『帝記・北郷:十一~二人の求めた国~』
漢帝国最北の州・幽州。
その州都・北平の城壁に、三人の人物の影があった。
新魏国王・北郷一刀。
新魏国宰相・曹孟徳。
幽州刺史・田国譲。
広大な平原を望む城壁の上を、風が駆け抜ける。
まるで、ここを出て戻ってこなかったかつての主を悼むように。
「……ここを出たのが数か月前か。随分と遠くに来たものだな」
一刀の呟きが、静かに青空へと染み渡っていった。
遡ること一か月前。
冀州・陳留城。
洛陽侵攻の準備を進めていた一刀達の元にもたらされた、孫呉の侵攻と龍志遭難の知らせ。
雪蓮が惨死したという誤報が孫呉に蔓延しているという事に驚きながらも、一刀はかねてから準備していた救援軍を派遣することにした。
その夜。
合肥からの伝令が到着した。
一つの悲報を携えて。
「……皆、良く集まってくれた」
陳留会議場。
ここに、中原で活動している新魏軍の主要な武将のほとんどが集結していた。
中には一刀が招集をかけるよりも早くここに到着した者もいる。
彼等を集めたのは一つの事実を確認するため。
すなわち、龍志戦死。
「…聞いているとは思うが合肥に呉からの使者が訪れて、これらを渡していった」
一刀が見せたのは、一巻の書簡と一本の抜身の剣。
この場にいる者なら皆知っている。龍志の愛剣・碧龍の片割れだ。
「そして書簡には…こう書いてある」
書簡を紐解き、書かれた文章を簡潔に読み上げる。
「王の選定者…至高の将の剣をここに返還する」
ぶるりと、幾人かの体が震えた。
いや、中には頬に涙を伝わらせている者もいる。
『王の選定者・至高の将』
その言葉だけで、彼がいかに戦ったのかがありありと解った。
「それから龍志さんの遺体の事だけど、損傷が激しかったからあっちで丁重に葬ったんだって……」
「く…死んで尚帰って来る事が出来ないのですか!!あの方は!!」
耐えきれず声を上げた美琉を、沈痛な面持ちで藤璃が宥める。
彼女だけではない。この場にいる皆が同じ思いを抱いていた。
「…新魏王陛下。ここまでされて泣き寝入りは出来ないぜ」
孫礼の言葉に、隣の郭淮も頷き。
「龍志様は、私達にとってかけがえのない方でした。将として…時に兄として私達を導いてくれたお方……その仇を討たずしてどうするというのです!?」
「その通りです!!孫呉討つべし!!」
「孫呉討つべし!!」
「………」
湧き立つ諸将に対し、一刀は黙して答えない。
「お待ちになられてください。確かに呉は恨みを雪ぐにはおられない相手です…しかし、しかし義兄の最後に残した言葉を考えてください」
『今は孫呉を攻める時ではない』
華雄と別れる時に龍志が残したという言葉。
その言葉に、会場は再び沈黙に包まれた。
皆、頭では解ってはいるのだ。
漢王朝が再興した今、漢の都たる洛陽を放置することは出来ない。
また、孫呉と戦になった場合。長期戦となる恐れがある。そうなったら、攻め込む新魏にとって不利になるし、たとえ勝ったとしてもその損失は計り知れないものとなるだろう。
皆、一角の将である以上その事は承知している。
だが、解っていたとしても。
理屈ではないのだ、この感情は。
今まで自分達を導いてきた一人の男。
彼を失った哀しみは、理屈ではないのだ。
「……洛陽。そして孫呉」
おもむろに一刀が口を開く。
その場にいた皆の視線が、彼に集まる。
それに気付いているのかいないのか、独り言のように、だがはっきりとした声で一刀は言葉を紡いでいく。
「確かに漢というものを見た時、洛陽の持つ意味は大きい。そして私情にまかせて孫呉を攻めるのは国を悪戯に疲弊させることになる……」
「一刀様…」
「ですが…いえ……」
唇を噛む諸将。
それは蒼亀や躑躅、紅燕といった軍師達も例外ではない。
一刀の性格からして、彼が私怨に流されるような人物でない事は解っていた。
彼は誰よりも情に熱く、そして情を操作できるのだ。
だから、誰もが彼は孫呉と和睦して洛陽を攻める道を選ぶのだろうと、そう思っていた。
しかし。
「……でも、覇道の上においてはどうだろう?」
「え?」
思いがけない言葉に、一同は再び一刀を見る。
「俺達の歩む天下統一の道においては、洛陽も呉も攻め倒すべき壁にすぎない」
「では……」
「そして、龍志さんが孫権の王の器を見極めた以上。俺は孫権と戦う義務がある。あの人に認められた者同士、刃を交えなくてはならない」
「でも、孫呉を攻め滅ぼすとなると~少なく見積もっても二三年はかかりますよ~」
風の言葉に、一刀はふっと微笑み。
「龍瑚翔がその才を認め、俺が信頼する軍師達。そして将兵は、例え千年の戦であろうと一年で終わらせる…そういう者たちじゃなかったかな?」
「……ぐ~」
「寝るな!」
ズビシッ
「おお、あまりに気障な言葉に、つい意識が旅立とうとしてしまったのですよ」
「……真面目なんだけどこれでも」
「解ってますよ~では、非礼のお詫びとして、風が最初に所見を述べるのです」
彼女は一刀、そして諸将に向かいその双眸に軍師の輝きを宿らせ己の考えを述べる。
「もしも呉の奥深くまで攻め込み戦うとなったら、こちらの不利は明確なのです。そうなる前に…できれば呉が水軍を使う前までに、決着をつける必要があります」
「つまり…現在、呉との戦端が開かれている合肥、そして最悪濡須までに孫権を討ち取るか捕える必要があると言うことね」
華琳の言葉に風は頷く。
「成程…合肥から濡須までなら我が軍の騎馬隊の力が充分に発揮させることができますね」
「青州兵の制圧能力も生かせるな」
「ふふ、じゃあ、もう一手打っておくのも良いんじゃないかしら~?」
暗い顔をして今まで黙っていた紅燕がここで初めて口を開いた。
「もう一手?」
「ええ、孫呉の兵力を分断させるために荊州方面からも軍を進めるの」
「しかし、下手に戦力を分散するのは…」
「だから~蜀を動かすのよ、詔勅でね」
ニッと紅燕は嗤い。
「中山靖王の末裔を自称する劉備が詔勅に逆らうことは難しい。借りに逆らったら、それこそ新しい漢の独立宣言と取られても文句は言えないわ~。どうせ牽制程度なんだから、それなりに軍を出してもらうだけで良いんだし」
「成程。それに形だけとはいえ諸葛亮や鳳統を引っ張り出せれば、呉は主要な智将を荊州方面に派遣しなければならなくなる」
「そ、あの二人とやりあえる智将なんて、周喩、陸遜、魯粛の三人くらいのものよ。最近、呂蒙って子や徐盛っていうのがかなり売り出し中らしいけど……あたしの敵じゃないわ!」
キュッと紅燕の両唇が吊りあがる。
そう、まるでこれから獲物をどういたぶって殺すかに思いをはせる獣のように。
「あたしの一番星を汚した罪…後悔させてあげる……」
「もう、一人で盛り上がらないで紅燕」
やれやれと苦笑いを浮かべながら躑躅が肩をすくめた。
「龍志様を失って怒っているのはあなただけじゃないのよ…孫呉のゴミ共は私の策で必ず殺してやるわ」
そう言う躑躅の表情はあくまで穏やか。
故に恐ろしい。
「ふむ…この一連の流れ、どう思う?蒼亀さん」
「そうですね…元々、呉は国というよりも地方豪族の連合といった観が強い所です。孫家という頭を失えば、あとは勝手に内部崩壊を起こすでしょう。そうなってしまえば一年もせずに孫呉は我らの手に落ちるでしょう」
「解った…じゃあ、全軍に指令を出す!!」
椅子から立ち上がり、右手を鋭く前に突き出した一刀の支持が下される。
新魏王の名の下に。
「美琉、躑躅、凪、真桜、沙和は二万の兵を率いて合肥の霞と臧覇に合流!!本隊の到着まで呉の進行を食い止めろ!!」
「御意!」
「畏まりました」
「了解です!」
「おっしゃあ~!」
「解ったの~」
「蒼亀さんと風、藤璃、徳達、伯済は鄴の青鸞や長安の秋蘭と連携して洛陽への牽制を維持しつつ遠征軍の主力を編成!!蒼亀さんは新魏の指揮下に入る手続きも忘れないでね」
「はっ!」
「はいはい~」
「了解した」
「任せとけ!」
「お任せを!」
「紅燕は皇帝陛下から蜀参戦の勅を頂いたら勅使として蜀まで行ってくれ。それが終わったらそのまま合肥に向かって、そこで合流しよう。念のために流琉をつける」
「了か~い。頑張りましょう流琉ちゃん」
「はい。頑張りましょう!」
「華琳は俺の補佐を頼む…頼りにしてるよ」
「あら、勿論よ。あなたこそこの曹孟徳を見事使いこなしてみなさい」
不敵に笑う華琳と、それに応える一刀。
大陸最高の軍師の一人をいかに仕えるか、そこに一刀の器が問われる。
「あとは…」
そこまで言って一刀は、文武諸官の後ろの方で気まずげに立っている二人に視線をやった。
「雪蓮…祭さん……」
かつての呉王と呉の宿将。
最もこの場にいるのに相応しくなく、辛い二人。
名を呼ばれて、二人は黙って一刀を見る。
その風貌こそ威厳を失っていなかったが、目には心労が見て取れた。
他の一同も固唾を飲んで成り行きを見守る。
これが何者かの謀略である以上、二人に罪はない。
だが、幾人かは問わずにいられない。
どうして引き返したのかと。
雪蓮が謀られることなく呉に行っていたならば、龍志が死ぬことはなかったと。
「……雪蓮」
「うん…」
「君を…龍志さんの後継者として新魏国大将軍に任じる」
「なっ!?」
「ええっ!?」
「何と…?」
これには、蒼亀や風といった軍師団も驚きの声を上げた。
「で、でも私は……」
「解ってる。かつての呉王であり、やむを得ずとはいえ龍志さんが戦死する遠因を作ったのは君だ。それが龍志さんの地位を継ぐんだから、反発も多いだろうし、君への怨嗟の声を大きいだろう」
でも。と一刀は言葉をつなぎ。
「君もまた龍志さんが認めた一人だ。いかなる艱難辛苦も乗り越え…その名を示せ孫伯符!!それが君の贖罪であり……俺の復讐だ」
一刀の激情、そして威風に、その場にいた全員が息を呑む。
そう、それはかつて龍志が一刀に求めた姿。
喜びも哀しみも憎悪も、何もかもをその器に受け入れ自らの道につなげる王の姿。
(今…完成の時を迎えようとしている)
蒼亀は心の中で呟く。
一刀はそのまま視線を雪蓮の隣の祭に移し。
「祭さん…君は蒼亀さん達と一緒に遠征軍の編成をしてくれ…辛いかもしれないが、あなたはこの遠征に同行してもらう」
「…一度死に瑚翔殿に拾われた命。瑚翔殿が逝かれた今は北郷殿、そなたに捧げましょう。何なりと受け入れて見せましょうぞ」
拱手の礼を取る祭。
その姿に一刀は龍志の姿を重ね一瞬胸が熱く成ったが、ぐっとこらえて再び雪蓮を見て。
「それで…雪蓮がどうするかは本人に決めてもらいたい」
「……遠征には参加できないわ。でも、それは相手が自分の祖国だからじゃない」
静かに自分を見つめる一刀の瞳を正面から受け止め、雪蓮は言葉を紡ぐ。
「龍志の後を継ぐには、わたしは未熟すぎる…だから、旅に出させてほしいの。今よりももっと強くなって……必ず帰って来るから」
「…解った。待ってるよ雪蓮」
優しい笑みを雪蓮に向ける一刀。
その笑顔だけは、王・北郷一刀ではなく一人の人間としての彼のものだった。
「……では改めて告げよう!!」
王の顔に戻り、一刀は文武諸官に檄を飛ばす。
「これから俺達は怨敵・孫呉と正式に開戦する…だが忘れるな!この戦は龍志さんの仇討である以上に……彼が求めた俺達の覇道を達する為のものであると言う事を!!」
言葉は無い。
ただ、皆が拱手の礼で答えた。
その中で蒼亀は思う。
(私怨ではない…友情でもない…この方は王として、義兄の思いを受け取り、天下の覇王として戦を開こうとしている……誰に言われるまでもなく自らの意思で!!)
『孫呉と戦う時ではない』
(今思えば、義兄上のあの言葉は最後の試練だったのかもしれない…この方がいかなる道を選ばれるか。義兄上の遺志に従うだけなのか、そのさらに上を行くのかを……)
そして物語は冒頭に戻る。
「…華琳。知っているかい?この北平は龍志さんがここに赴任した時は、袁紹軍に完膚無きまでに破壊されて廃墟だったんだって」
「聞いた事はあるわ」
袁紹軍の侵攻。異民族の侵入。元々肥沃とは言えない大地。
龍志が幽州を落とした時、この北平はほとんど人の済まぬ荒城だった。
だれもが他の城に州都を移そうと言う中、龍志はこの北平にこだわった。
どれだけ荒れ果てていても先祖の代からの土地に懸命に生きようとする人々。
異民族防衛での重要性。
そして龍志は北平の復興に当たった。
城壁を修復し、細かな犯罪も取り除き、廃墟を片付け家を建てる。
そうするうちに少しずつ民は戻り人も行き来するようになり、やがて大きな市が出来、民の学び舎も作られた。
何より龍志指揮の下で行われた灌漑事業は北平、いや幽州の食糧事情すら一変させた。
民の負った労苦は大きい。しかし、それ以上のものを常に返し続けた。
そうして北平は、今や幽州一の…いや、大陸屈指の大都市として軍事や交易の要所となっている。
「…三国の民だけでなく、夷狄と蔑まれていた人々にもあの方は何の隔たりもなく接せられました」
一刀と華琳の後ろに控える藍々の目から、とめどなく涙が流れる。
思い出しているのだろう。かつて龍志と共に切磋琢磨しこの北平を蘇らせた日々を。
それを幽州全土へ広げていった時を。
「やがて彼等も龍志様に従い…この北平は彼等がもたらす様々な品でより一層の繁栄を遂げました……」
「……民の思いに応え、民と共に生き。そこには民族の垣根を超えた平穏を創る。俺と龍志さんが目指した国の縮図がここにある」
ただ、一刀は空を見上げる。
華琳はそれを後ろから見詰めるのみ。
きっと彼も藍々と同じように泣いているのだろう。
日輪を覆う雲を払い、時に雲を呼び日輪を休ませた風が遠くに駆け抜けて行ってしまったことを。
「……行こう。華琳。それから藍々も今度の遠征に参加してもらうよ」
「はい!!」
「…じゃあ、行きましょうか。一刀」
「ああ」
そうして城壁を後にする三人。
彼等の過ぎ去ったあと、城壁に作られた物見台の中央に設置された台に、龍志の愛剣・碧龍が真っ直ぐに突き立っていた。
やがて戦乱の地へと向かう人々を見送るかのように。
~続く~
後書き
どうもタタリ大佐です。
一刀かっこいいな話でした。はい。これくらい格好良くても良いと思います一刀は。
洛陽にするか呉にするかでしたが、皆さんのご意見を聞いて呉にすることにしました。洛陽を押された方はすみません。ご容赦ください。
さて、今回は短いですのでこの頁に次回予告を持ってきます。
では、次作にてお会いしましょう。
次回予告
今は亡き愛しき人の為に
今は亡き親しき友の為に
激情をその身に宿し
二人の武人が今
合肥に舞い踊る
そんな二人の前に立ちはだかる者は?
次回
帝記・北郷~二張来々~
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