No.65684

WAI 'ULA MELE <赤い水の詠唱>2

波旬さん

第2回目
ハワイ諸島の昔話をベースにした
SFファンタジーです

2009-03-28 16:31:26 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:616   閲覧ユーザー数:595

 桃色珊瑚に飾られた『カプの間』の中には、美しい大扉からは想像もつかないような異様な光景が広がっていた。

 暗がりに、ぼんやりと白く光る広い室内には窓一つなく。部屋中に張り巡らされた無数のチューブに、流れ続ける色鮮やかな液体。並ぶガラスのフラスコや試験管。ひしめきあう薬品の群れ。干からびた薬草の束がそこかしこにぶら下がり、異臭の立ち込めてきそうな、様々な生き物の白骨やら瓶詰めの標本やらが、所狭しと置かれていた。

 そこはさながら魔女の住処のごとく、煮えたぎる大釜が置いてあってもおかしくなさそうな、一種独特な雰囲気が漂っている。『宝物殿』と呼ぶより、むしろ『実験室』と言った方が相応しいかもしれない。

 しかし、キパパにとっては長年見慣れた光景だ。彼は室内を横切り、天井から幾重にも下がった色とりどりの仕切り布をかき分けながら、慣れた足取りで奥の部屋へと入っていった。

 螢色に発光する薄暗い奥の部屋に、ひっそり立たずむ人の影が、近付く微かな足音に驚いたように振り返る。

 流れ落ちる髪……。こぼれる笑み……。この不気味な部屋にはおよそ似つかわしくない、花の様な可憐な少女がそこには居た。

 

「お兄様! いつお帰りになったの!?」

 キパパの姿に気付き、弾けるように微笑んで駆け寄ってくる美しき乙女。その無垢な笑顔を見ただけで、暗く沈んだ気持ちを一時だけ忘れる事が出来た。

 彼女だけが、このラロハナ王国の中で、ただ一人心を許せる、どんな高価な宝よりもかけがえのない、大切な彼の妹『ヒナ』であった。

「つい今し方だ。まだ起きていたのか? ヒナ」

「えぇ。ちょっと寝付けなくて……。でも、もうすっかり目が覚めてしまったわ! 旅の話しを聞かせて、お兄様! 今度はどちらへ行ってらしたの?」

 真夜中の兄の来訪を心から歓迎し、嬉しそうに抱き着き見上げる乙女。その端麗な顔をいとおしそうに愛でながら、キパパは彼女の柔らかな象牙色の頬に優しく触れた。

「カネの地の『カワルナ』という王国だ。大きな都だったぞ」

 ヒナは兄が他国をあちこち巡り、どんな事をしているのか何一つ知らない。王国の事も世間の事も、何もかも彼女にとっては夢のような別世界の出来事であった。

 幼き頃よりこの部屋で育ち、父のアリイと兄のキパパ以外、世話をする召し使いのパオ魚の姿しか見た事もなく、一番の楽しみと言えば、見知らぬ国を旅してくる兄の土産話だけである。

 ヒナはいつものように旅の話を待ち望み、ねだるような熱心な瞳で兄を見詰めていた。

「ああ、待った待った! 旅の話をしだすと長くなる。ちょっとお前の顔を見に来ただけなんだ。今夜はもう遅い、旅の話は明日にしような」

「えぇ〜? ずるいわ、お兄様! 明日までおあずけだなんてぇ〜!!」

 つまらなそうにそう言って戯れて絡みつかせた自分の腕を、笑って解こうとする兄の手の中に、ヒナは気付いて手を伸ばした。

「お兄様。これはなぁに? すごく綺麗!」

「こら、それはおまえの土産じゃないんだぞ。返すんだヒナ! アリイの命令で、これからそれを処分しに行くんだから」

「えぇ? 駄目よ、駄目! こんな綺麗な物を処分するなんて、絶対反対!!」

 キパパの伸ばした腕を踊るように擦り抜け、手の平の中に小さな部品を隠したヒナの瞳が悪戯っぽく笑う。

「ね? 私にこれを譲って、お兄様!」

「駄目だよ、ヒナ。それは……」

 兵器の部品とは流石に言えず、キパパは一瞬言葉を詰らせた。

 

 

「いや! いや! いや! だって、どうせ処分する物なんでしょう!?」

 桜貝の唇を軽く尖らせ、幼い子供のようにしばらく駄々をこねてみせたヒナだったが、兄の困った顔に小さく両手を合わせると、大きな瞳でキパパを覗き込む。

「じゃあ……1つだけ!ね? いいでしょう? 貝殻の宝箱に隠して、誰にも見せないわ。お父様にも内緒! お兄様と二人だけの秘密よ……。ね?」

 キパパに対するねだり方など、長年すっかり了承済みだ。どの道、この愛くるしい妹には、蜜より甘い兄であった。

 この澄んだ黒耀石の瞳に捕まれば、誰しも彼女の頼みを断る事など出来はしまい。キパパは溜息をついて小さく笑うと、降参したように首を軽く振った。

「……仕方ないなぁ。1つだけだぞ?」

「嬉しい! ありがとう、お兄様!!」

 全身で喜びをあらわにし、両腕を精一杯広げて兄の首に飛びつくヒナ。彼女の喜ぶ顔を見られるのなら、アリイの命令など塵にも等しい。その笑顔一つで、キパパの心は至上の幸を得られるのだから。

「とても綺麗ね。虹色に輝いてる……。どこか懐かしい気もするけど……。いったい何の飾りなのかしら……?」

 兵器の中枢部品とも知らず、あれこれ想像を巡らせながら、釣針に似た形をしているその小さな部品を、ヒナは楽しそうに眺めている。

 この美しく哀れな妹を、キパパは不憫に思っていた。

 脆弱な娘のヒナを、アリイは何よりも大切にしていた。そう──まさに至宝のごとく、誰の目にも触れさせぬよう桃色珊瑚で造った『カプの間』に閉じ込め、厳重に扱っているのである。

 アリイが美しい愛娘を部屋に隠して人目に晒さぬのは、いづれ『クゥの地』の海底を統べるモイ(帝王)に嫁がせるつもりなのだと、世間では噂し合っていた。

 それならば、どれ程マシだったか──真実が、それほど生易しくない事をキパパは知っている。ましてや、妹を手にしたアリイの野心が、海底の支配だけに留まるはずもない事にも。

 見目麗しきヒナは幼少の頃より聡明で、他に類を見ない母親譲りの頭脳を持つ、ラロハナ王国随一の天才科学者であった。アリイによって、ヒナの為に建てられたこの『カプの間』は、言わば彼女に与えられた王国の極秘研究所であり、同時に、ヒナの頭脳を利用し独占し続ける為の牢獄同然の部屋だったのである。

 外部から隔離された部屋の中で、ヒナは永い間独りきりで父に命じられるまま、ある研究を続けていた。

 アリイは時々研究の成果を視察しに『カプの間』を訪れたが、気にする事は研究の進み具合とそれに支障をきたすヒナの体調ぐらいで、親らしく娘の心を推し量る事など一度たりとなかった。父にとって娘の能力は、国を広げる為の大切な道具でしかなかったのである。

 そんなアリイの思惑など知る由もなく、自分を囚われの籠の鳥とも思わず従順に研究を続ける妹を、彼はいづれこの海底の檻から解き放ってやろうと、人知れず心に誓っていた。

 明日の訪問を約束し、ヒナを寝床につかせると、彼は『カプの間』を出ていった。

 再び音もなく閉じられてゆく美しい大扉の内を名残惜しそうに見詰めながら、キパパはふと…、通路に立ち並ぶクゥ神像の片隅に、護衛の兵士とは違う視線を感じて振り返った。

 気を張り詰め眉をひそめ、通路の先の暗がりを伺う。

「……アヒか?」

 彼の呼び掛けに応じるように、神像の影からゆっくりと姿を現した背の高い呪術師姿の男は、キパパに向かい軽い会釈をしてみせた。腕に巻いたイリオ歯の乾いた音が、シャラシャラと静まり返った通路に響く。

「キパパ様、また『カプの間』で道草でございますか? こんな夜更けに……あまり感心致しかねますな。とりあえず、今回の任務は、無事に終えられたそうで……心より、お祝い申し上げます」

 男は低く物静かな口調で薄く笑みを浮かべ、キパパに祝いを述べた。

 アヒは『マナ』(超自然の力)を持ち、王国の祭儀を取り仕切るカフナ(神官)の一員であった。現在アリイに最も信頼されている男でもある。

 だが、この物静かに微笑む一見優しげなカフナを、キパパはあまり好きにはなれなかった。

 クゥ神の神託であると、今回の任務をアリイに持ち掛けたのは他でもない、このアヒである。

 

(To be continued.)


 
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