No.80319

夕陽の向こうに見えるモノ3 『雨が降る』

バグさん

昔の作品の手直しはとても楽しいですね。
2つに分けてたものを1つにしたので、とても長くなってますがw
ここら辺から異能力系の片鱗を見せていきます。

2009-06-21 22:25:43 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:563   閲覧ユーザー数:532

1年前の事だった。

雨が降っていた。

冷たい空気の中を落ちてくる雨はやはり冷たく、冬を実感させるには十分だった。

 葉月は雨が嫌いでは無い。かといって、好きというわけでも無いが。

だが。

 一人の友人の顔を思い出す。

 彼女と歩いて帰る雨の道は好きだった。傘を差して、その限られた空間の中で秘密の話をする。そんな雰囲気が好きだった。

 今日は都合で一緒では無い。とても、とても残念だと、心からそう思う。

「何かになるために……何のために? 何かになるというのは、どういう事かしら」

 口の中だけで呟く。

 一人で歩いている時、一人の時間。そうした孤独の瞬間は、何時も無意味な思索に耽ってしまう。そのため、葉月はその時間がそれほど好きでは無かった。無意味な思索は、己の孤独を助長している様にしか感じない。

 だが、思考を止める術は無い。次から次へと疑問が湧き出てくるのだ。これは、葉月の頭が普通よりも優れている事とは関係が無いだろう。それは、彼女の置かれた境遇によるものだ。

 そして、その思考によって、自己が探求して止まないもの。その求めているものへの助けになる事は絶対に無いと理解している。しかし、それでも無意味に思考を繰り返す。

「生きていく上で目的というものが必要ならば、どうして人は目的から眼をそらす瞬間があるのかしら。それが人が弱い事の証明であるのか、強くなるためのワンステップに過ぎないのか、それとも単なる気まぐれなのか…………この際、弱さは関係無いかもしれないわね。誰でも持っているものならば、それは平均的な線上の問題にしか過ぎないのだし。目的が手段に負けている場合も…………」

学校から程近い場所に作られた住宅街。

そこに入り、少しして、葉月の足は止まった。

 

 草薙綾香は雨が好きだ。

閑静な住宅街は、雨がコンクリートに打ち付けられる音に支配されている。その音は多重的に響いて、しかし静けさは微塵も損なわれていない。

そんな雨が好きだ。雨が降った後、コンクリートから醸し出される匂いも好きだ。

もう少し寒くなったら雪が降るのだろうか。

赤い傘を回しながら、草薙綾華はそんな事を考える。

雪は雨よりも好きなのだった。とても好きなのだった。以前、多量の雪が地面を覆い尽くした時(滅多に雪が降らない地方にしては珍しいくらいに)、思わずカキ氷のシロップをかけて食べようとした所、友人に凄い勢いで止められてしまったくらい好きだった。ちなみにそれは去年の事で、綾華は中学の三年生だった。

とりあえず、たくさん積もったら雪だるまを作ろう。

などと、まだ降ってもいない雪に対して夢想していた。これを皮算用と言うのだろうか。そんな事も思いつつ。

綾華は良く天然であると言われるのだが、事実そうだった。気付いていないのは本人くらいである。

「あーめあめふーれふーれもーっとふれー」

 まるで子供の様なリズムで歌を歌いながら水溜りのど真ん中を歩いていく綾香。

ふと。

何かに呼ばれたような気がしてそちらに眼を向けた。そこに居たのは意外なものであった。

蛙である。

小さな蛙が、水をはねながら懸命に前へ進んでいた。

 綾華は蛙がとても好きであった。雪と同じか、それ以上に好きだった。

なので、冬なのに冬眠状態に無い、とても不自然な蛙の存在に疑いを持つことも無く…………おもむろに近づくとその手に掴んだ。

「蛙さんは何処へ行くんですかー」

 少なくとも、綾華に掴まれている限りは何処へもいけないわけだが。彼女はそんな事もお構い無しに蛙を観察していた。

蛙はとてもおとなしく、むしろ綾華に視線を送り返しているようでもあった。

 実は、自宅で蛙を飼育している綾華。この蛙も家族の一員に加えようと、すでに決めていた。

 だが。

「その蛙は止めておいた方が良いわよ」

 何時の間にか、隣に一人の女子高生が立っていた。同じ学校の…………どうやら先輩らしい。女の綾華から見ても、嫌味の無い美人だった。彼女は、綾華の手の中に居る蛙に厳しい眼を向けていた。

「えー? どちら様ですかぁ? 私、蛙が好きだから飼育には自信あるんですよー」

「飼育に自信があるのに、低温の冬に蛙が冬眠していない不自然さに気付いていないのかしら?」

 その先輩は、呆れた様に言った。

「へ? あー。ほんとだ。なんでだろ。特別なのかなあ。あ、私は蛙が好きだから蛙だったら何でも特別なんですけどね」

 生態特性すら特別の一言で納得してしまう綾香は、あるいは大物なのかもしれない。そして、特別というのはある意味で正解だった。

「特別……。確かに、特別ね。その蛙は蛙であって蛙では無いわ。負意識が具現化した、とても不自然な蛙よ」

 その先輩の言葉に、綾香は戸惑った。

「えっと……ちょっと分かんないです」

「分からない方が良いわ。いえ、分からないからこそ、貴女はこの蛙に利用されようとしたんでしょうけど」

 言い終えると、彼女は厳しい顔のまま、綾華の手の中にある蛙をそっと奪い取った。

綾華が疑問に思わないくらいの自然さで、しばらくそうされた事が分からない程だった。綾華は行動が鈍いというか思考が鈍いというか、まあそういう所がある。普通の人間ならもう少し早く気付いたかもしれないが。故に、天然等と呼ばれるのだろう。

「あー! 何するんですかぁ!」

「貴女にとって、どうして蛙は特別なの?」

 大声を上げた綾華に対して、目の前の彼女はとても冷静だった。とても静かな声で問われたので、虚をつかれた綾華は、気勢をそがれた。

「な、何で貴女にそんな事言わなくちゃいけないんですか?」

 そう反論すると、目の前の彼女は嘆息し、蛙に何かをした。

何をしたのかは分からない。

だが、とにかく綾華は驚いた。

蛙が、黒い霧となって霧散したからだ。

「え…………?」

「確かに、私に話す意味は無いわね。でも、これだけは覚えておいて」

 彼女は綾華の胸に手を当てた。

「貴女は停滞している。貴女の体にも、貴女の心にも、貴女の幻想の対象よりも遥かに素晴らしい可能性が秘められているのに、どうして跳ねる事をせず、地に縛り付けられているの? 世界はとても自由なのに」

 そう言うと、驚きに眼を見張った綾華を置いて、彼女は去っていった。

傘の柄に付いている、如月葉月と書かれたストラップが妙に印象的だった。

「私が蛙を好きな理由…………」

 ただ可愛いから。

それもある。しかし、本当の理由は別の所にある。

綾華はあまり頭の回転が早いほうでは無い。運動も得意では無い。普段の動作ものんびりとしていた。

友人曰く、『それが貴女の魅力だと思うんだけど』とのことらしいが、自分は嫌だった。

だが、自分の特性などそう簡単に変えようが無いではないか。

友人にそう言うと、その友人はこうも言った。

『じゃあ、少しずつでも前へ進んでいくしかないんじゃないの?』

 でも、それはとても難しい。少なくとも、自分にはとても難しい。

のんびりと歩いてきたこれまでの人生。

綾香は、それで良いと思っていた。それが自分の生き方だと、達観していたわけでは無い。しかし、マイペースに生きる事は決して悪い事では無いと信じていた。

だが、違った。

それ自体は悪では無かったが、それでは自分が嫌なのだと気が付いてしまったのだ。

だから彼女は蛙に憧れた。

彼等は元気良く地を跳ねて前へと進む。それが綾華にはとても特別な事に映ったのだ。

そうやって、憧れの対象に幻想を抱くだけで彼女は停滞していた。逃げていたのだ。そうした方がどうしても楽だから。

だが。

綾華は雨の中をスキップで進みだした。

跳ねた水しぶきがスカートにかかる。しかし、気にしない。

何故だろうか。

突然、そうしたくなったから。

 

そして、葉月は再び思考の渦へと飛び込んでいく。

「生きていく上で手段は不可欠だわ。目的が無くても生きる事は出来るけど、手段が無ければ生きることは出来ない。…………目的の無い生、が無意味である可能性はもちろんあるけど…………」

 傘をゆっくりと回転させながら、視線は常に前方へ向けている。

「仮に、手段というものを否定すると、どうなるかしら。生きる上での手段というものを完全に否定した時、何が生まれるのかしら。全ての手段を否定して、残るものは何かしら。目的すら無くて、手段を否定して、でも生きている。それは生きていると言えるのかしら。人は、そういう段階でも果たして生きていると言えるのかしら。その状態で生きていられる人間は、すでに人間では無いわ。だから、人は人であるために…………」

 そうやって、雨の中を歩いていき。

 とある歩道橋の階段に足をかけた瞬間。

 葉月の思索は途切れた。

 いや、止めざるを得なかった。

 だが、足はそのまま歩道橋の階段を昇っている。薄汚れた歩道橋で、階段の地面にはスプレーで落書きが描かれている。

 何時の間にか、葉月の横にピッタリと付ける様に男が歩いていたのだ。

大きな黒傘を差し、黒のロングコートに身を包んだ男。

初見では無い。それなりの顔見知りだ。

「あんな事は、もう止めるべきだと思うがね」

「貴方に、私の行動を制限する権利があって?」

「…………無い。しかし、君の安全のために言っている」

 嘆息し、胸から煙草を取り出して口にくわえる。だが、火を点けはしない。葉月に禁止されているためだ。自分の前では煙草を吸うな、と。くわえるのは、ただの気分なのだろう。

「それはどうも。お礼は必要?」

 明らかに年上の男に向かって、しかし葉月の口調や態度に変化は無い。しかし、無礼というわけでは無い雰囲気が、二人の間にはあった。決して親しい様子では無かったが。

 歩道橋の真ん中辺りまで来て、止まる。

「でも、それなら貴方は、あの子が危険に曝されるのを、放っておいた方が良かったと言うのかしら?」

 先程分かれた、蛙を嬉しそうに観察する少女を思い出す。あの笑顔を見て、放っておけというのか。

「…………こんな雨の日だったよ。俺とグレーが出合ったのは」

 葉月の言葉には答えず、灰色の空を見ながら、男は呟いた。

「俺達は結構似たもの同士でな。俺は生きる意味を捨ててきたと思ったのに、気付いたらそれを大事に抱えている自分に気がつく。何時だって捨てたいと思ってるのにな。だが、アイツは逆だった。生きる意味を探していたのに、気付いたらそれを忘れてやがるんだ」

 少しの間、男は口を閉じた。

口にくわえた煙草を、火の点いていない煙草を吐きすてる。

その煙草は放物線を描き、歩道橋の下を高速で移動する運送トラックの屋根に着地…………する直前に、突如として灰となった。

 火に焼かれた訳では無い。燃焼の結果として灰になったとか、煙草の殆どが灰になるほど吸っていたとかでは無い。そもそも、火を付けてはいなかったのだから。

 そして、そのトラックの姿が見えなくなった頃、男は再び口を開いた。

「まあ、結局は傷の舐めあいだったんだろうな。自分に無いものは魅力的に映る。弱い人間には良くある事だ」

「…………それで、私は貴方の過去話に何時まで付き合えばいいのかしら?」

「まあ、最後まで聞けよ」

 男は再び煙草を口に加えた。落ち着かないのならば、同じ物をずっと加えていれば良いものを。

煙草の煙を吐き出すように、大きく息を吐いた後、

「つまり、それだけ俺はアイツの事を理解しているという事さ。だから、誰よりも実感として分かる。今日みたいな事を続けてれば、何時かは絶対に見つかるぞ」

 葉月は俯き、我知らず手に力が入っていた。

「放っておけばいい。何処の誰とも分からない他人ならな。それで誰も困らん」

「でも、死んでしまうかもしれないのよ」

「誰も、というのは俺達の事だ」

「私は困るわ」

「お前の意思は関係無い」

 唇をかみ締める葉月。言い返せない事が悔しいのでは無い。平行線を辿るであろう不毛な議論を覆す事が出来ない事が悔しいのだ。

「まあ、大人しくしてる事だ。どうせ大した戦闘能力も無いんだ。見つかったらアウト…………まあ、だからお前の能力には価値があるんだろうな」

 その言葉を残して、男は去っていった。

心情的に男を視界へ入れたくなかった葉月は、ずっと俯いていた。少なくとも、男の姿が完全に見えなくなるまで顔は上げないつもりだった。

 だが、雨は音と共に降るものだ。ただでさえ無音に近い男の足音を、雨はどうしようも無く消し去る。傘で視界が遮られているせいで、視覚の端でも男が完全に去ったという事実を認められなかった。

そのため、随分と長く俯いていなければならなかった。

 …………葉月はようやく顔を上げた。そして、呟いた。

「価値があるですって? そんなもの、有るはずが無い」

 傘を叩く冷たい雨は、止む気配を見せない


 
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