神宮の華は何故消えた
【目次】
・はじめに
・東京六大学野球の隆盛
・野球害毒論と甲子園
・野球統制令
・職業野球の誕生
・戦争と学生野球
・戦後の野球
・おわりに
【はじめに】
「プロ野球は日本で最も人気があるスポーツコンテンツの一つである」と言った場合、反論がある人はほとんどいないだろう。勿論ニュース内容如何ではプロ野球よりも大きく取り上げられるスポーツは数多くある。しかしながらプロ野球が日本でのスポーツに関する話題において、現在に強固な一角を担っていることは異論がない事実だ。
またこれに対して高校野球の人気も高い。とくに選手権大会、いわゆる「夏の甲子園」の注目度はプロ野球をも凌駕するといっても過言ではない。公共放送である日本放送協会が全試合をほとんど完全に生中継することからも、国民的行事と呼んで差支えがない大会である。
一方、東京六大学野球はどうだろうか。観客動員数にしても、メディアからの注目度にしても、プロ野球や高校野球本大会には到底及ばないのが現状だ。しかし
「戦前はもちろんだが、戦後も昭和二十年代は後楽園のプロ野球より六大学の神宮球場の方が観客が多」1
く、決してもとより人気が劣っていたというわけではない。むしろ
「早慶戦が日本スポーツ界最大のイベント」2
であった時期も存在する程の人気を誇っていた。それが何故現在は滅多に報道を見かけることがなくなってしまったのであろうか。
この話題でよく引き合いに出されるのが長嶋茂雄の存在だ。彼の卒業後(つまりプロ入り時、一九五八年)に観客が減少し始め、一九六〇年代になると一試合あたりの観客動員数がプロに逆転されてしまったからだ。長嶋が日本野球史上最高レベルの技量と人気を兼ね備えた選手であったのは確かで、彼の卒業が一つの契機となったのは間違いあるまい。しかしそれ以降、東京六大学の人気が衰退し続けたのにはまた別に、相応の要因があるはずだ。なぜならスターが消えればまた新たなスターが生まれてくるものだからだ。前任者の穴を完全に埋めれられるとは限らないが、それだからこそプロや甲子園は人気を保ち続けている。同様に東京六大学もスターが消えればまた新たにその穴を埋めるスターが輩出されてきたはずである。だというのに、この野球界の二大コンテンツに対して少なくとも人気の面では後塵を拝している。ということはもっと根底的に、組織として或いは娯楽として、プロ野球或いは甲子園とは異なる構図が東京六大学野球に存在する気がしてならない。
そこで本稿においては東京六大学野球・高校野球・プロ野球それぞれの発足とその発展を追いかけ、その比較を行うことで東京六大学野球人気低迷の原因を探ってみたいと考える。ただし頁数の制限上、本稿内では簡潔な説明しかできないことを先にお詫びしておく。それではまず東京六大学野球の歴史について述べていくとしよう。
1)松尾俊治 『神宮へ行こう』 慶應義塾大学出版会 2000年 p170
2)松尾俊治 『神宮賛歌』 朝文社 2011年 p35
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小説ではなくレポートです。
東京六大学野球の注目度がプロ野球・高校野球に対し大きく水をあけられてしまった要因を考えます。日本野球沿革史的なつくりを目指しました。