第十三話「超越者の戦闘」
この世界には人間種以外の知性がある。
時にそれは人から外れた魔術師であったり、人が作り出した【瓶の小人】(ホムンクルス)であったり、吸血鬼と呼ばれる人外であったり、妖精や精霊と呼ばれる存在であったり、神であったりする。
英霊と呼ばれる者の中には神の血を引いていたり、あるいは半分神にまで上り詰めた人間というカテゴリも存在している。
英霊と呼ばれるだけの業績を上げた人間は超越者としての性格を有し、人間を越えた人間として【英霊の座】と呼ばれる通常の時間軸や空間には存在しない場所に【保存】される。
システムとしての【英霊の座】は簡単に言えば世界を破滅から救う【抑止の環】である。
人間の世界が破滅へ向かう時に発動する【保険】の一つがソレだ。
破滅を感知した【英霊の座】から誰かが降りてくる時、人は奇跡を見る。
それは同時に血の雨が降ると同義だが、殆どの場合は危ない大魔術や世界を破滅させそうな存在を消滅させる事に特化して働く。
だからこそ、英霊は高潔な人格を有する場合が普通だ。
キャスターのように街から魔力搾取しようとしたり、ライダーのように学校の生徒を溶かして取り込もうとするなんて普通は在り得ない。
在り得ないはずだった。
少なくともマスターが令呪で命令しない限り、絶対卑怯をやりそうにない人格者がサーヴァントであるはずだ。
しかし、結果としてライダーは生徒を生贄にしようとして、キャスターは更に大規模な儀式で街から魔力を搾取していた。
そこに違和感を覚えるのは当然だろう。
嘗て、聖杯戦争に参加したサーヴァントが全て高潔だったとは言えないだろうが、何か歯車が狂っているような感覚はずっと続いている。
(・・・問題はどの歯車が狂っているのか・・・)
聖杯戦争の真実の一端を知る機会があった。
それは白い少女イリヤから齎された。
自分こそが聖杯であるとの告白。
正確には自分の心臓こそが聖杯だという事だった。
少女は語った。
小聖杯としての機能を有する魔術回路に肉付けされた外側(かわ)が己自身なのだと。
聖杯としての機能は【英霊の魂】を取り込む事で機能し始め、最終的に七つの魂の入れ物として完成した自分を儀式に使用する事で大聖杯は願いを叶えるのだと。
衛宮君と私の前で告白した少女の手は僅かに震えていた。
怖かった、のだと思う。
それを何も言わずに抱きしめたのは衛宮君だった。
心の底から溢れたものを止められず、一度だけイリヤは衛宮君の胸で泣いた。
私はその光景に温かいものを感じながら、聖杯戦争の一端が「人の不幸」によって形作られている事をハッキリと自覚した。
隠された秘密はきっとまだまだ存在する。
それがどういう類のものなのかは分からなかったがロクなものでないのは予想できた。
だからこそ、最後までこの戦争を勝ち残り、真実を手にしなければならないと堅く誓った。
できるかどうかなんて未知数だったが【大聖杯】を破壊する事すら視野に入れたのは内心で大きな舵取りだったと思っている。
「ふふ、罠(トラップ)カード発動!! 『そーらーれい』。フィールドに存在する光属性モンスターの―――」
夕食までの小さな空き時間。
イリヤとセイバーがテーブルの上でDuelしていた。
戦局は一枚の罠によって決したらしく、セイバーは固まっている。
「むむ!? イリヤスフィール!! 罠とは卑怯です!!」
「セイバーいい加減罠カード入れたらどう?」
「騎士に罠など必要ない。己の実力と戦術さえあれば戦士はいつだろうと無敵です!」
「でも、妖精に翻弄された戦士は可哀想にも効果ダメージで主を失ったわ!!」
ライフ0。
ガックリとセイバーがその場で倒れ臥した。
「く・・・騎士に二言はありません。好きなだけ持っていくがいい!! イリヤスフィール!!!」
「それじゃ遠慮なく」
セイバーが賭けていたオヤツの残りであるドーナツが二つイリヤの皿に移された。
その他にもイリヤの方には缶ジュース、バナナ、センベイ、チョコレートとオヤツの定番が続く。
そして、セイバーはなけなしのオヤツを取られたショックからか苦悶の表情を浮かべていた。
もしかしたら、それはサーヴァントとして戦って傷を受ける以上の衝撃なのかもしれない。
「アンタ達よく飽きないわね」
私は呆れながらテレビのチャンネルを変えた。
キャスターを討ち負かしてから四日が経っていた。
あの日、記憶を破壊され、正体すらも失ったキャスターは少女となって悪魔の前に倒れ臥した。
約束通り、葛木を開放した彼は一枚のカードを差し出し、二度とこの冬木の地に関わらないよう釘を刺して二人を解放した。
後で彼に聞いた話では・・・キャスターは完全にサーヴァントとしての人格と記憶を失い・・・ただの少女と変わらなくなっているはずだという。
葛木に渡したカードはどうやら回復系のカードで永続的に命(ライフ)を得る事で魔力供給の代わりに命を繋ぎ止めるものらしい。
随分と甘い処遇だと思ったものの、戦って勝ったのは彼であり、同時に冬木を守ったのも彼なのだからとキャスターの身柄に付いては目を瞑った。
それから様々な雑務をこなしたのは記憶に新しい。
桜に対しての口止めやキャスターが張っていた結界その他の罠の解除や柳桐寺周辺の探索。
どれもこれも徹夜で行われた。
キャスターのいた痕跡を消す作業では彼のカードがまた役に立った。
そのおかげで寺の誰も葛木とキャスターの事を覚えてはいない。
学校でも彼のカードによる記憶の封印が行われ、私と衛宮君は葛木の残したものを片っ端から運び出してゴミの日に出した。
全ての作業が終わったのが三日後。
衛宮君はその間バイトを休んでいた事もあって、さすがにバイト先へ事情(でっちあげた)を説明しに行った。
衛宮邸に残っているのは私とセイバーとイリヤ、それから夕食の準備をする桜だけだった。
彼は何やら街へと出かけている。
夜までには帰るという話だったので心配はしていなかった。
「また、カードを箱買いしてるんでしょうね・・・」
私は彼に預けた金額を思い出す。
何かと宝石に金が掛かる宝石魔術師は基本的に金銭に厳しい。
が、彼には軍資金としてそれなりの金額を出している。
彼のカードが現在最も強い力なのだから仕方ない。
宝石一つより安い値段で破格の力が扱えるからとそれなりに出費した財布は正直寂しい。
軍資金がカードの山になって戻ってくる事を思うと頭が痛いものの、彼のデッキに入るカード以外は衛宮家の共有財産(カードプール)として使われているので遠坂家で死蔵されるよりはマシかもしれない。
「早く帰ってこないかなぁ・・・」
「ええ、彼には早く帰ってきて欲しいものです」
イリヤとセイバーが呟く。
二人の横には大きな移動式の収納ケースが置いてあった。
その五段重ねのケースにはそれぞれカードが種類別に保管されている。
「最新のパック欲しいなぁ・・・ね、セイバー」
「はい。待ち遠しいものです。イリヤスフィール」
「デュエルで勝ったらレアカードくれるかな?」
「当たり前です。それでこそデュエリストでしょう」
二人の呟きに私はテレビから視線を外して振り返る。
「・・・・・・」
二人の顔を見て私は全身からダラダラとよく分からない汗が出た。
その顔が彼にダブって見えた。
具体的には街に出かけて玩具屋(カードショップ)の前を通り過ぎようとした時、街頭の宣伝用テレビ画面に映し出された新しい弾の告知を食い入るように見る彼の顔と瓜二つだった。
(こ、これが・・・噂のデュエル脳って奴なの!?)
戦慄する私の前で二人はよく分からない単語を連発していく。
「この頃の改定はホントダメだよねぇ・・・」
「はい。あんな改定では主戦場の環境はガタガタでしょう」
「帝・黒羽・蛙・侍・天使と来て、近頃は虫に食い荒らされてるんだから当然よ」
「環境破壊は悪い事だとテレビでも言っていました!」
「そう環境破壊良くない!」
「はい。我々のようなデュエル弱者に優しい環境こそ世界で受け入れられるトレンドのはずです!」
「セイバー!!」
「イリヤスフィール!!」
ガシッとよく分からない絆を深め合った二人が再びデュエルを始める。
(ぁあ、最強のサーヴァントと元最強のマスターが堕落していく・・・これがデュエルの魔力・・・)
衛宮邸でのデュエル人口は彼のせいで劇的に増えてしまっている。
抵抗戦線を張っているのはもはや自分だけ。
少しずつデュエルに汚染されていく衛宮邸に仲間はいなかった。
もしも、あの馬鹿ならきっと『悪いがそういうのは趣味じゃなくてね』と苦笑いで断ってくれるは―――。
「―――」
何かが私の中でザリザリと音を立てて消えていく。
ヤスリでも掛けられたように消えていく。
それを私は『自覚』すら―――。
「凜?」
「リン?」
「ん・・・どうかした?」
二人が何か怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「いえ、何か思い詰めた顔をしていたので」
「凄い怖い顔してた」
「私が?」
「ええ」
「うん」
セイバーとイリヤが頷く。
「私の財布の中身がカードの山に変わると思うとね」
私が苦笑するとセイバーが少し何かを迷う素振りをして、私に向き合う。
「・・・凜。今日、彼が街に繰り出したのは貴女のデッキを作る為です」
「へ?」
「セイバー。いいの?」
「彼には口止めされていましたが、それで彼が誤解されていいとは思いませんから」
イリヤにセイバーが頷く。
「アイツ・・・私の為に今日?」
「はい。凜と約束したので今日デッキの材料を揃えてくると」
「約束・・・・・・」
「彼にデッキを作ってもらうと約束したのではないのですか?」
「あ・・・えっと・・・あ・・・」
キャスターの後始末で忙しい最中、いつものようにデュエルの勧誘を受けて「生憎とデッキなんて私持ってないもの。アンタが作ってくれるならやってもいいけど」と話半分で言った事を思い出す。
(アイツ・・・真に受けてたんだ・・・あんな適当に私が受け流してたのに・・・)
「凜?」
「約束したわ。確かに・・・」
「そうですか。本当は後でこっそりと渡して驚かせる手はずだったのですが・・・その・・・」
セイバーが申し訳なさそうな顔で言い淀む。
私は笑顔で頷いた。
「思いっきり驚いてやらないとね」
「・・・はい」
セイバーが笑みを浮かべた。
(あのセイバーがこんな風に笑うようになるなんて・・・ホント、アンタは凄いわ・・・)
何かが変わり始めていた。
聖杯戦争という残酷なゲームの中で。
それを肌身に感じながら私は夕飯の支度を整えた桜の声に台所へと向かった。
夕食を終えて、九時を回った頃合。
一本の電話が掛かってきた。
今日は街で他のサーヴァントを探してから返ってくるという彼からの知らせだった。
帰りは深夜になるだろうとの話に先に戻ってきていた衛宮君が出かけようとしたものの、近頃慌しかったからなのか、ふらついたところを桜に見咎められ、強制的に部屋へと連行された。
さすがに具合の悪い人間に夜の鍛錬を課したところで能率が上がるはずもない。
休みとしたのは妥当な話。
私も多少心配だったものの彼を信じてその日は早めに休む事にした。
それからどれくらいの時間が経ったのか。
不意に目が覚めた私は衛宮君が気になって部屋を出た。
夜の衛宮邸は静まり返っていた。
防衛上の理由から衛宮君の隣の部屋にセイバー、その隣にイリヤ、更にその隣で彼が寝ている。
離れの方に桜と私の部屋があるものの、桜的には衛宮君の近くの部屋が取れなかった事が悔しかったのか残念そうな顔で己の部屋を見ていたのは私以外には知らない事だろう。
誰も起こさないようソロソロと廊下を歩く。
板が軋むような事もなく(新築なのだから当たり前だが)、私は衛宮君の部屋の前まで来る事に成功していた。
彼はまだ帰ってきていないのか。
通り過ぎた部屋の中からは気配がしなかった。
そっと私が衛宮君の部屋を覗こうと―――。
「姉さん」
不意に声が掛かる。
「ッッ!? さ、桜?」
私が慌てて振り向くと暗い廊下に差し込む月明かりが桜を照らし出していた。
「・・・何、してるんですか?」
「え・・・」
私は思わず自分のしている事を脳裏で検証していた。
結果、他意が無いにも関わらず・・・何故か「夜這い」という単語が出てくる。
「い、いや!? これは!? その、衛宮君が大丈夫か心配になって!!」
「・・・へぇ、姉さんは先輩に・・・こんな事してたんだ・・・私の・・・私の先輩に・・・」
「あ、あの、さ―――」
俯いた桜の誤解を解こうとした瞬間だった。
私の体が凍り付いた。
「――――!?」
その輝きは人間が宿すには禍々しい色をしていた。
桜の瞳の奥。
まるで宝石のような冷たい力が私を射竦める。
(―――これ――ま――が――)
少しずつ自分が石に成り始めている事を自覚しながら、私は何も出来なかった。
ベキベキと体が心が硬化していく。
「姉さん。やっぱり姉さんは消えてください。そうしたらきっと先輩も私の事を・・・ね? 【ライダー】」
私の目の前で桜の体が解けていく。
「はい。桜」
その中から黒く染まった衣装に身を包んだ長身の女が姿を現す。
顔にはもう眼帯なんて掛けられてはいなかった。
「ふふ、結構楽しかったです。久しぶりに姉さんと生活出来て・・・でも、先輩に手を出すなら姉さんはただの泥棒猫・・・私の敵です。ですから、死んでください。姉さんが消えて悲しむ先輩は私に任せてどうか安らかに・・・」
私はもう思考すら石に置き換えられつつあった。
横を桜の声で話すライダーが通り過ぎていく。
サーヴァントとマスターは一心同体とまで行かなくとも魔力で繋がっている。
それを介せばマスターの意思を反映し声を出す事くらい造作も無い。
「さ・・・あ・・・・・マ・・・・」
「そうですよ。私がライダーの本当のマスターです。あの馬鹿なゴミクズがライダーのマスターなわけないじゃないですか。本当なら今回の聖杯戦争は参加しなくていいはずだったんですけど・・・【彼】の存在を知ったからなのか・・・お爺様が急に今回の聖杯戦争へ参加しろと」
「な・・・・・・わ・・・た・・・」
「ふふ、もうそろそろ全部石になる頃ですね。大丈夫・・・姉さんの石像は家の庭に飾っておきますから、今度先輩に姉さんを忘れないよう作ったって紹介してあげます」
まるでピクニックにでも行こうというような気軽さで私にライダーを介した桜が話しかけてくる。
「それじゃあ、さようなら。これから邪魔なセイバーさんとイリヤさんをまとめて石にした後、先輩を私だけの先輩にする作業が残ってるので」
すでに私に話しかける事もなく。
「あの人が姉さんのこんな姿を見たらどんな顔をするのか楽しみです」
ライダーが衛宮君の部屋へと入ろうと―――。
私は最後の力を振り絞って声を―――。
パキンと何かが壊れる音が―――。
【『クローン複製』の破壊を確認。帰還する】
「なッッッ!!!!」
最も驚いたのはライダーでも桜でもなく私自身だった。
私の体が崩壊し、私自身が再び寝台の中で目を覚ます。
「どうなって!?」
慌てた私はすぐに着替えて装備を整え、衛宮君の部屋に向かった。
「どういう事なのライダー!!!? 先輩は何処!!!」
桜の喚く声が聞こえてくる。
私は玄関で靴を履いてそのまま家の中を駆け抜け、中庭へと向かった。
中庭にはライダーとセイバーが対峙していた。
桜が黒い呪詛のような闇を纏いながらライダーの後ろに控えている。
ライダーは桜に気を使っているのか魔眼を眼帯で封じていた。
「姉さんッッ!!? 先輩を何処にやったんですか!!!!」
私に気付いた桜がこちらを睨み付けてくる。
その憤怒は如何ばかりのものなのか。
『桜。貴方がそうだとは信じたくなかった・・・』
「セイバーさん。先輩は何処ですか?」
セイバーの顔には僅かな哀惜があった。
それが何を示すのか。
分からないわけがない。
「セイバー!!」
私が駆け寄ろうとするより早く。
衛宮君の声。
それは衛宮君の部屋の中からだった。
『シロウ。来てはいけない。カードの結界の中に!』
走り出してきた衛宮君がセイバー越しにライダーの後ろにいる黒い呪詛で身を染めた桜を見て固まる。
「桜・・・お前・・・まさかライダーの・・・」
「先輩。そんな所にいたんですね」
桜の顔が一瞬でいつものものに戻る。
しかし、その笑顔には違和感しかない。
そう違和感。
とてつもない違和感。
いつも衛宮君に対しての笑顔には慕情と尊敬の眼差しがあった。
しかし、その桜の笑みにあるものは絶対的にそれと違ってしまっている。
その瞳の奥にあるのは支配欲と独占欲。
「どうして・・・どうしてなんだよ!? 桜!!!」
衛宮君の悲痛な叫びに桜がクスクスと笑う。
「先輩。うろたえちゃって可愛いです」
「なッ、桜!!」
「先輩・・・私ずっとずっと先輩が私の傍にいてくれるものだと思ってたんです」
桜がセイバーに睨まれているにも関わらずライダーを押し退けて前に出る。
「何言って―――」
「先輩」
桜の静かな声に衛宮君が言葉を失い硬直する。
「先輩はどうして私がこの家にずっと来ていたのか知ってますか?」
「え・・・それは」
「勿論、私がいつも言っている通りです。でも、それだけで此処まで来てたわけじゃありません」
神様とは何故こんなにも意地悪なのか。
どうしてこんな時に桜の心を傾けたのか。
私は恨まずには要られなかった。
「先輩・・・・・・私は・・・私は先輩が好きです」
「な、さ・・・桜・・・」
呆気に取られている衛宮君の前で桜が儚げに微笑む。
「いつもバイト先で懸命に働く先輩が好きです。いつも誰かの為に何かをしてあげる先輩が好きです。困った人を見捨てて置けない先輩が好きです。誰にでも優しい先輩が好きです。料理をしている先輩が好きです。笑っている先輩が好きです。私の料理を笑顔で食べてくれる先輩が好きです。ずっと私なんかをこの家にいさせてくれる先輩が好きです。碌な事が出来なかった私に沢山の事を教えてくれた先輩が好きです。誰よりも私に優しくしてくれた・・・そんな先輩が私は好きです」
完膚なきまでの告白。
これでまだ目の前の女が自分に恋慕している事が分からない男はいない。
本来ならば、この光景を私は幸せな気持ちで見ていなければならないはずだった。
桜の気持ちを察していたならば当然だ。
これを普段の日に聞いたならセイバーも私もイリヤもきっと祝福してあげたくなったはずだ。
しかし、黒い呪詛に絡まれた桜が顔を上げる。
「でも」
桜の周囲で夜に闇が滲み出す。
赤い無数の目が世界を覆い尽くすように広がっていく。
「私を見てくれない先輩は嫌いです」
ドクンと私の心臓が震えた。
桜の瞳に灯る力が強くなる。
衛宮君は動けない。
衛宮君を守っているセイバーすら桜の迫力に飲まれている。
「私がいつもアプローチしてるのに気付かない先輩は嫌いです。私以外の女の子と親しくしてる先輩は嫌いです。私の事よりも誰かを優先する先輩は嫌いです。バイトで私と一緒の時間を作ってくれない先輩は嫌いです。私がどんなに好きでも私の事を好きになってくれない先輩は嫌いです。私の事を抱きしめてくれない・・・私の気持ちに気づいてくれない先輩なんか・・・大嫌いです!!!!」
歪んだ欲望が桜の闇を大きく育てていた。
ぞっとする程に淫靡な顔で桜が頬を染める。
「だから、私決めたんです。私の知らない内にイリヤさんや姉さんやセイバーさんを同居させちゃうような先輩は・・・」
私だけの先輩にしてしまおうって。
黒と赤。
世界に渦巻く呪詛は誰の呪いか。
衛宮君が喉を鳴らし、唇を開こうとした時、それよりも先に桜へと声が掛かる。
「やっぱり・・・そうだったんだ」
全員がその方角を向いた。
イリヤだった。
寝巻き姿のイリヤがヒタヒタと裸足で庭に出てくる。
「桜。貴女・・・私と同じなのね・・・」
桜が頷いた。
「・・・私は黒の聖杯・・・イリヤさんと正反対でも確かに同じ力を持ってます」
「桜。貴女がどうやってそうなったのか。ううん。そうされてしまったのか。わたしは知らない。けど、一つだけ確かな事があるわ」
「何ですか?」
「シロウは今の貴女には渡せないって事」
私は大人びたイリヤの言動に「ああ」と思う。
やはり、少女は一人前の魔術師で確かに自分や衛宮君よりも過酷な今を生きているのだと。
「どういう、事ですか?」
桜の表情が強張る。
「さっきの見てたわ。危なくて出て行けなかったけど、貴女・・・凜を殺すの躊躇わなかったじゃない」
「な!? 桜!? どういう事だ!?」
「あれは姉さんが悪いんです。私の先輩にちょっかいを出そうとするから」
悪びれる様子もなく嘲笑が桜の顔に浮く。
その顔に衛宮君が耐え切れないように顔を歪めた。
「桜・・・お前どうしちゃったんだよ・・・いつものお前は・・・お前はそういう奴じゃなかっただろう!!!」
桜が禍々しく唇の端を歪めた。
「先輩・・・言い忘れてました。私は・・・私の事を何も知らない先輩も・・・嫌いです!!!」
『シロウ。下がって!!!』
セイバーの警告。
蠢く闇と赤い瞳が波濤となってセイバーと衛宮君に襲い掛かろうとした時だった。
その波濤に無数の剣が突き刺さる。
一瞬、私はそれが衛宮君の投影したものだと思った。
しかし、剣に刺された闇が跡形も無く消滅するのを見て悟る。
「誰ッッ!!!」
『ほう。我が所有物に手を出そうとするとは良い度胸だ』
私が声のした方を向く。
衛宮邸の上に金色の輝きを見つけた。
振り向いたセイバーがその時、驚きの声を漏らす。
『なッ、まさか貴方は・・・アーチャー!?』
(まずい!? 第五のサーヴァント!? こんな時に!!!)
私がセイバーと衛宮君に合流する。
『久方ぶりだな。セイバー』
『馬鹿な!? 貴方は前の聖杯戦争のサーヴァントのはずだ!!!』
セイバーがこれ程までに驚愕する様を私は見た事が無かった。
それよりも気になったのは【前の聖杯戦争】という言葉。
しかし、それを聞いている時間は存在しなかった。
「新しいサーヴァントですか。悪いですけど、今は大事なお話中なんです。さっさと消えてください!!!」
桜の呪詛がまるで怪物の如く衛宮邸を覆わんばかりに立ち上がって金色の鎧を身に纏ったサーヴァント【アーチャー】へと降り注いだ。
「ふ、紛い物の聖杯如きが我が前に立ちはだかるだと? 格を知れ女ッッッ!!!!」
一撃。
黒い呪詛の津波が無数の剣に切り裂かれる。
「!?」
私は驚かざるを得なかった。
「そんなッッ!!? ライダー!!!」
桜もその一撃を真正面から打ち砕かれるとは思っていなかったのか。
驚きながら警戒してかライダーの背後へと下がる。
『くくく、我が欲しいものがこうも揃っているとは・・・アイツには褒美を取らさなければならないな』
余裕の笑みを崩さないアーチャーに桜が唇を噛む。
『桜。此処は一端退くべきです』
ライダーの進言に桜が首を横に振る。
「先輩を此処に置いていくなんてできない。ライダー」
『桜・・・分かりました。では、予定通り捕獲して連れ帰りましょう』
桜とライダーが衛宮君に狙いを定めた。
『ふん。紛い物に用は無いが放って置くわけにもいかんな』
アーチャーの背後が黄金色の光に包まれる。
すると何も無い空間から無数の鈍い輝きが溢れ出した。
『まずい!? 凜!! イリヤスフィール!! シロウ!! 全員私の後ろに!!?』
慌てたセイバーの様子から私は溢れ出した輝きが自分が思っているよりも致命的なものなのだと知る。
『平伏せ!!! 下郎!!!』
ライダーを中心にした半径十数メートルに上空から膨大な輝きが降り注いだ。
無数の剣の雨に巻き込まれたライダーが完全に串刺しにされた。
「なッッ!? こうもあっさりとライダーを!? あの剣・・・まさか宝具!?」
私の声は剣が降り注ぐ音に掻き消された。
セイバーが私達の前で流れ弾ならぬ剣の雨を弾き捌いていく。
しかし、ドスッと言う音。
セイバーの太ももと左腕に槍らしき宝具が突き刺さっていた。
「セイバー!!!?」
私とイリヤが止めようとした時には遅かった。
セイバーを助けようと衛宮君が剣を投影して前に出た瞬間、その脇腹に剣が一つ突き刺さる。
「先輩!!?」
「衛宮君!!?」
「士朗!!!」
『シロウ!!!』
私達の叫びも虚しく。
衛宮君がそのままセイバーの前に倒れ込む。
膨大な剣が地面に突き立つ最中。
たった一撃で最強のサーヴァントに重症を追わせたアーチャーが感心した声を上げた。
『さすがはセイバー。手加減したとはいえ我が一撃を凌ぎ切るか。それでこそ我が妻(もの)となるに相応しい』
私は全ての声を無視した。
傷ついたセイバーと衛宮君に慌てて駆け寄って傷の具合を確認する。
セイバーは重症であるもののまだ何とか気力を保っていた。
しかし、衛宮君は刺された衝撃からか気を失っていてセイバーよりも危険な状態だった。
「よくも先輩をッッッ!!!?」
怒りに燃えた桜の叫び。
それに呼応したようにビクンと串刺しにされたライダーの体が動き出す。
「どうなって!?」
私達の目の前でどう見ても致命傷のはずのライダーが己の体に刺さった剣をズルリと引き抜き始める。
『さすが、紛い物とはいえ聖杯か』
まるで道化の喜劇を見ているような調子でアーチャーが嗤う。
『ち、さすがにこのまま見過ごすわけにゃいかねーか』
「!!!?」
その聞き覚えのある声に私は振り返る。
「ランサー!? こんな時に!?」
『よう、お嬢ちゃん。久しぶりだな』
見れば、衛宮邸の壁の上に青い服が見えた。
軽いノリの男。
ランサー。
今はその名前の由来となる槍を持たないはずのサーヴァント。
『死にそうなとこ悪いがオレの得物の在り処とあいつの居場所を教えてもらうぜ』
これで敵となるサーヴァントは三人。
そして、こちらの最強の駒であるセイバーは行動不能。
戦いの行方は三者の出方次第になった。
『む? 雑兵が何の用だ。今、我は忙しい。相手なら後でしてやるから引っ込んでいろ』
『そういうわけにもいかねぇんだよ、金ぴか。このお嬢ちゃんから取り返すもんがあるんでな。このまま殺されちゃオレの得物の在り処が分からなくなる』
『ふん。歯向かうか。ならば、我が直々に相手をしてやろう。なに・・・代価は貴様の命で十分だ』
万事休す。
「・・・イリヤ。もしもの時は私達に構わず逃げなさい」
「凜!?」
「貴方はもう自分の戦いを終えた。これはまだ聖杯戦争を続けてる人間の話よ。だから、わざわざこのまま一緒に巻き込まれて死ぬ事は無いわ」
「凜。わたし、そういうの嫌いよ。受けた恩を仇で返すなんてカッコ悪い生き方・・・バーサーカーに顔向けできないもの」
「イリヤ・・・・・・」
体に埋まっていた剣を全て抜き終えたライダーの体からみるみる傷が消えていく。
『そろそろ飽いてきたな。幕を引くとしよう』
アーチャーが再び攻撃を行おうと片手を上げた。
その背後の空間から再び剣が迫り出し始める。
最後の一撃。
腕が振り下ろされ――――――――――――――――――刹那。
【おい。デュエルしろよ】
彼の声が響き渡った。
『む?』
『ようやくお出ましか』
『!?』
アーチャーが動きを止め、ランサーは獰猛に微笑み、桜が硬直する。
「馬鹿・・・遅いのよ!!!」
私は心から湧き上がる頼もしさに涙が出るかと思った。
遥か上空から落下してくる。
地上を埋め尽くす剣の丘を叩き割るように彼は着地した。
その手にはもうデュエルディスクが装備されている。
そのディスクにはもうデッキがセットされている。
彼がこちらを向いた。
「・・・・・・」
「え!? 少しタイガのところで待ってろとか!? ちょっとッッ!?」
彼がイリヤの方を振り向くと一枚のカードを投げ放つ。
その瞬間、イリヤがカードに当たって消え失せる。
『緊急テレポート』の文字が私にはしっかりと見えていた。
「ありがとう」
私の声に彼は答えない。
「それじゃ、マスターとして命令するわ」
三人ものサーヴァントを相手にして彼のデッキが持つ保障はどこにも無い。
しかし、それでも私は彼に向かって叫ぶ。
ただ一人のサーヴァントとして命令を飛ばす。
それが彼と私の契約だった。
「全員まとめてぶっ飛ばして!!!!」
【Duel!!!】
『『『―――――――?!!』』』
アーチャー、ライダー、ランサー。
三人のサーヴァントが硬直していた。
己の動きを止められるという英霊にあるまじき屈辱。
それをたった一言で実現する正体不明のサーヴァントに彼らの視線は集中する。
【ドロー】
彼が五枚の手札にデッキから六枚目のカードを引き抜いて加える。
【カードを四枚伏せてターンエンド】
ガクンと最も先に呪縛が解けたのはライダーだった。
「ライダー!!! 先輩を!!?」
桜の叫びにライダーが反応し、猛然とこちらに向かってくる。
しかし、彼の言葉の方が早かった。
【罠(トラップ)カード発動(オープン)『光の御封壁』】
発動と同時に私達を取り囲むように巨大な光の壁が立ち上がった。
【ライフを3000払い。攻撃力3000以下のモンスターの攻撃宣言を封じる】
ライダーが光の壁へと突撃しようとするも体は直前で硬直し、それ以上動かなくなる。
危険を感じたのか。
ライダーが跳躍し、桜の方へと下がった。
「ライダー!!? 何してるの!!?」
『桜。あれを突破するのは今現在の力では不可能です。宝具の使用許可を』
「―――それは・・・・・・」
桜が迷うはずだった。
衛宮君を確実に殺してしまうだろう宝具が無ければ突破できない壁。
それはもう衛宮君を人質に取ったも同然なのだ。
迷った桜がライダーに再び命令しようとして、一分の壁に突き当たった。
「また!?」
『桜!!』
次に動きが戻ったのはランサーだった。
『オレの番かよ。さっさと得物は返してもらうぜッッッ!!』
ランサーが全力で跳んだ。
遥か頭上からランサーが指の間に挟み込んだモノを投げ放とうとして落下してくる。
僅か月明かりに見えたソレは北欧のルーンを刻んだ小石だった。
私は慌てて宝石を構える。
しかし、小石を指の間に挟んだまま、ランサーが地面へと硬直したまま落ちた。
『何いいいいいいいいいいいいッッッ?!』
ランサーが顔を引き攣らせて、着地した地点から後退する。
私は『攻撃力3000』の壁は通常のサーヴァントの攻撃そのものを完全に封殺する程の強制力となっているのだと悟る。
『クソがッッ!? 反則だろ!? 攻撃そのものが封殺されてるってのか!?』
歯噛みするランサーが何度も攻撃を仕掛けようとして、その度に小石を投げ放つ事が出来ずに歯を軋ませた。
そして、一分の壁がランサーを再び硬直させる。
最後に動きが戻ったのはアーチャーだった。
その瞳にもはやセイバーは映っていない。
先程までの傲慢さはそのままに静かな瞳が彼を品定めしていた。
『貴様・・・何のサーヴァントだ。名乗れ』
彼が淡々と己の名を名乗る。
【決闘者】
その言葉にライダーもランサーも瞳を細める。
『デュエリストだと? 貴様が・・・そうか・・・イレギュラーか』
アーチャーが「くくく」と笑い出す。
『あの聖杯・・・ここまで歪んだ者を出すとは・・・そうか、それ程までにもうこの儀式は・・・』
何を知っているのか。
アーチャーが笑い終えて彼に向き直る。
『貴様がどんな英霊かは知らん。が、この聖杯戦争において我が前に立ちはだかるというのなら、待っているのは死だけだ。往くぞッッッ!!!』
『【王の財宝】(ゲート・オブ・バビロン)』
アーチャーの叫びに呼応して空間が再び輝きを帯び始める。
【対象の能力確定。デッキより任意の枚数『宝具(装備魔法カード)』を手札に加える。装備した装備魔法カードを墓地に送る事により、フィールド上のカードを任意の枚数破壊する。装備した装備魔法カードを墓地に送った時、相手のライフに装備魔法カードの攻撃力上昇分のダメージを与える】
彼の言葉が脳裏に響く。
絶望的な局面なのは能力を聞いただけで分かった。
だが、彼は諦めていない。
ライフすら残り僅かなはずの彼はそれでも己のデッキとカードを信じていた。
【手札より『エフェクト・ヴェーラー』を発動。このカードの効果により相手ターン中、相手のモンスター一体の効果を無効にする!!!】
彼が手札の一枚を虚空に投げる。
それは本来モンスターカード。
しかし、彼の放ったカードが今にも剣の雨を降らせようとしていたアーチャーの背後に突き刺さる。
『な、何だとッッッッ!?』
アーチャーが背後を振り返る。
彼の背後で光輝いていた空間が突如として歯車を抜かれた機械のように停止していた。
剣の群れがギチギチと空間を出られずに軋む。
そんな空間を飛び回るモンスターの姿があった。
中性的な顔立ちの少女とも少年とも見紛う妖精のようなモンスター『エフェクト・ヴェーラー』。
『貴様ぁあああああああああああああああああああ!!!! 我が財に下賎な手で触れるとはッッッ!? 塵も残さず消し去ってくれるッッッ!!!!』
激怒したアーチャーが己の手にあった一本の剣を『エフェクト・ヴェーラー』へと投擲する。
しかし、モンスターを貫いた剣はそのまま地面へと突き刺さった。
貫かれたモンスターは何の傷を負った様子も無く空間の合間を飛び回り続けている。
幾度となく背後のモンスターへと周りにある剣を投擲するものの暖簾に腕押し。
やがて、アーチャーがこちらを射殺しそうな視線で睨んだ。
『この代償は貴様の命で払ってもらうぞッッ!!!』
そして、一分の壁が再びアーチャーを拘束する。
【ドロー】
彼のターン。
私は彼の全てを見つめながら魔術で衛宮君とセイバーの治療を続けた。
彼が三人のサーヴァントを順繰りに見つめ、目を閉じた。
【罠(トラップ)カード発動(オープン)『リビングデッドの呼び声』×3】
彼が虚空に伏せた残りの三枚が開かれる。
「蘇生カード三枚!?」
彼はそれから一拍の間を置いた。
そして、墓地に存在する蘇生する対象を告げる。
【武藤遊戯】
「え?」
私はその言葉が聞き違いかと思った。
それは明らかにモンスターの名前ではなかった。
【遊戯十代】
それどろこか自分の知るどんな英霊の名前でもなかった。
【不動遊星】
彼が噛み締めるように告げた三人の名前を反映し、彼の墓地から彼らは現れる。
【『決闘者(Duelist)』三人を墓地より特殊召喚!!!】
三人の男達。
彼らはそれぞれにライダー、ランサー、アーチャーへと向かい合った。
彼が彼らに告げる。
それは珍しくデュエルとは関係ない言葉だった。
【力を貸して欲しい】
彼らは彼に背を向けたまま頷いた。
「僕達は」
「お前の」
「友達だろう?」
だから、と・・・彼らは言った。
己のデュエルディスクを掲げて。
【【【Duel!!!】】】
伝説が動き出す。
絶望的な状況を目の前にして彼と彼らの反撃が始まる。
運命のデュエリスト達の力が聖杯戦争を変えていく光景を私は確かに見た。
それが本当の聖杯戦争の始まりだったのだと、その時まだ私は知る由も無かった・・・・・・・・・。
To be continued
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一時の休息に降る急速、降って沸いた戦闘。今、黄金のサーヴァントが降臨する。