No.579661

魔法少女大戦 Invisible-Girl(1/2)

羅月さん

魔法少女大戦一章を一つにまとめました。こう言うのがあった方が良いかなって。
ただ、文字数が多すぎるので二つに分けますw

2013-05-24 14:44:08 投稿 / 全9ページ    総閲覧数:433   閲覧ユーザー数:432

[chapter:魔法少女大戦 ]

 

世界は二度'改変'された。

 

一度は一人の純朴な少女の献身に依り。

 

そしてもう一度、名も知らぬ何者かの手に依り。

 

概念と化した少女のシステムは大部分を覆されたのみならず更なる苦難を魔法少女に招き、その代償として少女'鹿目まどか'の意思は消失した。

 

それは三巡目の世界。

 

 

ある少女はたった一人の友達を救うため。

 

   ある少年は命を賭しても失えない恋人を護るため。

 

     歪んでいく世界の中で、彼らは世界を越えてゆく。

 

 

此れは、混沌に歪められた愛と勇気のストーリー。

 

        君を護る、僕が君を忘れても。

 

 

 

 それは茜色に染まる空を仰いだ秋の夕暮れの事。彼は冴えない体操着に身を包み、乗って行けばいいはずの自転車を両手で押しながら歩いていた。

 手で押している理由だが、タイヤがパンクしたとか言う大した話では無く、一緒に歩いている、同じく体操着姿の女子と歩幅を合わせるためだった。彼女の荷物をかごに乗せて。何と言うかこれだけでも二人の力関係は推して知るべしと言う所なのだが、いつもの事なのだから仕方がない。太陽は東から昇る。兎は寂しいと体調にもろに出る。夏場のそうめんは美味しい。それと同じかそれ以上に、彼が彼女の荷物を入れて自転車を押すのは絶対的な真理だと言っても差し支えないかもしれない。

 

 「でもよかったよな、俺ら優勝できてさ」

 「せやねー、でもうちらそんな何もしてないけど」

 「…確かに」

 

 短い髪を申し訳程度に軽く整えただけの髪型。健康的ですらっとした、しなやかな筋肉を持つ彼女はそうやって言葉を返す。

 今日は高校の体育祭で、服装はその名残と言える。一応学校からは体操着下校は禁止されているのだが、あれだけ疲れた後で誰が制服に身を包んで帰ろうと思う物か。最後の体育祭のテンションできっと馬鹿やる学生だって出てくるだろうから多めに見て欲しい(ちなみに彼らは誘われなかったのではなくめんどかっただけで、別段ハブられているとかではない、念のため)。

 正直総合点で優勝できたのは明らかに下級生と上級生の異常なスペックのお陰だ。それでも、優勝は素直に嬉しいらしく帰りのHRは大盛況だった。

 炎天下の生き地獄を命からがら耐え抜いた肉体はぼろぼろで汗もだらだらだったのだが、この時間帯の街に吹く夕風は心地よく、汗はその心地よさを増強してくれる。田舎すぎて閑散とした通り道だが、その自然めいた美しさを彼らは愛していた。

 

 「てかあれやね、これから徐々に受験まっしぐらやね」

 「だよな~、受験な~。木村さんどうなん、志望校の判定は」

 「ん、そこそこ。うちが受けるレベルのとこだし。真田くんは?」

 「分かんね、K大は二次勝負だし。模試の判定なんて当てにならん」

 「じゃあなんで訊いてきたし」

 「いや、多分優位に立てるんじゃないかなと」

 「ないわー」

 

 呆れ顔で棒読み気味に、彼女は嘆息する。そして、お互いに顔を見合わせ笑った。そうこうしているうちにバス停だ。彼女はかごから荷物を取り出すと、何食わぬ顔で。いつもの顔で。

 

 「じゃあ、また明日学校で」

 「ん、それじゃまた」

 

 彼は彼女と別れ自転車を漕ぐ。この、学校からバス停までの僅かな時間が彼の彼女と二人きりで過ごせる時間だった。学校はお互い別々のコミュニティがある。この機会くらいしか誰にも気兼ねなく話す事の出来る時間がないのだ。

 それでも彼は良かった。自転車でありながら徒歩で、空いているかごに彼女の荷物を入れ、早く帰りたい時でもゆっくりと歩き。彼女と共に居られるなら、彼はそれで良かった。

 理由など言うまでも無い。彼は、健康的で活発な彼女が好きなのだから。想い続けた時間と質は疑いようのないかけがえのない宝物で、その純粋な気持ちは誰も咎める事は無いくらい澄んでいた。

 今日もこうして下らない事を話しながら帰る。いつまでもそうしていられない事は分かっていたけれど、今はそのかけがえのない時間を楽しんでいたかった。

 

 また明日学校で。

 

 それじゃまた。

 

 

 

 

 

 それが、男子高校生真田恭(さなだきょう)と女子高生木村鳴(きむらめい)の最後に交わした言葉となった。

 

 

 彼女の存在は消え、世界が彼女を否定した。彼女は一瞬にして、人間としての全ての権利を剥奪されたのだった……

 

 

 1章  Invisible-Girl

 

 1話 改変

 

 次の日の朝。恭は冗談だと思った。それか聞き間違いだと思った。

 6×6に配置された机から一つだけ申し訳なさげに突き出た、あるいはハブられ哀愁すら漂う37番目の机に座っていた恭は先生(禿)に窘められたのだ。『お前の席は一つ前だろ』と。

 入って最奥の机についていた彼は何かのドッキリではないかと訝しんだが、どうやらそう言う事ではないらしい。本気で、彼の席は今まで座っていた所の一つ前なようだ。

 訝しんだ理由は、彼は自分の席が此処だと言う絶対的な自負があった事と、もう一つ。前の席は木村鳴の席だったからだ。思えばおかしな話だ、バスの時間があるとはいえいつも真面目に登校してくる彼女がHRの時間になっても来なかった事、クラスの女子の中でも中核メンバーの一人である彼女の事を誰も話題にしていなかった事。普通なら有り得ない事だ。

 そして、現実は模索した選択肢のどれでもない最悪の決断を余儀なくした。

 

 「それじゃあ、中途半端な時期ではあるが転校生を紹介する。体育祭の途中に入るのも大変だったろうからな……入って良いぞ」

 

 何とも突然のことだったが、先生の声に合わせて教室の扉がするすると開く(一応ガラガラ言わない位の扉は備わってます)。ぴょこっとした擬音がこれ以上無いくらい似合う風体で、その転校生は敷居を飛んで越えた。そのまますたすたと教壇の前に立つ。

 身長は150cmあるか無いかで、白くて長い髪をツインテールにまとめている日本人離れした少女。紅い瞳は充血しているとは思えないほど透き通っており、ルビーやガーネットと言った宝石を思わせる。まるで兎のような、と言うかその様はほとんど兎そのままだ。

 シルキーな髪を掻き、彼女はおどおどした様子ながらも自己紹介を始めてくれた。

 

 「あ……新しく転校してきました、木村九兵衛(きむらきゅうべえ)と言います。男みたいな名前で変かとは思うのですが……どうぞ、宜しくお願いします」

 

 ぺこりとお辞儀をする彼女の後ろを通り抜け、生徒たちから見て右側に彼女のフルネームを記入する先生(禿)。凄い漢字だ。ありふれた名前に男でも滅多に居ないだろう名前。先生の筆圧は教師陣の中でもかなり強い方と言う事も手伝って威圧感あふれる五文字がそこに書き込まれていく。

 

 「それじゃあ木村、お前の席はあの何だ……右奥に空いてる席だ。後で席替えするから、とりあえずそこに座ってくれ」

 「先生、そこは真田がさっきマーキングしてました」

 

 どっと笑いが起こる。お前のっけから何してくれてんだよの野次が飛び交う中、彼は笑っている余裕など微塵も無かった。有り得ない事が重なっている、鳴が存在の痕跡も無くその姿を消し、この時期には不自然な謎の転校生。日本人離れした容姿でありながら純日本人風な名前、しかも現代離れした男の名前。加えて、名字が『木村』。

 

 「あの……宜しくお願いします」

 「……ああ、宜しく」

 

 お前は誰だ。どうしてそこに座る。そこは俺の席で、今俺がやむなく座ってる席は鳴の席なんだ。誰も居なければ胸倉を掴み上げ捲し立ててやりたいところだったが、そんな事が出来るはずもない。ただ頭の中がごちゃごちゃしてしまったせいか相当無愛想な返事になってしまったようだ。あからさまに彼女が怯えている。どんだけ兎だよと彼は心の中で突っ込みを入れる。

 

 「よし、それじゃあHRを終わる。体育祭の後で気が緩みがちになる所だが、一時間目からしっかり目を開けて授業を受けるように」

 

 きりつ、れいの掛け声で一斉に礼をする。体育祭と言うある種の祭の興奮から現実に立ち返るかための、日常へ向かうチェックポイント。しかし彼にとって、真田恭にとってそれは今までの日常では無いし、この今は彼にとっては極限まで異常なのだった。

 木村鳴の居ない世界に於いて、彼が最も居たい居場所はどこにも存在しない。彼女の消失は彼のアイデンティティの大半を抉り取って行った。

 また明日と交わした台詞が急に重くなる。明日っていつだよ、今じゃないか。何で居ないんだよと嘆くも世界は彼女が居なかったことなど忘れて淡々と流れていく。

 怖かった。自分も彼女を忘れてしまうのではないかと。そして忘れた事さえ忘れてしまう事が、たまらなく恐ろしかったのだ。

 

 「どうしたん、真田くん」

 

 芯がありよく通る声が恭の意識を現実に引き戻す。声のする方向を向くと、其処には声の主が教材の束を左腕に挟んで立っていた。長い黒髪をポニーテールにしている快活な女性徒は恭の顔を覗き込むような仕草を見せる。

 彼女の名前は油田璃音(あぶらだりおん)、高校からの付き合いで、一年の頃からずっと同じクラスである。兵庫出身らしく、どことなくイントネーションが独特で会話のテンポが掴みにくい。

 

 「ボーっとしとかんと、はよ行かな怒られんで」

 「あ、ごめん……そういや木村さ……木村、お前次の授業は生物と物理どっちだ?」

 

 『木村さん』と言う呼称を使いたくなかった恭は訂正して彼女に尋ねる。急に名字を呼び捨てにされた事に吃驚したのか多少うろたえた後、彼女は鞄から教科書とノートを出して見せてくれた。

 

 「あの…物理、です」

 「へぇ、ほんなら連れてってやりぃよ。ただでさえ女っ気無いんやから、他のDQNからいたいけな転校生を護ってやらな」

 「すみません…あの、場所を知らないので、連れていっていただけますか?」

 

 とても丁寧な言葉で話す九兵衛。『い』抜きだ『ら』抜きだとうるさい昨今にとても稀有な存在だと言えた。璃音は九兵衛を気に入ったらしく小さな彼女をすりすりしていた。お前が行けって言ったんだろ、離してやれよと恭は璃音を引き離す。

 

 「じゃあ、連れてくからそれ持ってついて来てくれる?」

 「はい……」

 「ちゃんとエスコートするんやで~」

 

 恭は立ち上がり自分の教材を準備する。そしてそれを左腕に挟みこみ、物理教室へと歩きだそうとした。すると、彼の留守になった右手に柔らかくて温かい感触があった。

 

 「っ!?」

 「はわっ! ご、ごめんなさい…」

 

 恭は思わず手を払いのけてしまった。流石に肝を冷やした、積極的なのか消極的なのか分かったもんじゃない。何がなんだかよく分からなかったが、ほっとくと泣きそうだったので恭の方から引っ込めた彼女の手を掴み、教室を後にしたのだった。

 早く璃音の場所を離れたかったのだ。彼女の言葉は鋭い槍、キリストを貫いたロンギヌスとなって胸に突き刺さる。出てくるのは熱い血反吐と涙と言う名の水。

 

 『ただでさえ女っ気無いんやから』

 

 どうやら自分は鳴が居ない世界では特に仲良くする女の子も居ないらしい。別に鳴と恋人同士と言うわけでは無かったのだが、だからと言って気持ちが弾むはずもない。

 

 「あ、あの……ごめんなさい」

 「別に……そういやさ、何て呼んだらいいだろうか」

 「あ……前の学校では、きゅうちゃんって呼ばれてました」

 

 九兵衛から妙に清々しい返事が返ってきた。何と言うか、前の学校のクラスメイトはそこそこに妥当な選択をしてくれたのだなと恭は納得する。九兵衛は長い。『兵衛』を取ると女の子っぽくない。

 

 「じゃあそれで固定しよう。ちなみに俺もクラス外では恭ちゃんと呼ばれたりしてる」

 「そうなんですか!? じゃあお揃いですねっ」

 

 ……何か懐かれてしまった。こんなに無防備でいいのかこの乙女は。恭は嘆息するが、喜んでくれているのだから良いのかと自分を納得させる。心なしか、と言うか明らかに彼女のテンションが上がっている。そうか、こっちが素か。思えば、転校初日でいきなりクラスメイトに馴染めるはz

 

 「そう言えば恭ちゃんさん」

 「さんを付けるなデコ助野郎」

 「ごっ、ごめんなさい!」

 「あ、いや……これ知らないのか。そう言う言い回しがあって……ってまあ良いや。どうした?」

 「あの……最近、この学校に様子が変な人って居ませんか?」

 

 彼女の眼が見開かれ、その視線は恭を捉えて離さない。何だ、この何かを見透かさんとばかりの目力は。

 

 「変な人って…?」

 「何か言動が不自然な人とか…居るはずのない人間の話をしてる人とか」

 

 ……………

 

 こいつは何の話をしているんだ。色々規格外の子ではあるが、初対面の相手に物怖じするような子がどうしてそう言うオカルトめいた事を軽々しく口に出来るのか。

 最初から違和感は感じていた。しかし、それは鳴の消失に対し割り込んできた事が主だと考えていたが、恭は考えを改める。

 不自然だ。それ故に、彼女に真実を伝えてはいけないと悟り恭は言葉を濁す。

 

 「いや、そう言う話は聞かないな……てか、うちのクラス変態しか居ないし」

 「そうですか……なら良いです。安心しました」

 「いや駄目だろ」

 

 先程のような瞳の煌めきは消え、彼女は普通に笑っていた。さっきのは一体何だったのだろう。そうこうしているうちに物理教室だ。先生(物理教師だけにトーク力の摩擦が小さい=スベる)はまだ来ていない。

 

 2話 静寂

 

 

 「……ただいま」

 「あ、お帰りなさい。お兄ちゃん」

 

 恭はその日一日落ちつかず、お世辞にも良い日と言うわけでは無かった。部活でも盛大にヘマをやらかし最高にブルーだったようで、重い足取りのまま帰宅したのだった。

 家に帰って居間に顔を出すと、3つ下の妹、涼(りょう)が迎えてくれた。現在中学二年生、才色兼備で彼氏もいるらしい。ピンク色のパーカーを着て下は扇情的なミニスカと黒のニーソックス、誰も居るわけでもないのにパーカーのフードを被っている。そんな部屋着にするには少し力の入れ具合がおかしい恰好で、居間の卓袱台に教材を広げ数学の問題を解いていた。

 

 「ご飯にする? 先にお風呂入る?」

 「あー……風呂にする」

 

 わかった、と軽く言い彼女は厨房に歩いていく。恭がいつ帰ってきてもいいように料理の下準備をしてくれているのはいつもの事なので、彼も時間を無駄にしないためにも先に着替えを一式手に取り風呂へと向かった。

 あまり食が進まないのだ。昼間の弁当も殆ど喉を通らなかった(ちなみに弁当は妹が作っており、残して帰ると彼女が悲しむから捨てようとしたら璃音が横から来て全部食べて行った)し、今もそこまで変わらない。気休め程度にしかならないかもしれないが、風呂に入って身体を休めれば多少なりとも食欲が出るかもと判断してのことだった。

 せいぜい160cm程度しかない恭だったが、そんな彼にも狭すぎるほどに真田家の浴槽は小さかった。その為足を曲げ体操座りで入浴する。たまには足を真っ直ぐにのばして湯船につかりたいのだが、そう贅沢も言っていられない。

 某鳥の行水と言われない程度に(妹はそう言う事にうるさい、あと早くあがりすぎると料理を作り終わっていない妹が申し訳なさそうにする)入浴を済ませて居間に戻ると、夕食の準備が出来ていた。今日の夕食のメインはチキン南蛮だった。確かに焼けば出来る料理だが、大層時間をかけて下準備をしてくれたのだろう。

 

 「いただきます」

 「いただきます」

 

 真田家の夕食は専ら兄妹の二人でとるのが一般的になっている。両親は帰りが遅い、最初は食費を親が置いて行っていたのだが妹がかなり前から独学で料理を学び、いつしかこの形態になったのだった。恭が部活を出来るのも彼女が放課後に部活をしたい衝動を堪えて家事全般をやってくれているからで、妹には全くと言っていいほど頭が上がらない兄なのだった。

 

 「お兄ちゃん、美味しい?」

 「うん、旨いよ……でもこれ、難しかったんじゃないのか?」

 「簡単だよ、時間がかかるだけで。それに時間かかるって言っても、漬け込むだけだし。その間に他の事を一通りやっちゃえるから」

 「いつもお疲れさん。涼は良い奥さんになるよ」

 「そんな先の事を……0-257が笑うよ?」

 「食中り(あたり)な、それ。あと157だ」

 

 淡々と会話を交わしながら食事を進めていく。そのうち無音が寂しいからと涼がテレビをつけた。ニュースだ、どっかの家が火災に見舞われたらしい。

 

 「見て見てお兄ちゃん、これうちの市内だよ」

 「ん、マジで? ……って、終わったじゃんか」

 「ご、ごめんなさい……でも、火災の原因って何なんだろうね。これ、深夜でしょ?」

 「そうなのか……深夜、ねぇ」

 

 見ようとしたらニュースのコーナーが移ってしまったので分からなかったが、妹曰くそう言う事なのだろう。その為、放火と言う線で検察の方も動いているのだとか。

 物騒な話だなと思いながらも、恭と涼はおかずを口へ運ぶ。慎ましく作った兄妹の食卓は20分もすれば完食してしまえるほどだった。

 

 「あ、片付けは俺がやるよ」

 「うん、お願い」

 

 と言っても片付けるのは肉を焼くのに使ったフライパンと食器だけなのだが(下味をつけたりする際に使ったものは全部涼が片付けている)。食器を水にくぐらせ、スポンジを使い洗っていく。

 

 「じゃあ、私はお風呂入るね」

 「ああ、そうしてくれ」

 「お兄ちゃん……今週末、お母さんとお父さんと旅行に行く話なんだけd」

 「悪い、部活と課題でちょっと余裕がないんだ」

 「……そ、そうだよね。ごめんね、お兄ちゃんは忙しいよね……」

 

 有無を言わさぬ物言いで、恭はその言葉を制す。そしてそのまま何事も無かったかのように食器洗いに戻った。涼の哀しげな顔が脳裏に焼きつく。しかし真田家の事情からしてそれは叶わない。

 真田家は非常に不安定な状況にある。恭と涼は血が繋がっていないのだ。恭の本当の母親は恭が幼い頃に失踪しており、今の母親と血の繋がりは無い。加えて、今の母親の子が涼だ。恭の父と涼の母が互いに再婚した構図になる。

 そして恭は失踪した母親に非常によく似ており、涼は今の母親にとても良く似ているのだ。血のつながりがあるのだから当然かもしれないが、両親ではなくほぼ片親のみが遺伝したくらいの似具合だった。

 父は弱く(ヘタレと言う言葉すら生温い、何故結婚したのか分からないくらいの力関係だった)、夫婦の主導権は母が握っていた。母は自分に似た涼を溺愛し、どことも知らない女に似ている恭を徹底的に毛嫌いした。

 母は恭と一緒に旅行などしたくないだろう。そして父の立場があってないような物であるが故、それを大っぴらに言える。父がそれを反対するはずもない、彼は母の傀儡でしかないのだから。

 だからどんなに土日が暇であれ、その旅行に恭がついて行くわけにはいかなかったのだ。今だってあの両親は何をしているか分かったものではないが、それを推し測るような暇は兄妹には無かった。

 幼い頃から涼は恭を病的なほどに愛し、それが母の暴力を加速させた。恭はそれを黙って耐え、涼の兄への依存はより深まって行った。ただの悪循環だ、しかしそれを止めるための楔が真田家には一つとして存在しなかったのである。

 チャリン、物悲しい音が居間に響く。小銭を貯金箱に落とす音だ。涼は日々の買い物のお釣りをそうやって貯金している。ちなみに食費を置いて行くと言う話だったが、それは明言されていないとはいえ恐らく涼1人分のお金なのだろう。恭は小遣いを貰っていない。学費とその他諸経費、部費くらいで、お釣りが出れば御慰み。涼が自炊を覚えて食費を浮かそうとしたのもこの辺りに起因している。

 

 3話 疑念

 

 「お~い、もしも~し」

 「……んあ」

 「おはようさん、真田くん」

 

 次の日の朝、早朝からの補習(と言う名の授業、別に一限と言ってくれてもいいのだが。何だろう、あまりに朝早くに授業を行うと法的にまずいのだろうか、という疑問が大多数の生徒から出ている)を終えぐったり机に突っ伏している恭に声をかけたのは璃音だった。心底だるそうな恭に太陽よりも眩しい笑顔を向ける彼女。太陽って近すぎると色々厄介だ。自由と言う名の翼は太陽に近づくとにかわが融けてしまう。

 今の恭は太陽に急接近され、そのまま地面に墜落と言う構図だった。彼は何も悪くない。むしろ地球が危ない。一瞬で焦土だ。

 

 「もう、なんやテンション低いな。そんなんやとまたミスるで」

 「うるさいな、ほっといてくれませんか割とマジd…」

 「そないな事言わんでもええやん……ほら、今日はうちと真田くんが日直やで」

 

 恭の顔が凍りついた。顔を上げた恭の眼前には少しばかり長めの黒板消しが一対。そもそも黒板消しは二つで一つなどと言う事は無いはずなのだが、消す面が合わさって彼の前に突きつけられていた。一回パンと打ち合わせたら大惨事だろう。何と言うサディスティックなクラスメイトだ。

 

 「別に仕事しないとは言ってないだろ……」 

 「せやかて真田くん、言わんかったらせぇへんもん」

 「分かったから……やるって」

 

 重い腰を上げ、補習のためほぼ真っ白に塗りたくられた黒板(違う意味で白板だ)を黒板消しで綺麗にする恭。確かにこの黒板を一人で、しかも女子がやるのは厳しい物がある。

 ちなみに璃音と恭は同じ部活をしている。恭の凡ミスはばっちり彼女に見られているのだ。また鳴も同じ部活なのだが、それはまた次の機会に。

 

 「それにしても熱ない? 今日さ」

 「胸元を露出しようとするな」

 「じゃあ見んといてや」

 「見せるな」

 

 議論は平行線を辿りながらも黒板は綺麗な緑を取り戻し(黒板の色が緑色なのに黒板なのは初期型が本当に黒かった名残らしい)、妙な達成感を得る二人だった。と同時に先生(何度も言うが禿)が入ってくる。二人は慌てて着席した。

 

 

 ……………

 

 ………

 

 …

 

 熱い。あまりの暑さにクラス全体が死屍累々となっていた。校内放送では熱中症の対策の放送がされ、秋になったので封印された冷房が解禁される程になった。それでも熱い。と言うか集中管理で温度を28℃以下に下げられないのが悪いのだが。

 この茹であがるような暑さに教師陣は大抵やる気が無かった。生徒に至っては言わずもがなである。そんな中で、九兵衛は黙々とノートをまとめていた。何だこの少女は。鬼か。学問の。

 ちなみに先生の言う通り昨日の帰りのHRで席替えが行われ、恭の席は真ん中付近になり左隣が九兵衛になった。特定の人間と隣り合う確率は思ったほど低くは無いのだが、周囲の批難は凄かった。ネタだと信じたい。

 昨日転校してきて、一日でクラスに馴染んでしまうのは恐らく彼女の可愛さなのだろう。性格的に自分からコミュニティを広げて行けるキャラではないし。可愛いは正義と言う奴だ。イケメンは性格的に多少何があってもモテるというあれだ。生憎恭にそう言う素敵イベントを引き起こすステータスは無いし、某ゲームのように魅力値や学力値を簡単に上げる事も出来ない。

 そんな事を考えながら黒板の文字の羅列を書き取っていると、左肩をちょんちょんと小突かれた。その方向を振り向くと、左頬に華奢な指が当たる。そのまま恭は左手でその指を握りしめた。

 

 バキバキバキバキ。

 

 「いっいつつつつっ!!!」

 「おい優等生。ふざけてる暇があっても凡才の邪魔をするな」

 「いや、そう言う事ではないのですが……この時期、この町ってこんなに暑いんですか?」

 「さっきまで何も気にしてなかったくせに……」

 「いや、温度計が酷い事になってるので……」

 

 教室前に置かれている温度計が95度になっている。ああ、と恭は直感し、机の中に入れていた電卓をいじる。うちの温度計は誰の趣味か知らないがセ氏ではなくカ氏を採用しているのだ。

 計算の結果、35℃という結果が出た。確かにおかしい。真夏はとっくに終わっているはz……

 

 ウゥーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!!!!

 

 強烈なサイレン音が前方のスピーカーから流れる。その後、今までに生徒達の聞いた事のない音声が流れて来た。

 

 『火災発生、体育館より火災が発生しました。担当教諭の指示に従い迅速に避難して下さい。これは訓練ではありません、繰り返します、火災発生……』

 

 機械音声だった。今までの訓練は全て誰かしらの先生が原稿を読み上げていた事もありそれが非常事態である事を如実に表している。

 喚き散らす者達も居たが、それを教師達が上手く統制し生徒を校庭へ導いて行く。しかしうまく行かない。普段の訓練がどれほどに儀礼的なものかを有事の際には思い知らされる。

 出火元が本校舎から渡り廊下によって繋がれた別館であったためこの避難クオリティでも十分に間に合ったのだが、避難の末の全校生徒達の混乱は並大抵のものでは無かった。早急に消防隊が駆け付けたが、巨大な建物を包み込むように燃え上がる炎は中々消えなかった。

 

 「いったた……ちょっ、うちの足踏まんといて!!」

 「あっ、ごめん……」

 「ああ、真田くんか……いたたたたたたっ、あーやばい、骨折れてもうた」

 「おいどこのチンピラだよ」

 

 と言ってもそこそこに炎が鎮静化されて行くのを見ると生徒達も落ち着きを取り戻し始め……れば良かったのだが、落ち付いてくるにつれて新たな問題が浮上したらしい。

 あちこちから聞こえてくる悲鳴にも似た声。居ないのだ、生徒が。何人も。報告するクラス委員長も気の毒な話だ、こんな状況で生徒がそんな責任を取れるはずがないのに。それでも報告すれば叱責は免れない。叱責されるべきはクラスの生徒達を見ていなかった教師だろうに。と言うのもお角違いな話なのだが。

 悪魔のように踊る炎が目に焼き付いて離れない。この度の問題は全て火事の所為なのだ。この焼けるような暑さの中揺らめく陽炎が現実さえも歪めて行くような気がして、一周回って恭は身震いするのだった。

 4話 煉獄

 

 結局、行方不明の生徒は惨たらしい状態で発見されたらしい。出火元らしい体育倉庫で、どうやら火種を囲むようにして焼死体が出て来たとの事だった。勿論生徒には公表されていない情報で、恭も人づてに聞いた話なのでどうにも信憑性がないのだが。

 鑑識の手が回っていない状況で軽率な判断は出来ないそうだが、出火原因は死んだ生徒達が放火したと言う説が濃厚らしい。実際体育倉庫にある物は燃えやすい。乾燥した空気、マットのようなすぐに火が燃え移る媒体、ワックスを塗りたくった木造の床と壁。加えてこの猛暑で、故意に火を付けたならこうなって然るべきともいえた。

 

 「死んだ生徒、何の共通点も無いらしいぜ……」

 「クラスも学年も部活とかもバラバラらしいな……」

 「私ら誰も欠けなくて良かったよね……」

 

 その後の授業は教師一同が会議の為自習と言う事だったのだが、まともに自主学習に勤しんでいる図太い生徒はこの教室には居ない。上にあげたような会話がそこかしこで聞こえてくる。一応クラスメイトが他人事でいられるのは知らない人間だからだそうなのだが、クラスの誰とも面識のない人間が無作為にピックアップされてこうして事件に巻き込まれると言う話は少し異常に思えた。

 恭のクラスは彼自身言及している事だが変態揃いだ。それと同時に誰もかれも交友関係が広い。当然例外はあるものの、このクラスの人間と一次的な交遊関係にある者(友達の友達はカウントしない)を集めれば学校の半分は網羅できそうなくらいだ。

 とりあえず教室待機を命じられてはいたが、生徒達が落ちついていられるわけもなく、それでも人が大勢死んだ後ではふざけて騒ぐ事も無く(この辺の良識を持ち合わせているのがこの変態クラスだと恭は自負している)、教室内は異様な空気に満ちていた。例えるなら可燃性のガスが充満しているかのような。火種がどこかで弾ければ、恐らく瞬時に炸裂する。

 いたたまれなくなったので恭は教室を出る事にした(不在中に教師が戻ってくると面倒なので一応隣の九兵衛に『少し雉を撃ってくる』と言ったが通じなかったので後ろの男子に『トイレ行ってくる』と告げた、その後二人の慣用表現ト―クが始まったのは気にしないでおく)

 自習を命じられているからと言って用を足す事を規制する法律は無い。ただ恭の足は別の所に向かっていた。彼の所属する2年5組教室のベランダである。一応カーテンを締め切っているのでクラスメイトが恭の存在に気づく事は無い。

 煙草みたいな嗜好があるのなら一服やりたいシチュエーションなのだろうが、無論生徒の喫煙は禁止であるし恭にそう言う習慣は無い。ただ黙って空を見るだけだった。空は雲一つなく蒼い光がどこまでも深く満ちていた。

 閉鎖された空間でネガティブな感情を連鎖させるよりも、此処で何も考えないで時間を過ごしている方が何倍も有意義だった。どうせ自習が出来る空気ではない。これが来年の今頃なら違うのかもしれないが。

 思えば、死んだ生徒の中には三年の生徒もいたはずだ。勿論恭自身はその人達の事を知らないのだが、此処まで生きて来てこんな最期を迎えると言うのはどういう心境だろうとふと考えてしまった。それから、死んだ生徒の親もそうだ。家庭環境の違いこそあれ、此処まで育てて来た大事な子供が理不尽に命を奪われると言うのは身を裂かれるような苦しみだろう。

 彼はそれが多数派である事を信じており、それ故に自分自身が異端である事も承知している。両親にとって飾り以下の存在価値しかない自分の居る意味とは何だろうか、考えても答えは出せそうにない。

 

 「きょうちゃん……」

 「……ああ、九べ……きゅうちゃんか」

 

 一応彼も九兵衛を彼女が望むあだ名で呼ぼうと努めてはいるのだが、大勢が居る中でだと何だか恥ずかしく、あまり実行に移せないでいた。ちなみに女子同士ではこの『きゅうちゃん』と言う呼び方で定着しているし、男子も『おいおいきゅうちゃんそりゃないぜ』的な軽口で呼ぶことも多いので別段恥ずかしいわけではないのだが、通常時は圧倒的に『木村さん』が多いので中々そう呼べない。恐らく恭以外の男子にもこう言う奴はいるのだろう。

 一応言っておくと彼女は可愛い。ただひたすら可愛い。白い髪も高齢者の白髪のような褪せた色ではなくほのかに艶を帯びており、ほのかに気品を感じさせる。赤い瞳も血走ったような物ではなく宝石のようで美しいし、何より性格が控えめだ。多くの人が『護ってあげたい』と感じるのだろう。

 だからこそ、やたらと自分に懐いてくる(と恭は思っているし他の人も割とそのような感じではある)彼女の事を親しく呼べないのではないか、恭はそう自己分析している。

 

 「雉を撃ちに行くって、女の子で言う所の『お花を摘みに行く』ってことなんですね。勉強になりました。自主学習の時間恐るべしです」

 「そうか、なら良かった……んで、どうしてここが?」

 「ちょっとあの部屋に閉じ込められてるのが嫌になったので……きょうちゃんもいたのが意外ですが」

 

 思えば好きこのんでベランダに出る生徒はあまりいない。それが小学校時代の『ベランダに出るな』と言う謎のルール(勿論危ないのは分かっている、なら何故作ったと苦言を呈したいわけだ)の刷りこみの成果なのかは分からないが、実際こうして誰かと一緒に此処に来る事など恭には無かった。

 する事がないからというのが理由かもしれない。走りまわれないし、こうしてカーテンがかかっている訳でもない状況では秘密の場所にもなりえない。何かをしてばかりのうちのクラスメイトが、何もしない事を強制されるこの場所に来たがらないのもある意味では当然なのかもしれない。

 

 「ご一緒してもいいですか?」

 「別に良いけど……」

 「ありがとうございます、きょうちゃんは優しいですね」

 

 そう言うと、九兵衛は軽くて柔らかい体を恭の横にもたれかからせる。ふんわりとした匂いが恭の鼻腔を満たし、彼を何だか変な気分にさせた。クラスのアイドル(になりつつある)と肩をくっつけて日向ぼっこなど早々出来るものではない、やたら熱いのは太陽のせいだけではないのではないかと恭は動悸の激しい心臓を押さえて思う。

 

 「ん……私、こんな風に学校生活を送りたくて。今、とても幸せなんです」

 「前のクラスで、何かあったのか……?」

 「まあ、そんな感じで……」

 「そういやさ、きゅうちゃん。どの辺に住んでんの?」

 「相浦って所に、一人で住んでます。私、元々両親を亡くしてて、後見人の方に色々面倒を見てもらってまして……」

 「相浦か……バス通学か?」

 「はい……そんな感じです」

 

 その目は恭ではない別のどこかを向いて、彼女は自分の出自を淡々と語ってくれた。どこまでも不思議な子だと恭は訝しんだが、嫌な感じはしなかった。むしろ、彼女が少しだけ輝いて見えたのだ。

 彼女の、大変だけれども頑張っているその姿を見て、別段大変でもないのに家庭環境の劣悪さから少し引き気味になっている自分が恥ずかしくなるくらいに。

 

 「実はさ……俺の母さん、本当の母親じゃないんだ」

 「え……?」

 「俺が覚えてないくらい前に離婚して、父さんに引き取られたんだ。んで再婚した。家庭環境は最悪だよ、母さんは連れ子の妹を溺愛して俺の事は塵屑扱いだし、母さんにべったりな父さんは俺の事なんて考えてくれないし。その点、きゅうちゃんは自分一人で頑張ってて偉いよ」

 「そうでもないですよ……後見人の方が凄く良くしてくれるから……」

 「そうか……俺も、妹が良くしてくれるかな」

 「妹が居るんですか?」

 「まあ。妹一人居れば両親なんて居なくていいくらいの良妹だよ」

 

 ……と、そうこうしている間に教室がざわつき始める。先生が戻って来たらしい。俺が先に入るから、と釘をさして彼女をトイレ側に行かせる。そして何食わぬ顔で恭は教室に入ると先生に事情を説明した。

 

 

 その日の放課後は全部活動が活動を禁止されてしまったので、恭は一人でいつもの道を歩いていた。いつものように、自転車を押しながら歩く。いつしかそれが彼の日常になっていたから。

 だが、鳴はいない。どれほど探してもその痕跡さえ見つからない。部活の皆と撮った写真からも彼女の存在は消え、連絡網の名簿も不自然にブランクを生じていた。

 忘れたいわけではない。だが、忘れなければならないのではないかと言う自分も居る。でなければ壊れてしまいそうだった。薬物依存とさして変わりはしない。もしかしたら忘れてしまえば何事も無く日々を過ごしていけるのかもしれない。

 

 「……でも、そんなの……」

 

 嫌だ。

 嫌だった。鳴の事を忘れて、別の誰かを好きになるのが嫌だった。彼女との思い出を、今は自分の心の中以外のどこにもないそれを消してしまうのが嫌だった。彼女は世界一の人間では無い。だが、彼女は彼が世界一愛している相手なのだ。

 ……それにしても暑い。太陽はその光で恭の身を貫かんとするほどだ。早く帰って涼まろう、そう決意して足を踏み出すスピードを上げようと……

 

 トン。恭は軽く首筋を押された。そこまで痛くは無かったが、彼はふらっとよろめく。自転車を倒しそうになりながらもギリギリで踏みとどまり、そんな事をした犯人を問い詰めようと振り返る。

 

 そこには誰もおらず、次に襲って来たのは強烈な倦怠感だった。

 

 「なっ……んっ、ぐっ……」

 

 だるい。気持ち悪い。目が回る。吐き気がする。これが熱中症か、意外なほどに冷静な頭に感心しながらも、彼は近くの影を目指した。駄目だ、喉が焼ける、口の中が乾いてかすれた声しか出ない。

 

 「かはっ……だ、ぇ……ぁ……」

 

 自転車の下敷きになって道端に倒れる恭。体が動かない。後少しで日陰だったのに、それは彼を覆い、匿ってはくれなかった。

 

 暑い、熱い、あつい……誰か、誰か助けて……

 

 

 その後、朦朧とする意識の中彼は身体がふわりと浮くのを感じた……

 5話 人魚

 

 ……………

 

 ………

 

 …

 

 「……ん」

 「っ!? 真田くんっ!!!?」

 

 恭が気だるさの残る身体でなまこ、もとい眼を開くと気付いたらそこは病院のベッドの上だった。彼の眼前には璃音の姿があり、彼女はぐったりとした涙を瞬時に潤ませていた。

 

 「良かった……心配したんやで……」

 「心配したって……ああ、俺……」

 「もう……最近物騒なんやから、真田くん死んだら……哀しなるねんで……」

 「……お前が助けてくれたのか?」

 

 彼女は泣き散らしながらもこくんと頷いた。彼女曰く丁度恭が倒れていた所に出くわし、日陰に連れて行って濡れタオルで身体を拭いたが結構危ない状況だったため救急車を呼んでくれたらしい。そこから先も彼女はずっとついていてくれたそうだ。今日は折角部活も休みだったろうに、と思うと恭は申し訳なさで一杯になる。

 近くにそこそこ設備の整った病院があって良かった。それが無かったらと思うとぞっとする。とにもかくにも死なずに済んだ。それはずっとついてくれながら頭のタオルを換えてくれた彼女のお陰だと思うと何回御礼を言っても足りない。

 それなのに……何かを忘れている気がするのは文字通り気のせいなのだろうかと恭は思いを巡らせたが、答えは得られそうになかった。

 

 「……今何時?」

 「……ん、ええと、6時くらいやで」

 「分かった、とりあえずお前はもう帰れ。お前の親に心配かけたくない」

 「せやけど……いや、せやな。ここ病院やし。とりあえず真田くん無事ならええわ」

 

 顔をハンカチで拭くと、いつもの勝気な表情で彼女は立ち上がる。んじゃ、と軽く言い残し、彼女は病室の扉に手をかけた。

 

 「璃音」

 「ん、何?」

 「その……ありがとう、助けてくれて」

 「そんなんええよぉ。うち……真田くんに死なれたらつまらんし」

 

 ふふっと笑い、璃音は病室を出て行った。特に力を入れなくても勝手に扉は閉まって……いかなかった。

 

 「お兄ちゃんっ!!!!!!」

 「うわぁああっ!!!!!!」

 

 涼が閉まりかけた扉を強引に開けて飛び込んできた。そしてそのまま恭の顔面をホールドする。

 料理の途中だったからかジャージにエプロン姿である。色々大丈夫なのか、火の元とか世間体とか。涼には世間体とかそう言うものはあまり関係ないのかもしれないが。

 

 「お母さんからさっき電話がかかってきて…いてもたってもいられなくて……うわぅっ!!」

 

 居ても○っても居られないのはこっちだ。贔屓目に見ても妹の発育はやばい。そんな彼女の胸元で顔面を包囲されたらそれはもう色々死にそうになる。体力とか回復してないんだからやめてくれと思いながらも剣道部所属の彼女は腕っ節が強く振り払うのに相当な体力を消耗した。

 

 「ご、ごめんなさい……」

 「お前な……また意識失う所だったわ」

 「でも、いてもたっても……ところで、もう大丈夫なの?」

 「お前の所為でデッドラインに達しそうになったけどな」

 「ううう……」

 

 正直殺されそうになった感は否めないのだが、弱っていたとは言え妹に窒息死させられたなど末代まで笑い者にされそうで死んでも言えないのだがそうか今死ねば末代は自分だからこの負の連鎖は自分で終わるラッキーと軽く自殺を肯定しそうになったところで踏みとどまり、恭は両頬をぱんぱんと叩いた。

 

 「母さん、何て?」

 「『恭が倒れて病院だそうだから様子見に行ってもらえる?』って言われて……ほら、今週末は旅行だし、その前に色々あったら……」

 「ああ、そう言う事ね……」

 

 あまり聞きたくない話だった。あれか、子供が倒れたまま旅行を満喫しようとすると世間体が悪いとかそういう話か。

 別にお前が来いとは恭も思わない。むしろ妹が来てくれてありがたいくらいだ。あの親には、弱った状態で相対したくない。

 とりあえず旅行の件は絶対に行くまい、社交辞令として誘われても本調子じゃないからと断ろう、恭は本気でそう思っていた。

 

 「とりあえずもう帰れるから……一緒に行こう」

 「うん……あっ、そんな急がなくても……お兄ちゃん?」

 「ん? どうした?」

 「首筋に……変な痕(きずあと)があるよ?」

 

 涼に指摘され始めて気がついた。言われてみれば何か変な感じがする。おもむろに手を当ててみると、何だかごつごつした感触があった。しかも手を這わせた感じ、何らかの模様になっているような気もする。

 そう言えばあの時、誰かに後ろを押されたような感覚があったような……恭はあの時の事を思い出そうとした。しかし思い出せない。

 余計な事をあれこれ考えてもしょうがないので、二人は病院を後にするのだった。

 

 

 その痕には『Roberta』と刻まれていた……

 

 

 『Roberta』、別名『鳥籠の魔女』。その性質は憤怒。 カゴの中で足を踏み鳴らし叶わぬもの達に憤り続ける。 この魔女はアルコールに目がなく、手下達もまた非常に燃え易い。

 6話 献身

 

 次の日、恭は大事を取って休むよう学校側に言い渡されていた。とはいえこういう時に限ってゲームや漫画と言った娯楽に喜びを見出すこともできずただただ布団に入って天井の染みを数えるだけの矮小な人間に成り下がっており、客観的に自分を観察して彼は非常に無駄な時間を過ごしている状況を噛みしめるのだった。

 妹は学校だし(看病すると言って聞かない彼女をどうにか説得して登校させるミニゲームは今日唯一楽しかった娯楽だと言ってもいい)、両親も仕事。彼女らに仕事を休んで子供の安否を気にするような甲斐性があるはずもなく、あったとしても無駄に気を遣わせるだけでまさに良心が痛むわけで、となると一人の状況も悪くはなかった。暇なだけで、誰にも迷惑をかけるでもない。自分が我慢すればそれで良いだけの話だ。

 時計をみると四時を回っている。朝は妹が無駄に頑張って朝食を作っていたので良かったのだが、昼はまだ何も食べていない。このまま何も食べないで夜を待ってもいいのだが一度減った腹は何かいれないと収まらないたちのようで、恭は重い足取りの中ではあったが何か作ろうと台所へ向かった。

 正直な話彼に食事を作るつもりはなく、妹が何か残していないかなと言う希望的観測の元冷蔵庫へ向かったわけだが、そこは真田家の食を支える真田涼のこと、抜かりは無かった。冷蔵庫には貼り紙がしてあり、『多分昼食を作る元気も無いと思いますので、作っておきました。温めて食べて下さい。あと、ご飯よそったあとはお釜を水に漬けてくれると助かります』との事。作る『気』も無いと敢えて記述しないのは妹なりの優しさなのかは知らないが、今はその優しさに甘える時だと恭は冷蔵庫を開ける。白い靄の中に紛れて、ラップで覆われた艶のあるタレに付け込まれた豚の角煮とキメの細かいポテトサラダが姿を現した。

 身内贔屓を差し引いても彼女は料理が上手い。キャリアこそ世の奥様方よりは短いかもしれないが、その差を補って余りある位一つ一つを丁寧に作る。慢心し保守に走っている主婦は今一度見直して欲しいと言う位に。

 角煮をスチームで温めながら茶碗にご飯を盛り、メインディッシュ以外の食卓を整える。そして丁度再加熱が終わる頃にレンジを開け甘い匂いを含んだ湯気を感じながら角煮を運ぶ。

 妹の献身に感謝しながら恭は手を合わせる。誰もいないこの食卓で手を合わせる必要は無いと言われるかもしれないが、妹に指導(調教と言った方が概ね正しい)され染み付いているこの習慣を今だけ捻じ曲げる方が難しい彼はそのままいただきますの声を上げ、食事に取り掛かrピンポーン…

 恭は眉を顰める(そうか学校でよく言われる『眉を顰める』行為とはこの手の感情を誘発するものなのかと恭はまた一つ大人になった)も、来客を待たせるわけにもいかず立ち上がり玄関へと歩いて行き、一軒家にありがちな横開きの扉をガラガラと音を立てて開けた。

 

 「こんにちは……いや、おはようやな、真田くん」

 「璃音……」

 

 そこには、ポニーテールに関西弁のクラスメイト、油田璃音が立っていた。可愛らしい袋を鞄から取り出し、それを恭に手渡す。

 

 「要らへんかもしれんけど、今日出た宿題と学級通信、うちがとったノートのコピー持って来たで。明日創立記念日で休みやから、結構キチガイな量の宿題が出てんねん」

 「そりゃまた豪勢な……」

 

 宿題と学級通信は良いとして、彼女のノートと言うのは非常に贅沢な品だった。学年一桁の成績を誇る彼女の板書は高校生レベルではかなりのハイレートで取引されている。試験が絡む時期には相場が上がるため、本気で好成績をおさめるなら平時に買っておくのがお買い得だ。それをコピーすれば試験前に元を取り返せるし。

 クラスには彼女のノートを頼みにして授業を聞かない猛者も少なからず存在し、(学校というローカルな)社会問題になっている。無能教師の退屈な授業に時間を費やし成績も振るわないという位なら悪魔に魂を売るということは有用な取り引きなのである。恨むなら束になってかかっても生徒一人に勝てない自分の無能を恨めとはハイランカーの弁。

 

 「今度から金取るからな」

 「守銭奴だよなお前……それって大阪人の専売特許じゃね?」

 「大阪人だけが商売上手やと思うてか。兵庫の名産考えてみいや、色々あるねんで」

 「なるほど分からん」

 

 某百科事典サイトで検索をかければ出てくるのかもしれないが、全国区で見て有名な物が頭に浮かんでこないのだからその程度ということだろう。実際彼女の言っていることは嘘ではないのだけれど、一介の高校生にそれを期待するのは難しい。

 

 「ま、まあええわ……真田くん、もう元気なん?」

 「まあな、ずっと寝てた反動で気持ち悪いだけだ」

 「まあ生きてて良かったわ……昨日の今日でまた何かあったら困るもんな」

 「明日はちゃんと来るから……今日はありがとな、璃音」

 「ええよこれくらい……なあ、真田くん」

 

 璃音が突然声を上ずらせた。口元が少しばかり震えている。

 

 「あのな……明日ヒマ?」

 「ん、暇だけど」

 「せやったら、遊び行かへん? うち、見たい映画があってな、二人でいくと特典が貰えるねん」

 「ああ、『人外少女』か……」

 

 人ならざる者との交流を描いたアニメ(原作は漫画)である。今回は原作でも評価の高かった『黒ウサギ編』(不幸を招く黒い兎の少女との恋愛譚)を練り直した作品に仕上がっているらしい。

 近年の例に漏れずこの映画のチケットにも素敵特典が付いているのだが、この映画は特殊でカップルの客に特典を進呈している。恋愛要素が大半を占めているとは言え、この特典の条件は厳しすぎるのではないかともっぱらの噂だ。独り身のファンには敷居が高いらしくオークションで高い値がついていたりする。

 

 「それだけやとつまらんさかい、その……デートしよや」

 「……いいよ」

 「うん、じゃあ……また夜にでもメールするな」

 

 彼女はその言葉を最後に、軽く手を振って恭の家をあとにした。

 ああ……と恭は放心状態になる。生憎彼にはそこまで優秀な回避スキルを持っているわけではないのだ。

 今まで恭が彼女のことをそういう目で見たことはなかった。それは彼の視線が常に鳴を捕えて離さなかったからかもしれないが、ひょっとしたらそれだけではないのかもしれない。でなければ、進展具合があまりにも早すぎる。

 鳴が消えた世界で、システムがそのように作り変わったのだとしたら……恭が璃音を選ぶのはこの壊れた世界に必要なことなのかもしれなかった。

 そんな事、考えたこともなかったし考えるつもりもない。しかし、世界がそれを望むのだとしたら。

……結論は明日だそう、デートは付き合っている証明ではないのだから。恭は何分間その場に棒立ちになっていたかは知らないが、多少寒さで体調を崩すほどには長かったのだろう。

 よろよろと布団まで戻り、掛け布団の中に身を包ませる。璃音には申し訳ないのかもしれないが、彼は寒くてたまらなかった。体調がまた悪化したのだろうか。

 等と言う事を考えながら悶々としていると、ガラガラと扉の音がする。妹が帰って来た。

 

 「お兄ちゃん……」

 「あ、おかえr……っ!!?」

 

 彼女の手には包丁が握られていた。そう言えば調理実習がどうとか言っていたような気がするが(そうだ、それがあるから絶対に休むなと言ったんだったと恭は己の記憶力の無さを恥じる、体調不良は言い訳にならない)、自前の包丁を持って行ってたのか真田家の料理長は。調理師免許も持っていないくせに、銃刀法違反で捕まっても知らないぞと言いたかったがそういう状況では無かった。

 

 「誰か女の匂いがするね……お兄ちゃん、まさか自宅療養を勧められていながら女の子を連れ込んでたの?」

 「ちょっと待て、何なんだお前の謎の嗅覚と殺戮衝動は!?」

 「さてさて、お兄ちゃんはその女に何処を穢されたのかな? その部分を早く切断してあげないと……ね??」

 「いやおかしいだろお前!!! 自分のキャラを忘れないで!!!!」

 

 必死で命乞いをする恭に、耐えきれなくなったらしい涼はぷっと吹き出した。いや、分かってましたけどかなり怖いです。お前は学校で一体何を学んでいるんだと問い質したくなるような演技力に恭はさっきまでとは別の冷や汗が出る。

 

 「ったく……何やってくれてんだよ」

 「ごめんごめん。流石にそんな女の人の匂いなんて分からないよ。実は帰り道でお兄ちゃんの部活仲間の人に会って。あのイベント事ではいつも楽しそうに絡んでるポニテの人」

 「ああ、璃音か……んで、璃音が俺の所に見舞いに来た事を聞いたと」

 「ううん、すれ違っただけ。その璃音って人からお兄ちゃんの匂いがした」

 

 あっけらかんと言ってくれる妹。それはそれで怖いわ。恭は更に身震いした。

 7話 地獄

 

 「待った~?」

 「いや、今来たとこ」

 「またまた、そう言うテンプレはええねんて」

 

 次の日。恭の住んでいる街の有名な待ち合わせスポット(噴水のある緑豊かな公園で、平日ならまだしも休日は結構な人間で賑わう)で、恭と璃音は待ち合わせた。

 彼らの通う学校の創立記念日と言う事で、やはり同じ学校の高校生達が多い。むしろ他の学生っぽい人達の境遇が気になる所ではあるが、そこまで気にする必要も無いかと恭は意識を切り替える。

 恭は良くあるタイプの黒いTシャツと灰色の上着に下はジーンズ、璃音は白いフリフリのワンピースに銀色のヒールを履いていた。髪はいつものようにポニテでまとめている。

 それにしてもデフォルトで身長の高い彼女がヒールを履くと自分との身長差が露骨に強調されてしまうなと恭は少し悲しくなる。彼は同年代の男と比べても決して大きい方では無く、逆に璃音はバレーやバスケでもやっているのではないかと言うくらい背が高い。

 一度『長身にヒールって必要なの?』と聞いたら彼女は『別に背を高くするための物や無いねん』と一周された事を彼は思い出した。理由は未だに分かっていない。

 

 「んじゃ、最初はどうする?」

 「せやな……じゃあ、Magdala行こ。買いたい物があんねん」

 

 恭の手を引いて歩きだす璃音。振り回される予感しか無かったが、恭はそれに黙ってついて行った。

 

 

 胸のあたりがちくちくと痛む事くらい、少し考えれば分かりそうなものだった。

 

 

 「なあ、真田くん。どっちがええ? どっちがうちに似合う?」

 「……あの、こっちに向けないで貰えますか?」

 

 Magdalaは町のほぼ中央に位置する大規模なショッピングモールだ。大体何でもそろう上に、近くには映画館やゲームセンター、ボウリング場等等の娯楽施設も充実しており、この町の中でも有数のデートスポットになっている。お金がかかり過ぎるのが玉にキズみたいだが。

 そんなわけで服を買いたいからと璃音について来てみれば、よもや下着選びに付き合わされるとは恭も思っていなかった。黒いシックなやつと桃色の可愛い系のどっちが良いかなんて訊かないでくれと彼は嘆息する。

 ……本当にデートみたいだ。いや、璃音からは間違いなくデートだと言われているのだが。恭はこの状況に当惑しながらも振り切れない自分に苛立ちを募らせる。

 ちなみに彼女はスレンダーで基本的に何でも似合う。だが下着がどんなものであろうと関係ないんじゃないかと恭は一蹴したかったが、そうするとまた何か言われそうだった(でもなんだろう、ので黙っていると、どうやら彼女は自分の中である程度決着がついたらしい。

 

 「これにしよ。こっちもかわええんやけど、こっちはどんな服にも合うしな」

 「そういう基準で選んでたのか……んで、良いから見せるな」

 

 黒い下着から目を背ける恭は、そむけた先に羽型のアクセサリーを見つけた。割と有名なメーカーの物だ。比翼連理の何とやら、意味はよく知らないが恭はそのデザインに惹かれた。

 

 「なあ、璃音。これどう思う?」

 「ん? おお、かわええなぁ」

 「これ買ってやるよ。プレゼントって事で」

 「へぇ~、真田くんもそれくらいの甲斐性身につけてくれたんか。ありがとな」

 

 折角のデートなのだが、彼女が選ぶような下着にお金を払えない恭は別の物でお茶を濁す事にしたのだが、それでも璃音は喜んでくれたらしい。

 アクセサリーは天使の双翼をモチーフにしており、二つの片翼に分かれるようになっている。これをお互いに持つようにするらしい。その性質上包装する事も出来なかったので、購入して開封すると半分を璃音に渡した。

 

 「んじゃ、携帯につけるな」

 「ああ、俺もそうするわ」

 「それじゃ、映画行こか」

 

 璃音は恭の手を引いて、映画館へと歩きだすのだった。

 

 

 比翼連理、それは夫婦仲の極めて良い例えなのだが、二人はそれを知らなかったのか、あるいは璃音だけは知っていたのか。それは分からない。

 

 

 映画自体はとても良い作品だった。色んなジャンルのアニメを見る恭としては、こう言うタイプの作品や○ィ○ニーや○ブリみたいなもの以外(特に深夜系統の萌えアニメ)を低俗と一周する風潮はさっさと無くなって欲しいと思うのだが、まあそれはしょうがないわけで。むしろこう言うアニメをきっかけにして萌えアニメへのいわれない偏見が払しょくされて欲しいな~と言うのは恭だけでなく作者も思ってます。

 二人はMagdalaに戻ると、一階の喫茶店で外の景色を楽しみながらケーキセットを食べていた。璃音は表面が狐色に輝くベイクドチーズケーキと輝きの中にも透明感のあるダージリン、恭は甘さ控えめのザッハトルテに無糖のブルーマウンテンをご賞味だ。

 

 「最後良かったな~、桜くんが黒うさちゃんに『お前が居てくれるなら、俺はずっと不幸でもいい!』って叫ぶとこ」

 「せやな~、黒うさちゃんの立場やととても誰かに一緒に居て欲しいなんて言えへんもんな。桜くん男前やわ~」

 

 フォークを恭に突きつけ合い力説する璃音と恭。ちなみに上記の恭の台詞は、存在するだけで周囲の人間を不幸にする少女に少年が言い放った台詞だ。『人外少女』と言う作品の根幹に存在する、『人では無い異常者に対しどう向き合うか』という一貫したテーマに対する答えの一つでもあった。

 そう言えば……と、璃音は恭の方を向く。

 

 「なあ、真田くん」

 「どうした?」

 「もし、うちが急に人間やなくなっても、今まで通りでいてくれたりするんかな?」

 「そりゃそうだろ。まあ何かゾンビ化とか鬼人化とかで根本的に精神がイカレちまうならまだしも」

 「そっか……せやな。うちかてきっと同(おんな)しや」

 

 ふふっと笑い、璃音は持っていたフォークでケーキを突き刺し口へ運ぶ。口の中でとろける味に彼女は頬を緩ませた。恭もザッハトルテを切り分けそのうちの一つを口に運ぶ。甘ったるい味が口いっぱいに広がり、そこに恭はコーヒーを流し込む。

 ……と、恭は人混みの中に白い髪の少女を見つけた。見逃すはずは無い、と言うかあんな特徴的な外見の人間を恭はそんなに知らない。

 

 「あれ……?」

 「ん、どないしたん?」

 「いや、九兵衛が居たような……」

 「へぇ~、きゅうちゃんもこう言うとこ来るんやな。デートとかやったりして、あの子モテるし」

 「やっぱりそうなん?」

 「そりゃあな、真田くんですら気付いてんねんで。裏で相当告白されてるみたいや」

 

 軽くけなされたような気がしたが、成程と思った。名前が多少変で引っ込み思案な所を除けば彼女は可愛い。と言うか後者の性格と言う面は彼女の外面とのコンボで相当なプラスに働くかもしれない。

 そんな事を話していると、璃音の携帯が鳴った。璃音の顔色が変わる。電話の方みたいだ。

 ちょっと待ってな……と言いながら璃音は電話に出る。恭もあまり深く聞くわけにはいかないにしても聞こえる内容をいくつか拾うとどうやら親かららしい。

 

 「ごめん、真田くん。今日兄貴が帰ってくる言うてたんやけど、それが早まったみたいでな。家族で飯食いに行くから帰って来いって」

 「ああ、そういやそんな事言ってたな……」

 「ごめんな、うちから誘ったのに……その、何や、真田くん」

 「どうした?」

 「……楽しかった、また明日な」

 

 璃音は顔を赤くして恭の方を向き一言そう告げると、荷物をまとめ自分の分の代金をテーブルに置き急いで帰って行った。

 本当はあの後告白するつもりだったんだろうな~と、そんな事を考える度に恭は何と言っていいやら分からなくなってしまう。本当はその辺りのけりをつけるつもりだったのに、当てが外れてしまったみたいだ。

 とりあえず恭はケーキを平らげコーヒーを飲み干し、会計を済ませる。肩すかしをくらった気になりながら、恭はその店を後に……

 

 「木村、さん……?」

 

 見間違いかと最初は思った。しかしそれは違う。見間違うわけがないじゃないか。そんなはずは無い。鍛えられた肢体、ボーイッシュな短髪、動きやすい白のTシャツに行動的なホットパンツ。何よりも恭を引き付けるそのオーラ。

 

 木村鳴、その人だった。

 

 「……っ、おい! 待てよ!!!!」

 

 目が合った。互いの存在をその場で確認する。そして彼女がとった行動は、逃走だった。恭は必死で彼女を追う。普段なら絶対に追いつけない恭だったが、彼女を前にすればどこまででも走れる気がした。

 結局、見失いそうになりながらも屋上の誰も居ない遊具スペースに彼女を追い詰める事に成功した。流石にこの場所からは逃げられないだろう。恭は荒げた息を落ちつかせ、彼女に詰めよった。

 

 「今まで……どこに行ってたんだよ!!!??」

 「……さい……」

 「何だっt」「うるさいって言っとるやろ!!!!」

 

 鳴は恭の手を払いのける。誰も居ないそのスペースに残響がこだまする。

 

 「別に、真田くんには関係なか……ちっ」

 「何だよそれ……っ!?」

 

 周囲の床が、壁がどす黒く歪むのを二人は見た。黒く歪んだ渦が密集し、そこから無数の化物が姿を現す。妙に無機質な鳥や蜥蜴だ、まるで生きていないかのような……

 一つしかない入口もぬかりなくふさぐように、化物たちは二人を取り囲む。鳴は舌打ちすると、観念したように恭の方を向いた。

 

 「一度しか言わんし、信じてくれんでも良い……私、魔法少女なんよ」  

 「えっ……っ!!?」

 

 恭の動揺を置いてけぼりにし、彼女は首にかけた濁りの強い宝玉を額に当てる。光が拡散し、彼女を覆う。その光が晴れる刹那、彼女の身体は白衣と緋袴に包まれ足には足袋を履き、靴も草履になっていた。

 その姿は、誰もがよく知っている巫女のそれだ。左目は金色に輝き、右の黒い瞳との対比が美しかった。

 

 「来い、明電(めいでん)!!!」

 

 光を集め、漆黒の柄、先端には銀の鈴を付けた金色の杓杖に具現化させる。鈴と鈴が打ち鳴らされる度に先端はほのかに電撃を帯び、それだけでも化物を威嚇する。

 強者を打ち倒すべしと判断したのか、ふらつきながら化物は鳴に襲いかかる。彼女はそれを限界まで引き付け、杖で薙ぎ払った。接触するたびに電撃が視覚出来るほど激しく迸る。何体か倒すと、残された化物は明らかに退散と分かる形で消滅ようとした。

 鳴は杖の柄を地面に突き立てる。突き立てた部分を中心に周囲へ魔法陣が広がり、その範囲内の化物は全て黒焦げになった。彼女が強いのかもしれないが、それを差し引いてもこの敵は魔法少女と呼ばれる存在にとってとるに足らない存在である事は恭にもおぼろげながら理解できた。

 

 「……ちょっとした理由があって、契約したとよ」

 「契約って……それで誰も木村さんの事を覚えてないって事か?」

 「そう言う事。真田くんが覚えとったのは何でか知らんけども」

 

 変身を解除し、元の姿に戻る鳴。心なしか、首にかけた宝玉がさっきよりも濁っている気がする。中心には薄く光がともっているがそれも消えてしまいそうだった。

 

 「真田くんも分かっとるかもしれんけど、私の居場所ってないじゃん? だからもう……私の事は忘れて」

 「何言ってんだよ、こうしてまた会えたのに……忘れられるわけないだろ!!?」

 「じゃあずっと、居もしない人間の事を追い回してる変人だと思われながら生きていけばいい。私はああやって化物と戦わんといけん、真田くんとは違うとよ!!」

 「だったら俺だって戦うよ!! だから一人で背負」「ふざけんな!!!!」

 

 激昂する鳴。彼女がこんなにも怒ったのを見るのは初めてだった。彼女自身そこまで声を荒げるつもりは無かったらしく、恐らく恭よりも発言者本人の方が驚いていたかもしれない。

 

 「……ごめん。でも真田くん、男やん。魔法少女って言うたやろ、何で真田くんg」

 「そうでもないんじゃないかな、鳴」

 

 澄んだ声が響く。恭もよく知る声だ。だが、そのよく知る声の相手はこんな無機質では無かったはず、聞き間違いではないかと恭は声のする方を向く。

 九兵衛だった。妙に達観した様子で、彼女は二人の元へと歩いてくる。

 

 「やっぱりお前も関係者か……」

 「九兵衛! 真田くんは関係……」

 「人間の真似ごとは疲れるね、きょうちゃん。普通に話させて貰ってもいいかな?」

 「猫かぶってたのか……」

 「ボクが鳴の居る学校に入ったのはね、資質のある子を探すためだったんだ。でも、魔法少女はこれ以上生み出せない。ボクが探してたのはね、魔法少女を護る騎士なんだよ」

 

 彼女曰く(開き直った彼女は『ボク』と言う一人称にも違和感を感じさせなかった)、九兵衛と魔法少女両方の承認を以て生じる騎士と言う存在を学校で探していたらしい。その条件は鳴の事を覚えている人物、出来れば鳴と何らかのつながりがあった方が良いと言う事だった。

 魔法少女になった人間は人々の記憶から抹消される。しかし、魔力の資質がある人間は例え魔法少女となった相手でも忘れる事は無い。九兵衛が恭に質問したのはその資質ある者を探すためだったのだ。

 そしてその性質上、魔法少女と騎士は一心同体である。その為、相思相愛であることは非常に好都合なのだと言う。

 

 「この世界と関われば、真田くんは全ての日常を失う事になる……だから、真田くんは帰って」

 「何言ってんだよ、木村さん一人置いて帰れるわけないだろ!!」

 「じゃあ何? 真田くんがこれからもずっと私を護ってくれるって? ……ごめんね、それ、困る……」

 「……………」

 

 彼女をずっと護るの答えに当たり前だろ!!!!! の解答が出せなかった。何と情けない、恭は歯噛みする。何故だ、自分は彼女以外有り得ないんじゃなかったのか。

 それが彼女が望んでいなかったとしても、自分は鳴を好きで居るんじゃなかったのか。恭は踏み出す事が出来なかった。情けないが、それが真田恭と言う人間だった。

 

 「真田くんの事は嫌いじゃないよ、勿論。でも、真田くんとずっと一生一緒に居たいかって言うたら、何かそれって違う……とにかく、真田くんいなくても大丈夫やけん」

 

 彼女は張り付いたような笑顔で笑うと、デパートの中へ戻って行った。九兵衛もそれに続いて行く。彼は動けなかった。鳴を追えなかった。あれほどに好きだった彼女を。

 

 恭は振られたも同然で、そんな人間に彼女を追う資格など無かった。所詮自分はどんなに過大評価しても『傍に居てくれると嬉しい人間』で、『一生一緒に居たい人間』にはなりえなかったのだ。


 
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