No.774071

真・恋姫✝無双 ~夏氏春秋伝~ 第七十二話

ムカミさん

第七十二話の投稿です。


思いが交錯する大陸の地。

2015-04-29 01:12:48 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:4257   閲覧ユーザー数:3407

 

ドォン、ドドォンと一定のリズムを刻んで許昌の上空に花火が轟く。

 

それは花火が完成し、実用可能だと判断された際に黒衣隊の中で定められた合図。それも、室長の桂花か隊長の一刀のみが使うことを許された合図。

 

合図の意味は、非常事態・緊急集合。

 

この合図を受けた隊員は如何なる仕事をも一事放棄して集まることを義務付けられている。

 

各種事後処理は桂花の仕事となるが、一度の合図使用で桂花にかかる負担は膨大の一言。

 

故に、これは一刀と桂花にしか使用が許されていない。

 

それが今、鳴らされた。黒衣隊創設以来初の出来事である。

 

耳にした隊員達はかつてない緊張感を漂わせて調練場に集う。

 

普段から使われることの少ない第3調練場。しかし、今は許昌中の黒衣隊員によって占められていた。

 

彼らの前方には既に一刀が待ち構えている。

 

合図の発報からまだ10分、だが一刀は最早待ちきれないと言わんばかりの様子。

 

隊員が全て集まったかの確認を待つ時間ももどかしく、目算で大体が集まった時点で前置きも無く話し始めた。

 

「聞け!たった今、我らが魏の中核を為す人物の一人が危地に陥るだろうことが判明した!

 

 我らは彼女を助けんがため、出る!場合によっては特攻をすら命ずるだろう!」

 

黒衣隊は魏の為に自らの命を投げ出す覚悟を決めた者達の集団、この程度の言葉で揺らごうはずもない。

 

何より、隊の地獄の調練により格段に腕を上げたという自負もあった。

 

自分達が身を賭して臨めば、今回の任務も達成出来る。そう考えている者が大半だった。

 

だが、次なる一刀の言葉は一部の隊員を酷く動揺させるものであった。

 

「我らが助けるは将軍・夏侯淵、そして親衛隊長・典韋!

 

 更に言おう!これは我が天の知識から来る未来の事象だが……これを放っておくと秋蘭は死ぬ。

 

 我らが遅れたとて、死んでしまうだろう……」

 

一刀は何かに耐えるようにして声を絞り出す。

 

その内容は創設時からの隊員と、秋蘭の隊から選出した新隊員に衝撃を齎していた。

 

重々しい一刀の声が、これが決して冗談や多少オーバーに言っているわけでは無いと直感させる。

 

華琳の旗揚げより連れ添い、武勇に優れ、知略も高い秋蘭。

 

その存在は今の魏にとって欠かしてはならない存在であることは誰の目にも明らかだった。

 

だからこそ、次なる一刀の言葉にも、迷いなく応答するのだ。

 

「皆に告ぐ!今より半刻後に出陣する!皆……秋蘭の為に、死んでくれ」

 

『はっ!』

 

誰一人遅れることなく、しかし悲痛に暮れているわけでもなく。

 

確かな覚悟がそのままにじみ出た返答が、空に響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒衣隊に指示を出した後、一刀自身も出陣準備を急ぎに掛かる。

 

軍議室を飛び出す直前、側にいた風にすぐに出陣させられる兵を集められるだけ集めるようには頼んでおいた。

 

先程集った黒衣隊員も全て出陣出来る。

 

が、それでも一刀は不安に潰されてしまいそうになっていた。

 

「くそっ……!順番があまりにも無茶苦茶じゃないか……っ!!」

 

意図せず漏れる愚痴。

 

それも仕方が無いだろう。

 

ついさっき、風の言葉によって一刀が思い至った歴史上の事件。それは、『定軍山の戦い』。

 

曹操の腹心、夏侯淵が劉備軍と一戦を交えた末、命を落としてしまう戦い。

 

だがあれは本来、魏国にとっての天王山だと一刀が考えた『赤壁の戦い』のずっと後の話。

 

未だ”呉”という名の国も”蜀”という三大巨頭に相応しい国も出来ていないこの時点でそれが起こりえるなど、想定もしていなかったのである。

 

勿論、歴史上の事件の順序が入れ替わりうることは分かっていた。

 

蜀に徐庶が加わったことからもそれは十二分に理解出来ていた。

 

しかし、ここまで色々とすっ飛ばして展開が訪れるとは、完全に一刀の見込みが甘かったと言わざるを得ない。

 

この世界を舐めていた。元の世界で知った先のこと全てを疑う必要があった。

 

全ては今更な後悔に過ぎない。

 

今はただ間に合うことを、あるいはそもそも一刀の考えすぎであって本当は何も無いことを祈って少しでも早く出陣するより他はない。

 

 

 

戦より帰ってきたばかりの一刀は、既にほとんどの準備が整っていると言える。

 

だが、今回に限っては黒衣隊の装備が必要となるかも知れない。

 

つまり、一刀が準備すべきはそれらの装備を自室より取ってくること。

 

その為に自室へと急ぐ道中、一刀に呼びかける声が二つ現れた。

 

「おお、一刀ではないか!随分と急いでいるようだが、どうしたのだ?

 

 華琳様へ帰還の報告か?」

 

「……一刀、焦ってる?」

 

「春蘭と恋か。悪い、今は時間が惜しいんだ」

 

短く告げるとその場を立ち去ろうとする一刀。

 

だが、久々に会った春蘭はそう簡単に別れさせてはくれなかった。

 

「お、おい、一刀!本当にどうしたというのだ?

 

 大体、お前は帰ってきたばかりなのだろう?なのに何を焦っているのだ?」

 

「確かに帰還したばかりだが、俺はまたすぐに出る、いや、出なければならないんだ。

 

 これを黙って見逃すなんて、俺には絶対に出来ないことなんだから」

 

一刀は焦りから説明を入れないままに予定のみを話すだけ。

 

当然それでは春蘭も理解できない。

 

「??わけがわからんぞ?なあ、一刀、一体それは――」

 

「お兄さん、兵の手配終わりました~。ただ、騎兵のみ、しかも今すぐ出せるという条件でしたので千集まればいいところですが~。

 

 おや、春蘭様、恋ちゃん、お仕事お疲れ様です」

 

頭上に疑問符を浮かべたまま一刀に問おうとする春蘭の声を遮って、風の一刀への報告が差し挟まれる。

 

報告の後にはその場に居合わせている春蘭と恋にペコリと礼をすることも忘れない。

 

突然の風の登場に、春蘭の声は完全に途切れてしまう。

 

そのため、その場は一刀と風のやり取りの声のみが聞こえる空間となる。

 

「千か。十分だ。すまない、風。助かった」

 

「いえいえ~。ですがお兄さん、あのお話は本当のことなのですか~?」

 

「確証は無い。だが、もしも俺の持つ”天の知識”に今回の件が合致するとすれば、最悪の事態が起こってしまうことになる」

 

「それはそうなのですが~。やはり俄には信じられませんね~。

 

 秋蘭様が死んでしまうかも知れないなんて~」

 

その風の言葉は、口を挟むタイミングを逸して聞きに徹していた春蘭を凍りつかせるに十分な威力を持っていた。

 

春蘭は凍りつきながらも、どうにか喉を震わせて声を絞り出す。

 

「…………か、一刀……その話、ほ、本当、なのか……?」

 

「……あぁ。予想が外れていれば万々歳なんだが、ここで楽観視するのは危険に過ぎるだろう。

 

 だから、俺は集められるだけの兵を集めて、秋蘭を追っての強行軍に出ることにしたんだ」

 

一刀の口から冗談では無いと通告されると、瞬間、春蘭はガバッと身を乗り出すようにして叫んだ。

 

「一刀!私も連れて行け!秋蘭が危ないというのに、許昌に残っていることなど出来ん!」

 

「春蘭……気持ちは分かるが、今回の行軍は無茶の一言に尽きるものになる。

 

 兵を連れては行くが、恐らくほとんど示威行為にしかならない。本当に有事だったとして、実際に突っ込ませるのは俺と一部の兵のみに留める。

 

 それにしても命懸けなんだ。だから――」

 

「そんなことは関係無いっ!!私は秋蘭の姉だっ!!ここで行かずして私に何をしていろと言うのだっ!!」

 

咆哮にも近い叫びを上げる春蘭。

 

そこに込められた強い想いは、いかな一刀と言えども覆させることは容易では無いと分かる。

 

尤も、ここで一刀が冷静に考えることが出来ていれば春蘭を止めようなど最初から考えていなかっただろう。

 

己が大切な人物を2人も同時に危地に晒したくは無い。

 

そんな無意識が為した、しかし実質的に無駄な行動なのであった。

 

「……分かった。だったら春蘭、すぐに準備をしてくれ。半刻、いや、もう四半刻と少ししたら出る」

 

「ああ!感謝する、一刀!」

 

春蘭はそう言うやいなや、脱兎の如く駆け去っていく。

 

一刀もまた己の準備を全うすべく動き出そうとする。と、そこにずっと黙っていた恋が、ただ一言告げた。

 

「……恋も、行く」

 

「いやいや、恋、話は聞いていたんだろう?今回は――」

 

「……一刀、危ないことするつもり。そう言ってた。

 

 ……一刀の意志だから、恋は止めない。けど、恋は一刀を、守る」

 

恋との付き合いももうそれなりに長い。

 

だからこそ、分かる。分かってしまう。

 

恋が人の話を遮ってまで自身の話を押し通すことはまず無い。

 

それは恋の強い意志の表れ。

 

自由奔放に見えて、恋は非常に頑固な一面を持つ。いや、むしろ頑固だからこそ自由奔放なのだとも言えた。

 

それは未だに一刀や月の言葉であれば、華琳や桂花、その他軍師の命よりも優先しようとする普段の様子にも表れている。

 

その一面を今見せているとあらば、短時間での説得はこれまた無理というもの。

 

だが、それでも一刀はとある事情を考えると恋を連れて行くことに躊躇してしまう。

 

「恋、気持ちはありがたいんだが、春蘭に合わせて恋までここを離れると、万が一の場合の防衛戦力がだな……」

 

「ん~、そちらの心配はそれほど無いかと~」

 

「風?それはどういうことだ?」

 

一刀の心配事を不要とした風の言葉に、思わず一刀が聞き返す。

 

風はそれに当たり前のように答えた。

 

「桂花ちゃん曰く、許昌周辺に敵影無し。大きな敵が来ることはまず無いでしょうね~。

 

 でしたら、季衣ちゃんに凪ちゃん、斗詩さんがいればそうそう問題にはならないでしょう~。

 

 それに2、3日もすれば霞ちゃん達が帰ってきますので~」

 

「そういえば確かに…………仕方ない。恋も、出るのなら準備は手早く済ませてくれ。

 

 今は時間が一分一秒でも惜しいくらいだ」

 

「……ん」

 

コクリと頷くも、恋は春蘭のようには動かない。

 

視線で問うと、恋は背負った方天画戟を示して一言だけ。

 

「……これがあれば、恋は大丈夫」

 

「はは、これ以上なく頼もしいよ」

 

心からの呟きを漏らした後、一刀は風に向き直る。

 

「風、許昌は頼んだ。俺の予想が当たろうが外れてようが、どちらかが大変なことになるのは変わらない気がするから」

 

「はい~、風にお任せを~」

 

いつものように気の抜けるような返事を残し、風は風で彼女の持ち場へと戻っていく。

 

一刀は今度こそその場に背を向けて、自室へと武器を取りに戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「多くを語る時間も無い!我らが今為すべきは、ただ夏侯淵将軍の無事を信じ、突き進むのみ!行くぞ!!」

 

『おぉおぅっ!!』

 

即興部隊の先頭に立ち、一刀は短い宣言を轟かせる。

 

兵達は鬨の声を上げ、士気を上げていく。

 

「酷使してすまない、アル。行けるか?」

 

鬣を撫でながら一刀は申し訳無さそうに愛馬に囁く。アルはそれに大きく嘶いて答えた。

 

「……任せろ、って。赤兎も、気合十分」

 

「みたいだな。だが、恋、赤兎にもアルにも本気は出させてはダメだ。

 

 皆が付いてこれるよう、少し抑えながら行く」

 

「……ん」

 

動物の気持ちがなんとなく分かると宣う恋は、こういう時にフラッと通訳に現れる。

 

一刀にとってそれは非常にありがたく、おかげでアルを初めとして様々な動物と良い関係を築けているのだ。

 

「一刀!秋蘭が危ないのだろう!?全速力で向かわなくてどうするんだ!!」

 

一刀と恋の会話を横から聞いて春蘭が噛み付いてくる。

 

しかし、一刀は宥めるようにして言い聞かせようとした。

 

「落ち着け、春蘭。ただでさえ余裕を持たせる予定は無いんだ。

 

 確かに俺達だけならば部隊で向かうよりも早く着くことは出来るだろう。

 

 だが、疲労困憊した将が3人程度来たところで、敵方の将がそれ以上であれば意味が無い。

 

 ここは多少焦れったくとも部隊における最大速度で向かうしか無いんだ」

 

「むぐっ……くぅ~~……!」

 

春蘭は言い返すことが出来ず、馬上で無ければ地団駄を踏みそうな表情で悔しがる。

 

あるいは暴走してしまい兼ねないところを耐えてくれただけでも一刀にとっては安堵ものであった。

 

「春蘭、恋。今の内にこれだけは言っておく。

 

 絶対に勝手な行動だけはしないでくれ」

 

「どういう意味だ、一刀?」

 

「そのまんまだ。さっきも言ったが、今回連れて行く兵の主な目的は示威行為だ。

 

 秋蘭の後背につく援軍と将の数を見せつけ、敵軍へ緊張を強いる。上手く事を運べばそのまま撤退させられるかも知れない。

 

 だが、これは例えばの話だが、もしも春蘭が単独で吶喊したりなんかすれば、そんな策略は簡単に破綻してしまう」

 

「だが!秋蘭が危険な状況であれば私は――」

 

「例えどんな状況であったとしても春蘭は勝手に単独行動を取らないこと。それが結果的に秋蘭を助けられる可能性が高い道へと繋がる。

 

 頼む、春蘭。俺を信じろ」

 

「ぬむっ……」

 

現在の走行は基本的に馬に任せているとは言え、いつまでも喋ってばかりではやはり速度が落ちてしまう。

 

今は春蘭に端的に納得してもらいたい。とあれば、目で語るのが一番だと一刀は考える。

 

目は口ほどに物を言う。それは一刀の武にも強く取り入れられていることからも分かるが、一刀にとっての信条でもある。

 

何より、春蘭に対して一刀の今取れる手段の中で一番可能性が高いと踏んでいた。

 

(少し卑怯だが、今は少しでもこういったことに取られる時間は減らしたい……すまん、春蘭)

 

心中で謝りつつ、春蘭の返答を待つ。

 

暫く唸っていた春蘭はやがて諦めたように頷いた。

 

「…………分かった、一刀を信じる」

 

「ありがとう、春ら――」

 

「だが!私がお前を信じると決めたんだ!必ず成功させろ!

 

 いくら一刀でも今回での失敗を私は許さんぞ!!」

 

「……ああ、任せてくれ!」

 

折れたとしても春蘭はやはり春蘭だった。そのことに喜びを感じ、一刀の返事にもつい力が篭もる。

 

これで春蘭は一刀の命に従ってくれるだろう。

 

恋は恋で何も言わずとも一刀の命に従う意志を示してくれている。

 

後はどんな状況に出くわしたとて、一刀が冷静を保ち的確・適切な指示を出すだけ。

 

何もないに越したことはないが、この世界における今までのことから考えてもそれはあまりに楽観的過ぎると一刀は考える。

 

今はただ、ひたすらに速く。速く、早く、疾く。

 

それだけを考え、宣言通りの無茶な行軍に臨むのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が落ちた平原を、それでも走る一刀達の部隊。

 

日が落ちたばかりであればまだ多少は明るい。その間に出来る限り進んでおこうとしているのである。

 

「……一刀。暗い」

 

「……そうだな。これ以上の走行は馬が危ないか……仕方ない。皆!今日はここで陣を張る!暗いが、気をつけろ!

 

 簡易の天幕を張り、食事を取った者から休息に入れ!明日は日の出と共に出陣する!それまでに陣の撤収をせよ!遅れるな!」

 

『はっ!』

 

馬は夜目も効く方であるし、夜間走行も通常それほど問題ない。

 

が、今は相応の集団であり、且つ一刀達将クラス以外の馬はほぼ全力疾走のような状態である。

 

それを完全に日が落ちた後も続けることはあまりにリスクが大きくなると考えるべきだ。

 

秋蘭との距離を少しでも詰めておきたい気持ちをグッと堪える。

 

華琳曰く、秋蘭が出立したのは4日前。

 

少数であるために全兵を騎兵で構成していたあたりは運が悪いといえるが、雍州南端の邑、さらにそこから定軍山までの移動を考えれば、一刀たちが騎兵のみの部隊で無理をすればどこかで追いつける可能性もある。

 

かと言って焦りすぎは禁物。例えば馬が怪我などしてしまった場合、単純に遅くなる程度の話では済まない。

 

そのようなつまらない理由で大事な策の成功率を下げるわけにはいかない。

 

故に、日が落ちて暗くなってきたら行軍をやめる。これは許昌を出る前から決めていたことだった。

 

通常よりもかなり遅い時間からの設営準備となっていたが、それでも兵達は黙々と天幕を張る。

 

噛み付いてきそうな春蘭には予め噛んで含めるように説明を入れておいた。

 

それもこれも春蘭が本気で秋蘭を救おうとの心に従って行動しているが故の行動。

 

それだけに、万が一のことでもあれば、秋蘭を失うだけでなく一刀と春蘭との絆までをも失ってしまいかねない。

 

実のところ、一刀はこの行軍の初めの内はかなり葛藤していた。

 

場合によってはこの世界で一刀が何よりも大切にしたいものが一度に無くなってしまうかもしれないからである。

 

悩んで悩んで、その間にも進み続けて。最終的に出した答えは、最悪でも春蘭の命だけは今回の件で危険に晒さない。

 

元より秋蘭救出に間に合うかも判然としないこの状況、例え春蘭から嫌われるような状態に陥ったとしてもその生命だけは守り通そうと考えたのだった。

 

「隊長、少しよろしいですか?」

 

「ああ。だが、ちょっと待て」

 

何らかの話を持ってきたのだろう黒衣隊員。

 

一刀は彼と話をするにあたって周囲に人の薄い場所まで移動した。

 

「ここらでいいだろう。それで、どうした?」

 

「はい、夏侯淵様に帯同している部隊についてなのですが、確認しましたところ残念なことに隊員は極小数のようです」

 

「そうか。それは秋蘭が兵を選んだのか?」

 

「そのようで。賊情報の調査程度であまり何人も連れて行くわけにはいかない、と」

 

その報告には思わず薄い笑みを漏らしてしまう。が、すぐに苦い表情も混ざってくる。

 

「秋蘭らしい合理的な判断だが、それが裏目に出てしまったわけか……分かった。ならば、尚更急がないとな。

 

 明日以降も今日の行軍速度で大丈夫そうか?」

 

「それはまだなんとも。隊長方の馬とは違い、我らの馬は名馬ではありませんので」

 

「……今後、厳しくなりそうだったらまた報告を上げてくれ。暫くは今日の状態を維持する」

 

「はっ」

 

馬の質のバラツキは意外と痛いかも知れない。一刀は今、それを痛感していた。

 

速度とスタミナをそれなりに高い水準で満たした馬ばかりとは限らない。

 

戦場特化とでも言うべき、小回りのみが強い馬も混ざっているだろう。

 

全体を纏まらせたまま動かすには、一番下に合わせねばならない。

 

仕方がないとは思いながらも、非常に焦れったい状態が続くだろうな、と内心での溜め息だけは抑えられなかった一刀であった。

 

 

 

 

 

翌日からの行軍も言葉通り初日と変わらない。

 

異なるのはただ一点、出陣する時間のみ。

 

日が出ると同時に走り出し、馬のために合間合間に休息を入れつつ日没後少しまで走り続ける。

 

馬にとっては言わずもがな、人にとってもオーバーワークな行軍だが、誰も文句一つ垂れることはない。

 

途中、連日の走り詰めから幾らかの馬の疲労が濃くなってくると、そこからは少し行軍速度を落とす。

 

それでも、基本的な行動を変えず、真っ直ぐに目的の地へと向かっていく。

 

それから更に数日もすれば、兵のみならず将の疲労もピークに達してきていた。

 

それでも足を止めることは出来ない。

 

一刀は全体を鼓舞するように声を張り上げる。

 

「皆!もう少しだ!あと1日半……いや、1日だ!気張れ!!」

 

『はっ!!』

 

声に疲れを滲ませてはいても、キビキビと。

 

よく訓練され、意志と目的のはっきりした魏兵の強さがそこには表れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほとんど同時刻。

 

雍州南端の邑に秋蘭と流琉の姿があった。

 

流琉が秋蘭に駆け寄り、集めた情報を報告する。

 

「秋蘭様、どうやらここより更に南方の山中の方へ戻っていく姿が目撃されているようです」

 

「ふむ、やはりそうだったか。大方、蜀の統治が進んで盗み等が働きにくくなり、新天地を求めて偵察に来ていた、とでもいうところか。

 

 山賊風情が華琳様の治める地を穢そうなど、恐れ多いにも程があるというものだ」

 

「えっと、賊の本拠地は南方の山中、ということになりますよね?

 

 それって、蜀の領地に入ってしまうのでは?」

 

「うむ、そうなるな。とは言っても領地の端も端、そうそう管理など行き届かんのだろう」

 

静かな怒りを燃やす秋蘭だったが、流琉から投げられた質問にはきちんと答える。

 

こういう辺りが実に秋蘭らしいと言えた。

 

「あ、いえ、そうではなく……えっと、私達はその賊の討伐に行くんですよね?

 

 そうすると、無断で蜀の領地に入ることに……」

 

「確かにそうだが、だからと言って捨て置けるものでもあるまい。

 

 なに、後々文句を付けられたところで、賊討伐の大義名分を掲げ、我が国への被害が出かけていたことを示せば向こうも矛を収めざるを得なくなるさ」

 

「あ、なるほど……」

 

流琉の心配も尤もであったが、最早今の時代、自衛に勝る理由とはなり得なくなってきている。

 

だからこそと言うべきか、もっともらしい理由さえ取り付けておけば良いだろうとする秋蘭の説明で流琉も納得を示した。

 

「よし、今日は直に日も落ちる。賊討伐は明日朝一に出陣することとしよう」

 

「はい、分かりました!」

 

伝令によって秋蘭の指示はすぐに部隊全体へと行き渡る。

 

秋蘭と流琉はそのまま邑の外れに設営した陣へと戻っていった。

 

州境の小さな邑に一つの部隊を急遽受け入れるような余裕はさすがに無い。

 

だが、いくら小さかろうが秋蘭の言う通り邑の危険を見逃せるはずもない。

 

きっちりと討伐し、魏国にとっての憂いを無くす。

 

その方針を、秋蘭は決して曲げない。怠ることもしない。

 

全ては敬愛する華琳の為に。

 

 

 

 

 

翌早朝。

 

秋蘭が起き出してきた時には既に流琉による朝食が良い匂いを漂わせていた。

 

「おはよう、流琉。流琉が帯同してくれる行軍は食の楽しみがあるな」

 

「あ、秋蘭様、おはようございます!皆さんのためにお料理をするのは楽しいですし、限られた食材で上手に作るのは料理人の腕の見せどころです。

 

 秋蘭様に楽しんで頂けているのでしたら、これ以上に嬉しい事はありません!」

 

出陣前とはとても思えないほど和気藹々とした雰囲気を醸し出している。

 

2人はここに着いてより、この地で集められる情報は一通り集めた。

 

結果、賊の本拠地の見当は付き、大体の規模も知れている。

 

勿論、秋蘭も流琉も油断をしているわけでは無い。適度な緊張は保っている。

 

だがそれでも、今回はこれだけの余裕を見せられると判断していたのである。

 

「さて。流琉、そろそろ行こうか」

 

「はい!」

 

「皆の者!陣を切り上げよ!我らはこれより、魏国の邑を脅かす不埒な賊を討伐に向かう!」

 

『はっ!!』

 

威勢よく返答し、兵達はキビキビと行動を開始する。

 

ものの四半刻とせず、陣の撤収は完了し、後は秋蘭の出陣の号令を待つのみ。

 

兵達の動きが収まったことを見るや、秋蘭は跨った馬を前に歩み出させて高らかに宣言した。

 

「明確な被害が無くとも、敵は我らが邑の民を脅かした!その罪を奴らには身を持って知ってもらおうではないか!

 

 我ら、魏より選ばれた部隊が卑賤な賊に鉄槌を下す!行くぞ!!」

 

『おおおぉぉぉっ!!!』

 

秋蘭の言葉が兵の士気を底上げする。

 

鬨の声を轟かせ、部隊は一路南へ。

 

目指すは益州北端、定軍山。

 

それは奇しくも一刀の懸念の地。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!見えた!あれだ!」

 

風から聞いた周囲の大凡の風景、走った距離と方角、それらから前方に目視できた山が定軍山だと判断する。

 

「よし、皆!あと一い――」

 

瞬間、遠くから怒号が微かに耳に入る。

 

自分たちの馬の足音にほとんど掻き消されながらも届くそれに、一刀は唇を噛み締める。

 

「皆の者!速度を上げよ!!

 

 我らの目的を果たすぞ!!」

 

『おおおぉぉぉっっ!!』

 

聞こえてくる怒号。それは一刀の懸念が的中したというあまりに酷い正解のファンファーレ。

 

だが、同時にまだ秋蘭達の部隊が討ち取られていないという福音の鐘の音でもある。

 

(秋蘭……無事でいてくれっ!!)

 

間に合え間に合えと念じ、天に祈り、一刀は馬を、部隊を加速させるのだった。

 


 
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