退却していく深の部隊。それを追おうとした孫堅軍であるが、入れ替わるようにしてやってきた張遼率いる騎馬隊に阻まれ、膠着状態のまま撤退する様をみすみす見逃していた。
ほんの一瞬、張遼に意識を移していた間に深の姿は消えていて、そのことに安堵しつつも目の前から放たれる並々ならぬ殺気を涼しい顔で受け止める孫堅。
殺気を放っているのは霞である。彼女は少なからず現状に怒りを抱いていた。
それは単に彼が、彼自身の信じた者に裏切られたことにあった。
霞はさきほど深と孫堅の間に交わされた暗号ともいうべき会話を耳にしていない。深から聞かされたのは問題が発生したということのみである。
その問題を調べるために深は霞に右翼を任せたのだが、静かに怒気を撒き散らす霞にはそこまで考えられなかった。霞の中では、問題=孫堅の裏切りという方程式が出来上がってしまっていたのだ。
「あんたが孫堅で違わへんか?」
「ええ、そうよ。そういうあなたは誰なのかしら?」
「ウチは張文遠や……」
「あなたが……ね」
霞の名乗りにやはりと息を吐く孫堅。さきほどの巧みな馬術を見て、どこか確信を持ってはいた。あれが神速と謳われる張遼だと。
だがそれがどうしたというのか。今の張遼の眼は憎き敵を見る眼をしており、それは孫堅が深からぶつけられると思っていたものそのものだった。
すでに覚悟は完了している。そうせざるといえなかったとはいえ、信を裏切ったことに変わりはない。
家族を守ると決めたそのときに、いかなる罵詈雑言をも全て受け止めると心に誓ったのだ。
「深から、ウチとあんたんとこの兵士、どっちにも被害はなるべく出さんよう言われとる……深の言葉や、ウチはなるべく叶えたいと思っとる」
すでに少ないとはいえ深の部隊に被害は出ていたはず。それでもなおこちらを信じるような深の言葉に胸が苦しくなるが、それを胸の奥底に押しやり仮面を被る。
「ここは戦場よ? 何を甘いことを言ってるのかしら。油断すれば……」
「けどなあ……」
孫堅の言葉を阻むように霞は続ける。
「あんただけは許さへん……せやから、孫堅! ウチと一騎討ちをしぃ!!」
張遼の提案は孫堅も考えていたことだった。
こちらとて兵を失いたくはない。だが戦闘を行わなければ陸遜がどうなるかわからない。
それならば将と一騎討ちを行いそれ以外の戦闘をさせなければいいと。
「兵は傷つけたくない……だからこその将と一騎討ち、ということね。私はそれでも構わないけれど……あなたじゃ少し役不足よ?」
だからこそ、その一騎討ちを本気で行うために挑発をし続けた。
「なんやと? もういっぺん言ってみぃ!」
普段なら安い挑発だと切り捨てるのにもかかわらず、冷静さを失った霞は挑発に乗ってしまう。
「ええ、何度でも言ってあげるわよ。あなたじゃ私には勝てない、特に今のあなたじゃ……ね!」
後半の声は突如として斬りかかってきた張遼の咆哮にかき消された。
怒りに燃えた神速の龍と、背水の陣である虎はここに激突する。
彼女達の激突は次第に激しさを増していく。せめぎあっていた兵達は手を止め、ただこの一騎討ちの結果を見守るだけであった。
霞と孫堅が激突する前、まだ膠着状態であった頃。
左翼では華雄と関羽が激しい攻防を繰り広げていた。
「でぇぇぇぇぇええええい!」
「甘いっ!」
関羽の斬り下ろしを冷静に見極め、その軌道を逸らすように横撃を加えていく華雄。
横撃からの斬り返しで関羽の首を狙い、それを逸らされた青龍偃月刀を強引に引き戻すことで防ぐ関羽。
幾度も強引な動きをさせる関羽の身体への負担は凄まじく、華雄との一騎討ちが始まって間もないというのにも関わらず肩で息をしていた。
華雄も何度か負担をかける動きをしてはいたのだが、董卓軍の将の中で人並み外れた体力と深の助言により普段よりも余裕を持ってさえいた。
対峙しながらも息を整えようとしている関羽、武器を構え殺気を放っているが攻めようとはしない華雄。誰がどう見ても関羽の劣勢であった。
では深が華雄にした助言とはなんなのか。
それは、『なるべく敵の攻撃を受けないこと』これだけである。
なんとも当たり前のことなのだが、華雄は武人の中の武人である。敵の攻撃を受け止め、その上で最高の一撃を見舞い勝利するということにこだわりがあった。
もちろん華雄はこの提案を拒否しようとしたのだが、「敗者に拒否権はない」と手合わせのことを出され渋々承諾した。
そして蓋を開けてみればどうだ、敵将を相手に余裕さえある状況である。華雄の深に対する印象はさらに良くなったといえよう。
だが、たとえ華雄が敵の攻撃を受け止めなくなっただけで、軍神と呼ばれることになる関羽に対して優位になるわけではない。
これには関羽の心理状態も影響していた。
味方である袁紹に諸葛亮を人質にとられていることだ。
人質をとったときの袁紹は、何をしでかすか判らない狂気のようなものを感じさせていた。
ゆえに、これ以上の敗北・撤退は許されないだろうという強迫観念のようなものが連合の将達の中に蔓延していたのだ。
そのような状態で冷静になれという方が無理だろう。
そうした理由もあり、今の関羽はいつもの精彩さを欠き、華雄に追い詰められるという事態にまで陥っていた。
明らかに疲労が見て取れる関羽に対して華雄は疑問を抱いていた。なぜ撤退をしないのかと。
ここまで劣勢になれば撤退するなり後方から援軍が来るなりするだろうと、軍師ではないが将軍としてそれぐらいは理解していた。
だが、関羽はなおも立ち向かう眼をしているし、劉備軍の後方からは援軍の来る気配すらない。
その疑問は華雄の中で次第に大きくなり、つい口に出してしまった。
「……なぜ下がらない。何を急いでいるんだ?」
「ふん、貴様には関係ない。それにそろそろ……」
「愛紗ーっ!」
「むっ?」
そこへ、劉備軍本陣から飛び出してきたのであろう少女がこちらへと向かってきた。
「鈴々! あちらは大丈夫だったか?」
「雛里があとは星に任せてって。それよりも愛紗のほうは大丈夫なのかー?」
「ああ、こんなものかすり傷でもない。だが、さすがは猛将華雄といったところか……手強いぞ」
「分かったのだ。ここからは鈴々も加勢するのだ!」
「頼むぞ、鈴々!」
二人のやり取りを見つめながらも、強敵が増えたことに心を躍らせる華雄。
その視界の端に汜水関で見た黒い外套が映ったが、それは一瞬のことで再度確認してみても見つけることは敵わなかった。数瞬気にはなったが、準備の出来た二人が目の前に立ったことで頭の隅に追いやり、今は戦闘に集中することにした。
そうして再び構えようとしたとき、
ガァン! ガァン! ガァン!
けたたましく銅鑼の音が響き渡った。
その音を聞き終える頃には華雄は撤退の指示を飛ばし始めており、あまりに突然なその行為に関羽と張飛は一瞬固まってしまった。
「すまんな、時間のようだ。この勝負、次に
「あ、なっ! 待て華雄!」
と叫ぶも時すでに遅く、華雄は自身の馬に乗り虎牢関へと撤退していったのであった。
関羽はこの撤退に首をかしげ、一方の張飛はというと、ようやく前線で戦えるというタイミングで肩透かしを食らい、なんだかもやもやと煮え切らない気持ちのまま、二人は自軍へと帰還していった。
黒い外套を羽織った男--深は華雄と関羽の激闘をそれほど遠くない距離から眺めていた。
深の記憶では、猛将華雄は関羽に一撃のもとに倒されることが印象に残っていた。
その時代では何があったのかは知らないが、この世界の華雄と出会ったとき、必ず彼女は己の武に慢心するだろうという確信を得ていた。
それは彼女の武に対する拘りが大きく、またこれは仕方の無いことなのだが関羽はまだ名声という名声がない。せいぜいが曹操の客将として戦果を上げていたぐらいの報告しか深も見たことは無かった。そんな関羽が華雄相手に名乗りを上げたとしても、華雄は後に軍神と謳われるほどの人物だと理解はしなかっただろう。逆に弱小の将兵風情がと侮ったかもしれない。
だからこそ助言を与えたのだが……。
仕事のために左翼に来て、少し心配であった事柄がうまく進んでいるのを確認した深は行動を開始した。
外套を深く被り息を潜め、限りなく自身の気配を周囲に同化させる……。
洛陽で対暗殺用に巡らせていた気が、こと潜入に対してかなりの効果を得ていた。
茜が軍に仕官して何日か経った頃に一度、影華と茜にこれを披露したことがある。
といっても執務室で書簡を片付けているとき、ふいに思い立ってやってみたのだが。
いつものように影華がお茶を用意し始め、茜が文官達へと指示を出すために退出した頃を見計らって気を巡らせてみた。限りなく周囲に溶け込む様に慎重に……。
だが、影華は平然と俺の前にお茶を出し、けれども若干の違和感を感じた表情をしていた。
そして影華が何かを告げようとしたタイミングで部屋に入ってくる茜。
茜は執務室の中を何度か見回した後、影華に向かって
「影華様。深様はどちらに行かれましたか?」
と尋ねた。
その言葉に影華は驚愕し、何度か茜と俺を見比べ、その様子に怪訝な顔を浮かべた茜が影華に再度問おうとする前に影華は告げた。
「深なら……ずっとここに座っていますよ?」
「えぇ!?」
影華に言われて、再度こちらを見た茜はようやく俺の事を認識したようだった。
いないと思っていた人が、実はずっと座っていましたーなんて言われれば誰でもびっくりするだろう。
しばらく口をパクパクさせていた茜と、その様子に苦笑しながらも俺へと「これはどういうことですか」という目を向けている影華に事の次第を説明したのは、三人が全員席に座ってからだった。
ちゃんと潜入前に董卓--月達にも見せている。
あの時は焦ったよ。まさか詠が俺を探して城中を探し回ってるとは思わなかった。
気の巡りを解いて説明したら相当怒られた。何度も月が俺の場所を伝えようとしていたのにな……。
なぜか月と恋には影華と同様に効果がなかった。
影華は「私はいつもあなたの傍にいます。分からないわけがありません」と言うし、
月は「へぅ……」と言って俯いてしまった。
恋は「……深の匂い……辿った」とか、あなたは犬ですかと。
憶測でしかないが、俺の事をよく見ている人や勘の鋭い人には通じにくいのかもしれない。
実際、蓮根にあっさりと見つけられてしまったからな。
説明はここまでにして
つまりは、連合軍に潜入したときと同じ手を使って劉備軍に忍び込もうとしていたのだ。
将である関羽は華雄との一騎討ちに集中している。行くなら今しかないだろう。
最後に小さい声で伝令を呼び、全軍に撤退の指示を出すよう伝えてから深は劉備軍へと駆けていった。
【あとがき】
最近蒸し暑くなり始めましたね
ということでこんばんわ。九条です。
前話投稿が6/27
そして今日は7/7……期間が空きすぎて申し訳ないです!
七夕だから七夕ネタを出すとか……期待していた方がいないことを祈っています(笑
今回4000字ほどの話です
最初の頃の長さに戻ってきたような気がしますね
個人的にはこれぐらいでまとめるのが楽なようです
ただ書ける時はまた長くなってしまうかもしれませんが(苦笑
ちょっとだけご報告をば
現在、TINAMIクリエイターであり
恋姫SS『真・恋姫†無双 ~孫呉千年の大計~』を執筆中の雪月さんと
コラボ計画が水面下で進んでおります(発表してる時点で水面下じゃなry
ただ、二人ともお友達が少なく(あ、もちろんTINAMIでの友達リストってやつですよ!
なかなか出来ないことも多かったりします。案が出ても人数的な要因で却下したり……
その為、わたくし九条は友達を求めています!(迫真
もちろん、小説家だけでなくイラストレイターであろうと読み専であろうとです!
※
小説家を集める意味……一緒にコラボできたらなぁ
イラストレイター……あわよくば自分の作品を書いてもらおうとかオモッテマセンヨ
読み専……友達って多いほうがいいよね!
まあ強制ではありませんし、気が向いた方だけで構いませんので
気軽に申請をポチポチ押してやってください
文面はてきとーで構いませんので(笑)
…………0とかだったら今後のやる気に大いに影響を及ぼします(笑)嘘です。
とにかく二人で出来るコラボを検討中ですので、また詳細が決まりましたらお知らせするかと思います。
P.S 雪月さんへ
勝手に発表してごめんなさい!
これであとに引けなくなったじゃねーか!とかありましたら
遠慮なく雪蓮さんのアイコンにイタズラして構いませんので!(爆散
それではまた次回もお楽しみいただけたら~
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前話から期間が開いてしまって申し訳ありません
今回はタイトルで大体はお察ししていただけると思いますので
どうぞ猪さんの活躍をご覧下さい。