No.859562

真・恋姫†無双 ~夏氏春秋伝~ 第百十六話

ムカミさん

第百十六話の投稿です。


間に合え、一刀!

2016-07-21 00:19:57 投稿 / 全5ページ    総閲覧数:2554   閲覧ユーザー数:2076

時間を少し遡る。

 

菖蒲と零の部隊に助太刀をせんと許昌を出立した一刀と凪の隊は、当初から一刀が言っていた通り、上庸を目前にして最初で最後の大休止を取っていた。

 

部隊のほぼ全てを騎馬兵にして、更に強行軍をすることで詰めに詰めた時間と距離。

 

それは部隊の兵を根こそぎ疲労困憊させるに十分過ぎるものであった。

 

部隊の多くが黒衣隊員で構成されているにも関わらず、大休止に入った後に一刀の目に入るのは兵が一人残らずへたり込む光景だった。

 

このようにまで自分たちを追い込んだ無茶が果たしてどれくらい利いてくるかは分からない。

 

それでもやれる限りのことはやったのだ。

 

後はこの大休止の後、零達の下に駆け付け、必要とあらばすぐさま助太刀に入らねばならない。

 

勿論、これら今後の事を行き当たりばったりで行おうとしているわけでは無かった。

 

大休止に入る際、一刀はある兵に任を与えていた。

 

それは休止中の前方への斥候、及び零たちとの連絡役。

 

最悪、部隊の指揮を一時的に凪に手渡して、一刀自身がこれに赴こうとも思っていた。が。

 

何と、これに自ら手を挙げて名乗り出た兵がいた。

 

言わずもがな、彼は黒衣隊員。元々の出身は菖蒲隊。

 

黒衣隊の隊員抜擢方法が故に、彼は菖蒲への忠誠が青天井な一人なのだ。

 

菖蒲の危機の可能性に居ても立っても居られないような気持ちだったらしい。

 

疲れ切った体を気力で動かし、隊員は前方へと走り去っていったのだった。

 

 

 

皆が思うままに休息を取っている中、一刀は凪に耳打ちする。

 

「凪。ここからは本当に何があるのか分かったものじゃない。

 

 だから、いつでも戦闘が出来るように態勢だけは整えておいてくれ。

 

 今となっては俺もだが、凪も戦闘の準備には少し時間が掛かるだろう?」

 

「分かりました。やはり戦闘になると、いえ、なっているとお考えなのですね。

 

 ところで、一刀殿。一刀殿は今回の相手はどのようなものだと?」

 

「全て推測でしか話せないんだが……

 

 定軍山の時と同じような状況だと仮定した上で、これを参考にして相手の陣容を想像してみた。

 

 指揮は徐庶で変わらないだろう。武将は恐らく2~3人。黄忠、厳顔と追加で一人来るかどうか。

 

 ただ、これは罠の実施について劉備の許可を得ていない場合限定だ。

 

 劉備はそういった罠の類をあまり好んでいないという間諜からの報告があるからな、可能性は高いとは思うが」

 

少しだけ不安を抱えながらも、一刀ははっきりと言い切る。

 

例え間違っていたとしても、ここは予め共有しておくべきだと考えたからである。

 

集団の上の方に位置する人間同士の意志は統一しておくに越したことは無いのだから。

 

「黄忠……一刀殿が以前に仰られていた、蜀の将の中でも注意するべき武将、でしたよね?

 

 えっと、確か……関羽、張飛、趙雲、黄忠の四人……でしたか?」

 

「ああ、そうだ。後、以前にその話を皆の前でした時には頭の片隅にでも置いといてくれ、って言ったんだが、もう一人増える。

 

 馬超。あれも加えた計五人。それが武将の中でも警戒すべき者たちになる。んだが。

 

 正直、その五人を合わせたよりも厳重に警戒しておかないといけない人物が今は蜀にいるんだよなぁ……」

 

「馬騰殿、ですね……」

 

「ああ……」

 

わざわざ口に出さずともよかったのかも知れない。

 

それほどまでに馬騰は魏の者たちの間で既に警戒されていたのである。

 

その理由は非常に単純なもので。魏の武将の中で頭一つ二つ飛び抜けたトップである恋。その彼女をあまりにもあっさりと倒してしまったが故である。

 

「彼女に関しては何を考えてどう動いてくるか、全く予想が出来ていない。

 

 孫堅の方も似たようなものかとは思うけど、どうにも思考の筋道に違いがある気がするんだ。

 

 ただ、狙いの根本は既に聞いている。それを考えれば、あまりにも外れたことはしてこないとは思うんだが……」

 

「一刀殿、率直にお聞かせください。

 

 今回の件、馬騰殿は出張って来るとお思いですか?」

 

「…………可能性は高い、と思っている。だから、出て来ることを前提に考えて動く」

 

これは一刀の予測というよりも連想によるもの。

 

元々、罠警戒で部隊を編制し、そこに零と菖蒲がいるとなれば、並大抵のことでは危機には陥るまい。

 

ところが、今の蜀にはその”並大抵”を外れる可能性が存在してしまっている。それが馬騰の参戦なのだ。

 

未だにどういう原理かは分かっていないが、一刀は菖蒲の危機を予測した。ならば、きっと”並大抵”を外れてしまうのだろう。

 

最初から最後まで予想・想像で構成された、何とも曖昧な結論なのである。

 

しかし、この一刀の回答を受けて、凪は表情を引き締め直した。

 

凪の実力が爆発的に上昇していることは一刀を始めとした実力上位の将たち全てのお墨付きだ。

 

しかし、それでもまだ馬騰はおろか、先に挙げられた五人、後の世に五虎将と呼ばれる実力者たちとサシで渡り合うには不安がある。

 

凪自身もその実力不足を分かっているために、厳しい戦いになることを理解したのであった。

 

「罠を警戒していたとは言え、賊討伐用の編制部隊では馬騰が出て来るとあまりにも厳しい。

 

 かと言って、俺が駆け付けても真っ向から相手取れるとはまだ思えない……

 

 だから、今回の主目的は戦力を温存しての離脱になる。分類としては撤退戦になりそうだから、その辺は覚悟しておいてくれ」

 

「はっ!いざとなれば、この身を呈してでも――――」

 

「いや、それはダメだ。それだけは許さない。

 

 菖蒲たちを助けに行って結局凪を失いました、じゃ本末転倒なんだ。

 

 俺も凪も生き残る。その上で菖蒲と零を助け出す。その前提を忘れないでくれ」

 

「はっ。申し訳ありませんでした、一刀殿」

 

危なかった。心底一刀はそう思っていた。

 

自分のことを棚に上げてしまうが、凪も案外無茶をする娘だと失念していた。

 

事前に釘を刺しておけばもうほとんど心配は無いだろう。

 

後は咄嗟にそれが出ないことを祈るだけだった。凪にも、一刀自身にも。

 

「よし!皆、そろそろ向かうぞ!

 

 ここからは戦闘になる心構えを持って進軍せよ!いいな?!」

 

『はっ!!』

 

兵の疲労は完全には抜けきっていない。

 

それでもここまでの一刀の真剣さから、今回の行軍の重要性を肌で感じ取ってくれていた。

 

見事に揃った動きで隊列を整え、すぐに出立となる。

 

一刀に言われずとも心の準備まで整えられている、優秀な兵たちであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「司馬懿様っ!!報告ですっ!

 

 先ほど後方より接近してきた騎馬を一騎、味方兵装であったために迎え入れました!

 

 その者もまた伝令であり、司馬懿様にご報告があるとのこと!只今すぐ外にて待機させておりますが、いかがいたしましょう?」

 

「後方より伝令?

 

 すぐに呼んで報告させなさい」

 

零が後方に放っていた斥候の一人、それが息せき切って戻って来た理由がこれだった。

 

彼が連れてきた後方からの伝令とは、言わずもがな一刀が出したもの。

 

当然、その報告内容は決まって来る。

 

「司馬懿様、この状況ですのでご挨拶諸々を飛ばし、本題のみ申し上げます。

 

 只今後方より北郷様と楽進様の増援部隊が接近中。加えて北郷様より言伝です。

 

 『この地で戦闘に入っているとするならば、罠と断定して対処しろ。

 

  深追いをするな。特に徐晃様に深追いをさせるな』、とのことです」

 

「やっぱり罠……それに、一刀はそろそろ帰ってくる、という時期のはず。

 

 それなのに一刀が来たということは……」

 

零は兵の報告を聞いて思案する。

 

一刀が準備の時間も惜しむほどの拙速な行軍で駆け付けようとしている。

 

その事実は否が応でも定軍山の件を彷彿とさせた。

 

つまり、一刀は何等かの見過ごせない情報を手にし、零たちの部隊に危険を見たのだろう。

 

零にも未だに敵の真の狙いが見えていない。

 

ジワジワと零を苦しめていたその事実は、この時だけは助け船となった。

 

「……両翼に伝令!深追いは禁止!

 

 次に敵両翼を押し返したら、そこから徐々に後退開始!

 

 取返しのつかなくなる前に撤退するわ!」

 

「はっ!」

 

退く勇気、零がこれを持っていてくれたおかげで、迅速な判断に繋がったのであった。

 

「司馬懿様。我々にもご指示を。

 

 部隊は小隊二部隊、それぞれ北郷様と楽進様が将となります。

 

 人数こそ少ないですが、全ての兵を騎兵にて揃えております」

 

部隊に関しての情報を伝え、伝令兵は零の指示を仰ぐ。

 

簡潔ではあるが必要な情報は入っており、これまた素早い対応へと繋がる。

 

「騎馬隊なのなら、撤退援護に敵の攪乱をしてもらうわ。

 

 二部隊それぞれ左右に別れ、敵の両翼に横撃を。

 

 但し、敵左翼に趙雲がいることだけは確認済みよ。それと敵遊撃騎馬隊に馬鉄。

 

 この二人には気を付けるように伝えなさい」

 

「はっ!」

 

零から指示を受けた兵は逸る気持ちを抑え、戦場に背を向ける。

 

菖蒲を助けに飛び出していきたい気持ちが身を灼くのだが、一人では出来ることなど限られたもの。

 

目的を達するには結局部隊にまで戻って確実に零の指示を伝えることが一番であることを理解していた。

 

 

 

しかし、一刀への伝令が陣を去ると入れ替わりにやってきた右翼の伝令が齎した報告に、零は大いに慌てることとなってしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右翼ではいつの間にか兵達が白兵戦を繰り広げる中、菖蒲と趙雲が一騎討ちを展開していた。

 

重さのある一撃武器に戦う菖蒲と攻撃のスピードを武器にして戦う趙雲の戦いは拮抗したものとなっていた。

 

菖蒲の一撃を凌ぐ間に趙雲は数撃を繰り出してくる。

 

菖蒲はそれらを躱し、捌き、次の自身の攻撃へとつなげる。

 

互いに一歩も退かぬまま、ひりつく様な緊張感と共に一騎討ちは続けられていたのである。

 

「随分と持ち堪えますね、趙雲、さんっ!はぁぁっっ!!」

 

「ふっ、なんのなんの。ほっ、と。

 

 いやはや、さすがは音に聞く魏古参の将、徐晃殿だ。

 

 一撃一撃が重いものですから、こちらも緊張しっ放しですぞ?」

 

気合一閃といった様子の菖蒲。飽くまで力を抜き、自然体にて捌き続ける趙雲。

 

対照的な二人のこの様子は、初めの数合を打ち合った後からずっと続いている。

 

互いに相手の主たる攻撃手段、自らの得意な攻撃手段に想いを馳せ、その末に選んだ、相手を打倒するための戦法。

 

菖蒲は力で打ち砕かんとし、趙雲は速度で翻弄しようとする。

 

結果、金属同士が打ち合う、高く小気味良い音よりも、金属同士が擦れ合う、高すぎる耳障りな音が多く戦場に響いていた。

 

当初こそ二人の周りでも部隊の兵たちがそれぞれの持ち場を守りつつ戦闘を行っていたのだが、生理的嫌悪感を催す音を本能的に避け始め、今や二人は遠巻きに囲まれているような状態であった。

 

そんな状態だけあって、両者とも思う存分に己が武を振るえていた。

 

菖蒲が一刀と共に研鑚を積んだ二連撃技を打ち込む。

 

趙雲は一撃目を流し、二撃目は受け止め、菖蒲の動きが止まる隙にお返しとばかりに二撃を打ち込む。

 

上体ごと首を逸らし、半身になり、菖蒲も避ける。

 

態勢を立て直し、いざもう一撃を――――と、趙雲の後方から鏑矢が3本、間隔を開けて放たれた。

 

これを聞いて趙雲は隠す様子も無く渋い顔を見せた。

 

「む。もう、か。少し早くはないか、雫よ。

 

 まあ、仕方が無いか。

 

 徐晃殿、この度の一騎討ちの決着はいずれまたどこかの戦場で付けましょうぞ!」

 

「は?何を言っ――あっ!ま、待ちなさいっ!!」

 

菖蒲に対して言うだけ言うと、趙雲は一切の躊躇いも無く退いていく。

 

それは彼女の部隊全体にも当て嵌まっていた。

 

それまでの拮抗、激戦が嘘のように趙雲の部隊が退いていく。

 

それで敵左翼が消失したのかと言えば、そこはそうでも無かった。

 

趙雲の部隊と入れ替わるようにして一つの部隊が割り入ってくる。

 

菖蒲の部隊は是非を問わず相手が入れ替わる形となってしまった。

 

「くっ……!皆さん!趙雲が退いた今が好機です!

 

 敵左翼を突破し、陣形に穴を穿ちに掛かります!」

 

『おおぉおぉぉっ!!』

 

菖蒲は咄嗟に兵を鼓舞する。

 

菖蒲自身はそこまで自らが知略に長けているとは考えていない。つまり、今この場面において、菖蒲には趙雲の狙いは見えていなかった。

 

それは焦りを呼ぶ要因になり兼ねない。そして、その懸念は現実のものとなっていた。

 

しかし、不運なことに菖蒲自身が焦りを抱えてしまっていることに気付いていない。

 

零の指揮の下、右翼を受け持った。趙雲警戒の指示が齎され、実際に現れて鎬を削っていた。その末に趙雲が退いて行った。

 

全てはバラバラのはずの事象。しかし、無理矢理繋げてしまうと、趙雲を追撃して討ち取ることが任務であるかのように感じてしまう。

 

それが零の指示だと思い込み、これを遂行せんとして部隊を動かしてしまう。今の菖蒲の状態はまさにこれであった。

 

勿論、普段の菖蒲であればこのようなミスはまず犯さない。

 

知力は無いと謙遜してはいても、菖蒲は武将の中では思考力でも上位層に入っているのだ。

 

では何故菖蒲がかように迂闊な行動に出てしまったのか。

 

理由は単純なもので、敵左翼や遊撃部隊の激しい動き、零からの矢継ぎ早の指示などで目まぐるしく状況が推移し続け、戦闘中の菖蒲の処理能力を超えてしまったからである。

 

一度落ち着いて深慮してみれば良かったのかもしれない。が、戦場の、特に前線ではむしろ刹那の判断が要求される場面の方が多い。

 

ただ、菖蒲にとって幸いだったのは、趙雲の退いた理由が単純に菖蒲を罠に嵌めようとしてのことでは無かったことであった。

 

「敵の現左翼は趙雲の部隊に比べれば脆いです!

 

 皆さん、一気呵成に抜きますよ!!」

 

菖蒲の号令と共に、文字通り蹴散らすようにして部隊は前進する。

 

敵の左翼を食い破り、その視界の奥に退いていく趙雲隊、更に最奥に敵本陣が小さく見えた。

 

「……?あれは――」

 

突破された敵部隊が追い縋ろうとするも、意に掛けず部隊を前へ前へと推し進めていると、菖蒲の目が遂にはっきりと敵本陣を捉え始める。

 

すると、どうにも不思議に思えるものが目に付き――――

 

しかし、それを疑問として口に出しきることが出来なかった。

 

突如、矢の大雨が菖蒲の部隊に降り注いだからである。

 

「うわっ!?」  「ぎゃっ!?」

 

まだまだ距離が開いているというのに、その矢は十分に殺傷能力を秘めていた。予期出来ていなかった攻撃に、部隊の兵にはかなりの損害が出てしまう。

 

そのほとんどが怪我人であったのもまた、厄介な点であった。

 

「くぅっ…………あれは……黄忠……それに、厳顔……!

 

 て、撤退します!この状況ではあまりに分が悪すぎます!皆さん、退いてください!」

 

このまま突き進もうとしたところで、近づくほどにより殺傷能力を増した矢が雨霰と降り注ぐのは想像に難くない。

 

十分な足も盾も無い今、菖蒲は撤退を余儀なくされてしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「司馬懿様!飛び出した徐晃様でしたが、右翼所定の位置まで戻り、伝令を受けたとのことです!」

 

「そう。全く、菖蒲のバカは……!

 

 一先ず指示は続行、但し退く時機はこちらで指示するわ。

 

 両翼にその旨伝えておきなさい。また勝手に吶喊される前に」

 

「は、はっ!」

 

指示を出した後、零はこっそりと胸を撫で下ろす。

 

辛辣な言葉を放つその裏では、それだけ心配し、そして無事に安堵していたのだ。

 

そもそも、零は菖蒲の吶喊を受けてどう行動していたのか。

 

 

 

零が右翼へ伝令を向かわせた直後に入った報告。それは菖蒲の吶喊であった。

 

退くと決めた直後の波瀾だけに、零も思わず頭を抱えてしまいそうになっていた。

 

見れば、菖蒲の部隊が敵左翼を『軽々と』打ち破って突き進まんとしているところ。

 

その様子は零の不安を殊更に煽ってきた。

 

今の今まで均衡が保たれていた右翼戦線。それがこうも簡単に一変するものだろうか。

 

確かに、敵左翼は混乱しているように見える。だが――――

 

一層強く零の頭を占める”罠”の二文字。

 

ここで零は大きな二択を迫られた。

 

つまり、菖蒲を救うべくアクションを取るか否か。

 

部隊随一の戦力なのだから救うべき。単純に考えるとそうなるのだろう。

 

しかし、零は全く異なることを考えていた。

 

菖蒲の行動を受けて敵軍がどう動くのか。これに対して魏側はどう動けば優位を得られるのか。

 

暴走した菖蒲を餌として、嵌められたことを逆手に取ろうとしたのである。

 

真っ先にそれを思考する零を軍師として当然と思うだろうか。それとも親友に対して冷たい女だと思うだろうか。

 

外の評価がどうであれ、魏の中での主な評価では前者となるのだ。

 

そうでなくとも、軍師の役割は自軍に利を齎すこと。その大本に則せば、零の決断は一つしか無かった。

 

「本陣!隊を三つに分け、一隊を右翼へ!

 

 菖蒲が抜けた穴を埋めなさい!それと両翼に伝令!

 

 吶喊対応部隊は引き続き持ち場を死守なさい!それと本陣の残存対応兵器を四半分ずつ分配!

 

 重ねて言い付けるわ!深追いは禁止!逸った兵は見捨てなさい!

 

 二次被害を呼び込み全部隊の瓦解にまで至ればどうしようもなくなるわよ!」

 

決断は菖蒲を助けにいかないこと。そして――

 

「本陣部隊!先の残りの内一隊をさらに二分!右翼か左翼、担当を決めておきなさい!

 

 号令を出したら、敵本陣に向けて吶喊!鏑矢3本で担当の翼へ進路転換!

 

 敵部隊突出があればそれを横撃!なければ担当翼の層を厚くし、戦線維持!

 

 それと右翼担当!合流後、すぐに別働隊を編制!菖蒲を狙う敵部隊が背を見せるか孤立していれば、これに一撃離脱を!

 

 こちらも深追いは絶対禁止よ!確実に叩けると判断出来た時のみ、一撃だけを許す!」

 

菖蒲を囮に使うこと。

 

指示を出す間も一切の躊躇はしない。

 

指示の内容は少し複雑になってしまっているが、そこは仕方が無いものと割り切っていた。

 

兵が完全に指示内容を実行出来ずとも良い。

 

一部の動きからでも、相手の軍師はきっとこちらの考えを読んでくるだろう。

 

こちらの対応をある程度まで複雑化しておくことで、相手の深読みを誘いたいというのも隠された二つ目の目的だ。

 

「し、司馬懿様!徐晃将軍の部隊にはどのように――――」

 

「さっき言ったばかりよ!

 

 逸った兵は捨て置きなさい!それが例え将軍であろうとも!

 

 この戦自体を罠だと断定した今、最も回避すべきはこの部隊の壊滅なのよ!

 

 まだ均衡が保てている今の内に、打てるだけの手は打って置かないといけないの!分かった!?」

 

「は、はっ!!申し訳ありませんでしたっ!!」

 

少々語気が荒くなってしまう零。

 

それは心の柔らかいところでは望んでいない判断であったがため。

 

しかし、今はそれを力技で捻じ伏せる。

 

何より――――『菖蒲を助けに行かない』という零の策が、結果的に菖蒲の後退を支援することに繋がると信じて。

 

 

 

結果から言えば、菖蒲は敵本陣に完全に近づききる前に撤退を余儀なくされ、しかも大した奇襲や罠も仕掛けられていなかった。

 

菖蒲も戦線に戻り、すぐに右翼が安定する。

 

左翼も零の細かな指示の甲斐あって現状は安定中。

 

この辺りで両翼を強く当て、隙を作って撤退――という流れを零が考え始めた時に、”それ”は起こった。

 

「両翼に伝令!本陣の合図で同時に――――指示変更!吶喊対応部隊!左翼に注意!

 

 馬軍がまた来たわよ!」

 

「し、司馬懿様!う、右翼にも同様の部隊がっ!!」

 

「はい?……なっ!?

 

 そんな……!馬軍は一隊だけじゃなかったの?!」

 

開戦からかなりの時間が経過した今になって、突然敵の騎馬部隊が増えた。それに零は困惑してしまう。

 

このタイミングで増える意味が分からない。推測出来ない。

 

勿論、開戦当初はその可能性を考えていた。が、馬鉄の部隊が芳しい効果を挙げられなくなってからもずっとそのままであったために、敵の騎馬部隊はその一隊だけだとしていたのである。

 

一瞬、部隊を分けたのでは、とも考えてみた。しかし、左翼に向かう部隊は今までのそれと比べても数は大きく変わっているように見えない。

 

一方で右翼に向かう部隊もまた、左翼に比べれば少々数は少ないものの、十分な数で部隊を構成していた。

 

やはり部隊をここまで温存していたのか。それとも、今まで気付けなかっただけで、ずっと二部隊で交互に現れていたのか。

 

前者だとすれば、先ほどの罠は実は成功された可能性がある。後者であれば完全に自らのミスだ。

 

いずれにしてもよろしくない。

 

しかし、兎にも角にも今はこれらに対処せねばならない。

 

二部隊を退け、即座に先ほどの作戦を実行し――――と、そこで右翼に迫る部隊の速度が上がる。否、一騎が飛び出し、その他が慌ててそれを追いかけるようにして速度を上げたのだ。

 

どうしてか、その飛び出した一騎に視線が吸い寄せられる。

 

そして、不意に気付いた。その人物があの馬騰であることに。

 

「馬騰……!!くっ……!!

 

 本陣の吶喊対応部隊は全員すぐに右翼へ!兵器を使い切っても構わない!何としてでもあの部隊を追い返しなさい!

 

 それと左翼に伝令!兵器の予備は無し!持てる物のみで対応を行い、抑えよ!」

 

不安、などと生易しい感情では無い。かと言って絶望にまでは届かない。

 

そのような微妙なところで揺れる感情に襲われた零。

 

菖蒲が今度こそ紛うことなき危機に陥ろうとしている。

 

それが分かって、無意識の内に祈っていた。

 

(早く……早く増援を連れてここに来なさいよ……一刀……っ!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さんは兵を抑えることに全力を!

 

 兵器は断続的に使用してなるべく敵の足を鈍らせるようにしてください!

 

 敵将は私が押さえます!伝令を送り、零さんからの指示に従って動いてください!以上!」

 

零が馬騰に気付いたのと同じころ、右翼でもやはり馬騰の存在に気付いていた。

 

これを受けて菖蒲は覚悟を示す時が来たか、と感じていた。

 

この数か月、過酷な鍛錬を経て菖蒲自身の武が格段に底上げされたことは実感している。

 

が、どう考えても今のままでは馬騰に勝てるはずが無い。

 

それは西涼での事の話や一刀や恋との仕合経験から確信していた。

 

既に本陣の伝令から、零が撤退を決めていることは聞いている。

 

しかし、今馬騰に斬り込まれて右翼の戦線が崩壊してしまうと取返しのつかない事態になってしまう。

 

ならば、この場は菖蒲がその命を賭して馬騰を止める。それが唯一の道なのだと結論付けたのだった。

 

 

 

やがて花火で多少足を鈍らせたところで、馬騰の部隊が右翼に接触する。

 

その先頭は堂々とした様子で馬を御し、菖蒲の前まで進み出てきた。

 

「よお。あんたが徐晃ってのかい?

 

 すまないね、ちょいと我慢が限界を迎えちまってね。

 

 あんた達の力、直接見させてもらうよ」

 

「馬騰さん、ですね。

 

 貴女にはここに留まっていただきます。お覚悟を」

 

「はっ!あんた、静かに熱くなる傾向の奴かい。いいね!!

 

 来な、徐晃!!あんたの持てる最高の武をあたいに見せてみなぁっ!!」

 

静かな立ち合いは一転、激しいぶつかり合いへと瞬時に移り変わったのであった。

 

 

 

 

 

「見えたっ!

 

 皆!さっき通達した通りの二隊に分かれ、味方両翼を援護する!

 

 凪!左翼援護部隊の指揮を!右翼側の指揮は俺が取る!」

 

「はっ!お任せを、一刀殿!」

 

零たちの遥か後方を疾駆していた一刀達がようやく戦域へと至る。

 

変化が加速した戦場において当初の目的が達せられるのか。それは誰も知り得ないことである。

 

「右翼隊!敵左翼にまずは一撃をかます!

 

 その後は機動力を活かして敵左翼を翻弄せよ!

 

 将に趙雲はいるらしいが、こいつは俺が押さえる!」

 

生じてしまった情報の遅れ。それが凶と出るか大凶と出るか。

 

全ては右翼の結果に任されようとしていた。

 


 
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