No.757917

真・恋姫†無双〜絆創公〜 中騒動第五幕(中編)

日がだいぶ開きましたが、あけましておめでとうございます。
誰がなんと言おうと、あけましておめでたいのです。

前回までのあらすじ:タダ酒が呑めるわ、キャッホホーイ!

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2015-02-12 08:00:02 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:2288   閲覧ユーザー数:2133

真・恋姫†無双〜絆創公〜 中騒動第五幕(中編)

 

 星がうっすら瞬く茜色の空。遥か真下の飲屋街は次第に喧噪で溢れてくる。

 道が笑顔でごった返す中、一軒の酒場が大いに賑わっていた。

 酒を注ぎ、器が触れあう音。

 普段よりも饒舌に繰り出される、取り留めもない会話。

 全てが混じり合う歓びの唄を、赤ら顔で奏でている。

 

 良く聞けばその中には、声を潜めた話し合いが紛れており。

 ちらちら様子を伺う視線が見て取れた。

 

 向かう先には円卓を囲んでいる、とある一団。

 その一人が、頬杖をついて深く息を吐いた。

 

「……よく目に焼き付けておけ。馬鹿騒ぎをしている無類の酒好きの姿を」

 

 眼鏡をかけた女性が心底うんざりしたように、右隣に座る少女に声をかけた。

 少女が返す言葉は無く、ただぎこちなく笑う。

 まだ見た目には幼い彼女の胸中には楽しさがなく、僅かな後悔だけがずっと支配している。

 

 こうも乱れる義姉たちの姿を見るとは、思いもしなかった……。

 

 

 

 まず、ここまでの状況を説明すると。

 少女に対しての、感謝と言う名の軽い猥褻が沈静し、全員が目的の酒場へと赴いた。

 そこまでは普通の事であった。当人たちにとっては。

 

 酒場にいた者には、戦慄が走っていた。

 暖簾をくぐってきたのは、名高い酒豪たち。

 その場が一気に戦場になるのは、火を見るよりも明らかだ。

 店員も客も、一斉に身構えてしまった。

 

 さらに衝撃はそれだけでは終わらない。

 強者たちの中に、一際輝く高尚な存在を見つけた。

 自分たちが崇めている、天の御遣いの一人。

 普段とは違う、鮮麗な着物を身にまとってのお目見えだ。

 

 三国時代の人間にとっては目も眩むようなその華やかさに、一同は溜息を漏らした。

 一瞬で心を奪われ、酔いしれてしまったのであった。

 だが、店の人間は内心穏やかではなかった。

 店主と女性店員が小声で交わした会話が、こうだ。

 

「一体どうしたってんだ? 佳乃様の、あのお姿は」

「素敵なお召し物……。きっと佳乃様の正装ですよ」

「しかしどうして、こんな酒場なんかに。着飾るほどのことが何かがあったのか……?」

「もしかして視察じゃないですかね?」

「視察?」

「この辺りの飲み屋の経営とか、調べているんじゃないですかね」

「そうか。だからああやって、改まった服装してんのか」

「きっとそうですよ。ほら、護衛の方々も名だたる酒豪ばかりですから」

「あこぎな商売していないか、酒飲み歩きながら見極めているって訳か……。そうとなったらこっちも手ぇ抜く訳にはいかねえ。店の中でとっておきのヤツ、振る舞ってやろうじゃねぇか」

 

 などと店側が勝手に思い込んでしまったのだ。

 そもそも視察をするのなら、普段通りに振る舞うか、いっそのこと地味な服装で出向くといった方法が効果的なのだが。

 

 そんなこんなで、佳乃と呼ばれた御遣いが率いる一団が注文する前に、店主がどんと卓上に置いていたのは、自身秘蔵の名酒。

 しかもかなりの格安で提供された。

 

 さあ、慌てたのはもちろん佳乃のほうで。

 困惑しつつ、高値の酒が出てきた理由を店主から聞いた途端。

 取れそうな勢いで頭を下げ、合間に事情説明と陳謝を繰り返していた。

 一同がやってきた経緯を理解した店側はというと。

 彼女の誠意にいたく感動し。

 かつ普段の彼女を考慮した上で、改めて安価で提供すると言い切ってしまったのだ。

 もちろん真面目な少女が、すぐさま“ごめんなさい”と“すみません”を連呼していたのは言うまでもない。

 

 というわけで、幸か不幸か美酒の出現に一同の盛り上がりは最高潮。

 当然呑んでしまえば、更に最高潮。

 今や店内の騒々しさの大手を担う一角となっている。

 

「兄妹ともども、苦労するようだな」

 一連の流れを見ていた眼鏡美女。冥琳は、過去を思い返すように呟いた。

 とは言え自身も多少は酒飲みであるので、僅かに笑みを浮かべている。

 隣にいる若干やつれた雰囲気の佳乃も、俯いて気まずそうに湯呑みを口に運ぶ。

 中身は呑めない彼女の為に只のお茶になっているのだが、店側の計らいを快く受け入れる心情ではなく、味の善し悪しさえあまり分からなくなっている。

 自分の行動が果たして今後どう転ぶのかが気が気でないようで、目の前に置かれた料理もあまり手をつけられていない。

 

 義姉たちの様子はどうなっているのかと、冥琳の左隣に視線を移せば。

「アハハハハッ! 今日は本当にありがとうねー、よーしのー!」

 お猪口片手に、頬に赤みのさした雪蓮が満面の笑みを向けてきた。

 間に挟まれている冥琳の不愉快な顔などお構いなしに、ぐいと詰め寄ってくる。

 引きつる笑いを浮かべて応えようとする佳乃。しかし言葉を発したのは、彼女の右に座る紫苑だった。

「あらあら。雪蓮さん、あまりお酒を近づけちゃダメよ? 佳乃ちゃんは匂いにも弱いんだから」

「そんなこと言うけど、ここは酒場よ? 匂いなんてそこら中に漂っているじゃないの」

「わ、私は大丈夫です。ほんのちょっとずつですけど、慣れてきてはいますから」

「ホーラ。佳乃だって大丈夫だって言ってるじゃない」

「佳乃ちゃん、あまり無理しちゃダメよ? 遠慮しないで、何かあったら言ってちょうだいね」

「はい。ありがとうございます」

 小さく頷いて、湯呑みの茶を口にする。居心地が悪そうな仕草に、紫苑は不安を抱きつつもひとまず引き下がる。

 

 ちなみに。この一団の席順について、円卓を上から眺めると。

 佳乃から始まり時計回りに、冥琳、雪蓮、星、霞、祭、桔梗、紫苑、となっている。

 

「あっ、そうそう。私さ、ずっと佳乃に訊きたいことがあったんだけど」

 思い出したように口を開いた雪蓮に、佳乃は小首を傾げた。

「はい、何ですか?」

「一刀ってさ、天の国では本当にモテなかったの?」

 一同の視線が、一気に二人のほうへと集まった。

「……どういうことですか?」

「一刀が前にね、“俺は向こうでは全然モテなかったんだ”って言ってたのよ。でもさー、実際あれだけ女の子とヤッてるわけじゃない? そこがどうも納得できないのよ。だからさ、佳乃とかだったら何か知ってるかなって思って」

 色恋話に花を咲かせるのは古今共通か。

 流れを遮ろうと動いたのは冥琳で、眼鏡の奥の瞳が強く睨んできた。

「雪蓮、そうやって詮索するのは感心せん。酒の席とはいえ、その手の話題は佳乃には答えづらいだろうに」

「いいじゃなーい。酒の席だからこそ、こういう話が出来るんじゃないの。冥琳だって気になるんじゃない? 一刀の天の国での女性関係とか」

 肩に腕をかけながら詰め寄ってくる雪蓮に、冥琳は小さく鼻を鳴らす。

 対照的に、残る面子は嬉々として佳乃に注目している。

「ねえねえ佳乃、どうなのよ? 一刀って女の子に人気なかったの?」

 雪蓮を筆頭に身を乗り出して待った結果、佳乃が出した答えは。

「……そんなことないですよ。私が知っている限り、女の子に人気はありました」

 すぐさま全員が噛み締めるように、深く何度も頷いていた。

「やっぱりねー。で、たぶん一刀はそのことには……」

「気付いていないみたいでした」

 またもや首振りは繰り返された。にやついている表情は嬉しさ半分、呆れ半分といったところか。

「……というのも、キャーキャー騒がれるようなものではなくて、密かな人気があるっていうような感じでしたから仕方なかったのかもしれません。妹の私が言うのも何ですけど、結構顔立ちも良くて、優しいですし」

「そっかー。それじゃあ一刀が知らないのも無理ないわよねー……」

「ご存知かもしれませんが、かなり鈍感な所もあって……。兄の友人で“及川さん”って人がいるんですが、その人もよく言っていました。“本人に自覚がないのが最大の欠点だ”って」

 唸るような声で、はいはいと周りの女性陣が相槌を打つ。

 人を引きつけることもそうだが、三国の要人であると言う事に対しての認識さえも一刀自身に感じられない。戦乱の時代から三国統一した今に至るまで、誰に対しても気さくな姿勢を崩さない。

 もちろん、彼自身の魅力はそこにある。相手が誰であろうと、飾らず、偉ぶったりせず。いつだって北郷一刀は北郷一刀のままなのだ。

 同様に。

 彼の家族にも、ふと気がつけば自然に惹かれていった。

 自分たちを認め、敬い、慈しみ、だからといって互いに立場の差を感じさせない、実に不思議な魅力に取りつかれていった。

 その一員である少女は、さらに思い出したように発言を続ける。

「そういえば、こうも言っていました。“アイツは不特定多数じゃなくて、特定少数にモテるんだ”って」

 途端に全員の頭に疑問符が浮かぶ。反論しようと霞の人差し指が佳乃に向いた。

「あんなぁ。佳乃も知っとるやろ、一刀がとっかえひっかえ女に手ぇ出してんのは。あれだけやらかしといて少ない言うんは贅沢すぎるっちゅうねん!」

 くだを巻くように人差し指を振り続ける霞に、佳乃は慌てて首を振った。

「あっ、ええと、そうじゃなくて……。兄に想いを寄せる女の子のほとんどが、容姿が良い人ばかりだったらしいんです。だから皆さんみたいに、凄く綺麗な女の人にモテていたってことで……。やっぱりそういう女の人は限られてきますから、そういう意味で特定少数って言ってたみたいです」

 そこまで佳乃が言い切った瞬間、数人が心を弾ませていた。

「まーた嬉しい事言ってくれるじゃないの。佳乃ったら本当に素直な子なんだからー!」

「あの主にしてこの妹君あり、ということか」

 心底嬉しそうに白い歯を見せている雪蓮に対して、含み笑いをする星。はたして頬が赤らんでいるのは、酒だけが所以だろうか。

「しかしまあ。お館様の血筋というのは、こうも人心を惑わすものか……」

「今更ながら、孺子が恐ろしくなってきたのう」

 気怠げに呟きながらも、内心では義妹の可愛らしさを微笑ましく感じている桔梗と祭。

 妖艶にも穏やかにも見える視線は、純粋な少女へと注がれている。

 二人の言葉に霞は、吹き出したように小さく鼻で笑っていた。

「一刀に惚れ込んだ時点でウチらの負けや。観念せい」

「まあ、でも。こうして平和に過ごせるのも、ご主人様のおかげですから……」

 紫苑はそう呟いて、隣の少女に目を移す。

 

 三国統一前、幾多の戦乱を乗り越えられたのは、頼れる仲間と、何より北郷一刀の力添えがあってこそ。

 摑み取った平穏の価値は、そして彼の存在は、何ものにも代え難い。

 不意に込み上がる愛おしさが、目の前の少女と重なり、紫苑の手は自然と少女の頭を撫でていた。

 いきなりの事に驚きながらも、佳乃はただじっと、手の平から伝わる温もりを感じて。

 自然に出てしまった所作に自らが戸惑いつつも、その意図を受け止めてくれたであろう少女に紫苑は微笑んでいた。

 

 そうして場の雰囲気が和やかになろうとしていた中で、自身の興味を優先した江東の小覇王が話題を蒸し返す。

「でもホンット、一刀って無自覚よねー。もしかして天の国ってそういう男が多いの?」

「……どうでしょうか。いない所で失礼ですけど、及川さんについて言えばそれほどは……。あ、でも……」

「でも、何?」

「及川さんのお友達の一人に、兄と同じようにモテていた方がいました……」

 予想外の展開に、残る全員が目を見開いた。

 まさかアレと同じような男がいようとは。

 だが雪蓮に至っては、キラキラした瞳で佳乃を見つめている。

「何それ何それ!? その男も一刀みたいにヤッていたってこと!?」

「さ、さあ……。そこまでは聞いていませんから何とも……。でも同い年の人とか年上の方、あと幼馴染みの人からも好意を寄せられていたみたいです」

「……ホント一刀とそっくりね。まあ、何でもかんでも同じだったらさすがに怖いけど」

 溜め息を吐いてお猪口を口に運ぶ雪蓮を見ながら、佳乃は内心穏やかではない。

 

 言える訳が無い事柄を、彼女は知っていたからだ。

 件の青年が、血は繋がっていないとは言え、義妹からも想いを寄せられていたこと。

 そして奇しくも、彼と一刀の声が似通っていること。

 おまけに、その身内と似た声の主も、この世界に何人かいたこと。

 

 直面してしまったこのあり得ない奇跡を言ってしまえば、もしかすれば日本と言う国が誤解されかねない。

 何より、自分に対して奇異の目が降り注がれるかもしれないのだ。

 今更ながら佳乃は、鈍感すぎる自分の兄と、おしゃべりな関西風味の青年を僅かに恨めしく思った。

 

 深いところまで突っ込まれやしないかと、雪蓮の次の言葉を佳乃は怯えながら待っていた。

 だが、弾むような雪蓮の声は聞こえてこない。

 代わりに、彼女の物珍しそうな表情を目の当たりにする。

 視線の先には彼女の親友がいた。

 お猪口を持っていた指を口元へと移し、普段通りに眉根を寄せて考え込む冥琳の姿が。

「冥琳お姉ちゃん?」

 不安そうな佳乃の声に気付いた冥琳は意識を引き戻した。

「……ああ、どうした」

「凄く、難しそうな顔してましたけど……?」

「いや、何でもない。気にするな」

 再びお猪口へと手を伸ばそうとした冥琳。

 だが途中で、隣からとてつもなく嫌な雰囲気を感じた。

 そのまま視線を移せば、ニヨニヨと不気味に笑う雪蓮が。

「ウフフフフー♪ ねーえ、冥琳」

「……何だ」

 地の底から這い出たような低い声を出した冥琳に、一切気に留めない雪蓮が詰め寄る。

「もしかしてー、一刀にヤキモチ焼いてたりしてー?」

「……何故そうなる」

「だってさー、一刀って天の国でも女の子に好かれてたみたいじゃない。今更ながら気が気でないんじゃなーい?」

「安心しろ。私は納得していただけだ、アイツの好色加減に。そうでないと、三国の種馬は名乗れんだろう」

 強く言い切った冥琳は、勢いそのままにお猪口の酒を飲み干した。

「へーえ。冥琳も言うじゃないの」

「どうした。北郷の女好きは今に始まったことではないだろう」

「じゃなくて。さっきまで一刀の色恋話はするなって言ってたのに、自分から“種馬”なんて言い出すんだもの」

 雪蓮の言葉ではっとする。酒に任せて軽はずみな事を言ったのは自分だったのだ。

 気まずくなった冥琳の頭によぎったのは、その手の話題を避ける理由となった佳乃の姿。

 そちらをチラリと見やれば、瞳を真ん丸にして見つめてくる佳乃がいた。

「すまん……。私とした事が、少々無作法だった」

「……いいえ。寧ろ、少し嬉しかったです」

「嬉しい……?」

「真面目に教えてくれる姿ばかりをいつも見ていたので、何か新鮮でした」

 佳乃の顔が一気ほころんだ。

 先ほどまで多少気を張っていた故に、反動で表情筋が緩んでしまったのだろう。

 キラキラと輝いて見える彼女の笑顔は、やはり冥琳を十分に怯ませた。

 

 ああ、やはりアイツの妹だな。

 

 溜め息を吐いた冥琳の心に、その効能が染み入ってくる。

 酔いしれるように瞳を閉じて、ほんの少しだけ笑った。

「めいりーん、良かったじゃない。佳乃が嬉しいって言ってくれて!」

 だが余韻に浸る前に、隣の酔っぱらいがからかってきた。

 途端に眼鏡の奥に、眉間の皺が蘇ってくる。

「ねーねー、佳乃。もし私が真面目に仕事していたらさ、その時も喜んでくれる?」

「それは……、ちょっと怖いです」

 残りの面々が一斉に吹き出した。反応に不服な雪蓮が頬を膨らます。

「えー、どうしてよー? 冥琳と私と何が違うって言うのよー?」

「雪蓮。違う違わない以前に、まず仕事は真面目に遂行するのが道理だ」

 佳乃に代わり冥琳が言葉を引き継ぐ。突っ撥ねるような口調に雪蓮はますますむくれる。

「ぶー、いいわよいいわよ。どうせ私は酒呑んでるのが、お似合いですよーだ」

「ああ、呑め呑め。佳乃の答えは寸分違わない。お前は酒呑みの不真面目な姉として映っているんだ」

 もう一度冥琳が鼻を鳴らし、ふてくされた雪蓮は結局酒に走る。

 ようやく普段通りの光景を眺めながら、佳乃を含めた全員は二人の仲の良さを再認識したのだった。

 少し安心した佳乃は小さく息を吐き、湯呑みを口に運ぶ。

 程よい渋みが染み渡り、さらに深く息を吐いた。

 

 

 

「……どういう風の吹き回しだったんだ?」

 しばらくして宴も中弛みにさしかかった頃に、冥琳の小声。

 隣で聞いていた佳乃は、煮物を口に運んだ箸を咥えたままでそちらを向いた。

「酒の弱いお前が、こうまでして我々に付き合ったのには、何か理由があると思ったのだが?」

 見つめる視線に答えるように、佳乃はゆっくりとした手付きで箸を置いた。

「苦手だからって、避けてちゃいけないんだって思ったんです」

 遠くを見る目で薄く微笑む横顔に、彼女の母親の影が見えた気がした。

「お酒の席って、こうやって仲の良い人ばかりではなく、時には仕事の上で飲む席もあったりしますよね」

 冥琳は問いかけに答えはしなかったが、語る言葉に静かに耳を傾ける。

「もし私がお酒に弱いってことが相手に知られたら、無理矢理酔わされた挙げ句、こちらに不利な状況を作り出されたり、理不尽な要求を飲まされるかもしれません。私が酔っていたから覚えていないなんて、そんな理屈は通るはずはありません」

 真剣に話すその瞳には、物静かな佳乃らしからぬ、彼女の祖父に似た闘志が宿る。

「だから、そうなった時に……。皆さんに迷惑をかけないように、少しでも良いから慣れておきたいって思ったんです」

 最後に冥琳に向けていたのは、普段と変わらぬ少女の微笑み。

 この齢で、そして今の短時間で、冥琳は少女に多数の可能性を垣間見た。

 自身が教授した学識が実を結んできているのか、または数多の人間と交流した事が見識を深めたのか。

 城門で話した、相手に対しての心象を利用する策は、もしかすれば少女にとって心強い武器になるのかもしれない。

 その行く末に思いを巡らせ、冥琳はかるく身震いした。

「そうか……。では私から一つ、お前に提案がある」

「はい?」

「もう少し、お前の兄のように率直に会話してほしい」

 佳乃が予想外の言葉に目を見開く。彼女自身は、自分なりに真面目に話していたはずだった。

 まさか、どこか納得できない点でもあったのだろうか。

 焦って思考回路をフル稼働する佳乃の耳に、冥琳の次の言葉が届く。

「お前が我々に、尊敬の念を持っているのは重々理解している。失礼の無いようにと、言葉を選んで話そうとしているのが見て取れる。父親と似ているのだろう、燎一殿も同じように、言葉の端々に敬意を感じとることが出来る……」

 冥琳は一息ついて、だがと言葉を続ける。

「あまりに気を回し過ぎているのも、お前の言葉から感じられる。相手を思いやっての言動としては構わんが、癖になるのは良くない。軍議での意見を求められたり、切羽詰まった事態に直面した際、言葉に気を取られてしまい、皆がお前の意図を理解できなくなるやもしれん」

 見据えるその視線に、佳乃は真剣に向き合っていた。

「我々はお前の真摯な態度を評価している。砕けて話されたとて、その評価が落ちることはなく、ましてやお前をどうこうしようとは思わんさ」

「でも……」

「あまりに畏まれると、こちらが悪い気になる。まあ、いきなり変われとは言わん。この提案も少しずつ慣れていけば良いさ」

「……頑張ります」

 こわごわ頷いた佳乃に、冥琳も小さく笑って頷き返した。

 

「そーよー! 佳乃はちょっと堅っ苦しいからさー、もっとラクーにしてくれていいのよー!」

 しばしの静寂から一転、小覇王の絡み酒が佳乃を襲う。

 席を離れて肩を抱いてきた為、佳乃の左側には雪蓮の真っ赤な顔が間近にある。

 楽にしろと言っておきながら、苦手な酒の匂いを纏わせていたら、どうしようもない。

 が、律儀な佳乃は引きつりながらも微笑み返した。

「は、はい。頑張ります……」

「じゃあさー、佳乃。手っ取り早く、アタシたちとお風呂に入ろっか」

「……ハイィッ!?」

 上擦る声を余所に、妖艶な笑みが更に近くなる。

「お酒の付き合いだけじゃなく、裸のお付き合いってのも大人の世界じゃ大事なことよー? 一刀だって、みーんなとやってることなんだからさー」

「そ、それは違う意味じゃ……」

「そ・れ・にー。さっき皆で可愛がっていた時、佳乃ったら凄く可愛い声出してくれていたでしょー? 佳乃のビンカンなトコロがどこなのか、ちょっと興味出てきちゃった♪」

「ひゃあッ!?」

 囁かれる声と甘い吐息に、少女の細い身体が跳ね上がる。

「こういうのも経験よー? 初心は男としては嬉しいけど、あまり頑なだと冷めちゃうわよ」

「雪蓮! お前は場を弁えろ!」

 そのまま冥琳のお説教が続く前に、佳乃の右側から新たな赤ら顔が割り込んでくる。

「そう、妹君。何事も経験が大事です」

 言い終わるや否や、人物は佳乃の湯呑みを取り上げ、別の物を置いた。

 語り手は真名を星と呼ぶ少女。幾分仰々しくなっているのは、こちらもかなり出来上がっている証拠だろう。

 そんな彼女が置いたのは、自身が使っていたお猪口。

 見れば例の、店主秘蔵の名酒がなみなみと注がれている。

「酒は香りを楽しむのも一興ですが、何よりも味わってこそ。酒に慣れるのでしたら、まずは身をもって感ずるのが最良の策です」

「あーら、星! 良いこと言うじゃない。そーよ、佳乃! お酒は飲む物なんだから、匂いだけじゃ乗り切れないわよー?」

 二人揃って絡み酒の効果は二乗。ニヤニヤ締まりのない笑顔で佳乃に迫って行く。

 傍らに座る冥琳は呆れ顔に変わり、うんざりしながら眺めている。

「ハア……。佳乃、酔っぱらいの戯言だ。今も言ったが、焦ることはない。お前はお前の調子で歩んでいけば良……い……?」

 言葉を発するのを中断し、冥琳は隣の少女を凝視する。

 そしてその少女である佳乃は……。

 

 目の前のお猪口を凝視していた。

 

「佳、乃……?」

 声をかけても反応がない。

 代わりに、何か小さく呟く声が聞こえてくる。

 耳を澄ましてみて、その内容に愕然とした。

 

 何事も経験、何事も経験……。

 

 取り憑かれたように、一点を見つめて繰り返している。

 その異様さは、絡んでいた方にも確実に伝染した。

「よ、佳乃? おーい、聞こえてる……?」

「い、妹君。あまり御無理はなさらぬよう……」

 

 周りが緊迫した空気の中、事件は起こった。

 

 純粋無垢な少女は意を決し。

 お猪口を手に取り、そのまま一気に口に運ぶ。

 

「あっ!?」

 全員が口を揃えて唸る。

 だが、少女は口にする一歩手前で静止する。

 

 ほっとしたのも束の間、今度は彼女の顔に注意が向く。

 確かに口に含んではいなかった為、飲んではいなかったのだが。

 その手が止まったのは鼻先。しかも酒はなみなみと注がれて、さらに濃度も高い。

 必然的な結果として、むせ返るほどの芳醇な香りを直に嗅ぐことになる。

 

 全員がまずいと思い出した頃には、もう遅かった。

 少女の顔が、まるで熱湯に浸る水銀温度計のようにみるみる赤くなり……。

 

「…………きゅう」

 

 可愛い呻き声を上げたかと思うと、そのまま勢い良く卓上に伏せる。

「佳乃っ!? おいっ、しっかりしろ!」

 冥琳の大声にも、彼女の揺さぶりにも反応せず、ただただ目を回しているだけである。

 

「よ、佳乃!? ちょっと、何で冗談を本気にしちゃったの!?」

「ちょお、そこの二人! 何で佳乃そそのかしたんや!? 倒れてもうたやんか!」

「い、いや。まさか本当に呑もうとするとは……」

「言い訳なんぞ後にせい! 今は佳乃を介抱するのが先じゃ!」

「申し訳ありません、店員さん! お水を頂けますか!?」

「妹様、聞こえますか!? 返事をなされよ、妹様!」

 

 全員が少女へと駆け寄り、予想外の展開に狼狽えている。

 長く続くかと思われた酒宴は、意外な結末で幕を閉じた。

 

 そしてこの幕引きは、更なる事態を引き起こすのであった。

 

 

 

 

 

 —続く—


 
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