No.696414

東武鉄道唱歌・2014(東武線の巻)

古淵工機さん

作詞:古淵工機
作曲:多梅稚

関東一の大私鉄たる東武鉄道。
信じられないかもしれませんが、東武鉄道にも鉄道唱歌はあったのです。

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2014-06-25 00:17:30 投稿 / 全6ページ    総閲覧数:1848   閲覧ユーザー数:1813

1.雷門(かみなりもん)も程ちかき 墨田(すみだ)の川に寄り添いて

 建てる白亜(はくあ)の駅舎より 始まる道は東武線

 

2.浅草いでてその次は 業平橋(なりひらばし)停車場(ていしゃじょう)

 右は新たな名所なる わが国いちの晴空塔(せいくうとう)

 

3.間もなくとまる曳舟(ひきふね)の 由来(いわれ)といいしその水は

 今や姿も見えずして 名のみぞ駅にのこりたり

 

4.この駅よりは乗り換えて 小村井(おむらい)吾嬬(あずま)うちすぎて

 次の亀戸(かめいど)水神(すいじん)の その御社(みやしろ)も程ちかし

 

5.はやも着きたる亀戸の (やしろ)ぞここにおわすなり

 東の宰府(さいふ)と呼ばれたる 天満宮(てんまんぐう)はここぞかし

 

6.また曳舟に立ちかえり 百花(ももはな)かおる向島(むこうじま)

 すぎればはやも荒川の ほとりに近き鐘ヶ淵(かねがふち)

 

7.瞬くの間に飛ぶがごと 堀切(ほりきり)牛田(うしだ)過ぎ去りて

 ゆけば程なく北千住(きたせんじゅ) 東武線路の(おこ)りの地

 

8.小菅(こすげ)五反野(ごたんの)梅島(うめじま)も いつしかあとに立ち去りて

 大師に名高き西新井(にしあらい) すぎればすぐに竹ノ塚(たけのつか)

 

9.谷塚(やつか)のつぎの草加(そうか)にて (ひさ)ぐは草加煎餅(せんべい)

 形屋(かたや)晒屋(さらしや)並びしも 今や宅地の建てるまで

 

10.松原(まつばら)新田(しんでん)蒲生(がもう)駅 連なる稲田昔にて

  今や市街のひらけたる 新越谷(しんこしがや)に着きにけり

11.越谷(こしがや)いでて聞こえたる 声のあたりをながむれば

  (かり)(かも)(さぎ)(はと)(すずめ) 群れいる様ぞおもしろや

 

12.見るも一興(いっきょう)その次は かねて音にも聞きつらん

  ここぞ武里(たけさと)一ノ割(いちのわり) 呑龍上人(どんりゅうしょうにん)生まれの地

 

13.列車ははやも春日部(かすかべ)の その停車場(ていしゃば)に着きにけり

 岩槻(いわつき)野田(のだ)船橋(ふなばし)も 行くはここにて乗り換えよ

 

14.姫宮(ひめみや)すぎて杉戸町(すぎとまち) 東武動物公園は

  この駅おりて程ちかし 北は宿場の跡もあり

 

15.和戸(わど)の駅へと着きねれば 施餓鬼(せがき)をもって著名なる

  高野(たかの)の村の松林(しょうりん)に 響くか鳥の()く声よ

 

16.米津(よねづ)が藩の置かれたる 久喜(くき)駅すぎてその次は

  関東最古(かんとうさいこ)大社(たいしゃ)とぞ その名に聞きし鷲宮(わしのみや)

 

17.花崎(はなさき)加須(かぞ)もうちすぎて はやも着きたる羽生(はにゅう)

  さらに進みて大利根(おおとね)を わたる向こうは上毛野(かみつけの)

 

18.つぎは茂林寺(もりんじ)青竜山(せいりゅうざん) 分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)の伝えあり

  鳥の(つど)いしその沼の 夏は(ほたる)の翔けるらん

 

19.今や(わらべ)息災(そくさい)を 願いし行事(ぎょうじ)のはじまりは

  徳松(とくまつ)公のおさめたる 城の置かれし館林(たてばやし)

 

20.醤油(しょうゆ)饂飩(うどん)麦落雁(むぎらくがん) 唐桟織(とうざんおり)(ひさ)げたり

  東武線路はこの駅を わかれて進む三方面

21.渡瀬(わたらせ)田島(たじま)うちすぎて 下ればはやも佐野(さの)(まち)

  朝日長者の説話(せつわ)ある 弁天池やみてゆかん

 

22.さらに堀米(ほりごめ)吉水(よしみず)に 田沼(たぬま)多田(ただ)もあとにして

  はやもつきたる葛生(くずう)には 石灰岩の石場(いしば)あり

 

23.また本線にたちかえり 多々良(たたら)の沼を左にて

  (あがた)福居(ふくい)和泉(いずみ)駅 すぎればここぞ足利市(あしかがし)

 

24.ここは歴史に名の高き 足利氏(あしかがうじ)のゆかりの地

  儒学(じゅがく)を説きておしえたる その学校(まなびや)ぞひらけたり

 

25.山辺(やまべ)韮川(にらがわ)すぎゆけば はやも太田(おおた)につきにけり

  宿場のあとは昔にて いまやさかゆる重産業

 

26.新田義貞(にったよしさだ)築きたる 金山城(かなやまじょう)の城あとを

  右にながめてそのつぎは 三枚橋の停車場(ていしゃじょう)

 

27.この地を(なが)る水のなか 大岩おきてその上に

  橋をかけたる治良門(じろえん)の ほまれぞ駅にのこりたり

 

28.藪塚(やぶづか)阿佐美(あさみ)もうちすぎて つきたる駅は新桐生(しんきりゅう)

  左に見ゆる渡良瀬(わたらせ)の 流るるさまぞ美しや

 

29.西は京都の西陣(にしじん)に つがえし東の織物は

  これぞ名高き桐生織(きりゅうおり) 土産にするも(きょう)なれや

 

30.相老(あいおい)(ちょう)ずるその松は いまもこの地にたてるなり

  つぎは赤城(あかぎ)の停車場 大間々(おおまま)あおぐ山おろし

31.またも()ちゆく太田駅 乗り換え急ぎ本線を

  細谷(ほそや)木崎(きざき)世良田(せらだ)駅 またたく間にぞ進みゆく

 

32.(さかい)剛志(ごうし)もうちすぎて ゆけば伊勢崎(いせさき)ステーション

  伊勢より分けて(まつ)りたる 宮居(みやい)ぞこの地の由来(いわれ)なり

 

33.太田に戻り竜舞(りゅうまい)を すぎたる次の小泉(こいずみ)

  利根の渡船(とせん)のあるところ 小泉城(こいずみじょう)のあと何処(いずこ)

 

34.つぎは篠塚(しのづか)本中野(ほんなかの) あたりはやがて成島(なるしま)

  また左には多々良沼 ながめて戻る館林

 

35.またたちかえる杉戸より 日光線に乗り換えて

  つぎの幸手(さって)は雷電の 田神(たがみ)まつりし社あり

 

36.権現堂(ごんげんどう)のその水は むかしの利根の流れなり

  春は桜の名所にて 川面に花のうつるらん

 

37.その水のぼり着きたるは ここ栗橋(くりはし)が宿場跡

  船渡せるも昔にて いまは鉄橋ひとすじに

 

38.古河(こが)の渡しの近くなる 新古河(しんこが)駅もあとにして

  柳生(やぎゅう)板倉(いたくら)藤岡(ふじおか)と その足取りも(かる)らかに

 

39.静和(しずわ)をすぎて太平(おおひら)の 山のふもとをながむれば

  ここぞ葡萄(ぶどう)の産地なる 大平下(おおひらした)の里ぞかし

 

40.神明宮(しんめいぐう)十千木(とおちぎ)は 栃木(とちぎ)の街の由来(いわれ)なり

  ここに開けし停車場(ていしゃば)を おりて蔵町(くらまち)見るもよし

41.次なる駅は新栃木(しんとちぎ) ここよりさらに乗り換えて

  平川(ひらかわ)大塚(おおつか)壬生(みぶ)駅の あたりは古墳の数多し

 

42.国谷(くにや)安塚(やすづか)そのつぎは ここも遺跡の西川田(にしかわだ)

  さらに進みて江曽島(えそじま)を すぎればやがて宇都宮(うつのみや)

 

43.坂東(ばんどう)三十三箇所(さんじゅうさんかしょ)の そのひとつなる大谷寺(おおやじ)

  (はた)より出づる石材は 世に名も高き大谷石(おおやいし)

 

44.あとに名残は残れども 栃木に戻りその次は

  標茅ヶ原(しめじがはら)合戦場(かっせんば) 宿場のあとぞ見てゆかん

 

45.家中(いえなか)金崎(かなさき)楡木(にれぎ)駅 また飛ぶごとにすぎさりて

  (もみ)をこの地にたくわえし その樅山(もみやま)に社あり

 

46.ここに壬生氏(みぶし)の築きたる 鹿沼(かぬま)の城はあともなく

  北駅すぎて黒川を わたりてなおも進みゆく

 

47.次は板荷(いたが)下小代(しもごしろ) 明神(みょうじん)駅もうちすぎて

  ゆけば会津(あいづ)の分かれ道 下今市(しもいまいち)の停車場

 

48.わたる大谷(だいや)の川むこう 次なる駅の大桑(おおくわ)

  由来(いわれ)は昔さかえたる 養蚕業(ようさんぎょう)の名残かや

 

49.流れ険しき鬼怒川(きぬがわ)を 渡りし先の高徳(たかとく)

  ひらけし駅は(しん)をつけ 新高徳(しんたかとく)と名乗りたり

 

50.小佐越(こさごえ)すぎて(まみ)ゆるは いで湯の煙遠近(おちこち)

  たてるはここぞ鬼怒川の 世にも名高き温泉場(おんせんば)

51.さらに奥へと進まれば 花も咲きたる公園地

  新藤原(しんふじわら)のその先は 川治(かわじ)尾瀬(おぜ)にも至るべし

 

52.線路を西に乗り換えて 大谷に沿いて走りなば

  はやもみる間に止まりたる 東武日光(とうぶにっこう)ステーション

 

53.天下の将軍家康(いえやす)の みたま祀りし東照宮(とうしょうぐう)

  そのたまえには日暮(ひぐらし)の 陽明門も立てるなり

 

54.傍立(そばだ)つ山は二荒山(ふたらさん) ふもとに控ゆる輪王寺(りんのうじ)

  これら三つを合わすれば 日光三社(さんじゃ)と人の言う

 

55.先の(みかど)のやすまらる ところは田母沢(たもざわ)御用邸(ごようてい)

  緑もふかき山間(やまあい)に 沢の流れもうつくしや

 

56.華厳(けごん)の滝はわが国の 三名瀑(さんめいばく)のひとつにて

  百雷谷(ひゃくらいたに)にひびきたり 秋は紅葉(もみじ)もとりどりに

 

57.霧なす水の霧降(きりふり)に 芭蕉(ばしょう)たずねし裏見(うらみ)

  竜頭(りゅうず)湯滝(ゆたき)もあわすれば これぞ日光五名瀑(にっこうごめいばく)

 

58.華厳の上にたたえたる 中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)のたもとより

  北へ進まば名に聞きし 戦場ヶ原(せんじょうがはら)もほど近し

 

59.寺にやしろに山水(さんすい)の ほかにこの地の名物は

  蕎麦(そば)蒟蒻(こんにゃく)湯葉(ゆば)もまた まことに(うま)きものぞかし

 

60.千住と久喜の間より 芽ぐみし時も昔にて

  やがて線路は這う(つた)の 別るごとくに延ぶるべし

 

61.今や列車は昼も()も 関八州(かんはっしゅう)縦横(たてよこ)

  やすむ間もなくはしりゆく 東武鉄道栄えあれ


 
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