No.59310

不思議的乙女少女と現実的乙女少女の日常 『ネクロノミコン Saint3-3』

バグさん

花刻家の敷地内に侵入者が。
久遠は侵入者らしき、一人の少女と出会う。
一方、リコは自分の死を予告した男との会話を進める。

2009-02-20 21:56:38 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:532   閲覧ユーザー数:515

堅牢無比。

 

 その表現が最も的確だろう。

 

 高さ数メートルの塀に囲まれた敷地。塀の上には高性能の探知機が24時間フル稼動しており、侵入者があればすぐさま反応、1分もしないうちに特殊な訓練を積んだ私設警備員が駆けつける。

 

 正門、及び他の門は、一見古臭くも独自の技術で開発された合金で構成されており、耐熱、耐衝撃に優れているため、突破は非常に困難。

 

 敷地下に張り巡らされている地下道は、その存在が極一部のものにしか知られていないため警備も手薄。しかし、手薄で有る事は突破が容易である事を意味しない。数ヶ月前に、エリーお嬢様の拉致を画策した賊が侵入した時は、その広大な地下道の特性を活かして敵を分断、各個撃破を可能にした。

 

 久遠は、広大な敷地内の全てを把握していた。花刻の当主は、自らの娘の警護と共に、邸宅の安全管理までも彼女に一任していたのだ。もちろん普段、久遠が動くことは無い。彼女はエリーの側に居ることこそを使命であると考えているからだ。一時間毎の定期報告を受ける以外は、下のものに任せていた。

 

 それ故に、久遠が花刻家の敷地内と言えど、邸宅を離れる事は、よほどの重大事が起こっているからで有るに他ならない。

 

 つまり、今の様な。

 

 眼の前に居るのは一人の少女。年齢は恐らく12歳程度だろう。背を向けているので正確な事は分からない。

 

 場所は、最重要区域…………と言えば聞こえは良いが、要するに花刻家当主お気に入りの庭園だ。その庭園は、この土地が花刻家の所有となる前から存在し、何時、誰が作ったのかは分かっていない。この土地の、以前の持ち主…………それよりも遥かに以前の持ち主が愛したその庭園。久遠は未だお目にかかったことが無い。

 

 当主が許した者以外の立ち入りは絶対に禁止されているのだ。そして、許された幸福な人間は、当主の家族と、他数名。他数名は、当主の信頼厚い雇い者達で、彼らは庭園の手入れを任されている。

 

 しかし、庭園に行く事自体は割と容易である。花刻家と関係の無い人間は、その過剰とも言える外敵警備から、そもそも敷地内への侵入を許されないからである。それ故に、一度敷地内へ入ってしまえば、最低限の監視カメラ…………それでもその数は膨大だが…………による警備に限定され、監視側に意図が無いかぎり、心得のあるものならばカメラを欺く事も可能だ。

 

 …………侵入者に関して言うなれば、庭園に至る道のりには一つの難所がある。屋敷の者には『国境』と呼ばれている管理所。

 

 当主のお気に入りの場所は、彼が日々の雑事全てを忘れられる事を許される。だから、隔離される必要がある。国境のライン一つで国が異なってしまう様に、同じ花刻家の屋敷でも、庭園とそれ以外の場所とは明確に区別されているのだ。

 

 故に国境。

 

 ラインの内と外とは別の場所。

 

 管理所は庭園へと続く道の左右に二つ設置されており、そこには監視員が常駐している。建物は木々で隠されて視えはしないが、左右からの監視センサーにより、明確なラインを形作っている。

 

 久遠は、外からの侵入がどれだけ困難で、この庭園へ至る事が出来る可能性を自らに照らし合わせて思考した。

 

 答えは、ほぼ0パーセント。

 

 不可能に近い。

 

(だというのに…………この少女は)

 

 どうやってここまで来た。

 

少女の背中を油断無く見据え。

 

 

『久遠様、何時でも実行可能です』

 

 

部下からの無線報告を受けながら。

 

「私が合図するまで動くな」

 

呟き、久遠はインサイドホルスターに指をかけた。

 

 

 

 

「ネクロノミコン…………」

 

 リコは戦慄した。

 

その単語は、つい最近聞いた。インターネットやテレビ、そうしたメディアでは無く、もっと原初的且つ今でも主流である情報源。

 

それは本の名前だった。

 

以前、ヤカが拾ってきた本が、確かその様な名前ではなかったか。流し読み程度だったし、内容の意味が良く分からなかったので、数日前の事なのにすっかり記憶から遠ざかっていた。リコにとってはその程度の存在だったのに。

 

「君が今、頭の中に思い描いているのは…………この本の事では無いか?」

 

 先ほど本棚から出した本を…………その表紙が良く見えるように、男が提示してきた。

 

果たして、その本はまさしくそうだった。以前、ヤカが持ってきた本。いや、内容は同じでも、まさかそれと同じ本では無いだろうが。

 

「その本は…………一体なんですか?」

 

「疑問に答える前に、大前提を話しておこうか。私が今持っているこの本は、君が以前手にした本と全く同一の物だ」

 

「それはどういう…………」

 

「君はこの本が何処かの出版会社から出されたものだと思っているのかもしれないが、これはそんな物では無い、という事だ。この本は世界に一つしか無い。必要とした者の前に現れる。そうした物だ」

 

 本が瞬間移動して、出たり消えたりした、という事か。それは…………なんだかとても馬鹿馬鹿しい。本とは、そもそも読まれるために描かれたものだ。日記帳など、例外はあるだろうが…………基本的にはそうしたものだ。そして、より基本的な事として、それは必要とされるから読まれるのであって、仮にそれが必要であるならば、こちらから探しに行く事を要求される。それが道理だ。

 

「私、必要だなんて思ってないですけど」

 

「君が必要に思ったのでは無いだろう。必要に思ったのは、本の方だよ」

 

「本が…………? 本に意思が有るとでも?」

 

「この本は私と同じ様な存在だよ。意思は無いが記憶が有る。記憶の結晶だ」

 

「貴方には意思が無いんですか? とてもそうは思えないですけど」

 

 意思は無いが、記憶は有る。行動パターンをプログラムされた人形。簡単な例えで言えば、お茶組み人形と同じ、という事か。

 

リコがそう言うと、男は『酷いな』と笑った。

 

「生前の記憶から、他者への対応パターンは無限に作り出せるからね。君が私の事を普通の人間の様に思えても、仕方が無い」

 

「…………それと、意思がある事はどう違うんですか?」

 

「なに、眼に見える程の違いは無いさ」

 

 男は肩をすくめた。

 

リコにはどうしても、目前の男が普通の人間である様にしか見えなかった。しかし、なるほど、だから眼に見える程の違いは無いのだ。意思があるから記憶が意味を成すのか、記憶があるから意思が作り出されるのか。

 

結果的に同じならば、例えその中身が異なったとしても、その違いというものは当人意外に量りかねる事だろう。いや、そもそも当人とってはどちらでも構わないのだ。

 

「さて、この本がどういうものなのか、という事だったね。君は一体、どう思う?」

 

「どうって…………本、では無いんですよね」

 

 瞬間移動機能の付いているような本は、それは現代の定義では本では無い。瞬間移動の出来る何かだ。

 

 男は、その本を記憶の結晶であると言った。そして、その本が男と同類の存在であるとも。男は、彼の元になった存在の、記憶の結晶である。

 

ならば、『ネクロノミコン』という本の記憶の元になった人物は誰だ?

 

「その本の作者…………」

 

「ふむ。概ね理解出来たらしいね」

 

「え?」

 

「彼はジョンと言う名だ」

 

 本をさして、そう言った。本に愛称を付けるのは、とても哀れな人にしか見えない行為だったが、この場合は違う。その本は記憶の結晶であり、その記憶の元となった人物がジョンなる名前を有していた、という事だろう。

 

「………………重要な事を言い忘れていたね。ネクロノミコンという存在は、死の表象だ。もちろん、その存在に対してそうした名前を付けたのは、ジョンに他ならないのだがね」

 

 名は体を現すというが、この場合は逆だ。体があって、名が付けられた。最も相応しいと思われた名を付けたのだ。

 

 本を開いて、男はしばらくページを意味も無く開いた。

 

そして、おもむろに口を開く。

 

「ジョンは、死の瞬間に、ネクロノミコンと過ごした日々を記憶の結晶とした」

 

「………………」

 

「それが、このネクロノミコンという本の正体だ。彼は、彼女を目視しても生き延びるという、人間にしては比類なき強大な力を持った魔術師だったが…………遂には敗れた」

 

 彼女…………そういえば、本の冒頭には『少女』なる記述があった。少なくとも、ネクロノミコンという存在は人間の少女の姿をしている様だ。

 

「その…………目視しても生き延びるって…………どういう事ですか?」

 

「…………………………」

 

 男は本を閉じて、やや硬い表情をした。苦いものでも口に含んでいるかのような、そんな表情。

 

「ネクロノミコンを目視する事は出来ない。普通はね。普通の人間には、見る事が出来ないんだよ」

 

「見る事が出来ない?」

 

 透明人間の様に、だろうか。普通の人間には、という事は、自分はどうだろうか。こうした異常な事態に陥っている自分は、果たして普通の人間だろうか。

 

リコがやや悩んでいる間に、男は声を落として、呟く様に言った。

 

「そして、彼女を見てしまった人間は………………その場で即死する」

 

 男の言葉が耳から頭へ届く間に、リコは思い出していた。

 

ネクロノミコンという存在は、死の表象であるという、本に書かれた記述を。

そして、眼の前の男がそう言っていたのを。

 

死の表象とは、決して大げさでは無いという事だった。

 

 

 

 

 久遠は少女に近付きながら、愛用のコルトをインサイダドホルダーから抜きだした。スライドを引いて、何時でも発砲が可能な構えだ。

 

久遠としては、ツェリザガの様な無意味に口径が大きい銃の方が好みなのだが、部下に引かれてしまうのが欠点だ。それに、コルトが嫌いなわけでは無い。

 

スライドが発する僅かな音に気付いたのか、少女はこちらへと振り返った。

 

「動かないで下さいね」

 

「………………」

 

 少女は自分に向けられている銃に対しても無反応で、ただ、静かに久遠を見上げた。

 

ハーフなのだろうか。

 

琥珀色の眼差しが、とても印象的だった。

 


 
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