No.600889 俺達の彼女がこんなにツインテールなわけがない クアドラプルデート2013-07-23 23:42:54 投稿 / 全9ページ 総閲覧数:1452 閲覧ユーザー数:1426 |
俺達の彼女がこんなにツインテールなわけがない クアドラプルデート
『京介もあたしと似て人間が不器用なんだな』
息を吐き出す。もう12月だけど息はまだ白くならなかった。
『あたしもトコトン手を抜くか、全力投球のどっちかしかできねえ。バランス良くって生き方ができねえよ』
真面目にコツコツ日々を積み重ねているあやせや桐乃とあたしは大きく違っている。やたら偏った力の使い方しかできないのだ。
『高校は最底辺に引っ掛かれば良いかなってぐらいだし、モデル業はイロモノイベントじゃ偉そうにしているけど他はサッパリ。もう半分諦めている』
京介の顔を覗きこむ。
『そんなあたしにとって今全力を賭けているのは……京介。おめぇ、なんだよ』
京介の手をそっと上から握る。
本当はこのままキスしたい。あたしの正直な気持ちを行動で示したい。
そんな衝動が胸をいっぱいに占めている。
でも、今の段階であたしからそれを仕掛けるのはフェアじゃねえ。それは分かってる。
そんなことをすれば京介が苦悩に陥るのは目に見えている。忙しい中にわざわざデートに応じてくれた相手を苦しめることはあたしの本意じゃねえ。
だから、代わりに述べる。京介の心にあたしの想いが届いてくれるようにと願いながら。
『あたしと京介がさ、より良い生き方をできるように……一緒に努力、してみるって言うのはどうだ?』
それは今のあたしにできる精一杯の愛の告白だった。
お昼時間になってトリプルデートの参加カップルたちが西郷さん像の前へと戻ってきた。
それに合わせてウチたちもその裏の茂みへと戻ってきた。
「「「あっ」」」
秋子もあやせもとても渋い疲れた表情を見せている。ウチもそう。互いの顔を見ただけで戦果がどんなものであるのかは分かってしまった。だからウチとしては話をこう切り出すしかなかった。
「簡単に撃退できるような相手ならウチらは苦労して来なかったわよね」
腕を組んで半目状態で重々しく総括してみせる。
「そうですよね。お兄さんの周りにうろつく泥棒猫がそう簡単に撃退できるならわたしは今現在こうして張り込んでいる必要はないのですし」
「那須原さんは私が何度牽制しても言うことを聞かない人ですから。あやせちゃんに言ってもらってもそれだけじゃあ厳しいですよね」
責任の擦り付け合いではなく、相手が上手だったことを認める。それによって内部分裂することを防ぐ。そして、強敵と認めることで新しい対策を立てる方へと話を誘導する。
「1人で行ってもデートを中止にできない。なら、ウチらがすべきは……」
あやせと秋子と目が合う。
「3人の同時襲撃というわけですね」
「ジェットストリームアタックでお兄ちゃんたちを粉砕っ! ですね」
3人の頷く動作が重なる。
ウチは富樫と凸守と六花の修羅場を見て、自分が何をすべきなのか実は見失っている。
1人でこれ以上行動するのは辛いという負担を感じている。
でも、アキと妹のデートを許すわけにもいかない。なら、仲間たちの手を借りながら戦うしかない。
「加奈子を倒すにはもう物理的デストロイしかないですもんね」
「愛するお兄ちゃんが真実に目覚める為です。秋子は犯罪者になることも厭いませんよ!」
……2人は一体何をするつもりなのだろう?
あやせ、その切れ味鋭そうなナイフは何?
秋子はその荒縄で一体何を絞めるつもりなの?
まあ、ウチの拳も黄金の輝きを放っているのだけど。
「まあ、いいわ。午後になってまた各カップルが別行動を取るようになったら、1組ずつ襲撃して各個撃破するわよ」
「「はいっ」」
元気良く返事して拳を堅く握るあやせと秋子。
ウチも、きっと秋子もあやせも躊躇いを感じている。デートの妨害に傾くことに。
でも、動かない訳にはいかなかった。不戦敗なんて選択肢は認められるわけがない。
だってウチは…………アキが大好きなんだから。
「負けらんないのよ」
結局、それに尽きるのだ。
「バカなお兄ちゃんには葉月がいてあげないとダメダメなのです♪」
「いやいやいや。僕はそんな小学生に依存しっ放しのダメな人間じゃないってば」
「ダメダメという意味ならアッキーも同じだわ。アッキーはわたくしがいないとパンツ1枚洗えないのだから」
「それは那須原さんのことでしょうが。いっつも僕に洋服は勿論下着まで洗わせて」
温度差がある。集合場所に戻って来た他の2組と俺と加奈子の間に流れる空気は明らかに違う。
姫小路くんペアと吉井くんペアは和気藹々とした雰囲気を醸し出している。午前中のデートを通じて何か進展があったのだろう。仲睦まじきことはいいことだ。
それに比べると──
「………………っ」
加奈子は眉に皺を寄せて難しい表情をしたまま黙っている。
コイツが不機嫌な理由は分かっている。
つい先ほどの不忍池でのやり取りで俺が彼女を満足させる返答を出せなかったから。
『あたしと京介がさ、より良い生き方をできるように……一緒に努力、してみるって言うのはどうだ?』
加奈子が何を望んでいるのかは分かっていた。
アイツはこの間俺に素直に好意を、愛情を示してくれてきたのだから。
『…………前向きに、善処する、よ』
それに対して俺の出した答えはお茶を濁すものだった。
加奈子の想いを受け止めきれなかった。
「最悪だな、俺」
別に加奈子のことは嫌いじゃない。好きなのだとも分かっている。
じゃあ、恋人になりたいのか? ずっと一緒に居たいのか?
そう自分に問い質した場合……その答えが分からない。自分自身がよく分からない。
「ビビってんのが自分でも分かる」
夏の日の黒猫との交際、そして夏の終わりの突然の別れは俺を臆病にさせた。
鈍感な上に臆病。
女の子と付き合うことに対してビビってしまっている。
それが現在の俺、高坂京介だった。
「俺はいつからこんなに……内に引き篭もる無気力人間になっちまったんだか」
自分が情けなくて泣けてくる。
中学時代の俺は、全力で突っ走る生活を24時間続けていた。ちょっとした問題でも自分からガンガン首を突っ込んで解決していっていた。自分の正義感を衝動のままにひたすら満たしていった。
「あの反動だよな、やっぱ」
だけど俺はお節介をやり過ぎてしまった。大切な子を傷つけてしまった。そしてそんな俺を疎ましく思っていた周囲がここぞとばかりに責めてきた。
それで俺は自分からは何も動かない、何も感じない人間になった。
「そう言えば……次にやる気になったのって桐乃のエロゲー騒動の時だったっけ」
それから3年、ようやく俺は桐乃の人生相談を通じてやる気のある自分を取り戻した。
高2の初夏から高3の夏にかけて……俺は以前のお節介行動派京介に戻りかけていたのかもしれない。だけど、だけどだ。
「やっぱり、あの時のことは何度思い出しても死んでしまいたくなるもんな」
生まれて初めて女の子と付き合った。
黒猫と恋人同士として過ごしたあのひと時はどんな時よりも俺を輝かせていた。
でも、それだけに別れを告げられた時はきつかった。
永遠に続くと思っていた光り輝く時間が突如失われた。
死にたくなった。
桐乃のおかげもあって俺は立ち直ることができた。でも、黒猫との悲しい別れは俺をまた受身で逃げ腰な男に変えてしまった。無気力で臆病で精神的引きこもりへと引き戻してしまった。
そう、俺は女の子に振られることを極端に恐れている。だから、振られないように最初から距離を置いている。それが今の俺なのだ。
「思い返してみると浮き沈みが激しい人生を送ってるんだなあ」
ため息が出る。躁鬱状態が激しい人生だ。そしてその転換には必ず女の子が絡んでいる。
女が人生の分岐点というとモテまくりに聞こえなくもないが……実際は苦い思い出ばかりだ。そして、今も……。
「加奈子は……いや、加奈子を言い訳にするのはおかしいよな。俺の問題だ。俺が自分で進み出さなきゃいけない問題なんだ」
ここで加奈子にすがる訳にはいかない。これは他ならぬ俺の内なる戦いなのだから。
「京介はさっきから何をブツブツ…………えっ?」
加奈子の言葉が途中で止まった。
驚きながら視線を下へと下げる。
彼女には分かっているはずだった。加奈子の小さくて可愛らしい手が大きな手に包まれていることに。
俺は、加奈子の手を握っていた。
「えっと、どういうつもりだ?」
加奈子は唇を尖らせ眉を寄せながら戸惑った声を出した。どう反応していいのか分からないらしい。
「俺のお前への想いを精一杯の行為で示してみたんだ」
自分の行動の意味を口にしてみた。
「精一杯の行為がお手て繋いでって……オメェは小学生かっての!」
加奈子は随分と不服そう。
「…………でも、そっか。京介なりに、あたしの為に全力を出してくれているんだな」
と思ったら急に笑顔を零した。
どうやら、少しはお気に召してくれたらしい。
「だがな、加奈子。言っておくぞ」
「何をだよ?」
加奈子が再び疑いの瞳を俺に向ける。
「俺が手を繋いだぐらいで満足する小さな男だと思うなよ」
「ほぉ~。じゃあ京介はもっとスゲェ要求をしてくるのか? そんな勇気がオメェにあるとでもいいたいのか? ヘタレの分際で」
「ああっ! 俺は手を繋ぐことに成功したら、次はいつおっぱい揉んで良いのか真剣に悩んじまうナイスガイだッ!」
黒猫の時がそうだった。
「あたしに揉める乳があるんなら揉んでみろってんだ! って、誰がナイチチだってのッ!」
加奈子はノリツッコミを入れながら怒鳴る。
「ふっ。あはは。あっはっはっはっは」
大きく口を開けて腹を抱えながら笑い始めた。
「この加奈子さまを大笑いさせるとはやるじゃねえか」
「ノリツッコミしたのは全部加奈子だけどな」
俺たちの口からプッと息が漏れ出た。
「しかし、そっか。京介は加奈子のおっぱいが揉みたいのか。このスケベがぁ」
目を瞑って思案顔になる加奈子。しかし口元はニヤニヤと動き続けている。
「いや、そんな風にマジで受け取るな。俺が変態だと思われるだろうが」
俺が初めておっぱい揉みたいと思ったのは黒猫だ。
黒猫の場合、胸は大きくはなかったけれど、容姿的にはちゃんと高校生然としていた。特に制服や白猫モードの時は。一方で加奈子の場合は……。
「今の俺はどう見ても小学生の胸を揉みたいって言っている変態男にしか見えないよな」
加奈子の容姿、言動が子供っぽいこともあって俺は自分が犯罪者になったかのような錯覚をおぼえてしまう。
「そんな世間の反応なんて気にすんなよ」
目を開いた加奈子は両手で俺の右手を掴んだ。
「よしっ! 京介があたしの乳を揉むことをあたしが許可してやるぜ」
「えっ!? マジッすか!?」
思わず声が上ずってしまった。でも、仕方ないないじゃないか。男の子なんだもん。
「ただし、加奈子のことをちゃんとした恋人にしてくれたらな♪」
「チッ! トラップかよ」
危うく乗ってしまう所だった。
「何を不服そうな顔してんだよ? 恋人同士にさえなれば、いつでも乳を揉めるんだぜ。ロリコン貧乳マニアの京介にとっては超いい話じゃねえか」
「誰がロリコン貧乳マニアだッ!」
怒ってみせるものの加奈子はニヤニヤした表情で俺に顔を近付けてくる。
「もぉ~あたしと付き合っちゃえよ~。そうすれば何もかんも上手くいくぜ、きっと」
「断る」
キッパリと断りを告げる。
「…………そりゃあ、あたしは瑠璃に比べても胸ちっちゃいから揉みごたえはねえかもしれねえけどよぉ」
加奈子は両手で自分の胸を揉もうとした。しかし、出っ張りがなさ過ぎて上手くいかなかった。
「別に揉みごたえの話をしているわけじゃねえよ」
「…………じゃあやっぱり、あたしに不満があるってことか」
加奈子の低い声にドキッとさせられる。
「別に俺は加奈子に不満があるわけじゃ……」
今一番親しい女の子は誰かと問われれば俺は間違いなく加奈子と答える。でもそれは……。
「つまり京介の中であたしはキープってポジションなんだな」
「えっ?」
加奈子の言葉は……考えないようにしていた俺のずるい部分を引き当ててしまっていた。
「瑠璃や麻奈実師匠が本気になったら京介はそれっぽい理屈を並べながらそっちを選ぶ。加奈子は桐乃の友達、妹の友達の延長線上にいるってことぐらい分かってる」
「そんなことは……」
否定したいのにできない。
「京介はあたしやあやせっていうキープを保持してぬるま湯を続けていたい。あわよくば瑠璃と寄りを戻したい。師匠と幼馴染以上の関係になりたい」
「…………っ」
「あたしはその現状を打破したい。京介とイチャイチャラブラブしたい。そういう構図の話だろ、これは?」
「………………そう、なのかもな」
加奈子の観察眼は大したものだった。認めるしかない。
黒猫の時もそうだった。
俺は妹のような年下の少女に惹かれる。構ってお節介を焼きたがる。
でも、妹のような地位として認識してしまうからこそ恋愛対象としては見ない。エロい目で見ることはあってもだ。
それを最初に指摘したのは黒猫だった。
そして彼女は……妹という地位を拒否して1人の女の子として俺と向かい合ってくれた。
「だからあたしのやることは簡単だ。京介をあたしに惚れさせる。妹じゃなくて1人の女として見させてやるよ」
ニッヒッヒッヒと加奈子は意地悪そうに笑った。
どうやら加奈子には本当に全てお見通しらしい。
ほんと、妹の友達には鋭いのが多くて困る。
そう言えば、黒猫が桐乃を介さずに直接俺と交流するようになったのっていつからだったか?
同様にして加奈子が俺の部屋に直行で入ってくるようになったのはいつからだったか?
俺と加奈子は今でも間に桐乃やあやせを挟んだ関係なのか? ……違う。
今日のデートに桐乃やあやせは関係あるのか? ……違う。
俺が加奈子を助けたかったんじゃないのか? ……そうだ。
俺が加奈子を誰にも盗られたくなかったからここにいるんじゃないのか? ……そう、だ。
「なんだ……俺はもうとっくに……」
舌打ちが出ていた。あまりにも簡単なことに俺自身が気付いていなかった。そのことに気付いてしまった。
「うん? どうした?」
「自分の隠された強欲さに気付いただけだ」
ため息が出る。
「気付いたんなら、加奈子を嫁にもらっちまえよ。そうすりゃ、何もかんも悩みは解決するぜ」
「さっきよりも要求の度合いが上がってるぞ。なんだ、嫁って?」
「あたしってばさあ、師匠の下で料理の修行に励んでるんだぜ。来年の今頃にはきっと世界チャンプクラスに成長してる。もらい得だって、絶対。にっはっはっは」
「お前のその自信過剰はたまに羨ましくなるよ」
中二までの俺とかなりそっくりなのが悲しくもあり嬉しくもある。
「まあ、そんなわけで家内が明るくなることも請負のあたしが京介の嫁に一番相応しいと。よく覚えておいてくれ」
「へいへい。前向きに善処させてもらいますよ」
「またそれを言うのかよ?」
2人で顔を見合わせて笑った。
「2人が戻ってきた時は心配したけれど、高坂さんと加奈子ちゃんも今は随分仲が良さそうだね」
「バカなお兄ちゃん。葉月たちも負けないようにもっとラブラブになるのです♪」
「いやいやいや。だから、僕と葉月ちゃんはラブラブっていうか、恋人同士じゃないってば」
「葉月のファーストキスを奪っておいて、ひどい男なのです♪ でも、すぐに葉月にメロメロにしてやるのです♪」
「アッキー。私たちのラブラブ度が他の2組に負けるような屈辱は許さないわ」
「那須原さん。別にそうやって競い合うことでもないよね? っていうか、僕はまだ那須原さんとカップルになった覚えはないよ」
「あらっ? 私の初めての唇を強引に奪った分際でよく言うわね。あの陵辱キスのせいで99.98%の確率で私は妊娠したはずだというのに、責任を取らないつもり?」
「キスで子供はできないからね……」
他の2組のカップルも俺たちを見ながら楽しそうにしている。
ようやく、今日ここに来たことが間違いでないと思えるようになったのだった。
「秋子……大丈夫かしらね?」
「辛い、ですよね……っ」
植え込みの中にしゃがみ込みながらあやせと顔を合わせて語り合う。
秋子の今の胸の内を考えるとウチまで泣いてしまいそうだった。
「まさか……秋人お兄さんが那須原さんとの交際にあんなに真剣になってしまうとは思いませんでした。私が午前中に余計な茶々を入れたせいで、火がついてしまったのですね」
「あやせが気に病む必要はないよ。あの2人……前から惹かれ合っていたみたいだから。だから、今日のことはただのきっかけに過ぎないよ」
姫小路秋人と那須原アナスタシアがカップルになったのはウチらが色々とちょっかいを出したからに他ならない。そして結果的に最後の後押しをしてしまったのは他ならぬ秋子自身だった。
………
……
…
『お兄ちゃんと那須原さんの交際許すまじぃいいいいいいいいいいいぃっ!!』
昼食が済み、再び分かれて行動を始めた秋人とアナスタシアに対してウチらは3人で襲撃を仕掛けた。
作戦も何もない力攻め。2人を物理的に引き離してしまえば心も離れるんじゃないか。秋人の心はアナスタシアへと傾いていないことを前提にした単純な行動だった。
そう。私たちは秋人の心の内を読み損ねていたのだった。
『やめるんだ、秋子ッ!!』
ハリセンを持って襲い掛かる秋子。その秋子から身を楯にしてアナスタシアを守ったのは他ならぬ秋人だった。
パシンッというテレビ番組で聞く大きな音が鳴り響いた。
『おっ、お兄ちゃん……っ!?』
秋子の攻撃を額にモロに受けたのは秋人だった。その秋人は全く退かない。両手を広げてウチらの進軍を阻んでいた。
『やめるんだ、秋子』
『でっ、でもっ! 私にだって、譲れないことはあるんです!』
睨み合う兄と妹。
2人の剣幕にウチもあやせも黙って立ち尽くすしかない。それはアナスタシアも同じだった。
ウチらは兄妹の話し合いの推移をジッと見守っていた。
『お兄ちゃんに確かめたいことがあるんです』
秋子は果敢だった。勇気があって。考えたことを口に出せる、行動で示せる素敵な子。
『何を?』
『お兄ちゃんと那須原さんの仲についてです』
秋子は直球勝負で話を切り出した。
『お兄ちゃんは那須原さんのことをどう思っているのですか? 好きなのですか?』
秋子はどこまでも真っ直ぐだった。3球全部ストライクゾーンにストレートを投げ込んできた。
その裏には多分、大きな自信があったのだとも思う。
秋人はこの質問に対してハッキリ返答することはないだろうと。おそらくそれまでの秋人はアキのように女の子の気持ちに鈍感だったり、想いをはぐらかすような言動を繰り返してきたのだろう。
今回もまた同じことが起きる。そして、はぐらかされたアナスタシアは秋人を今回も諦めざるを得なくなる。
そう秋子は踏んでいたのだと思う。けれど、現実はそうはならなかった。
『………………僕は、那須原さんのことが、好き、なんだと思う』
秋人は辿たどしく小さな声で返答してみせた。
『えっ? 今、何て……?』
秋子は信じられないと言った感じで聞き返した。
だけど秋子のその返答は秋人に更なる1歩を踏み出させる結果を生んだ。
『僕は、那須原さんが、好きなんだ』
秋人は先ほどよりも強い表現でアナスタシアに対する想いを表現した。
『あっ』
アナスタシアは息を呑んだ。
『じょ、冗談ですよね……?』
秋子の表情が目に見えて引き攣った。
『昨日までの僕なら冗談だったかもしれない』
『じゃあ、だったら!』
『僕は今日のデートを通じて……那須原さんが好きなんだと段々思うようになった』
秋人の言葉は断定じゃない。付け入る隙はある曖昧さを多く含んでいる。
でも、秋人は秋子との会話を通じてアナスタシアへの想いを鮮明にしていった。
『那須原さんは確かにわがままだし、僕の話を少しも聞いてくれない。家事もできないし、屁理屈ばっかり述べる』
『アッキー……事実だとしてもひどい。もう少し褒めてくれたって……』
『でもさ、僕はそんな那須原さんと一緒に過ごすことが……苦痛じゃない。楽しいんだ』
秋人は笑ってみせた。
『僕も那須原さんに意地悪なことを言い返しているのがいいストレス解消になってるし』
『アッキー……』
『ひねくれた那須原さんと本当は意地悪な僕。2人で傍目からは漫才にしか聞こえないやり取りを続けるのが楽しい。東京に出てくる前には考えられなかった大切な体験なんだ』
『そうだとしても、お兄ちゃんは私とも小粋なトークをずっと交わしてくれているじゃないですか。お兄ちゃんは私をはぐらかすことにS気な喜びを得ているはずです』
『うん。それは否定しないよ』
秋人は頷いた。その返事は秋子には予想外のようで口を大きく開いた。
『僕が本当の僕だと思っている自分は、割と狡猾で残忍でドSだと分析しているよ。僕の環境はそんな本当の自分を出すことを決して許さない。だから僕は常に抑制を働かせながら生きている。今後もずっとね』
『じゃあ、お兄ちゃんは私のことをどう思っているんですかっ!? 本当のお兄ちゃんは!』
秋子の声は掠れるほどに感極まっている。全身が震えている。不安に違いなかった。
『僕はね、秋子のことを誰にも手放したくない。相手がどんなにいい奴で、どんなにハイスペックだとしても。秋子にはお嫁に行かないで一生僕の側にいて欲しいと思ってる』
『だったら、じゃあっ、私がお兄ちゃんのお嫁さんになれば済む問題じゃないですか!』
秋人は首を横に振った。
『でもそれは多分、世間で言う親バカという感覚と同じなんだと思う。僕は秋子が愛らしくて仕方ない。ものすごい独占欲に満たされている。でも、秋子を性的なパートナーの対象と捉えたいわけじゃないんだ。将来夫婦になって子どもを作るって言うのはそういう過程でもあるのだし』
秋人はわずかに僅かに紅潮しながら秋子から視線を少し外す。
随分と踏み込んだ表現だった。
『パートナー……』
アナスタシアは秋人の発言が予想外だったみたいですごく照れている。
『僕は秋子のことが好きだから一生側にいたい。秋子は大切な妹。かけがいのない、たった1人の家族なんだから』
秋子は唇を強く噛みながら俯いた。
『じゃあ、那須原さんは?』
秋子は顔を上げなかった。
『…………僕と新しく家族になって欲しい人』
秋人の返答に重い空気が辺りを包み込む。
『……………………そう、ですか』
秋子は数十秒が経過した後にようやく答えた。ずっと俯いたまま。表情は見えない。覗き込むなんてできない。
『お兄ちゃんにお願いがあります』
秋子は俯いて小さな声で喋る姿勢を崩さない。
『…………何を?』
『…………那須原さんに今すぐこの場で、告白してもらえませんか?』
秋子の提案の内容にウチらはみんな驚きを隠せなかった。けれど、その言葉の意味と問われているもの、そして秋子の覚悟を考えるととても茶化すことはできなかった。
秋人は天を仰いだ。薄く目を開いて秋の昼間の青空を眺める。
『…………分かった』
秋人が首を戻して返答をしたのは1分経ってからのことだった。
秋人はゆっくりと体の向きを変えて後ろに立っていたアナスタシアと向かい合った。
『このタイミングでこんなことを言うのは那須原さんにとっては失礼かもしれない。でも、これは僕たち兄妹にとっては避けられない問題なんだ。それを理解して欲しい』
『…………ええ』
アナスタシアはわずかに目線を下げながら頷いてみせた。
『那須原さん……アナスタシアさん』
『アナと呼んでくれればいいわ』
『じゃあ、アナ』
『女をア…………はい』
アナスタシアは何かを言いかけて止めた。代わりに顔を上げて秋人の目をジッと覗き込んだ。2人の間に広がる緊張がウチらにも伝わってきた。
でも、秋人はその緊張に負けて場の雰囲気を茶化そうとはしなかった。それはきっと秋子が真剣な表情で秋人を見つめ続けていたから。
『僕は…………アナのことが好きなんだ。付き合って欲しい』
静寂に包まれた空間の中、秋人はハッキリとした声で告白した。
アナスタシアの頬が急激に紅潮するのが見て取れた。瞳もいつもとは違い大きく開かれている。
けれど、彼女は秋子の方を見るとすぐに表情をいつもの能面に戻した。
『…………返事は、今すぐ、しないと、ダメかしら?』
普段通りの抑揚のない声を出そうとしていた。けれど所々でつっかえていた。
秋子のことを気にしているのは明白だった。
『…………いや。僕の気持ちは伝えたから。答えはじっくり出してくれれば良いよ』
秋人は荒い呼吸を繰り返しながら返答した。そんな秋人の告白を見た秋子は……
『お願いです、那須原さん。私のことをお友達と思ってくれるているのなら……お兄ちゃんに返事してもらえませんか?』
誰にとっても過酷な、ケジメを付けることを望んだ。
そして──
『私は……姫小路秋人が……秋人のことが好きよ。私を秋人の彼女にして…ください』
秋子は目を逸らすことなくアナスタシアの返事を聞ききった。
『美波さん、あやせちゃん。申し訳ありませんが、今日はお先に失礼させてもらいますね』
秋子はウチとあやせへと向かってゆっくりと頭を下げた。
『あっ、秋子……』
『秋子お姉さん……』
秋子のとても寂しそうな顔を見てウチらは何も言えなかった。
泣きそうな表情を浮かべていた。でも決して泣かなかった。
震えるその口は何度も開きそうになった。でも声を発することはなかった。
彼女は耐えていた。
本当は泣き出したいに違いなかった。秋人とアナスタシアを怒鳴り散らしたいに違いなかった。でも、秋子はそれをしなかった。
代わりに大きく深呼吸を繰り返すとウチらに背を向けて遠ざかっていった。
『私はダメでしたけど……美波さんとあやせさんの恋が上手くいくことをお祈りしていますね』
ウチたちに励ましの一言を残しながら。
…
……
………
「美波お姉さんはこれからどうしますか?」
あやせの問いに回想の海からこちらへと思考が回帰する。
「秋子はとっても頑張ったわよね」
あやせを向いて語りかける。
「はっ、はい。あの流れからは失恋するって分かっていたはずなのに、最後まで逃げませんでした。立派でした」
「なら、秋子だけに頑張らせるわけにはいかないわよ。ウチは、秋子の勇気に続くわ」
「わたしも……頑張ります」
ウチは確かに秋子から勇気をもらった。だから、今度はその勇気をウチが行動で示す番だった。
「葉月はバカなお兄ちゃんと大人のキスをしてしまいました♪ 葉月はもうバカなお兄ちゃんのお嫁さんになるしかないのです♪」
「いや、葉月ちゃん。だからね、あのキスは事故であって、僕が葉月ちゃんとキスがしたくてしたものじゃなくて。僕はそんな幼い子を恋愛対象にする犯罪者じゃなくってね」
「でも、葉月は偶然あの場面を写真に収めてしまい、全世界に向けて偶然発信してしまったのです。写真を見た人たちがどう思うのか葉月は全くわからないのです♪」
「そ、そ、それはあ……」
葉月ちゃんの言う通りだった。
午前中、変な男女が走ってきて僕たちにぶつかったせいで、僕と葉月ちゃんはキスしてしまった。
しかもその場面がインターネット上に流れてしまっている。
雄二やムッツリーニからは今すぐ自害するように催促のメールが何本も届いている。FFF団からは嫌がらせのスパムメールがひっきりなしに届いてくる始末。
だが、クラスの男たちからの反応はこの際どうでもいい。アイツらFクラスだけあって全員バカだから。写真の裏の深淵の誤解があるなんて想像もできないだろう。
問題は、女子だ。
美波、姫路さん、秀吉というF組が誇る美少女3人からどんな反応を受けるかだ。
もし姫路さんと秀吉に僕から葉月ちゃんにキスしたと誤解されたら……僕は失意の内に舌を噛み切らなければならないだろう。
もし美波に僕から葉月ちゃんにキスしたと誤解されたら……僕は失意の内に舌を噛み切らせられるだろう。
「美波にだけは、美波にだけはキスをしたという事実を隠し通さないといけない。僕の命を今日で終わらせないために……」
美波に知られるとは絶対の死を意味している。
「大丈夫。日本語が苦手な美波はインターネットをあまり活用していない。だから、発見は遅れるはず。発見されるまでの間に何か言い訳を考えればいい。うん、そうだっ!」
僕は生き残るための算段を必死に立てていた。
「あっ! お姉ちゃん、なのです♪」
「へぇ~美波が上野に来てるんだ。やっぱり葉月ちゃんのことが心配だったんだろうねえ…………って、えっ?」
葉月ちゃんの言葉の意味を理解した所で僕の時は凍りついた。
全身をガタガタと震わせながら視線を葉月ちゃんが見ている右手へと向ける。
すると、そこに立っていた。
「アキ…………大事な話があるの」
他者を圧倒する絶対の闘気をまとった聖帝(メインヒロイン)の異名を持つペッタンコ少女の姿が。
「みっ、美波……っ」
最も会いたくない人物に最も会いたくないタイミングで出会ってしまった。
考えてみれば、今朝も逃げるようにして葉月ちゃんを上野に連れ出してしまった形になったのだし。
それだけでも万死に値するだろうに、キスまで。ぼ、僕は一体どうしたらいいんだっ!?
「……何故お姉ちゃんがこのタイミングで現れるのですか? こんなの葉月の計算にはないのです」
葉月ちゃんも美波が現れたことにすごく驚いている。けれど、天真爛漫な小学生はすぐに表情を明るいものへと変え直した。
「……まあいいのです。布石はもう打っておいたのです。ここで島田美波に引導を渡して葉月がバカなお兄ちゃんのお嫁さんになるのです。クックックなのです」
葉月ちゃんはニコニコしながらカバンから携帯電話を取り出した。
「えっ? ちょっと葉月ちゃん。一体、君は何をするつもりなのかな!?」
体中から嫌な汗が流れ出す。
もしかしてこの子は、無邪気に僕に三途の川を渡らせる気なんじゃないのだろうか?
とても嫌な予感がした。
「葉月が大人の女になった証をお姉ちゃんにも見てもらうのです♪」
葉月ちゃんはとても愛らしい笑顔で僕に死刑判決を述べてくれた。
「あんな写真見せたら、僕は確実に美波に殺されるから! 無慈悲に残虐に冷酷に殺されるからっ!」
葉月ちゃんから携帯を取り上げようと手を伸ばす。
「北斗神拳奥義無想転生なのです♪」
だが、葉月ちゃんは北斗七星の形の動きを取りながら僕の手を避けてしまった。
葉月ちゃんは世界最強の殺人拳法の使い手でもあったらしい。
って、そんなことを言っている場合じゃないっ!
「ダメだ、葉月ちゃんっ!」
「葉月がバカなお兄ちゃんとキスをした証拠写真なのです♪」
「ダメぇ~~~~っ!!」
僕は再度葉月ちゃんを捕まえようとしたけれどもう遅かった。葉月ちゃんは液晶画面を美波に向かって開いてしまっていた。
「………………アキ」
とても低い、底冷えのする重圧を含んだ声が聞こえた。
「はっ、はっ、はいっ!」
僕は直立不動の姿勢を取りながら美波に応える。
「何か申し開きは?」
美波の隣に植えてある大きな広葉樹の葉っぱが一瞬にして全部舞い落ちた。美波の気の仕業に違いなかった。
「偶然が幾つも重なった結果でありまして……決して故意ではありませんっ!」
指をまっすぐに伸ばして足に付けながら背筋を伸ばして意見を表明する。
「バカなお兄ちゃんからの蕩けるようなキス……とても情熱的だったのです。きゃっ♪」
葉月ちゃんは両手で顔を覆いながら照れてみせた。その仕草自体はとても可愛い。でも、その言動は僕を死へと追いやるものだった。
「妹はこう言っているんだけど?」
周囲一帯の木々の葉っぱが一斉に吹き飛ぶ。
どうする?
どう答えれば僕の命は助かるんだ?
『バカなお兄ちゃんには葉月がいてあげないとダメダメなのです♪』
『いやいやいや。僕はそんな小学生に依存しっ放しのダメな人間じゃないってば』
その時浮かび上がったのは昼食時のやり取り。
「そうだ。僕はこの場を正々堂々と切り抜けて、葉月ちゃんに頼りっ放しのダメ人間じゃないことを証明してやるっ!」
僕の中にかつてないほど熱い炎が灯った。
「葉月ちゃんとのキスは……そうっ! 冗談なんだっ! ただの遊びなんだよ!」
「「………………っ!?」」
僕は大声で自分の無罪を訴えた。けれど、同時にふと不安になった。
「あれ? 僕は今何と口にしたっけ?」
全身からひっきりなしに嫌な汗が流れ出しながら考え直してみる。
「葉月ちゃんとのキスは冗談でただの遊びと言ったような……」
僕は葉月ちゃんと付き合っていないことを証明したかった。けれど、僕はすごく言葉を選び間違えてしまった気がしてならない。
今のセリフじゃあまるで……僕が葉月ちゃんを弄んだみたいじゃないか。付き合う気はないけれど1日中連れ回して唇を奪ったみたいだ。
もし、僕が危惧した通りに美波が誤解してしまったら……僕は殺されるか自殺するしかないじゃないか!
「あの……美波?」
ドキドキしながら美波を見る。もしかすると誤解しないで理解してくれているかもと微かな期待を抱きながら。
「アキには2つの選択肢があるわ」
「2、つ?」
嫌な予感しかしなかった。
「ウチに殺されるか、今すぐ自殺して詫びるかどっちかにしなさい」
予想通りの展開だった。
「あの、僕の話を聞いて、誤解を解くっていう第3の選択肢はないかなあ?」
「妹を弄んで唇を奪った外道の何を聞くと言うのかしら?」
美波の瞳はどこまでも冷たい。
「妹の心をズタズタにして、なおかつ飽き足らないと言うのっ!」
葉月ちゃんは美波を見ながらジッと考える仕草を取った。そして──
「葉月は汚れてしまった身体なのです。もう、お嫁に行けないのです。うっうっう。なのです」
明らかな泣き真似をしてみせた。それは普段であれば確実に真実でないと分かる演技。
「妹を泣かせたわねぇ~~っ!!」
けれど、怒り狂っている美波にはその嘘を分かってくれない。
「葉月はもう、バカなお兄ちゃんに責任を取ってもらうしか幸せになる道は残っていないのです」
「アキっ! 女の敵っ! 死になさぁ~~いっ!!」
「チッ! お姉ちゃんに引導を渡してやれると思ったのに……計画台なしなのです」
泣き真似から舌打ちをしてみせた葉月ちゃんを無視する形で美波の怒りは膨れ上がっていく。そして──
「アキが死ねば……全てが丸く収まるのよぉ~~~~っ!!」
美波は拳を振り上げ僕に襲いかかってきた。
「ご無体なぁああああああぁっ!?」
「こんなにもお姉ちゃんが怒るなんて想定外なのですっ! バカなお兄ちゃん、全力で逃げてくださいなのですっ! 早くっ!!」
葉月ちゃんが大声を張り上げる。美波の問答無用の突進は葉月ちゃんにとっても予想外だったみたいですごく焦っている。それ以上に焦っているのが僕なのだけども。
「アキが死んでくれれば葉月が唇を奪われた事実も、ウチの失恋も全部闇に葬りされるのよぉっ!!」
美波の拳が光って唸っている。あんな状態での一撃を喰らえば死ねる自信がある。
「僕は……全力で逃げるっ!! 美波が攻撃のスペシャリストなら僕は逃げのスペシャリストだっ!」
葉月ちゃんの前で格好悪いけれど僕は全ての力を注ぎ込んで逃げることにした。
F組のクラスメイトによって何度となく殺されかけてきた僕。逃げることに関しては誰にも負けない実力を持っている。
美波の攻撃地点(要するに僕の顔)を予測し、それに対して適切な回避手段を取る。
「美波の拳に対して防御力を高めた所で無意味。敏捷さを活かして避けるのみっ!」
どう美波に対抗するかの大枠の方針を定める。次に下位の方針を定めることにする。すなわち、大きく避けるか直前で小さく避けるかという具体的な行動だ。
この場合、相手の射程圏外に出てしまった方がいいことは一々説明する必要がない。最終的には美波の視界から消えるのが望ましい。
けれど、それはあくまでも最終目標だ。
加速して迫ってくる美波に対してこれから背を向けて逃げ始めようなんて愚の骨頂。だから僕がやるべき行動は……。
「あうっ!? バカなお兄ちゃんがお姉ちゃんに向かって突っ込んでいくのです!?」
葉月ちゃんが驚きながら解説する通りに僕は美波に向かって突っ込んでいく。
自殺行為のためじゃない。逃亡という名の勝利をこの手に掴むために。
「チッ!」
美波が舌打ちしたのが聞こえた。僕の顔をロックしていたはずの右拳が微かに揺れている。狙いが定まらないのだ。
そう。相対速度を考えれば簡単なことだった。
美波は全速力で僕に向かって突っ込んできている。人間全速力で走りながら手足の動作を制御することは難しい。サッカーで走る速度を速めるほどボールコントロールが難しくなるように。美波だって例外じゃない。全力疾走からの攻撃は彼女にだって難しい。
そこに僕が美波に向かって突っ込むことで、彼女から見た僕の接近は更に速まった。すなわち、彼女の想定外の速度で僕たちは近付いている。これでは的が絞れないのだ。
後はすれ違いながら美波の空振りを誘発すれば僕はそのまま逃げてしまうことができる。追ってが美波1人である以上、僕の逃走は達成される。
そうなるはずだった。
でも、その時僕にとって予想外のことが起きた。
「え~い、しつこいぞお前らっ!」
「落ち着いて食事もできないのデ~ス!」
昼前に遭遇した男女2人組だった。あの時は2人に激突されたせいで葉月ちゃんとキスするハプニングが起きた。その2人が僕の右側から突っ込んでくる。
「今度こそ……同じ過ちは2度繰り返さないっ!」
速度を緩めながら男女を避けにかかる。今度はぶつからない。その自信があった。僕に関しては……。
「って、美波っ! 横っ! 横ぉ~~っ!!」
美波は2人の接近に気付いていなかった。
そして美波が2人の接近に気付いていないことが何を意味するのか?
「へっ?」
それに気付いた時にはもう遅すぎた。
「うわっ!?」
「きゃ~なのデスッ!?」
「一体何なんよ、アンタたちは!? って、きゃぁああああああああぁっ!?」
美波は斜め後方から2人にぶつかられ、前方へとよろけた。
「って、何で僕の方に向かってくるんだよ!?」
「ウチに聞かないでぇ~~っ!!」
美波の動きは予測不可能な不規則さを見せた。僕は彼女を避けられなかった。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
美波は僕にぶつかってそのまま押し倒す形となった。
「「へっ?」」
僕と美波の唇がくっ付くハプニング付きで。
最初に感じたのは懐かしさだった。
かつて1度だけ経験したことがある柔らかさと温かさ。
それをウチは唇を通して脳から過去の記憶を蘇らせていた。
初めて本気で男の子を好きになった時の記憶を……。
「みっ、美波……っ!?」
真下から声が聞こえて我に返る。
アキの声だった。
気付くとウチはアキの上に馬乗りになって地面に倒れ込んでいた。ウチとアキの顔が重なった状態で。ウチはアキにずっとキスしていた。
「あっ」
慌てて上半身を起こしてアキの顔から離れる。キスしてしまっていたことが恥ずかしかった。でも、だけど……。
「いっ、今のキスは……わ、分かってると思うけど……」
「事故だってことはよく分かってるから。僕と葉月ちゃんのキスもまさに今みたいな感じで事故だったんだよ」
「そう……だわよね」
アキと葉月のキスは事故。なら、ウチとアキの今のキスも事故。思えば、ウチのファーストキスの時も一方的な勘違いからの強引なキスだった。
つまり、ウチはアキと想いが通じ合ったキスをしたことがない。
「美波、誤解も解けた所でそろそろ退いて欲しいんだけど……」
ウチがどれほどアキのことを大好きかという気持ちはいまだ伝わっていない。
「あの、美波?」
ウチの気持ちは伝わってない。こんなにもアキのことが大好きなのにっ!
「どう、しちゃったの?」
『私はダメでしたけど……美波さんとあやせさんの恋が上手くいくことをお祈りしていますね』
秋子のことを考えたら、このまま普段通りなんてウチには、私にはできなかった。
「アキ…………私は、あなたが大好き」
私はもう一度顔を下げてアキの唇に自分の唇を重ねた。
「えっ?」
3度目のキス。
私の想いを言葉にして添えた初めてのキス。
私の中にあった小さなわだかまりが、執着が唇から伝わる体温と共に溶けていく。
「み、美波!? い、今のキスって……」
キスを終えたらアキの体は微かに震えていた。
ちょっと傷つく反応。でも、アキは女の子をちょっと苦手にしている所がある。特に女の子の心に触れることに臆病な面がある。鈍感なのもきっとそのせい。
「よく聞いて。お願いだから」
今まではここで引いてしまっていた。ここから先は男の子に引っ張って欲しいと自分に言い聞かせながら。
でも、秋子はその固執が間違っていることを教えてくれた。彼女が見せてくれた勇気を無駄になんてできない。だから、だから……。
「私は……アキのことが大好きだから。この想い、伝わるまで何度だってキスできるから」
「みっ、美波……あっ」
私はアキの唇に何度も何度もキスをした。
自分の好きを隠そうとはもう思わなかった。
「アキに私の気持ち……伝わった? 私がどれだけアキのことを好きかっていう」
キスをするのが10回を超えた所でアキに確かめてみる。
「つ、伝わったから……」
呼吸困難のためかアキの顔は白くなっていた。
「どう、伝わったの?」
「その……美波が、僕のことを好きだってことが」
アキは恥ずかしそうに目を背けた。
「ずっと前から、アキのことが大好きだったんだからね。だから、今の出来事が一時の気の迷いだなんて思わないでね。本気なんだから」
「ああ……」
アキの胸に置いている手からドクンドクンと心臓の鼓動の音が聞こえてくる。鼓動がとても速い。アキはとても緊張している。
「私はね、アキのことが大好き。愛してる。友達としてじゃなくて、女の子としてアキが好きなんだから」
「…………うん」
大きく息を吸い込む。
「私の夢はね……アキのお嫁さんになることなんだ。アキと一生一緒にいたい。それが私の望みなの」
昨日まで自分から打ち明けることはないと思っていた心の内がスラスラと口から出た。
でもそれで負けた気分になるとか喪失感を覚えるとかはなかった。その逆だった。喋るほどに温かい気持ちになれた。こんな高揚感は生まれて初めてのことかもしれない。
「アキは……ウチのこと、私のことをお嫁さんにしてくれますか?」
恥ずかしかったけど、一番聞きたかった質問もできた。すごく幸せで満ち足りた気持ちが私の中を駆け巡っている。
「僕はいつだって大事なことを女の子の方から言わせてきた。今回もだ」
アキが息を大きく吐き出しながら上半身を起こした。馬乗り状態だったので自然と私は抱っこされている姿勢となる。
「僕はもっとしっかりしなくちゃダメだよね。男なんだから」
アキが私の顔を覗き込んでくる。
ちっ、近い。
自分から10回以上もキスしちゃったけれど、こうやってアキの方から迫られるとすごくドキドキする。
「僕はさ、恋って何なのかピンと来ない部分がある」
「エッチな本はたくさん持っているのに?」
「エッチな感情と恋って別物だからねっ!」
大声で訴えるアキ。
エッチと恋って果たして切り離せるものなのかしら?
だって、もしアキとお付き合いすることになったら……そういう展開が当然待っているわけで。アキに求められたら私は拒むなんてできないわけで。私だってそういうことに興味がないわけじゃなくて……。
「あの、美波?」
「なっ、何でもないのよ! ふっ、夫婦になっちゃえば何の問題もないんだからっ!」
「えっ?」
アキが大きく首を傾げている。しまった。またやっちゃった。
また、いつもみたいにここからコメディーパートが始まってしまったら……。
「とにかく、ね」
アキがギュッと私の手を握ってきた。
「僕は恋愛初心者でよく分からないことが多い。だけど、美波にキスしてもらって好きって言ってもらえてさ。一つ気が付いたことがあるんだ」
「何を?」
心臓をバクバク言わせながら彼の言葉を待つ。そして彼は言ってくれた。
「僕は美波とずっと一緒にいたい。一生僕の隣にいて欲しい」
アキは目を瞑ると少し強引に私の唇を奪った。
「あっ、アキ……」
アキからの初めてのキスだった。
私は目を瞑って彼の唇を、想いを受け入れた。
「…………まだ、男女交際の申し込みもされてないのに、いきなりプロポーズなんて」
名残惜しいキスが終わった後、私の口から発せられたのは照れ隠しの愚痴だった。
「じゃあさ、結婚を前提に僕と付き合ってくれない、かな?」
「何で言い方がちょっと軽いのよ?」
アキをジト目で非難する。
さっきあれだけ格好よくキメてくれたんだから、交際の申し込みもきちんとして欲しい。
私が男性からの交際を受け入れるのはこれが最初で最後なんだからいい思い出にさせて欲しい。
「えっと、じゃあ、改めて」
アキは咳払いをして表情を締め直した。
「君に、吉井美波になって欲しい」
アキっていう男がどこまでも残念であることを改めて理解する。きっとこれからの私の一生はこんな風に残念な出来事が続くのだろうなって思った。
「………………ぶつづか者ですが末永くよろしくお願いします」
だって、私は一生涯アキと共にいるってもう決めたんだから。こんな残念に負けてられるかっての。
「美波……それを言うなら不束者だよ」
アキが私を見ながら苦笑した。
「なっ、何よっ! ちょっと発音を間違えるぐらいいいじゃないの!」
恥ずかしさが一気に爆発する。
「いやいやいや。吉井家に嫁に来てもらう以上、日本語はちゃんとマスターしてもらわないとね」
「アキこそ、ウチのお婿さんなんだからドイツ語を覚えなさいよねっ!」
ワイワイガヤガヤ。いつもと同じ光景。
でも、私とアキの関係は昨日までとは違うものに変わっていて。
「とにかく美波は僕のお嫁さんなんだから、今後一切僕に暴力を振るうこと禁止っ!」
「何よっ! アキこそウチの夫なんだから、殴られないようにシャンとするべきでしょ!」
同じ軽口の叩き合いなのに、いつもよりとても楽しくて幸せな気分になれる。
「おいっ! そこのバカップルども。葉月の存在を無視してくれるんじゃねえのです」
妹らしからぬ怒声が鳴り響く。
それでウチは妹の存在をようやく思い出した。
「そこの泥棒猫。葉月のデート相手をたぶらかして婚約に漕ぎ着けるなんて……人として許されねえのです」
「ひぃいいいいいいいぃっ!!」
本気で怒っている葉月はとても怖かった。涙目になってしまうぐらいに。
「そしてヘタレ男。葉月とキスまでした分際で、同じ日にその姉にキスして婚約まで話を進めるって、幾ら何でもあり得ねえのです」
「ひぃいいいいいいいぃっ!!」
葉月の本気の怒りを初めて見たらしいアキもすごく震えている。
「アキ……ここは一旦逃げるわよ。こうなった葉月は時間を置くことでしか怒りが収まらないのよ」
「わっ、分かった」
アキはウチを抱きかかえたまま立ち上がった。意図せずお姫さま抱っこの姿勢となる。
「泥棒猫と同等の暴力を有する葉月から逃げられると思ったのですか?」
「…………そうだね」
アキはウチを地面へと下ろした。
「アキ?」
自分の足で立ち上がりながらアキの顔を覗き込む。
「ここは僕に任せて美波は先に逃げて」
アキの顔はとても真剣。冗談を言っているようには少しも感じられない。
「で、でも……」
「葉月ちゃんを説得したらすぐに僕も追いかけるよ。追いついたらさ……改めて僕たちの結婚の話をしよう」
アキの顔はいつになく精悍で凛々しい。でも、その言葉の内容はウチを不安にさせた。
「アキ、それって死亡フラグってヤツなんじゃ……」
「死亡フラグは脇役の場合だよ。僕と美波なら主人公とヒロイン。2人の誓いは絆という名の生還フラグになるんだ」
アキはとても恥ずかしいことを堂々と言ってのける。そんな彼の態度にウチもこれ以上反論する気が起きなくなる。
「美波はさっき、友達と一緒に僕たちを見ていただろ? その子たちと合流してきなよ」
秋子とあやせの顔が思い浮かぶ。今日のウチらは3人で行動してきた。急造とはいえチームに違いない。そしてあやせの戦いはまだ続いている。
「…………うん。分かった」
ロマンチックな気分に浸りながらアキと心中もいいかもなんて考えている時じゃない。あやせを助けるっ!
「じゃあ、先に行くから……アキもちゃんと追いかけてきてよね。死んじゃダメだからね」
「もちろんだよ」
力強く頷いてみせるアキ。私はちょっとだけ安堵感を覚えた。
「大好きよ、アキ」
「僕もだよ、美波」
アキに背を向けて一直線に葉月から遠ざかっていく。ダメな姉だけど、ダメな妻だけど……今は駆け去るしかなかった。アキの愛情に支えられながら友情に報いる。それが今の私のなすべきこと。
ウチは必死に駆け抜けていった。
『クックック。一緒に逃げるか、泥棒猫を置いていけばいいものを。バカなお兄ちゃんなのです』
『葉月ちゃんをいっぱい傷つけてしまったからね。その償いはするさ』
『いい覚悟なのです。葉月の初恋の失恋の痛み……バカなお兄ちゃんに遠慮なくぶつけさせてもらうのです』
『僕に何をしてもいいけれど……お姉ちゃん、美波とは仲良くして欲しいなあ』
『それは……バカなお兄ちゃんの態度次第なのです……自分の命が尽きようという時に、本当にバカなお兄ちゃんなのです。クスッ』
『僕の義妹は本当に過激だなあ』
「お兄さん……お話があります」
「えっ? あやせっ? どうしてここに?」
「チッ! ……まさか直接乗り込んでくるとはな」
京介とのわだかまりが解けて公園デートを楽しんでいる最中のことだった。
ソイツは突然現れた。
いや、その表現の仕方はおかしいか。あたしたちのことをずっと監視していた女は遂に姿を現した。
「もう、小細工はしません。秋子お姉さん、美波お姉さんが全力でぶつかっていったのです。わたしもまた、全力でぶつかります」
あやせの奴はやけに落ち着いた表情を見せている。
いつものヤンデレとは違う。ただテンションに身を任せて動いているわけでもない。つまり……。
「本気ってことだな」
策士が策を止めて正面から全力で掛かってくる。
最強のスペックを持ちながら、自分への言い訳のために策士として振舞ってきたあやせが今、本気の牙を剥いたのだ。
「チッ!」
また思わず舌打ちが出た。
京介のことは信じている。京介との親密度にだって自信はある。
でも、相手はあやせだ。
京介が世界で一番好みのタイプの顔をしている女。そして、京介の心をくすぐる一筋縄ではいかない屈折した性格。
「生まれながらの強者ってのは……本当に汚ねえよなあ」
こちとら、素のままだったら人から嫌われるしかない歪ぶりだってのによ。
あたしなんて必死に直して直して鉄の意志で改善してようやく人並みだってのによ。
きつく噛みしみている歯からギリギリと音が鳴る。
「…………大丈夫だ」
そんな時だった。京介がそっとあたしの手を握ってくれたのは。
「京介……っ」
その手のぬくもりは自然とあたしの心を落ち着かせてくれた。
あやせを見つめ返す瞳にも力が篭る。怒りとか嫉妬とかそういう感情じゃない、もっと落ち着いた何かがあたしの内から流れている。
「聞いてください、お兄さん。わたしは……」
あやせが大きく息を吸い込む。
いよいよあやせの奴の本気がくる。そう身構えた次の瞬間だった。
「お前らいい加減に追ってくるのを止めろっ!」
「本当にお前らしつこいデ~スっ!」
何度か目撃した、ヘタレ高校生とツインテおさげ少女のカップル。そしてそのデートを邪魔したいらしい女たち。
その御一行が例によってあたしたちへと向かって全力疾走で近付いてくる。
「おいおい。このまま乱戦に巻き込まれていつもみたいな曖昧ってのは勘弁だぜ」
ようやくあたしもあやせも京介も覚悟を決めたって言うのに。それを邪魔されるのはいただけねえ。
あやせも全身を震わせながら乱入者たちに対して苛立ちを表している。
さて、どうしたもんか?
「アンタたちにあやせの邪魔はさせないよ」
「人の恋路を邪魔するのは私たちが容赦しません」
すると今度は2人の女が全力疾走しながら現れ、ヘタレ男御一行へと突っ込んでいった。
「美波お姉さんっ! 秋子お姉さんっ!」
あやせと一緒にあたしたちをストーキングしている女たちだった。
ストーキング女たちは武力を行使しながらツインテお下げたちをつけ回している女たちを排除に掛かる。
あたしやあやせの10メートル手前で大乱戦が始まった。
「さあ、あやせっ! 想いの丈を思いっきり言っちゃいなさいっ! ここはウチらが防ぐから」
「全力でぶつかりましょうっ!」
どうやら、アイツらはあやせの援護に駆けつけたらしい。いっつも単独行動する孤独女だとばかり思っていたが……ちゃんと親身になってくれる友達はいたらしい。
「分かりました。わたし、頑張りますっ!」
2人の年上の友人の協力を得たあやせが再びあたしたちへと振り返る。
大きく息を吸い込む。
心を落ち着かせている。
あたしは何も言わずにあやせを見る。
この瞬間は、たとえ恋敵だろうが邪魔しちゃいけない。
そして彼女は言ったんだ。
「お兄さん……私はあなたのことが……大好きです」
……自分を飾り立てないあやせはすごく綺麗だった。
その清涼感に魅了されると同時に怖くもなった。
こんな規格外の美人が恋敵って言うのはやっぱり冷静じゃいられない。
全身が酷く強ばるのを感じずにはいられない。
「畜生っ」
荒い呼吸で京介の返事を待つ。
そして──
「ごめん。あやせの気持ちは嬉しいけれど、俺は君の想いに応えることができない」
京介の声が大乱戦が繰り広げられる公園内に響き渡った。
「俺は、加奈子のことが好きなんだ。ずっとコイツと一緒にいたい。だから、あやせの想いは受け入れられない」
……京介はそう言ってあたしを抱き寄せた。
あたしは京介の意外と逞しい胸に顔を埋めていた。
何だかあやせの登場からが全部夢みたいな感じが続いて現実味に乏しい。
でも、今あたしが感じている京介の体温は幻なんかじゃ決してなくて。
頭がクラクラする。わけ分かんねえ。
「お兄さん……1つだけお聞かせくださいますか?」
「何だ?」
京介はあたしを強く抱きしめた。京介の体も強ばっていた。
「出会ったばかりの頃のわたしと今のわたし……お兄さんにとって魅力的だと思えるのはどちらですか?」
京介の小さな息遣いが聞こえてきた。
「そんなの……今の方が100倍は魅力的に決まってるだろ。あやせにこの場でプロポーズしたいぐらいだぜ」
明るい声を出す京介。でも、その声は微かに上ずって空回っていた。
「……………………嘘つき」
あやせはあたしたちに背を向けた。発せられたその声は震えていた。
「拒絶しても拒絶しても何度も何度もプロポーズしてきたからちょっとその気になってみれば今度はあっさり振ってくるなんて……本当、最低男。大嫌い」
あやせは完全に涙声になっている。
「あんまりにも最低すぎるんで、2度とわたしの前に姿を現さないでください」
あやせは乱戦場へと近寄っていく。
「だから、そこのチンチクリンのペッタンコと一生仲良くやってください。わたしがもうあなたに興味を持たずに済むように」
あやせはスタンガンを右手に掲げ、そのスイッチを入れる。
「だから最後にもう1度だけ言わせてください」
スタンガンをバチバチ言わせながらアイツは言った。
「わたしはお兄さんのことが大嫌いで…大好きで……今でも愛していますっ! この想いはずっとずっと変わりませんからっ!」
あやせは京介の返事を待たずに眼帯女へと突撃を敢行していった。
「……あやせにどんな未練があろうと……京介は譲れねえんだよ」
あたしは京介の腰に両手を回して抱きしめ返した。
あたしからあやせへの精一杯の返事だった。
こうしてあたしたちのトリプルデートはひとつの顛末を迎えたのだった。
「なあ?」
「何だ?」
夕方。波乱続きのトリプルデートが終了し、上野公園から駅までの短い道のりを京介と2人並んで歩く。
「京介は恋人があたしで本当にいいのか?」
「ああ」
短くてぶっきらぼうな返事がきた。
「ロリコン呼ばわりされるぞ、きっと」
「構わねえよ。そんな陰口はどうでも」
やっぱりぶっきらぼうな返事。
「お前の彼女はチンチクリンのペッタンコって馬鹿にされるぞ」
「第三者がどう思おうが構わないっての」
「じゃあさ……」
隣を歩く頭1つ分以上大きな恋人の顔を見つめ上げる。
「京介はあたしのおっぱい揉みたいと思うか? ていうか、さっき揉みたがってたよな?」
「ブバッ!?」
咳き込みながら京介の上体が大きく崩れた。
「天下の往来で変なことを突然尋ねるな!」
「第三者がどう思おうが構わないんじゃないのか?」
「恥じらいとかモラルは持っとけ! お前、女の子だろうが」
京介の顔は真っ赤だ。
「まっ。揉みたくなったらいつでも言ってくれ。貧相な胸だが、恋人の頼みとあらばいつでも揉ませてやるよ」
「加奈子……お前、無駄に男らしいな」
京介の声に若干の呆れが見て取れた。
こんなにも恥ずかしい想いをしながら一生懸命セックスアピールしてやっていると言うのになんかムカつく。
「なら、今すぐ揉んでみるか? それ以上のこともしてみるか?」
ホテル街がある一角へと目線を向ける。
「おっ、おい……」
「あたしは京介の嫁になるんだ。だから……いいんだ」
組んでいる腕にギュッと力を込める。
「そっ、そういうことは……嬉しい申し出だが、ちゃんと両家の承認を得てからじゃないと……」
京介は日和見った。コイツ、普段はセクハラ紛いの発言を繰り返すわりに、いざという時はビビリでやがるな。でも、ま……。
「なら、これから早速京介の家に行こうぜ。加奈子のことを恋人として両親と桐乃に紹介してもらうぞ♪」
京介がその気になってくれないのなら、先に内堀から埋めてしまうのみ。
「えっ? 今からっすか?」
「おうっ」
力強く首を縦に振る。
「京介の両親や桐乃があたしを認めてくれるかは分からねえ。でも、早く挨拶しておけば、認めてもらえるための条件も見えてくる。そうしたら、その部分を改善できるってもんだ」
「…………強いな、お前は」
京介が目をぱちくりさせながら驚きの表情を見せる。
「あたしみたいな人間は強くなんなきゃ生きていけないんだよ」
京介の腕を思い切り引っ張る。
これはあたしのモンだって誰に対するわけでもなくアピールする。
あたしは生まれついてのメインヒロインじゃきっとない。
ヒロイン補正みたいなものはきっと存在しない。
だから代わりに最善を尽くし続けるしかないのだ。
努力しかないのがあたしなんだ。
「あっちにも……あたしと同じことを考えている奴がいるな」
「えっ?」
駅前広場を見ながらのつぶやきに京介が反応する。
歩道が狭いわりにやたらと大きなその広場には昼間何度も見たヘタレ男とツインテお下げ少女が向き合って立っていた。
「凸守? 急に立ち止まってどうしたんだ?」
「凸守じゃなくて早苗です」
「あっ、ああ。そうだったな……早苗」
「はいっ♪」
あっちの方も年下らしい女の方が主導権を握っている。
「こっ、これから、勇太…先輩のご両親にご挨拶に行きたいです。せっかく、先輩の、恋人に、なれたのですから」
「い、今から、か?」
「はいっ♪」
顔を真っ赤にしながらも嬉しそうに返事する少女。
「母さんには富山のうちに戻れば会えるけど……父さんは、インドネシアなんだけど」
「それではお義母さまにご挨拶した後に早速インドネシア行きのチケットを手配します」
「へっ?」
「凸守家の財力を甘く見ないで欲しいです。お義父さまに粗相のない挨拶をするためと思えば安いものです」
「…………はい」
男は弱々しく笑ってみせた。
こりゃあ完全に詰んだな。
「あっちに比べれば、千葉県で全て事足りるあたしの場合は随分簡単だと思うんだけど?」
京介の顔をドヤ顔向けながら覗き込む。
「…………へいへい。その通りでございますよ」
京介は大きくため息を吐いた。
「だがなあ、一言いっておくぞ」
京介がふんぞり返る。
「俺たちの仲が家族公認になったらなあ……俺は嫉妬丸出しで加奈子のことを一生独占すっからな。覚悟しておけよ!」
「それがオメェの言いたいことかよっ!」
斜め上の宣言に呆れた。
「俺の独占欲を甘くみんなよ。芸能活動に支障をきたすぞ、絶対に」
「芸能活動続けられなくなったら……麻奈実師匠に習ってる家事技能活かして京介の所に転がり込むかんな。あたしを養う覚悟しておけよ。一生離れてやんねえからな!」
売り言葉に買い言葉。
あたしも自分のプランを明確に宣言してやった。
「じゃあ俺たち、どうやっても一生離れらんねえってことじゃねえか!」
「ああ、そうなるな!」
大声での言い争い。
「「プッ」」
そして笑い声が揃った。
「俺の嫁さんになる子は本当に変な奴だなあ」
「それを言うならあたしの旦那になる男こそ本当に変な奴だっての」
こういうバカ話を延々と続けていられる所が肩肘張らなくていいのかもしれない。
あたしと京介はほんのちょっと世間一般の恋人同士とは違うかもしんない。でも……。
「愛してるぜ……加奈子」
「あたしもだよ……京介」
京介と交わす初めてのキス。
愛情なら、他の熱愛カップルたちにだって少しも引けを取らない。
「髪型……もう少し大人っぽいのに変えようかな」
「俺としてはしばらく今のツインテールのままでいて欲しいんだが」
「京介ってツインテールフェチなのか?」
「そうじゃなくて。俺と加奈子を結びつけてくれた記念の髪型だからさ。もっと見ていたいんだよ」
「…………まったく、背はちっちゃくて胸はペッタンコでおまけに髪型まで子供っぽい。あたしはいつになったら大人になれるんだか」
「加奈子は俺よりも大人になってるよ。それに……加奈子はその内に俺が大人にしてやるぜ♪」
「…………バカ。スケベ。キメる時は最後まで決めろよな」
あたしは飛び上がりながら京介の頬にキスをした。
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ツインテール物語第3話。完結編。
加奈子や美波の行方は……。