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真恋姫無双幻夢伝 第五章12話『青い長江』

雪蓮の死を描きます。

2015-01-25 13:08:35 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1975   閲覧ユーザー数:1845

   真恋姫無双 幻夢伝 第五章 12話 『青い長江』

 

 

 部屋に鬱屈した空気が立ち込める。今日は晴れやかな空が広がっているというのに、部屋の中にいる者は雨に打たれているかのごとく、沈鬱な面持ちであった。声を出すことはなく、ジッと身動きせずに目を瞑っている。雪蓮の病室で立ちすくむ彼らは、息苦しさを感じながら、血の気の引いた彼女の顔をじっと見つめていた。

 一週間前、華佗が話したように、雪蓮の容態は回復しなかった。一時は冗談を飛ばせるほどまで回復して、華佗を驚かせもしたが、その病状は秋の夕暮れの如く急速に悪化していった。今ではいつ何時“その時”が訪れてもおかしくない。臣下は勿論のこと、人民の一人一人が彼女の回復を祈る。不謹慎だが、呉全体がすでに喪に服しているような静けさに包まれていた。

 今日が峠。華佗はそう告げた。ここには蓮華や冥琳を始め、柴桑にいる重臣が全員集まっている。誰しも口を真一文字に結び、眉間に皺をよせ、彼女の様子を見つめている。

彼女の瞼が、ゆっくりと開いた。

 

「姉様!」

「雪蓮!」

 

 二人が声を上げる。他の重臣たちも「おお」と驚き、そして喜んだ。

 

「姉様、私が分かりますか?!」

「失礼。ちょっと下がって」

 

 華佗は蓮華が握ろうとした雪蓮の手を掴むと、その手のひらを上に向けて脈を計る。

 

(弱くて途切れている。これでは……)

 

 意識を取り戻しただけでも奇跡だ。華佗は重臣たちの方を振り返ると、小さく首を振った。再び彼らに衝撃が走る。

 

「騒ぐな!」

 

 冥琳が一喝する。そして長く息を吐いた。今の言葉は、自分にも向けられていた。

彼女は雪蓮の元に近づくと、神妙な顔をして尋ねた。

 

「最期に、言い残すことはあるか」

「冥琳!あなた、なんてことを!」

「蓮華様以外は下がってくれ。華佗も隣室で控えておいてほしい。これから、大事な話をする」

 

 彼女の気迫に押された蓮華は黙り込み、他の者たちは部屋を去った。その様子を横たわる雪蓮は優しく見つめている。

 

「……さすがね、冥琳…」

「あまりしゃべるな。まず、後継者は孫権様。そうだな?」

 

 冥琳の問いに、彼女はゆっくりと頷く。その二人の様子を見ていた蓮華は驚き、そして目に涙を浮かべた。彼女は床に膝をついて、姉の手を握り締めて必死に励ます。

 

「姉様、諦めてはいけません!華佗はウソを言っているだけなんです。姉様が死ぬはずないじゃありませんか」

「蓮華さま」

「この呉には姉様の力が必要です!私には……私には無理です!だから、姉様」

「蓮華さま!」

 

 冥琳の声にビクリと体が跳ね、彼女の顔を見上げた。先ほど目に込み上げていた涙は、もうすでに頬を伝っている。冥琳は蓮華の肩に優しく手を置いた。

 

「冥琳……」

「………」

 

 目元には寂しさを湛え、その一方で唇をかみしめる冥琳の表情が、蓮華の脳裏に焼き付いた。

 ああ、もう駄目なのだ。

 

「れ、んふぁ」

 

 雪蓮がか細い声を出す。それを聞くだけで、蓮華はまたどっと涙が込み上げてきてしまう。

 

「ごめん…ね……」

「うわぁぁぁぁぁぁ!」

 

 とうとう蓮華は雪蓮の胸元に顔をうずめ、声を上げて泣きじゃくり始めた。その声に反応した重臣たちが部屋に入って来ようとしたが、冥琳が追い返した。

 しかし“その時”が近づいてきているのは確かだ。冥琳は再度、雪蓮に聞く。

 

「雪蓮、蓮華さまに何か伝えてほしい、今後の呉について」

 

 雪蓮は小さく頷いた。蓮華もその言葉を逃すまいと、あふれ出ていた涙と嗚咽を押しとどめる。頬にはくっきりと涙の跡が残っている。

 

「蓮華」

「…はい……」

「おしえて……あなたはこの国を…」

 

 どうしたいの、という言葉は、荒い咳にかき消されたが、その意図はしっかりと二人に伝わった。

 

「蓮華様」

「………」

 

 答えを求める冥琳を無視して、蓮華は考えた、今後の呉の目標を、そして呉の将来を、静かに目を瞑って考える。

 いきなりこのような非常に重要な答えを求められることは、彼女には酷であろう。なぜなら彼女の未来図の中心には必ず、雪蓮の姿があったからだ。彼女と『呉』の旗が掲げられた所に自分がいる。そして冥琳や思春など呉の臣下たち、そしてアキラも一緒にそこにいる。それが彼女の理想であった。

 その中心にぽっかりと穴が開く。それでも今の彼女には、その未来しか描けなかった。姉が出すであろう答えを探し、それを見つけた。

 

「姉様」

 

 雪蓮と冥琳が見つめる中、彼女は答えた。

 

「私は必ずや華北に進出して、全国を平定します。孫家の武で、天下を治めてみせます」

 

 姉様のように、という言葉は語らなかった。彼女が出した答えは、雪蓮の理想をも受け継ぐことであった。

 

「そう…」

 

 苦しそうに呟く。蓮華の真っ直ぐな眼差しから、目を逸らす。冥琳には雪蓮の目元にうっすらと悲しみが浮かんだように感じた。

 

「あなたが…やるべきこと……」

「それは、何でしょうか。ご助言下さい」

 

 雪蓮は天井を見つめる。そして絞り出すように彼女に伝えるのであった。

 

「アキラを」

 

 この先、彼女は聞くべきではなかったかもしれない。雪蓮が最期に伝えた言葉は、もう一度、彼女の理想図を打ち砕くものであった。

 

「アキラを、何でしょうか?」

「アキラを」

 

 雪蓮は目をカッと見開いて、蓮華の姿を力強く見つめた。

 

「殺しなさい」

 

 

 

 

 

 

 蓮華が走り去った後の部屋で、冥琳は考えていた。そして雪蓮に話しかける

 

「ひどいものだ」

 

 無論のこと、先ほどの遺言についてだ。青ざめた顔で逃げ去った蓮華の思いを、察することが出来ない二人ではない。

 

「蓮華様では、アキラを御しきれない。そう考えたのか」

「………」

「彼がいる限り、呉が天下を支配することも出来ない。そう考えたのだな」

「………」

「雪蓮!答えろ!」

 

 何も答えない雪蓮に、声を荒げる。彼女の遺言は当然、呉と汝南の全面戦争を示していた。

 

「アキラを取り込むことが出来ない以上、彼を排除しない限り、華北への道は開けない。そして天下を狙うには、魏や汝南との三国同盟は邪魔となる。違うか!」

「…呉の天下……蓮華は、それを望んだわ…」

 

 彼女に顔を覗き込まれて睨みつけられた雪蓮は、それだけを言った。仕方のないように、それだけを言った。

 危険な賭け。冥琳にはそうとしか思えなかった。その試みは一歩間違えれば、呉の大地が戦火に包まれることになる。軍師として、その未来だけは避けなければならない。彼女の怒りは、それを考えてのことだった。

 その一方で、雪蓮がアキラの死を望んだことを、とても不思議に感じた。

 

「アキラを、好きではなかったのか?」

「………」

「感情を押し殺したのか。最期まで呉の君主として振る舞うのだな」

 

 雪蓮は何も答えない。冥琳は自分が出した答えに、自分自身で違和感を覚えた。雪蓮の傍を離れて、部屋をぐるぐると歩いて答えを探す。

 

「まさか、な……」

 

 冥琳は独り言のように尋ねる。

 

「嫉妬、ではないだろうな。アキラが他の女を愛さないように」

 

 馬鹿馬鹿しい。冥琳は自分が出した答えをそう思った。ところが雪蓮は目を瞑りながら、うっすらと笑みを浮かべるのだった。

 

「……さあ、ね」

 

 その答えを聞いて、冥琳はあんぐりと口を開けた。そしてそれが彼女の最期の冗談のように感じられて、思わず苦笑いをこぼす。

 

「まったく、まるで普通の女の子みたいだ」

 

 こちらも冗談で返した冥琳は、再び彼女の元に近寄った。だが、雪蓮の顔を見た時、はっと胸を突かれて、その歩みを止めた。

 彼女の頬に一筋、涙が伝っている。

 

「雪蓮?」

「……ああ…」

 

 雪蓮は消えゆく意識の中で、アキラの姿を描いていた。普通の女の子のように彼に恋をして、普通の女の子のようにキスを交わし、そして普通の女の子のように愛し合ったことを、彼女は遠い昔のことのように思い出す。

 

「やっと」

 

 か細く、本当にか細く、彼女は冥琳に言う。

 

「気づいてくれたのね」

 

 彼女はもう何も言わない。その瞼が再び開かれることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 雪蓮が死んでからまだ一刻と経っていない中、穏はようやく冥琳の姿を見つけた。長江に張り出された桟橋の上、雪蓮がよく仕事から抜け出して寝転がっていた場所で、彼女は突っ立って川を眺めていた。

 正午過ぎの日の光が、青々とした空と川の光景の中にいる彼女を照らす。

 

「ここでしたかぁ」

「穏か」

 

 彼女の背中にかけられた声に、冥琳は振り向かない。常に変わりゆく川の波をじっと見つめていた。

 穏は心中を察しつつも、彼女を連れ戻しに来たことを伝える。

 

「冥琳様。どうか戻ってきてください。蓮華様も部屋にお籠りになっていますしぃ、どうにも騒いでいる方々を止められなくて」

「…分かった……」

 

 そう言ったものの、彼女が動く気配はない。穏は再度尋ねる。

 

「あのぅ、冥琳様?」

「穏。分かった。すぐに行くから、少しだけ一人にしてくれ」

 

 これ以上、声をかけることは出来ない。穏は何も言わずにその背中にお辞儀をすると、城内へと戻っていった。

 雲の無い穏やかな空の下で、長江の水は刻々と変化を見せる。それはいつもと変わらない、彼女が幼い頃から慣れ親しんだ風景だった。

 

「普通の女の子、か」

 

 彼女はそれを望んだのであろうか。数えきれないほどの敵を倒し、真っ赤に燃えた戦場の中で悪鬼のように笑っていた彼女が、そんなことを望んだのだろうか。

 それを尋ねる相手はもういない。いや、おそらく尋ねても、彼女は答えてくれないだろう。冥琳の頭の中で、答えをはぐらかす彼女のいたずらな笑みが浮かび上がった。

 

「ああ…雪蓮……」

 

 亡き親友の名前を呼ぶ彼女の肩が、小刻みに震える。

 長江は変わらない。嵐が吹こうと、日照りが続こうと、また同じ静けさを取り戻す。今日もこの巨大な川は、彼女の目から零れ落ちたものがその水面に小さな水紋を作っても、いつまでも青く輝くのだった。

 

 

 

 

 


 
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