かれてせき込んで足を止めてしまう。そして煙が晴れたころにはネコミミ義賊の少女の姿はどこにも見当たらなかった。
「くそっ!また逃したか」
「はい・・・」
愛紗は悔しげに地面を蹴り、彼女の娘は肩を落としたが、もはやどうにもならなかった。
成都本城、玉座の間にて、愛紗は主君夫妻を前に屈辱的な報告をしていた。
「・・・今回も予告通りに現れた白猫を取り逃がしてしまいした。申し訳ございません!」
ひれ伏す愛紗に一刀は優しく声をかける。
「愛紗、そんなに畏まらないで。けどそいつすごいな。朱里と雛里の作戦と愛紗の武から逃げ切るなんて・・・」
「愛紗ちゃんから逃げ切るなんて、ほんとに何者なんだろうね・・・」
みんなが首をかしげる中、星は笑いを堪えるのに必死だったが、その事に気がついた者はいなかった。
一刀の子供たちの中で唯一結婚しているのは星の息子・趙広である。彼は病弱で城の外に出て行く事はあまりなく、日がな一日中庭に面した部屋で安楽椅子に座って政務や読書をしている。その趙一家には秘密があった。
「あなた。お茶だよ~」
「ありがとう」
趙広にお茶を持ってきたのはメイド服姿の少女。彼女こそ、趙広の妻で真名を千早という。
「何を読んでるの?」
「華琳様の『孟徳新書』だよ。朱里様に貸していただいたんだ」
「難しそうな本だね~」
そんな会話をしていると、報告会を終えた星が入ってきた。
「いらっしゃいませ、お義母様」
あいさつした千早を発見すと、星は機嫌よく微笑んだ。
「おお、嫁御殿がおられたか。ちょうどよい」
「母者、どうでした?」
趙広が立ち上がって母に何かを聞いていた。
「問題は無い。主はもしかしたら気が付いているかもしれぬが、愛紗達には気づかれておらんよ。趙家の嫁が『怪盗白猫』だという事にはな」
そう、蜀軍上層部が躍起になって追いまわしている怪盗白猫の正体は、趙広の妻・千早だったのだ!
趙広と千早の出会いは1年前にさかのぼる。千早が『怪盗白猫』として活動を始めて1ヶ月ほどたったある日の夜だった・・・
「はぁっ、はぁっ・・・」
千早は成都の路地裏を息を切らして走っていた。税金をごまかしている悪徳商人の家から宝石を盗み出したまではよかったが、商人が雇った用心棒の一人が放った矢が肩を直撃し、負傷してしまったのだ。止血する暇もなく走り続けている彼女から容赦なく体力が奪われていく。
(もう・・・ダメ・・・)
重力に引きずられるように倒れた千早。彼女の前に人影が立ちはだかった。
「はっ!」
目を覚ました千早がいた場所は、牢獄でもあの商人が趣味で作ったという拷問部屋でもなく、清潔なシーツが敷かれた寝台の上だった。
「ここは・・・?」
負傷していた肩を見ると、キチンと綺麗に包帯を巻かれており、他にも怪我をしたところを治療されている。上半身を起こして部屋を見渡してみると、窓の外には湖が広がり、部屋の中には派手さは無いが、高級な家具が並ぶ。することも思い浮かばず、しばらくボーっとしていると、部屋の戸がノックされた。
「は、はい」
多少声が上ずりながら返事をすると、入ってきたのは長い水色の髪をうなじで一纏めにした千早と同じくらいの年齢の少年だった。
「どうですか、体調は・・・?」
お盆に冷水の入った水差しとコップを乗せて入ってきた儚げな印象の少年の微笑みに思わず千早の胸が高鳴る。
「は、はひっ!大丈夫れす!」
あわあわして噛みまくりそれがまた少年の微笑みを誘い、また千早の胸が高鳴って頬が熱くなる。
「あのっ、ここはどこですか・・・」
「ここは蜀王室の別荘ですよ、『怪盗白猫』さん」
「なっ・・・!」
ぎょっとして思わず身構える千早だが、少年は寝台の隣に備え付けられている机にお盆を置いただけだった。
「怪我が治るまでゆっくりしていってくださいね。あ、そうだ。名乗るのを忘れてましたね」
少年は千早の方に向き直った。
「僕は蜀の五虎大将軍の一人・趙子竜の長男・趙広と言います」
(まさか助けてくれたのが趙雲将軍の御子息なんて・・・)
蜀の皇子たちの中でも趙広は病弱の為に公の場に姿を現さない所為か、謎めいた美少年として知られている。孤児として孤児院で育った千早だが、一度はこのミステリアスな皇子様に会いたいと願ったものだ。
(まさか子供の頃の夢が叶うなんて・・・きゃ~♪)
趙広による看病は手厚く、千早の心を温かくさせてくれるものだった。真名もその日のうちに彼に捧げた。彼の母である趙雲将軍にも正体がばれていたが、むしろ好意的に迎えられた。その事に少し戸惑ったが、その理由を趙広の父である北郷一刀に教えてもらった時はびっくりしたものだ。
この温かな日々がいつまでも続けばいいのに―――
そんなことをいつしか思い始めた千早だったが、その想いとは裏腹に怪我は順調に癒されていき、ついに別れの日が訪れた。
蜀の別荘の門の前で千早と趙広は向きあっていた。千早は彼に別れを告げるために。趙広は彼女を見送るために。
「趙広様、今までありがとうございました」
「こちらこそ。短い間だったけど一緒に過ごす事が出来て楽しかったよ」
ありたきりな別れの言葉を交わす2人。続ける言葉が見当たらず、2人の間には春の涼やかな風が吹き抜けるだけ・・・
「あの」
内に秘めた想いを告げるべく、千早は口を開いた。想いを告げる事で、たとえこの想いが成就せずとも、一生後悔するまいと決意した。
「私を・・・あなたの妻にしてくださいませんか」
「あれから1年か。まさか僕もいきなりプロポーズされるとは思わなかったよ」
「もうっ、恥ずかしいよ~。一世一代の告白だったんだから」
あの告白から1年が経過した現在。華蝶仮面1号の特訓を受けて更なるパワーアップに成功した千早は昼間は趙広の妻と侍女の仕事を兼ね、夜は怪盗白猫として世を賑わせている。
「ふむ。今度久しぶりに華蝶仮面として街に降りて悪を懲らしめようか。嫁御殿も一緒に来ぬか?」
懐から蝶を模した仮面をチラリと見せてきた義母に、千早は微笑んだ。
「はいっ、お義母様!」
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今回は番外編です。
星の息子・趙広の妻である千早にはある秘密がありました・・・