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真恋姫無双二次創作 ~盲目の御遣い~ 廿玖話『椿事』後編

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真恋姫無双二次創作オリ主呉ルート最新話です。
オリジナルの主人公及び恋姫、作者独自の解釈によるキャラの変化、etc、そういったものに嫌悪感などを覚える方はブラウザバック推奨です。

前回の大まかなあらすじ

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2014-06-25 05:37:10 投稿 / 全20ページ    総閲覧数:9511   閲覧ユーザー数:7477

「あ、桃華様―――はぅあっ!!だ、大丈夫ですかっ、 顔色が凄いことになってますよっ!?」

「お待たせ、朱里ちゃん……うん、大丈夫。緊張が解れてきちゃっただけだから」

 

孫呉陣営の外れにて、落ち合う人影が二つ。千鳥足のような覚束無い足取りで、ふらふらと近づいてくる桃華の土気色じみた顔色を目の当たりにした途端、朱里は血相を変えて彼女へと駆け寄った。

そんな彼女を視野に入れた事で、張り詰めていたものが一気に弛緩したのだろう、桃香は腰が抜けたと言わんばかりにその場にぺたんと膝をつき、そのまま地面に座り込んでしまう。そして、飽和していた息苦しさを開放するように、大きな溜息を吐きながら、

 

「はぁ~、怖かったよ~……」

 

それは先ほどの啖呵が彼女にとって、精一杯の強がりであったという、何よりの証拠。見てくれを繕っただけの、その場しのぎの突貫工事。だが、それは決して華雄を欺いたり、これ以上傷つけたりするためでは、決してない。今の自分には、これが文字通りの”精一杯”だったのだ。

船は大きくなるほど、船員が増えるほど、舵を切るのは難しい。それまで進んできた慣性、所謂”流れ”というものがある。急激に舵を切ろうとすれば、下手をすれば転覆の可能性すらある。例え、それまで進んできた航路が間違いであったと気づいたとしても、直ぐ様正規の航路に向けて急旋回させるのは、容易なことではないのだ。

ただ、不幸中の幸いと言うべきは、

 

「……お疲れ様でした、桃香様」

「うん。有難う、朱里ちゃん」

 

まだ、二度と戻れなくなってしまうほど、大きく外れてしまったわけではない、という点だろうか。

皆が笑って暮らせる世界を目指して、たった三人から始まった自分たち。いつしか賛同してくれる仲間も増えて、自分たちは”正しくあれているんだ”と、錯覚してしまっていたのかもしれない。盛大に広げすぎた私たちの”帆”は、悪評という風すらも受けて、殊更に勢いを増してしまった。それに気づいたほんの一部、朱里ちゃんや雛里ちゃんたちだけでは、もう舵を制御できなくなってしまったほどに。

 

「朱里ちゃんこそ、もうお姉さんとは、いいの?」

「あ……はい。もう、大丈夫です」

「――そっか」

 

その、不意に溢れた晴れやかな笑顔に、もう強張りは一切含まれていなかった。反董卓軍に参加して以来、ずっと険しいばかりだったその表情は、年相応の女の子のそれに戻っていて、それだけこんな小さな女の子に負担を強いていたのだと自覚して、酷い罪悪感に苛まれてしまう。何が義勇軍か。何が皆の笑顔か。こんなに近くにいる女の子一人の顔すら、曇らせていたというのに。

 

(悔しいなぁ)

「桃香、様?――はわっ!?」

 

今の自分は、とてつもない敗北感に包まれている。悔しくて、悔しくて、仕方がない。

じっと、朱里ちゃんの顔を見つめる。不思議そうに首を傾げて見つめ返してくるこの子に両手を伸ばして、そのまま抱き締める。不意をつかれて暫くもがいていたけれど、直ぐに諦めて脱力してしまった。小さく”こういう日なのかなぁ”と呟いていたけれど、藍里さんにも同じようなことをされたのだろうか。きっと、そうだったのかもしれない。

 

(私、勝てるのかな……ううん、こんな弱気じゃ駄目だ)

 

私は、勝たなきゃならないんだ。追いかけて、追いついて、追い越さなければならない背中を、ようやく見つける事が出来たのだから。

”あの人”のようになりたい。抱き締める両腕を強めながら、決意を新たに夜空を見上げ、思い出す。つい先ほどまで顔を突き合わせていた、今にも壊れてしまいそうな、儚い笑顔を。そして、

 

(いつか、勝ちたい。あの人に)

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

――私、絶対に負けませんからね。

 

「何が『負けない』だ……あの女、言いたい放題言ってくれた挙句に、さっさと帰りおって」

 

何十、何百、ひょっとすると何千もの苦虫を噛み潰したかのような苦渋の表情で、華雄ははっきりと吐き捨てた。

どれほどの理屈を並べ立てられようと、どれほどの誠意を見せつけられようと、自分の主を、仲間を、部下を、貶し、貶め、死へと追いやった者をどうして許せようか。理屈でどうこう出来る問題ではないし、どうこうしていい問題でもないのだ。

奥歯が砕けそうなほどに噛み締め、爪が食い込みそうなほどに握り締める。(はらわた)の中が煮えくり返り、沸騰した血流が頭頂まで一気に上昇、怒号が皮膚を突き破って頭蓋が破裂してしまいそうな、そんな感覚を覚えている。

だというのに、

 

(あの時、何故か私は踏み止まった)

 

得物を手にしていなかったからだとか、そんな理由ではなくて。横っ面を思い切り殴り飛ばしてやる程度では全く物足りないないくらい、憤っていた筈なのに。

何故か、と自問自答するが、答えが出ない。今にも降り出してしまいそうな暗雲立ち込める曇天を仰ぎ見るように、自ずと飲み込まれてしまいそうな深い深い井戸を覗き込むように、そこに晴れやかさの類は一切合切存在しておらず、その先に在るはずの澄み渡る青空を探して、その奥に待つはずの澄み切った清水を求めて、私はより高みへと、より深みへと、手を伸ばす。それでも、指先は何かを掠めるどころか、触れることすら無くて。それどころか、探る度に泥濘の中を我武者羅に掻き回しているだけに思えて、余計に戸惑いと苛立ちが募る。

自分のことは自分が最も解せないものだとは聞いているが、今までそのような事を気にした覚えはなかった。それだけ私が考えなしだったという証拠でもあるので、今更ながらそれを恥ずかしく思ったりもしているのだが、この戸惑いと苛立ちの原因は、どうやらそれだけではないようで。

 

(私は一体、どうしたというのだろう)

 

胸糞悪くはないが、気持ち悪い。自分がどうしたくて、どうしようとしているのか。自分はどうなってしまって、どうなろうとしているのか。芋虫が蛹になった時、あるいは、植物の種子が土へと落とされた時、このような感覚を覚えるのではないだろうか、と考える。他人からすればそれを”成長”と見るのかもしれないが、当の本人にとっては苦行以外の何物でもない。事実、蛹は一見強固なようで、実の所は相当に無防備だ。自ら動くことすら叶わず、ただひたすらに待つことしか許されない。種子はそもそもからして、その場から動くことそのものが有り得ない。中には風や虫に種子を運ばせる種類もあるらしいが、一度根付いてしまえばそこまで、である。

ひょっとすると、私のこの悩みも、解決してくれるのは”時間”だけ、なのだろうか。そんな一抹の不安が、脳裏を過ぎる。

 

「華雄さん?」

 

座して待つのみ、というのは私の性に合わない。落ち着きがない猪、と幾度となく揶揄されたり窘められたりされて来たし、今回もそのせいで戦局を相手方に大きく傾けてしまったのは事実だ。自分の大きな欠点である、という自覚もある。

だとしても、私には自分を抑え込むという真似は、出来そうにない。それは引いては、自分を”欺く”事へ繋がると、私は考えている。そのような腹黒い真似は、私には不可能だと思うのだ。

武官とて、そういった事が出来るに越した事はない、と解ってはいる。だが、そういった”雑念”を戦場へと持ち込む事は、得てして自身を縛り付ける”錆”のようにも思えてならない。私には、この”武”以外に何も無いのだ。節々を軋ませ、刀身を鈍らせた状態で、どうして全力が発揮できようか。どうして、自身の存在意義を、削ぎ落とせようか。

 

「大丈夫、ですか? 華雄さん」

「……いや、済まない。愚考に耽っていただけだ。私らしくもなく、な」

 

話を戻す。要するに”ただただ待つのみ”という選択肢は、私には有り得ないのだ。

待てば事態が好転する、という保証が何処にあるというのか。余計に状況が悪化する、とは考えないのだろうか。本当に”今”出来る全てを果たしているのだろうか。そのような衝動が、常に私を突き動かそうとしていて、それに抗おうとする事は、他ならぬ”自分自身”に嘘を吐いているように思えてしまって。

今の今までそうしてきて、まともな結果に落ち着いたことなど、まず無かったというのに。その度に、己の堪え性の無さに対して、自己嫌悪に陥ってきたというのに。

 

「傑作、だな。下手の考え休むに似たり、と何度も口を酸っぱくされていたというのに。私のような猪武者が、滑稽だろう? 笑ってやってくれ」

 

頭を振って、馬鹿げた考えを振り払う。

猪は所詮、猛進の可不可のみ考えていればいいのだ。私に必要なのは愚考よりも忍耐力の方なのだろう。並大抵の障害で止まってしまうような柔な突撃ではないが、流石に剣山へと突っ込んでしまえば串刺しの出来上がりなのだから。

いつの間にやら相当に強張っていた両肩から力を抜き、溜息と共に苦笑する。笑い飛ばして欲しいと、そう思った。茶化してしまいたかった。何やら、照れ臭いというか、恥ずかしいというか、謂れもなく居た堪れなさを感じるのだ。

他人に何かを期待するなど、いつ以来だろうか。長らく、そんな覚えがない。早くに亡くなったのも手伝って、家族にすら甘えた記憶もほぼ皆無に等しい。それ故か、私は何てことのない日常的な感情や怒りこそすれ、喜びや悲しみのような、他人から見て親しみを覚える感情を、本当の意味で他人に顕にした事が異様に少ないようにも思う。

ともあれ、何故か北条の前でおいそれと感情を見せるのを、何処か躊躇っている自分がいる事に気づいて、私は誤魔化そうと若干早口でそう言って、

 

 

 

 

 

 

「――いいえ。決して、笑いませんよ」

 

その笑顔に私はふと、垣間見たような気がした。

 

 

 

 

 

 

『貴様に、守りたいものはあるか?』

 

私が初めて地に伏せられた女、孫堅は、私を見下ろして、笑った。

 

『確かに貴様は強い。だが、それだけだ』

 

まるで、親が子を諭すように、師が弟子に説くように、あまりに端的にそう言って、笑った。

 

『貴女は、どうして強くなったんですか?』

 

私が初めてこうべを垂れた主、董卓様は、私を見上げて、笑った。

 

『私は、皆の笑顔が好きなんです』

 

まるで、子が親に問うように、弟子が師に乞うように、あまりに無邪気にそう言って、笑った。そして、

 

「”迷う”ということは、確かに言葉や力を鈍らせます。停滞や、ともすれば後退の原因になりかねません。でも、”考える”ということは違う」

 

私が説き伏せられた男、北条白夜は、私を”視”据えて、笑った。

 

「貴女は今の自分に不満を抱いていて、それを打開しようと必死に”探し”ているんです。それはきっと、貴女にとっての”剣”であったり、”盾”であったり、ひょっとすると”道”となって、貴女の未来を指し示してくれるのかもしれない」

 

私を見下し嘲笑(わら)ったのではなく、私を”視”つめて微笑(わら)ったのだ。

 

「それが一体何なのか、解らなくて怖くもあるでしょうけれど、それは決して悪いことではないんです。停滞や、ましてや後退なんてことは絶対に有り得ない。ほんの微かでも、貴女は今、”前進”しようとしているんです」

 

今まで、私の言葉をこれほど真っ直ぐに受け止めて、真っ直ぐに投げ返してくれた者が、果たして何人いただろうか。片手の指の数にも満たない、本当に数名なのではないだろうか。

 

「だから、私は貴女を笑いません。笑ってあげません。考えることから逃げたり、誤魔化したり、忘れたりすれば、確かに楽にはなれるでしょう。……でも、華雄さん自身がそれでいいとは思っていないからこそ、私に”笑ってくれ”と頼んだ。違いますか?」

 

全身を満たしていた憤慨や困惑が、まるで桶を引っ繰り返して冷水を頭から引っ被ったように、すぅっと流れ落ち、足元から大地へと抜けていく。とっくに身体は脱力しきっているというのに、更に何かが抜け落ちてしまったような、そんな気がする。”拍子抜け”だとか”間抜け”だとか、そういった類の言葉は、きっと今の私のような状態を指すのだろうと、思考の片隅で考えている自分に気づく。

だからこそ、なのだろうか。それとも、この男の持つ独特の雰囲気に絆されてしまったのか。

 

「……一つ、聞かせてくれないか、北条」

 

尋ねてみたくなってしまったのは。

問うてみたくなってしまったのは。

 

「お前は例えば、自分が”芋虫”や”種子”だったとしたらと、そう考えた事はあるか?」

 

 

 

 

……………………

 

 

 

<cf>

 

曹操軍(じぶんら)やない? どういうこっちゃ?」

「言葉通りの意味よ。貴女を射殺そうとした愚か者は、我が軍に所属している兵士では無かった、と言っているの」

 

それは、当然の疑問に眉間に皺を寄せる霞に対して不遜であったり、それでなくとも長であると捉えられても仕方がない、実の彼女らしい物言いだった。しかしそれだけに、彼女がそれだけ確固たる自信に溢れている事を示していた。

これで、もし相手が曹操でなかったならば、霞もおいそれと信じたりしなかっただろう。片やつい先日まで殺し合っていた敵将の親玉。片やその敵将に負け捉えられた捕虜。信じろ、という方が無理な話である。図らずしてそれは華雄と白夜の関係にも当てはまる訳だが、華雄が白夜に対してそうであったように、霞もまた曹操に対してこの短期間で一定以上の信頼を抱いていた。少なくとも、そのような茶地な誤魔化しに出る真似をする人物ではない、という程度には。

 

「……理由(わけ)を、聞かせてもらおか」

 

とはいえ、手放しに信頼できるはずもない。そのように語るのならば、それなりの根拠というものを示してもらわねば。

 

「そうね、どこからどう説明したものかしら」

 

そのように言いながら、曹操はほんの微かに考えるような素振りを見せて、次のように話し始めた。

 

「私の部下たちはね、とても優秀なのよ」

「……何や? 自慢話でもおっぱじめるんやったら、ウチは帰んで?」

「いいから、黙って聞いていなさい。優秀な指導者の下に優秀な部下が育つのは必然。でも、優れた将と優れた指導者は違うもの。そうよね?」

「……そやね」

 

ただ武力が強ければで良いのなら、呂布()はこの大陸で最高の指導者である事になる。確かに彼女の部下たちは自他共に認める勇猛果敢な精兵揃いである。だが、彼女自身がその部下たちを育て上げたのか、と聞かれれば答えは”否”だ。元々彼女に付き従っていた者たちを中心にまとめ上げられた部隊ではあるが、”彼女自身が鍛えた”というよりは”周りが彼女に追いつこうとした”という方がしっくりくる。それもある意味では優れた指導者であると言えるかもしれないが、それはごく一部の、一騎当千とは言わずともその領域まで踏み込めるような一廉(ひとかど)の人物に対してのみ適用される。

ならば頭が良ければ良いのか、と言われればそういう訳でもない。ただそれだけなのならば、将の知識量と部下の精鋭さは比例していることになる訳だが、それこそ呂布や華雄の部隊の強さの説明が付かなくなってしまう。彼女たちは決して賢い方ではない。人を教え、導き、育て上げるという事は、ただ知識があれば成せるような簡単な事ではないのだ。

 

「そういう意味では春蘭、夏侯惇は”優れた指導者”とは言えないわね。どちからと言えば秋蘭、夏侯淵の方が、そういった素養はあると言える。ここまではいいかしら」

 

黙って首肯し、続きを促した。

 

「結構。では、優れた指導者に最も必要な要素とは何か、解るかしら?」

「必要な、要素?」

「そう。それは、元々自然体でこなせている者もいるし、例え持ち合わせていなくとも努力次第で補う事は決して不可能ではない”ある事”なのだけれど」

「…………」

 

考えてみる。先ほどの通り、単なる武力や知力ではない。必要条件ではあるが、十分条件ではないわけだ。”知識”というよりは”知恵”だろうか。どのような不測の事態が起こるか解らない教育を行う以上、頭の回転の早さは必須になるだろう。

それとも、もっと単純に考えれば良いのだろうか。だとすれば、自分が必要と考えるのは、

 

「信頼、関係?」

 

満足そうな表情ではないが、曹操が返答として笑顔を作った点を見る限り、大きく的を外れた訳ではないようだ。

 

「互いを知る事。結局のところ、それに尽きるわ。武力、知力、思考、それぞれの癖。要するに、どのような能力の持ち主なのかを識る事。過小な評価も過剰な期待もせず、己が持つ全てをもって使いこなし、使いこなされて初めて、最上の成果を紡ぎ出す事が出来る。少なくとも、私はそう確信しているわ」

 

使いこなし、使いこなされる関係。ただこれだけを耳にしたならば、まず大抵の人間が不快感を覚えるだろう。事実、霞自身も最初はその関係性を”(いびつ)”と捉えていた。しかし、夏侯惇との一件でも解るように、彼女たちにとってはそれが信頼の形なのだ。自らを”第一の剣”と誇る夏侯惇。その”(夏侯惇)”を労わり慈しむ曹操。それはまるで、幼き頃より手に馴染む愛刀を丹念に研ぎ澄ませ、丁重に刀身を磨き上げるかのような”愛着”や”愛重”を感じさせた。

飛龍偃月刀(自分の得物)を思い浮かべる。切れ味、重量、寸法から意匠に至るまで、強い思い入れと使い心地の良さを感じている。今更になって突然、他の武器で戦場に臨めと言われたならば、生還出来る確率は少なからず下がる。扱いを心得ている得物の心強さは、武に覚えのある者であれば言わずとも理解出来るだろう。それは阿吽の呼吸が成り立ったり、背中を預けることの出来る戦友のような頼もしさとも言える。その価値は価千金。正に、鬼に金棒。納得は未だしかねているが、理解は出来なくもなかった。

 

「で、それがなんやっちゅうねん?」

「あら、伝わらなかったのかしら」

 

それはそれは愉快そうに笑顔を深めて、曹操はからかうようにこちらを見ながらそう言って、更に続けた。

 

「先程は私の陣営内で素質の優劣を例えたけれど、私はあの娘達の中でそういった素質を持ち合わせていない娘は一人としていないと思っているわ。そうでなくては、私が魅力を感じる筈がないもの」

「――あぁ」

 

なんとなく、彼女の言わんとしている事が解った。

要するに、自分の部下たちは少なからず”指導者”としての才能を秘めている。即ち自ずと部下たちを識ろうとする、あるいはその為の努力を積み重ねられる娘たちである、と言外に示している訳だ。

そして、それはつまり、

 

「そんな私の可愛い部下たちが誰一人として、あの兵士の亡骸を見て”私の部下”どころか、”見覚えがある”とすら言わなかったのよ。部下であるか否かならまだしも、見覚えすらない兵士など、私の部下にいる筈がないのだから、あの兵士は私の部下ではなかったと、そう言えるのではなくて?」

「…………」

 

字面だけで見れば明確な根拠など何一つとして無く、だまくらかすための虚言でしかないはずのそれは、しかし彼女に二の句を継がせずに信じさせるだけの”力”に満ちていた。これほどの短時間でそれだけの”何か”を、この曹操という少女は霞の中に植え付けてしまったのだ。

思い出す。董卓と、あの心優しい少女と初めて出会い、この偃月刀を預ける事を誓ったあの日。絆された、と言ってしまうと聞こえは宜しくないが、彼女のそれを私が信じたくなったように。

曹操のそれは、決して”優しさ”などというものではない。強いて言うならば、そう、”真摯”とでも言えばいいのだろうか。何処までも正論。何処までも正道。何処までも正面。何処までも正行。時にそれは異端であったり、冷酷であったり、滑稽に見えたりもするのだろう。

 

――しかし、いや、だからこそ、堪らなく惹かれる何かを、霞は感じていた。

 

常に正しくある事など不可能。様々な知識、倫理、道徳を学び、身に付け、それでも尚、過ちを犯すのが人間である。どれほど正しくあろうとしても、必ず何処かに綻びはあるのだから。

だというのに、彼女のこの力強さは何だろうか。荘厳な石造りの鐘楼を見上げるかのような、深奥に聳え立つ巨木の根元に立つかのような、この錯覚は何だろうか。身の毛が総立ちするような緊張感と同時に、心身共に引き締められるかのような高揚感を覚えている。不思議な気分。覚える感覚は同じなのに、その要因、経緯がここまで違うとは。

俗に言う"心酔させる資質(カリスマ)"。後に白夜によって大陸に広まる支配者、統率者としての資格を指す言葉であるが、現時点での霞が知るはずもなく、ただただ自分よりも小身且つ華奢な少女に、しかし不思議と肯定の返答以外を返す自分が全く想像出来ずにいた。

 

「――ははっ」

 

堪らない。背筋を上り詰めてくる電撃のような感覚。それは確かな、快感。脳髄まで痺れてしまうような、鉄槌の如き衝撃。強い酒を一気に仰いだ時のように、全身を巡る血が煮え滾る。今、きっと自分の顔は、恋に焦がれる初心な少女のように紅潮している事だろう。

 

「えぇなぁ」

 

しかし、その表情は少女などという生易しいものではない。剥き出しの犬歯。三日月状に歪む唇。笑顔は本来、敵意と殺意に満ちた狩人の表情だという。絶好の獲物を目の当たりにした歓喜なのか。仕留めた後でじっくりと味わう様を既に想像しているからなのか。それとも、ただ単に捕食者としての衝動に身を任せているだけなのか。

ともあれ、霞のそれは捕虜が鹵獲した大将相手に浮かべるものでは、決してなかった。そして、

 

「ふふっ」

 

それを枝垂れ柳もかくやと言わんばかりに受け流す曹操もまた、曹操である。傍から見れば袋の鼠。蛇に睨まれた蛙。枷の一つも噛ませない理由は、白夜が華雄にそうしたような”信頼”などではない。例え喉元に噛み付かれようが、それを引き剥がし真正面から叩きのめせる確固たる”自信”に基づいている。単なる歓喜ではない。その微笑みは、ともすれば愉悦の段階まで踏み込んでしまっている。否、自ら望んでその領域に身を置いているような。

 

「えぇわ、信じたる。曹操(アンタ)がそう言うんやったら、そういう事なんやろ?」

「えぇ、その通りよ」

 

無根拠。無自覚。その上で尚、成り立つ何か。普通ならば信頼なのだろうが、彼女の場合は違う。あくまで信用。信じて頼るのではなく、信じて用いる。道具は生まれた意味を十割、存在する意義を完璧に果たして初めて、それだけの価値を持つ。完全に使いこなす主と、素晴らしく優れた道具が揃ったならば、それに勝る組み合わせが、早々ある訳がない。そう簡単にあってはならない。有り得ていい筈もない。そんな稀有な存在が今、常人であれば即座に熱射病で昏倒するような自分の殺気に中てられて、しかし心地好い涼風でも浴びているかのように、平然と微笑んでいる。認める他にない。この女は、己が槍を預けるに足る傑物である、という純然たる事実を。

 

「でも、せやったら一体誰がやったっちゅうねん?」

「あら、ある程度の予測はついているのではなくて?」

「…………」

 

解っていて当然、そういう表情を浮かべて、曹操は煽るようにそのような口振りで返す。そう、思い当たる節はある。というより、昇りきっていた血が冷めた今だからこそ、冷静になって考えられた、というべきか。むしろ今の今まで全く思い浮かばなかった事に自分への苛立ちすら覚える。それほど怒り心頭に発していた、と言ってしまえばそれまでだが。これでは、華雄をどういう言える立場ではないではないか。

 

「あんの、糞爺どもがっ……」

 

連合軍以外に自分たちが邪魔な連中が、他にいよう筈もない。体のいい”蜥蜴の尻尾切り”。要するに、生餌にされた訳だ。

 

「恐らくだけれど麗羽、袁紹に連合軍の結成を示唆したのも”彼ら”であると、私は踏んでいるわ。貴女達は彼らの予想していた以上に登り詰めてしまったのよ。蹴り落とさなければならない”目の上の瘤”になるほどに、ね。そこで自分が登り詰めるのではなく、引き摺り下ろそうとするのが、彼らという存在なのだから」

 

そういう輩が吐き気を催すほどに嫌いだと、言葉にせずとも察せるほどに表情を歪めて、曹操は言う。

あの老獪どもの面構えは思い出すだけでも腹立たしい。先の帝様が幼い跡継ぎを遺して亡くなってしまったのを良い事に傀儡の繰り手にならんとしているのが自分でさえも解ってしまうほどなのだから、堪ったものではない。少なくとも、叶うなら今、この場で串刺しの風穴まみれにしてしまいたい、と思う程度には。

 

「いずれ必ず、私たちを顎で使った報いは受けさせるわ。その時の先陣は、貴女に頼もうかしら」

「是が非でもそうしてや、挽肉に変えたんで。…………」

 

主を、部下を、仲間を、自分達が甘い汁を吸う為に大陸一の悪人に仕立て上げた罪は重い。二度とお天道様を拝めなくしてやる、と決意を新たに固め、この”茶番”に散らされていった命たちを思う。気が置けない、好き者たちばかりだった。杯を交わし、背中を預け、永くに渡って共に駆け抜けた者もいた。同じ御旗の下に、その身命を賭して戦ってくれた同胞(はらから)たち。そして、

 

(ゆえ)っちと賈駆っち、無事に逃げ切れたんやろか……それに)

 

この身を削り、時間を稼いで逃がした我等が主。そして、その主への忠誠故に憤怒の炎を燻らせて無謀にも敵陣へ独り飛び込んだ戦友(とも)。何処まで愚かなのかと呆れ返るその裏で、あれほどの激情に身を任せられるのを多少なりとも羨ましく思う、その在り様。あの関羽の罵詈雑言もまた、恐らくは計略の内なのだろう。そのように理解はしている。だが、

 

(華雄。お前、ホンマに阿呆やけど、ホンマにえぇ奴やわぁ……)

 

本当ならばあの時、自分も堪えたくなかった。踏み止まりたくなかった。違うのだ、と声を大にして、あの口を縫い付けてでも黙らせてしまいたかった。破裂しそうに膨張した心臓は喧しい程に鼓動を鳴らし、煮え滾った血流が全身を巡って自身を業火へと化してしまいそうなほどで。

 

(今やから言う。あんがとぉなぁ……)

 

今、こうしてこの場で生きている幾分の一かは、こうして未だに憤怒の感情を抱いていられるのは、あの時の彼女が自分の憤怒をも引き受けてくれたから、というのもあるように思えるのだ。彼女が何の躊躇もなく飛び出して行ったからこそ、自分までもがこうなってはならないと戒めることが出来たようにも、思えてしまうのだ。

奥歯を噛み締め、俯く。曹操がこういう時に下手に同情の言葉をかけず、黙って見守っていてくれるような人物でなかった事に静かに感謝しつつ、どれくらいの時が経ったかも解らなくなった頃、

 

「――か、華琳様」

「あら、桂花。どうしたの?」

 

どこか遠慮がちに入ってきたのは、確か荀彧と名乗っていた曹操軍の軍師の一人だった。あの猫耳を彷彿とさせるような被り物が特徴的で、直ぐに思い出す事が出来た。そして、

 

「――お耳に入れておきたい事があります。あの男、北条白夜について」

 

 

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

考えた事は、無いだろうか。

いつか華麗な蝶となって華やかに空を飛び回る日々を夢見て、ひたすらに地べたを這いずり回りながらも、ふと自分が蝶なんかではなく、蛾の幼虫かもしれないのでは、と。

いつか綺麗な花となって鮮やかに蕾が花開く未来を夢見て、ひたすらに暗闇の中で待ち続けながらも、ふと自分は花なんかではなく、毒草の種子かもしれないのでは、と。

 

「もし、自分が思う夢や理想が、端から叶う事など到底有り得ない、荒唐無稽なものだとしたなら。そのように考えてしまう事は、無いだろうか」

 

降り注ぐ陽光の下、優雅に舞い踊り、咲き誇る日がいつか来る。そう、どれほど強く信じていても、心中にはふと暗雲が立ち込める。強く大地を踏みしめているのに、それが古びた吊り橋のように思える瞬間。遠くに見える光を目指しているあまり、足元が脆く崩れ去っていくような錯覚。見れば解るほどの腐食に、聞けば解るほどの軋みに、愚かな私が気づいていないだけなのではないか。

だが、それでも私には”直進”以外に選択肢が思い浮かばないのだ。邪魔をするもの全てを蹴飛ばし、跳ね除け、飛び越え、打ち砕く事しか、選べそうにないのだ。それはきっと、傍らから見れば無駄に足掻いているような、無為にもがいているような、児戯にも等しい愚かな行為なのではないか。

不鮮明や不明瞭への不信感と不安感。誰しもが抱いて当然のそれは、しかし華雄は当然と捉えられなかった。それは無知故の愚行か、進歩故の困惑か。

 

「私は、何度もある。ひょっとすると自分は、有りもしない幻を追い求めているだけなのではないか、と。……お前は、どう考える」

「…………」

 

暫く口を閉じ、左手を右肘に、右手を顎に添えたいつもの姿勢で考える白夜を、華雄はまるで覚えのない失敗を咎められた子供のように不安げな視線で見つめていた。だが、やがて。

 

「――それは、そうなった時に考えます」

「……何だと?」

 

予想していた以上に稚拙な返答をあっけらかんと言い放つ白夜に、華雄は唖然としてしまう。本来であれば”何を巫山戯た事を”と叱責する所だが、彼がこのような事を理由も無しに言う筈がないと知ったからか、それとも彼の持つ独特の雰囲気が自分の怒りを中和させてしまっているのか、何にせよ華雄は咄嗟に言い返しそうになるのを飲み込んで、続きを促して、

 

「確かに蛾は蝶に比べると、綺麗とは言えないかもしれません。でも、蛾は”光”に向かって、我武者羅に飛んでいる。ひょっとすると炎に飛び込んでしまうかもしれないのに、それを恐れずに飛び続ける。それは、とても凄いことだと思うんです。毒草だって、毒を持つのは他ならぬ自分自身を守るためです。それに、毒は使いようによっては薬にだってなりうる。大事なのは”どうなるか”じゃなくて、それから”どうするのか”じゃあないですかね」

「――――」

「未来なんて、解らなくて当たり前です。だから皆、考えたり、備えたり、足掻いたりする。いつか来る”その時”に味わう後悔を無くそうと、必死になれる。それは絶対に、無駄な事なんかじゃあありません」

「……そう、か。そう言ってくれるか」

「ご期待には、添えましたか?」

「あぁ、十分だ」

 

それは予想していた形とは違うが、それは確かな”解答”だった。

手探りで進めば良いのだ。壁に突き当ったなら引き返せば良い。足を取られたなら引き抜けば良い。空が曇ったなら灯りを点せば良い。霧が立ち込めたなら振り払えば良い。

長い間、自分の中で燻らせていた疑問。明かそうと思った事は無かった。賈駆や張遼に話した所で一蹴されるのが目に見えていたし、そもそもうじうじと悩むのは自分の性分に合わないと思っていたからだ。

だがもし、彼が真剣な答えを聞かせてくれるのならば、その時は――

 

 

 

 

 

――――椿(つばき)

 

 

 

 

 

「……へ?」

「椿。私の真名だ。我が、主」

 

人が呆気にとられた時の顔とは、予想以上に面白いものだ。初めて真正面から目の当たりにしたと思うが、これは中々愉快かもしれない。短気で頭も良くないのでと諦めていた自分が相手を弁論の類で手玉に取れた試しは無いが成程、これは少し、病み付きになるかもしれない。

 

「光栄に思うと良い。そこらの娘子とは、真名の重みが違うぞ、主よ」

「あぁ、えぇっと、主って」

「言葉通りの意味だ。お前に、我が身命の全てを預けると言っている、北条白夜」

「…………何故?」

 

北条が噛み砕くような暫しの沈黙の後に続きを促したので、答える。

 

「理由ならばあるぞ。お前は我が主を救おうとしてくれた。連合軍全体を敵に回すかもしれないというのに、な。そして、分の悪い賭けだというのに、それにも勝ってみせた。その実直さと豪胆さに惹かれた、というのもある」

「――はぁ、それは、どうも」

 

仄かに頬を染めるその様子は、戦での勝利とは違う別種の”歓び”を感じる。高揚感を感じている反面で、心は不思議なほどに凪いでいる。覚えがある。思っていた通りだ。

 

(嫌悪感は欠片もない。私は間違いなく、歓喜している)

 

惹かれた笑顔。魅せられた言葉。同じである筈のそれは、董卓様とは似て非なる”何か”。その正体を、知りたいと思う。

 

「我が一族の真名は、信頼だけでは足りぬ。”生涯を賭けるに値する”と認めた者にのみ、教えることを許される。この世で知る者は私を含め五人。両親と董卓様。そして」

「私、ですか」

「あぁ。主にはそれだけの価値があると、私は踏んだ」

 

この男には、奇妙な魅力がある。董卓様のような暖かさと包容力とは違う。全く異なっているのか、あるいは、董卓様以上の”何か”を持ち合わせているのか。

 

「我が主の一番槍、是非とも私が、承りたく。それとも、このような猪武者では、ご不満かな」

「……本当に猪なら、自分をそうは呼びませんよ。それに、私が見る事が出来るのは今までの貴女ではなく、これからの貴女です。というか、本当に宜しいのですか?」

「む、何がだ?」

「私の下に就く、という事ですよ。ただの文官見習いの私に、」

「ただの文官見習いの意見で、軍全体の方針を変えられるものか。私とて、それくらいは解る」

「あぁ……」

(自身を過小評価する所まで、そっくりだとはな)

 

成程。言い負かす優越感、というのも中々悪くない。

”力になりたい”。”放っておけない”。出会う順番が違っていたなら、あるいは。そう思える程に。

嗚呼、だからこそ私は”将”であり続けたいのだ。戦場に身を投じたいのだ。この”()”を預ける者を、この”手綱()”を握る者を、見出せた時のこの悦楽が、堪らなく愛おしい。

片膝を着き、頭を垂れる。自身が知りうる最上級の敬意。そして、私は心高らかに告げる。

 

「我が身命、我が魂魄、燃え尽きるその時まで捧げ続けると誓おう。我が主、北条白夜様」

 

表情は見えない。顔を伏せているのだから当然。だが、表情はある程度読み取れた。多少の身じろぎ。息の飲むような音。それだけで読んで取れる、困惑。

 

「ふふっ」

 

あぁ、本当に、堪らない。

いけないと解っていながら、身を任せたくなる誘惑。

 

(これは、目覚めてしまいそうだ)

 

 

 

 

 

………………

 

 

 

 

 

「董卓が、生きている、ね」

「はい。孫呉軍に忍ばせた草からの情報です。北条と華雄の会話から察するに、孫呉軍は董卓の死を偽装し、秘密裏に救出していたのでしょう。思えば、孫呉軍の兵士たちは洛陽を訪れてからというもの、何かしらの目的を持って迅速に事を進めているように伺えました。董卓軍の事情に精通した者を引き入れていたなら、それも納得できます」

「それにしても、あの猪を手懐けるとはね。普通の男では無いと思っていたけれど、そこまで大それた真似をやってのけるなんて、ね。……それで?その程度の報告は、別に今でなくとも良いでしょう?」

 

今、二人は何と言っていた?

 

(生きてる? 月っちも、賈駆っちも、華雄も、皆?)

 

信じて、良いのだろうか。嘘ではないのだろうか。いや、今更このような手間を費やしてまで、彼女たちが自分を騙す理由が無い。つまり、それは、

 

(生きてた……ホンマにあの娘等、助かったんや)

 

無駄では無かった、そう解った途端に、体からどっと力が抜け落ちていく。操り人形の繰り糸が切れたかのように両腕を垂らし、直ぐ傍の椅子にどさりと腰を落とした所でふと、視界が滲んでいる事に気がついた。

 

(ははっ、あかんなぁ。なんや安心したら、一気に来てもうた……)

 

目元を拭いながら、それを二人に悟られないように俯く。まぁ、とっくにばれてしまっているのだろうが、それでも隠そうとしてしまう気恥かしさは、どうしようもない。

 

「えぇっと、その、ですね。お気を悪くしないで、聞いて下さいますか?」

「あら、それは内容次第なのだけれど……一体、どうしたのかしら?」

 

そんな自分を尻目に――いや、放っておいてくれているのだろうが、報告を続けている二人へと耳を傾けて、

 

「その、気付かれていたようなんです」

「……へぇ」

 

それは、背筋に怖気が走るほど、獰猛な笑顔だった。思わず流していた涙も一瞬にして引っ込んでしまう程に。

 

「どうして、それが解ったのかしら。まさか捕まる程度の間抜けな兵だった、という訳ではないでしょうね」

「私が華琳様から承ったご命令を、そのような愚劣な輩に任せる事など有り得ませんっ!!」

「そう。なら、どういう事なのかしら?」

 

改めて、先を促す曹操。そして、荀彧は狼狽えながら答え、

 

 

 

――その、この会話を終えて陣地に戻る際に、北条は華雄を先に戻らせて、こう言ったそうなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――視てましたよね。私の事を、ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉に、曹操軍の密偵は戦慄した。

 

『有難う御座います。そろそろ、天幕に戻りましょう。楽器(これ)を片付けて追い付きますので、先に戻っていて下さい』

 

そう言って、訝しみながらも何処か愉快そうな華雄を先に戻らせ、珍妙な楽器を専用らしき入れ物に仕舞い込み立ち上がった、その直後。彼は見えない筈でありながら、こちらを真っ直ぐに”視”据えて、確かな”笑顔”で、そう言ったのだ。

 

「連合軍としての最初の軍議、総大将を決めたあの時から、私がこの場にそぐわない”異物”である事は解っていました。そんな私が何か突飛な行動を取れば、必ず誰かが私に監視の目を向ける、そう踏んでいました。そして案の定、貴方達はこうして私に監視の目を向けてくれた」

 

向けてくれた。即ち、この男はそのように自分達に仕向けたというのか。

 

「陣地から離れ、一人弔いの演奏をしていれば、放っておいても監視の目は私の方へ偏るでしょう。まさか、兵士の皆さんまで着いてきてくれるとは思いませんでした。素直に嬉しかったですし、それに好都合だった。貴方達は更に、私の方へと監視の目を割いた。おかげで誰にも悟られる事無く、董卓さんを秘密裏に救出する事が出来ました。有難う御座います」

 

ご丁寧に深々と礼をしてまで、感謝の言葉を述べ始めた。大して腕に覚えもないどころか、目を喪っているという大きな不利があるにも関わらず、平然と微笑むこの男に、何故か不気味な感覚を覚えている自分に気がついた。

 

「いらっしゃる人数は概ね予想通りですね。となれば、どちらの軍からの方かも概ね察しはつきます。少なくとも”仕方がなく””必要に駆られて”連合軍側についた方々。そうでなくては、私をここまで見逃す筈はありませんから」

 

ぞわり、とした。蛇に睨まれた蛙、というのは今のような状況を指すのだろうか。力関係で言えばこちらが蛇、奴が蛙である筈なのに、それが裏返っているように思った。この優男に”呑まれる”。そう、思ってしまった。

 

「私から皆さんに言っておきたい事は二つ。まずは先ほどの感謝。貴方達のお陰で、我々はほぼ予定通りに計画を進める事が出来ました。そして、もう一つ――」

 

そう言いながら、彼はゆっくりと下げていた頭を持ち上げて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――我々の下には、此度の”茶番”の”生き証人”が”三人”も居る事、どうかお忘れなきよう。今後とも皆様とは是非、”佳き隣人”でありたいものですね』

 

頑なに閉じていた瞼を開き、真っ白に染まりきった眼球で、こちらを真っ直ぐに”見”つめて、似つかわしくない程の獰猛な笑顔で、そう言ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………………

 

 

 

 

 

「――――ふ、ふふっ、ふふふっ」

「か、華琳様?」

「ふふっ、あっはっはっはっはっはっはっはっはっ!!」

 

呵呵大笑。正にその通りだった。火が点いたような盛大な笑い声。それは常日頃から沈着冷静な彼女にしては、相当に珍しいものであった。

 

「ど、どうされたのですか!? 気が触れてしまれたのですか!?」

「何を言っているのよ桂花。私は今、堪らなく悦んでいるのよ」

 

暫くの間、大笑いを続けた後、肩を震わせながら必死に堪えつつ、やがて口を開いた彼女は、実に愉快そうにそう返した。

 

「だってあの男、助け出しただけに飽き足らず、”牽制した”のよ? しかも私達だけじゃあない。今回の連合軍に参加した軍勢全てに対して”お前たちの弱みを握った”とね」

 

そう、それを察したからこそ荀彧は早急に彼女に伝えておこうと、こうして天幕を訪れたのだろう。

今回の連合軍遠征、自分達が”洛陽(帝の住まう地)”に攻め込んだ事実は変わらないのだ。大義名分である”洛陽の民の救済”はとんだ出任せ。それを知っていたと言おうが、”知らぬ存ぜぬ”を貫き通そうが、その事実は既に不変のものとなってしまった。そして、その事実を民は知らない。

 

「”洛陽の悪政など全くの出鱈目だった。連合軍はただ叩き上げが気に食わなかったという私欲に満ちた総大将と、その私欲に同意し加担した逆賊の集まりであった”。ただし、その逆賊達から良君董卓を救い出した勢力があるという。どうやら、孫呉というらしい”

……こんなところ、かしら?」

「華琳、様」

「今後、彼らに何かしらの”不都合”があった時、このような”噂”がどこからともなく流れてくるわ。人の口に戸は立てられない。根絶させようとしても鼠算式に増えていくでしょうね」

「し、しかし、余りにも穴だらけの理屈です!! 抜け道は幾らでも、」

「そう、やり過ごし方は幾らでもある。でも、それがもし、彼にとっても想定内だとしたら?」

「っ」

 

そう、引っかかるのは、彼が浮かべた”笑顔”。やれるものならやってみろ。そう言外に嘲笑われているかのような、余りにも見え透いた挑発。ただのはったりなのか、それとも蛙と侮っていた大蛇が大口を開けて待ち構えているのか。

 

「恐らく、今回の行軍中に彼らがとった方法は、普通ならば簡単に気づけたような単純な手ばかりだったのでしょうね。でも、彼が掻き乱し、混乱させ、正常な思考を阻害した。相当な綱渡りだったでしょうけれど、敢えてそれに孫呉軍は乗り、無事に切り抜けてみせた。それだけあの男が信頼を勝ち取っているという証。ただの凡夫にあの諸葛亮の姉を宛行う筈がない、とは思っていたけれど……ふふっ、何が軍師見習いよ」

 

再び、抑えきれなくなったのだろう。込み上がる歓喜に抗おうともせずに、曹操は再び、笑う。

 

「解る、桂花? 私、”脅迫”されたのよ。お前たちの弱みを握っているから、こちらに不利な真似をしてくれるな、と言われたのよ。私が今、どれだけ愉快か、貴女に解るかしら」

 

それは、まるでずっと欲しかった玩具を与えられた子供のような、純粋な笑顔。幼さと残忍さが同居する、酷く原始的な歓喜。この時を、どれほど待ち望んだだろうか。ひりついた喉に落とされる一滴の雫。渇きを癒すには足りない、しかし確かな水分。もっと、もっと。果たして貴方は、”それ”を与えてくれるのか。

 

「お願いだから、失望させないで頂戴。北条、白夜……」

 

剥き出しの犬歯。三日月状に釣り上がる唇の端。それは上等な獲物を視界に収めた、狩人のそれだった。

 

 

 

 

 

………………

 

 

 

 

 

 

 

嗚呼。

 

 

ついに。

 

 

やっと。

 

 

現れた。

 

 

現れてくれた。

 

 

願って良いのだ。

 

 

望んで良いのだ。

 

 

終わらせよう。

 

 

終わらせてしまおう。

 

 

この悪夢を。

 

 

この苦痛を。

 

 

その為にも、まずは。

 

 

「美羽様。必ずや、貴女を……」

 

 

彼女は、動き出す。

 

 

(続)

 

後書きです、ハイ。

 

お久しぶりDEATH。皆様お元気でしょうか。

年明けから何の音沙汰もなく、大変失礼いたしました。やっと1社、最終面接に残ることが出来ました、大絶賛就活中のゴリラ男子です。

数年に渡って書き続けてきた反董卓連合編は、これにてやっと完結です。最後の白夜の描写をどうするか最後まで悩んだのですが、彼の純粋な白でなく”塗りつぶされた白”という不気味さが皆さんに伝わっているのか、未だに不安です。こういう時、イラストが描ける人が心底羨ましくなるのですが、そこは最後まで文章で表現してこそ”管理者”の端くれ。出来れば最後まで遅筆ながら、文章媒体のみで頑張りたいと思います(と言いつつ一度白夜を自分で描いているんですがねw)。

はてさて、”盲目”は暫く拠点フルコースになります。前回までは登場キャラクターの公式順に書いていたのですが、今回からは順番を入れ替え、より小説形式に近づけた形で書けたらと思っております。次は一体誰の拠点で、どのような内容になるのか、予想しながらお待ち頂けたらと思います。

 

さて、とは言いつつもここからは暫く、1年近く更新を止めてしまいました”Just”の更新に集中したいと思います。恐らく恋姫SSは更新しても”蒼穹”になるでしょう。まずは”Just”第1章を終わらせ、他はそれから腰を据えてしっかり執筆したいと思います。どうかご理解の程を、お願いしたく。

 

それでは、次の更新はいつになるか解りませんが、年内に再びお会いできることを願いつつ、本日はこの辺で(ォィ

でわでわノシ

 

 

 

 

…………内定下さいお願いします。


 
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