No.65882

不思議的乙女少女と現実的乙女少女の日常 『雨の日のコンチェルト』

バグさん

3年前のお話。
ヤカが主体の話となります。
本編にもちゃんと絡めていきます。

2009-03-29 20:57:32 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:562   閲覧ユーザー数:549

 未来は何処までも続いている。

 ずっと、ずっと、果てまで言っても。その先が見えなくなっても。果ての先に続く道。その向こう側。そして、そのさらに奥。

 何処までも続く道。

 続く道の途中で、人は変わる。

 

 …………例えば、地底深くの洞穴。その地底湖。

 風は無く。

 僅かな振動も無く。

 湖水に住む生物は無く。

 完全な静寂がそこに存在したとして。

 仮にそうであれば、湖水は完全な停滞を見せていることだろう。

 その湖水に、一滴の水を垂らしたとしたら。

 完全な静寂の中に突如出現する音。

 一切の波を見せなかった湖面に広がる波紋。

 地底湖に起こった変化は劇的に違いない。

 それを例えば、都会の駅前に設置された噴水に見るならば、水滴の落下という現象自体は同じでも、極小さな変化に過ぎないだろう。

 例えば、人の心の奥深く。鏡面の様な心。

 動揺は無く。

 鼓動は届かず。

 その心に住む者は無く。

 完全な静寂がそこに存在したとして。

 仮にそうであれば、その心は完全な停滞を見せていることだろう。

 絶えず満たされず。

 希望は見えず。

 絶望はしていなくて。

 未来は不確か。

 表面でしか人と付き合う事をせず。本人はそれが当然と考えており、他人はそれに気がつかない。

 孤独だった。

 その鏡面に、僅かでも触れる事が出来たら、その人間は変わるだろうか。誰にも触れられない地底湖の湖面は、誰にも触れられないが故に波紋は立たない。その湖面に近付く事が出来れば、その人間は変わるだろうか。

 

例え、その人間にとって、心に触れた何かが、決して望ましいものでは無かったとしても、変わることがあるのだろうか。

 

いや、変わったのだ。結果として変わった。

 

それは静寂に静寂を極めた僅かな変化。その湖面に落ちた水滴の音は誰にも気付かれず。

 

やはり、孤独だった。

 

…………紅茶を淹れよう。

 

地底湖の様な静寂の中。しかし、暖かな陽射しの下で。

 

…………紅茶を淹れよう。

 

湖面に一滴、水滴が落ちる様に。

 

ゆっくりと、淹れ終わるまでの時間を楽しもう。

 

…………紅茶を淹れよう。

 

2人がそうやって約束を交わしたのは、3年前の事で。

 

未来は何処までも続いている。

 

あの頃…………少女はそう信じていた。

 

 

「…………ぬぬぅ」

 

 昼休み。机に肘をついて、手は顎。

 

そんな体制で、ヤカは一人のクラスメートを見ていた。

 

そのクラスメートは、仲良しの友人数名と楽しそうにお喋りに勤しんでいる。食事はすでに済んだらしい。肩を越してウェーブがかった黒髪は、決して天然のものでは無いだろう。校則違反ではあるが、教師はあまり強く言わない。パッチリとした瞳は何処までも透明かつ爽やかで、見つめられれば同姓でも胸が高鳴るだろう。

 

 久慈 華実(くじ かさね)が変わった。

 

ヤカは最近、そんな風に感じるのだ。

 

腰までの長い髪は、ヤカのトレードマーク。100メートル離れていても本人特定が可能と評判だ。ちなみに、こちらも校則を逸脱している。教師は、これだけ長く伸ばしている髪を見ると、最早注意する気力すらなくなるらしい。その長い髪は今、友人のリコによって、前の休み時間中に編みこまれていた。両耳の辺りから三つ網を作って、真ん中辺りで合流、やや長めのポニーテールが形成されている。とはいえ、それがなされたのは髪の一部であるため、そう見た目に変化があるわけでは無い。

 

中学2年生の春…………とはいえ、もうゴールデンウィークは終わってしまった。桜前線は北半球の向こう側へ飛んでいってしまったし、気温は徐々に高くなってくるし、湿気のせいでその長い髪がはねてしまうとリコが不平を漏らす。

 

そんな季節。

 

久慈 華実は、常にグループの中心に居る様な人物だった。美人で、優しくて、嫌味が無くて、世話焼きで、何時も笑顔で、卒が無くて、頭が良くて…………まあ、そんな完璧少女。

 

周囲の評価はそんなものだった。学級委員だって務めている。

 

ただ一つ、欠点を上げるとすれば、それは病弱である事。とはいえ、それもクラスの男子連中からすれば魅力の一つに移るらしいが。なんでも、保護欲をかきたてるのだとか。ヤカには理解し難い感情だ。

 

ヤカはハッキリ言って、久慈 華実が好きでは無かった。嫌いでも無かったが、どちらかといえば嫌いだった。

 

付き合い易くて、完璧を地で行く彼女の表情は、しかし何処か作られた様なものに見えたのだ。こうしなければならないとか、そうした脅迫観念からくるものでは無く、人を見下した姿勢…………あるいは他人と真の意味で心を通わそうとはしていないためにそうしている様な、そんな感じがしたのだ。

 

 ヤカの視線に気がついたのか、華実が微笑んできた。そして、友人に断って、こちらへと歩いてくる。

 

あまりにも自然に近寄ってくるものだから、なんのリアクションも取れなかった。

 

「暇なら、一緒にお話しない?」

 

 無防備な笑顔。

 

「まだ食事済んで無いんだよぅ」

 

ヤカも、笑顔を作った。作り笑いでは無い。元々、体裁を取り繕うのは苦手な方だ。

 

「まだなの? お昼休み、あと20分で終わっちゃうけど…………」

 

 不思議そうに首を傾げた後、本気で心配しているかのように、顎にてをあてて考える。まるで、自分が頑張って、今すぐにでもヤカのお腹を満たして上げよう、とでも言わんばかりに。

 

実際に食堂の購買へ走られる前に、牽制しておいた。

 

「いやねぃ、リコが購買へ行ってるんだけど中々帰ってこないんだよぅ」

 

「そう。…………なにかあったのかしら」

 

「そんなに心配しなくても、混んでるだけだと思うよぅ? …………ほら、崎本さん達が待ってるから、早く戻った方がいいと思ってみたり」

 

「そう? じゃあ、そうするね」

 

 語尾に星でも付いてそうに元気な声で、華実は戻っていった。

 

「……………………」

 

 無言でその背中を見送る。

 

華実の、取り繕ったような態度が嫌だった。

 

今は違う。

 

彼女は、確かに変わったのだった。

 

それに気が付いている者が、果たしてどれくらい居るかは分からないが。

 

…………確かに、変わったのだった。

 

「ヤカ」

 

 6時間目は体育だった。梅雨を控えているだけに、運動すると流石に汗をかく。水道で汗を拭いていると、14年付き合い続けた顔がやってきた。

 

「あれぇ? リコ、当番じゃなかったっけ。片付けはどうしたのっさ」

 

 体育当番は、授業の開始前と終了後に、授業で使用する器具を出したり戻したりする係りを担っている。要はただの雑用だ。週ごとに変わっていって、男子女子1名ずつが選ばれるのだ。

 

「いやぁ、クチル君がなんだかね、一人でやってくれるんだってさ。変なとこで世話焼きだよね、あいつってば」

 

 リコが意味有り気に笑うのを見て、ヤカは苦笑した。以前から、クチルはどうも、リコの頼みを断れ無いらしい。それに見合う報酬は出している、というのはリコの弁だし、クチルにも不満は無い様だが。どうしてリコの頼みを断れないのか、報酬とは何かというのを聞いてみた事はあったが、納得出来る回答は帰ってこなかった。リコには軽く流され、クチルは顔を赤くしてしどろもどろになってしまったのだ。何時か聞き出してやろうと考えているヤカなのであった。

 

 

「それよりさ」

 

 クチルの話題は『それより』レベルらしい。幼馴染なので、確かに今更語る点は、そう多くは無い。

 

「私、今日は部活出るから。先に帰ってて」

 

「あぁ、そうなんだ。珍しいねぇ。部長さんに呼ばれたの?」

 

「あの人、結構強引だからね。まあ、良い人だけど。ていうか、やってる事も…………エセオカルト…………」

 

「え?」

 

「う、ううん、なんでも無いわよ。早く行きましょ、ホームルーム始まっちゃうわよ」

 やや慌てた様子のリコは、ヤカの手を引いて教室を目指したのだった。部活というのは色々大変らしい。帰宅部のヤカには何が大変なのかも分からないが。

 

ホームルームが終わって、掃除の時間。それぞれがトイレ、特別教室等、掃除の担当箇所へ向かう。

 

 ヤカの担当箇所は教室だった。トイレと同じくらい面倒臭い場所だ。机を移動させたりするのが特に面倒臭い。あと、床を掃くのが面倒臭いし、ゴミ捨てに行くのも面倒臭い。

 

つまり、掃除は面倒臭いというのがヤカの持論だった。リコが五月蝿いので、部屋の掃除はちゃんとやっているが。

 

「まあねぃ…………」

 

面倒臭がっていても仕様が無い。そんな事は当然分かっているので、早く終わるようにテキパキと動くが。

 

久慈 華実などは、本当にテキパキと動いている。掃除好きという事では無く、そうすべきだという意思の賜物だろう。

 

立派な事だ。

 

…………教師は言う。

 

自分たちで汚した場所は自分たちで掃除するべきだと。それが筋だと。

 

しかし、それを言うなら普段使用している通学路や電車やバスだって、使用した者達で掃除をするべきでは無いのか、とヤカは考えてみる。

 

リコにそう言ったら、鼻で笑われた。あのリアリスト機能を搭載した幼馴染は、もう少し世の中を斜に構えて見るべきなのだ。夜中、ベッドに忍び込んで延々と囁き続けてやろうか。お花畑の上に妖精さんが飛んでいるような御伽噺を。

 

もちろん、ヤカだって通学路を自分たちで掃除するべきだ、などと本気で考えているわけでは無い。それが屁理屈だという事は分かっている。それとこれとは別の話なのだという事も。

 

結局の所、掃除が面倒臭いという事に対する愚痴なのだった。

 

そうこうしている内に、掃除は終わった。

 

後はゴミ捨てだけ。

 

こういう時は大抵ジャンケンで決められる。こういう場合、率先して動きそうな久慈 華実も、ジャンケンでゴミ捨て係を決める事に異議は無いようだ。協調性を良く理解している、と感心させられる。そして、むしろジャンケンを楽しんでいる節すらある。以前はどうだったか知らないが、今は確実に楽しんでいる。

 

(…………なに出そうかなぁ。むむ、チョキっぽいかも…………)

 

感というのは当てにならない。しかし、同時に侮り難いものでもある。超能力の存在を信じているヤカとしては、直感というものは重要なファクターであるのだった。

 

そのファクターから導き出された答えの結果。

 

あっさりと負けた。

 

ヤカ以外、全員グーという結果。四面楚歌どころでは無い状況だ。『実は、今日はチョキが最強なんです』と言い張っても覆りようの無いくらい完璧に負けた。

 

…………しかし、逆に考えればパーを出せば勝てた、という事だ。直感のチョキに従わなければ勝てたという事は、これはもうむしろ感が当たったも同然では無いだろうか。

 

一抱えほどあるゴミ袋を持ちながらも、ヤカはポジティブに生きるのだった。

ゴミ捨て場は、体育館の裏手にある。体育館は校舎と隣接しているため…………もっと言えば、渡り廊下で繋がっているため…………それほど遠くは無い。

 

さっさと捨てて帰ろう。教室から出たゴミだ。悪臭はしないが、ゴミの入ったゴミ袋を何時までも抱えている気にはなれない。

 

帰ったら何をしようか。週間アトランティックの星占いでは、亀を愛でるが吉、と書いていた。しかし、亀は飼育していない。学校の池にも居ないし、そもそも趣味では無い。

 

しょうが無い。代わりにコハルでも愛でるか。リコの妹なので、当然リコの家に居る。しかし、部屋に無断でお邪魔するのは何時もの事だ。

 

 

そんな事を考えながら歩を進めていると、後ろから肩を叩かれた。

 

振り返ったヤカは眉を顰めた。

 

そこに居たのが華実だったからだ。彼女は病弱なため、帰宅部に所属している。車で送り迎えされているほどだ。その彼女が、放課後すぐに帰宅せずにここに居る理由はなんだろうか。

 

「ね、ちょっとお話しない?」

 

 笑顔というものは、本来攻撃的な要素が含まれていると言う

 

しかし、この笑顔を見たら、それはきっと嘘だと思わされてしまう。山雪草の花言葉は『可憐』だ。山雪草に負ける事の無い、その純白の笑顔は、毒の一滴すら含まれている様には見えない。

 

 首を傾げて、ヤカは体ごと向き直る。

 

「私と話したいから、帰らないでここまできたのかぃ?」

 

「そうよ。迷惑だった?」

 

 そう言われて、はい迷惑ですと言える人間がどれほど居るか。いや、ヤカは言える人間だが、今の華実はそれほど嫌いでは無い。よって、拒絶の必要は無い。

 

「うぅん、別に良いよ」

 

 あっさりとそう答えて、2人は歩き始めた。

 

知り合いが傍から見れば、珍しい組み合わせだと思ったに違いない。

 

何せ、2人はこれまで、ほとんど会話らしい会話をした事が無かったのだから。


 
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