ーー僕が母様の頭を撫でる半刻前
ここは邑の入り口である。周りは柵に囲まれていて、火を放たなければこの入り口からしか入れないようになっていた。また、邑の外には兵士が五十名ほど待機しており、入り口のすぐそばには鍬や斧といった農具を持った男達が待機していた。
外の兵士の中で動きがあった。何者かが兵士の中で一番大きな槍を持った男に話しかけている。
「黒然様。そろそろ賊が見えてくる頃かと思われます」
「そうか……あとは指定の位置で待機しておれ」
「はっ」
そう言って、何者かは即座に己の居るべき場所に戻る。
男は兵士を整列させると、邑の入り口に一歩近づいた。
「皆の者! 俺の声が聞こえるか! 」
その声は大きく響き、その場に居る者で聞こえなかった者はいない。
「今まで俺達は平和に暮らしてきた。だが! そんな毎日も今日終わりを告げた! これから来る賊共は、愚かにも近隣の邑々を襲い、食物を奪い、人々の命を奪う愚者だ! 情けなぞ無用。俺達の全力を持って、愚者共から邑を守るぞ!! 」
「「「「「「おおぉぉぉぉおおおおおおおおお!!! 」」」」」」
力強い男の声に皆は雄たけびを上げる。自分達は大切な邑を守るんだ、大切な家族を守るんだと胸に刻みつけて……。
皆の反応を確かめたあと、男は前を向く……賊が来る方向を。
これから来る賊の規模は五百人。対する邑の男達はせいぜい百人に届くかどうかというほどである。
男も勝てるとは思っていない。しかし、勝たなくてはいけない。
賊の侵入を許せば、ただただ蹂躙されるだけだと分かっているからだ。
「来たぞ! 」
遂に賊の先頭が見えた。男は即座に指示を出す。
「皆! 必ず二、三人で固まって行動しろ! 絶対に一人にはなるな!! 」
たかが賊と侮ってはいけない。こちらは訓練した兵がたったの五十人。その他はただの民なのだ。
人数でも向こうが勝っている。数で勝てないのならば、なるべく怪我をせずに各個撃破するしかない。
「皆! 死んでも戦え!! 」
外の喧騒はどんどん酷くなっていく。時折誰かの悲鳴らしきものも聞こえてくるぐらいだ。
「母様……ねぇ……今何が起きてるの? 」
僕は震える声で母様に問うた。
母様は俯いたまま答えない。
また悲鳴が聞こえた。さっきよりも近くなってる。
ここまで来ると幼い僕でも理解できてしまう。戦いが始まっているんだと。そして既に進入を許しているんだと。
突然、母様は立ち上がると棚から鍵を取り出した。僕が一度も見たことない鍵だ。
そして僕を立ち上がらせると、廊下の突き当りまで誘導された。
徐にしゃがみ込むと何かをカチャカチャと動かしていた。
少し手間取っていたみたいだけど、すぐに母様は立ち上がる。すると、そこには小さい子供が入れるぐらいの空間が空いていた。
「こんなときの為に作っておいた隠し扉よ。鍵は内側と外側から掛けられるようになっていて、そしてこの鍵でしか開けられないの」
「でも、ここには一人しか入れなさそうだよ? 」
当然の疑問を口にする。一人、しかも母様や父様では絶対に入れない空間だ。最悪な予想が頭に浮かび、それを否定して欲しいがために縋る様に母様を見上げる。
「ここにはあなただけが入るの。お母さんは……ちょっとお父さんのお手伝いに行ってくるから」
逸らされた視線。それだけで嘘なんだと直感した。
「でも……」
ドガァャァン!!
言いかけ、近くで鳴り響いた扉を思い切り開けたような音に口を閉ざす。
母様は強引に僕を空間へと押しやり鍵を渡してきた。
「お母さんはこれからやることがあるから……あなたはこの鍵でここを閉めて。外が完全に静かになるまで絶対に出てきちゃだめよ? ……ふふっ」
やりたいことってなんなの、母様はどこに行くの、一人にしないで……言いたいことはたくさんあった。でも、最後の微笑みを見たとき、その目を見たとき、僕は何も言えなくなったんだ。
僕に印を預けた父様と同じ目をしていたから。それはとても暖かくて……とても哀しかった。
その一瞬で母様は開いていた扉を閉め、僕の空間は闇に包まれた。
なぜか出てくる涙を無視して僕は鍵を閉める。
その直後に母様の叫びと、知らない若い男の怒声が聞こえてきたが、目を閉じ蹲ってひたすら耐えた。
若い男の去り際の言葉を一つ残らず聞き取りながら……。
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第三話になります。
自分でも長くなってしまったなぁと思ってはいるのですが
一応大事な部分ということでしっかりと書いてます。