白く光る丸い月の下で、白い人影が小さくうずくまっていた。
時折吹く緩やかな風に、夜闇に溶けきらない灰色の髪と藍色の結い紐が宙に揺らぐ。
膝を抱える腕を纏う服の色は白く、深い夜の中でその色だけが明るく浮いている。
月と眼下の黒い海との間を真っ直ぐに見つめる顔立ちこそ幼いが、細めた瞳の色は落ち着いている。
ぽつり、ぽつり、と。
その少年は口を動かして、空に溶けていくような声で言葉を刻んでいた。
花、を 手向け ましょ う
月夜の 晩 に 変わら ない 夜 に
私、を 作る あなたへ と
色なき 花 を 手向け ましょ う
――― それは、途切れ途切れの、酷すぎる歌だった。
声は喉を傷付けられて歌えない鳥のように惨めだった。
息遣いは呼吸の仕方を忘れて溺れる魚のように愚かだった。
音は秋の夜に鳴く静かな虫たちでさえ呆れるほど小さかった。
それでも歌うことをやめない姿は、哀れだった。
近くて遠い、彼女が死んだ。
彼女のいなくなった数日後に彼はようやくそれを知り、訃報を知らせた付き人に何の言葉も返さなかった。
『・・・、え?』
空気が漏れただけのその呟きは、彼自身にも聞こえなかった。
学園の教師が話している場面に遭遇しなければ、あるいはそれを知ったのはもっと後のことになっていたかもしれない。
どこか悔しそうに語った付き人は、人の“物語”を紡ぐ一族としての不甲斐なさを悔いているようだった。
一族の人間としては正しいのであろう態度を取る付き人を見て、少女からの言葉を頭の中で整理できなかった彼は思った。
―――どうか感情を失わないで。人の死を悼む前に一族の自負を掲げてしまわないで。
涙を流せない自分の分までこの少女に代わりに泣いてほしいのだと、彼は自らの身勝手さに口を閉じる。
ざん、と下で波が岩に打ち付ける音が少年の耳に届いた。
その音で彼は自分の歌が途切れていたことに気付き、代わりに波の音が続いていることに意識が向く。
波の音が回帰の音だといったのは、果たして誰だっただろう。
「知らな、かった・・・んだ」
先ほどの歌よりも確かな声で、少年は呟いた。
「いなく、なっちゃうなん、て」
知らなかった。何も。
近くて遠い場所にいた彼女のことを、彼はあまり知らない。
表面的なことなら幾つか知っていて、本質的な部分は掠めるぐらいのわずかなことを推察しただけに過ぎない。
それが正しいかどうかの答えさえ知らないのだ。
伏せた瞼の裏に、ふわりと彼女の髪色であった紫が横切る。
日の落ちていく瞬間空に気まぐれに現れるその色こそが、彼にとっての彼女そのものだった。
その色はもう夜闇に沈んで見ることは出来ない。
もう会えない。
屍になってどこかの墓に去っていった彼女にはどれだけ望んだところでもう会えない。
とある気まぐれな死人はライムの心を揺さぶるように数度現れた。だが彼女は現れない。
一人目、と小さく、本当に口を開いたかと疑うほどにか細く彼は言葉を地へ落とす。
「一人、目・・・?」
――― 僕を置いてゆく、いちばんの人。
真綿で包む、思い出という揺り篭はいつまで優しい記憶のままであれるのだろうか。
本当に大切な人はとうの昔に、一度失った。
それなりに大事だった人間も失った。
けれど、一族の当主として終わりの見えない道を歩き始めてからは、まだ誰も失っていなかった。
まだ―― 何の覚悟もしていなかった。
彼は知る。
世界の終わりは、外側から崩れ落ちていくのだと。
その恐ろしさに彼は一度だけ大きく肩を揺らして。
「 それでも 僕は 」
鮮やかな紫色の空が、今も胸に焼きついている。
それ以外に何がいるのかと、彼は立ち上がって――― 一度だけ礼をした。
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「人を構成するのが思い出ならば、誰かの死は自らの死と同義である」
というのをテーマ(?)に書きました。
友人を亡くしていたことを知った、主人公の悲しみや恐怖などを描いてます。