街が夕焼け空で紅く照らされる時刻、一人の異形と一人の少女が対峙しているこの一帯は暗い赤に染まっていた。
先ほどまで人だった肉の塊の傍に佇む異形の人間―いや、怪人『燕』―シノブは高らかだが品の無い声を挙げ、傍にいる羽矢をニタニタと嘲笑い続けていた。
「そう……それよ……その顔! その姿が見たかったのよ……!! なんて、無様なのかしら!!」
羽矢は呆然としたまま座り込んでいた。目は見開き、顔は青ざめ、身体からは力が抜け切っていた。
「散々苦労して、やっとのこと身内に会えて、それをグシャグシャの台無しにするのって……思ったよりも最ッ高の感覚ね……ねぇ、今どんな気持ち? どんな気持ち? あ、聞くまでもないか。『物ッ凄く辛くて悲しくて憎々しい』でしょう?わっかりやすい!」
シノブがニタニタした顔を近づける。羽矢は放心したままだ。
「何よその反応。せっかく、こっちが煽ってるってのに」
その様子がシノブの癇に障り「その目は何だって、言ってんのよ!!」と、罵声と共に羽矢を強く蹴り飛ばす。
羽矢は起き上がる事も無く地に転がったままだ。
「いいわ……私の気が治まらないから言ってやるわ。少しはそんな気にならなくなるかもしれないしね」
シノブの口元が歪に吊り上がる。
「何を……言うっていうの……」
羽矢は力無く声を出した。
「や~~~っと喋ったわね。このヘタレ女」
シノブは羽矢を再び強く蹴飛ばした。羽矢の身体は宙に浮かび、直ぐに地面へと叩きつけられる。
「見てるだけでイライラするわね。人がせっかく怒らせてやろうとしてるのに、すっかり死んだ目になっちゃって……その目が、態度がッ! 気に入らないのよ!!」
シノブは何度も羽矢を強く蹴り付ける。羽矢の表情は先程から眉一つ動かさないままだ。
「……フン、体力のムダになるからやめておくわ。本題に入る」
そう言ってシノブは蹴りをやめ、口を動かす。
「あんたたち。あの施設から、やけにあっさりと逃げ出せたでしょ? おかしいと思わなかったのかしら」
「おか……しい……?」
羽矢が僅かに反応する。
言われてみると確かに追っ手はほとんどいなかった。『熊』、秋彦、そしてシノブたち『燕』。数が少ないのだ。
やろうと思えば十人以上の大人数で追ってきてもおかしくはないはずだ。それが何故、一人や五人程度の少人数で、それもチマチマと追うような形で?
羽矢は短く逡巡する。
「ああ、やっと反応したか…こんなんだったら、とっとと言うべきだったわ」
シノブは羽矢の髪を掴んで顔を強引に上げる。シノブの笑みがさらに歪んだ。
「いい? あんな脱走なんてとっくにお見通しよ。私達が気付いてないとでも思ったのォ?」
「どう……いう……事……?」
「何で、最初の時の追っ手が一人だけしかいなかったの?」
『熊』の事だ。
「なんで着いた街にいきなり追っ手がいたの?」
秋彦の事だ。
「なんで私達が五人程しかいない集団で来たの?」
最初にシノブと会った時だ。
「答えは簡単。アンタたち雑魚が逃げ出したところで、私達は大した損害にはならない。あんたも今考えたでしょうけど、殺ろうと思えば簡単に殺れた訳よ。ただ単純に大勢で『処分』するだけじゃつまらないからね。あんたたちを獲物にして『狩り《ゲーム》』を楽しんだってワァケ」
ケケ、とシノブは下品な笑い声で嘲笑する。
「参加者のうち、誰が一番早くお前たち二人をぶっ殺せるか競争してたのよねェ。私達には結構な娯楽ってワケよ。これで何人も脱走者を仕留めてるし模擬戦代わりにもなるし暇つぶしとして一石二鳥、最高でやめらんないわね! 見事仕留めた奴等には『上』が願いを一つだけ叶えてくれる! よくあるけど賞品の王道で夢が広がるわね……」
シノブは直後にトーンを落とし「ま、本当に叶えてくれるかなんて解らないけどね。そういうのを賭けるのも楽しみだけど」と吐き捨てた。
「全部……手のひらの上……だったの……」
羽矢がボソボソと呟く。
「声が小さい」
シノブが羽矢の顔面へ膝蹴りを入れた直後、ニタニタと笑顔で言った。
「でも、ま、そういうことになるわね。あんた達がここまでやるのは予想外だったけど。だから、仕返しにあんたのお父さん殺してやったわ。勿論アドリブね」
羽矢の胸に針を刺し入れられたような痛みが走った。
「ふふ、ねぇ悔しい? 悔しかったよね? 悔しかったでしょう? でもね、私の方がよっぽど悔しかったんだから!!」
怒りを表したシノブは羽矢を何度も強く蹴飛ばした。次第に羽矢の口から血反吐が出ていった。だが、涙は出なかった。ただただ、奴等の遊び道具にされていたという事実が悔しかった。
「見てよ、この傷、この腕、この身体!! 私の自慢の身体をここまでボロボロにしてくれちゃって!! 何が悲しくて、失敗作如きにここまでズタズタにヤラれなきゃならないのよ!! あんた達は失敗作らしく、そうやって地ベタで這いつくばってりゃいいのよ。私たちのようなエリートに楯突きやがって……身の程を知りなさいよ、このゴミ虫!!」
シノブは羽矢を何度も殴った。羽矢は何も応えない。目は見開かれたままだった。
「……あーもうウザったい。疲れるし飽きてきちゃった。だから、とっとと死ね」
素面になったシノブは大きく足を挙げ、羽矢の頭を踏み砕こうとする。
「それはお前の方だ」
直後、シノブは声を聴き咄嗟に後ろを振り向いた。
大きく黒い塊がシノブの視界に入ると同時に、右腕の翼を横へ大きく一閃させ、それを真っ二つへと裂いた。
地面へと落ちたそれを凝視したシノブは汗を一滴流す。
それは仲間の『燕』だった。
「何がエリートだ。良くて課長か係長の中間管理職程度だろーが」
二人には聞き覚えのある声だった。二人が声の方を見ると……雨宮リウの姿があった。羽矢は思わずリウへと問う。
「リウ……なんで……」
「なんでもへったくれもない。言いたい事は沢山あるけど、後にする」
リウは羽矢へぶっきらぼうに答え、せめて座ってろと手を取り起こした。
身体中には多くの傷があり、腹部からは血がべったりと広がっていた。痛みがあるのか、片手で傷口を抑えている。息も少し荒い。
「尚更ムカつくな。そういうのは。最高に気分が悪い」
リウは渋い顔をして言い放つ。
「あらあら、やっぱり生きてたのね雨宮サン」
リウは羽矢を一瞥して言った。
「おかげさまでな。ちょっと隙を出したおかげで、すっげぇ痛い目にあったし、すっげぇ疲れた。完全にアタシのミスだけどな。それに正直言うと凄く疲れたし、あのまま死んで楽になろうかと思った。でもやめた。このまま死ぬのも何か悔しかったからさ。だから、そいつを斃《たお》して、お前の元まで来た……遅かったみたいだけど」
羽矢はリウの顔を見上げる。
その顔はどことなく寂しく、そして申し訳なさそうに見えた。もし、私の元へ早く来てくれればお父さんは死なずに済んでいたのだろうか。そんな考えが頭をよぎるが今の羽矢にはもはやどうでもいい事だった。
「あらあらあらら、やっぱり斃されちゃったかぁ……。生命力だけならゴキブリ並の貴方の事だもの」
「やっぱりって、仲間をその程度にしか思ってないんだな」
「当然。同じ力を持っていても、私の方が何万倍も優れてる。でなきゃあいつらのまとめ役なんてやれないもの」
「その何万倍も優れてるお方が、どうしてアタシらのような『失敗作』にボコボコにされたんだか」
シノブは露骨に苦々しい顔をする。
「あの時は貴方を舐めていただけよ。だから今度は最初から全力を出す」
「そう言う奴ほど大した実力じゃないってのがわかるんだよ」
「五月蠅《うるさい》いわよ。貴方こそ、そんな身体で戦えるの?」
シノブはリウの腹からにじみ出る血糊を指して言った。
「アタシを舐めるな、トリ頭野郎」
「あら、私は女だから女郎よ」
「うっせぇ。今、最高にムカついているんだ。だから…てめぇをぶっ飛ばしてスカッとする!!」
その言葉と共にリウは跳んだ。
地を跳ぶ事で勢いが増したリウの拳がシノブの頬へと飛んでいく。シノブは間一髪で受け止めるもののバランスを崩した。
リウはその隙を逃さず、攻撃を入れる。馬乗りになり右フック、左フック、ジャブ、ストレート、と両腕による打撃を当てていく。一発ごとに力と感情を入れ、確実に敵に当てていく。
それは戦法というにはあまりにも大雑把で無計画だった。ただただ感情と勢いに任せて、相手を殴りつけるだけだった。自分の身を守る事は考えていない、憎しみだけが彼女を動かしているようにも取れた。
「調子に……乗るんじゃないッ!!」
耐えかねたシノブは上体を起こし頭突きをリウへ食らわせる。
攻撃から抜け出たシノブは口元を拭い手に付いた血を見た事で、口を切っていた事を知った。
「また……私に傷を付けたのか……」
シノブの怒りは治まらず、顔がグシャグシャと醜悪なものへ変わっていく。
ここでシノブは視界にリウの後ろに羽矢がいる事に気が付いた。
さっきから地べたに座ったままで何もしてこない。私が傷だらけなのに、こいつは綺麗だ。その様子がシノブを益々苛立たせる。
不公平だ。私がボロボロなのに、何故こいつは何もされていない。こいつも死をもって贖うべきだ。
「そこの置物……お前さえいなければ!!」
シノブは咄嗟に目標を羽矢へと変え、翼から羽を数本羽矢へ向けて放つ。
「! マズい!!」
リウは羽矢の元へ駆けつけ庇い、羽の弾丸を背中へと直に受けた。
さらにその直後にシノブが飛び込み腕の翼で一閃する。リウの身体が薙ぎ払われ血飛沫が飛んでいき、嗚咽がこぼれ出した。斬撃を受けた箇所は大きく裂け、着ている服がより赤く、黒く、染まっていった。
「……うふ。殴る蹴るしか出来なくて、残念だったわねェ! 本ッ当に残念だったわねェェ雨宮サァン!!」
シノブはリウを大きい声で嘲笑しながら攻撃を続けていく。その様子に最初に羽矢の前に現れた時の落ち着きは既に無かった。
「やっぱアンタは半端ものの失敗作ね。そんな身体で完璧な私に勝てるなんて思ってたの? 今度は人前に出られない顔にしてやるわァ!!」
リウは羽矢を庇い続けていた。身体が大きく裂かれ、血に染まっていく。痛みに耐えるリウの顔を見る羽矢には黒く燃える感情が微かに渦巻き始めていた。
やめて。
それ以上は、やめて。
死んじゃう。
羽矢の心臓が大きく鼓動していく。
「どうしたの!? 舐めてるつもり!? そんな奴庇っちゃって!!」
飛沫と共に何かが折れる音とリウの嗚咽が鳴り響く。既にリウは満身創痍だった。
「しぶといわねぇ! 死ねよ! 死になさいよ!! 死ねって言ってんだろおおおおがああああああああああああ!!」
そのシノブの形相と、蹴り飛ばされたリウの姿に羽矢はリウの首が撥ね飛ばされるイメージを想い描いてしまった。
それが羽矢にとってのスイッチとなった。
殺さないで。
もうやめて。
私から、知ってる人を。
―これ以上、奪わないで。
心の鼓動がより大きく揺れ動く。
羽矢は身の内から震え動く激情に身を委ねていった。
「は……羽矢……?」
羽矢の様子に動揺するリウを尻目に、リウはゆっくりと上体を起こしシノブの方へ一歩ずつ一歩ずつ脚を進めていく。
「ん……?」
シノブは手を止め、迫る羽矢を見る。
羽矢の姿は動きと共に徐々に変わっていった。
目元からは血管のような筋が頬から顎の下まで扇状に伝わるよう浮かび上がり、額からは二対の鋭く、細く、短い角が突き出すように生えていく。それは虫の触覚を思わせる鋭利な形状だった。皮膚の色も薄紫となっていく。
人の姿はしていた。だが、その顔は『人』とは言い難いものでもあった。
「あらあら、ここにきてやっと覚醒ね。一応、仲間入りおめでとう」
シノブは羽矢へ向けて鼻で笑った。
「いや……『羽化』って言うべきかしらね? 虫っぽいし。でも、そんな姿になっても、この私に勝てる訳がない」
シノブはリウに向けて右手の人差し指を突き付ける。
「遅すぎるのよ、何もかもが」
刹那。シノブの右掌が突如破裂し、肉と骨を半端に残した形となっていた。人差し指は無くなり、辺りには飛び散った肉と骨片が付着していた。
「あっづぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!?」
シノブは腕の先端に焼ける様な激痛を感じ絶叫する。
羽矢はシノブに対してとても冷ややかに視線を向けていた。
これ以上、私から何かを奪うのなら。
爆ぜろ。
私がお前から奪ってやる。
今、羽矢が見ている世界の全てが遅く見えていた。羽矢は頭に針のように細く鋭い痛みを感じながらも、シノブへの凝視をやめなかった。
爆ぜろ。
右肩。
爆ぜろ。
腹肉。
爆ぜろ。
左胸。
爆ぜろ。
右脚。
爆発する。爆発する。
シノブの身体のあらゆる部位が急激に膨張、破裂し、辺りに血を撒き散らしていく。爆発の度にシノブの口から激痛への悶えが漏れていった。
「な…何なの、この力は!?」
シノブは自分の知らない力に困惑していた。
まさか、奴が失敗作となったのは―。
ある一つの考えが頭をよぎったが、その猛攻が熟考する暇を与えないでいた。
「お、おおう…やるじゃん!」
一方でリウは間の抜けた調子で驚嘆していた。受けた傷も少しづつ塞がっていた。
だが、今の羽矢を見た直後、リウの表情は急速に冷めていく。
羽矢は哭いていた。口を結んだ静かで固い表情ではあったが、溢れんばかりの大粒の涙を目元から流しながら、深く、強く、哭いていた。まるで、血を流しているかのように。リウは羽矢を見守る事しか出来ないでいた。
奴が、開栓前に振ったコーラのように血飛沫を上げながら苦しんでいく。
じわじわと、じわじわと、辺りへ血を撒き散らしていく。
羽矢はその様子を見て暗い喜びに心の奥底で悶え震えていた。
「お前……お前なんかに……お前があああああ!!」
言い終わる前にシノブの顔左半分が破裂し飛散した。シノブが激痛で悶え絶叫しながらも、羽矢へと残った腕を伸ばす。しかし、それも破裂していった。
爆ぜろ。
爆ぜろ。
爆ぜろ。
爆ぜろ。
爆ぜろ。
爆ぜろ。
爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ。
爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ。
爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ。
爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ。
爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ。
爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ。
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爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ、爆ぜろ!
何もかも、何もかも、こんな現実は!! みんな、みんな!!
「爆ぜてしまえ!!」
「このおんn」
それがシノブの最期の言葉だった。
何故なら、その言葉を発したと同時にシノブの頭が散らばったからだ。
戦い―いや、蹂躙は終わった。
辺り一帯には雨が降り始めていた。肉の破片が散らばり、臓物と血の生臭い匂いが充満した一帯を洗い流すかのようだった。
羽矢は既に正気へ戻り、シノブだったものを見開いた目で見つめていた。
身体は大きくひしゃげ、ありとあらゆる肉の部位が削り取られていた。顔面は消失し、どんな顔をしていたのか判別出来ない状態となった。それはもはや血液とタンパク質の塊としか言いようが無かった。
『それ』を見た羽矢はひどく動揺をする。
息が続かない。胸の動悸が激しくなる。腹の奥底から不快感が湧き出てくる。
私が―コレをやった?
こんな、おぞましいモノを作り上げた―?
身体中から吹きあがった脂汗がタラタラと額から流れていく。口の中は極度の緊張でカラカラに感じる。身体の震えは止まらない。
程なくして、羽矢は胃腸の中の物を全て外へと吐き出した。
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