降り注ぐ日差しは厳しさを増し、いよいよ夏も本番へといった風情である。
学園にある古井戸の側には連日のように少女たちが集い、小鳥もかくやと思わせる賑わいを見せていた。
同様に、街へと繰り出してみれば、幼子たちが所狭しと駆け回っている。大荷物を抱え、道行く大人のことなど、
まるで目にもくれない。
天下の往来もなんのその、全ての道は我らのものだと言わんばかりである。
子供はそれくらい元気な方が丁度いいのだろう。
子供たちに活気があるのは良い街の証拠である、とは水鏡先生の言であったか。
とはいえ、少々元気過ぎやしないだろうか。大地には、ゆらゆらと陽炎が立ち昇っている。清々しい程の青空に、ぷかぷかと浮かぶ雲は流れる気配もない。
確かに、自身にも彼らのように額に汗して野山を駆け回った頃があった。それが、今は何とも遠い昔のように思えて仕方がない。
「まだ、十代なんだけれどなァ。」
一人、呟いた言葉は街の喧騒に、子供たちの声に掻き消されてしまう。
だらだらと流れる汗と、茹だるような暑さに辟易している自身の現状は、決して歳のせいだとは思いたくなかった。
現代日本と、古代中国では、生まれつき体の出来が違うのだと、そう思いたかった。
屋台が居並ぶ大路を通り、今が書き入れ時と、声を張り上げる飯屋を抜けると、目指す先はもうすぐそこである。
水鏡先生に連れられ、たちまちに決まった働き口の服屋である。
この店にお世話になり始めて既に一と月は過ぎ、業務にも慣れてきた頃だ。業務、とは言っても、大半がやってくる客との世間話
ではあるが。
自身が知っている限りでは、この一ヶ月余りの間に売れたのは、両手の指で数えられるかられないかといった所である。
正直、経営に関しては不安がないわけでもないが、それはそれである。自分に出来る事を精一杯やるだけだ。
客引きの為に、懐かしきフランチェスカの制服を引っ張りだすのも良いかもしれない、などと考えているうちに、服屋が見えてきた。
店の軒先に、男が一人立っている。
大男である。日に焼けた浅黒い肌は、隆々としておりギリシア彫刻を彷彿とさせる。太く、逞しいその肉体は、
彼の生業からはかけ離れているように思えた。
件の男は、服屋の主人であった。
何かを待つように、頻りと視線を通りに走らせている。そして、こちらに気づくと、オォイと手を振った。
その勢いとくれば、ぶんぶんと、ここまで腕を振る音が聞こえてきそうな程である。
余程良いことがあったのだろう。この場所からでも、店主が破顔する様子が見て取れた。
軽く頭を下げ、小走りで彼の元へと向かう。
出来た、と大男は一言だけを口にした。
その言葉で思い当たるものがあった。制服である。思わず頰が綻ぶのを自身でも感じた。店主も、どこか誇らしげである。
そのままおやっさんに連れられ、店の奥へと向かう。先程とは打って変わって、彼は大変饒舌であった。
目を輝かせ、無邪気に笑い、あれよこれよと口にする。その言葉たるや、さながらマシンガンが如く撃ち続けられ、
まさに息つく暇もないとはこのことであろう。
途中、見かけた女将さんが、酷く疲れたように見えたのは、店主の話に、一晩中付き合わせられたからなのかも知れない。
夫妻の生活空間、いわゆる居間に着くと、一対の真新しい服が掛けられていた。
白を基調とする、フランチェスカの制服を模した制服と、メイド服を元にしてネイビーブルーに染められたものである。
思わず感嘆の息を漏らす。
良くもまぁ、あの子供の落書きからここまで見事な服を仕立てあげたものだ。ほんの僅かとはいえ、もの作りに関わったことで改めて職人の凄さというものを感じ取れた気がした。
細部へと目を向けて見れば、自身のイメージとは違いアレンジを加えられている箇所も見受けられる。
それも悪化しているのではなく、より清楚に引き締まった印象を与えるようになり、それでいて可愛らしさを損なわずにいる。
また、こうして出来上がった現物を見て、初めて分かることもあった。当然ながら、自分がいた世界とは生地が、染料が違う。
色の与えるイメージというものも重要なことではあるが、生地自体の艶も、完成品に大きく影響を与えるのだと知った。
ただ図面を引くだけではない。自身が描くモノに適した素材を、あるいは生地の最も活かしたデザインを。料理は、材料選びから始まるのである。
大きな目標を得た瞬間だった。
どうだ、と男が笑う。
「……想像以上です。」
幾らでも言いたいことはあった。しかし、そのいずれも言葉にならない。感情は渦を巻いて、形作ることがない。
「凄いです。凄いですよ、とても。」
自身の語彙の貧困さを、これ程嘆く日はないのではないかと思わずにはいられなかった。
「さて、来てもらった早々悪いんだが仕事だ。」
店主は口を開く。なぜか後頭部を掻きながらであった。
「はい。大丈夫です。」
もとよりそのつもりで来たのである。なぜ悪いと言われるか検討がつかなかった。
「そいつを先生の所まで運んでくれ。代金は貰ってあるから運ぶだけでいい。」
なるほど、確かにこの暑さで荷物を運べと言うのは気が引けるだろう。おまけに、来た道を今直ぐに辿れと言っているようなもので
あった。
彼は言葉を続ける。
「しんどいだろうから外の荷車ァ使ってくれ。そこに出てる二着と、箱ン中のとを合わせて二十八着だ。」
おやっさんが指差す方へと目を向ければ、葛籠のような物が二つ置かれていた。大きさは一抱えほどもあり、確かに荷車なしでは難儀しそうである。
蓋を開けてみれば、一方には白い制服が、もう一方には濃紺の制服が綺麗に畳まれ詰められている。そこへ、掛けられていた二着の制服を手早く丁寧に仕舞いこむ。
服の畳み方も、我ながら様になったものである。これも店主の教育の賜物であった。彼も、心なしか満足そうに見える。
「言い忘れたが、そいつを持ってったら今日は上がってくれ。カァちゃんも疲れ気味みてェだから、今日は早めに閉める。荷車は明日持って来てくれりァあいい。」
投げ掛けられた言葉に返事を返し、荷持を抱えて外へと向かう。
疲れている原因は、考えないことにした。
さて、本来ならばこの夏空の下、荷車を押してえんやこら、とくればうんざりしそうなものだが、足取りは綿毛のように軽い。
理由は明らかである。荷物を抱える辛さよりも、自身の成果を見せることが出来る喜びの方が勝っているのである。
だらだらと流れでて不快以外の何者でもなかった汗も、剣を振った後の爽やかさを彷彿とさせるものがあった。
今なら汗の匂いも、青春の匂いだと喜んで嗅ぐことが出来るだろう。いや、流石に言い過ぎた感は拭えなくもないが。
兎にも角にも、今の汗は流していても快く感じられるものだった。
とはいえ、気持ちだけでどうにかなる訳でもなく、水鏡女学園に辿り着いたのは、普段なら三十分程度の道のりを倍近く掛けてからである。
時刻は、三時近くといった所だろうか。この時分では、まだまだ暑い盛りである。
そんな中ではあるが、彼女たちの学習意欲は高いらしく、未だ学園内には活気が残っていた。
芝生に並んで談笑する様子や、饅頭を片手に走り回る姿も見て取る事ができる。
後者に関しては、些かお行儀が悪いと言わざるを得ないが、そんな時もあるだろう。
思い返して見れば、自身も食事時に木刀を振り回して祖父母によく絞られたものである。それに比べればまだまだ可愛いものだ。
感慨に耽りながら荷車を引いていると、何やら視線を感じた。先程の賑わいもどこか鳴りを潜めているように思える。
不思議に思い、立ち止まって辺りを見回せば、彼女たちの目は何れもこちらへと向けられていた。
そんな目ェして見つめちゃ照れるよ、などとふざけている訳にもいかない。この感じはあの時と同じである。
男子禁制の園に、男が一人、うきうきと呑気に入り込めば、こうなることは火を見るより明らかであった。
どうしたものかと思案していると、横から声がかかった。蚊の鳴くような、消え入りそうな、とてもとてもか細い声であった。
そちらへ目を向けると、女の子が一人立っていた。
さらさらと流れる髪は、透き通った海のように青く、左右の側頭部でツーテールに纏められている。
着物も髪と同系色の藍色であり、黄色に染められた帯がアクセントとなっていた。
その着物の袖から覗く小さな両手は、胸の前で握り合わせられ、ライトグリーンの瞳は僅かに揺らめいており、最早泣き出す寸前
といった所であった。
声の主は鳳士元である。
彼女の様子と、性格からすると、自分が気づくまでに何度も何度も声を掛け続けていたことは、想像に難くなかった。
「あぁ、どうしたの?」
これ以上、彼女を怯えさせないよう、努めて笑顔と優しい言葉で返す。
そのかいがあってか、彼女は微かに安堵したようにも見えた。
つかえながらも士元ちゃんは口を開く。
「あ、あの。確か、この前の……。」
「覚えていて貰えたみたいだね。今回は届け物だよ。悪いけど先生を呼んでもらえないかな?」
あんまり歓迎されていないみたいだからね、と戯けて続ければ、彼女はくすりと笑った。
「仕方ないです。ここは、男の人は入っちゃいけない所ですから。」
「違いない。こうも見られる続けると、体中がむずむずしてくるよ。」
そう、大袈裟に肩を竦めて見せた。事実、庭にいる生徒からは未だに好奇の目を向けられているのだ。
先程の言葉は、単福としても、徐元直としても心からの言葉であった。
士元ちゃんは小さく微笑む。
「でも、いい所なんですよ? 先生は優しいですし。……確かに、お、男の人は珍しいですけど。
最近入ってきた方は、お嬢様なのか、私たちも知らないようなことを沢山知っていますし、良い刺激になります。」
「それは、良かった。」
そう言えば、先生でしたね。
思い出したように彼女は言うと、とたとたと校舎の中へと向けて走っていった。
かの鳳雛であり、中身がしっかりとしているのは重々に承知しているのではあるが、その背丈のせいか、どうにも心もとないのである。
ああして走っている姿を見ても、いつかいつか転んでしまうのではないかと、気が気でなかった。
安堵に胸を撫で下ろしたのは、水鏡先生が士元ちゃんを連れて姿を見せた時である。
先生が姿を見せ安心したのか、遠巻きに眺めていた少女たちも近寄ってきた。
「お久しぶりですね。えーと、確か、単福、さんでしたね。」
彼女――先生は一文字一文字を確かめるように口を開く。
「はい、お久しぶりです。」
それが、先生の言葉が、何だか可笑しくって笑ってしまいそうになる。
ある時は、北郷さんと呼ばれ、またある時は元直さんと呼ばれ、今回は単福さんである。
彼女も同じ考えに至ったのか、柔らかく笑った。二人が微笑み合う。
奇妙な連帯感に、周りは首を傾げるばかりであった。
先生に引き連れられて、校舎の中へと向かう。
話の流れで、箱の中身が制服だと知った少女たちも一緒であった。
新しい玩具を貰った子供のように、と言ってしまうと、彼女たちに失礼な気はするが、今の様子ではまさに的確な表現であると
言わざるを得ない。
三人寄れば文殊の知恵、三者三様などと三に関する言葉は幾つかあるが、その中でも女三人で姦しいとは言い得て妙である。
騒がしくて済みませんね、と先生は言う。
「いえ、慣れていますから。」
勿論、本心からの言葉である。
「そうですか。良かったです、とても。」
彼女は背を向けたまま、小さく笑った。
葛籠を一つ抱え、辿り着いたのは先生の私室である。
因みにもう一つは軽々と先生が持っていた。女生徒たちが持ちたい持ちたいと制服の入った箱へと殺到したものの。
「まだ見てはいけませんよ。」
との先生の言葉に伸ばした手を引っ込める者も少なくなかった。
一つ、息を零した彼女は、やれやれといった風情であった。
部屋に葛籠を降ろすと、待っていましたとばかりに少女たちは目を輝かせる。
視線は箱を、あるいは先生に向けられており、それが意味することは最早一つでしかない。
根負けしたように彼女は、少しだけですよ、と蓋を開けた。
丁寧に双方から一着ずつ取り出し、卓の上に広げると、歓声に近い声が多方から上がる。
反応は上々であった。思わずガッツポーズを取りたくはあったが、この場でやれば不審者極まりない。
にやけそうな頰を抑えるのにも精一杯である。
程良い疲れと、心地良い達成感。今夜はよく眠れそうだと、未だに衣装へと釘付けになっている少女たちを尻目に部屋を辞す。
明日は、きっと良い日だろうという予感は、半分当たり、半分は、はずれであったことなど、当然知るよしもない。
北郷一刀の奮闘記 第十二話 知らぬは本人ばかりなり 了
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1月は行く、2月は逃げる、3月は去るといった言葉があります。
光陰矢のごとし等という言葉もあります。
何が言いたいかというと、気が付けば前回からすっごい経ってるよ! ということです。
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