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真恋姫無双幻夢伝 第五章10話『孫呉の夢』

アキラが帰国、そして物語は進みます。

2014-12-11 18:07:33 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:2008   閲覧ユーザー数:1803

   真恋姫無双 幻夢伝 第五章 10話 『孫呉の夢』

 

 

 柴桑での凱旋式が終わり、アキラたちが帰国する日がやってきた。

 湿気の多い江南地方には珍しく、雲が少ない晴天が広がる。辰時(朝の八時)のまだ大きく傾いた日の光に、アキラたちは目を細める。

 

「たいちょー!準備ができたの!」

「おう!今行く!」

 

 甲板にいる沙和の声に答える。まだ船に乗っていない彼の前には、雪蓮など呉の面々が一堂に会して見送りに赴いていた。

 その中の一人、蓮華がうつむきがちに小さく声を出す。

 

「行ってしまうのね」

「そんなに寂しそうな顔をするなよ。また助けが欲しかったら呼んでくれ」

 

 彼女は小さく頷く。もし他に誰もいなかったら、彼女は彼の袖を掴んで離そうとしなかったであろう。まるで小さな子供のように、うじうじとした態度を取っている。

 それとは対照的に、雪蓮はニコニコと笑みを浮かべて冗談を飛ばすのだった。

 

「そんなこと言っていたら、すぐに呼んじゃうわよ」

「おいおい、俺一人だったらいいけど、俺の部下のことも考えてくれよ」

「じゃあ、あなた一人でもいいわ。あっ!私がそっちに行こうかしら」

「冗談はよしてくれ、まったく」

 

 そんな会話をしている最中も、彼らは笑みを交わしている。その様子に、傍にいた明命が亜莎にぼそぼそと尋ねた。

 

「ねえ、亜莎」

「なに?」

「雪蓮様と李靖様、ちょっと仲が良すぎではないですか?」

「う~ん、そうだよね。なんかいい雰囲気だね」

 

 彼女たちが気付くぐらいである。当然何かを察している祭や穏はニヤニヤ、にこにことしており、思春は眉間を曇らせて二人の様子を眺めていた。表情を変えずにしれっとしているのは冥琳ぐらいである。

 こちらも何かを勘付いた蓮華がふくれて、彼らの間に割って入る。

 

「姉様!冗談は止めてください!一国の主が用も無く他国に赴いてはいけません!」

「え~?旅ぐらいいいじゃないの。ほら、もうすぐ南海にいるシャオも帰って来るし」

「ダメです!」

 

 目尻をつり上げる蓮華をちゃかす雪蓮、その様子をアキラは微笑ましく眺めていた。その彼に冥琳が歩み寄ってきた。

 

「すまないな。出発を遅らせてしまって」

「構わないさ、このくらい。それにしても」

 

と、アキラは改めて二人の姿を見つめる。冥琳もその視線に誘われて、いつも通りの二人、そしていつも通りの呉の姿がその目に映した。

 

「武勇の雪蓮に、治政の蓮華か。この二枚看板は羨ましい限りだ」

「ああ、我らの誇りだ」

 

 その時、船の甲板から音々音の怒鳴り声が聞こえてきた。

 

「こらー!!へぼ主人!遅いです!置いていくのですよ!」

 

 もう帰らなくては。アキラは船橋と甲板を結ぶ大きな板を渡って行こうとした。

 

「あ、あの、アキラ」

 

 彼が振り返ると、手をもじもじと動かして顔を赤らめた蓮華が立っていた。

 

「なんだ?」

「それでね……えっと…一度断ってしまった、け、けっこんの話なのだけど…!」

 

 彼女は声を上ずらせて何かを伝えようとする。アキラは良く聞き取れず、彼女の元へ戻ろうとした。

ところがその話を、今度は雪蓮が遮ってしまった。

 

「ほら、もう時間よ。早く行きなさい」

「あ、ああ」

 

 再びアキラは戻りかけた足を船の方に向け直して、そのまま歩いて行った。

 

「あっ、ちょっと!」

 

 その声はもう届かない。機を失った蓮華は代わりに、舌をチョロリと出しておどけている姉を睨み付け、さらに怨嗟を口に出す。

 

「姉様!!」

「お・か・え・し・よ」

 

 アキラが乗り込み、出港の準備は整った。大きな帆が張られ、船が動き出す。

 

「雪蓮!蓮華!また会おう!」

 

 満面の笑みで大きく手を振る雪蓮と、その隣で不満そうな顔で小さく手を振る蓮華。そして他の呉の面々が口々にアキラたちに見送りの言葉を叫んだ

 アキラたちも別れの言葉を叫ぶ。その声は段々と小さくなり、長江の上を渡る風にかき消されていった。

 

 

 

 

 

 

 それから一週間が経った。

 夜が更け、部屋に灯る明りの数も少なくなった頃、冥琳が一人、机に大きく広げた地図に書き込みを加えていた。椅子に座らず、立ちっぱなしの状態で、筆を走らせている。彼女が地図から目を離すのは、資料を読み込む時か、墨壺に筆をひたす時、そして明かりが消えかけた蝋燭を継ぎ足す時だけであった。

 そこに冥琳の後ろの扉から、穏がふらりと現れる。

 

「よく集中なさっていますねぇ」

 

 冥琳は振り返った。確かに、回した体のあちこちからコキコキ骨が鳴る音がする。ずいぶんと時間が経っていたことを理解した。

 

「なかなか面白いものでな、ついつい時間を忘れる」

「とりあえず座られたらいかがですかぁ。お疲れでしょうに」

「いや、構わない。それよりも、こんな夜更けに何用か?」

 

 そう尋ねた彼女は、穏の顔を見つめる。蝋燭の明かりの中で笑みを浮かべる彼女に、部下でありながら思わず不気味さを感じた。

 そのような感想を持つ彼女に、その笑みを浮かべたままの穏は質問を投げかけた。

 

「李靖さまについて、冥琳様の御存念を聞きたく、参りましたぁ」

 

 ほんわかとした口調で話す穏に、冥琳は逆に質問を返す。

 

「人となりなら雪蓮や蓮華様に聞けばいいではないか。二人の方が詳しい」

「だめですよぉ。お二人とも“色呆け”になっちゃっていますからぁ。それに、私が聞きたいのは人柄ではなくて戦略上での意見ですよぉ」

「分かっているよ。冗談さ」

 

 何か答える代わりに、こっちへ、と冥琳は自分が書いていた地図の方へ招いた。机に近づいた穏が見たのは、揚州の西部から荊州全土までを描かれた地図だった。荊州の方には細かく山河や城の情報が書き込まれている。そして揚州には呉の軍勢が書き記されている。

 穏は冥琳の戦略を理解した。

 

「李靖様は放っておく、ということでしょうか」

「味方であれば心強いが、敵であればこれ以上ないぐらい手ごわい。無理やり曹操と手を切らせようとしても、それでこちらの同盟にひびが生じる方が怖い。我々が全軍で汝南に攻め込んだとしても、制圧には十年かかるであろう」

「なるほどぉ、今回の黄祖討伐はその試験だったのですねぇ」

「ばれたか。雪蓮もどうやら察しているようだが」

 

 蓮華に功績を上げさせるなら、祭など戦上手の重臣たちを付ければよい。ところがわざわざアキラに支援を頼んだ。その理由は、間近でその手腕を見ることで、今後の判断材料にすることであった。

 彼女の指示を受けた亜莎は以下のように報告している。

 

『汝南軍の戦術、兵士の練度、どれをとっても見事です。各将の指揮能力もさることながら、李靖さまが全兵士から厚い信頼を寄せられていることが目に見えて明らかでした。あと、私は軍師として何度かご相談に上がりましたが、李靖様はまるで私たちのことを全て知っているような口ぶりで、私が言いたいことを常に先回りして答えられていました。ちょっと、恐ろしかったです』

 

 常に強気な思春も、こう報告していた。

 

『当然ながら水軍では我々が勝っていましたが、本船に攻め寄せた時の突入の動きや帆船の動かし方を見ると、普段からかなり訓練されています。また、城内に攻め込んできた際の動きも見ましたが、狭い路地でも見事に連携していました。しかもやつら、一切略奪しようとはしない。雪蓮様の親衛隊でさえ、あのような動きが出来るかどうか』

 

 このようなことを聞いた冥琳は、汝南に攻め込む考えをキッパリと捨てた。考え直した彼女の次なる目標は、地図でも分かるように、劉備たちの荊州である。

 

「荊州へは長江が流れており、我々の水軍が使える。そして劉備たちはここを治めて間もないし、まだ荊州南部への討伐の途中だ。軍の練度や兵士の忠誠心はまだ低い」

「防備も整っていないでしょう。我々であればすぐに倒せる相手でしょうねぇ。そして、その後は?」

「宛、そして洛陽へ攻め込む。曹操は強大とはいえ、将兵の大部分は降伏したやつらだ。兵力では相手の方が上だが、連携と戦略次第では勝てない相手ではない」

「その時、李靖さまはどうするのでしょうか?」

「傍観するだろう。いや、させる。その時にはもう一度、婚儀の話を出してもいい。そこまで好意を見せれば、まさか敵対しようとは思わないだろう」

 

 大戦略。これが成功すれば天下統一も目前であろう。だがその一方で、雲をつかむようなこの夢物語は、危険性も限りなく高い。穏は声を落として、おそるおそる聞いてみる。

 

「成功…するのでしょうか?」

 

 冥琳は自信に満ちた笑みを浮かべてみせる。

 

「絶対に成功する。私と雪蓮なら可能だ。荊州や華北には私たちが攻め込む。その時には、穏、お前と蓮華様に呉を任せるぞ」

「は、はい!」

 

 急に指名されて、驚きながら返事をする。彼女はこれほど楽観的な彼女の姿を見たことが無かった。

 冥琳は目をキラキラと輝かせて、夢を語り続ける。

 

「我らの結束、そして主君の器は天下一だ。そして蓮華様もいる。さらに小蓮様がお育ちになれば、もはや我らを止める者はいない。孫呉が天下に号令をかける日は近い!」

 

 穏はうっとりとした表情を浮かべていた。冥琳の話を聞いていると、その夢がまるで手のひらの中にもうあるかのようである。後は握るだけ。それほど確実なことのように感じられる。

 

「やりましょう!」

「ああ、やろう!」

 

 熱くなった二人はその眼差しを交わす。孫呉の軍師たちはその未来に向けて動き出そうと決意を固めた。

 蝋燭の芯がジリリと燃える音がする。自分の様子に恥ずかしくなったのか、冥琳は話を切り上げた。

 

「やれやれ、私らしくもない。今日はもう寝よう」

「はい、そうですねぇ」

 

 にこりと穏が微笑む。冥琳も口角を上げたまま、机の上を片づけようとした。

 その時だった。突然、廊下を駆ける音が聞こえ、誰かがこの部屋に走り込んできた。彼女たちがそちらを向くと、よく知っている少女が立っていた。

 明命だった。

 

「明命?」

 

 肩で息をする彼女を見るのは、久しぶりである。熱に浮かされたように顔を赤くし、カッと見開いた目は見るからに血走っている。この寒い夜中だというのに、その顔には汗が光る。

 それを拭うこともなく、彼女は口を開いた。

 

「め、冥琳さま……」

 

 その声音を聞いて、冥琳の身体に悪寒が走る。無意識に後ろの机に手をついて、その体を支えようとした。

 手を乗せた机が揺れ、その上に置いていた墨壺がかたんと転げる。

 

「あっ」

 

 転げる音に気が付いた冥琳は机に顔を向け、小さく声を挙げた。

 中から流れ出たどろどろとした墨汁は、無情にも冥琳の地図を黒々と染めていく。そしてその流れはとどまることが無く、蝋燭の赤い光に照らされる中、一筋の黒い川を作り出した。

 その川は見る見るうちに机を伝って伸びていく。そして黒い滴は机の端から暗い地面に、ぽたりぽたりと落ちた。

 

 

 

 

 


 
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