真恋姫無双 幻夢伝 第八章 5話 『夷陵の戦い 第二幕』
朝もやが漂う。夷山の間道を行く魏軍の兵士は、かじかんだ手を吐息で温めている。まだ鳥も鳴かない早朝に、彼らは落ち葉に覆われた山道を進んでいた。足を踏み入れる度に、霜がサクサクと音を立てる。
前方から騎兵が駆けてきた。魏軍の斥候である。
「報告!」
騎兵は恋と音々音の前に来て、状況を説明した。
「前方に敵兵の姿あり。旗印は不明」
「よまれた…?」
「いえ、伏兵なら姿を見せないはずです。もしかしたら、我々と同じことを考えていたのかもしれませんぞ」
と推察した音々音は、伝令に指示を出す。
「真桜と沙和に連絡するのです!『敵発見。周囲に警戒しながら、戦闘準備をせよ』と。それと、アキラにもするのです」
「ねね…恋は?」
音々音は大きく手を振るって、真っ直ぐ前を指さした。
「恋殿は敵を打ち砕くのです!無敵の恋殿に勝てない敵はいませんぞ!」
恋は、槍を高く持ち上げた。その合図を機に、天下最強の武将を先頭にして、汝南軍は駆け足で山道を進んで行った。
それからしばらくして、アキラは敵発見の情報を受けとった。平地側では、朝もやはずいぶんと晴れてきている。
アキラは、すぐに判断を下して、命令した。
「こちらからも攻撃を始めて、恋たちを援護する!華琳に伝えろ。作戦通りに行動を開始してくれ、と」
そのすぐ後、星と代わって先陣を担っていた鈴々の目の前に、秋蘭とその部下が数騎あらわれた。(軍使?)と、鈴々が思っていた時、秋蘭が声を上げた。
「張飛!これを見ろ!」
鈴々が視線を向ける中、彼女の部下は高々と何かを上げた。鈴々は目を凝らし、そして驚いた。
「愛紗の青竜偃月刀なのだ!?」
朝日に照らされて光るその武器は、間違いなく愛紗の青竜偃月刀だった。秋蘭は言う。
「見えるか!お前の義姉の武器だ!お前の義理の姉は、我々の策にはまり、まんまと捕まった。あの名高き関羽雲長も、愚かな弱将だったというわけだ!蜀軍の兵士よ!このような武将に仕えていては、未来はない!おとなしく魏に降るといい!」
秋蘭たちは愛紗の偃月刀をぐるんぐるんと回して、嘲笑った。鈴々の頭に血が上る。そして副将が忠告する間も無く、彼女は叫んだ。
「愛紗の武器を、返すのだ!!」
鈴々は単騎かけ出した。それにつられて、蜀軍も陣形を崩しながら走り始める。鈴々は後ろを振り返ることなく、逃げる秋蘭たちを追う。そしてそのまま、魏軍の群れに突っ込んだ。
こうして二日目の戦闘が始まった。
細い山道を、蜀軍の兵士がまるで羊のように追い立てられていく。それを追う恋は狼だ。その牙が、悲鳴を上げる彼らの背中に突き刺さろうとした。
その時、それを防ぐ者が現れた。ガンッと音を立てて、恋の振り下ろした槍を受け止める。
「よう、ひさしぶりだな」
「…馬超……」
翠がニヤリと笑う。恋は無表情のまま、後ろに退いて体勢を立て直した。
翠は、恋に槍の矛先を向ける。
「今度は負けないぞ!」
「また…同じ……」
あの時と同じように、翠から攻撃を仕掛けてきた。恋はたやすく受け止める。
ところが、今度は展開が異なった。翠は攻撃するばかりではなく、恋の攻撃を誘ってくる。その誘いに乗って攻撃すると、恋の急所を目がけて反撃してくる。うまい具合に自分の呼吸に引き込んで、恋と互角に戦っていた。
何合かの攻防の後、また恋は一歩退いた。彼女は素直に驚いている。
「なぜ……」
翠は、顔の汗を袖で拭いながら、答える。その顔には自信があふれていた。
「ご主人様が教えてくれたんだ。涼州から逃げ出してくよくよしていたあたしに、前を向いて生きる大切さと―」
その時、翠の後ろから蒲公英が駆け寄ってきた。
「お姉さまー!」
翠は言い放つ。
「あたしの周りにいる、仲間の大切さを!」
翠は、自分の槍を思いっきり投げた。風を切って飛んできた突然の攻撃を、恋は横に薙ぎ払った。彼女の懐に大きな隙が生まれる。
「たんぽぽ!槍だ!」
「はいっ!」
蒲公英から槍を投げ渡され、間髪入れずに恋の身体を貫こうとした。恋は、変な体勢で攻撃を受け止めてしまう。翠の槍が彼女の片腕を傷つけ、恋は武器を落としてしまった。
偶然にも、彼女が傷つけられた箇所は、前に翠と戦った時に矢を受けた場所だった。
「どうだ!今度はあたしの手でやってやったぞ!」
「………」
これでは戦えない。恋は馬首を返して、山道を戻って行った。翠が、戦いを見守っていた味方の兵士に檄を飛ばす。
「呂布、破れたり!さあ、敵を倒すぞ!」
蜀軍が歓声を上げて息を吹き返す。彼らは勢いづいて、恋たちを追って行った。
あっという間に形勢が逆転して、翠たちはかなりの速度で駆けていく。一心不乱に魏軍を攻め潰そうと、羊は猪になって進んで行く。
彼らはまだ、頭上はるか高く、崖の上に設置された投石器を気付かない。数台の投石器に丸い弾が装てんされる。
「李典様!準備ができました!」
「よっしゃ!」
真桜が腕を大きく振って合図した。
「敵を止めるんや!爆竹砲、発射!」
導火線に火がつけられた状態で、弾丸が空を飛ぶ。そして蜀軍の真っただ中に落ちると、強烈な音と膨大な煙を吐き出した。
「な、なんだ?!」
「わっ!」
翠や蒲公英の馬が暴れ出す。さらに煙が目に染みて、動けなくなった。崖下の惨状に真桜が満面の笑みを浮かべた。
「どうや!ウチが作った爆竹砲の威力は!」
火薬は古代中国で生まれたとされている。この時代の火薬は殺傷能力を持たず、燃焼を助長するだけだった。火薬が銃に使えるほどの威力を持つには、ヨーロッパのルネサンス期を待たなければならない。
ところが真桜は、薬草を混ぜ込み、硝石や硫黄の配分を変えることによって、音と煙に特化した火薬武器の開発に成功した。
真桜の高笑いが続く。
「ウチのカラクリの威力、思い知ったか!」
「真桜ちゃん!そんなことしてないで、早く攻め込むの!」
馬に乗った沙和が、いつの間にか真桜の後ろにいた。真桜は頷くと、自分の馬に颯爽と乗る。
「蜀軍の度肝を抜いたるで!」
「汝南軍は恋さんだけじゃないの!行くの!」
2人を先頭にして、彼女たちの部隊は崖を下って行く。やっと煙が収まって、蜀軍が前を振り向いた時には、彼女たちの部隊が眼前に差し迫っていた。
その頃、平野の方でも、蜀軍は苦境に陥っていた。突出した鈴々の部隊は秋蘭や稟の部隊に包囲され、全滅の危機にさらされる。一刀が必死に叫ぶ。
「鈴々を救い出すんだ!早く!」
鈴々の後方に布陣していた白蓮の部隊が、魏軍の包囲を破って鈴々の元までたどり着いた。
「鈴々!」
「白蓮!ご、ごめんなのだ…」
「そんなことは後にしろ!はやく退くぞ!」
鈴々と白蓮は血路を開いて包囲を破り、蜀軍の後方まで退くことになった。
救出は出来た。だが、その代償は大きい。片翼をもがれた蜀軍は、中央の星が敵左翼の秋蘭に、右翼の焔耶が敵中央の春蘭に対応しなければならなくなった。その分、右翼に残った桔梗に負担がかかり、彼女1人で汝南軍の相手をすることになる。
華雄と戦っていた桔梗の部隊の両わき腹から、霞と凪の部隊が痛烈な攻撃を加えた。
「今が正念場や!突撃!」
「隊長のために!いざ!」
今度は桔梗の部隊が半ば包囲される形となった。苦しい状態の桔梗は、起死回生をかけて敵の大将の姿を探した。
「そこにいるのは華雄じゃな!」
華雄は振り向くと、左肩の『酔』の文字を見て確信した。
「お前が厳顔か」
馬上から両者は睨み合う。桔梗は豪天砲を向け、こう言った。
「お前を倒して、我が武勲の1つに加えてやるわい!」
「ほざくな!返り討ちにしてやる!」
豪天砲が火を噴いた。華雄は全くひるむことなく、桔梗に向かって駆け出す。次々と砲口から吐き出される砲弾が、地面の土を吹き飛ばす。しかし華雄は巧みに馬を操って避けていた。
段々と距離が近くなる。その分、命中確率が上がったのだろう。桔梗の砲弾が華雄の身体を捕えた。
「当たったー!」
「……っ!」
華雄は馬の背中に足をつくと、空中高く飛んだ。彼女の残像を弾丸がすり抜けていく。
「なっ!」
桔梗が驚き、身動きが取れない。華雄は、地面に着地する前に斧を振るった。カンッと鋭い金属音を立てて、桔梗の豪天砲の砲口が斬り捨てられた。
桔梗は、使えなくなった自らの武器を捨て、手綱を握る。
「お館様のためにも、命は捨てられん。今は退く。この勝負あずけた!」
「待て!」
馬を下りてしまった華雄は追いつくことが出来ない。逃げる桔梗の背中を見ながら、代わりに味方に号令した。
「敵の大将は逃げたぞ!追え!地の果てまで追うのだ!」
桔梗の片翼も崩され、蜀軍は潰走寸前に追い込まれた。朱里と雛里が後方部隊を投入して支えたものの、彼らに残された予備兵力は一刀と桃香がいる本陣の兵のみとなった。
このままでは、敗北は時間の問題だ。
その時、長江を進む船団が現れた。旗印は『黄』。紫苑の部隊だ。
「味方を救います!弓兵、前へ!」
そして紫苑の「撃て!」の号令の下、魏軍の左翼に数えきれない矢が突き刺さる。動揺した魏軍を確認して、蜀の船団は陸地に近づいた。
「上陸!敵を蹴散らしなさい!」
紫苑率いる1万の兵士たちが突撃した。長時間戦った魏軍にとって、ここで元気な新手に攻撃されるのは辛い。しかも蜀軍を追うあまりに、魏軍の左翼全体が前に移動していた。左翼と中央に空いた隙間に上手く入り込んだ紫苑に、秋蘭たちは撤退を余儀なくされた。
ようやく状況を改善できた蜀軍は、春蘭や汝南軍に攻撃を集中させる。この時すでに、三刻(6時間)近く戦っている。必死に巻き返そうとする蜀軍を蹴散らすには、彼らは疲れ切っていた。
「仕方ない。今日は引き上げる。合図を出してくれ」
と、アキラが命令を下して、汝南軍は引き上げた。華琳も春蘭を撤退させ、平野の戦いは終結した。
この情報は、山道で一進一退の攻防を繰り返していた彼女たちの元にも届いた。翠が槍で歩兵を薙ぎ払うと、こう言い残した。
「あっちの戦いが終わった。あたしたちも引き上げる。今日はおしまいだ」
翠たちは去った。汝南軍も翠たち蜀軍を追うことなく、山道を引き返していった。
その帰路に、音々音は恋と馬を並べた。そして眉をひそめて恋に尋ねる。
「恋殿、大丈夫ですか?」
「……へいき…」
恋の片腕に包帯が巻かれている。恋はその処置をした後すぐに、片腕だけで戦線に復帰していた。十分な働きを見せていたが、黒い血の跡が包帯から浮き出ている傷が痛々しく見える。
それでも、恋は淡々と言った。
「明日も……戦うから…」
「……はい」
先が見えない戦い。魏軍も汝南軍も蜀軍も、動かない足を無理に動かして、唯一休息できる陣地へと向かった。
巨大な夕陽が切り立った山際に沈んでいく。
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夷陵の戦い第二戦。決着はつくのか。