例の茶屋で開かれる、バレンタインという異国の催し物。参加することにしたのはいいが、贈り物をどうするか。秋津は頭を悩ませていた。
贈る相手はだいたい決めてある。同業者でいくらか親交のある魅夜と企鵝。この二人には友達チョコを贈る予定だ。ブラウニーという異国の焼き菓子を作り、余った分は当日近くにいた誰かに渡そう。
「必要なものは何だっけ」
独り言をこぼしながら街を歩く。まずはブラウニーの材料を買いにいくことにする。
「卵に、砂糖に、小麦粉」
一通り材料は買い揃えた。これで友達チョコと哀れみチョコの分はいい。
問題は……家族チョコ、だ。贈る予定なのは、ここのつ者である熊染だ。別に、どうしても贈らなければならない相手でもないし、贈るにしても家族チョコでなければならない理由もない。ただ、他に贈る予定もないからだ。ただの、消去法なのだ。
「何を贈るかねえ。熊だし食べ物か? やっぱり」
食べ物を贈るなら、他の者と同じブラウニーを贈ればいい。材料もあるのだし、それが一番楽だ。だが、何となく、本当に何となく違うものにしたいと思っている自分がいる。何故、なんて、考えない。考える気はない。
ふらふらと普段は来ない辺りまで足を伸ばす。まだバレンタインまで日はあるのだ、ゆっくりと考えよう。
市の中で、特に賑わっている一角を見つけた。釣られて近寄ると、舶来品を売っている商団らしい。物珍しさに、秋津も足を止める。どこの国のものなのか、豪華な扇や絵画、見たことのない着物、挙句は鳥まで売っている。何でもありだな、と感心を通り越し、呆れにも似た感想を抱きながらぐるりと眺めると、光るものが目に入った。近寄ってみれば、玉や金銀に光る装飾品がこれでもかと並んでいた。
「へえ……」
これはいい値がついているに違いない。思わず反応してしまうが、ここで偽り人として動く気はない。珍しいものはもちろん値が張るが、それだけ足がつきやすい。人目も多すぎる。普通の客として振る舞うまでだ。
「そこの赤毛のお姉さん、さあどうぞ見ていってください。もっと近くで、ほらほら」
「え? 私ですの?」
「もちろん、貴女ですよ」
装飾品を売っている商団の男が話しかけてきた。
偽る時と同じ態度に早変わりする。興味はあるのだ。近くで見るだけ見てみよう。しゃがみこんで目の前の装飾品を見つめる。
「ここで売っているものは、全て舶来品なんですの?」
「そうですよ。美しいでしょう? お姉さんには、この指輪なんて似合いそうですね」
「指輪?」
「そう。指にはめる装飾品なんですよ。この国では、ほとんどつけられていませんけどねぇ」
「指輪ですか。久々に見ました」
若い男が話に割り込んできた。横を見ると、緑の髪に白い羽織、眼鏡をかけた男――砥草鶸がいた。
何故、ここに。話したことはないが、この男はここのつ者のはずだ。秋津が偽り人であると知っているのかは分からないが、さも当然のように隣にしゃがんでいる。訝しげな視線を送る秋津をよそに、鶸と商団の男は話している。
「おや、お兄さん、指輪を見たことあるんですか?」
「はい。異国にいたことがありまして。装飾品がたくさんありましたよ」
「ほう、珍しいですな」
「楽しかったですよ、異国も。ところで、指輪は贈り物としてもいいですが、秋津さんは自分用ですか?」
突然話を振られて驚く。話しかけられたこともそうだが、この男、自分の名前を知っていたのか。
「え? いえ、私は」
買うとは、一言も言っていない。
「もしかして、バレンタイン用の贈り物ですか? 熊染兄さんに?」
「熊……熊染さまにって」
何を言っているんだこの男は。指輪とやらを買うとも言っていないし、ましてや熊染への贈り物にするなど、露ほども考えていなかったことだ。それに、舶来の装飾品ともなれば、それ相応の値がするのは分かっている。
「お姉さん、誰かに贈るものを探していたんですか? その人の好みや特徴を言っていただければ見繕いますよ」
「そうですね、まず背が六尺以上ある筋肉質な人です。寡黙で優しい人なんですよ。武術をしているのでしっかりした手です。あまり繊細な装飾は合わないかもしれませんね」
「ふむ。そうしますと、少しお待ちくださいね」
鶸は勝手に熊染の特徴を伝えると、商団の男は奥からいくつかの大きめの指輪――おそらく男物なのだろう――を持ってきた。秋津と鶸の前に並べてみせる。無骨な装飾のもの、簡素なつくりのもの、石が一つだけ嵌め込まれたものなど、どれも趣が異なっている。
「さて、どれがいいでしょうね」
「うーん、俺はこれかこれがいいと思いますけど、秋津さんはどれがいいと思いますか?」
意見を求められたところで、自分は買うとも熊染への贈り物を探しているとも言っていないのだ。勝手に話を進められて、買う流れに持ち込まれるなど冗談ではない。
「あのですね、私は買うとも贈り物を探しているとも言ってはいませんわよ?」
少しきつめに言ってみるが、鶸はにこりと微笑み返してきた。
「でも、熊染兄さんに贈り物はするんでしょう?」
「なん……」
何で知ってんだよ、と言いかけて口をつぐむ。見透かしたようににこにこと笑っているのが腹立たしい。
「指輪は、よく恋人同士で贈ることがあるんですよ」
「こっ!?」
柄にもなく動揺してしまった。自分らしくもない。鶸を軽く睨み、立ち上がる。少し足が痺れている。
「誰と誰が恋人だよ! アタシと熊はそんなんじゃないっての!」
「どうしたんですか秋津さん。俺はただ、よく恋人同士で贈る、と言っただけですよ。秋津さんと兄さんが恋人だとは一言も」
「! テメッ……」
やられた。年下の男に、ここのつ者に。熊染のことを兄と呼んでいるのだから、弟分なのだろうが、飄々とした態度で人を嵌めるような男が、本当にあの熊染の弟分なのか怪しいものだ。
「兄さんの趣味や似合うもの、男の視点からも見繕いますよ」
「何でテメェが」
「将来、俺が姉さん、と呼ぶかもしれない方ですし?」
またもにこりと笑う。
「は!? どういう、何言って」
「それで、秋津さんはこれとこれ、どちらがいいと思いますか?」
先ほどの指輪を目の前に出される。赤い石が嵌め込まれた銀色の指輪と、目立った装飾はない銀の指輪。確かに、熊染に似合いそうだ。
「……どっちかって言ったら、こっちだな」
言いたいことを飲み込んで、目立った装飾のない指輪を指し示す。赤い石は確かに熊染の髪と眼に合っているが、そういったものを身に付けるたちでもないだろう。
笑みを深くした鶸に、指し示した指輪を渡される。
「ちょっと」
「そろそろ失礼しますね。俺も買うものがありますので」
言いたいことを言い、やりたいことだけやって、さっさと退散しようとはいい度胸だ。鶸の肩を掴もうとするが、人混みに阻まれ届かなかった。
自分の手に乗せられた指輪を見つめる。間違いなく熊染に似合うだろう。別に、恋人などではない。だが、鶸は“恋人同士で贈ることがある”と言ったのだ。贈ることがある。恋人でなくとも、贈ったとしても構わない……はずだ。
これまで、偽ってきた相手に何かを贈るというのはしたことはある。だが、料理であったり景色のいいところに連れていくことであったり、形に残らないものにしてきた。どういう心境の変化だか、と自嘲しつつ商団の男に向き直る。
「この指輪、くださいな」
「はい、ありがとうございます。ああそうだ、この指輪、実はね、もう一つあるんですよ」
「もう一つ?」
「お姉さんが今持っているのは男用。もう一つは女用。異国語で、ええっと、ペアリングというんです」
聞きなれない言葉に首をかしげる。しかし、男女が一緒に持つものらしい、というのは分かった。
商団の男が、再び奥に行き、少し小ぶりの指輪を持ってきた。こちらが女物らしい。
「本当は、二つでこの値なんですがね。どうやらお姉さんは相手に素直になれないようだ。これを贈って素直になれるよう、特別に!」
目の前でそろばんを弾きながら、男が値を示してくる。予想はしていたが、なかなかに高い。というか、素直になれないなどと余計なお世話だ。渋面を作る秋津に何か勘違いしたのか、男はさらに値を下げてきた。そういうつもりではなかったが、値下げされて困ることはない。もう少し交渉してやろう。
さて、交渉の結果は。秋津は無事、より安い値段で買うことに成功した。とはいえ、もとの値が張るだけに、相応の金額は払ったのだが。
「お姉さんには負けたなあ」
商団の男は苦笑いしていたが、これでもまだまだ甘くしてやったほうだ。偽り人としての本領を発揮すれば、タダ同然で巻き上げることだって可能だ。
にっこりと笑い、その場を離れる。
宿に戻り、懐から指輪の入った包みを取り出す。女物の指輪を手に取り、眺める。どの指が一番大きさが合うだろうか。そっと、指に嵌めていく。一番しっくりくる指があった。
――左手の、薬指だ。
「……」
少し思案して、指輪を外す。赤い紐を通し、首から下げる。着物の上から軽く握り締める。
「同じの持ってるなんて、教えてやらねーからな」
バレンタイン当日がやってきた。
「熊、ちょっといいか?」
懐の指輪を、差し出した。
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バレンタイン小説
秋津から熊染さんへの家族チョコ代わり。
登場偽り人/秋津茜
登場ここのつ者/砥草鶸