かつて、少女たちの手を取って舞台へと導いた少年は、もういない。
それでも、役者の数が揃わぬままでも、再び幕は上がる。
「あー、疲れたぁ。ねーねー人和、甘いもの食べにいこっ?」
「えー。おねーちゃんはー、甘いものよりゆっくり休みたいー」
「天和姉さんも地和姉さんも、好き勝手言わないで。ますは今回の巡業結果を計算して、曹操さんに見せないといけないんだから」
きゃいきゃいと言葉を交わしているのは、「数え役満☆姉妹」こと張三姉妹。
どうやら事務所に戻ってようやく一息、というところらしい。
「そんなのあとまわしでいーじゃないー」
「そーだそーだ! 甘いもので疲れをとる方が大事!」
「……今はもう、いないの。全部、わたしたちでしなきゃいけないんだから」
それまで、騒がしくも賑やかだった室内が、一瞬で静まり返る。
天和も地和も、吹き消された蝋燭の灯火のように明るさを無くした。
「れんほーちゃぁん。その話はー……」
「聞きたくないのはよくわかる。でも、もう受け止めないとダメなの。苦笑い浮かべながらでも文句一つ言わず、わたしたちの世話をしてくれた人は……もういないんだから」
ぽつりぽつりと、起伏の少ない声で語る人和。
少ない起伏からですら、彼女が必死になって抑えている激情は痛いほどに感じられた。
「そーいえば。明々後日にはまたおっきなお祭りがあるんだよねー!」
「……ええ。確か三国和平調停の記念祭があるわ。わたしたちにも声がかかってる」
しんみりとした空気を吹き飛ばすように地和が明るい声を上げ、人和もその流れに乗って次の公演に向けての準備を算段し始める。
「じゃぁさ、先にその準備して、それから今回の分と合わせて報告すればいーんじゃない?」
「そうね……それもいいかも」
算盤を弾きながらぶつぶつつぶやく末妹と、騒がしいくらい元気にあれやこれやの意見を並べ立てる次妹の声をどこか遠くに感じながら、長姉は窓から夜空を見上げた。
「…………一刀…………」
夜空を映しているだけで見ていない彼女の瞳は、闇夜を切り裂いて一つの光が流れ過ぎて行ったことを、知らない。
地方巡業から洛陽に戻ってきた翌朝、人和は天和と連れ立って城を訪れていた。
「しかし、珍しいわね。姉さんが私と一緒に城に行く、なんて」
「うーん、なんでかなー……。よくわかんないんだけど、なんでか今日はいこうって気になったのー」
自分でも自分の行動が不思議らしく、歩きながら盛んに首を傾げる天和。
ちなみにこの場にいない地和はというと、まだ事務所の部屋でぐっすりお眠り中だったりする。
「どいたどいたどいた! 馬が通るよー!」
心ここにあらずといった感じの天和と、そんな姉を心配げに見やる人和の耳に、突然の叫び声。
声の方に目をやれば、郭門の方から城門に向かって早馬が走っているのが遠目にも見えた。さっきの叫び声は通りにいる人が周りに注意を呼びかけるためのものだったらしい。
そうこうする間に人波が割れ、兵士を乗せた馬が二人のすぐ近くまで迫っていた。
「姉さん、危ないっ!」
「きゃぁっ!」
間一髪のところで、人和が天和の手を引く。
馬上から短くすまないと言い残し、馬を駆る兵士は振り返りもせずに城門の方へと走り抜けていった。
「ちょっとー。なんなのよもー」
あわや馬に踏まれるかもというところだった天和はご立腹なご様子。
が、そんな姉を尻目に、人和はあごに手を当てて思索にふけっていた。
「……姉さんの勘、外れじゃないかもしれないわ」
「えー? どういうことー?」
考え考え言葉をつむぐ妹だが、姉の方は何が何やらと目を回しそうな勢いだ。
「三国和平調停が成立している今、他国からの侵略は五胡以外ありえない。そして、大規模な侵攻があったのなら巡業していた私たちにわからないはずがない。なら、他に考えられる可能性は――……!」
自分で考えておきながらその内容が信じられないのか、人和はそこから先を言えないでいる。
そんな人和の手を、天和はそっと握った。
「? 姉さん?」
「お城にいきましょ? れんほーちゃん」
アイドルとしてファンに見せるのとは違う、心を許した者にだけ見せる、穏やかさと安らぎを与えるような微笑み。
「おねーちゃんが感じたなにかもー、れんほーちゃんが思いついたなにかもー、お城にいけば、きっとわかると思うのー」
「姉さん……」
こういうとき、人和は天和のことをやっぱり『姉』なんだと実感する。
普段どれだけわがままでも。
同じドジを繰り返したりしても。
この人は私の、私たちのお姉さんなんだと、そう思わされる。
「そうね。どうせ行かなきゃならないんだし。行ってみましょう!」
「うん!」
だから。その手をしっかりと握り返した。
天和と人和が城門にたどり着き、ちょうど顔なじみの兵士を見つけて話しかけようとしたとき。
城の中から凄まじい勢いで何かが飛び出していった。
その勢いは駆け抜けた後に巻き上がっている砂塵が物語っている。
二人はもちろん、門を守っている兵士ですら、あまりの出来事にただ呆然とするばかり。
沈黙に支配された場の中で、最初に口を開いたのは天和だった。
「れんほーちゃん……今のってー……」
「うん……曹操さん、だったと思う……」
「たぶん、間違いないでしょうね……」
人和に続き門兵までもが同意する。
砂塵に紛れてわかり辛くなってはいたが、特徴的な金色の巻き毛を三人ともしっかり目に捕らえていた。
「あの曹操さんがこんな真似をするなんて……やっぱりこれは……!」
いつも冷静で、どちらかというと無表情に近い人和の顔が、今は赤く染まっている。
そこにまた新たな人影が姿を現す。
「はぁっ……もう……行かれて、しまった、のか……」
さっきほどの勢いではないが、それでも全力疾走してきたらしく息を切らせているのは、華琳の片腕とも言われる秋蘭だった。
もう追いつけないと判断したのか、膝に手をつき、呼吸を整えている。
「夏侯淵さん!」
「お前たち……は……張、三姉妹、か……」
応えるのも苦しそうで、胸を大きく弾ませている。
「巡業の報告と、明後日の記念祭での公演について打ち合わせを、と思って来たんですけど……」
「そうか……。だが、すまない。どうも、それどころでは、なくなりそうだ……私自身、ついさっき、耳にした、ばかりで、まだ、半信半疑な、話なのだが……」
まだ言葉を途切れさせながら、それでも告げようとする秋蘭の言葉を
「一刀が、帰ってきたんだねー」
天和が代わりにつぶやいた。
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ええっと。
以前要望がありました、張三姉妹について。
外伝というか番外編みたいな形になっちゃいましたけど、書いてみました。
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