多くの妖怪たちが倒れ臥している広場の中心で、将志の物である黒い漆塗りの槍を杖代わりにして立っている者がいる。
その息を荒げている人影は、見たこともない異国の服を纏った、四歳から五歳程の幼い少年だった。
身に纏っているのが霊力であることから、妖怪や神の類ではないことが見て取れた。
「……これは、お前がやったのか」
将志は少年に問いかける。
すると、少年はゆっくりと将志のほうを向いて、こくりと頷いた。
少年の眼には汗が眼に入っているのか、その眼は堅く閉じられていた。
「……そうか。これだけのことをしてまで、お前は生き延びたかったのか? この者達も生きているのだぞ?」
将志が再び質問をすると、やはり少年は肯定する。
それを見て、将志は少年に対して頷いた。
「……ならば、ついて来るが良い。この場にいては、また妖怪に襲われるからな」
将志の口からは自然とそんな言葉が流れ出す。すると、少年は一つ頷いて将志の元へとやってきた。
それを確認すると、将志はゆっくりと歩き出した。
「……はて、俺は何故こんなことを言い出したのやら」
将志は不思議な感覚に陥っていた。
何故か、この少年のことが放っておけなかったのだ。
人間と妖怪、そのどちらにも中立を保っていなければいけない身分であるにもかかわらずである。
おまけに、どこか懐かしいとさえ感じてもいたのだ。
将志は後ろを振り向く。
「……っく……」
そこには、槍を抱えて必死について来る少年の姿があった。それを確認すると、将志は再び前を向いて歩き出す。
森の中を歩き、激しく流れる川を渡り、渓谷へと入っていく。そして、しばらく歩くと高い岩山が目の前に聳え立つ場所に来た。
銀の霊峰である。
「……ここを登るぞ。休みたくなったら言うが良い」
将志がそういうと、少年は不平も不満も言わずに頷いた。
それを見て、将志は頂上へと繋がる道を歩き始めた。かつて参拝客に試練とも言わしめた険しい山を、将志はゆっくりと登っていく。
振り返れば、少年は小さな体に合わない大きな槍を背負い、這うようにして登ってくる。その姿からは、生き延びたいと言う少年の強い意志が伝わってくる。
「…………」
将志は後ろを確認しながら黙々と先へ進む。少年は休むことなく、それについて行く。
社への道は元々人が来ることなど想定して作っていないため、ほとんど整備されていない。参拝客が何とか道を作ったが、それですら試練と呼ばれてしまうような厳しい道である。
数々の武士すらそう表する道を、少年は弱音一つ吐かずに進んでいく。
そしてついには、社の前の門までたどり着いた。結局、少年は休みたいとは一言も口にしなかった。
「……着いたぞ。ここまで来ればもう安心して良い」
「……っ」
将志が到着したことを告げると、少年はその場に崩れ落ちた。
それを将志は抱きとめる。その体は小さく軽く、とてもこの険しすぎる道を登れるようなものとは思えなかった。
すると、門の影から黒い戦装束を身に纏った女性が現れた。
「お師さん、帰っていたのでござるか。その子供は?」
「……事情は中で話す。皆を集めてくれ」
「承知したでござるよ」
涼はそう言うと社の中へと入っていく。将志もそれに続いて中に入り、客間の一室の寝台に少年を寝かせる。
少年の小さな手は擦りむけて血が滲んでおり、必死で槍を取って戦っていたことが良く分かる。
しばらくすると、愛梨を除く銀の霊峰の主要メンバーが集まってきた。
「お兄さま、この子は食べても良いの?」
「良い訳ねえだろ、バカ!!」
「あいたっ!?」
入ってくるなり少年を食べようとするルーミアを、一緒に入ってきたアグナが頭を殴って止める。
するとルーミアは頭を抱えてその場にうずくまった。
「お兄様、その子はどうしたんですの?」
「……その前に、愛梨は……あ」
六花に愛梨の居場所を尋ねようとして、将志は固まった。
少年のことがあって忘れていたが、愛梨にレミリアのことを任せていたのを思い出したのだ。
「ここにいるよ、将志くん♪」
そんな将志の耳に陽気な声が入ってくる。
その声の主は部屋に入ってくると、両手を腰に当てて将志の顔を覗き込んだ。
「ひどいなぁ~……将志くん、勝手に僕をおいて帰っちゃうんだもん……」
瑠璃色の瞳でジト眼を向ける愛梨。
それを受けて、将志は罰の悪そうな表情を浮かべる。
「……わ、悪かった。この埋め合わせは今度するから、今は勘弁してくれ」
「……約束だよ?」
「……ああ」
上目遣いで見つめてくる愛梨に、将志は頷く。
すると、愛梨の表情がたちまち嬉しそうなものに変わった。
「キャハハ☆ じゃ、許してあげる♪」
その言葉に、将志はホッとした表情を浮かべた。
「……ところで、レミリアはどうした?」
「レミリア……ああ、あの子は手下の妖怪達の中に家の場所を知っている子が居たから、その子に送ってもらったよ♪」
「……そうか」
愛梨の報告を聞いて、将志は一つ頷いた。
そんな将志に、アグナが話しかける。
「んで兄ちゃん、こいつはいったいどうしたんだ?」
「……にわかには信じがたいと思うが、聞いてくれ」
そういうと、将志は寝台で眠っている少年について話を始めた。
話を聞いていた者は、その突拍子もない内容に唖然とした表情を浮かべる。
「……ということだ」
将志が話し終わる頃には、全員が信じられないものを見るような眼で少年を見つめていた。
そんな中、六花が口を開いた。
「確かに、信じられない話ではありますわね。この子、本当に人間ですの?」
「……少なくとも、妖怪や神の類ではない。俺がこの少年から感じたのは確かに霊力だったから、人間の類ではあるのだろう」
霊力は人間や幽霊が持つ力であり、妖怪が持つ妖力や神が持つ神力、魔法に必要な魔力とは質が違う。
人間が持てるのは霊力と魔力であり、妖力と神力を持つことが出来ない。
一方で、妖怪が持てるのは妖力と魔力であるし、神ならば神力と魔力、場合によって妖力や霊力である。
普通は自らが持つ最も強い力を使うため、霊力を使うのは大体が人間か幽霊なのである。
「それじゃあ、能力持ちの人間ってことなのかな?」
「……それは間違いないだろう。そうでなければ、せいぜい壊れにくいだけで自らの丈には合わない槍を振るって妖怪の群れを一人で返り討ちにするなどという芸当を、このような幼い子供が出来る筈がないのだからな」
「妖怪を祓う程度の能力、かしら?」
ルーミアは予想される限り最悪の能力を口にした。
仮にそうだとすれば、能力の程度によっては将志や紫、天魔なども消滅してしまう可能性がある。
そのような事態になれば、幻想郷そのものの危機が訪れてしまうのだ。
しかし、将志はその可能性を否定した。
「……それはないと思うぞ? それならば、妖怪は跡形もなく消滅するはずだが、実際にはその場に倒れ臥しているだけだったからな。第一、槍を取る必要すらない。それに、それならばここまで自分の足で来られるはずがない。恐らく、身体能力や生命力が上がる類の能力であろう」
「そうだよなぁ。こんな小さい子供が兄ちゃんの槍を担いでこの山を登りきっちまうんだからなぁ」
「この山は人間だった時代に登ったことがあるでござるが、死ぬほどきつかったでござるよ。何しろ、鍛えている者でも音を上げるでござるからな」
心の底から感心しているといった表情のアグナと、当時麓から社まで通い詰めていた時代を思い出す涼。
そして、将志は深々とため息をつく。
「……だが、こいつは一度も休むとは言わず、足を止めることもなかった。そして、頂上に着いた瞬間にその場で崩れ落ちた。はっきり言って、精神に異状をきたしているとしか思えん」
普通は、疲れたら休憩するものである。だというのに少年は一度も休憩せず、その結果頂上で気を失うことになった。
将志にはどうしてそういうことになったのか全く分からなかった。
「ちょっと話は変わりますけど、お兄様は何故この子を自分の足でこの山を登らせたんですの?」
「……何故かは分からんが、こいつなら出来ると確信出来たのだ。そう思わせるだけの力が、この少年からは感じられたのだ。まあ、一度も立ち止まらなかったのは予想外だったがな」
将志はそういうと、少年の方を見る。少年は静かに寝息を立てており、その眠りが深いことをうかがわせる。
そんな彼を見て、将志は軽く息を吐く。
「……それに、こいつが他人ではないような気がしてならんのだ。何と言うか、なんともいえない懐かしさと言うか、何か惹きつけられるようなものを感じる」
「そっか♪ まあ、後はこの子から出来るだけ詳しい事情を聞かないとね♪」
「それはそうですけど、話を聞いた後はどうするつもりですの?」
「……しばらくはここで面倒を見ることになるだろうな」
六花の質問に将志は返答する。
すると涼が首をかしげた。
「む、人里には預けないんでござるか?」
「……こいつの霊力……いや、魔力も混じっているか。それがこの歳にしては異様に高い上、能力の正体が不明だ。今回こいつの被害にあったのは妖怪だったが、人里で暴走すればその被害は甚大なものになるだろう。そうならない様にするためにも、ここで引き取って訓練させる方が良いだろう?」
「そうですわね。それじゃあ、後はお兄様に任せることにしましょう」
「んあ 何で兄ちゃんなんだ?」
「……こいつは俺の顔しか見ていない。ならば、俺と話をしたほうが相手も緊張しなくてすむだろう」
頭の上にはてなマークを浮かべるアグナに将志はそう説明する。
その傍らで、ルーミアがジーッと少年を物欲しそうな眼で見つめていた。
「もったいないなあ……この子、凄く美味しそうなのに……」
「食うんじゃねえぞ、ルーミア。食おうとしたら折檻だからな」
「分かってるわ、お姉さま。言ってみただけよ♪」
言葉でけん制してくるアグナに、ルーミアはそう言って抱きつく。
ルーミアよりもアグナのほうが小さいので、アグナはルーミアの腕の中にすっぽりと納まる。
「だぁ~! くっつくな、うっとおしい!!」
そう言って、アグナはルーミアを振りほどこうとする。
「え~、お姉さまもお兄さまによくやってるじゃない」
ルーミアは不満げな表情を浮かべて反撃する。
するとアグナは少し焦りだした。
「あ、ありゃ良いんだよ、兄ちゃんも合意の上だかんな。ていうか、何で兄ちゃんのことをお兄さまって呼んでんだ?」
痛いところを突かれたアグナは無理矢理話題を変えた。
それに対して、ルーミアは笑顔で答える。
「だって、お姉さまが兄ちゃんって呼んでるじゃない? だったら、私にとってもお兄さまって事でしょ?」
「んじゃ、他のみんなを名前で呼んでるのは?」
「私のお姉さまはお姉さまだけよ♪」
「あ、この、抱き付くな頬ずりすんなほっぺた舐めんな!!」
アグナに対して過剰なスキンシップをするルーミア。
アグナはそれから何とか脱出しようともがいている。
「……お前達、ここに怪我人が居るのを忘れていないか?」
「「はい……」」
それを将志に睨まれて、その場に二人は縮こまった。
「……平和でござるな……」
そんな光景を、涼はほのぼのとした表情で見守るのだった。
将志がしばらく仕事をして少年の様子を見に行くと、寝台は空になっていた。
「……む、居ない?」
将志は居ないと見るや少年を捜し始める。
一通り捜したところで愛梨を見つけ、声をかけた。
「……愛梨、あの少年を見なかったか?」
将志がそう問いかけると、愛梨はキョトンとした表情を浮かべた。
「え? もう起きたの?」
「……部屋に居なかったぞ」
「わかった、捜して見るよ♪」
「……頼む」
愛梨は早速居なくなった少年を捜しに行く。将志はそれを見送ると、別の場所を探し始める。
そして拝殿の中を捜していると、将志はふと足を止めた。
「……あれは」
将志が窓から外を見てみると、そこに境内を歩き回っている少年を発見した。少年はキョロキョロと周囲を見回し、何かを探しているようであった。
将志は境内に出て、少年の元へ向かう。
「……何を探している?」
将志が声をかけると、少年は足を止めて向き直った。
「……おじさん」
少年は将志と眼を合わせずに、俯いたままそう告げる。
それを受けて、将志は問い返す。
「……それは俺のことで良いのか?」
将志がそういうと、少年は頷いた。
少年の言うおじさんとは、将志のことで良かったらしい。
「……そうか。それで、体の調子はどうだ?」
「……疲れてるけど大丈夫」
少年はぼそぼそとした声で将志に答えを返す。その声からは少年がかなり疲れていることが分かる。
が、将志は少年の意志を尊重して話を続けた。
「……ならばいくつか聞きたいことがあるのだが、良いか?」
「……うん」
「……お前は何故あの場に居た?」
「……わかんない。気がついたらあそこに居た」
少年は将志の質問に淡々と答える。歳の割には落ち着いた物腰で、見た目よりも大人びた性格のようである。
むしろ、何も分かっていない状況であるにもかかわらずにこの態度なのだから、いささか冷静すぎるくらいであった。
「……お前は幻想郷の名前を聞いたことがあるか?」
「……幻想郷?」
少年は幻想郷の名前を聞いて顔を上げ、首をかしげる。
この時点で、将志は少年が外から来た人物であることを確信する。
「……ここの事だ。ここは幻想郷の中にある銀の霊峰の社だ。心当たりは無いか?」
「……聞いたことない」
少年はそういうと、再び俯く。
その様子から、どうやら顔を上げるのもつらい程疲れている様であった。
「……では、ここに来る直前に何をしていた?」
「それは……っ」
質問に答えようとしていた少年が突然言葉を詰まらせる。
どうやら混乱しているようで、頭に手を当てて必死の形相を呈していた。
「……どうした?」
「……思い出せない。あそこに来る前のことがわかんない」
少年はやや呆然とした表情でそう告げる。
どうやら幻想郷に来るまでの記憶を失っているらしかった。
「……そうか。それで、お前はこの後どうしたい?」
「……わかんないよ、そんなの。でも、死にたくない。おじさん、僕はどうすれば良いの?」
将志の問いに、少年はそう言って返す。少年の茶色い瞳は光を失っていて、縋るように将志に向けられていた。
それに対して、将志は答えを出す。
「……ならば、しばらくここに住むが良い。大した事は出来んが、生き残る術を教えよう」
「……良いの?」
生き延びる術を教える。その言葉に、少年の瞳に光が燈る。
それに対して、将志は微笑みながら頷いた。
「……ああ。ところで、名前は思い出せるか?」
「……ううん、思い出せない」
少年はしばらく思い出す仕草をした後、力なく首を横に振った。
「……そうか。ならば、名前が必要だな……」
将志はそう言って名前を失った少年の新しい名前を考え始める。
ふと空を見上げると、月が眼に入った。先程まで紅かったはずの月は、いつの間にか美しい白銀の月に変貌していた。
将志はジッと、その月を眺める。
「……
「銀月……それが僕の名前?」
少年はかみ締めるように、自分につけられた名前を口にする。
将志はやや緊張した面持ちで少年を見つめる。
「……駄目か?」
「……ううん、良いよ。お月様が僕の名前に居るって、何か良いな」
少年は微笑みながら、喜んで将志の付けた名前を受け入れた。
銀月の言葉を聞いて、将志はホッとした表情を浮かべた。
「……そうか。では、今日から銀月と名乗ってくれ」
「うん。ねえ、おじさんは何ていうの?」
「……そういえば、まだ名乗っていなかったな。槍ヶ岳 将志。変わり者の槍妖怪だ」
将志が自己紹介をすると、銀月の目が点になった。
「え、おじさん妖怪なの?」
「……まあ、元は妖怪だが世間は俺のことを守り神と認知しているよ」
「本当に? じゃあ、証拠見せてよ」
銀月は将志に疑りのまなざしを送る。
将志はそれを見て、苦笑いを浮かべた。
「……まあ、良いだろう。見て驚くなよ?」
将志はそういうと、手元に銀の槍を神力で作り出した。
すると、銀月は眼を見開いた。
「うわあ、すごい……」
「……ふっ、驚くのはまだ早いぞ」
将志はそういうと手にした槍を地面に突き刺した。すると、その槍はどんどん沈み込んでいく。
完全に沈み込むと、突如として境内が銀色の光を放ち始めた。
「うわっ!?」
そのまぶしさに、銀月は思わず眼を覆う。
しばらくすると、その光は集束していき、将志と銀月を取り巻くように大量に光の柱が現れた。
「……さあ、ここからが本番だぞ。しっかり見ていろ」
将志はそういうと、空に向けて手を思いっきり振り上げた。
すると、光の柱から夜空に向かって無数の銀の槍が飛び出していった。
槍は白銀の光を放ちながら一直線に伸びていき、高い空で弾ける。神力の残滓は光を失うことなく夜空を埋め尽くし、銀の月を背景にして星屑のように落ちてくる。
その光景は、神の気まぐれによってしか見ることの出来ないとても幻想的なものであった。
「わぁ……」
銀月は言葉も出ない様子でその光を眺める。
それを見て、満足そうに将志は頷いた。
「……銀の霊峰へようこそ、銀月」
こうして、銀の霊峰に新たな住人が加わることになった。
* * * * *
注意
このシリーズの冒頭にもあったとおり、ここから先は主人公が二人に増えます。
これまでどおりの主人公、槍ヶ岳 将志の他に、将志の拾った少年、銀月も主人公格として扱われるので、ご注意願います。
Tweet |
|
|
0
|
0
|
追加するフォルダを選択
傷つき倒れた妖怪の中でにたたずむ少年。その少年に、銀の槍は声をかける。