『帝記・北郷:十七~忠烈汜水関・四~』
ギィンガァンキィン
甲高く濁った音が耳朶を叩き、舞い散る火花が頬を舐める。
片や大身槍、片や喪門剣に縄鏢。
片や新魏の頭脳、片や新魏の先槍。
そして共に龍志に認められ、彼に信頼される者同士。
「はっ!!」
蒼亀の放った縄鏢が華雄の大身槍に巻き付く。
「……ふっ」
それを華雄は強引に槍を振ることで無理矢理引き千切り、そのまま蒼亀目掛けて槍を振り下ろす。
素早くバックステップを踏んで蒼亀はそれをかわした。
剣圧が鼻先をかすめ、さしもの彼も華雄の一撃に冷たいものが背中を流れるのを禁じ得ない。
闘いをはじめてすでに四半刻(約三十分)。新魏軍はひとまず汜水関への攻撃を止めすでに撤退を始めている。
あのまま蒼亀が指揮を続けていれば関は陥落したかもしれないが、彼はご覧の通り華雄の相手をしている。
新魏軍に名将猛将数多とはいえ、主要な将の多くが各地に分散している現状で華雄の相手ができるのは蒼亀と霞くらい。
そして生け捕りを望むならば、それができるのは蒼亀のみ。
これは決して霞が蒼亀よりも弱い訳ではない。ただ捕縛と言う事にかけては蒼亀の方に一日の長があるだけだ。
とはいえ……。
嵐のような連撃を避けながら、蒼亀は軽くなってしまった左袖を探り最後の縄鏢を握る。
すでに他の縄鏢や布槍は悉く華雄に破壊されてしまっている。
縄鏢も布槍も鎌鼬を使う華雄にとっては脅威となりえない。
最後の縄鏢、今までとは一味違う切り札を投げる機を伺いながら、蒼亀は華雄の武技に舌を巻く。
(この動き、技のキレ、速さ……本当にたった二年で義兄さんの武を修めている……)
龍志の武芸は様々な武術を織り交ぜながら彼自身が完成させた我流の武である。
最大の特徴は武器の重さから身のこなしまで神経質と思えるほど無駄を省いていることだ。
自分にとって最良の重さの武器、最適な動き。
しかしそのようなものが簡単に習得できるはずがない。少なくともただの人間が龍志の武芸を完璧に習得しようとするならば十年はかかるだろう。
だが華雄は不完全とはいえたった二年でその殆どを己がモノとしたのだ。
恐るべき武才…いや、龍志への思いと言ったところだろうか。
「絶望の狭間から救われた恩、忠義、そして依存…義兄さんの期待に応える為に、もう失いたくないが為に義兄さんの背を追い続けた……」
全てを失い、絶望の中でただ生きているだけの日々を変えた男との出会い。
そして男の後を追い、必死で自分を磨き続けた女。
それは見る人が見ればとても切なくも美しい物語なのだろう。
だが、そうであればある程蒼亀は叫ばずにはいられない。
華雄が龍志を思っていれば思っている程、絶えることはできない。
「どうしてあなたは…誰よりもあの人を見ていたあなたが!どうして龍志を信じられないのですか!!?」
激昂。
そして放たれる最後の縄鏢。
それは素早く身を引こうとしていた華雄の左腕に絡まった。
「!!」
縄めがけて大身槍を振り下ろす華雄。
しかし、縄は切れるどころか大きく弛むや大身槍を押し返した。
「無駄です。それはただの縄ではありません。芯に特殊な加工をした女の髪を使っていますからね」
「………」
「さあ、左腕を捕えられたあなたに勝ち目はありませんよ。大人しく陣まで付いて来てください。そこでもう一度じっくり考えましょう」
「………」
華雄は蒼亀の言葉に応えることなく、ただ高々と槍を掲げた。
その姿に蒼亀は眉を寄せ。
「だからその縄は切れないと…」
「…ふっ!!」
ザンッ
「な…っ!?」
槍が振り下ろされた。
さしもの蒼亀も目の前の光景に言葉を失い目を見開く。
華雄の槍は斬った。
だがそれは縄ではない。
彼女の槍が斬ったのは、捕われていた彼女の左腕。
自らの腕を斬り落としたのだ。
「ぐああ……」
焼き鏝を押しつけられたかのような激痛に華雄の顔が歪む。
それはこの闘いが始まって初めて見せた彼女の人間らしい姿。
「あ、あなたは…何という事を!?」
「……解っているんだ」
「え?」
「言われなくても解っているんだ…あの人が私を捨てるはずがないということくらい」
すっと蒼亀を見据える華雄の視線。
その瞳には先程のような狂気は無い。
「あの人が私の真名を返したのも、私はもう自立すべきだという意味だってことぐらい解っているんだ……」
力無く絞り出すような。それでいてその声は不思議と蒼亀の耳に響く。
今当に切れんとしている縄があげる最後の軋みのように。
「ならば…どうしてこのような事を……」
「どうして…どうして!?そうさ理解はできないだろう!私だって出来ない!あの人の思いは解るのに…それに応えられないんだ。応えてしまったらあの人がもう私の届かない所に行ってしまう。そんな気がして……」
気付けば華雄の双眸から一筋の涙が流れていた。
それは彼女の汚れていても美しい頬を濡らし、地に落ち弾け飛ぶ。
「私は…私は弱いんだ。あの人がいないと駄目なんだ…あの人が私の生きる理由、私の生き方そのもの。あの人を失ったら私は、どうやって生きて行けばいいのか解らなくなる。どれだけ敵を屠っても、軍勢を蹴散らしても、あの人がいなければ無意味なんだ……」
華雄の言葉を聞きながら、蒼亀は思う。
自分も測り間違えていたのだ、華雄にとってどれほど龍志が重い存在だったのかを。
絶望の狭間、差しのべられた男の手を女は強く握りしめた。
そしてそれは強すぎた。握っていれば男の手は離れないと信じていたから。
「もう…私はどうしたらいいのか解らない……頭では解らない、だから闘う、殺す。私とあの人を…龍志様を繋げているのはもうあの人から頂いたこの武しか無いのだから……」
そこまで言って、華雄は右手の大身槍の切っ先を蒼亀に向けた。
もはや片腕。勝機などどこにもない。
それでも彼女は闘いを止めない。
だって闘う事を止めてしまったら、本当に彼女と龍志を繋ぐ絆は断たれてしまうのだ。
「……ふぅ」
小さく溜息をつき蒼亀も喪門剣を構える。
とことん付き合うしかない。それが龍志の義弟である自分の勤め。
良くも悪くも彼女を変えた男の義弟(おとうと)の使命。
再び二人の間に殺気が張り詰める。
その時。
「……それは違うよ、華雄」
落ち着いた、少しだけ憂いを含む声が響いた。
弾かれたように声のした方を見る華雄と蒼亀。
そこに立っていたのは純白の衣に身を包んだ新魏の王・北郷一刀その人だった。
「陛下…」
「お館様…」
驚く二人に小さく微笑み、一刀は華雄の方へと歩みを進める。
「!?いけません陛下!!」
慌てて蒼亀が止めに入ろうとするが、一刀は右手を向けてそれを制す。
大丈夫だよ。そう言うような視線を向けて。
「……」
それを感じ取ったのか、蒼亀は足を止め静かに事の成り行きを見守る。
「…ありがと」
小さく一刀はそう言い、再び華雄へと歩き始めた。
無防備に近付いてくる自分の主に、華雄は戸惑いながらも大身槍を向ける。
白刃を向けられているにも関わらず、一刀は平然と槍の切っ先ギリギリのところまで進みそこで止まった。
「華雄。君は自分と龍志さんを繋いでいる絆は武しかないって言っていたよね」
「……はい」
「…それは間違ってるよ」
きっぱりと、一切の反論を許さないというかのように述べられた言葉に、華雄は愕然とする。
「な、何をおっしゃるのです!!」
「本当だよ。君と龍志さんの絆は武だけじゃない」
「ならば、他に何があると…」
「それはね、華雄。君自身だよ」
優しく紡がれた言葉に、華雄は耳を疑った。
華雄自身が龍志との絆。一体何を一刀は言っているのか?
「華雄。龍志さんから沢山の事を学んだよね?武芸、軍学、楽奏…そして心の在り方も」
「心も…」
「華雄、君の中には龍志さんの多くが芽吹いている。それを生かすこと。君が龍志さんの思いを享受して、その上に君自身の人生を歩むこと。君の生き方そのものが龍志さんと君を繋いでいる」
「私の生き方そのものが…」
「だから俺は今の華雄を否定しない。それが華雄の生き方だって言うのなら……でもね華雄。今の君の生き方は龍志さんの思いを受け取っているかい?」
一刀の言葉が華雄の胸を抉る。
考えるまでも無い。自分がしてきたことは何だ。
龍志の思いなんて考えてもいなかった。
考えたつもりになっていた。
彼が託したもの。彼の願い。
そんなことを考えることなく、ただ自分の憂さを晴らすがごとく暴力を奮っていた。
そう、もはや武ですらない暴力を。
「私は…私は…」
大身槍が地に落ち、華雄は膝を付く。
気付いた、自分の過ちに。
華雄は自分のことしか考えていなかった。
自分の幸福しか。
「……華雄」
そっと華雄に差しのべられたのは一本の手。
差しのべた主は、それを呆然と見詰める華雄に微笑みを浮かべながらこう言った。
「おかえり。一緒に待とう。あの人が帰って来るのをさ」
「お館様……はい…畏まりました」
震える声でそう言い、華雄はその手をとった。
リーン
そんな二人の姿を映し、龍志の大身槍が小さく音をあげた気がした。
「昨日はお疲れ様でした」
「俺だけの力じゃないさ。蒼亀さんが華雄が話ができる所まで戻しておいてくれたからああやって話ができたんだし」
「いえ…正直、私だけではどうする事も出来なかったでしょう。本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる蒼亀に、一刀はそんないいのにと言うように苦笑する。
あれからすぐに華雄は気を失ってしまった。恐らく揚州からここまでやってきた過労と腕を切ったことによる出血が原因だろう。
華雄を陣に収容して主要な将に彼女の事を告げると、皆一様に安心した顔をしていた。特に霞はずっと気にかけていたのか『さっすが一刀や~惚れなおしたわ~』と言いながら凄まじい力で一刀に抱きつき、一刀はしばらく生死の境を彷徨う事になったのだが、それはご愛敬。
「何だかんだで皆に好かれていたからね華雄は」
「ふふ、そうですね」
笑う蒼亀の手には一本の義手。
あの後夜なべして作った自信作だ。
間接的ではあったが彼が奪ってしまった左腕。
しかし、最初こそ狼狽したがいまは不思議な一致に小さく笑ってしまう。
左腕の義手。そうそれは龍志と同じ。
「そんなとこまで似なくても良いんですけどね…」
「ん?蒼亀さん何か言った?」
「いいえ、何にも…それよりも華雄は起きたでしょうか?」
蒼亀がそう言ったまさにその時だった。
「陛下~蒼亀さ~ん」
泣きそうな声を出しながら郭淮が天幕に入ってきた。
「華雄さんが…華雄さんが~」
汜水関関門前……から少し離れた辺り。
そこに一人の女が胡坐をかいて座っていた。
右手には杯、足元には酒甕。
露出の多い鎧を濃藍の羽織で包み、風に銀髪を揺らしながら口元に運ぶ一杯。
ごくりと酒を飲みほしてふうと息を付き、杯を地においては酒甕の中身を注ぐ。
ただ淡々とそれを繰り返す。
ドスッ
音を立てて少し離れた所に矢が刺さった。
見れば、彼女の周りにはすでに幾本もの矢が地に刺さり、刺さり損なり弾かれたものも転がっている。
パラパラと降る矢の雨の中、女は静かに酒を飲む。
「何をしているんだ華雄は!?」
そんな女から三百m程後方で一刀が悲鳴をあげる。
「成程、そう言う事ですか」
その隣で蒼亀は顎に指を当ててうんうんと頷いていた。
『忠誠を見せる』と言い残して身を清めた華雄が汜水関へと酒だけ持って歩いて行ったという報告を郭淮から聞き、二人は驚いてここまでやってきたのだ。
「陛下…おそらく華雄は義兄さんと同じことをしてあなたと義兄さんへの忠義を明らかにしようとしているのでしょう」
「龍志さんと同じこと?」
「ええ、嘗て烏丸族と争った際に義兄さんは琴と酒を持ち烏丸族の陣の前で歌を歌い杯を重ねました。あのように矢の飛び交う中で」
「だ、大丈夫だったのか?それ」
「不思議と…以来、義兄さんは異民族から『風流神将』と呼ばれていたのですが……」
それと同じことをする。
それが意味することは二つ。
一つは一刀へ龍志と同様の忠義を誓う事。
自分の忠誠は龍志に比類するのだという事を見せる為。
そしてもう一つは、より龍志に近付くという決意表明。
何時の日かあの背中に追いつく事への意思表示。
今まで華雄にとって龍志は前を歩き自分を導く存在だった。だが今はいずれ隣を歩きたい存在。
なるかもしれない。
蒼亀は思う。
華雄なら何時の日か、龍志と並びそれを超えて行けるかもしれない。
「うかうかできませんよ義兄さん」
ふっと笑みを浮かべ、蒼亀はそう呟いた。
杯に酒を注ぐ。
関の方から「何故当たらない!?」「あいつは化け物か……!!」などといった声が風に乗って聞こえてくる。
失礼な。
自分はそんなものではない。ただ、軍神の加護があるだけの話。
自分を導き、いつの日か隣で闘いたい愛しい軍神の加護が。
ふと南の方を向き、杯を掲げる。
そしてそれを一息に飲み干した。
忠義の烈将、神将を継ぐ者・華雄。
彼女の三度目の新しい旅路が今、幕を開けた。
~続く~
どうもタタリ大佐です。
華雄復活の話、いかがだったでしょうか?
今回、後半が失速気味です。我ながら恥ずかしい…。
ちなみに物語の最後の方で華雄が龍志のことを『愛しい』を言っていますが、これは完全に華雄の無意識です。一応華雄は龍志に対する恋愛感情はあるんですが、それすら忠義や恩義に置き換えているので本人は気付いていません。
さて…気付く日は来るのだろうか……。
そういえば、最近新作をアップしました。連載するかは半々だったのですが、一応やってみようと思います。あっちのほうは全体的に軽い感じの話を考えているので、帝記・北郷みたいに読みにくくはないかと……。
キャッチフレーズは『これは主夫な武将とちょっと我儘な君主、そして最強の動物武将が送るほのぼのハートフルストーリーである………訳はない』
さて、では次作でお会いしましょう。
再見(ツェイチェン)
次回予告
一人の将は優愛に生きた。
故に狂った。
一人の将は忠愛に生きた。
故に生き続けてきた。
追い込まれながらも必死の抵抗を続ける呉軍。
『鏡』を名乗る人物からの情報により新たな動きを見せる新魏軍。
秘密兵器を使い柴桑を攻め立てる蜀軍。
その戦の中で
二つの将星が……………落ちる。
次回
帝記・北郷:十八~二雄落花~
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間が空きましたが帝記・北郷の続き
忠烈汜水関。これでラストです。
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